目を覚ますと身体が嘘のように軽かった。それが違和感だった。まるできちんと入浴で身体を解し、夜ふかしもせずに早い時間に寝た翌朝のように絶好調だった。本来ならばそれは当たり前ではあるが、この状況では異常だ。
「……おかしい」
正直言って幻惑や幻覚の類を覚悟していた。それこそ腕に百足が這っていたり、うちの陰口を叩く声が聞こえるくらいのものは想定していた。それなのに蓋を開けてみれば頭痛もなければ吐き気もない。それになにより倦怠感も傷の痛みもない。
収納のスキルで手鏡を取り出して、自分の顔を確認する。いつも以上に血色は良いし、なによりドラキュラに裂かれた顔の傷が跡形もなく消えていた。もちろん顔の傷は消すつもりではあったが……
「そもそもうちはどこで寝とるんやろうか」
簡易ベッドから起き上がり、テントから出る。はたしてアリスとの戦闘はどうなったのか。カオリは無事だったのか。それを確かめるように外に出た。
外に出た瞬間に空から日差しが降り注ぐ。周囲を見渡せば瓦礫と死体の山。それでも悪意の気配は一切なかった。
違和感が強くなる。もしかしてうちは死んだのではないだろうかという疑念すら抱く。なにせ運命換装を使ったのに後遺症がないのはおかしい。運命換装の際は痛みを誤魔化すために薬物を自身に投与している。本来ならば禁断症状があるはずなのだ。
今の状態を確かめるべく外を歩く。外には倒れているルカとカオリがいた。2人ともうちから見てもケチのつけようのないくらい丁寧に治療がされていた。それこそ異世界という場には違和感があるほどに。
「……相当深い部分まで現代医学を齧っとるな」
明らかにこの世界の文明レベルを超えた治療。恐らくうちも誰かに同じように治されたのだろう。その人はうちの傷を全て治し、疲労も回復させ、その上で薬物の禁断症状すらも治療した。なんとなく現代医学と言葉を漏らしてみたが、実際は現代医学すらも超越しているだろう。
「しかし誰がそんなことしたのやら」
うちはてっきりルカが治療したのかと思っていた。しかしルカが昏睡しているとなると話は大きく変わってくる。いったい誰がうちらを治療したのか。
そのまま廃墟と化したワンダーの街を歩き、気絶しているフウガとロシェを見つける。彼らはうちらとは対照的に一切の治療がされた痕跡がなかった。まるで興味がないと言わんばかりに放置されていた。あくまで彼らはうちが急ぎで行った応急処置のままであり、それ以上のことはされていなかった。うちらを治療した存在は治せるはずなのに治していない。
恐らく純粋な善意で動いてるわけではない。意図を持って助ける人を選んだ。少なくともただの聖人君子というわけではない。それを確信づける。
「……聖女リアル」
この場において心当たりがある存在は彼女しかいない。ドラキュラとの戦闘の後に姿を見せた謎の女エルフ。うちを聖女から引きずり降ろすと宣言した存在。
恐らくアリスは彼女に手駒として使われただけ。今回の事件を裏で手引きしていたのは彼女だ。
違和感が強くなる。ルカもカオリもうちも全員が意識不明。それこそ殺そうと思えば殺せた盤面だ。自分が聖女になりたいならばうちを殺すのが一番合理的。それなのにうちを見逃すどころか治療すらした。いったいリアルの狙いはなんなのだ。
「あ、あれ……腕が……ある?」
「なんや。あんたが最初に起きたん?」
「ル、ル、ルイス!?」
「うっさい。黙っとき」
最初に目が覚めたのはフウガだった。 彼らの腕はうちの方で応急処置として治療させてもらった。幸いにも発見した時は切断から時間が経っていないのもあり、なんとか神経を縫い合わせることが出来た。動作には大きな違和感はあるはずだが、完全に使い物にならないよりはマシだろう。
「腕はあくまで応急的な再接着手術しただけや。完璧に元通りとは思わへんようにな」
「……よかった。くっつくんだ」
「うちがいたからな。もしうちがいなかったらあんたは一生両腕欠損や」
うちの技量と科学力があってこその成果で普通は不可能。それを当たり前だと認識されても困る。本当に2人の腕が戻ったのは運が良かっただけや。
「とりあえず意識も戻ったようやし、うちは適当なところに行くで。あとは勝手にしてな」
「ま、待って!」
「嫌や。うちはもうあんたに興味あらへん」
目覚めたフウガに最低限の状況説明はしたし、彼からロシェにも話は通るだろう。これで最低限のことは済ましたし、これ以上のことはやる義理もない。なにより彼に好意があると勘違いされても迷惑だ。
彼はうちに好意があるようだが、うちはもうフウガに微塵の興味もないのだから。
◆ ◆ ◆
あれから数時間ほど経ち、ルカが目を覚ました。目を覚ましたルカは少しだけ思い詰めたような顔をしていた。
そして話を聞くとルカはリアルと話をしていた。ルカからリアルの話を聞いていく度に頭を抱えていく。なんとなくだがリアルの素性の見当がついてしまった。
リアルは恐らく孤児院育ちのホムンクルスの1人だ。彼女はエメラルド達とは違い、完璧を求めた存在ではない。それこそエメラルドのようにうちが直々に育てたわけでもない。あくまで才覚を与えた上で、うちの商会に育てさせた。性質的にはデザイナーズベイビーが一番近いだろう。つまるところうちの身から出た錆と言っても過言ではない。
「……青ざめた顔してるけど、なんか隠し事?」
「なんでもあらへん。それと改めてリアルについて聞きたいんやけど……ほんまに狙いってうちなん?」
「うん。あれは相当拗らせてるよ」
勝手に作って許せないとかなら理解出来る。そういう憎悪で犯行に及んだというのならば話は簡単だ。しかし話を聞いてる限りだと動機は献身。そこに悪意というものがないのだ。それ故にうちの頭は理解を少しだけ拒んでいた。
「はぁ……」
ため息が漏れる。
これからどう動くべきか。リアルはうちの身内には手を出さないと言っていたがどこまで信用していいものか。リアルの言葉を鵜呑みにするならば、現状で一番危険なのがヤミ国王都。本当にうちが動機ならば、公爵という爵位でうちを縛ろうとしたヤミ国に恨みを抱いてもおかしくない。その観点から考えればルカを王都に戻すのが一番正しい。幸いにもリアルはうちの身内には手を出さないと言っていた。ルカが危険に晒されることはないだろう。
しかしリアルが言い分を変えない保証がない。それこそ"改めて考えたんですけど、ルイスは友達の一人が死んだくらいで喚かないです"みたいな理屈でルカを殺しかねない。万全の状態のルカならばともかくとして、幼女のルカを戦わせるのはあまりに危険。ルカを失うのが一番取り返しがつかなくなる。
うちはリアルについてなにも知らない。それ故に迂闊に判断できない。彼女がどういう人物であり、どうしてうちに執着してるのかも分からない。それ故に彼女の行動が読めない。
「ルイスはリアルのことをどう思ってるわけ?」
「ん?」
「だってルイスのために狂行に及んだわけでしょ? 少しくらいはなんか思うところがあるでしょ」
「あぁ……そういう話。そこに関しては好きにしたらええと思うで。それがうちの利になるなら素直に受け取るし、そうやないなら拒否するだけや」
「ふーん」
「なにより聖女から降ろしてくれる言うなら万々歳や。この肩書きがあると動きづらくて仕方ないねん」
本音を言うとリアルに対して許せないとかそういったくらいの感情が湧いてこない。うちが人への関心と共感が薄い方というのもあるが、どうも悪いのはアリスという感覚が抜けない。
それにリアルの言い分を真に受けるならば、彼女の計画通りに事が進んでくれた方が、うちにも都合が良い。本来ならば"そんなことは望んでない"みたいな否定をすべきなのだろう。しかしルカの言い分を聞く限りだとリアルは間違った主張はしていない。恐らく世界でうちの本質を一番理解してる存在ではないだろうか。
聖女としての幻想を一方的に押し付けられるのはあまりに不愉快。リアルだけはそれを明確に理解している。だからリアルはうちを聖女を引きずり降ろすと宣言した。少なくともリアルの思想は一方的な押し付けというわけではない。うちの望むことをやってくれようとしているだけなのだ。
「……聖女になるために世界を絶望に落とす。ルイスは自分のためにそういうこと望む人じゃないでしょ」
「うちを過大評価し過ぎや。普通にそんくらい望むで」
「そうなの?」
「当たり前やろ。どないして人にそこまで感心を持たへんといけへんの?」
ただ少しだけリアルに対しては罪悪感のようなものはある。そもそもデザイナーズベイビー自身がうちへの貢献を求めたわけでもない。なにかを求めるなら最初からロボにAIでも搭載させて終わりにしてるという話なのだ。それ故に好きに生きればいいとしか思っていない。もちろん聖女の後継者になりたいというならば、否定する気はない。しかしうちに貢献しないからと言って責めるつもりもない。
結局のところリアルのしてることは迷惑ではないが、不要な献身でしかないのだ。
「……ルイスはこの光景を見てなんとも思わないの? この死体の山を見て怒りが湧かないわけ?」
「あんまり湧かへん。人なんて遅かれ早かれ死ぬもんやろ」
その言葉にルカはショックを受けたように押し黙る。そして絞り出すように言葉を出す。その言葉は非常に冷たいものだった。
「どんな思いでアリスと戦っていたわけ?」
「あんたらのことしか頭にあらへんかったで。アリスはうちの友達や大切な人を殺そうとした。そんなの許せるわけあらへんやろ」
みんながうちに期待しすぎだ。どうして有象無象のために感情というリソースを割かなければならないのだ。どうでもいい奴が死んだから悲しまなければいけない。そういう考えが本当に腹が立つ。それを異常扱いしてくるのも憎い。
どうしてうちの在り方を他人に評価されなければらないのだ。なぜ善悪のジャッジを勝手にされなければならないのだ。本当に気に食わない。
「もちろん人はなるべく死なへんが良いとは思っとるし、出来る範囲で最低限の手を伸ばしたる。ただ失ったものになにか思えなんて強要される謂れもあらへんやろ」
「……ごめん。それはそうだね」
腹が立つ。うちは最低限の仕事はしている。人を見殺しにしてるわけでもない。それなのにどうしてケチをつけられなければならないのだろうか。うちはなにも悪いことはしていないというのに、なぜ責められるのか。行動さえ伴えば動機なんてどうでもいいだろう。
「そもそも善悪なんてルカが語れるようなもんじゃないやろ。あんたは戦争でアリスやリアル以上に人を殺したやろ。その指弾きで何十万の命を奪ったん?」
うちはリアルの行為をあまり重く捉えていない。うちにそれを言う資格はない。なにせルカは戦争で何万人も殺したし、メイは秩序のために異端審問という形で今も異教徒を焼き払っている。そんな2人を受け入れてる中でリアルだけは駄目というのは筋が通らない。もしリアルを否定するような人格ならば、うちはルカもメイも受け入れることはない。
個人だろうが国だろうが関係ない。殺しは殺しなのだ。
「その通りだと思うよ。だけど人を殺したことをなかったことにしていい理由にはならない。自分も殺してるから目の前の虐殺を仕方ないで受け入れるのは間違ってる」
「せやね」
「この話はここまでにしよっか。きっと平行線だよ」
「……すまへん」
「気にしないで。振ったのは私だから」
ただ言葉にはしなかったがうちにはリアルをどうこう言う権利はないと思ってる。それは感情が乗らないからとか自分が火種だからとかそういう話ではない。
――なにせうちらはリアルの気まぐれで生かされた敗者なのだから。
「それじゃあリアルのことは置いといて今後の話しよっか?」
「せやね。うちらは当初の予定通りアガルタに寄って、魔族領を目指してモモに封書を届ける。今後の動きはそれでええ?」
「うん。問題ないよ」
とりあえずリアルの件は棚上げだ。うちらはまだ仕事が残ってる。モモに親書を届けるという依頼はこなさなければならない。リアルの事を本気で考えるのは目の前の仕事を片付けてからだ。
「……聖剣エクスカリバーを探さへんとな」
ぼそっと言葉が自然と漏れる。モモに親書を届けるにしてもルカが機能しないという状況はあまりにモモにとって優位なもの。ルカがいないということはモモだけが力を持ちすぎる。それはあまり好ましくない。
ルカの幼女化の呪いを解くとすれば勇者カミーラが扱った聖剣エクスカリバーだけが頼りだ。あれは斬れないものを斬る剣。すなわち呪いの因果すら斬ることで解呪することが可能になる。
しかし肝心の聖剣エクスカリバーは行方知れず。色々と便利そうなのでうちも片手間で探してはいるが、未だに見つかる気配がない。今までは急ぎで必要なわけでもなかったが、こうなってくると本腰を入れて探す必要がある。
「カミーラの剣……欲しいな」
ルカが独り言を漏らす。彼女がカミーラ推しということは知っている。それこそ夢女子に片足を踏み込む域で推している。もっと言うならば自分はカミーラの恋人であり、未亡人だと思い込んでるような節すらある。所詮は御伽話の英雄だと言うのに……あれ?
ふと違和感が生まれる。思い返せばアリスは死者蘇生のスキルを行使する際に英霊召喚と言っていた。あのモニュメントは恐らくリアルがアリスに与えたものだろう。もしあれが死者蘇生ではなく英霊を呼べるというのならば、どうして最強格である勇者カミーラを呼び出さなかった。それになによりも……
「どうしたの?」
「ルカ。リアルの行動が少しおかしいと思わへん?」
「え?」
「世界を絶望に落とすつもりなら魔王ウシカゲを英霊召喚すれば事足りるやろ」
「……!!」
嫌な予感がする。恐らくリアルは魔王ウシカゲを英霊召喚しなかったのではなく、出来なかったのではないか。それこそ英霊召喚というくらいだから呼べるのは死人だけのはずだ。つまり魔王ウシカゲは討たれていないのではないか。それこそ倒しきれずに封印とかされているのではないか。まだ魔王と勇者の因縁はなにも終わってない。
「なんか嫌な予感がするで」
はたしてどう転ぶのか。これはもしかしたらリアルをどうこう言ってる場合ではないのかもしれない。これは早急にモモと合流しないと取り返しがつかないことになる。そんな漠然とした不安を覚えた。
「ちょっと急ぎでアガルタに向かうで」
* * *
目を覚ますと同時に俺は絶望した。
視界に飛び込んできたのは見知らぬ天井。明らかに人工物で出来た天井だった。そして腕には点滴が刺され、肌触りが良すぎる入院着を着せられている。つまるところどれも異世界の文明ではありえないものだった。
「……夢も終わりか」
異世界転移という夢から目覚めて現代に戻ってしまったのだろうか。しかし恐怖はない。あの夢での体験が俺の力になっている。あの母親に歯向かうのだって怖くない。俺はたしかに変わったのだ。あの時の黙って従う俺とは違う。
ただもう少しだけ異世界にいたかったと思う。こんな無機質な現代よりも異世界の方が俺に合っていた。
それからしばらくすると扉が開いて桃色の髪をした可愛らしい幼女が入ってくる。その幼女はTシャツとサングラスという絶賛人生満喫中という格好をしながら俺のところにきた。そんな幼女は心無しか夢の中で会ったルカと似てる気がする。
「あっ。カオリもやっと起きたんだ! もう2週間は寝てたんだよ?」
「……ルカ?」
「そだよ? 急にどしたの?」
「俺は元の世界に戻ったわけじゃないのか?」
「急になに言ってるの? そんな簡単に元の世界に戻れるわけないじゃんね」
「それならここは……」
「ルイスの国――アガルタだよ」
俺は立ち上がって窓から外を見る。外には雲1つない青空が広がり、視界一杯に広がるのは高層ビル。下はアスファルトで整備された道路。さらに空には浮遊している自動車が飛び交っていた。この光景は明らかに近未来都市のものであり、異世界にあっていいものではない。俺は目の前の光景に開いた口が広がらなくなる。
「びっくりだよね。ルイスが地下にこんな文明を作り上げてるなんて」
「地下……空が見えるぞ?」
「なんか投影? そんなことしてるらしいよ」
目眩いすらしてくる。現実が上手く咀嚼できない。その光景が飲み込めない。なにが起きてるのか理解すら出来ない。これが現実だと受け入れられない。ただ1つ言えることはルイス姉は俺達の想像の遥か上をいっていたということだけだった。