黒と紫の契約   作:GZL

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交錯する意思

カップの中の紅茶は、ほとんど減っていなかった。

 

カグヤは静かに店の出入口へ視線を向けていた。その奥で天井を見上げる振袖大輝に。

 

「……」

 

感情の読めない者だった。

 

怒っているわけでもない。

困っているわけでもない。

 

ただ、静かに考えている。

 

―見えていた。

 

あの男は、確かに妖魔を視認していた。

 

本来ならあり得ない。

 

退魔士の訓練を受けた者でもなければ、特殊な血筋を持つわけでもない一般人が妖魔を認識できるはずがないのだ。

 

「……不自然」

 

小さく呟く。

だが、それ以上深く考えることはしなかった。

 

情報が足りない。現時点では判断材料も少なすぎる。

 

少なくとも分かっているのは、“今のところ害はない”ということだけだった。

 

 

 

 

 

外は夕暮れだった。

赤く染まり始めた街並みの中を、人々がそれぞれの帰路へ向かって歩いている。

 

カグヤもその流れに紛れるように歩き出し、駅前の喧騒から少し離れた路地へ入った。

その瞬間だった。

 

「……っ」

 

空気が変わる。

 

鋭い視線。肌を刺すような気配。

 

カグヤは反射的に足を止めた。

 

「……ミコト」

 

暗がりの中から、1人の少女が姿を現す。

 

銀色の長い髪が、夕暮れの風に揺れた。

 

「見てたよ、お姉ちゃん」

 

静かな声だった。

けれど、その奥には明確な棘がある。

 

「何を?」

 

「喫茶店で、何やってたの?」

 

最初は誤魔化そうとしたが、それはすぐに無駄だと分かった。

 

「あれ、どういうこと?」

 

ミコトはゆっくり一歩近づく。

その目には、明らかな警戒が浮かんでいた。

 

「普通じゃないよね。あの男」

 

「……普通ではない」

 

カグヤは否定しなかった。

むしろ、あっさり認めた。

 

それが余計にミコトの表情を険しくさせた。

 

「じゃあさ」

 

声が低くなる。

 

「排除すべきでしょ」

 

はっきり迷いのない声音だった。

 

「妖魔が見える一般人なんてあり得ない。放っておいたら、絶対に面倒なことになる」

 

「……」

 

「しかも、お姉ちゃんの姿を見ている時点でアウト」

 

その言葉には、敵意だけではない感情も混ざっていた。

 

警戒。焦り。

 

そして、どこか過剰なほどのカグヤに対する保護意識。

 

ミコトは本気だった。

 

危険の芽は早いうちに摘むべきだと、本気で思っている。

 

それは退魔士としては、ある意味正しい判断でもあった。

 

だが…。

 

「必要ない」

 

カグヤは静かに言った。

 

「…お姉ちゃん」

 

「害はない。少なくとも現時点では」

 

淡々とした口調。

感情を挟まない、事実だけを述べる声音だった。

 

「確かに不自然な存在。でも、それだけ」

 

「だから危険なんでしょ?」

 

ミコトの目が鋭くなる。

 

「分からないものは排除する。それが一番確実」

 

冷たい理屈だった。

だが、それはこの世界では決して間違いではない。

 

実際、判断を誤れば人が死ぬ。

妖魔絡みの問題は、それほど単純ではないのだ。

 

それでもカグヤは首を横に振った。

 

「……私が判断する」

 

その一言で空気が止まる。

 

「問題があれば、その時に処理する」

 

静かな声だった。

だが、そこには絶対的な確信があった。

 

自分が責任を持つ。

そう言っている。

 

ミコトはしばらくカグヤを睨んでいたが、やがて大きくため息を吐いた。

 

「……はぁ」

 

納得したわけではない。

表情を見れば分かる。

 

「分かった。一旦ね」

 

仕方なく引いただけだった。

その目の奥から警戒心は消えていない。

 

「でも」

 

ミコトは背を向けながら言う。

 

「私は納得してないから」

 

「……そう」

 

短いやり取りだった。

それ以上、会話は続かない。

夕暮れの風だけが静かに吹き抜けていった。

 

 

 

 

 

翌日。

 

放課後、大輝はいつも通りバイトに赴こうとしていた。

そこで背後から声をかけられる。

 

「振袖くん、ちょっといい?」

 

廊下で突然声をかけられ、大輝は足を止めた。

 

「ん?」

 

振り返った先にいたのは、見覚えのない少女だった。

銀色の長い髪。整った顔立ち。

 

かなり目立つ容姿のはずなのに、なぜかその第一印象は“綺麗”ではなく、“怖い”だった。

 

理由は簡単だった。

 

目が笑っていない。

 

「……誰だ?」

 

「いいから来て」

 

有無を言わせない口調だった。

 

「いや、用件ならここで――」

 

「…来い」

 

「……はい」

 

圧が強い。

なんとなくだが察する。

 

これは断ったら面倒なやつだ、と。

大輝は大人しく後ろをついていった。

 

連れてこられたのは校舎裏だった。

 

人の気配はない。静かな空間。

アニメやドラマなら告白する展開だが、今回ばかりは違いそうだ。

 

「で、何の用――」

 

言い終わる前だった。

ぐいっと胸ぐらを掴まれる。

 

「……っ!?」

 

一瞬で距離が詰まった。

思った以上に力が強い。

 

「お前さ」

 

彼女の顔が目の前にある。

その瞳は完全に敵を見る目だった。

 

「お姉ちゃんに近づくな」

 

「……は?」

 

「関わるなって言ってんの」

 

低く鋭い声。冗談ではない。

本気だ。

 

「昨日の全部、見てたから」

 

「……あー、なるほど」

 

そこで大輝は理解した。

 

この子、カグヤの妹か。

 

「…名前は?」

 

「…ミコト」

 

「だったら、話が早くて済みそうだ。あれ、一体何なんだよ」

 

「は?質問してんのはこっち。あんたの質問に答える気はない」

 

胸ぐらを掴む力が更に強くなる。

とても同い年の女子が出せる力とは思えなかった。

 

「なんで見えてんの?」

 

「知らねえよ」

 

「ふざけてる?」

 

「至って真面目」

 

大輝は苦笑した。

 

恐怖がないわけではない。

実際、かなり怖い。

 

けれど、それ以上に妙な高揚感があった。

昨日まで普通だった日常の裏側に、自分の知らない世界が存在している。

その感覚が、妙に現実味を失わせていた。

 

「とにかく」

 

ミコトは言い切る。

 

「これ以上関わるなら――」

 

「やなこったね」

 

即答だった。

 

「……は?」

 

「もう見ちゃったし、気になるに決まってんだろ」

 

「……っ」

 

ミコトのこめかみがぴくりと動く。

 

「ほんとムカつくな、お前」

 

「よく言われる」

 

「……いいよ」

 

その瞬間、空気が変わった。

 

ミコトが胸ぐらから手を離す。

 

だが、それは解放ではなかった。

 

「言うこと聞かないなら」

 

一歩下がる。

そして、静かに拳を構えた。

明らかに戦闘態勢だった。

 

「力づくで黙らせる」

 

「ちょ、ちょっと待てって」

 

「無理」

 

即答。

次の瞬間には動いていた。

 

「――っ!!」

 

ミコトの拳が、一気に大輝へ振るわれる。

 

速い。

 

素人でも分かる。

まともに食らったら洒落にならない。

 

だが――

 

「やめなさい」

 

静かな声が響いた。

 

「……っ」

 

ミコトの拳が止まる。

その手首を掴んでいたのは、いつの間にか現れていたカグヤだった。

 

「お姉ちゃん……!」

 

「ここは学校」

 

静かな声。

だが、逆らわせない圧がある。

 

「でもこいつ――」

 

「やめなさい」

 

それだけでミコトは動きを止めた。

不満そうに舌打ちしながら腕を引く。

 

「……チッ」

 

納得していないのは明らかだった。

それでも、これ以上手を出すつもりはないらしい。

 

カグヤはゆっくりと大輝へ視線を向ける。

昨日と変わらない冷たい瞳。

 

「……」

 

数秒、視線が交差する。

 

「これで分かったでしょ?関わらないことね」

 

静かに言った。

 

「ろくな目に遭わないわよ」

 

それは脅しではなかった。

 

警告だった。

 

「……」

 

大輝は少しだけ黙り込む。

 

しかし。

 

「……もう遅くね?」

 

「昨日の時点で、だいぶろくでもない目に遭ってるし」

 

「……」

 

「むしろこれからだろ?」

 

軽い口調だった。

だが、その目だけは真剣だった。

 

怖くないわけじゃない。

それでも引く気はない。

 

「ならさ」

 

一歩、踏み出す。

 

「最後まで付き合うわ」

 

カグヤの長い髪がわずかに揺れた。

 

ミコトは呆れたような顔をしている。

 

だがカグヤだけは、無表情のまま大輝を見ていた。

 

「……好きにすれば」

 

それだけ言って背を向ける。

 

「ただし」

 

足を止めずに続けた。

 

「死んでも知らない」

 

その言葉を残し、カグヤは歩き去っていく。

ミコトも不満げに大輝を睨みながら、その後を追っていった。

 

残された大輝は、しばらくその場に立ち尽くしたあと、小さく息を吐いた。

 

「……マジで命がけじゃん」

 

そう呟きながらも、その口元には笑みが浮かんでいた。

 

怖い。

でも、それ以上に。

 

知らない世界へ踏み込んでいく感覚に、妙な高揚を覚えていた。

 

日常は、確実に壊れ始めている。そして――もう、元には戻らない。

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