「そんなに試合って面白いものですかね......。」
ギチギチに詰まった観客席を天幕のモニター越しに眺めながらあやめは九校戦に入って何度目か分からないため息をつく。
九校戦六日目、新人戦三日目。一週間弱続くこの大会に変わらず押しかける大量の観客にあやめは八つ当たりの境地に至っていた。いつもならそんな彼女を宥めているはずの吉祥寺は将輝と揃ってどこかに行ってしまっている。
あやめの試合は第二試合だから別にまだまだ時間の余裕はあるのだが、だからといって一人放っておかれるのはどうにも落ち着かない。天幕には当然あやめ以外の三高の生徒もいるが、彼女のコンディションを乱さないように遠巻きに様子を見守るだけである。
こういった試合前の落ち着かない時間も、余計なことを考えないようにと、それとなく話を振ってくれたり、逆に静かにしていてくれたり――あやめの状態に合わせて上手く距離を取ってくれていたのが吉祥寺だった。そんな吉祥寺の優しさに甘えている部分もあったあやめは落ち着かない様子で足を揺らした。
聞き慣れた足音に反射的に入口に顔を向ければ、そこにはあやめの予想通り吉祥寺が戻ってきていた。将輝がいないのはそのまま試合に向かったからなのだろう。
吉祥寺は将輝を試合に送り出していただけだったのかとあやめは傾いていた機嫌を直した。――実際は将輝と共に第一高校の凄腕技術者を偵察しに行くという名目で達也に喧嘩をふっかけに行っていたのだが、あやめにとっては知らない方が吉だろう――
吉祥寺は軽く周囲を見回して、すぐにあやめの姿を見つけると足早に歩み寄ってきた。
「ごめん、あやめちゃん。お待たせ。」
まるでデートに遅れてきた彼氏のような吉祥寺の謝罪を聞いたあやめは、ほんの一瞬、間を置いてからわざと拗ねた表情を作って見せた。
「もう、何をしていたんですか。」
「ご、ごめん。ちょっと野暮用があって。」
別に吉祥寺はあやめ専属というわけではないのだから謝る必要は無いのだが、あやめが本気で拗ねていると思い込んでいる彼にとってはそれどころではなかった。
「野暮用ですか......。」
含みを持たせたあやめの言葉に吉祥寺の肩がぴくりと揺れた。
「私より、大事な用事だったんですね......。」
わざとらしく肩を落とし、目を伏せたあやめを見て周りの生徒はあやめがふざけているだけだと察したが、吉祥寺には効果てきめんだった。
「ち、ちがっ!あやめちゃんより優先したとかそういうことじゃなくて――」
どうフォローすればいいのか分からず、吉祥寺は視線を泳がせた。普段はもう少し落ち着いているはずの彼だが、あやめのことになると途端に調子が狂うようだ。
その様子が少し可笑しくて、そして少しだけ嬉しくて――あやめは小さく息を吐いた。
「ふふ、冗談ですよ。」
くすりと笑いながら顔を上げるあやめに、ようやく状況を理解した吉祥寺は、肩から力を抜いた。心底ほっとしたその顔を見て、あやめは更に笑みを深める。
胸の奥にあったささやかな不満はいつの間にか消えていた。
二人が並んで控室へと向かう頃には先程までの和やかなムードはすっかり消え、代わりに静かな集中があやめの中に戻りつつあった。
やがて、呼び出しのアナウンスが響き、あやめは一度だけ深く息を吸い、そして吐いた。
「行って参ります。」
「うん、頑張って。」
吉祥寺の短い激励に頷きで答えて、あやめは雫との試合に歩みを進めた。
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試合開始の合図が鳴るまでのわずかな静寂の中。二人の少女が対峙する。
一方の少女、あやめは深呼吸を一つして、背筋を伸ばした。余計なものすべてを意識の外へ押し出し、視線の先にいる雫との試合だけに意識を注ぐ。
もう一方の少女、雫は冷静に作戦を整理していた。昨日、あやめが見せた戦法は移動魔法による敵陣の氷柱破壊。達也曰く、彼女は移動魔法の適正が非常に高いらしい。今回も同様の作戦でくる可能性が高い。
(なら、対処は簡単。)
これまでの作戦通り情報強化を展開し、自陣の氷柱を守り、共振破壊で仕留める。深雪が確実に決勝まで上がるのが分かり切っている以上、彼女との試合のために達也が用意してくれた切り札をここで使うのは雫としても避けたかった。
とてつもなく長く感じられた静寂が終わり、始まりを予告するライトが灯った。やがて色を変えて試合開始を告げる。
それと同時に、雫は魔法式を展開した。
しかし――次の瞬間、雫の目が見開かれる。
あやめが自陣の氷柱を、自ら破壊したのだ。自滅行為に等しい選択に雫の顔に動揺が走ったが、次の瞬間には思考が切り替わった。脳裏に浮かぶのは、同じ一高の英美の自陣の氷柱を犠牲に相手陣地の柱をボーリングのように破壊する戦法だった。
雫が気付いた時にはもう遅く、あやめの魔法が発動した。しかし、あやめの作戦は英美とは少し違い、柱をまるごと弾として使うものではなく、破壊した氷柱の破片――破片といっても小さい破片ではなく、そこそこ大きな氷塊――を弾として一斉に射出するものだった。その様子はもはや投擲ではなく砲撃に近しい。
ただの移動魔法であれば、氷柱をまるごと使う英美の魔法の威力より劣っていただろうが、あやめの使った魔法はただの移動魔法ではない。彼女の十八番ストーム・ドライブだ。その射出スピードは桁違いに速い。
あやめはストーム・ドライブをこれまで飛行魔法の代替魔法として自分にかけるという使い方しかしたことが無かったが、吉祥寺に攻撃手段として使ってみてはどうかという提案を受けて、作戦に取り入れていた。
(速すぎる......!)
英美のものとは速度も威力もまるで比較にならないあやめの魔法に雫は歯噛みした。空気を裂く音すら遅れて聞こえるほどの高速。雫の氷柱に作用する魔法ではないため、情報強化では防げない。
判断は一瞬だった。
(なら――攻める!)
雫は即座に防御を捨て、攻撃へと転じた。共振破壊の魔法式を展開。地面を媒介に氷柱へ振動を送る。
しかし、発動までに必要な探査の時間。その僅かなラグが、致命的だった。
氷の弾丸が、次々と雫の陣地へと叩き込まれ、氷柱が砕け散っていく。あやめの陣地の氷柱は彼女自身で倒した三本を除き全てが健在なのに対して、雫の陣地の氷柱は残り五本まで追い込まれていた。
ようやく展開された共振破壊もすぐにあやめが防御してくることは明白だ。雫は止まらず、ついに切り札を切った。CADをはめた左腕を右の袖口に突っ込む。引き抜いた手には拳銃型の特化型CADが握られていた。
(二つのデバイスの同時操作......!?)
雫の手に握られたCADを見つけて、あやめは驚きに目を見張った。
複数デバイスの同時操作は不可能ではないが、かなり難易度が高いテクニックだ。想子信号波の混信を起こさずに魔法を展開できる魔法師をあやめは見たことがない。未知との遭遇に、試合中ながらあやめは嬉しそうに片頬をあげた。
雫の魔法が発動しあやめの陣地の氷柱から白い蒸気があがる。超音波の振動数を上げ、量子化して熱線とする高等魔法、フォノンメーザーだ。
観客たちは今までの試合の中で初めて相手の攻撃であやめの陣地の氷柱が破壊されたことに、興奮気味に、しかし二人の試合を邪魔しないように静かに盛り上がった。
あやめの陣地の氷柱に共振破壊とフォノンメーザー、二つの魔法が襲い掛かる。
だが、あやめが自陣に防御の手を伸ばすことはなかった。
次の瞬間、既に破壊していた氷柱の残骸――散乱した氷塊が、一斉に飛来した。
防御に回るだろうと考えていたあやめが攻撃の手を止めなかったことで雫の思考が一瞬遅れる。
あやめの猛攻に空気が悲鳴を上げる音が聞こえた。先程以上の速度で放たれた氷塊が、雫の陣地へと襲いかかる。
雫は焦った様子で更なる攻撃を仕掛けた。あやめが防御を捨てているのなら、こちらも攻撃あるのみ。熱線が空気を焼き、一直線にあやめの陣地へと伸びる。同時に地面を伝った振動が、あやめの陣地の氷柱を内部から破壊しようと牙を剥いた。
しかし、あやめの陣地の氷柱が残り四本になったところでラストスパートをかけたあやめの魔法が無数の氷塊を操り轟音と共に雫の陣地を容赦なく蹂躙した。氷柱が砕け散り、白い破片が宙に舞う。
一本、二本――ではない。残っていた氷柱が、まとめて薙ぎ払われた。最後の一柱が遅れて砕け散る音が、静かに響く。
勝負ありと場内に終了を告げるライトが灯った。
雫はしばらく呆然とその場に立ち尽くしていたが、やがて息を整え、ゆっくりと視線を上げる。
フィールドの向こうに櫓の上で変わらぬ姿勢で立つあやめの姿が見えた。
(......悔しい。)
作戦の柔軟性、魔法の威力、そして何より、判断の速さ。どれを取っても、自分の一歩先を行かれていた。
やがて雫は小さく息を吐き、口元をわずかに緩めた。
「でも、楽しかった。」
その呟きは、誰の耳にも届かないただの独り言だったが、確かな実感として雫の胸に残っていた。