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正午を越えた頃、リオはミレニアムタワーの執務室にて、幾重にもなるホログラムディスプレイに囲まれていた。視線の先では、居住区奪還作戦に関するログが川のような速度で流れ続けている。
「B班、第三ポイントの確保を。D班、防衛を継続」
彼女の指令は正確で、常に変動し続ける戦場の中でも決して後手に回りはしない。人の上に立つものとして、ある種の完成形である。
「
『承知しました』
「
『オッケー。なんも言われねぇのはイライラするが、全部言われんのもそれはそれで不気味なもんだな』
「貴方がそうしろと言ったのでしょう? それに、今は作戦中よ。私語は慎むように」
『はいよ』
彼女の徹底的なまでに合理的な選択は、大多数の人間に冷たいという評価を下される。情報を与えない方が上手く行くと予想を付ければ、その作戦が終わるまで部下に何も教えない──というのは、よくネルに毒づかれる悪癖であった。今はリオ自身の努力によって、少しずつ変わってきているのだが。
数多の展開されたウィンドウが、刻一刻と緑に塗り潰されていく。それらは奪取完了の合図であり、リオの脳内で描かれた勝利までの最短経路を真っ直ぐ進んでいるということ。
「C班、しばらく待機。次の一手に備えなさい」
淡々と告げたその時、執務室の扉が、作法を無視した勢いで跳ね上がった。
「会長……! 大変です、早く、早く来てください!!」
大声と共に駆け込んできたのは、セミナーの一般役員だった。肩で息をし、目に涙を溜めた彼女の形相は、静かに作戦を遂行しているこの部屋ではあまりにも異質に見える。何事だと、室内で待機している役員達もにわかにざわめき立つ。
しかし、リオは動じない。視線すら向けず、空中に浮かぶウィンドウを指先で弾いた。
「報告は簡潔に」
「そんなこと言ってる場合じゃありません! 先輩が……ユウカ先輩が、ひどいケガで救護室に運ばれたんです!!」
予想外の言葉に、彼女の動きが一瞬止まる。ユウカは作戦に参加していないのだ。どこにひどいケガをする要素があるのだろうか。
「原因は?」
「突如現れた魔物に……」
「中心部に入り込んだの?」
「……多分、そうだと思います」
そこまで聞いて、リオは安心したように息を吐いた。
「余った部隊をその魔物に充てるわ。ユウカには、時間が空けば見舞いに行くと伝えておきなさい」
それは平坦な響きであった。あまりに淡白な、しかし組織の首長としてのこれ以上ない正解。それが、その正しさが、駆け込んできた役員の心を真っ向から踏みにじった。
「……はい?」
彼女の声が、地を這うように低く震えた。信じられないものを見る目が、リオの横顔に突き刺さる。その瞳に宿った温度は、急速に上昇していく。
「今、なんて言いました? 時間が空けば、ですか?」
「ええ。適切な医療処置を受けているのなら、私が行く必要はないでしょう? それに、私は今作戦の指揮をしているの。ここを離れればリスクに繋がる。……下がりなさい」
「ふざけないでください!!」
激昂した叫びが部屋に響き渡る。彼女は憤怒を燃え上がらせ、リオのデスクを両手で強く叩き、そして憎しみを以て睨みつけた。
「ユウカ先輩は、貴方の無茶な作戦をなんとか成立させようと、ずっと無理をしてたんですよ!? 寝る間も惜しんで、やりたいことも我慢して……貴方が急にいなくなった時から、ずっとっ!!」
「……それは、今は関係が──」
「悪い人じゃないから、それを皆に知ってもらうために、自分が頑張らなきゃいけないって……さっきだって、あんなにボロボロになって、もう泣き叫びたいくらいに辛そうだったのに、気丈に振る舞って……! なのに、貴方は!!」
彼女の声が震えている。
その怒気は、室内に控えていた他の役員たちをも射貫いていった。彼女以外の全てが静まり返ったこの部屋で、誰もがリオの反応を──その冷徹な少女の動向を、訝しげに見守っている。
「貴方は……結局、数字しか見てないんですね。ユウカ先輩の心も、痛みも、ただの変数だと思ってるんでしょう? 本当に、本当に最低です。……貴方のような人に優しくしているユウカ先輩が可哀想ですよ」
言葉の刃を最後の一振りまで突き立て、役員は吐き捨てるように背を向けた。嗚咽を漏らしながら部屋を飛び出していく彼女の足音が遠ざかって、作戦成功を告げる緑色のシグナルが無機質に点滅を繰り返した。
周囲の役員たちの視線が、針のようにリオの肌を刺していく。そこにあるのは敬服ではなく、言いようのない拒絶と、静かな失望であると、リオはその事実を受け入れざるを得ない。
「……心、ね」
これで良かったはずだった。元より、嫌われる役回りだと覚悟していたからだ。しかしリオの脳裏には、隣で小言を言いながらも、自分の背中を支えていた少女の姿。自分が正しさのために捨て去ったはずなのに、それでも後ろをついてきてくれた、あの少女の姿。
「……作戦の残務処理を自律モードに移行するわ。以降の指揮は『AIアバンギャルド君』に一任する」
リオは席を立ち、椅子に掛けていた黒いコートを掴んだ。それを羽織りながら早足で執務室の端まで移動する。
手を掛けた扉が、また重い。思わず溜息を吐きそうになるも、大勢の役員に見られていることを思い出し、空気の塊を押し殺して退室した。
◆
視界に入る全てが、数分前までの穏やかな日常を嘲笑うかのように変貌し切っている。
ユウキの鼻腔を突くのは、逃げ場のないほど濃厚な鉄の臭い。肺に吸い込む空気さえ、べっとりと重かった。
「──はぁっ、はあ、はあ、はあ」
呼吸で身体を震わせるたびに、足下の血溜まりがピチャピチャと軽やかな音を立てる。その波紋が、胸に大きな風穴を開けられた仲間達の亡骸を揺らした。
「なんで……」
答えがもたらされない問い。不透明な論理を紐解く余裕は、手のひらに残る生温かな弾力に掻き消される。
ペコリーヌが死んでいる。
首を回し、辺りを視認する。
キャルが死んでいる。
ユイが死んでいる。
ヒヨリが死んでいる。
レイが死んでいる。
マコトが、シズルが、クロエが、イリヤが、ミミが、モニカが、カオリが、ジュンが、ムイミが、チカが、アユミが、サレンが、マホが、カヤが、ナナカが、イオが、ミソギが、ニノンが、アカリが、ユキが、リノが、チエルが、ノゾミが、クリスティーナが、ユカリが、キョウカが、クウカが、ルカが、ミサキが──
「や〜っと見つけたぜ。久々だなァ、模索路晶のプリンセスナイト!」
その時、極めて愉快そうな声色が聞こえた。
ユウキがその声の元へ視線を移すと、ぐちゃぐちゃと無遠慮に死体を踏みながら、白いフードを被った小柄な少年が歩いてくるところだった。
「──カリザくん?」
「あぁ? 見りゃ分かんだろーが。【レイジ・レギオン】のカリザ、それ以外に誰がいるってんだ」
ワンテンポ遅れたユウキの対応にすかさず不満を漏らす少年──カリザは、ユウキにとっては忘れるはずもない、いわゆる因縁を持った相手だ。
彼は【レイジ・レギオン】と呼ばれるギルドに所属しており、そのメンバーとともにランドソルを好き勝手荒らしている。今までにユウキとは3回戦ったことがあり、その度になんとか退けてはいるが、辛勝が続いていて、正直もう戦いに来てほしくない、というのが実情だった。
キヴォトスに転移する直前、ここ数日は彼含めた【レイジ・レギオン】のメンバーが誰もランドソルを攻撃していなかったため、何か心境の変化でもあってくれたら嬉しいなぁ、と思っていたのだが──
「ンだよ、シケたツラしやがって。テメーはばぶばぶ言ってんのがお似合いだろうが」
「どうして……どうして、
「それをわざわざ言う義理なんかねぇよ」
「……どうして……」
「……ウザってぇ野郎だなぁ、テメーは! なんなんだよ、しんみりしやがって!」
ユウキの複雑に絡み合った思考がまとまるよりも早く、激昂したカリザが懐から鞭を取り出して、彼へ思いっ切り振り抜いた。
「うぅっ!!」
ユウキは胴に突如として重い一撃を食らい、身体のバランスが取れないまま、血の池へと倒れ込む。ばしゃ、と大きな音がした。
「……い、た……」
反射で瞼はなんとか閉じられたが、鼻から入り込んでいく血液には抵抗のしようもない。必死にカリザを視認しようともがくが、衝撃と異臭で頭がくらくらして上手く動けなかった。
「ダッセェザマだぜ。立つことすらろくに出来ねぇなんてよ、本当に赤ちゃんに逆戻りしたんじゃねえか? 天使の輪っかみてぇなのがブンブン動き回んのもダッセェなぁ」
カリザはそこまで言い、そしてわすがに眉をピクリと動かすと、
「──あぁ、いや、そういうことか」
今度は小さく独りごちた。
「プリンセスナイト。お前、なんかが見えてるのか」
彼は再び歩き出し、他の死体には目もくれず、コッコロの元へと辿り着く。
「チビエルフも、なんかが見えてこうなったんだな?」
そして、大きく足を振りかぶって──
「……だめだ、やめてっ!!」
「やめねぇよ」
彼女を強く、強く蹴り飛ばした。
泥濘のような血の池を滑り、コッコロの身体が力なく転がっていく。びしゃびしゃ。びしゃびしゃ。彼女の淡い色をした装束も、純白の頭髪も、髪飾りも、元からそうであったかのように、見る影もなく赤黒く汚れていた。
「が……はっ、あ……っ!」
ユウキはまたも叫ぼうとした。しかし、喉の奥まで飲み込んだ鉄の味と、胃を焼くような不快感が言葉を発するのを拒む。
「おい、プリンセスナイト。そんなに悲しいか? そんなに辛いかよ? ま、無理もないか」
カリザは追い打ちをかけるように、蹴り飛ばしたコッコロの傍らまで歩み寄る。そして、彼女の細い腕の真上に足を振り上げた。
「テメーのせいで、こうなるんだ」
その言葉が終わるのと同時に、腕を踏み抜こうと、全体重を片足にかける。
瞬間、発砲音。彼の正面にドングリ弾が炸裂した。
「なにっ──ぐ、あぁぁぁ!?」
眼前で急速に成長したドングリは一本の巨木となって、カリザの全身をいとも容易く吹き飛ばした。鈍い直撃音、建物に身体がぶつかる衝撃音、それから飛沫を上げる音が遅れてついてくる。
「な、ンだよ、ごほっ、それ、その力……!!」
全く覚えのない攻撃を放たれ、咳き込みながらも必死に分析をするカリザ。しかし、戦場は考え事を悠長に待ってくれたりはしない。
背中を建物に叩き付けられた彼が前方を見やった頃には、既に自身を目掛けて何本もの巨木がミサイルのように飛んで来ていた。
「クソッ……アーノルド、イーノリス! 全部撃ち落としちまえ!!」
苦し紛れに叫ぶ彼の頬から、冷や汗が一滴垂れる。それが地面に触れる直前、視界外から赤い爪が、マシンガンのように直進して巨木を全て押しのけていった。
アーノルドとイーノリス──カリザの使役する魔獣が、遠方から援護をしたのだ。だが、それだけでは終わらない。
「なっ、プリンセスナイト──!?」
「──うあぁぁああっ!!!」
鉛のように重くなった全身を気合いだけで動かし、仲間達をもう二度と踏みにじられないために、ユウキはドングリ弾とともにカリザへと接近していた。
それに気付くのが遅れたカリザは、彼から距離を取ることが出来ない。すんでのところでしゃがみ込み、横薙ぎの一閃を避けた。
「テメー、いきなりすばしっこく動きやがって……!」
カリザは地面に手をつき、ブレイクダンスの要領でユウキの腹部に蹴りを打ち込む。それにひるんだのを見て、すかさず鞭を彼の両手剣に絡み付けた。
「オレにステゴロで勝とうなんざ、百年早ェんだよ!!」
ユウキの手が血に塗れているせいで、剣は鞭によっていとも容易くすっぽ抜ける。しかし、そんなことはユウキにとって些細なことだ。武器がなければ、己で勝負するだけ。彼は鞭を振った後のカリザが、ほんの一瞬隙を晒したことを見逃さなかった。
組み付くために、カリザとの距離を更に近づける。両腕を伸ばし、眼前の肩を勢いよく掴んだ──はずだった。
「……スライム……!!」
「残念だなぁ! 必死の抵抗が見透かされた気分はどうだ!?」
カリザの服の下には、ペットであるスライムが薄く引き延ばされて仕込まれていた。ぐちゅ、と気の抜けるような感触のそれを掴まされ、ユウキは完全に一手先を読まれたことを痛感した。
「そぅら、もう一発!!」
「ぐうっ……!」
ガラ空きの上半身にタックルをかまされ、二人の距離が離れる。せっかく手に入れたチャンスが不意になる。背中から地面に落ち、またも背中にへばりつく感覚を味わう。時間が経ったからか、血溜まりはもう温かくはなかった。
「アーノルド! お前だけこっちに来い!」
カリザが遠くへ命令を飛ばすと、数秒もしない内に重苦しい羽音が聞こえ始める。やがて濃霧を切り裂いて、大きな魔獣が現れた。
それは──アーノルドは、一言で言えば巨大な二足歩行のクワガタである。鎧のような殻を身に着け、頭部には二本の曲がった角を生やしており、肥大化した右腕には、左腕よりも鋭利で凶悪な二本の爪が付いていた。つい先ほどカリザを援護したのは、恐らく発射されたその爪。
「もう十分だろ。これ以上遊ぶ意味もねぇ」
カリザは短く吐き捨てると、指をパチンと鳴らした。
その合図とともに、アーノルドが耳障りなほどに羽音を大きくすると、巨体には全く似合わない瞬発力で動き出す。
「死ねェ、プリンセスナイトォ!!!」
周囲の血飛沫がカーテンのように舞い上がり、鋭利な爪がユウキの喉元へと迫った。
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──
「……は?」
が、何も起きなかった。
「何が……え? いや、アーノルド、アーノルドは?」
理解の及ばない事象。カリザは呆けて、ひたすらに疑問を呈すのみ。そう言うと情けなく聞こえるものだが、それも仕方のないことだろう。
何も起きなかった。
ユウキは殺されるはずだったが、何も起きなかった。
アーノルドなんて存在しなかった。
いや、そうではない。
アーノルドは、何の前触れもなく存在を消されたのだ。
「おい……おい、おかしいだろ! 何だよ、これ! お前が何かしたんだよなぁ、プリンセスナイト!? そうじゃなきゃあ、こんなことは──」
それ以外に形容しようもない奇妙な光景を突きつけられ、カリザはユウキに原因を求める。しかし、ユウキは答えない。これまで蓄積してきたダメージが意識を朦朧とさせているのだろう、瞳は虚ろで、まさに生と死の狭間といった容貌である。
「クソッ、喋れよ! 黙ってねーで、何か言ったらどうなん、だ……よ……」
そこまで言って、カリザはあるものが目に留まった。
それは本来、こんな所にある訳がないもの。
道理をめちゃくちゃにしているもの。
カリザにとっては、想像すらしたことがないもの。
「……花びら?」
黒い薔薇の花弁はユウキを憐れむように、ふわりふわりと舞っていた。