花火大会の夜、その見物客で混みあったコンビニエンスストアに入店する。いいご身分だな、と仕事着のスーツ姿で浴衣客に毒づきながら、適当に夕飯を見繕おうとしたときに見えたのが彼女だった。カーディガンを纏った制服姿は、珍しいものではないが少し浮いているように見えた。そう何となく向けた視線の先で。
丁度、手に持っていたおにぎりをそっとばれないように上着のポケットに入れる。
思わず周囲を見るが、気づいているのは自分だけのようで。例えば、ここで彼女を見逃すことは簡単だろう。下手に関わって、こちらに飛び火しても厄介だ。しかし、
「それ、やめた方がいいよ」
ポケットに突っこまれたままの腕を掴む。少女は薄紫の髪を揺らしながら驚いた表情をギャラ子に向ける。腕を掴んだ相手が同性で、周囲に人もいる手前、それらしいリアクションを取れずに困惑した視線を向けるだけ。そんな少女の様子に、はぁ、と溜息を一つ。
「それ、寄越して」
「えっ…」
「いいから」
そう言ってポケットから取り出した手に握られたおにぎりを、ギャラ子は自分の持っていた買い物かごに放り入れた。ぽかんとして立ち尽くす少女の視線を感じながら自分の分のおにぎりをぽんぽんとかごに入れていく。
「飲み物とかは?お茶とか買わないの?」
「で、でも…」
「じゃあ、適当に緑茶にしとくから」
多少強引にした方がいいとギャラ子は、少女を連れ歩くようにして店内を回る。問答無用といった様子に気圧された少女はただただ彼女の後ろをついて回る。結局、そのまま会計を済ますまで少女はギャラ子の後をついて歩いていた。
「すみません、お金出してもらっちゃって…」
「まぁ、本当にね。見つけたのが私じゃなかったら最悪退学もんよ」
花火帰りの喧騒から僅かに離れた公園の東屋で、先程買ったおにぎりを食べながら話す。申し訳なさそうに少女はお茶もおにぎりも開けず縮こまる。
「で?なんでこんなことしたのさ、お金でもないの?」
半分冗談の様に、ほうじ茶をくい、と傾けながら訊ねる。まさかそんなことはなかろう、どうせ、ストレス発散とかだろうと考えて。
「…はい」
しかし、悲痛な面持ちでそう肯定した横顔にギャラ子は自らの軽率さを恥じ後悔した。あぁ、明らかにマジなこのパターンは考えてなかった、と。
「…聞かれたくなかったらごめん。親は?」
「…母が。父は、五年前に離婚してそれきりです。連絡は取ってません。…その、携帯とかもないので」
「母親がいるならお小遣いとかもらえないの?最悪、食費は出してくれるんじゃ…」
「その、先月までは、貰えてたんです。その前も『これで適当に済ませておいて』って感じで、月に二、三万円くらい。それで何とか生活してたんですけれど、高校に入ったくらいから、家に帰ってくることもほとんどなくなって、それで…今月からは、一度も…」
そこまで言って、堪えられなくなったのだろう。膝上に置いたペットボトルの蓋に額を当て、遂に何も言わなくなった。正確には、言えなくなった、だろう。肩を震わせて、嗚咽を漏らし始めた。はぁ、と思わず溜息を漏らしてギャラ子は僅かに空いていたベンチの距離を殆どゼロにして少女の隣に座ると、ぐい、と肩に手を回し彼女を抱き寄せる。
「言いづらいこと聞いてごめん。こういうこと言えた口じゃないけどさ、とりあえず肩なら貸すから吐き出せる分は全部吐き出しちゃいな。さっき買ったのも食べて、さ。お腹減ってるでしょ?」
それで、堰が切れたのだろう。少女は貸された肩に顔を埋めるようにして、涙を流し始めた。ぐすり、ぐすり、と殆ど声も出さず、その代わりに何分も、何十分も泣き続けた。
「落ち着いた?」
「はい…、すみませんでした…」
「謝らなくていいよ、君は何も悪いことなんかしてないんだから」
万引きはどうかと思うけど。そう言って、ギャラ子はまだ少し震える彼女の背をぽんぽんと叩く。
「それで、これからどうするつもり?家に帰っても、なんていうか、当てなんてないでしょ?」
「いや、それは…」
「当てがあったら最初に行ってるでしょ?」
「う…」
「…よかったらさ、ウチ来ない?ちょっと散らかってるけど」
「で、でも、これ以上迷惑かけるわけには…」
「そうしたら、私以外の誰かに迷惑かけるでしょ。乗り掛かった舟だし、今日くらいはとりあえずウチに来な?」
「…は、はい」
***
「うぁあ~…、…ソファ?」
起き上り、寝ぼけ眼で少しの困惑。何故ベッドでないのだろう、酔った覚えはないぞと考えて。
「あ、お、おはようございます」
碌に使ってないキッチンからのいい匂いで、昨夜のことを思い出す。そういえば、彼女を保護したんだったか。それにしても、このいい匂いは何だろうとひょいと覗く。そこには綺麗な卵焼きに、多分味噌汁だろう食慾をそそる香り。
「何か、お礼しないとって…。その、家事とか料理は昔から家族に任されてたので、使ってもよさそうな食べ物使わせてもらいました。…迷惑、でしたか?」
そう、上目遣いで尋ねてくる少女に無言でつかつかと近づいていく。怒られると思ったのか、ひっと小さく声を漏らした彼女の小柄な体をギャラ子は、
「あー…さ、いい子過ぎない?朝ご飯なんて何年ぶりだろ?」
抱きしめながらよしよしと少女の頭を撫でる。大袈裟ではなく、ギャラ子は一宿一飯の恩義に報いる少女に感動すら覚えていた。下手すれば財布の中身を盗って起きる前にとんずらするかもとさえ考えていた自分が情けないことこの上ない。
「あ、あの、くるしい、かもです…」
「あ、あぁ。ごめんごめん」
ぱっと彼女を離してギャラ子は、じゃあ食べよう、と喜々として食器を用意する。それに一安心したように少女も笑みを零した。
こうして誰かと向き合っての食事はいつぶりだろう、と少し浮かれ気分で味噌汁を啜る。カレー用に買ったものの、今の今まで存在を忘れられていた玉ねぎと人参も痛む前に美味しく調理されて嬉しかろう。遠慮がちに卵焼きに箸を伸ばす少女がいじらしく、こちらの箸も自然に動いてしまう。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまです」
久方ぶりの朝食に充足感を覚えながら少女のてきぱきとした片づけを手伝う。綺麗に表れた皿を拭いて棚に戻しながら、そう言えばとギャラ子は聞いた。
「ごめん、大切なの忘れてた」
「す、すみません…。なん、ですか?」
「そんなに怯えなさんな。聞いてなかったと思うけど、名前ってなんていうの?」
「し、雫です…。結月雫…」
「そっか、よろしくね。雫」
「は、はい…。よろしく…?」
「うん、よろしく」
意図が掴めないといった様子で首を傾げる雫に、ギャラ子は言う。
「これからはさ、何か困ったらうちに来なよ?お腹減ったとかそんな理由でも全然いいから。これも何かの縁ってことで」
「で、でも…」
「あー、じゃあその代わりにお願いするわ。毎週ご飯作りに来てよ?材料は適当に買いそろえておくからさ」
そうウインクしながら自分の頬を撫でるギャラ子の手がくすぐったいのか、軽く身を捩るけれどそこまで嫌がる素振りは見せていない。これは、肯定でいいのだろうか。
「どう?聞いてくれるかな?」
「あ、あの、私からもいいですか?」
「ん?」
「その、迷惑じゃなかったら部屋の片付けとか、洗濯とかお手伝いしてもいいですか?」
「…え?」
その日から、ギャラ子の生活は大きいような小さいような、兎に角明らかに変わっていった。
週に一日二日訪れる高校生家政婦は甲斐甲斐しく自分の世話を焼いてくれる。今までは二週間など平気で洗濯を溜め込んでは着ていく服に困ることもあったズボラ生活が、雫が来てくれたことによって毎日ぴしりと決まった服装で出社できるようになった。
また、元々仕事の忙しさにかまけて碌に掃除もしない自分の代わりに床やテーブルに適当に置いた本や書類の整理から、窓枠や換気扇に至るまでの汚れ取りまでやってもらっている。高校生で覚える知識なのかと聞いてみたくもあるが、その先は触れてはいけない気がして聞けず仕舞いでいる。そもそも、わざわざ聞くことでもないだろうとぼんやり考えた。
そして、帰った時に温かいご飯が待っているのが何よりもギャラ子の生活を豊かなものにしていた。今までは面倒くさがって牛丼屋とかコンビニ弁当で適当に済ましていた味気ない食生活が、雫が来る日については今日のメニューは何だろうと楽しみにしている自分がいる。たまに平日に来た時など、早起きして作ったであろう弁当がテーブルの上に置かれているのを見ると涙が出そうになる。
家事をしてくれるそれ以外にも、雫の存在はギャラ子の日常を大きく変えていて。流行に疎い仕事一辺倒な自分と、そもそも追いかける余裕のなかった彼女。そんな二人が揃ってどういうわけか、流行りの映画や漫画なんかに興味が向けられるようになった。雫と共にレンタルしてきた映画を二人並んで干渉しては稚拙な感想で盛り上がるのがあれほど楽しいとは思ってもいなかった。それに、たまの休みに買い物へと連れ出し、雫を着せ替え人形にするのも最近のお気に入りの一つ。自分の服は機能的であればそれでいいで終わるが、自分よりよほど素材のいい雫に似合う服を着させて褒め倒して恥ずかしがる雫の姿はギャラ子を存分に楽しませていた。
知らず知らずのうちにギャラ子もまた雫に救われていたのかもしれない。少なくとも、仕事一辺倒で空き時間を無為に過ごすような、自分でもつまらないと思うような人生に色彩を与えてくれたのは、紛れもなく雫だとギャラ子は確信していた。
***
二人で過ごす時間が日常の一ページになりつつあった冬の日、ギャラ子は雪の積もった帰り道を歩く。突然の出張について前日に告げられ、雫にそれを伝えることもできないままに二週間。疲労困憊の身体を引き摺って心の中で上司に悪態をつきながら帰路を急ぐ。雫は来てくれているかな、合鍵は渡しているからいてくれたら自分の心持ち的に有難いのであるが。そこまで考えて、雫に依存しつつある自分に苦笑する。
そうしてやっと自分の部屋に到着する。鍵は、閉まっていた。これはいないかな、なんて少し残念に思いながら扉を開ける。ふわ、と空腹を煽る香りがする。これは、ビーフシチューかな。料理を作ってくれるなら、いてくれてもよかったのにと部屋に入ると、何か小さな音が聞こえる。思い当たる人物は一人。暖房も付けずに何をしてるのだろう。かすかな音を頼りに進めば一番奥の寝室前に至る。こりゃあ寝てるかなと、ドアに手をかけたところで気付く。
「…ぇ、さん…。おねえ、さん…」
切なげに呟く声と共に聞こえる湿った音に、ギャラ子は途端に気まずさを覚えて一度ドアから手を離す。連想される雫の行為に思わず心音が高鳴るのを感じる。雫が自分のことを慕ってくれるのは分かっているつもりだし、向けられたその好意を自身も心地よく思っている。ついでに言うならば、ギャラ子は同性愛についても一定の理解はあるつもりだ。しかし、雫がそういう対象として自分を見ているとは思っていなかったし、高校生という多感な時期の産物かもしれない。一つ言えるのは、この状況でどう彼女に接すればいいか分からないということだ。知らないふりをして戸を開けても雫は羞恥を感じるであろうし、気にしいな彼女相手に自慰行為をネタ扱いするのは論外だ。そううだうだと迷っているギャラ子の耳に、ふと届く。
「おねえさん…、会いたいよぉ…」
くちゅり、と水音も止まり聞こえた嗚咽に、弾かれたようにギャラ子は扉を開けた。
「雫、帰ったよ」
先程までのふわふわとした心持を感じさせない、凛とした態度で雫の元へ近づく。余裕気な笑みを浮かべながら雫が安心できるように歩み寄れば、少し乱れた服も零れた涙もそのままに雫はギャラ子の胸元へと飛び込んだ。それを受け止めて雫の乱れた髪を整えるように撫でてやる。
「どこか、どこかに私を置いて行っちゃったんじゃないかって、思いました…。私のこと面倒くさくなったんじゃないかって…」
「そんなわけない。…ごめんね、急な出張でさ。伝えることもできなかった」
「ぐす…。許しません…。許しませんから、もっとぎゅってしてください…」
「仰せのままに」
そんな可愛いおねだりに笑みを零して、ギャラ子は抱き締める力を強めてやる。心地いいのか身体をすり、と寄せ付ける雫は、しかし、くちゅ、と僅かに聞こえた水音に顔を赤らめて身体を離す。
「あ、あの…これは、違くて…」
「…あー、その、聞こえてた。ごめん」
「え、そ、その…、ぅ」
そう言って泣き出しそうになる雫を宥めようとして必死に頭を回し、ギャラ子はおもむろに顔を近づけて、
「ちゅう」
「んぅ!?」
唇を重ね合わせた。触れるだけの幼いキス。しかし、やや荒療治めいた解決法はしっかりと効果はあったようで、目を白黒させる雫の涙は一筋だけ零れ落ちてそこで流れは止まった。
「おねえ、さん?」
その代わり、困惑した様子でギャラ子に視線を向ける。それを受け止めて、ギャラ子は言葉を紡ぐ。
「ねえ、雫。落ち着いて聞いてね?」
「は、はい」
「雫は私のこと、好き?」
「は、い」
「私も、雫のこと好きだよ」
「…ぇ」
「でも、私と好き合って困ることもたくさんあるかもしれない。気持ち悪いとか言われたりするかもしれないし、この気持ちも思春期特有のものかもしれない。それでも、」
「そんなの、そんなの関係ないです!」
諭すように言うギャラ子の言葉を遮って雫は叫ぶ。
「気持ち悪いとか思春期とか、関係ないです…!私は、ギャラ子さんのことが好きなんです…!だから、だから…!」
止まった涙を再び溢れさせて、雫は必死に言葉を紡ぐ。
「…いいよ」
「え…」
ちゅ、と再び唇が重なってすぐに離れる。
「ここまで言われたら、もう覚悟決めるしかない。…好きだよ、雫」
「…ぇ」
「恋人になろう、って言った方がいい?」
「…ぃ、嬉しい、です。お姉さん…」
ぽろり、と止まっては流れる涙がまたもや瞳から零れる。それをちろ、と舌先で舐め取って、二人は何度目かの口付けを交わした。
***
「あの、いいんですか?」
「いいの。むしろ昨日のこと考えたら持ってくれないと困る」
そう笑いながらも真剣な様子でギャラ子に言われれば、雫に断ることなどできない。いつか持ってみたいと憧れていた携帯端末を眺めながら少し不安げな様子を見せる。
「これがあれば、急な出張でも大丈夫だし、何か危ない時もすぐ雫のところに行ける」
「でも…」
「これまで大変だったんだから、雫にはその分幸せにならないと。そうじゃないと私の気が済まない」
「そう、ですか」
恥ずかしそうに頬を染めて雫は大切そうにスマートフォンを握り締める。
「それに…、あー、あれだよ…」
そこまで言って、ギャラ子は言葉を濁す。どうしたのか、と不思議そうに眺める雫の視線を受けて、観念したように口を開いた。
「昨日まで出張でずっと話せなかったじゃん。それで、たまに雫の声がしないな、とか思ったり…。それがどうにも我慢できなかったというか…」
「え、と。つまり、どういう?」
いまいち要領を得ない発言に雫が聞き返すと、少しやけっぱちになって、
「あぁ、もう。私も寂しいんだよ、恥ずかしい…!」
ぶっきらぼうに言うギャラ子の様子に少し驚いて、しかし雫はすぐに表情を緩ませると、頬を微かに赤く染める恋人にぴとりと寄り添った。
「お揃い、ですね?」
「…五月蠅い」
恥ずかしがるギャラ子という貴重な光景と、ギャラ子が自分を大切にしてくれるというその事実が雫の心を優しく満たす。普段はなかなか見られない様子の二人は、しかし、普段と同じかそれ以上に幸福そうに見えた。