魔法科高校の飛び級生   作:湯っ娘

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第二十三話

――どれくらい、眠っていたのだろうか。

 薄く瞼を持ち上げたあやめの視界に、白い天井がぼんやりと映り込んだ。焦点の定まらない視界が、ゆっくりと現実へと引き戻されていく。

 微かに香る消毒液の匂いでここが救護室であると理解するのに、そう時間はかからなかった。

「......っ。」

 あやめは身体を起こすと全身を蝕む気だるさに顔をしかめた。決勝戦での消耗は思っていた以上だったようだ。

 救護室に時計は置いていなかったが、あやめの感覚が正しければ意識を失ってからそう長くは経っていないはずだ。

(......こうして休んでいる場合ではありませんね。)

 小さく息を吐いて、あやめは気持ちを切り替えた。

 あやめは明日にミラージバットの試合を控えている。明日の準備もあることだし、この程度で寝込んでいるわけにはいかなかった。髪を軽く手櫛で整えて、ベッドを降りる。

 部屋にいた救護医が目を覚ましたあやめに気付いて歩み寄った。

「気が付きましたか。無理はしないでください、まだ安静に――」

「いえ、大丈夫です。少し休めば動けますので。」

 間髪入れずに返された言葉に救護医は少し困ったような表情を浮かべたが、フラつく様子もないあやめを見て自由にさせておくかと考え直したのか、それ以上止めるような真似はしなかった。その代わりに思い出したように部屋の外を指さす。

「そういえば......付き添いの方が外で待っていますよ。たしか、吉祥寺さんと言ったかしら。」

 あやめは一瞬だけ目を瞬かせた後に小さく微笑んだ。

「......そうですか。」

 あやめが眠っているところに同席するのは気が引けたのだろう。しかし、律儀に部屋の外でずっとあやめが目覚めるのを待っていたとは、中々吉祥寺も真面目な男だとあやめは感心した。

「教えてくださってありがとうございます。」

 待ってくれている吉祥寺のためにも早く戻らなければと軽く頭を下げ、あやめは早足で救護室を後にした。

 救護室を出てすぐそこに見慣れた姿を見つけて、あやめは少し胸が温かくなるのを感じて頬を緩ませた。

「真紅郎くん。」

「――あやめちゃん!」

 壁にもたれかかっていた吉祥寺が、慌てて姿勢を正してあやめに向き直る。

「もう大丈夫なの!?いきなり倒れたから心配したよ......!」

「はい、もう大丈夫です。ご心配をおかけしました。」

 吉祥寺の様子を見るにかなり心配させてしまったようだとあやめは内心で苦笑しつつ、ふと気絶した時のことを思い出した。

 限界寸前だったこともあり、試合直後の記憶がだいぶあやふやになっているが、吉祥寺の目の前で気絶したことはハッキリと覚えている。恐らく、救護室まで運んでくれたのも吉祥寺なのだろう。

「先程は大変お世話をかけてしまったようで申し訳ないです。」

「い、いやいやいや!そんなの当然っていうか、その……!」

 しかし、吉祥寺はそのことをすっかり忘れていた、いや正しくは自分に思い出さないように言い聞かせていた。

 あやめに封印していた記憶を掘り起こされて吉祥寺は赤面した。腕の中に収まった、柔らかな体温を二度と思い出さないように自身に何度も厳命する。

「......?」

 急に挙動不審になった吉祥寺に、あやめが小首を傾げたその時だった。

「――三矢選手。」

 涼やかな声が、背後からかけられる。振り向くまでもなくその声の主を、あやめはすぐに理解した。

 反射的にすっと吉祥寺の背に隠れて、着たままだった衣装のヴェールを降ろす。

「ちょ、あやめちゃん......?」

 盾にされた吉祥寺が困惑する中、歩み寄ってきたのは深雪と達也だった。

 深雪はあやめの回復した様子を見てわずかに表情を和らげ、吉祥寺の背に隠れるあやめの前に進み出た。

「お身体は大丈夫ですか?」

「......ご心配いただき、ありがとうございます。問題ありません。」

 吉祥寺の背後から、控えめに答えたあやめの様子に一瞬だけ間を置きながらも、深雪は本題に入る。

「その......決勝戦の件で、少しお話をさせていただけないでしょうか。」

 深雪の真っ直ぐな申し出にあやめは小さく首を振った。

「わざわざ来ていただいて申し訳ありませんが......明日も試合がありますので。本日はご遠慮いただきたく存じます。」

 普段は穏やかなあやめにしては冷ややかな拒絶に吉祥寺は意外感を覚えながら邪魔にならないように空気に徹する。

「長くは取らせない。数分で済む話だ」

 あやめの取り付く島もない様子を見て静かに割って入ったのは達也だった。

 未だに達也を天敵のように怖がっているあやめは蛇に睨まれた蛙のように硬直した。

 助け船を出すべきかと吉祥寺は口を開きかけたが、将輝と共に達也に会いに行った微妙な前科が脳裏をよぎって結局何も言えずに口を閉ざした。

 何も言わない二人の態度を了承と受け取ったのか深雪が話を再開する。

「あの結果は公正なものとは到底言えません。私は今からでも引き分けという形にすることが可能だと考えています。」

 深雪が遠回しに場を収めるために勝利を譲ることはない、とあやめに諭した次の瞬間。

「アッハハハ!」

 場に似つかわしくない可憐な高笑いがその場に響いた。

 あやめらしからぬ突然の高笑いに吉祥寺はビクッと肩を震わせ、ポーカーフェイスが常の達也でさえも、目を見開いた。

 深雪は何が起きたのか理解できず、目を見開いて固まる。

 あやめは高笑いをあげてからも前屈みになってクツクツと笑いを漏らしていたが、やがて自身を驚愕の表情で見つめる達也と深雪に気付いて顔をあげた。

「あぁ、ごめんなさい。バカにされたのかと思ってしまったものですから。」

 笑い声こそ聞こえていたもののヴェールで覆われたあやめの口元は笑っていないように見える。

 存外気が強い性格のようだ、と達也はあやめに対する認識を改めた。

 笑いの余韻を微かに残したまま、あやめはゆっくりと深雪の前に歩み出た。いつもの柔らかな物腰は、そこにはない。

「......司波選手は引き分けでも構わないと、そう仰るのですね。」

 静かな鋭さを帯びた声に吉祥寺は本当に目の前の人物はあやめなのだろうかと疑った。

 いつものあやめならば、達也の目もあることだし猫を被っていつも通り穏やかに接していただろうが、試合の疲労もあってか今のあやめに取り繕う精神的余裕は残っていなかった。

「冗談にしては、質が悪いですね。」

 達也は深雪を愚弄するようなあやめの言葉に顔をしかめたが、もうあやめの眼中に達也はなかった。

「少し言い方が過ぎるな。深雪は、君を貶める意図で言ったわけではない。ただ、公正でありたいとそう考えただけだ。」

 達也の怒気を孕んだ声にあやめは臆せず、ヴェールの奥から剣呑な目つきで達也と深雪を見据えた。

 あやめにだって深雪にこんな風に怒りをぶつけるのは間違っていると分かっている。しかし、ただの八つ当たりだと自制する感情よりも、深雪に負けた悔しさや情けをかけられた苛立ちが遥かに勝っていた。天才の飛び級少女といえど、こういったところは年相応だった。

「......ええ、分かっていますとも。」

 あやめは冷静に頷いてみせたが、その胸の奥には燻る熱が渦巻いていた。

「司波選手が善意で仰られていることくらい、私にも分かります。」

 善意という言葉をやけに強調してあやめは深雪を睨めつけ、

「ですが、傲慢な提案であることに変わりはありません。」

ハッキリと言い切った。

「例え、あの妨害がなかったとしても......私は、司波選手には敵わなかったでしょう。」

 自嘲するようなあやめの言い草に吉祥寺が思わず息を呑む。自身が相手に劣っていると公に認めるようなあやめの言葉にどれほどの悔しさが籠っているかなど、考えるまでもなかった。

「決勝戦まで手の内を隠し続けてきた私と違って......司波選手は、惜しみなく魔法を使っていた。」

 あやめは大事を取って移動魔法以外を決勝戦まで使わなかったが、深雪は初めから惜しみなく氷炎地獄を披露していた。そんな前提あっての決勝戦を互角の試合などとあやめが思えるわけもなく。

「それで、あの結果ですよ。」

 あやめは悔しさに肩を震わせてわずかに俯き、拳を握る。

「実力差など、比べるまでもないでしょう。あんなくだらない妨害如きで下駄を履かされるような屈辱、私には耐えられません。」

 あやめは誰よりも勝敗に真摯でいたという自覚があるからこそ、その誇りを踏みにじるような発言をした深雪にどうしようもない怒りを感じていた。

「だから私は、自分で負けを認めたんです。」

 ヴェールの奥の視線が鋭く深雪を射抜く。

「司波選手、あなたにとってあの試合の勝敗はどうでもいいものかもしれません。ですが、その価値観を押し付けるのは傲慢以外の何物でもありませんよ。」

 あやめの冷たい怒声に深雪は息を呑み、言葉を失った。自分の言葉がここまであやめを傷つけるものだと彼女は考えていなかった。

 そんな深雪の様子を見て、あやめは今更ながらに自己嫌悪に苛まれていた。いかに自分が子供じみた情けないことをしているのかを自覚して、どうしようもない感情が胸の中でぐちゃぐちゃに絡み合う。

 張り詰めた沈黙の中であやめの顔を覆うヴェールの奥に微かに光が滲み、ぽたりと小さな雫が床に落ちた。

「......あ......。」

 それを見て思わず深雪の口から声が漏れる。

 その光景を、達也もまた見逃してはいなかった。

 ヴェール越しでも分かる。押し殺した呼吸と頬を流れる涙。

 それを見て達也の中で燻っていた苛立ちが、すっと引いていく。代わりに残ったのは、拍子抜けに近い感覚だった。

 誇りを傷つけられ、悔しさを抱えきれず、ついに泣き出してしまったあやめの姿に達也の毒気はすっかり抜かれていた。

 隣では、深雪が言葉を失ったまま立ち尽くしている。

 差し伸べるべき言葉が見つからないのだろう。自分の発言があやめを追い詰めてしまったことを理解してしまったからこそ、何も言えない。

 吉祥寺もおずおずとあやめにハンカチを差し出すことしかできず、ただヴェールの奥であやめの涙だけが、静かに零れ続けていた。

 吉祥寺が差し出したハンカチが視界の端に入ると、あやめは一瞬だけ迷うような素振りを見せたが、すぐにぷいと顔を背けた。目元をゴシゴシと手で擦って差し出されたハンカチをそっと、しかしはっきりと押し返す。

 まるで泣いていないと意地を張るようなあやめの様子に、場の空気がわずかに緩んだ。

 ヴェールの奥で涙をこぼしているのは明らかなのに、必死に否定するその姿に深雪は思わず小さな笑みを浮かべた。

 あやめはそれに気付いたのか、わずかに頬を膨らませたように見えたが何も言わなかった。やがてすっと息を整えて、あやめはそっと吉祥寺の袖を引いた。

 顔を寄せるように促された吉祥寺が戸惑いながらも身を屈める。その耳元であやめは小さく何事かを囁いた。

「――。―― 。」

「......え?いや、そういうのは、自分で言ったほうが......。」

 吉祥寺は戸惑い気味に躊躇していたが、あやめに早くしろとばかりに小突かれて観念したように小さく咳払いをした後に深雪たちの方へ向き直り、少し緊張した様子で口を開いた。

「明日のミラージ・バットでリベンジといきたいところだけど、司波選手は本戦の方に出る、んですよね。」

「......ええ。」

 あやめの意図が分からず困惑の表情を浮かべた深雪が小さく頷く。

「だから、代わりにそっちの技術スタッフに、一泡吹かせてやる、覚悟しておけ、と......。」

 意外な宣戦布告に達也は眉をあげた。

 静かに佇むあやめは何も語らない。だが、泣いてスッキリしたのか、その様子はどこか落ち着いたものに変わっていた。

 またもや吉祥寺を引き寄せてヒソヒソと囁く。今度は吉祥寺は抵抗することなくそのまま伝言を伝えた。

「妨害の件は司波選手には関係ない、とのことです。」

 冷たくも聞こえる言い分だが、深雪も達也もあやめの意図を履き違えたりすることはなかった。妨害の件は自分の問題だから深雪が罪悪感を感じたりすることはないと、あやめはそう言いたいのだろう。

 吉祥寺が伝言を伝え終わったのを見てあやめはもう言うことはないと顔を背けた。

 その姿を見て、深雪は胸の奥に溜まっていたものが少しだけほどけるのを感じた。あやめはただ悔しさのやり場を見失っていただけなのだ。そう気付いて深雪の表情が和らぐ。

 妹の顔がようやく晴れたのを見て、達也の口元がわずかに綻んだ。

「そうか、時間を取らせてすまなかったな。」

 達也としても深雪が満足しているようなら口出しする気はなかった。

「深雪。」

「はい、お兄様。」

「納得はできたか。」

 兄の問いかけに深雪は一瞬だけ目を瞬かせて、小さく息を吐いた。

「ええ、三矢選手のお気持ちは理解できたつもりです。」

 そう言って、あやめの方へ向き直り

「先程は、失礼をいたしました。」

静かに頭を下げた。深雪のその所作は言葉以上に誠実で、真摯なものだった。

 あやめは一瞬だけ驚いたように固まって、ほんのわずかに肩の力を抜く。

「......いえ。私も失礼いたしました。」

 短いやり取りだったが、それ以上謝罪を重ねる必要はないとお互いが理解していた。

「それでは、私たちはこれで。三矢選手のミラージ・バットでのご健闘をお祈りしております。」

「......ありがとうございます。司波選手も本戦、頑張って下さい。」

 先程までの衝突が嘘のように、そこには静かな熱だけが残っていた。

 それは敵意ではなく、互いを認め合った者同士の次へと続く約束のようなものだった。

「じゃあ、行こうか。あやめちゃん。」

 吉祥寺に促され、あやめが小さく頷く。

 すれ違うようにして、その場を後にする二人を見送って達也と深雪は顔を見合わせて微笑んだ。

 もしまた戦うことがあるのならば、その時は正々堂々と。そう思いながら、深雪は静かに歩き出した。

 

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