悪女は"正解"を咀嚼する   作:ギャン吠えチワワ

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68話 桜ヶ崎カオリ-1

 

 テレビにノイズが走る。スタジオの照明が半分落ちていた。カメラの前に座るアナウンサーは化粧も崩れ、ひどく疲れた顔をしている。そんな背後のモニターには黒い煙と灰色の空――そして一面の更地が映し出されている。

 

「おはようございます。■■■です。現在も一部地域で通信が途絶しているため、映像の乱れが続いております。ご了承ください」

 

 テレビに映っているのはニュースの一幕だ。ニュースは先日東京に■■国から核ミサイルが落とされた話題で持ちきりだった。だけど俺には関係のないことだ。

 

「カオリ。先日のテストは確か98点だったのね」

 

 母の声が響く。()()()()母親の声だ。俺の母親は俗に言う教育ママだった。死にかけの意識が俺にこの地獄を思い出させた。もう二度と思い出したくなかった母の記憶。

 

 俺の母は東京に核ミサイルが落とされるという異常事態でも変わることがなかった。明日がどうなるか分からない状況でも勉強だけを求めた。

 

「なんで満点じゃないの!! 今日は夕飯抜きよ!!」

 

 母は俺から多くのものを奪った。ゲームや漫画……それに菓子を食べることもジュースを飲むことも許さない。ひたすらに勉強することだけを強制する。自由なんてものはない。まるで終わりのない地獄。俺は母親の操り人形だった。

 

 母はあまり頭が良くなかった。それこそ勉強のやり方も知らないと言っても過言ではない。端的に言えば教科書を全文蛍光ペンで塗りつぶし、ひたすらノートに単語を書き写せば頭が良くなると思い込んでいる人種だ。俺もその非効率を強制させられた。ただひたすらに同じ漢字や英単語を書き、歴史の単語と数学の公式の暗記を強制させられる。

 

 小学1年生の頃から塾に詰められた。夜の10時まで塾に通わされた。当然ながら友人と遊ぶ時間なんて持てない。当然ながら交友関係なんて持てるはずがない。ひたすらにノートに文字を書き写す。心を殺してノートに文字を書いていく。

 

 母は頭が悪いから世間の出来事が自分にどう影響するか分からない。 2022年の中東が統一されて中東連合国となった時も母は変わらなかった。そして今回の核ミサイルも母にとっては他人事。自分とは関係のない違う世界の話なのだ

 

「母さん……」

 

 勇気を振り絞って声を出す。俺にはやりたいことがあった。この非日常の今ならば少しは俺の話を聞いてくれるかもしれない。そんな期待を抱いた。

 

「母さん。俺は将来絵描きに……なりたい」

 

 たまたま図工の授業で絵を描く機会があった。俺の唯一と言ってもいいくらい楽しかった記憶。絵の世界には自由があった。なにを描いても許された。それに鉛筆さえあればどこでも出来た。答案用紙の余白やチラシの裏などどこでも出来る。絵だけは制限されない。鉛筆は勉強に必要な道具だから。絵の世界は楽しい。絵だけは自分を外に出すことが許される。

 

「そんな庶民的なことは普通の人がすればいいの。カオリがすることじゃないでしょ?」

 

 だけど俺の夢は叶うことはなかった。母親がそれを許さない。俺はなにかを望むことも夢見ることも許されない。

 

「でも……」

「カオリは母さんが間違ってるというの?」

「そうじゃなくて……」

「あんたを育てたのは誰だと思ってるの! 恩を仇で返すんじゃないよ! この親不孝もの!」

 

 母の怒鳴り声とともに頬を叩かれた。その騒ぎで妹のモモが泣き声をあげる。母親は舌打ちをした後にモモに怒鳴り声をあげて黙らせる。まだ生後3か月にも満たない妹にすらこの仕打ち。目の前にいるのは完全にモンスターなのだ。

 

「なんで……なんで貴方は()()みたいに出来ないのよ……」

 

 母が膝をついて泣き出す。その光景を見て罪悪感で心が痛む。ズキズキとした不快感が突き刺さる。俺が頑張らなければ。もっと頑張らなければ。

 

 心がすり減っていく。どんなに勉学に励んでも母は満足しない。美柑には届かないと言う。美柑は俺の従姉だ。直接的な面識はないし、どんな人なのかも知らない。俺は知らない従姉と常に比較されている。

 

 まだ足りない。もっと頭が良くないと母を満足させられない。

 

 妹のモモは2歳になっても一言も喋らない。医者いわくモモは知能に大きな遅れがあるそうだ。そのことを聞いて母さんはモモに一切の期待をしなくなった。俺がモモの分まで頑張らなければならない。

 

「ねぇ。ここ間違ってるよ。途中式のここが違う」

「え?」

 

 心が折れたのは小学5年生になった頃だった。2歳になったモモの何気ない一言が致命的だった。必死に勉強する俺を横目に見て欠伸しながら間違いを指摘した。

 俺が解いていたのは県内最難関の入試問題の過去問だった。それを一目見ただけで迷うことなくモモは答えた。

 

「モモ。喋れたのか……ていうか……なんで……」

 

 モモが全てを塗り替えた。モモは頭の良さの次元が違う。俺はどんなに勉強を積み重ねても届かない。そのことを魂が理解してしまった。

 普段は文字も読めないどころか喋れないように振る舞うモモ。それが喋ったと思ったら、あっさりと難関問題を解いている。

 

「お母さんには私が喋れること言わないでね。お兄ちゃんみたいな勉強漬けはごめんだから……ふぁぁ……」

 

 モモは馬鹿を演じていた。頭の良さが露見すればどんな目に遭うのか理解している。その事実があまりに恐ろしかった。そんなモモを見て全てが嫌になった。勉強する意義を完全に見失った。

 

 もう全てが馬鹿馬鹿しくなった。

 

 中学2年生になる頃には次第に俺は塾をサボってゲーセンに入り浸るようになった。遊ぶ金はモモに頼んだら2つ返事であっさりと用意してくれた。俺は怖いと思いつつも欲に負けてモモの稼いだ金に手をつける。モモがどのような手段で金銭を稼いだのか知らない。知ろうとも思えなかった。

 もしも知ってしまえば――俺はモモを妹として見れなくなる。

 

「カオリ! あなたなに考えてるの!」

 

 そして生活が崩れた。

 俺はモモのような天才ではないから勉強しなきゃ点を維持できない。当然ながらそんなことを繰り返していたら成績は下がる。成績が下がったことで母親に俺のサボりがバレてしまった。

 

 母が癇癪を起こす。家は修羅場となる。母が心に一切響かない言葉を喚く。俺はそれに耐えかね、初めて実母に反抗する。生まれて初めての反抗だった。

 

「……勉強なんかしてなにになるんだよ」

「うるさい! 私はあなたにいくら注ぎ込んだと思ってるの!」

 

 どんなに勉強しても意味はない。俺が一週間かけて理解したことを数分で理解し、人にスラスラと説明出来るような(てんさい)がいる。俺のやってる勉強など(てんさい)からしたらお遊びのようなものだ。どんなに頑張ったところで俺は下位互換にしかなれない。きっと世の中にはそんな天才が溢れている。頑張って良いところにいこうが、そのような天才に飲まれて終わるだけ。

 

 努力は報われない。才能に食われるだけだ。才能がないならば最初からなにもしない方が良い。俺は何者にもなれない。

 

「もう知らない! あなたなんてうちの子じゃありません!」

「え……」

「出ていきなさい!」

 

 俺は家から追い出される。その時は真冬に薄着で財布すら持たせてもらえなかった。父さんも俺を庇うことはなかった。むしろ当然と言わんばかりだった。父さんは母さんのことを盲目的に信仰している。俺達に無関心で母さんのことを正しいと思ってる。

 

 そしてモモはただ無言で母を睨みつけるように見ていた。

 

「死ねばいいのに……」

 

 モモがぼそっと呟いた。母も父もそんな声は聞こえていなかっただろう。いや聞こえていても、それは俺に対して向けられたもので自分たちに向けられたものだとは思っていなかったのかもしれない。

 

 俺は家族を無視して家の外に出た。外は雪が降っており、死にそうになるほどに寒かった。全身に針が刺さるような痛みが走る。四肢の感覚がなくなっていく。

 その痛みで俺は反省した。俺は悪いことをしてしまった。許されるかどうかわからないけど家に入れてもらおう。このままでは死んでしまう。死ぬくらいならば頭を下げた方がマシだと思った。

 

 自分の家の呼び鈴を鳴らす。しかし誰も出ることはなかった。どうにかして入れないかと必死に玄関の扉を引っ張った。その扉は鍵が閉まってなかったのか、あっさりと開いた。

 

「ただいま。お兄ちゃん」

 

 モモの声がした。少しだけ違和感があった。俺は静かにリビングへと向かっていく。なぜか変な緊張感があった。ここは自分の家だ。それなのに自分の家じゃないような感覚があった。俺はそれを気のせいだと思った。

 

「――は?」

 

 リビングに入ると同時に視界に青と赤が広がっていく。

 地面に敷き詰められたブルーシートの青と血の赤色。そのブルーシートの上には薄切りにされた肉が散らばっている。脂肪が少なめの赤身肉が散らばっている。俺はそれを本能的に人肉だと理解してしまった。

 

 そのことに気づいた俺は吐いた。

 食べたものを全て吐き出す。床一面に敷き詰められたブルーシート。その上に血が溜まっている。その血の匂いで吐く。目の前のグロテスクな光景を理解できない。なにが起きてるのかすら分からない。

 その光景を見て包丁が落ちる音がした。モモが優しく俺の方に寄ってくる。

 

「変なもの見せちゃってごめんね。こんなに早く帰ってくるとは思ってなかったからさ」

 

 それだけ言うとモモは優しく微笑み、俺の口をハンカチで拭いていく。両親には目もくれず吐瀉物の処理をしていく。タオルで俺の吐瀉物を拭き取り、ビニール袋に入れる。

 

「な……にが……」

「ん?」

 

 猟奇的な光景の中でモモだけがいつも通りだった。そんなモモの足元には血のついた包丁が転がっていた。俺の吐瀉物を片付け終えたモモは落とした包丁を静かに拾う。どこにでもある普通の包丁だった。そんな包丁をモモは上空に投げて遊ぶ。包丁は上空で弧を描くように回転し、持ち手がモモの手に吸い込まれるように戻ってくる。モモは包丁に視線を向けない。それこそ手癖でジャグリングでもしてるかのように遊んでいた。

 なにもわからない。わけがわからない。なにがどうなっている。頭の中に何故という疑問ばかりが浮かんでくる。

 

「この薄切り肉は……」

「お父さんとお母さんの残骸だよ。少しずつスライスにして遊んでたの」

「どうして……そんなことを……」

「だってムカつくじゃん。自分のしたことに無自覚なまま死に逃げされるのも気分が悪い。だから時間をかけて、苦痛を与えるの。それで自分の罪に向き合ってもらって、後悔の念を抱えて死んでもらったの」

 

 その光景に腰を抜かす。歯がガタガタと音を立てていく。逃げなければ殺される。目の前にいるのは怪物だ。人が理解出来ない存在だ。

 両親を殺して罪悪感の欠片も見せない。それどころか後悔すら感じさせない。俺は目の前のモモが同じ人だと思えなかった。

 

「大丈夫。私は味方だから怖がらないで」

 

 恐怖で足が動かない。この場から今すぐにでも逃げ出さなければならない。そのことは理解してるはずなのに身体が言うことを聞かない。

 逃げたい。逃げたい。逃げたい。逃げたい。逃げたい。

 

「本当は司法に委ねたかったけど、機能してないからさ。私刑するハメになっちゃった。仕方ないよね」

 

 モモがあっけらかんと言う。俺にはモモの考えてることも分からない。そもそもどうして躊躇うことなく人を殺せるのだ。なぜ当然のように人を殺すという選択肢があるのだ。そもそも俺と同じ生き物なのだろうか?

 

「バレたら……」

「大丈夫。最後はバレないくらい微塵切りにするし、5歳児が包丁だけで解体したなんて考えないから」

「それは……」

「普通は包丁でこんな綺麗に骨は斬れない。大人の筋力でも不可能。これは全てにおいて不可能殺人なんだよ。だからバレない」

 

 モモが落ちた肉を摘んで見せる。光を通すほどに薄切りされた肉。そこには骨までもついていた。それは明らかに異常だった。その事実が示すのはモモは包丁だけで骨ごと薄切りにしたということ。明らかに人の技ではない。硬い骨を包丁で一刀両断するなど物理学的に不可能だ。

 

 それと同時に薄切りの肉が俺にある事実を気づかせた。

 もしかして俺はもう自由なのではないか?

 

 両親が死んだという事実が俺の世界を塗り替えていく。たしかにモモは怖い。しかし同時にモモのおかげで俺は自由を獲得した。漫画も自由に読める。ゲームだって出来る。それに外で友達を作ってもいい。その事実に気づくと同時にモモへの怖さが和らいでいる。

 

「なんで殺したんだ……」

「自分の見栄のためにお兄ちゃんを利用した。お兄ちゃんの人生を壊した。どうして生かすなんて選択肢があるわけ?」

 

 モモの言葉が俺を照らしていく。モモは俺を助けてくれた。モモは怪物なんかじゃない。俺の英雄だ。

 

「さてさて。このくらい薄くしたらフードプロセッサーで粉砕いけるかなぁ……そしたら生ゴミとして出して……」

 

 時間の経過と共に両親が死んだというのが実感として湧いてくる。両親が死んだという事実を理解して、もたらされるのは悲しさではない。むしろ開放感だ。未来への期待が恐怖を消していく。これからのことが楽しみになってくる。もうなにも縛られない。やりたいことが誰にも咎められることなく全て出来る。

 俺は自分の人生を歩んでもいいのだ。

 

「そうだ。部屋の匂い処理は私の方でやっとくから気にしなくていいからね」

「なぁモモ……」

「ん?」

 

 家族が死んだ。それは人が殺されたというよりは魔物が勇者によって討伐された感覚になっていた。あれほど怖かったモモが今では誰よりも格好良く思える。俺もモモのようになりたい。モモと同じ存在になりたいと思った。

 

 しかし俺には才能がない。なにをしても無駄になる。きっと俺はモモにはなれない。俺がモモに届くことは万に一つもありえない。そんなことは理解している。

 

 だけど俺はモモに憧れてしまった。そうなりたいと思ってしまった。

 

「俺はこれからどうすればいい?」

 

 親が死んだ。死んでもなにも思わない。これらが死んで初めて俺の人生において完全に不要なものだったのかと実感する。それと同時に俺はこいつらになにも求めていなかったことも理解した。こいつらは俺になにももたらさなかった。

 

「そうだね……うーん……5日くらいしたら何食わぬ顔で警察に行方不明届け出してもらってもいいかな?」

「どうして5日も空ける?」

「それが一番自然だから。早すぎると少し不自然過ぎるから時間を空けた方がいいし、それにゴミ回収業者が死体を処理する猶予も持たせたい。だから5日」

 

 モモの言葉が俺に希望を示す。モモに従っていれば不思議と未来が良くなるような気がした。きっと警察に捕まることもない。モモは上手いこと隠し通すだろう。そんな安心感をくれる言葉だった。

 

 家族の死を前に俺は何故か心が浮足立っていく。

 これからの生活に期待を膨らませていく。

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