「キシャーッ‼︎‼︎」
全長十メートルに及ぶ、蜥蜴にも蛇にも似た生物、ギガント・バジリスク。その鎌首を持ち上げ、狙う先にいるのは一人の男。
トブの大森林の奥に潜み、アダマンタイト級冒険者でなければ相手にならないとされている恐怖のモンスターは現在、恐怖から声を上げていた。
自分以外は全て餌、と思っていた存在。森が破壊され、新たな棲家を探す内に遭遇した目の前の男から早く逃げろと、本能が警鐘を上げている。
けれど、その巨体は意思に反して動こうともせず、ただ震えるばかり。普段であれば頼りになる石化の視線も、猛毒の血液も、この男には通じないと、本能的に理解していた。
対して男は、バジリスクにさしたる興味を見せず、ただ虚空を眺めるばかり。だが、男の歩いてきた道に転ぶのは首なしのモンスターの死体。
バジリスクと同じ様に棲家を奪われ、そして男を襲おうとした末路だ。その中には三大と呼ばれるトブの大森林の支配者の一体、東の巨人とも呼ばれるトロールの姿も。
バジリスクの知能は高くなく、トロールの死体のこともよく知らない。だが、そのトロールが強者であったことは理解できる。
虚勢を上げる口は開いたまま、その牙を男に向けることはできない。硬直した身体は逃走さえ許してくれない。
「…………疾く、
そうしてどれほどの時間が経ったのか。ぽつり、と男が音を漏らす。人の言葉は理解できないが、それが赦しだということは本能が理解した。
先ほどまでの硬直はなんだったのか。背を翻し破壊された森の奥へと身体をくねらせて逃走するバジリスク。それを一瞥することもなく、男の視線はモンスターたちの死体の先、破壊の余韻が残る戦場跡へ。
広範囲に降り注いだ隕石の破片は樹々や大地を穿ち、土砂により消火された焼け跡に命の痕跡は見当たらない。
切り裂かれ、隆起した大地が元に戻ることはなく、その不安定な足場は今後雨が降れば崩れ、風が吹けば土砂が流れるだろう。
その灰色の瞳に感情は浮かばない。長い時をかけて摩耗した心も、罪悪感という名を思い出せない。けれど、微かな記憶の残滓が脳裏にちらつき無意識のうちに男は刀の柄を強く握っていた。
「随分と派手にやったね」
背後から聞こえたその声に、男の意識が戻される。敵意も殺気もない故に放置していた存在に視線を投げかければ、そこにいるのは白金の鎧。
「…………誰、だ」
「はぁ、またか………私だよ、ツアーだ」
「………知ら、ぬ」
「まったく、いい加減覚えてほしいものなんだけどな………とりあえず、君と敵対するつもりはない。それはわかるだろう?」
それは理解しているのだろう。男が刀を抜く様子はなく、その瞳は白金の鎧のその奥ーーーここから遠く離れたツアー本体を見据えているようにも見える。
ツアーからすれば、男は人間と呼ぶにはあまりにも規格外な存在。200年前も、そして今回も、世の理不尽に抗ってみせた呪われた存在。
「それで、今回はどうだったのかな?相手はえぬぴーしーのようだったけど、その手応えは?」
「…………我、無道を、斬るのみ」
「その割にさっきのモンスターやえぬぴーしーの一人は見逃したみたいだけど?どちらも人の世には脅威だろう?」
「…………無道に、非ず」
ああ、またそれか。と心の内でツアーは愚痴を溢す。
男は、亡剣と呼ばれる存在は、何も無作為に刀を振るうわけではない。自分なりの基準があり、その基準からはみ出した者を斬る。
ツアーとしても対プレイヤーの手札として頼もしい反面、こうしてその基準を抜けた存在を見逃すのは玉に瑕である。もっとも、そのような存在であれば既に評議国が動き出して人間種など滅ぼしているだろうが。
(まぁ、その場合どれだけ被害が出るかなんて、考えたくもないけどね)
いくら強大とはいえ、個は個。複数の竜王が連携すれば、単独で評議国を堕とすことは不可能だろう。だが、無視できない被害が出ることも事実。結局、この男は縛ることはせず、適度に進む方向を修正してやればいいのだ。それが互いのためであり、適切な運用なのである。
「まぁ、いいさ。それで、どうするつもりだい?ぷれいやーは未だ姿を現すつもりはないらしい。もしかすれば、今回は転移していない可能性もあるけれど………そう楽観視はできないからね。探すのなら手伝うよ?」
「…………無道、ならば」
「強大な力を振るう存在だよ?それで泣く存在は生まれるよ」
「…………汝も、変わらぬ」
「ーーー失礼だね。私とぷれいやーが同列だと?」
白金の指が、微かに軋んだ。
声色は変わらない。だが、遠隔操作の鎧越しにも、その怒りは隠せなかった。
何せ、世界を狂わせる存在と変わらないと、そう言われたのだ。聞き逃せる言葉ではない。ここで殺すことはしないが、今回の件が片付き次第それも有りかもしれないと考える程には煮え滾る怒り。
世界最強とも言われる竜種の怒りを一身に浴びているというのに、男の様子は変わらない。ただ感情の読めない、凪いだ瞳はツアーの神経を逆撫でするだけ。
「君は、その行動で人間の世が終わるとしても、抗うのかい?」
「ーーー無道を捨て置く、道理にならぬ」
二人の間に流れる、痛いほどの静寂。先ほどまで風に揺れていた樹々さえもその動きを止め、二人の行く末を見守る。そして先にため息を溢したのはツアーの方だった。
「はぁ………わかったよ。ここは私が折れてあげよう」
「…………無道に堕ちる時、刃は汝へ向く」
「はいはい、わかったわかった」
終始熱の変わらない男の言葉を聞き流し、ツアーは脳裏で計算する。
過去、男の背に憧れて弟子を自称する存在は、人間種に限らず複数いた。十三英雄の中にもいたのだから、刺さる者には刺さるのだろう。彼らが興した道場は各地に存在しており、志同じくする同胞と日々切磋琢磨している。それらを利用すれば、男の代替品ができるかもしれない。
(万が一のために殺さずに置いておく方が無難かな。こいつと同じ力を持つ個体はそう生まれないだろうし)
人間とかけ離れた存在であり、そして自らこそ世界を守る者だと信じる竜王。ツアーからすれば男は所詮、強大な力を偶然手に入れた矮小種。その戯言に過ぎない自身の心に言い聞かせ、怒りを押し殺した時、ふと森の奥から叫び声が聞こえた。
知性ある声ではなく、本能的な恐怖に怯える音。反射的に振り向けば、先ほど男が見逃したはずのバジリスクが再び向かってくるではないか。
バジリスクに発達した声帯はなく、音とも声とも取れない悲鳴を上げる様はまるで何かに追われている様子。
そして次の瞬間、その背後から伸びた木の根の様なものがバジリスクに突き刺さる。
一本、二本とバジリスクの硬い鱗を易々と突き破り、瞬く間にその巨体から血液を吸い上げてしまう。あっという間に全身から血液を吸い尽くすと、根の群れは次なる獲物を定めるようにその先端を男へと向けた。
「あれはーーー」
「ーーー斬る」
「待て、迂闊に刺激してはーーー‼︎」
刹那、弾丸の様な速度で迫る根の群れ。けれど、その時すでに男の姿はそこになく、代わりに撫で切りにされた根が残るだけ。
制止のために伸ばした手は空を切り、ツアーは根が伸びてきた方向に顔を向けると、全てを察して重たい息を吐く。
「ザイトルクワエ………数百年前の遺物………封印したって話だったけど、緩んでしまったみたいだね」
かつて、古の竜王たちにより森の奥深くに封印された個体。数百年ぶりの寝覚めは悪いらしく、今も尚触手のような根の群れが獲物を求めて森の中を蠢く。完全に復活すれば大森林は勿論、人間の生存圏は壊滅するだろう。
男がそれを許すとは思えず、だが討伐できるかどうかは怪しいラインだ。何せ、封印から漏れ出た触手の討伐でさえ、十三英雄の内七人の力をもってしても苦戦を強いられたのだ。その本体を、ましてや一人で倒すことなど不可能に近い。
(手を貸す………いや、無駄な手間だ。私やあいつだけで挑んでも意味はない。封印が完全に解ける前に竜王を集める。それまで人間がどれだけ残るかは、もはや考慮している場合じゃないね)
ザイトルクワエは確かに強大であり、闇雲に挑んでいい相手ではない。評議国に戻り、竜王たち総出で討伐できるかどうか。
その間に人類はほぼ壊滅するだろうが、必要な犠牲と割り切るほかない。白金の鎧はその場で音を立てて崩れ落ち、遠隔操作を止めたことを周囲に知らせる。
ツアーは気づいていない。
その思考は絶対者故のものだということを。毛嫌いしているプレイヤーたちと変わらない事を。
崩れた鎧に森の奥から伸びる触手は興味を示さず、近場にいたモンスターの血を求め更に範囲を広げる。
けれど、その数は徐々に減っていき、最後に巨木が倒れる音が響き、森には静寂が訪れるのであった。
◇◆◇◆
凡そ二週ほどの時をかけて、漆黒の剣たちは目的地であるカルネ村へと辿り着いた。そこで目にした光景に、思わず全員が言葉を失くす。
「そん、な………」
ぽつり、と最初に言葉を溢したのはエンリ。その後ろのネムとンフィーレアは言葉さえ出ず、ただ茫然と目の前の景色を眺めるだけ。
それも仕方ない、とペテルの冷静な心が叫ぶ。何せ、村があったとされる場所に残されたのは破壊の痕跡のみなのだから。
漆黒の剣も一度だけ訪れたことがあるからこそ、元の景色との差異に言葉を禁じ得ない。
小さいながらも、活気のあった村は森から一直線に続く破壊痕を皮切りに、村を守るための壁も、団欒していたであろう家も、何もかもが瓦礫と化してしまっている。
とても人が住める環境ではなく、生存者がいるとも思えない。
ここに来るまでの道程も、従来よりも桁外れに強いモンスターから逃げ隠れたり、遠回りしたりと、決して楽なものではなかった。だが、目の前の光景に比べれば、道中の苦難さえ可愛く思えてしまう。誰よりも早く駆け出したエンリを、止める事さえ忘れてしまうほどに。
「っ!エンリ、ダメだ!」
「おねえちゃん‼︎」
「ちょ、ンフィーレアさん!離れないで!」
「ネムちゃんも、離れちゃダメだ!」
「ニニャ、ダイン!ンフィーレアさんとネムさんの護衛を頼む!ルクルットは周囲の警戒!俺はエンリさんを連れ戻す!」
言うが早いか、すぐさまエンリの後を追うペテル。いくら惚けていたとはいえ、相手は村娘。銀級とはいえ冒険者であるペテルが追いつけない理由はない。
「だ、だれか………!誰か返事をして!ジュゲムさん!みんな‼︎」
「エンリさん‼︎」
声を大にして叫ぶエンリの口を、追いついたペテルの手が塞ぐ。手の中で未だエンリは声を上げるが、くぐもった音しか漏れない。しかし、今はその程度の音でさえ出してはならない状況。
エンリを引き連れて素早く瓦礫に身を潜めると周囲を素早く確認。視認できる範囲にモンスターはいないが、不可視の可能性も否定できない。一秒、二秒と、永遠にも思える時間が過ぎ、そうして攻撃されなければおかしい時間が経過してようやく短く息を吐く。
腕の中のエンリへと苦言を溢そうと視線を落とせば、エンリの視線は別の方向へと固定されていた。
釣られてそちらを見れば、ペテルもまた、その先にあるものを注視してしまう。その手が口から離れた拍子に、静かな声がエンリの口から溢れる。
「キュウメイさん…………チョウスケさん………」
二人の視線の先、瓦礫の山に紛れて埋まっていたのは、二匹の狼と二人のゴブリン。余程の衝撃を受けたのだろう、腕や胴体が荒々しく引きちぎられ、残った身体には木材が突き刺さっている。
ペテルたちも一度見た事のある、カルネ村にいたゴブリンたちだ。エンリの言葉に反応を示す様子はなく、また動き出す様子もない。
恐る恐る、恐怖に駆られながらも周囲をよく見渡せば、同じ様な死体は見つかった。
物見櫓があった位置には空の矢筒を握ったまま首をなくした弓兵。怪我人だったのだろう、包帯を巻かれた村人の亡骸に、胸に大穴を開けた神官が覆い被さっている。血の跡を残しながら、通路を転がる兵士たち。
嫌だ、嫌だと首を振っても現実は変わらず、溢れる涙は視界を滲ませる。喉奥から迫り上がる絶叫は、再び塞がれた手によって押し戻される。
掌越しに伝わる震えと、押し殺された嗚咽。それに歯を食いしばりながらペテルは漆黒の剣がいる方向へと視線を向ける。
こちらの様子を伺っていたのだろう、同じ様に瓦礫に隠れていたルクルットからのハンドサインが目に入る。
(周囲に敵影はなし………村の奥に微かな反応…………生存者か?)
同じくハンドサインでルクルットに問いかけるが、判断がつかないとのこと。傷を負ったモンスターの可能性もあるが、もしかすればがある。
暫く考えた後、ゆっくりとエンリの口から手を離すペテル。声を上げる気力もないのだろう、静かに涙を流しながら絶望の淵に立たされたエンリの肩を軽く揺さぶる。
「エンリさん、気持ちはわかります。けど、ここでじっとしていてはいけません。仲間が村の奥に誰かがいると、そう伝えてくれました…………確認に、行きますか?」
「……………………お願い、します…………」
僅かな希望に縋る事さえ今のエンリには難しい。ただ村長として、村の一員として、生き残った者として、その責務だけは果たそうと気力を振り絞っているだけである。
ルクルットにニニャのみを寄越すように指示を出し、残りは待機を。合流したニニャにエンリの護衛を頼むと、ペテルがゆっくりと先行して村の奥へと進む。
一歩足を進める度に、その被害が大きくなっていくのが目に見える。ゴブリンや人間の死体の他に、地面から獲物を丸呑みにする
バジリスクの身体には無数の斬り傷と火傷が刻まれ、その周囲は大地を抉られ、瓦礫と血で荒れ果てている。近くには下半身の潰れたゴブリン魔法使いが、無惨な姿で倒れていた。
そして、倒されたバジリスクの脳天。とどめを刺したのであろう、硬い鱗を貫く剣にエンリは見覚えがあった。
「ジュゲム、さん…………」
近くにそれらしき存在はなく、周囲に視線を巡らせても崩壊した村が映るだけ。しかし、微かに聞こえた物音に、ペテルとニニャが素早く反応する。
「誰だ!」
「エンリさん、僕の後ろに」
剣と杖の先端を倒壊した家屋へと向け、一呼吸。痛いほどの静寂が周囲を包み、そしてゆっくりとその陰から顔を出す。
「エンリ………エンリちゃん、かい………?」
「おば、さま………?」
「…………お知り合いですか?」
「え、えぇ。昔からよくしてもらった人、です………」
ゆっくりと姿を現した女性を見ても、果たして本当に当人なのかエンリには自信がなかった。
何せ、記憶にある通りならばふっくらとした、気の強い女性だったはず。しかし、目の前にいるのは頬が痩け、憔悴と疲労に極限まで蝕まれた存在。とてもではないが同一人物だとは思えない。それでも知り合いだと思ったのは、ひとえに声が似ていたから。
ただそれだけであるが、生存者がいたという希望を捨てることはできなかった。
「ああ、よかった………!アンタは、無事で……!」
「おばさま………ほ、他に、生き残った人は………」
「…………………私以外、三人だよ」
歓喜に満ちていた女性の表情は一転、沈鬱な影を落とす。予想以上の少なさに心を痛める反面、帰りの護衛の心配をしてしまうペテル。
思わず浮かんでしまったその考えを頭を振って追い出し、剣から手を離すことなく女性へと近づいた。
「失礼します。私たちはエンリさんの依頼により護衛の任に当たっている漆黒の剣というものです。他の生存者はどちらに?」
「比較的無事な場所があるだろう。あそこの地下に、避難所があるんだよ。私以外、動けない怪我人と、子供二人だけだからね。こうして食い物を探しにきたのさ」
女性が指差す先、村の一角は確かに周囲と比べると被害は少ない。岩や倒木に押し倒されておらず、モンスターの死体も少ない。まるで巨大な壁が守ったかのような不自然さだ。
「アンタら、冒険者だったね。だったら早くあたしらを連れてっちゃくれないかい?………ここにはもう、住めないよ」
それはペテルやニニャも、そうしてエンリも心のどこかで思っていたこと。今後いくら村を再建しようとしても、努力ではどうにもできないことはある。何より、以前よりも悪化した環境では、故郷といえど捨てざるを得ない。
覚悟していた事とはいえ、いざ言葉にすると重たいものがのしかかり、その重責はそのまま耐え難い苦痛と後悔になる。
もっと早く到着していれば、もっと力があれば。もっとああしていれば、こうしていれば。
まるで我が事のように奥歯を噛み、拳を握るペテルとニニャ。その重たい空気を割ったのは、エンリだった。
「おばさま、ジュゲムさん………ジュゲムさんたちは………」
「っ…………私らが生き残ったのは、あの子達のおかげさ」
エンリの言葉に、女性は食いしばった歯の間から苦悶を漏らすように応える。行き場のない怒りは握り締めた拳を白く染め、その目尻から一筋の涙が溢れた。
「あの子達だけなら、逃げられただろうに………っ!森から出てきたモンスターたちから私らを逃すために、必死でっ!ああっ!」
「おばさまっ………!」
遂には泣き崩れ地面に膝をつく女性を、エンリは同じように膝をついて抱きしめる。互いの肩口を大粒の涙で濡らしながら、女性は嗚咽混じりに思いの丈を紡ぐ。
「わたっ、私ら、逃げるしかできなくて!ジュゲムちゃんたちっ、守ってくれたのにっ!何もっ、できなくてっ!ああっ………ああああっ!」
「おばさま、大丈夫………大丈夫、ですから………!」
「悔しい……悔しいよ………!あの化け物共のせいで、こんな目にっ!私らが、何をしたって言うのさっ‼︎」
女性の嘆きに釣られてエンリが思い出すのは、灰色の瞳をした男。破壊と共に現れ、破滅を残して消えた存在。
確かに、ネムを救ってくれた恩はある。けれど、少なくともエンリには、この惨状を招いた一人としか思えなかった。あの人がいなければと、もしくはちゃんと後始末までしてくれたらと、ついそう思ってしまう。
女性の背中に回した手に自然と力が込められ、白く染まる。背中越しに見えた、倒壊を免れた家屋に力なく背を預ける影。
腕が片方欠け、身体の至る所に傷を負ったその存在は避難所を守り切ったのだ。満足するようにも、守れなかった者を悔いているようにも見える笑みを残して絶命したジュゲムの姿は、エンリの涙腺を更に崩壊させた。
肩を抱き合い、声を大にして泣く二人。それを止める事は、ペテルとニニャにはできない。今この場での最優先は、生存者の救出と退路の確保。一分一秒が惜しい状況であるが、失った物の大きさを無視できない。
やがて、二人の嗚咽が僅かに収まり始めた頃。抱擁を解いたエンリが立ち上がると、ペテルとニニャの方へと振り向く。
「………ここまで連れてきてくれて、ありがとうございます。おばさまや、他のみんなを連れて戻ってください」
「戻ってって………エンリさん、アナタは?」
「私は、やることがありますから」
ちらり、とエンリが視線を向けるのはジュゲムの遺体。放置していればアンデッドと化し、そうでなくとも虫や獣に食われてしまうだろう。
村人を守ってくれた英雄。そして、村のために残ってくれた家族。村長として、みんなをこのまま野晒しにするなど、エンリにはできなかった。
決意を固めたその視線に、ペテルとニニャは顔を合わせる。どうやら二人とも同じ気持ちらしく、仕方がないと苦笑いを溢すとペテルが代表して提案する。
「わかりました。けど、今回の依頼は護衛です。なので、俺たちもお手伝いします」
「………え?そ、そんな、申し訳ないことーーー」
「申し訳なくないですよ。護衛対象を放り出す、なんて僕たちの評判に関わりますから。それに、みんなで手伝った方が早く終わりますよ」
この場にいないダインとルクルットもきっと同じことを言うと、ニニャは断言できる。それは仲間への信頼であり、死んでしまった英雄たちへ敬意を示したいという感情。
これは自分の我儘なのだからと、必死に断ろうとするエンリに、とどめとばかりに目元を拭った女性が立ち上がる。
「ぐずっ…………いいじゃないか。私も、やるよ。ジュゲムちゃんたちを悼んでるのは、アンタだけじゃないんだよ」
「おばさま……………」
いつ森の奥から再びモンスターが現れるかわからない状況。そんな中で墓を作ろうとするなんて、自殺行為だ。しかし、その好意を無碍にすることはできず、口元をきゅっと結ぶとエンリは頭を下げた。
「皆さん、どうか、お願いします………」
「えぇ、勿論。それじゃあ、ルクルットたちと合流をーーー」
言葉を紡ごうとしたペテルの言葉に合わせて、突如として森の方から聞こえたのは巨木が倒れるような音。悲鳴にも似たそれは、距離が開いているのだろう、微かな音でありながらも全員の耳に届くには十分。
聞いたことのない音に、全員の身体がびくりと強張り、そしてその後何も起こらないことに安堵の息を溢す。
「………できるだけ、手早く埋葬しましょう」
ニニャの言葉は、その場の全員の総意であった。
後に、この戦いが英雄譚として語られることはない。ジュゲムたちの名も、彼らが何人を守ったのかも、やがて歴史の中に消えていくだろう。
それでも、彼らに救われた者たちだけは知っている。カルネ村を最後まで守った英雄が、誰だったのかを。
少なくとも、生き残った者たちがいる限り、その名が忘れられることはない。