『ゆかりは、コーヒーを飲みますか?』
「えぇ、それじゃあいただきます」
VOICEROIDの私が言うのもおかしな話だが、丁寧語でしか話せない機械音声を介しての会話は未だに慣れる気配がない。それでも、この方法が彼女との限られたコミュニケーション方法なのだ、贅沢などどうして言えようか。
キッチンから微かにカチャカチャという音が聞こえて、それから代わりに近付いてくる足音と人の気配。その気配が自分のすぐ横に腰掛ける感触にどれほど安心できるのか、理解出来る人はそういないだろう。
『コーヒーを飲みたくなったら、言ってください』
「はい、いつもありがとうございます」
そう感謝を述べれば、マキさんは何も言わずにこちらをぎゅっと抱きしめてくれる。あの一件以来、増えた、というより増やさざるを得なくなった身体的なスキンシップは意外に恥ずかしがりやな彼女には少し辛いのかもしれない。それでも、こうして関わりを持とうとしてくれる彼女には感謝しか出てこない。
その思いを伝えたくて、私は手探りでマキさんの腕を探すとそれにぎゅっと抱き付いた。最初は驚いたように抱きついていない方の手で私の肩を軽く押していたけれど、しな垂れかかるようにして身体を更に寄せれば観念したように力を抜いてくれる。
昔と変わらない優しさに甘えてその温もりを感じさせてもらうと、マキさんも私の肩に手を回して抱き締めてくれる。全身を包みこんでくれる温かい優しさは、しかしどういうわけか震えていた。――その震えが私への負い目であることは何となくではあるが察していた。
以前のマスターはどれほど譲歩してもよい人など到底言えない人で、何か気に入らないことがあれば容赦なく私達に当たる人だった。幸い性的な行為を強要されはしなかったが、暴力沙汰など日常茶飯事でその日もあの人はマキさんに殴る蹴るの暴行を加えていた。
階段に近いところでその暴行が行われていたことと、彼の気性の荒さを見誤ったのは私の落ち度だろう。余りに行きすぎた彼の行いを止めようと二人の間に割って入った私は、マスターであったあの男に突き飛ばされる形で階段から転がり落ちそのまま病院へと送られることになった。
打ち所が悪かった私はそのまま視力を失って、一度家から逃げ出したらしい元マスターは実刑判決が下され今は牢獄の中にいるらしい。面会に行く気などさらさらない、それは私が事故で視力を失って以来、心因性のショックで言葉を失ったマキさんも一緒だった。
――マキさんは何も悪くないのに。どうしてこの人はこんなにもお人よしなのだろう。私が勝手にやって勝手にドジを踏んだだけなのに。それ以上に、ボイスロイドである彼女からすれば声を失うなど、ただ目が見えなくなっただけで声を失わずに済んだ私より余程辛いだろうに。
ただ、それを口に出すことは叶わない。以前、入院中にそれを言ったらマキさんに酷く怒られたから。強く抱きしめられただけだったけれど、鼻を啜るその音で嗚咽交じりであることも分かった。――その優しさが私には酷く痛かった。
「――マキさん」
そんな私には、こんな報い方しか分からない。
「マキさん、マキさん…」
優しい声で彼女の名前を呼び、マキさんの背中へと手を伸ばす。そのまま強すぎず、弱すぎずの力を意識して、ぎゅうと抱き締めた。そうすれば、マキさんも私の背に手を伸ばしておなじようにぎゅ、と抱き締めてくれる。私より力強い彼女の抱擁は少し痛い位なのだけど、その痛みが何より嬉しかった。