◆
端的に言えば、電車一両分くらいの巨体が岩を砕きながら泳いでいる。地表に現れた背に並ぶ刺々しい灰色の鱗が、その先端を鮮やかに彩る赤が、それに覆われた何かが脇目も振らずにシロコへと近づく事実が、即ち『狩り』を意味していた。
「──ッ!!」
一心不乱に右へ跳び、砂の上を転がる。紙一重で衝突は避けたが、とっさに抱えられなかったサンドボアは轟音と共に飲み込まれてしまった。体勢を立て直しながら今まさに通った跡を確認するが、やはりと言うべきか、どこにも見当たらない。
シロコは冷静な思考を取り戻すために、銃のグリップを右手で、ハンドガードを左手で握る。コッコロから銃を出来るだけ使用しないよう言われているが、食べるための戦いでなければ話は別だ。
横切った巨体に目をやると、大きくカーブを描いてこちらに方向を定めている。シロコはスコープを右目で覗いた。
「……大したダメージを与えられるとも思わないけど」
人差し指で引き金を引く。放たれた弾丸は狂いなく標的に当たり、それは弾かれることなく鱗を貫き傷付けた。流石に銃には適応していないようだが、それでもこのサイズを相手取るのは骨が折れる。
「また、来る……!」
シロコは射撃を止め、再び突進を回避するために横に跳んだ。が、その瞬間。
「──グオオオオオッ!」
跳んだ。巨体が大きく跳び上がり、その姿を現した。二本の腕に三本の指、二本の足に四本の指、鋭い爪に鋭い目。慣性に身を任せたシロコをじっと見据えながら口をあんぐりと開け、その内から長い長い舌を伸ばす。硬く膨らんだ舌先には突起があり、それは丁度フレイルのようだった。
「がぁッ!?」
重い一発。巨大トカゲの舌がしなり、シロコの背中を殴りつけた。想定外の衝撃にシロコは受け身を取れず、剥き出しの岩盤に爆音と共に打ち付けられる。
「……ぐ」
痺れて感覚の鈍くなった身体。思わず漏れ出る苦悶の声。しかし、それは決して弱気になった証ではない。
「……こんな、攻撃。ホシノ先輩のに、比べれば……何でも、ない……!」
シロコは右腕を力任せに岩盤に叩き付けた。荒療治ではあるがそれは確かな効果を発揮し、はっきりと血液が流れるのを感じる。
ドスドスと音のする方を見れば、巨大トカゲが四足歩行で着実に間合いを詰めていた。
「……私はイノシシを狩りに来たの」
スカートのポケットから手榴弾を取り出し、口で安全ピンを抜く。攻撃型手榴弾だ。
「邪魔」
シロコは右腕を地面と水平に振り、手榴弾を巨大トカゲの眉間目掛けて投擲する。直後にズンと鼓膜を揺らしたそれは残虐に標的を殴り、のたうち回らせた。
「──グオオオオオッ!」
「その様子だと、視覚はもうないかな」
シロコは痺れの収まった身体で立ち上がった。両手に愛銃──『WHITE FANG 465』を握って。
「お腹、丸見えだよ」
正面に構え、トリガーを引く。小気味よい音が鮮肉を散らす。シロコの両耳に命の詩が刻まれていく。やがて巨大トカゲは叫び悶えることすら止め、ぐったりと四肢を下ろした。
「……ふぅ」
戦いに1つの区切りがついたと分かり、シロコは身体を弛緩させる。同時に落ち着いた思考が始まり、一言ぽつりと呟いた。
「……そういえば、銃で命を奪うのは初めてかも」
シロコはあのカニと同じように極めて合理的に獲物を殺したが、それとは全く異なる言いようのない重みを感じてもいた。
銃。それに伴う銃撃戦。シロコだけでなく、キヴォトスの生徒にとってそれは遊戯であり、闘争であり、序列を決するものだ。それは番付のようなもので、勝った瞬間の栄光があり、それを求め続けられることは当たり前。二度があるのだ。
だが今は違う。今この瞬間ここにあるのは栄光なんてものではなく、殺した、生き残った、ただそれだけの事実だ。それがひどく冷たくて、ひどく重苦しくて、なのに目が離せない。離したくない。
「……銃弾を使うと処理が大変になるって言ってたっけ」
シロコはすっかり空洞のように静まった巨大トカゲに近づき、その身体に触れる。鉛を撃ち込まれて血をだらだらと流しているがまだ温かく、同じように生きていたことを感じられた。
「シロコ様ー!」
遠くから呼ぶ声に応じてシロコが振り返ると、そこには必死に走るコッコロとユウキの姿があった。非常に緊迫した様子だったが、シロコの様子を一目見ると二人して口角を上げた。
「二人とも、何かあったの?」
「はぁ……はぁ……無事で、何よりでございます」
「無事?」
「主様がスナノヅチが跳んでいるのを見たとおっしゃったので、何かあったらまずいと思いまして」
「……ああ、そういうこと」
ユウキは息を切らしながらサムズアップをしている。絶妙に感情が読めないが、きっと悪いことではないだろうとシロコは感じた。
「これは……スナノヅチをお一人で討伐なされたのですか?」
「ん。余裕だった」
「シロコ、すごい!」
「……ん」
正面から馬鹿正直に褒められ、シロコは顔を赤くして俯く。
「……その。この子、銃と手榴弾を使って倒したの」
しかし、すぐにその顔は実直な色を取り戻した。
「なんだけど、運搬も処理も私がする。だから──」
それを口から出したのは、礼節と呼べるほどに弁えた衝動だった。何かそういう本能があるのかもしれない、とシロコは思う。
「食べてもいいかな」
シロコの言葉に、目に、コッコロは狐につままれたような顔をした。
「……ダメだった?」
「いえ、少々驚いたのです。私達のギルドマスターも、手にかけた命は美味しくいただくのが礼儀だとおっしゃる方ですので、似ているな、と……」
そう言ってコッコロが笑う。
「一人で下処理をするのは大変でしょう。私もお手伝いいたします、シロコ様」
「ん、ありがとう」
シロコは礼を言いながらコッコロの頭を撫でた。
「これだけ量があれば、皆に振る舞えるね!」
「本当はイノシシも食べたかったんだけど……持って行かれちゃった。ごめん」
「それについては問題ありません。スナノヅチもサンドボアに負けず劣らず、非常に美味しゅうございます」
「そっか。それなら良かったかも」
シロコは話しながらスナノヅチを両手で持ち上げた。そのあまりの怪力っぷりに、コッコロは再び狐につままれたような顔をする。
「……こんな所まで似ていらっしゃるのですね」
「何か言った?」
「いえ、こちらの話でございます。ではアビドス高校に戻りましょうか」
二人が来た道を歩き出す。シロコもそれを追って横に並んだ。
◆
夕暮れ時の運動場に帰って来たシロコ達を待っていたのは、山積みになったサンドボアの群れだった。
「……何これ」
「あ、シロコちゃん! おかえりなさい☆」
「いや……うん、ただいま。ノノミ」
困惑するシロコをよそに、ノノミは連れられた二人へと視線を移していく。
「お二人とも初めまして! 私は十六夜ノノミと言います。それから──」
ノノミはふわふわと身体を動かしながら、隣に立つ赤いメガネを掛けた少女の肩に両手をちょこんと乗せた。
「私は奥空アヤネと言います。初めまして」
「私達も、対策委員会のメンバーなんですよ〜☆」
「……なるほど。すみません、申し遅れました。私はコッコロと申します」
「僕はユウキ! コッコロちゃんの主様なんだ!」
「……えーっと、主様?」
ユウキの衝撃的な言い回しに面食らうアヤネを見て、ノノミは口元に手を当ててくすくすと笑う。
「まぁとにかく! 今日一日、よろしくお願いします☆」
「と言っても、もう夕方ですが……何かお困りのことがあれば、いつでも言ってくださいね」
「ありがとうございます。ノノミ様、アヤネ様」
コッコロとユウキは、最大限の感謝を示すために深々と頭を下げた。
「ねぇ、ノノミ。もう聞いてもいい?」
「はい! どうしたんですか、シロコちゃん?」
「なんでイノシシが山積みになってるの?」
当然の疑問である。シロコの態度は質問のそれというよりは、なぜ平然としていられるのかという非難に近かった。しかし意外にも、ノノミもまた似たような顔を浮かべた。
「そりゃ、それが勝負の内容だったからですが……」
「いやいや。それにしてもこんな数のイノシシが捕獲出来るのがおかしいじゃん」
「おかしいですかねぇ?」
ノノミは首を傾げながら遠くを見る。そこに何かがあるのかと思い、シロコはそちらを同じように見上げた。
「──え?」
怪奇現象。そこで起こっていた現象は、そう形容するのが最も適切であるはずだ、とシロコは思った。
イノシシの雨が降っている。より厳密に言えば、恐らくホシノが校外から運動場までイノシシを投げ続けている。
「ホシノ先輩だったら、まぁおかしくはないですよね」
「ん! 絶対におかしい!」
それらは正確無比な軌道を描いて、運動場の中央で山となっていた。塵も積もれば山となると言うが、ホシノにとってはイノシシですら塵なのか。
「あはは……『出遅れたし、本気出そっかな〜』なんて言っていましたが、まさかこれほどとは……」
シロコはもちろん、アヤネも既に引いていた。そりゃあヘリが全滅する訳だ、とむしろ納得する段階にまで来ていた。
「主様。私は夢を見ているのでしょうか……?」
「すごい! サンドボアがいっぱい!」
しばらく口々に感想を言い合っていると、やがてイノシシの雨はぴたりと止み、この騒動の原因が校内へと舞い戻って来た。
「さてさて。一体、シロコちゃんは何匹のサンドボアを持って帰ったのかな〜? おじさん、楽しみだな〜?」
ホシノはじりじりとシロコに近づいていく。すると、降参か抵抗か、捕まるまいと全力で逃げ始めた。
「あれ〜!? シロコちゃん、もしかして負けちゃいそうなのかなぁ!?」
「まだ負けてない! 機を伺ってるだけ!」
ぎゃいぎゃいと走り回る二人を見て、アヤネは溜息を吐いてからコッコロとユウキに向き直った。
「そろそろ、晩ご飯の支度を始めましょうか」