第七話
吉祥寺がまるで侍従かのようにあやめに尽くす様子は、最初こそ遠巻きに見られていたものの、入学から二ヶ月経った今では通常運転として扱われるようになっていた。
ティーカップより重いものを持ったことがないような、華奢で大人しい女の子。それが、第三高校であやめが持たれているイメージだ。あやめに好意を寄せている━━ 本人は隠し通せていると思っているが、バレバレである━━ 吉祥寺が彼女に甲斐甲斐しく接するのはさして不自然なことではなかった。甲斐甲斐しくされている側のあやめは若干居心地悪そうにしているが。
「ジョージは相変わらずだな。三矢さんも嫌だったらハッキリ言ったほうが良いぞ。」
「あ、いえ、そんなことは。申し訳ないと思うばかりで...。」
あやめの恐縮しきった返答に将輝は肩をすくめる。
「そう自分を下げすぎるのも良くないと思うぞ。」
あやめは的を射た将輝の助言に視線を落とした。大人しくて、弱々しい、そんなフリがすっかり板についてしまって、あやめはいつしか守りに入る癖がついてしまっていた。
来週に控えた定期試験が終わるといよいよ全国魔法科高校親善魔法競技大会、通称九校戦に向けての準備が始まる。この定期試験の成績は九校戦のメンバー選抜にかなり影響するらしく、栄えある九校戦のメンバーに選ばれたい生徒は熱心に試験に向けて励んでいる。しかし、あやめはというと試験勉強に乗り気ではなかった。
九校戦の選手として出場すると、大勢の前で魔法を使うこととなる。視線恐怖症のきらいがあるあやめとしては万全な状態で戦えず無様を晒すくらいならば、いっそのこと選手として選ばれない方が何倍もマシだと感じていた。
放課後、一人で図書室にこもり、自習をしているフリをしながら、あやめは必死に考えを巡らせていた。
分かっている問題を自然に間違えるというのは、どうにも難しくわざと点を落とすとなると不自然さが拭えなかったのだ。もし、手を抜いたことがバレれば教師陣からのイメージダウンは避けられない。いっそのこと仮病で試験を休むか。
「三矢さん。」
「は、はい。なんでしょう。」
いつの間にか近くに立っていた愛梨に呼ばれ、あやめは心臓が飛び上がりそうになりながら平静を保って答える。
「勉強の手が止まってるわよ。」
「......え?」
「見てるページがずっと同じだわ。」
どうやらあやめが手を抜く方法を模索している間、愛梨はあやめの観察をしていたようだ。早く誤魔化さねばと焦るあやめの様子に愛梨はため息をついた。
「まさかとは思うけれど、九校戦に選ばれないように、点数を抑えようとしているんじゃないでしょうね。」
エスパー顔負けの洞察力で愛梨に図星をつかれ、あやめの焦りは加速する。
「な、なにをおっしゃって......。」
「あなた、案外怖がりなのね。そうやって理由をつけて逃げてばかりでは変われないわよ。」
それだけ言って失望したと言わんばかりに愛梨は去って行った。
あやめは瞬発的に期待を向けられる苦労も地位に縛られる辛さも知らぬ愛梨にそんなことを言われる筋合いはないと内心で憤ったものの、愛梨の言葉が正論であると、心のどこかで感じていた。
教材が映る情報端末を、きゅっと指先で押さえる。その感触はやけに冷たく感じられた。
━━ 逃げてばかりでは、変われない。
その一言が、胸の奥に重く沈む。
けれど。大勢の視線、ざわめき、期待と評価が一斉に向けられる、あの感覚。喉が締まり、指先が震え、思うように魔法を使えない自分の姿が、容易に想像できてしまう。そんな無様な姿を晒せば、恥をかくのは自分だけではない。
「......ご迷惑をおかけしてしまうくらいなら。」
小さく漏れた独り言は、誰にも届かないはずだった。
「誰にだ?」
不意に背後から低い声が落ちてきて、あやめはびくりと肩を震わせた。振り向けば、いつの間にか本棚の影に将輝が立っている。
「き、聞いていたんですか……?」
「あぁ、申し訳ないが聞かせてもらった。」
将輝はあやめの向かいの席に腰を下ろす。
「三矢さんが九校戦に出ることが、誰の迷惑になる?」
「それは......。」
あやめは言葉に詰まる。
失敗するかもしれない、足を引っ張るかもしれない、期待を裏切るかもしれない。色んな言葉が過るが、それはまだ起きてもいない未来だ。
「勝手に失敗前提で話を進めるのは、ちょっと失礼じゃないか?」
「......失礼、ですか?」
「あぁ。自分にも、周りにも。」
淡々とした口調だったが、その言葉は容赦なく核心を突いていた。
「ジョージだって、一緒に九校戦に出たいって思っているはずだ。」
あやめの脳裏に吉祥寺の顔が思い浮かぶ。
守ってもらってばかりの自分としてではなく━━ 共に戦う存在としていられたら。
少しだけ、胸の奥が熱くなる感覚がした。
「......私。」
あやめはゆっくりと顔を上げる。
「本当は、選ばれたくないわけではないんです。」
将輝の眉がわずかに動く。
「ただ......選手として立つ自分を想像すると、足がすくんでしまって」
「それは当たり前だ。九校戦で緊張しないやつの方が少ない。」
あやめは目を瞬かせる。
「怖いって思えることは、それだけ本気だってことでもある。」
静かな図書室に、将輝の優しい声が響く。
「三矢さんはどうしたいんだ?」
あやめは膝の上で握りしめていた手を、そっと解いた。恐怖は、まだ消えていない。けれど。
「......逃げないほうを、選びたいです。」
それでも、はっきりとあやめは選び取った。
将輝はわずかに口元を緩める。
「なら、まずは目の前の試験だな」
「はい......!」
わざと間違える方法を考えるのではなく、どうすれば満点に近づけるかを考える。それだけであやめの胸の奥にあった恐怖は、少し晴れた気がした。
九校戦の舞台は、まだ遠い。けれどその第一歩は、確かに今、この机の上にある。
あやめは端末に向き直って、ゆっくりと試験勉強を始めた。