久しぶりに書いてます。
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エンジニア部のウタハ視点です。
私は可愛くない。この事実に私はずっと気づかなかった。
爪が黒ずんでいる。指のシワに入り込んだ油汚れは、いくら洗っても落ちない。私はオシャレをしたことがない。制服を汚さないように、いつも上に作業着のジャージを着ている。私の周りに溢れてるのは機械と作業工具だけ。人との関わりは部員との少しの会話だけ。
私は没頭するのが好きだ。私にあるのは、機械に対する情熱だけだったから。
それなのに。
先生に会ってから変わってしまった。
手の汚れが気になって仕方ない。先生と会う時は必ず手袋をする。
先生を前にすると、話せなくなる。機械について話す時の淡々とした話し方では、会話が続かない。先生の目すらまともに見れない。
先生のそばにいるのは、ユウカやノアやちーちゃんのような可愛い女の子だ。私のような機械にしか興味がない人間じゃない。
先生さえいなければ、私は幸せなままだった。
先生に会ったせいで、私は自分のことに気づいてしまった。
先生のことばかり考えてしまう自分が嫌だった。
+
それは、部室に2日泊まり込みで作業をしていた日だった。工具のカチャカチャとした音と機械の鋭利な音が響く室内。陽の光すら届かない、誰も来ないような場所。私が普段、作業している場所だ。
作業に没頭してから、しばらく経った頃。正確には、空腹を感じたのを無視して、さらに作業し体に力が入りにくくなったのを感じた頃。
5,6時間は経っただろう。最近はご飯を食べずに作業するのが習慣になっている。
コンビニへ食事を買いに行こう。同室で作業しているヒビキへ声をかける。
「ヒビキ。ご飯、いるかい?」
「…………うん、いる。私も行く」
5秒ほど遅れて返答がくる。目の前の作業から、頭を切り替えるのにかかる時間だ。財布をカバンから取り出して、私の後ろについてくる。
「…………」
お互いに話すこともない。だが、気まずい空気でもない。同じ空間でずっと作業をしてたから、言葉を交わさずとも心の中で繋がってる感覚がある。
「そういえば先生が今日、ミレニアムに来るみたい」
「久しぶりだね」
「うん。うちにも顔出すんじゃないかな」
何も用意してない。今日は作業服のジャージ。手袋は部室に置いてきたままだ。爪の中の汚れが気になる。まだ昼の2時。先生にばったり出くわさなければ、後でシャワーを浴びて、着替えれば間に合うはず。
「…………」
「ウタハ先輩?」
「うん、どうかしたかい?」
「別に。歩くの早いなって思って」
焦ってるのかもしれない。先生と会うかもしれないと考えると、少しでも可愛くならないとと心が警鐘を鳴らす。
「すまない、ゆっくり行こうか」
「ありがとう。…………?」
ヒビキの耳がピクピクと動く。私の方をチラッと見て、
「臭い」
「!?」
ドキッとして自分の胸元の服を嗅ぐ。確かに泊まり込みの作業だったけど。面と向かって言われるなんて……!
「違う、ウタハ先輩じゃない」
「私じゃない?」
「あっち。あっちから匂いがする」
私は何も感じない。ヒビキの指差すままに角まで歩き、ひょいと向こう側を覗き込んだ。
それを見て私は絶句した。
廊下で先生がうずくまって口元を抑えている。だが、その口元からは嘔吐物がびちゃびちゃとこぼれて床に散っていた。遅れて胃液から来るツンとした匂いが鼻を刺激した。
「せ、先生……?」
先生がこちらを振り返る。顔が青ざめている。目に生気がない。あの先生が弱々しく息をしている。先生は返事をせずに、自分の顔を隠そうと俯いた。
「ウタハ先輩、大丈……」
ヒビキの足音が後ろで止まる。
「ヒビキ、部室から拭くものを持ってきてくれるかい?」
「うん、わかった」
すぐに状況を理解したヒビキが足早に去る。私はふうっと息を吐いて先生のそばへ歩む。背中をさすろうと手を伸ばす。だが、異性の体に触れてしまうのは気が引けて、すぐにその手を引っ込めた。
「先生、大丈夫かい?」
何か介抱しないと。飲みかけのペットボトルならあるが、先生にこんなものを渡すのは申し訳ない。私はただ先生のそばで一緒にうずくまるしかない。
"ごめんね、見苦しいところを見せてしまって"
「…………」
なんて言えばいいのかわからない。ヒビキなら優しい言葉が出てきたのかもしれない。私が拭くものを取りに行けばよかった。こんな時でさえ、私は緊張と気まずさで、どこを見ればいいのかわからない。とにかくなにか返事をしないと。無視したい訳じゃない。本当に何を言えばいいかわからないんだ。ひたすら自己保身に走る私は、先生にふさわしくない。早くヒビキが帰ってきて欲しいと、切に願う。
「先輩、持ってきたよ」
タタッと、ヒビキが駆け寄る。嫌な顔ひとつせずキッチンペーパーをちぎって、吐瀉物を集めてゴミ袋に捨てる。
「先輩も手伝って」
「う、うん」
固まっていた私はようやく動く。ヒビキと共に床を拭く。
「先生、顔色悪いね。部室で休む? ここだと人目に付くし」
"……そうさせてもらおうかな"
「うん、おんぶするから掴まって」
ヒビキは汚れを嫌がる様子も見せず、先生の前で背中を向け膝をつく。促されるまま、先生は力なく震える両腕をヒビキの首へと回す。ヒビキはゆっくりと腰を上げた。
「ウタハ先輩、ゴミも一緒に持ってきてほしい」
「ああ、もちろん」
ヒビキと先生が密着する。その様子を私はただ後ろで見ている。ヒビキに善意しかないのはわかってる。でも、今の2人を見たくない。私だったら、ヒビキみたいに行動できない。きっとそんな自分に腹が立っているんだ。
こんな状況でも、私は自分のことしか考えてない。その事実が余計に嫌だった。
+
部室。
機械と工具が散乱する日の当たらない部屋。私にとっては慣れ親しんだ場所だが、先生にとってはそうではないはず。
私が普段使っている寝袋で先生が横になっている。その息は弱々しく、凛とした先生のイメージとは大きく違った。
ヒビキは先生のために、スポーツドリンクや薬を買いに行ってしまった。この部屋には私と先生の2人きり。休む邪魔になるといけないから、話しかけることはない。
私は先生の頭のすぐそばに腰掛けて、その吐息を聞いていた。私にできることは何もない。
時折チラチラと先生の顔を見る。無防備に寝ている先生を見るのは初めてだ。先生の弱点をこっそり見ているような、そんな気がした。
"ん……"
先生がもそもそと動く。私は先生の顔からそっと視線を外した。
"ウタハ……。今何時?"
「まだ17時だよ」
"そう……"
「…………」
静かな時間が続く。しばらくして、先生が寝たのかとチラりと顔を見る。こちらを見ている先生とバッチリ目が合った。私は慌てて視線を逸らす。
"ウタハ。1つ頼み事をしてもいいかな?"
「なんだい?」
平静を装って答える。
"今日、見たことを誰にも話さないで欲しい"
「もちろん。別に言いふらしたりしないよ」
"約束だよ。それと飲み物をもらえないかな?"
未開封のペットボトルをカバンから取り出し、先生に渡す。先生はのっそりと体を起こして口に何かを含んで水で流し込む。一瞬だけ見えたそれは白い錠剤に見えた。
「それは何の薬なんだい?」
"大したものじゃないよ"
その言い方は何かを隠しているように聞こえた。
「先生は何か持病でもあるのかい?」
"…………"
先生が息を飲む。それを隠そうとしていたのだと、すぐに察した。私は矢継ぎ早に言葉を付け足す。
「い、いや別に答えたくなかったら答えなくていいよ。先生も色々あるだろうし……」
沈黙が続く。私にはその時間が永遠にすら感じられた。先生にどう思われたかと気になり、反応をじっと待つ。
ふと、先生が小さく息を吐いた。
"……大した病気じゃないんだ。ただ少し無理がたたってね。生徒達には見せないようにしてるんだけど……。隠していてごめんね"
自嘲気味に笑う先生の顔は、いつもの凛とした先生ではなく、不器用で脆かった。
"だから、ウタハ。これは2人だけの秘密にしておいてくれるかな"
「2人だけの……秘密」
その響きに、私の胸の奥が揺れ動く。さっきまで、何もできない自分をあんなに呪っていたのに。ユウカやノア、そしてヒビキでさえ知らない先生の弱点を『私だけが知っている』という事実が、ひどく甘美なものに感じられてしまう。こんな非常時に優越感を覚えるなんて、私は本当に最低だ。
だからだろう。私がこんな酷い発言をしてしまったのは。
「……秘密を守る代わりに、次に具合が悪くなった時は、必ずこの部室に来てほしい」
自分でも驚くほど、低くて震えた声が出た。
「ユウカやノア……他の誰にも頼らないでほしい。誰も寄り付かないこの部室に来て、私の寝袋で休んでくれ。……私が、看病するから」
看病なんて嘘だ。弱り果てた先生を独り占めしたいだけだ。先生の弱点を私だけが癒やす。先生にとっての特別になりたいだけだ。
私の浅ましい欲望を知ってか知らずか、先生は少し目を丸くして、それから困ったようにふっと笑った。
"……わかった。約束するよ。次に辛くなったら一番にウタハを頼るね"
弱々しく優しいその声を聞いた瞬間。私の心に重く黒い感情が形をなしていく。
ああ、だから私は可愛くないんだ。
ウタハ可愛い