コネクティング・アーカイブ   作:魚か?

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第13話『霧隠れの第八地区』

 

    ◆

 

 ミレニアムの外縁に位置する居住区、『第八地区』。

 数日前まで自動運転のバスが行き交っていた、学生達にとって決して欠かせない日常の証であろうその場所は、今や廃墟という言葉を地で行く惨状を呈していた。

 アスファルトは至る所がひび割れ、その隙間から雑草が体毛のようにぼうぼうと突き出している。街路灯もその全てが針金のように頼りなく折れ曲がっている。時刻はもう昼前であり、太陽も気温もほとんど上がりきっているにも関わらず、空気は重く沈み、どこか霞がかっている。

 

「かなりひどい有様ですね。どの建物も材質自体は変わらないというのに、活気だけが中心部とは異なっております。まるで、遠い夢のような……」

 

 コッコロは肩に掛けたバッグの紐を軽く握りながら、敵の有無を確かめるようにじっくりと辺りを見回した。彼女の動きに合わせて揺られるそれの内側には、おにぎりが二つと、ウタハ謹製のサイレンサー付きハンドガン、加えていくつかの弾薬。自室から持ち出したのはそれらと槍、髪飾り、それから耳の外側に掛けられたオービットのみだ。

 

「そうだね。僕達がここを取り戻したとして、住んでた人が実際に帰ってくるのは先になりそうだよ」

 

「なんと。まだ作戦が始まってすらいない時点で、成功した後のことをお考えになっているのですね。主様はとても頼りになります」

 

「え、そう? そういうものかなぁ」

 

 ユウキは、腰のホルスターに収まった新しい相棒である木目調のハンドガンの感触を確かめながら、困ったように笑みを浮かべた。

 二人が並んで突っ立っているのは、今朝リオから指定された集合場所であるバス停だ。誰かがその姿を見ればバスを待つ客だと思うかもしれないが、残念ながらバスは緊急事態の中でわざわざ来たりはしない。

 

「昨日郊外へ足を運んだ時は、どのような魔物がいたのですか?」

 

「えっとね、ワッパダヌキと、マスターセンリと、ゼラチナと、ラットンと……他にも色々いたよ!」

 

「なるほど、存外わんさかいらっしゃるのですね」

 

「まとめて追い出すとなると、結構大変そうだったな。もしかしたら、作戦の成功はコッコロちゃんの風魔法にかかってるかも」

 

「そうですね。魔力の使い所は見極めて参りましょう」

 

 コッコロは相槌を打ちながら、自身が握っている槍の穂を鋭く見つめる。その時、どこからか瓦礫が擦れる音がぎしゃぎしゃと聞こえた。

 

「……私が最後か。二人とも、来るの早いね」

 

 音の出所を辿ると、崩れかけの建物に挟まれた狭い路地から泰然自若とした様子で少女が姿を現す。

 

「エイミちゃん!」

 

「おはようございます、エイミ様」

 

「うん。おはよう」

 

 ショットガン片手にあくびを一つ。彼女はこういった出来事には慣れているのだろう、周囲の異質な雰囲気に気圧される様子もなく、態度が普段となんら変わりない。張り詰めていた二人の緊張をわずかに和らげるほどだ。

 

「エイミ様も、リオ様の指示で?」

 

「ううん。私は部長の命令で来てる。なんでも、ここに入力する座標の手掛かりがあるかもしれないんだって」

 

「そうなの!? リオさんからはそんなこと聞いてないんだけど……」

 

「あー……まあ、多分言ってないだけだよ。いつもの悪い癖だね。ここに配属してる時点で、そのことは頭に入れてるんだろうし」

 

 エイミは呆れたように苦笑すると、ぐいっと背を伸ばして手元の腕時計に視線を落とした。

 

「集合時間ピッタリだね──じゃ、早速向かおっか」

 

「はい。よろしくお願いいたします」

 

 三人は覚悟を分かち合うように視線を交わすと、互いに頷き合ってから、瓦礫まみれの車道を迷いなく進み始めた。

 

 

 

 

    ◆

 

「霧を操る魔物とかいたりする?」

 

「霧ですか。操るとは違いますが、ミストシーカーという魔力を帯びた霧の魔物はいますね」

 

「……もしこの霧がその魔物だったら、吸い込んだせいで内側から食い破られるとかないかな」

 

「いえ、それはあり得ないはずです。あくまで霧なので、呪いによる呪殺くらいしか出来ないですから」

 

「くらい……? 十分ダメじゃない?」

 

「そんなことないよ! ミストシーカーの呪いはかかりやすい代わりに侵食が遅いから。コッコロちゃんが解呪の魔法を使ってくれさえすれば、何時間でもいられると思う」

 

「ああ、そんな感じなんだ。濃度とかは関係ないの?」

 

「薄いと侵食が止まったりもしますが、濃い場合はあまり変化しないですね」

 

「へ〜。結構弱いなぁ」

 

 エイミは拍子抜けしたように息を吐き、視界を塞ぐ白んだ霧を手の平で無造作に払った。しかし、抵抗なく指をすり抜けていくそれは、うざったく周囲に留まり続ける。

 

「普通の霧かどうか、区別は出来ないの?」

 

「出来るよ! 誰でもって訳じゃないけど……僕の強化で光らなかったら、その霧は魔物じゃないからね」

 

 ユウキはそう言うと、漂う霧に意識を集中させた。淡い光が彼を膜のように包み、また先導するエイミ、隣に立つコッコロの二人を微かに共鳴させる。

 しかし、その柔らかな光に照らされても、漂う霧自体が光り輝くことはない。ただ白く、冷たく、そこにあるだけの無反応。

 

「……うん、ただの霧だ」

 

「そっか。じゃあ自然発生なんだろうね」

 

 目先の脅威が消え去ったことを確認して、エイミはショットガンを肩に担いだ。片手でぶらつかせているよりは楽な持ち方だからだ。

 三人は第八地区に足を踏み入れてから、それなりの時間が経過していることを自覚していた。また、一切魔物と出くわさないことも。ここの魔物は霧を避けて別の地区へ移動している、と考えるのが最も自然なほどだった。

 聞こえてくるのは、自分たちの靴が硬い路面を叩く乾燥した音と、風が建物の隙間を抜けるヒュウという虚しい鳴き声だけ。もっとも、霧が肌にへばりつく不快感は常に付きまとっているのだが。そのアンバランスさが状況の不透明さと重なって、得体の知れない圧迫感となって彼らにしつこくのしかかっていた。

 

「うーん、こうもジメジメしてると、考えることが暗くなって大変だね」

 

「そう? 私はそんなことないな。作戦中だし」

 

「すごいなぁ、プロのエージェントみたい!」

 

 この場に停滞する悪い空気を変えようと、ユウキは努めて明るい声を作って話しかける。

 

「コッコロちゃんは大丈夫? 無理しなくていいからね。もし辛かったら、魔法で霧をパッと吹き飛ばしちゃうのもアリかも! 視界が良くなれば、少しは気分も──」

 

「主様。それは、いけません」

 

 しかし、彼の言葉を遮るようにして差し込まれた声は、いつもの穏やかさとは異なる、硬く、乾燥したものだった。

 

「魔力は限られた資源です。いつ不測の事態が起きるか分からない以上、気分転換のために使うなど、あってはならないことですから。初めにそう、お話したはずですが。覚えていらっしゃいませんか?」

 

「……そうだね。ごめん、つい余計なことを言っちゃった」

 

「あ、いえ……その、私の方こそ、申し訳ありません」

 

 続いて、戸惑いと謝意が混ざり合った声。

 コッコロは自分の言葉に含まれたトゲを自覚しているのか、唇をぎゅっと結び、いたたまれないように槍を握る指に力を込めていた。

 

「……二人とも、あんまり自分を追い込みすぎないでね」

 

 気まずい沈黙の中、見かねたエイミが声を掛ける。

 

「分かっております。ですが、この肌にまとわりつく感覚が、どうにも……」

 

「霧ね。実際結構ベタつくし、イライラするのもおかしくはないと思うよ」

 

「いえ、その、そうではなく──私、どこからか、見られているような気がするのです」

 

 その言葉に、全員が足を止める。コッコロは槍の石突をアスファルトに突き立て、険しい表情で周囲を、そして自分たちの頭上を仰ぎ見た。廃ビルの窓、瓦礫の裏、霧に隠された路地。

 

「一つや二つではなく、突然現れては消え、また別の場所から増えては、舐めるように這い寄られて……いるのに不確かで、まるで、この町そのものが私たちを狙っているかのような……っ!」

 

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、コッコロは恐怖を押し殺すようにして、唇を強く噛んだ。

 

「気が付けば、私の内側にも何かが入り込んでいるのです! どこにでもいて、どこまでが私か分からなくて、私もその一部なのではないかと、そう思うと、怖くて、怖くて……!」

 

 叫びにも似た告白が途切れた瞬間、ユウキは一歩踏み出し、震える彼女の身体を力強く抱き寄せる。

 

「……っ、主様……」

 

「教えてくれてありがとう。……それは、怖いね」

 

 腕の中に伝わる彼女の体温は、いつもなら陽だまりのように温かいはずなのに、今はまるで夜の底のように冷え切っていた。その異常な冷たさが、彼女が一人で耐えていた恐怖の深さを物語っている。

 

「エイミちゃん、何か見える? 」

 

 ユウキはその小さな頭を優しく撫でながら、静かに周囲を見渡すエイミに声を掛けた。

 

「……んー……」

 

 彼女は鋭い眼光で霧の深淵を射抜く。ショットガンのセーフティを親指で解除し、いつでも引き金を引ける体勢のまま、彼女は数秒間、彫像のように動かなくなった。空気中の塵一つ見逃さないような、徹底的な観測だ。

 

「特に何もいないかな。熱源っぽいのも、不自然な空気の振動も、光学迷彩特有の光の歪みも。私の感覚で引っかけられるようなものは、一つもないよ」

 

「そんな……! ですが、確かに今この瞬間も、私の背中をなぞるような視線が!」

 

「分かってる。コッコロが言いたいことは、なんとなく私も感じてるから」

 

 エイミは銃口を下げ、再び安全装置をかけた。

 

「でも現実として、ここには私たち以外誰もいない」

 

「それは、そうかもしれませんが──」

 

「大丈夫だよ、コッコロちゃん。僕とエイミちゃんがついているからさ。何かあったら、すぐに守るから」

 

 ユウキが穏やかに、しかし芯の通った声で言い聞かせると、コッコロは深く息を吐き、目を伏せた。

 

「……申し訳ありません。少し、この場所の空気に呑まれてしまったようです。しばらく主様にくっついてもよろしいでしょうか」

 

「もちろん! 落ち着くまで、好きなだけしてね」

 

「……進もっか」

 

 二人の様子を眠たげな目で眺めていたエイミが、ふいっと顔を逸らして言った。

 彼らは再び、無言で歩き出す。しかし、先ほどまでとは明確に異なる点があった。進む速度だ。コッコロが縋るようにユウキの腕を抱えて歩くため、二人の足並みは必然的に重くなる。

 それによって、先行するエイミとの歩幅が致命的なまでにズレてしまった。彼女は時折、離れすぎた距離に気づいては立ち止まり、背後の二人を待つという動作を繰り返すようになった。

 

「……ごめんね、エイミちゃん」

 

「いやいや、こればっかりは仕方ないよ。全員の安全を確保するのが最優先だからさ、効率はその次」

 

 エイミの態度はどこまでも理性的で、慈悲深くさえあった。しかし、ユウキにはその言葉が、無理に言わせたもののように思えてならない。彼女に停滞を許容させている申し訳なさと、そこまでの配慮を強いているという拭いきれない不快感が溜まっていった。

 

「コッコロが言ったように、こんなに視界が悪かったら何があるか分からない。視線の話も全くの眉唾とは思えないし……二人とも、常に最悪を想定するようにして」

 

「うん。そうだね」

 

「……承知しました」

 

 返事をしながら、ユウキは無意識に自分の胸部をさすった。最悪という言葉が、あの日の──王都終末決戦のことを思い出させる。

 かつて自分が覇瞳皇帝(カイザーインサイト)に胸を貫かれた時の、あの焼け付くような熱さと、急速に体温が奪われていく極寒の記憶。内臓をかき乱される不快な感触と、死の影が網膜を覆い尽くしていく絶望。

 今、この霧の向こう側に、あの時と同じような終わりが潜んでいないと誰が断言できるだろうか。もし次に何かが起きた時、自分は隣を歩くこの少女を守り切れるのだろうか。

 

「……ぁっ」

 

 突如、腕に絡みついていたコッコロの足が止まった。あまりに唐突な停止に、ユウキの体がわずかに前のめりになる。

 

「コッコロちゃん?」

 

 声をかけるが、反応はない。彼女は人形のように立ち尽くし、虚空を見つめて放心していた。その瞳から急速に光が失われていく。震え始めた指先がユウキの腕を強く、痛いほどに締め付け、さらに呼吸が浅く、速くなり、まるで目に見えない何かに首を絞められているかのように、苦しげなうめき声を漏らし始めた。

 

「コッコロちゃん! しっかりして、どうしたの!?」

 

 ユウキは慌てて彼女の肩を掴み、その顔を覗き込む。しかし、彼女の視線はユウキを通り越して、さらにその先にある何かを捉えて離さない。彼の言葉がコッコロに届かない。

 

「私が……私が、消えれば……っ!!」

 

 その顔に滲んだ恐怖は、ユウキですら一度も見たことのない表情だった。必死に絞り出された、金切り声に近い叫びと同じように、彼女の目から大粒の涙がぼろぼろと溢れてくる。

 

「落ち着いて! 大丈夫……大丈夫だから……」

 

 ユウキは祈るようにそれを繰り返すと、コッコロに無理をさせないよう、優しく両腕を回した──その瞬間。

 

「避けてッ!!!」

 

 肺の中の空気が一気に絞り出されるような、暴力的で、凄まじい衝撃が背後から彼を襲った。

 

「──ぅ、ぐ」

 

 鈍い音と共に衝撃波が突き抜け、彼の体は宙に投げ出される。視界が激しく揺れる中、湧き出すのは疑問、疑問の嵐。

 蹴られた?  エイミに?  どうして? 

 しかし、火花を散らす思考の中で、とにかく受け身を取らなければならないことを理解する。ユウキは反射的に腕の中のコッコロを正面から強く抱き締め、彼女を庇うように丸まった。そして、衝撃の行方に身を任せ、自身の背中から容赦なく硬い地面へと叩きつけられた。

 

「……いたた……」

 

 背中が異様に熱い。まるで、温かい湯を背負わされたかのような、べったりとした生暖かさが服を透過して肌にへばりつく。

 

「コッコロちゃん……大丈夫?」

 

 それでもユウキは掠れる声を振り絞り、腕の中の少女を覗き込んだ。しかし、返事は返ってこない。

 

「ケガは──」

 

 その代わり。返事の、言葉の代わりに。ごぼっ、というと音がした。

 

「──え、は?」

 

 コッコロの小さな口が、壊れた蛇口のように溢れんばかりの鮮血を吐き出したのだ。彼女の淡い装束が瞬く間に赤黒く染まり、その瞳からは一層光が失われていく。

 

「な、何が、一体、何が……!?」

 

 理解が追いつかない。パニックに陥ったユウキは、反射的に彼女の身体を放し、空いた両手で地面を掻くようにして、その異常な光景から逃げるように、慌てて後ずさった。

 しかしその時、後ろも確認せずに突き出し続けた手の平が、ぐにゃりとおぞましい感触を捉える。彼は呼吸も忘れて、その正体を知るために恐る恐る振り返った。

 そこにあったのは、もはや言葉を話すことのない、ただの肉の塊。胸部を巨大な何かに貫かれ、その内側を無残に晒したペコリーヌの死体が、そこに転がっているだけだった。

 

「──ぁ、ぁっ、はっ、はっ」

 

 声が出ない。

 必死に視線を彷徨わせれば、そこはもうただの居住区ですらない。一面に広がるのは、足まで浸かりそうなほどの血の池。その赤黒い鏡面には、キャルの、ユイの、共に笑い合った仲間たちの、胸部だけがぽっかりと空いた姿がいくつも浮かんでいた。

 当然、ユウキには一切の心当たりがない。そこには先ほどまでの状況から繋がる因果関係など一つもないのだ。しかし、背中には肉体から漏れ出た赤の体温。手の平には少し硬くなった王女。絶え間ない鉄に似たひどい異臭、身体が震えるたびにべちゃべちゃと打つ血の波。ユウキには、それが現実であるとしか感じられない。

 恐怖の形は、魂が覚えているのかもしれない。

 

 

 

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