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パチン、と破裂音が耳をつんざき、ユウキは明瞭な意識を取り戻す。
「……あ、れ?」
自分はアーノルドに喉を掻っ切られて殺されたはず──そう思った彼は、困惑を露わにしてキョロキョロと周囲を見回す。しかし、そこら一帯に広がっていたのは、つい先ほどまでとは全く異なる風景だった。
まず第一に、仲間の死体がどこにもない。
胸部を貫かれた悪趣味な絶望は綺麗さっぱりなくなっており、それに伴って、むせ返るような悪臭を放っていた血の池すらも消滅していた。濃霧は相変わらずはびこっているが、それでもあの場所と比べればずいぶんと爽やかなものだ。
そして、視界には三人の姿。そばで地面に横たわった、しかし血を吐いてはいないコッコロと、こちらを見て分かりやすく狼狽しているカリザ。そして──
「ごめん。遅れた」
最後の一人、エイミが振り向かないままでユウキに声を掛けた。
「テメー、なんでここに……イーノリスはどうしたってんだよ!?」
「……ああ、デカいカブトムシね。二匹で来られたのは厄介だったけど、途中で一匹になってくれたから」
「いや、一匹だからって、プリンセスフォームじゃなきゃキズ一つ付かねーような強化をしてんだぞ!?」
「ふーん、強化。だから硬かったんだ」
彼女はカリザの指摘を意に介さず、どこ吹く風といったところだ。その態度がくぐってきた修羅場の数を物語っている。
「エイミちゃん、皆はどこに……」
「皆?」
彼女はユウキに投げられた疑問を聞き、ようやく眉を上げた。
「ほら、さっきまでここに横たわってた──」
「ユウキは頭が混乱してるんだろうけど……多分、その人達はここにいないよ。勘違いしてたんだ」
「……勘違い……」
「ここに立ち込める霧はただの霧じゃない。人の思考を読み取って、幻覚を見せる霧だったんだよ」
カリザが威を張るように舌を打つ。
幻覚。その一言は、ユウキの心を好き放題に掻き乱した異変を簡単に解体した。あれは幻だった、ああ良かった、たったそれだけの短い思考で胸を苦しめる光景を頭の隅に追いやって、直後に冷静な前頭葉が息を吹き返す。
そして、席の空いた視覚イメージを埋め合わせるように、過去の心当たりが顔を出した。幻覚を見せる霧。そんな性質を持つものは一つしかない。
「ある、あるよ! 幻影湖の霧だ!」
「やっぱりあるんだね、そういうのが。……なら、こんな状況になったのは最悪を想像させた私の責任が大きい訳だ」
エイミは背負っていたショットガンを引き抜き、流れるような動作で安全装置を解除した。赤と黒の銃身が冷たく光り、その重厚な質感が霧の中に確かな存在感を刻み込む。決して無駄のない、洗練された立ち姿。
「君が誰なのかは知らないけど、この人はウチで匿ってる客人なんだ。ミレニアムの威信にかけて、君に好き勝手をされる訳にはいかない」
「……君じゃねぇ、カリザだ。【レイジ・レギオン】のカリザ──テメーのしょうもねえメンツとやらをボコボコにしてやる、男の名前がなぁ!」
「あくまで鞘を納めるつもりはないんだね。分かった、それじゃあ相手をするよ」
苛立ちを隠せない少年に対し、毅然とした態度でエイミは立つ。自らの失策を挽回するため。感情に身を任せず、戦いのその先を目据えるため。
ユウキの目に映る彼女の背中は、先ほどまでの絶望を塗りつぶすほどに凛としていた。
「和泉元エイミ──只今より、交戦を開始する」
刹那の後、エイミが強く地を蹴った。すぐさま場の空気が変わる。あまりの勢いに突風が吹き荒れ、足元で割れた横断歩道の欠片がありえない距離を散らばっていく。
「くたばりやがれっ──!」
対する少年は魔力で生成した鞭をしならせ、そばの歩行者信号機を引き抜いた。彼女の進行方向に凶悪なそれを力いっぱい振るい、こちらもごうごうと風を切る。
当たれば決してただでは済まない一撃。だが──
「単純」
避ければ何の問題もない。
疾走の延長線上、ハードル走のように足を上げたエイミは、一切速度を緩めずにするりと躱した。
「なっ──」
カリザが驚愕の言葉を言い切るよりも早く、踏み込んだエイミはショットガンを彼の喉元へと突きつける。
待つ理由はない。迷いなく、発砲。
「──キイロッ!!!」
瞬間、カリザの首元──服の下から、合図を受けて黄色のスライムが飛び出した。それは銀を擦ったような鳴き声を発しながら散弾を体内に飲み込んで、しかし発射の勢いに負けて遠くへ吹き飛んでいく。
「……手下の魔物だね」
「そうだよ、こンのヤロォ!!」
カリザの力んだ発声、背後の気圧の変化。エイミはすぐに、彼が先ほどの信号機を鞭で引き寄せているのだと、それが後ろから迫っているのだと理解した。
少し早めにバク宙、それからコッキング。直下を通過せんとする信号機に完璧なタイミングで着地し、ショットガンを構える。
彼もまた、直撃を避けるために跳び上がらざるを得ない。彼自身が射程距離内へと導いてくれる、絶好の射撃チャンス。
「──そう来ると思ってたぜ、変態露出ピンク女ッ!」
「……ッ!?」
カリザは確かに跳び上がった。エイミが狙いを絞った射線上で身体の制御権を手放して、重力に身を任せたはずだった。
しかし、彼女が引き金を引いた瞬間、彼は空を泳ぐように、人間にはありえないカーブを描いて放たれた弾を横切ったのだ。
「何が……!?」
「ハハッ、その顔が見たかったんだよ!」
カリザはその勢いのままに接近し、自分の身体ごとエイミに飛び込んで蹴りを入れる。突然起こった意味の分からない光景に反応が遅れた彼女は、文字通り捨て身の攻撃を正面からまともに受け、彼とともに真っ直ぐ吹き飛んだ。
「まだまだァ!!」
空中に放り出されたエイミに対し、今度は全身を縦にぐるりと回転させて、脳天目掛けて踵を落とす。当然、彼女は両方の腕を盾にして受けるが──
「強、い……!!」
膂力で押し負け、地面に墜落。抵抗する間もなく仰向けになり、馬乗りをされた。
通常では考えられない事態にエイミの動揺は更に強まる。何しろ彼にはヘイローがないのだ。明らかにキヴォトス外の人間であるはずなのに、明らかに年下であるはずなのに、自分以上のパワーを持っているという事実はどう考えてもおかしいこと。つまり、この強さにはカラクリがあるはずだ。
『プリンセスフォームじゃなきゃキズ一つ付かねーような強化をしてんだぞ!?』
そういえば、彼は強化と言っていた。あの摩訶不思議な権能を扱える存在がユウキ以外にもいたということなのだろう。
空中ではありえない軌道。そこそこ硬かった巨大なカブトムシ。銃弾を全て受け止められるスライム。服の下で待機。キイロ。色での識別。強化。
「……まさか」
エイミの脳内に一つの可能性が浮かび上がる。いや、間違いないという自信があった。
「強化したスライムに、身体を外から無理やり動かさせてるってこと?」
「カンの良いヤツはめんどくせぇなぁ。ま、分かったところでどうも出来ねぇだろうが、な!」
再びしなる鞭。カリザの次の狙いは実に合理的であり、それはショットガンであった。勝利の芽を確実に摘み取る悪辣さをエイミは身をもって痛感する。
しかし、二人の予想を全く外れて、鞭のボディは軌道を大きく逸らした。
「は?」
明後日の方向へ飛んで行く己の武器を見て素っ頓狂な声を出したカリザは、勢い余って自分の身体すらも大きく放り出す。そしてそのままごろごろと地面を転がった。
「何が……俺の身体がおかしくなったのか?」
「エイミちゃん、今だよっ!!」
「分かった」
混乱する中、隙を見て立ち上がったエイミがコッキングをしたところでようやく頭が理解をする。
「──オレのことを強化しやがったのか!! プリンセスナイトォッ!!!」
そう、ユウキは彼が鞭を振るった瞬間に強化を施したのだ。突然パワーが大きく変化すれば、狙いが外れ、自分の意思以上の結果が出るのは当然のこと。
「テメー、オレんことコケにしやがって……!! ぜってー許さねぇぞ!!! ボコボコにしてクソ
「ねぇ。いいのかな? そんなにカッカしてさ。今まさに戦ってる人の目の前で」
「うるせぇ!! オレに指図するんじゃねぇよ!!」
言葉尻にエイミが素早く発砲した。爆音とともに飛んで行く銃弾は的確にカリザを狙うが、もはや当然のように命中しない。強化されたスライムを全力で動かし、彼女の背後に回ったのだ。
「どいつもこいつもオレをイライラさせやがる! ぜってーに負けてなんかやらねーぞ、ひっ捕まえてオレの気が済むまでテメーらをめちゃくちゃにして──」
「余裕をなくしたら、こんな簡単な罠にも引っ掛かっちゃうんだからさ」
「あぁ!?」
振り向かず、エイミはポケットに突っ込んだ左手を後方へと放った。開かれた手から、パラパラと大量のドングリが空に舞う。
「お願い。ユウキ」
「これは……テメーら、ふざけッ──!?」
カリザの叫びは、一瞬にして芽吹いた巨大な檻の中に吸い込まれた。ユウキの放った光を大量のドングリが浴びた瞬間、それは植物の成長速度という概念を暴力的に無視し、爆発的に膨れ上がったのだ。結果、縦横無尽にのたうち回る強靭な幹と枝が、逃げ場を求めるカリザを全方位から包囲した。
彼の軌道を操作していた強化スライムも、この質量攻撃には成す術がない。カリザの身体は樹木の圧力によってがっちりとその場に固定された。
「おかしいだろ、ありえねぇだろ、これは! プリンセスナイトと組むって知ったのは今朝のはずだろ……!? なんでこんなことが!?」
「……集合時間は昼だよ? これくらい、それまでに簡単に仕込めるじゃん。ところで──知ってるんだね、ウチの作戦の詳細な内容を。ますます君に興味が湧いてきたよ」
「なっ……!?」
先ほどまで戦場を支配していた少年の余裕は、今や厚い樹皮に押しつぶされ、ただの滑稽な道化の声へと成り果てている。
「それは……ほら、そういうことじゃねーよ!」
「ふーん、そうなんだ。まぁいいけど」
エイミは淡々と応じると、身を屈めてカリザの目の前へと視線を合わせた。至近距離で対峙するその瞳には、感情の機微を読み取らせない静かな圧がある。
恐怖、あるいは焦燥。動けない身体でそれらをぶつけるカリザに対し、彼女は一切の容赦なく、愛銃の銃口をその開いた口内へと無造作にねじ込んだ。
「さっさと正直になった方が身のためだよ?」
「ふがッ……! はふはは……!! へへーははんは、へんいんふっほほひへ──」
「はい、いっぱーつ」
鉄を舐めても尚怒りに染まったままのカリザの顔に、エイミは引き金に指をかけ、冷徹な一言を添えた。
乾いた発砲音が響く。これで多少は素直になる──はずだった。
全くの同時。彼の身体が激しい閃光に包まれ、拘束している二人もまた視界が白一色に染まる。思わず目を細めた後、光が収まったそこには、先ほどまで彼を拘束していた巨木と、地面に残された硝煙の匂いだけが取り残されていた。
「……逃げられたね。空間跳躍かな」
「テレポートも出来るの? あの子──カリザくんだっけ。中々手強いんだね」
もっと驚いてもいい所だが、エイミは大したことでもないかのように、ただコッキングのみを行った。