「マキさん、マキさん…」
自分の名を呼ぶ目の前の少女から伝わる彼女の温もりが、優しい声が私の心をきつく締めつける。優しさは時として痛みになるのを分かっていた筈なのに、私はそれを忘れてしまっていた。いや、もしかしたら分かったつもりになっていただけなのかもしれない。だって彼女の一挙一動が真綿で首を絞めるように私をじわりじわりと追い詰める。
あれからどれくらいの時間が経ったのだろう、ゆかりを抱きしめながら考える。確かjamバンドのボーカルを完全にマリーちゃんに任せるようになったのが年明けからだから、私が声を失ってもう半年以上経つことになる。そう考えると、如何に自分の中でゆかりが大きなウェイトを占めていたのか自覚すると同時に、自分がこれほどに切り替えが下手なのだと思い情けなくてつい笑ってしまう。
「? マキさん、どうかしましたか?」
そう、引っ込み思案の子供の様な、少し寂しげな表情で言う彼女が愛おしくて申し訳なくて、言葉では表しにくい堪らない感情で満たされる。大丈夫だよ、そんな思いを込めて彼女の頭を優しく撫でてやればリラックスしたようなふにゃりとした笑顔を見せてくれる。その安心した表情に心の安らぎを得たいのだけど、未だに閉じられたままの瞳がそれを許さない。
自分の購入主とはいえあのマスターは本当に許せない。最悪私への暴力は譲歩しよう、結局のところ私はあの人の所有物であったからどのような使い方をされても文句は言えないだろう。
でも、それをゆかりにまで向けたのはどうしても許せなかった。確かにゆかりもまたアイツのマスターであったから所有者としてその使用法云々に私が口出しできる権利はないのかもしれない。だが、それを許容できなかった。『ボイスロイドとしての弦巻マキ』ではなく、私自身の意志がそれを拒んだ。段々と私だけじゃ飽き足らず、ゆかりにまで暴言や暴力を振るう様になった。それをきっかけに、私はマスターを敵と見なすことになった。
結果として、それがいけなかったのだ。あの日も、またゆかりの頬を引っ叩いたアイツに反論したから。力で勝てないことなど分かってたアイツに抵抗してしまったから。それを見過ごせないゆかりの優しさを怒りで忘れていたから。
だから、ゆかりは視力を失って私は声を失った。結果的には私は戦犯であり、自分の声に関しても結局自業自得なのだ。それなのに、彼女は自分が失敗したと言い、私に感謝の言葉さえ述べるのだ。それが酷く苦しい。なんで、彼女はこんなにも私に対して優しいのだろう。
「んぅ…、マキ、さん…」
一人物思いに耽っているとゆかりが寝息を立てている事に気付いた。見れば、私の腕の中で穏やかな表情を浮かべている。―――どうやら、私はまだ彼女の支えくらいにはなれているらしい。
いつか彼女の視力が戻ってその目で世界を再び見れる日が来るまで、彼女の隣にいることが出来ればいい、と厚かましいながら思わずにはいられない。
―――大丈夫だよ、私が付いてるよ。
普段は後ろめたさで言えないような台詞ですら言葉に出来ない。喉の痛みになって口から息として零れるだけ。それが恨めしくて、こんな言葉もかけられない自分が情けなくて。その代わりにもなるわけがないのだけれど、私はぎゅ、と彼女が起きない位の強さでゆかりの細い身体を抱きしめた。