⚫︎乙女たちの密談⚫︎
「帰ったぜ…………はぁ、疲れたぁ………」
「完全に同意…………」
「お前たち………まぁ、無理もないか」
王都の最高級宿のひとつ、その一室に集まった蒼の薔薇。
先日蘇生が完了したガガーランとティアが部屋に到着するなり、床へと倒れる。苦言を漏らそうとするイビルアイだが、今し方行ってきた事を考えれば仕方がない。
何せ、モンスターの群れや巣穴、それこそ百では利かない数を相手に大立ち回りしてきた後なのだから。
復活後は相応に弱体化しており、手っ取り早く勘を取り戻すための作業。万が一に備えてイビルアイが同行していたとはいえ、その疲労は計り知れない。
それでもアダマンタイト級の冒険者としてなのか、それとも貴族としてか、少し眉を顰めたラキュースが苦言を漏らす。
「二人とも、はしたないわよ」
「流石は鬼リーダー、労いの言葉すらないなんて」
「きっと冷たい血が流れてる。私が抱きしめて温めてあげよう。主にベッドの上で」
「随分と元気ね、ティア。もう一度特訓に出る?今度はティナを連れて」
にこやかに笑っているが、その目が笑っていないことは誰の目で見ても確か。
流石に今からもう一度は限界なのか、首を横に振った姿を見て嘆息を。ちらり、と視線を移して見るのは特訓の発案者であるイビルアイ。
「ねぇ、イビルアイ。この特訓、本当に効果あるの?」
「う、む………伝え聞く限り、効率のいいれべるあっぷ方法らしいのだが………」
「これで戻らなかったら、恨むぜおチビちゃん………」
さしものガガーランも起き上がる気力は残っていないのか、床につっぷしたままぼやく。
だが、その部屋に流れる空気は、どこか落ち着かないものだった。誰もが同じことを考えながら、まだ口に出さずにいる。
けれども、その空気に焦れたのか、ゆっくりと身体を起こしたガガーランが頭を掻きながら口に出す。
「なぁ、おチビちゃん。あの男が現れたってのは、本当か?」
「…………あぁ」
王都にて突然現れた悪魔騒動。表向きは蒼の薔薇と漆黒が協力して討ち倒したことになっているが、当の本人たちは真っ赤な嘘だと知っている。
多少の目撃者がいるのだろう、噂の中に紛れるのは件の男ーーー亡剣の存在。
深くため息を吐いたガガーランが天を仰ぐ。
「かーっ、マジかぁ………でけぇ借りが出来ちまったな」
軽い口調で零したが、その言葉は重い。アダマンタイト級の冒険者が手も足も出なかった悪魔を、単独で討伐したのだ。
それも、素性のよく知らない、異質な男の手によって。警戒をしてしまうのも無理はないだろう。
「なぁ、おチビちゃん。マジで何者なんだ、あいつ?」
「調査の時からずっと、誤魔化したまま」
「報告もあげてないから、私たちの信用も落ちた」
ティアとティナの言葉は尤もで、イビルアイとしてもそこは申し訳ないと思っている。異変の調査の中で遭遇した時は誤魔化して、その正体を隠蔽していたがここいらが限界だろう。
重いため息を吐いて、懐のマジックアイテムを起動。万が一のための、盗み聞き防止のアイテムが周囲に膜を張り、盗聴を防ぐ。
口外するなと、暗に示したイビルアイ。ついに話すのかと生唾を飲む他の面々へと視線を移し、諦めた様にもう一度ため息を。
「先に言っておくが、私も詳しくは知らん。ただ、面識があるだけだからな」
そう前置きをして、イビルアイは言葉を紡ぐ。
「古くは五百………いや、おそらく六百年前の話だ。奴はその時代から存在している。少なくとも、私が知る限りではな」
「………イビルアイ、珍しくおふざけ?亡剣はエルフだった?」
最初から理解不能な情報に、思わずティナが突っ込む。けれど、それが全員の総意であり、ティナを責める声はあがらない。
だから嫌だったんだ、と口の中で愚痴を転がして、話を続ける。
「人間だよ、あいつは………一応がつくがな」
「だが、六百年前からいるって言われても、はいそうですかで納得いかねぇだろ。六大神や八欲王の仲間だ、って言われた方が納得するぜ」
「ガガーランに同意。見た目からしてもありえない」
「言っただろう。私も人伝でしか聞いてないんだ、詳しくは知らん。」
イビルアイとしても、その話がどこまで本当なのかは掴めていない。白金の竜王の話によれば、恐らくその時代だろうという事しかわからないのだ。
裏付けを取るにはあまりにも昔で、方法もない。半信半疑で対応するしかないのだ。
「そこからずっと、今の今まで剣を振って、理不尽に刃を向けて来たのがアイツだ。私も最初は驚いたよ、御伽話の存在が実在してるなんて」
イビルアイがまだ人として生きていた頃から続く、理不尽に抗う人間の話。正体不明のそれを当時の自分は恐れと、ほんの少しの憧れを抱いていたが、蓋を開ければとんでもない。
剣を振る以外は何できない、所謂ダメ人間に尊敬と恐怖の念は消えていた。
「十三英雄と行動を共にした?」
「いや、偶に鉢合わせするくらいだった。アイツときたら、話は聞かないわ、勝手に行動するわで、まったく…………」
当時を思い出してイビルアイが愚痴を零すが、その声は柔らかで、懐かしい記憶を噛み締める様で。
自然と顔が綻んだラキュースの、温かい視線に気づいたイビルアイ。こほん、と咳払いで誤魔化して話を続ける。
「こほん…………魔神討伐に直接の関わりはないが、奴は世界を覆う程の悪魔の群れを、命懸けで掃討した。あいつがいなければ今頃、悪魔が世界を支配していたかもな」
「そんな御伽話、聞いた事ない。リーダーの集めてる英雄譚にも書かれてなかった」
「ちょ、ティア⁉︎」
いつの間に読んだの⁉︎と驚愕するラキュースはさておき。
「ならば聞くが、一体一体が魔神とそう変わらない実力を持つ悪魔の群れを、単独で掃討したと話して信じるか?」
「冗談にしては酷い。イビルアイのジョークセンスは皆無」
「私も冗談だと思いたいよーーーだが、この目で見た事実だ」
ティアの言い分も納得できる。イビルアイとしても、実際に目にしなければタチの悪い冗談としか捉えなかっただろう。
「つまり、亡剣は六百年前から生きていて、二百年前には悪魔の群れを掃討するほどの実力者って事ね………」
御伽話だとしても酷い設定だ、とラキュースが頭を抱える。
これは確かに報告を上げなくて正解だ。鼻で笑われるのがオチであるし、信用問題に関わる。そも、御伽話の存在が実在していた、なんて時点で嘲笑されるのだが。
「あ!そしたらラキュース、闇の人格と入れ替わったらヤベェんじゃねぇか?」
思い出したように、ポンと手のひらの上に拳を置いたガガーランの言葉に、思わずラキュースが吹き出す。
取り止めのない、ただの妄想という名の秘め事。けれど、仲間達はそうは思わなかったようで、真剣な表情で会話を続ける。
「あぁ、前に言っていたな。魔剣キリネイラムが持つ人格だったか?」
「そうそう。下手すりゃ一国を滅ぼせるんだっけか?万が一、亡剣がそいつを見抜いたらどうするよ?聞いてる限り、見逃しちゃくれねぇだろ?」
「そうなる前に取り押さえる?」
「無理。私たちの首が並ぶだけ」
「ふむ………実害がない限り大丈夫だと思うが……………ラキュース、そいつは抑えられそうなのか?」
「え、えぇっと………」
言えるわけがない。単なる空想だと。自分がかっこいいと思っただけの、ただの設定だと。
しかし、こうも真剣な眼差しで問いかけられては真実を話すのは謀られる。何より、羞恥心で死ぬ自信さえある。
「も、もちろんよ〜………」
上手い言い訳は思い浮かばず、精一杯の誤魔化しは棒読み。盛大に泳ぐ視線は嘘だと自供してるようなもの。
だが、仲間たちの信頼は厚いものであり、同時に厄介なもので。
自分たちにまで隠していたのは制御できると踏んでいるからだ、と思い込み。白々しいまでの演技は切り札の詳細を隠すためだと推理。
ならば、自分たちはその言葉を信じてやるしかないだろうと、視線で語り合っていた。
「こほん………それより、亡剣よ。イビルアイ、旧知の仲だから報告を止めたわけじゃないでしょう?他に隠してる事があるんでしょう?」
先ほどまでの軽口は消え、部屋の空気が引き締まる。投げかけているようであるが、どこか確信に満ちたその言葉に、イビルアイは一瞬だけ言葉を選ぶように視線を落とし、やがて小さく息を吐く。
「…………簡単な話だ」
視線を上げ、部屋の面々を見据える。
「扱えん」
一言。
たった一言であるが、それだけで場の全員が理解するには十分だった。
「王国も、貴族も、冒険者組合も……ああいう存在をどう扱うか、決められるほど上等じゃない」
「…………」
「利用もできん。管理もできん。敵に回せば被害は計り知れん」
淡々と、事実のみを列挙した言葉。
けれど、その奥にあるものを誰もが感じていた。
「ならどうする?」
ぽつりとティナが零す。仮面の下で目を細めたイビルアイが答える。
「触れない事、それが最善策だ」
仮にその存在が認められたとして、その戦力を国が放置しておくはずがない。縛られ自由を剥奪される事を、当の本人は良しとしないだろう。
個人や組織では当てはまらない、嵐のような暴力装置。それが亡剣と言う存在である。
「…………昔から、そうだった」
ぽつりと、誰に向けるでもなく零される。
「目を離せば勝手に動く。縛ろうとすれば斬る。だが放っておけば、勝手に理不尽だけを斬っていく」
ほんの一瞬だけ、懐かしむように目を細めて。
「だから私は、関わらないと決めた」
仮面の奥の視線が、わずかに揺れる。
「……あいつを、利用しようとした連中がどうなったかも、知っているからな」
しん、と静まり返る室内。
それぞれ胸中にあるものを言語化できずに苦しんでいた。
そんな空気を影で見守る悪魔の存在など、誰も知らない。
ただ一つ確かなのは、触れてはならないものに触れた者がいる、という事実だけだった。
◇◆◇◆
●悪魔の苦悩●
「ーーー以上が影の悪魔からの報告となります」
「そうか………ご苦労であった」
「ありがたきお言葉」
ナザリック第九階層、スイートルーム。空き部屋を改装した執務室にて、デミウルゴスが恭しく頭を下げる。
その先にいるのはナザリックの主人であり、最後までこの地に残ってくださった慈悲深き御方、モモンガーーーアインズ・ウール・ゴウン。
その威光に触れるたびにデミウルゴスは背筋が伸びる思いであり、同時に感涙に咽び泣きたくなる。
ただの報告と言えど、こうして言葉を交わすだけでもその思いは変わらず、胸中は熱くなるばかり。
けれど、それとは別に湧き上がる不安があるのも確か。
「ふむ…………引き続き、影の悪魔や八肢刀の暗殺蟲を使って情報を集めよ。アルベド、その統括を頼むぞ」
「かしこまりました」
「デミウルゴスは引き続き、そのサポートを頼みたい」
「かしこまりました」
至高の御方の命令は絶対であり、デミウルゴスとしても反論するつもりはない。だが、僅かに勝ち残る様な笑みを浮かべるアルベドが視界に入るたびに、つい思ってしまう。
自身は、役に立っているのだろうか、と。
「デミウルゴス、退室なさい」
「はっ!では、失礼します」
アルベドの指示で部屋を出るデミウルゴス。仕事はまだ山積みであり、やることはたくさん。
毛足の長い絨毯が敷き詰められた廊下を歩きながら、考えるのは常ならば複数の物事。だが、今頭の中にあるのは不安だ。
(…………なぜ、アインズ様は私をナザリックからお出しにならない?)
失っていた記憶は戻っていないが、当時の自身がやろうとしていた事は既に把握している。
部下からの報告は筒がなく行われ、問題は何もない。だが、現場へと向かうことはアインズから固く禁じられている。
それも、デミウルゴスだけではない。NPC全員だ。今外に出ているのは、情報収集のためのモンスターのみ。
近場のカルネ村でさえ、監視の目を置くだけの徹底ぶりだ。
(まるで、何かを恐れているかのような…………いや、それはあまりにも不敬。アインズ様にはきっと、私ごときでは到底考えつかない策を練っているはず…………)
けれど、その策が何かわからない。だからこそ、デミウルゴスの行動はより一層制限され、身動きが取れなくなる現状。
(これが、もし、意図されたものだとしたら…………それはつまり、私は、アインズ様に見限られてーーー)
その先を考えて、デミウルゴスの顔は青くなる。喉奥にイガイガとした違和感が生まれ、心臓が握りつぶされたかのようにキュッと引き締められる。
荒れ狂う内臓が内容物を押し上げようとして、慌てて口を押さえた。
(そ、んな………そんなはずはない‼︎あの御方は、慈悲深き御方‼︎見捨てるなど、そんな…………そん、な…………)
いくら慈悲深いと言えど、ナザリック外の人間に敗れ、あまつさえその情報を持ち帰れなかったのだ。役立たずと罵られ、見捨てられてもおかしくはない。
考えれば考えるほど、その深みに入っていく。
(最悪、私個人のみが見限られるのならばまだいい。だが、もし、万が一、このナザリックを見捨てられてしまったら………‼︎)
それは何と恐ろしいことだろうか。至高の御方が残らずお隠れになるなど、考えたくもない絶望。
足元が覚束なくなり、ふらついたデミウルゴスが壁にぶつかる。そのままズルズルと床へと腰を下ろし、みっともなく座り込む。
荒くなった呼吸を整えようとしても治らず、どころか視界が眩む。喉の奥から迫り上がってくるものを押さえ込みながらも、デミウルゴスの優秀な頭脳は思考を止めない。
(なにか………何か打開策を‼︎ 何でもいい、アインズ様の意図を探れ‼︎ 最早私には、それしか残されていない‼︎)
入室から報告、アインズの指先一つの動きまでをも鮮明に思い出すが、やはり何が狙いなのか理解が及ばない。
考えつくのはNPCたちを守るためという、ありきたりでありえない、都合のいい妄想だけ。
ナザリックでも最高峰の頭脳を持つと謳われながら、この程度の力しかない事に苦悶の声を漏らし、同時に創造主であるウルベルトへの懺悔が胸の中に溢れる。
「デミウルゴス………?」
だからこそ、頭上から聞こえた声への反応は鈍かった。
恐る恐る、まるで捨てられる事を覚悟した犬のような弱々しい表情で見上げれば、そこにいたのはセバス・チャン。
「どうしたの、ですか…………?」
「セバス………」
口から漏れた声色はあまりにも儚く、弱々しい。その様子はあまりにも普段とかけ離れ過ぎていて、思わず瞠目するセバス。
創造主であるたっち・みーとウルベルトの仲が悪かったせいか、セバスとデミウルゴスの仲もいいとは言えない。
けれど、今のデミウルゴスを見捨てることはできず、思わず手を差し出した。
「こんな所で蹲っていては、掃除の邪魔になるでしょう。立てますか?」
「あ、あぁ………いや、大丈夫だよ」
そう言ってセバスの手を借りずに立ちあがろうとするが、未だ恐怖が残っているのだろう。脚が震えている。
倒れそうになるデミウルゴスをセバスが受け止め、肩を貸す。
「あまり無理をなさらず。貴方はナザリックには無くてはならない存在なのですから」
「いいや、私など、ナザリックの面汚しだよ…………離してくれ。まだやる事があるんだ」
「それはできません。一度休んでいただきます」
「ッ‼︎ 離せと、言っているんだ‼︎」
戦士職であるセバスを転ばせる事は出来ずとも、気を抜いていたせいか身体を押されたセバスがタタラを踏む。
嫌味たらしくはあるが、ナザリックの者を誰よりも大切にしていたはずのデミウルゴスが、まさか手を上げるとは思わず強く困惑するセバス。
それにさしたる興味を示さず、デミウルゴスはぶつぶつと口の中で考えを溢しながら、ふらふらな足取りで歩きだす。
「そうだ、アインズ様は私を試しておいでなのだ…………そうだ、そうに違いない…………この限られた手札の中で、最高の結果を出すための、試験を…………」
「で、デミウルゴス………?」
「もしこの状況を読み解けなければ、私はデミウルゴスではない………ウルベルト様に創造された
セバスの声は届かず、指輪の力にてその場から転移するデミウルゴス。
残されたセバスの困惑は止まる事を知らず、頭の中にあるのはなぜあの状況に陥ってしまったのか。
(亡剣………彼の、仕業ですか………)
あのデミウルゴスがここまで壊れたのは、恐らく亡剣の存在が原因だろうと当たりをつける。
弱者を救う、正義の剣と認識し、セバス個人としてはほんの少し尊敬をしていた存在。
しかし、ナザリックの仲間を殺し、あまつさえその精神に深い傷を残したとなれば話は別だ。
その憤怒を握り、奥歯を噛み締める。
竜人の静かな怒りは大気を揺らし、その瞳を燃やすのであった。
◇◆◇◆
●過ぎた者●
意識が浮上する。
視界に入るのは見慣れない景色。鼻腔を擽るのは嗅ぎ慣れない部屋の匂い。視線を下へと落とせば、ぷくぷくとした柔で小さな掌。
力を込めてみるが、指は頼りなく震えるだけだった。
おかしい、と頭を捻る。
己は神を名乗る化け物に、確かに殺された筈。
けれど、五体は無事で、どころか若返っていることは視線の高さから推測できる。
ともかく歩き出そうと腰を上げる。しかし脚は思うように動かず、そのまま前のめりに転倒。
床に額をぶつけた衝撃で、肺から情けない息が漏れた。
「まぁ、この子ったらやんちゃなんだから………でも、よく泣かなかったわね」
突然聞こえた声と浮遊感に動揺と、謎の安心感。
胸に抱かれようやく、自身が赤子になっていることに気がついた。
何の冗談だと、悔しさと羞恥から暴れるが自身を抱く女性が痛痒に感じた様子もない。口を開き、言葉を紡ごうとする。けれど、出てきたのは意味をなさない音だけだった。
「はいはい、ご機嫌ななめなのね。私の可愛いーーー」
一定のリズムで背中を叩かれて、肌で感じる心音に安心感を覚えて眠気が襲う。
うつらうつらと船を漕ぎながらも抵抗するが、けれどそのうち睡魔に沈められた。
それから少しして、ようやくこれが夢幻ではないことを理解する。
運命の悪戯か、生まれ持った異能なのか、それは理解できない。
だが、頭の奥に残るのは、断片的な光景。焼け落ちた村。誰かの叫び。伸ばされた手。
それらが何であったのか、思い出すことはできない。だが、胸の奥に残るものだけは、確かだった。
ーーー力が欲しい
理不尽に抗う力を
無道を許さぬ力を
幸いな事に父親は剣士らしく、幼き頃から剣を振るう鍛錬は詰めた。
女の身でありながらと、母親は嘆いていたが、それでも剣を振る事に躊躇いはなかった。
なぜ剣を振るうのか、その理由を言葉にできたことは一度もなかった。ただ、そうしなければならないと、どこかで知っていた。
背丈も伸びて、剣の腕も認められるようになったころ、村に盗賊が押し寄せてきたと警告の音が鳴る。
父やその他の自警団と共に討伐へ。
けれど、盗賊たちの数は多く、練度も高い。たかが稽古で剣を振っていただけの自分では届かず、いつの間にか自警団は全滅。
父は己を庇って死に、遠くで略奪に抵抗した母が殺される。
必死に構えた剣先は震え、盗賊たちの下卑た笑みに怖気が走る。前にも一度、このような光景を見た気がした。だが、それがいつのことなのか、思い出せない。
それでも、剣を下ろすという選択だけは、最初から存在しなかった。
虚勢が混じった声を上げて、剣を大きく振るう。抵抗しないと思っていたのか、盗賊の一人の腕へと落ちた剣。
肉を裂き、その奥の骨へとぶつかり血が吹き出す。盗賊の悲鳴と、初めての感触に動揺で震えていれば、腹に生まれる灼熱。
見れば目の前の盗賊の剣が腹部を刺しており、喉奥からごぽりと血が溢れる。
耐えきれず倒れた己を罵り、足蹴にする盗賊たち。痛みと寒気に震えながら、再び己の意識は途絶える。
次に目を開けた時には、剣を握っていた。
なぜそうなったのか思い出せないわけではない。ただ、手の内に収まる重みだけが、妙にしっくりときた。
鍛錬と称してモンスターへと挑み、そして殺された。
また次に目を開けた時も、剣は手の中にあった。
怒りだったはずだ。憎しみだったはずだ。
だが、それが何に向けられていたのか、もう思い出せない。
ーーー否。思い出せないのではない。
思い出す意味が、もう残っていないのだ。
それでも、感情だけが、かすかに残っている。
ーーー目を開ける。
灰色の瞳が、微かに揺れていた。