愛梨のクラウド・ボール優勝、そしてあやめと栞と将輝のアイス・ピラーズ・ブレイク三回戦進出という結果を受けて、女子スピード・シューティングでの痛手を取り返した第三高校は確かな手応えとともに盛り上がりを取り戻していた。
愛梨たちは上級生にそのままの調子で頼むぞと暗につつかれていたが、あやめに何か言うと無駄に緊張させるだけだとようやく分かったのか、特段彼らがあやめに何かすることはなく、そのまま夕食へと向かう流れになった。
団体で食堂へ向かう道中、自然と会話も弾み、あやめも試合の緊張から解き放たれ穏やかな顔で愛梨たちと談笑している。
「このままの調子で行きたいわね!」
「そうだな、流れは悪くないし――」
そんな声が飛び交う中、食堂の入り口付近で第三高校の一団は足を止めた。ちょうどそのタイミングで、食事を終えた第一高校の生徒たちが出てきたのだ。
自然と視線が交錯し、集団の先頭に立つ一人の少女に、愛梨が目を留めた。
「あら、一高の皆さんこんにちは、ご夕食でした?」
愛梨が一歩前に出ると突然声をかけられた第一高校の面々が足を止める。その中心にいた少女――深雪が、静かに視線を向けた。
「ええ、お先にいただきました。皆様はこれから?」
「えぇ、そうです。ちょうどここであなたにお会いできて良かったわ、司波深雪さん。」
愛梨の言葉に、場の空気がわずかに引き締まる。二人の間に流れる、静かな緊張。言葉を交わしているだけなのに、まるで見えない火花が散っているようだった。
一同はじっと息を殺して二人の様子を伺っていたが、あやめは内心で小さく息を吐いていた。
第一高校の集団の中には、尊敬する十文字や真由美の姿も見える。
そんな二人の前で愛梨が不用意な発言をしないかと密かに気を張っていたのだが、真剣な愛梨の様子を見るにそういったこともないだろう。
自分には関係のない話だと切り捨てて、あやめは表面上は二人の様子を見つつも意識は別の方向へと向けた。
昼間は達也がやってきて戦略的撤退を余儀なくされたものの、あやめはあの青年にきちんとお礼を言いたかった。視線が第一高校の集団をなぞるが、それらしい姿は見当たらない。青年は選手団の一員ではなかったようだ。
そう結論づけた、その時だった。
「――誰か探してるの?」
不意に、声をかけられてあやめは少し後ずさる。
あやめが青年の姿を探している間に雫が目の前に立っていた。
「......い、いえ、そういったわけでは。」
「そっか。」
あっさりとした返答だが、雫がそのまま立ち去る気配はない。
チラリと横目で愛梨たちを見ると、どうやら深雪との会話は一段落したらしい。 一同の視線はいつの間にやら雫とあやめに向いていた。
あやめはあまりの居心地の悪さにさっさと食堂に入りたいと思ったが、残念ながら愛梨が先頭の深雪をせき止めてしまったせいで中にはまだ第一高校の選手たちがいる。せめてもの抵抗にジリジリと後退する意地の悪さを見せたが、そのわずかな後退すら見逃さないと言わんばかりに、雫はさらに一歩踏み込んだ。
「予選、見させてもらったよ。流石だった。」
「は、はぁ......ありがとうございます。」
雫のいきなりの賞賛にあやめは面食らった様子で会釈をした。あやめは雫が一体何をしたいのかが分からず、一瞬助けを求める目を十文字に向けたが、当の十文字は腕を組んだまま微動だにしない。
逃げ場を失ったあやめの前で、雫は一拍置いてから静かに続けた。
「明日の試合で戦えるの、楽しみにしてる。全力でいくから。」
穏やかな口調でありながらはっきりとした雫の宣戦布告にあやめの思考が一瞬止まる。 雫の言葉だけが頭の中で反響し、意味として上手く結びつかない。
明日の三回戦の対戦相手が雫であることを、あやめはこの瞬間まで知らなかった。
あやめは余計な情報で緊張しないよう、試合に関する詳細な組み合わせや対戦表の確認をあえて避けていたのだ。偵察やらは吉祥寺たちに任せ、取捨選択してもらった情報だけを仕入れて試合に集中するという作戦を取っていた。
それがまさかこんな形で裏目に出るとは誰も想像がつかなかっただろう。
第三高校側から慌てた声があがる。あやめのコンディションを気遣って、あえて情報を絞っていたことは周知の事実だ。それを真正面からぶち抜いた雫の宣戦布告に、第三高校の面々は内心で頭を抱えていた。
雫はそんなことを知る由もなく小さく首を傾げている。
混沌とした空気の中で最も混乱しているのはあやめ本人だった。一拍置いてようやく理解が追い付いたが、どう返すべきか言葉がまとまらず頭の中は完全にパンク寸前だ。
「が、頑張ってください......。」
ようやく絞り出されたどこかズレたあやめの返答に場が微妙に静まり返る。
冷ややかな空気を察知した真由美がそろそろ移動するようにと促したおかげでその場はお開きとなったが、あやめの曖昧な返答に雫を軽んじられたと感じる生徒もおり、去り際にあやめに白い目を向ける者も少なくなかった。
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第一高校の一団が食堂から少し離れた廊下を歩き出した頃だった。
「なんか嫌な感じだったね。」
やや不満げな声を上げたのは、ほのかだった。振り返るようにして第三高校の方をチラリと見やり、唇を尖らせる。
「あの反応はちょっと失礼よ。雫のこと、全然眼中にないみたい。」
憤慨しているほのかに対し、雫本人は特に気にした様子もなく無言のまま歩いているが、その周りにいる一年生たちの中には同意するように小さく頷く者もいた。
「まぁ、あれはちょっと拍子抜けだったかもね。」
英美が肩をすくめながら言うと、場の空気はわずかに棘を含んだものになる。
そんな空気の中で、達也がふと思い出したのは昼間見たあやめの姿だった。
「それは考えすぎだと思うよ、ほのか。」
低く落ち着いた声が、場の空気を引き戻す。
達也も同じ意見だと思っていたのか、ほのかが意外そうに振り返る。ほのかの続きを求めるような目に達也は肩をすくめて応じた。
「恐らく、三矢選手は精神状態が体調に強く影響しやすいタイプなんだろうな。だからこそ、プレッシャーになりやすい情報を、意図的に遮断していた、というのが俺の考えだ。」
達也の分析に、何人かがはっとしたように表情を変える。
「明日の対戦相手をあの場で初めて知ったから反応が遅れたし、適切な返答ができなかった。それだけの話だと思うよ。」
「......。」
ほのかは口を閉ざしたまま、少しだけ考え込む。確かに――そう言われれば、先程のあやめは困惑していたようにも思えた。
微妙な空気が流れる中、軽やかに達也の言葉を継いだのは真由美だった。
「多分、達也くんの予想通りよ。」
くすりと微笑みながら続ける。
「あやめさんは緊張しいだから。ああいう場面で上手く返せるタイプには見えなかったでしょう?」
「......まあ、それは......。」
ほのかも完全には納得していない様子ながら、先程までの棘は引っ込んでいた。
空気が若干和らいだのを見て、真由美はチラリと後ろを歩く十文字に視線を向けた。十文字は真由美のおもちゃにされることを察してか渋い顔だ。それでも真由美を避けようとはしないあたり、十文字もこの空気に思うところがあったのかもしれない。
「まぁ、十文字くんとしては?あやめさんを応援したいでしょうけど。一応ライバル校の選手なんだから応援するのはうちの選手で頼むわよ?」
「何の話だ。」
即座に返された十文字の声には呆れが色濃く出ていたが、対する真由美はニコニコと楽しそうに笑っている。場を和ませようというのが大部分なのだろうが、それにしてもノリノリに見える。
「なんだ、十文字と彼女はそういう関係だったのか?」
摩利まで十文字のからかいに参加してきている始末である。達也は十文字に同情しつつも、巻き込まれぬよう余計なことは言うまいと傍観に回った。二人のからかいを唯一止められそうな鈴音は達也と同じく静観の構えだ。―― 珍しい十文字の恋バナが気になっただけかもしれないが――
「違う。妙な憶測を広げるな。」
十文字は短く言い切ったが、その声音にはわずかに疲労が滲んでいた。長年の付き合いで真由美の悪ノリには耐性のできた十文字だが、真由美と摩利、二人同時のからかいに対処するのは流石に骨が折れるらしい。
「さっきも心配そうに見てたくせに、素直じゃないわね。」
間髪入れずに真由美が追撃を仕掛ける。楽しそうに細められた目が、完全に獲物を捉えたそれだった。
「......気のせいだ。」
短く切り捨てる十文字だったが、返答までにわずかな間があった。
意外な反応に達也はおや?と眉をあげる。達也の傍らで深雪も興味ありげに会話を聞いていた。
「はいはい、そういうことにしておいてあげる。」
くすくすと笑う真由美に、周囲からも小さな笑いが漏れる。先程までの刺々しい空気は、いつの間にかすっかり緩んでいた。
「先輩たちの言う通り、そんな悪い子じゃないのかも。」
ほのかは自身の軽率な言葉に反省したようで、しょんぼりと肩を落とす。それを見てこれまで静観していた雫がふと足を緩めた。
「......ほのかが私のことを思って言ってくれたのは分かってるよ。」
静かに紡がれたその一言に、ほのかははっと顔を上げた。
「雫......。」
もちろん他校の選手を悪し様に言うのは褒められたことではないし、場合によっては失格処分などの措置を取られかねない。しかし、ほのかもすっかり反省しているようだったため、真由美もほのかを責めるようなことはしなかった。
「相手がどう思っていたとしても、勝つだけ。」
静かに、しかしはっきりとした声音で雫はそう言い切った。
それは自分自身に言い聞かせる言葉でもあり、同時に周囲へ向けた意思表示でもあった。
ほのかはその言葉を聞いて、ふっと表情を緩めた。
「......うん、そうだね。」
ほのかは小さく頷きながら、しっかりと前を向く。
雫はそれを横目で確認すると、それ以上何も言わずに視線を前へ戻した。必要以上に言葉を重ねないのが、彼女なりの気遣いだった。
それを合図にしたかのように、一同は再び歩き出した。
先程までのわだかまりは、もう誰の胸にも残っていない。あるのはただ、それぞれが迎える明日の試合への静かな闘志だけだった。