「それじゃあ、行ってきます!」
そう言い放って、実家の喫茶店のドアを勢いよく鳴らしながら金髪の少女――弦巻マキは飛び出した。ギターと通学用の鞄という決して軽いとは言えない荷物をものともせず、運動部顔負けの速度で走る彼女の目は生気に満ち溢れていて、その整った顔立ちとそれを殊更際立たせる優しくも力強い笑顔に(ついでに言えば、その恵まれたスタイルや口ずさむにしては少し大きな歌声も)男性は勿論女性もつい目を奪われてしまうだろう。
そんな、自分に向けられる視線に特段気付きもせずに走る彼女は、高校へのバスが止まる大通りへと向かう角に差し掛かると腕時計の時刻を確認した。そうして時間がまだ十分に余裕ある事実に表情を緩ませた。これなら次の次くらいのバスでもギリギリホームルームに間に合うだろう。
そう結論付けると、マキは大通りに向かう道路に背を向けて走り出した。その先は徐々に道路幅が狭くなっていき建物もまばらになっていく。それ等の建物を追い越して、いよいよ車が一台納まるかというくらいまで狭くなった道路の突き当たりには、人の気配に暫く触れられていないであろう公園とその奥に見える長い階段があった。軽く汗ばんだ額を制服の袖で拭いながらマキは階段を一歩ずつ歩いていく。流石に殆どノンストップで自宅からこの公園まで走っては階段を駆け上がる体力はなかった。そうして、一分ほど長い長い階段を上って、
「ゆかりちゃーん、来たよー」
誰もいない様に見える稲荷神社に向けて、マキは友人を遊びに誘う様な気軽さで以て話しかけた。そのお稲荷を囲む木々はそろそろ開花の時期を迎える梅の花で、マキが挨拶の後に訪れた静寂に少しの不満を覚えていると、クスクスと笑う二人の少女らしい声が大体頭上から聞こえる。その声に合わせて若干睨むように首を上げれば、なおも悪戯っぽく笑う二人の少女らしき姿が見えた。
「おはようマキ。ゆかりちゃんは今冬眠の時期だから、少し待たないと起きないよ?」
「あんまり待つとまた学校に送れちゃうんじゃないかなー?まぁ、私達は松じゃなくて梅の精霊なんだけど!」
「残念でした、今日は早く来たから時間には余裕あります。あと、ヒメ。私がダジャレ嫌いなの分かってるでしょ、やめてって前に言ったじゃん」
「えー?それだからわざわざ喋ってるのに…痛っ!?」
「あ、不敬だ不敬」
「お生憎様、お狐様は知らないけれども私は梅の精霊を信仰したことは一回もないよ?ミコトクン?」
「うーん、いっつも思うけど私って“くん”付けで合ってるの?」
ふん、とマキは軽く鼻を鳴らしてダジャレで鳥肌の立った手にかるく息を吹きかけて擦った。指で始まれた額を押さえながら文句を言うヒメと呼ばれた桃色の髪を持つ精霊はぶーぶーと文句を垂れて、もう一人のミコトと呼ばれた青髪の精霊は少し思い悩むようにしてすぐにまぁ、どうでもいっか、と考えを切り替えた。相変わらず思考回路が一致しない双子であるとマキは思う。思って、そもそもこの二人は双子という概念で捉えられるのかと考えたが、ミコトがそうしたように考えても仕方がないと思ったのですぐに考えを切り替えることにした。
そんなことを考えていると、賽銭箱の裏側、賽銭箱と神社の中間辺りに気配を感じた。マキには霊感があるわけではないが、彼女の気配というか雰囲気はもう感じるほど慣れてしまった。
「おはよう、ございます。マキさん、今日も早いですね…?」
「あ、ゆかりちゃん!おはよう!」
「ゆかりんおはー」
「おはよう、ゆかり」
三人から朝の挨拶を向けられた和服の少女はまだ眠そうに目を擦って、その視界の先に見つけた真っ赤なおでこについ吹き出した。
「…もう、またヒメちゃんは。マキちゃんに悪戯したでしょう?」
「そうなんだよー、やめてって言ってるのにまたダジャレ言ってさー」
「むー。どっちも不敬だぞ、不敬!ゆかりん敬語使えー」
「そう威厳も何も無い感じで威張るから、不敬な扱いされるんじゃない?」
「うそ?威厳あるじゃん!何千年も生きてる梅の精霊ですぞい!?」
「ふふ、おでこを押さえながらそんなこと言われても」
「ほんとそれな」
「そもそも何千年はちょっと鯖読んでるよねヒメ」
「むー!」
呑気な雰囲気で柔らかく笑いながらゆかりは頭に生えた耳をぴくぴくと動かした。彼女の名は結月ゆかり。この神社に祀られている神、ということになっている。
「それで、今日はどうしたんです?マキさん」
「あ、そうそう!今日はゆかりちゃんにお礼を言いに来たの!」
そう言って通学かばんの中からあるものを取り出した。途端、ゆかりは表情を固まらせて、取り出された自分の大好物に目を奪われてしまう。
「はい、油揚げ!」
「あ、ありがとうございます?でも、なんで…」
「いやぁ、実は今度の卒業式で私らのバンドも吹奏楽部に混じって演奏していいって許可もらっちゃってさ!これもきっとゆかりちゃんのことを信仰してたからだな、って思ったらもう我慢できなくて!」
「そんな、私は確かにこの神社に祀られていますけど、私が出来るのなんてただ“上手くいきますように”って参拝してくれた人と一緒にお祈りするだけですよ?それだけでこんな…」
「まぁもらっていいんじゃないの、ゆかり?墓に供えるのだったらカラスが五月蠅いけどこれはゆかりが食べるんだから。それに、捧げられたものに責任を持つのも立派な神の務めだよ、少なくともウチの流派ではね」
「お、ミコトクンいいこと言うね」
「…いいんですか?ミコトくん」
そう、喉を鳴らしながら尋ねるゆかり。その様子は長いこと“待て”をされた犬の様に見えた。それっぽい耳が生えているから尚更である。
「うん。…ていうか、そんなに我慢しなくていいんじゃないの。早く食べれば?」
「いいんですか。マキさん。」
「う、うん!遠慮せずにどうz「い、頂きます!」」
マキの言葉を遮って、“待て”から解放された犬もとい狐は手が油で汚れることも忘れて包装から取り出した油揚げに食らいつく。マキとミコトが少し引いてしまう勢いで嬉しそうにゆかりはてにした御馳走に舌鼓を打っていた。
「…これさえなければ、ゆかりは神様として安泰なんだけどなぁ…」
「ははは…」
「むー、ゆかりばっかりずるくない?」
苦笑いをするマキとミコトの後ろで、ヒメは不満そうにぼやいた。その声に反応して、二人の視線が絶賛食事中の一匹から精霊に移動する。
「ゆかりんの神様指導したの私達なんだから、私達にもなにかご褒美をもらう権利があると主張しまーす」
「いや、突然そんなこと言われても…」
「あー、そうだね。確かに一回くらい何か貰いたいかも」
「ミコトクン!?」
突然のミコトの裏切り、というか便乗に思わず叫んでしまうマキ。その動揺に漬けこむように、二人の梅の精霊はマキの前まで移動すると上目づかいでマキの方を覗き込んでくる。
「ねぇ。いいでしょ?」
「お、ね、が、い?」
二人して顔がいいな、と罵倒なのか褒め言葉なのか分からない言葉が頭の中で飛び交うその間にも二人の眼差しによる攻撃は続いているままで。なんだかんだ面倒見がよく律儀な性格のマキにはついに断り切れないわけで。
「…分かり、ました」
ついに折れるしかなかった。やったね、と笑うミコトにかわいいなと惚気つつ、チョロいねなだと抜かすヒメにはコノヤロウと怒りの言葉を内心ぶつけてやる。我ながらヒメに対して辺りが強くないか、と思わなくもない。しかし、マキはその反省を、でもヒメの態度が悪いのが原因だよな、とその一言で片づけた。
「あ、でもさ。梅の精霊的に奈に送れば嬉しいのさ?正直ガーデニング知識とか自信ないんだけれど…」
「ん?あー、なんでもいいよ、普通にお菓子とかも食べれるし。ね、ヒメ?」
「うん、こんなナリでも普通にお酒とかも飲めるし。あ、お酒にするなら絶対梅酒ね?」
「いや、高校生だから買えないって…」
そう苦笑しながら、何貰えるのかなぁと嬉しそうにするヒメとミコトの二人につい顔が綻ぶ。この二人も千年以上生きてるとか気取らずに見た目相応の振舞いをしていれば可愛いのに、とつい思ってしまうのだ。
「もう、二人とも。あんまりマキちゃんを困らせたら駄目ですよ」
「いや、大丈夫だよ。そんなに高いもの買うつもりもないし…」
そこまで言って振り返って。マキは言葉を失った。いや、違う。正確には言葉を奪われた。思わず、前かがみになって口元を押さえる。その様子に何があった、と疑問に思ったヒメとミコトが困惑するゆかりを見て、
「ぶっ、!」
「あ、あはあっははははは!」
思わず笑い出す。吹き出したミコトと、遠慮も無く笑いだすヒメ。そしてお腹を押さえて笑いをこらえようとするマキ。三者三様の反応を見て戸惑いを隠せないゆかりは知る由も無い。
恥も外聞もなく手も顔も擦り付ける勢いで食べた油揚げの油が、さも古典的な漫画の泥棒の髭の様に口の周りを油で光らせていたことを。