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ホシノは背中を運動場の地面に擦り付けられながら、自身の過去を思い出していた。最高の神秘だとか何だとか、好き勝手に言われていた記憶だ。そういった経験から自分はある側面で価値のある存在なのだろうと学んでいたが、さすがにここまでの状況となると困惑を隠せなかった。
ホシノに馬乗りになって両手を組み合っている彼女は、明らかにホシノと同じ容姿をしていた。同じ背丈、同じ髪、同じ制服、同じボディアーマー──眠たげな鋭い瞳孔のフォルムすら、寸分違わずホシノだ。なりすましだろうか。にしては身体能力がありすぎるだろう。クローンだろうか。これは決してあり得ない話ではない。
とにかく、ホシノは偽ホシノと戦わなければならなかった。理由はただ一つ。
「キミみたいな暴れん坊に、うちを滅茶苦茶にされちゃあ、困るんだよね」
彼女がホシノの前に現れたのは、シロコが委員会室を出てからしばらくした頃。俊敏に校外を走るその姿は、窓の外を眺めているホシノを大層驚かせたものだ。手当たり次第に街を破壊している姿を見れば尚更。
「後輩を守るのが、先輩の役目、だしっ!!」
ホシノは言いながら偽ホシノの腹部を蹴り飛ばした。彼女はふわりと飛び、距離を離して着地する。
「『意外と根性あるね』」
「……何? 私のモノマネのつもり?」
「『無事に見つかったし、あとは持ち主に返すだけ』」
偽ホシノがボディアーマーに吊るされたショットガンを握る。ホシノもそれに合わせて同じ行動を取った。
同時に地を蹴る。相手の頭を狙うために銃身が持ち上がり、同時に発砲。ステップを踏んで被弾を避けると、互いにもう一発。再び身体を動かし──ホシノは目を見開いた。
「……本気?」
調和が乱れた。つまり、偽ホシノは散弾を避けなかったのだ。なぜそんなことをしたのか。ホシノの脳内を思考が駆け巡る。偽ホシノの顔を見れば、そうしている間にも顔面が衝撃で歪められていく。
避けないことに利がある? どれ程の利があれば回避を選択しない? ここまで私と同じヤツが、どうして私がすぐに選択しないことをした? ──例えば、私が見落とした、致命的な違いがあるとか。
「『もう良いかな?』」
視界の端、月光をちらちらと反射した小さな筒。それを知覚して、ホシノは謎の行動の答えを直感した。
「思考を挟ませる罠──」
「『当たりだね』」
瞬間、閃光。視界が白に塗り潰され、がんがんと鼓膜を揺らされる。スタングレネードだ。何も見えない、何も聞こえない。目の前の敵の動きが分からない!
「くそっ!!」
少しでも状況を確認しようと、ホシノはダメージがマシな方の目を開いた。見えないよりはずっと良い。ぼやけた風景に映ったのは、ホシノの頭に向かって既に放たれた散弾のみ。
ホシノはしゃがんで地面に手をつくと、水泳のスタートのように前方へ必死に飛び込んだ。着地より早くに身体を捻り、背中をざりざりと滑らせながら、背後に回り込んだであろう偽ホシノへとショットガンを発砲する。
「『諦めが悪いねぇ』」
しかし、足掻き以上の意味を持たないそれを、偽ホシノは正面からバリスティックシールドで受け止めた。
「撃つ場所が合ってるだけマシじゃないかな?」
「『じゃあもっと進んでみようか』」
偽ホシノはそう言うと、ショットガンをこれ見よがしに自身のボディアーマーに吊るす。そして背に手を伸ばし、もう一枚の展開されていないバリスティックシールドを取り出した。
「……手癖、悪くない?」
「『うへ〜』『当たり前のことを聞くんだね』」
「まぁそっか。私に似てるし」
ホシノは息混じりで適当に笑うと、胸部に取り付けられたホルスターから拳銃を取り出し、偽ホシノへ向ける。
「でも、予想通りの動きで助かったよ」
そして手首をスナップさせて、奪われたバリスティックシールドを撃った。それは衝撃によって角度を変え、偽ホシノの意思に関わらず勝手に展開を始める。
「いつの私をコピーしたのか知らないからさ。信管に不備のある手榴弾を知ってるのか、賭けだったんだよね」
展開されたバリスティックシールドの内側に格納されていたのは、剥き出しの散弾と、既にピンを抜かれた数個の手榴弾。
「『……うへ〜』」
間の抜けた声。
刹那の後、爆煙が一気に広がり、偽ホシノの輪郭を灰色で呑み込んだ。
「ホシノさん!」
立ち上がるホシノの背中に声が掛かる。振り返れば、校舎からユウキが走って来た所だった。
「ユウキ君か。気を付けてね、今戦闘中だから」
「分かってる! ホシノさんを強化しに来たんだ!」
ユウキは大剣を両手で構え、魔法陣を展開した。幾何学模様が光を放ち、地面に刻まれた輝きがホシノへと収束していく。
「これでシャドウを倒せるはず!」
「へ〜、そんな理屈があるんだ」
新しい情報にホシノが興味深そうな顔をしていると、爆煙が徐々に晴れてきたようで、その中のシルエットが見えてきた。
「『やっぱり幸運がそうそう自分からやってくるわけないか』」
彼女が、偽ホシノが──おびただしい数の破片型手榴弾を携えて。
「……何のつもり?」
「『正直に話すよ』『隠しごとなんてないに越したことはないだろうし』『これ』『提案というかスカウトというか』」
「スカウト?」
継ぎ接ぎのような気味の悪い発音を響かせながら、偽ホシノは言葉を紡ぐ。
「『私は』『おじさんを』『捕食』『したいかな』」
「……捕食」
「シャドウは元となった人を取り込むんだよ」
ユウキは簡潔に言葉を挟んたが、その意味はずっと重い。それを聞き、ホシノは一層目を鋭くした。
「提案ってことは、当然その対価はあるんだよね?」
「『ん』『ちゃんとお礼はする』『アビドス』『から』『完全に手を引く』」
「……その手榴弾は、決裂した時に使うってことか」
偽ホシノはゆらゆらと揺れながら、首を縦に振った。
「『提案を受ける以外』『あり得ない』『よね?』」
ホシノは視線を落とし、顎へ指を添えた。いつもの飄々とした笑みは消え、代わりに浮かんでいるのは計算と覚悟の入り混じった静かな表情だ。
「……ホシノさん?」
「『これ以上』『失いたくない』『でしょ?』『実際のところ』『みんな』『なら』『私がいない』『時間も』『強い』」
「ダメだよ、ホシノさん!」
「『あとのことは、気にしなくて良いよ』」
その声音は優しかった。
「……確かに、後輩達は私がいなくなっても大丈夫かもね。皆成長してるから」
「『じゃあさ』──」
「でも。申し訳ないんだけど、その提案には乗れないな」
「『どうして?』」
偽ホシノの首が、理解できないと言わんばかりにこくりと傾く。私と同じはずなのに、と考えているのかもしれない。しかし、それはホシノにとってみれば当然のこと、自明の理。
「先輩の想いを、繋がなきゃいけないからさ」
今にも砂に埋もれそうな夢を、決して手放したくないから。ホシノの瞳は、静かに、しかし揺るがず燃えていた。
「『そっか』」
偽ホシノが柔らかい声音でそう言うと、その掌から紫の瘴気がぼうぼうと溢れ出す。それは山のように積み上がった手榴弾を次々と包み込み、重力を裏切って持ち上げた。
「『じゃ』『さよなら』」
次の瞬間、無数の黒点が弾かれたように散開した。本館、別館、体育館──それぞれの屋根や窓へ向かい、一斉に殺到する鉄の雨。
ホシノは地面を蹴る。風を切り、身体を弾丸のように発射する。一つ掴む。五つ蹴り飛ばす。四つ抱え込む。しかし、あまりに数が多すぎる。どれだけ全力を振り絞ろうが、指の隙間から、足の間から、未来が零れ落ちていく。
「守るんだ……!」
視界の中で数え切れない程の信管が震える。カチカチという音が、耳鳴りのようにホシノの頭蓋骨を打ち続ける。能天気な計算が、いとも容易く破綻する。
あと十、いや、二十、三十、四十──
「──風の精霊よ!!」
凛とした声が空気を裂いた瞬間、風向きが変わった。地表を撫でていた気流が一斉に反転し、この場を支配する手榴弾という手榴弾を巻き上げた。ホシノの腕から、散らばった宙から、同時に重力が奪われた。
無数の鉄塊は螺旋を描きながら上昇し、夜空へ吸い込まれた。そして──遥か上空で、光が咲いた。
「これは──」
ホシノは声がした方を向く。視線の先、校舎の影から、揺れる髪と共に小柄な少女が現れた。
「到着が遅れてしまい申し訳ございません。シロコ様にシャドウが現れたと報告して頂かなければ、助太刀すら出来ませんでした」
「いやいや、ナイスタイミングだよ〜!」
コッコロは褒め言葉に対して、控えめにサムズアップをした。そしてユウキへ顔を向けると、従者としての厳しさと優しさを織り交ぜた瞳がきらりと光る。
「主様。寝ている私を起こさないのは主様らしくもありますが、困っている時は遠慮なくおっしゃってくださいまし。お力添えがしたいのです」
「ご、ごめん……」
気まずそうに謝るユウキをよそに、ホシノは偽ホシノへと一気に間合いを詰める。彼の強化を受けているからか、彼女の重心移動、つま先の向き、肩の沈み──全てが線で結ばれ、未来の軌道として浮かび上がった。
撃鉄が落ちる。ステップで躱したはずのその先に、もう一発。予測された着地点へ叩き込まれた散弾が、偽ホシノの頭部を鮮やかに弾けさせた。
膝から崩れ落ち、首元から砂のようにさらさらと崩壊していく。最後には、砂上の輪郭のみが残った。
◆
シャドウとの戦いを終え、委員会室の前まで戻って来たホシノは、同じく帰路に就いたユウキとコッコロへ顔を向けた。
「今度こそおやすみかな」
「そうですね。当面の脅威は去ったと信じたいです」
ユウキは窓の外を見やり、シロコの姿を確認した。彼女は既にロードバイクに乗っていて、豆粒程度のシルエットのみを残している。何かに襲われたりはしていないようだ。このまま問題なく自宅に辿り着けるだろう。
その姿が闇の向こうへ消えるのを見届けてから、静かに窓から視線を外す。
「明日、先生って人がここに来るんだよね?」
「そうだよ。もしかしたら身柄を引き取られるかもしれないね」
「そうなのですね。もしそうなれば、ホシノ様とはお別れ、ということになるのでしょうか」
「寂しくなるね」
「うへ〜、嬉しいこと言ってくれるじゃん!」
ホシノの軽やかな声が、人気のない廊下で柔らかく弾んだ。
「魔物だとか魔法だとか、知らないことばっかりで、初めはどうなることかと思ったけど。案外なんとかなるもんだね〜」
「ホシノ様はお強い方ですから」
「ヒーローみたいだった!」
「……ヒーローねぇ」
今度はその言葉を、口の中で転がすように小さく呟く。
「あのさ。変なことを聞くようで悪いんだけど、ヒーローってなんだと思う?」
「ヒーロー……ですか」
「うん。ヒーロー」
「主様のような方でしょうか」
コッコロは答えが最初から決まっていたかのように、迷いなくすっぱりと答えた。対してユウキは自分の名前が出てきたことに、思わず目を丸くする。
「え、僕?」
「様々な方と絆を結び、幸せな未来を決して諦めない──主様は、そういうヒーローなのでございます」
「ユウキ君が。そうなんだ」
「僕は出来ることをしてるだけだよ!」
ユウキは慌てたように手を振る。しかし、それは決して照れ隠しなどではない。ただそれだけなのだと、本気で信じている顔だった。
「ユウキ君はどう思うの? ヒーローとは何か」
ホシノは興味深そうに首を傾けた。異なる色を持つ双眸を用いて、じっとユウキを見つめる。
彼はというと、少しだけ考え込んだのみだった。
「頑張ることかな」
「こと? 人じゃなくて?」
「ヒーローっていうのは、頑張ることへの褒め言葉だと思う。だから、ホシノさんもコッコロちゃんもヒーロー!」
思考時間に見合う、あまりにも素朴な答え。けれど、その分だけ迷いもない。ホシノは肩の力がふっと抜ける心地がした。
「なるほどねぇ。私が難しく考えすぎなのかもなぁ」
小さな肩を竦める。吐き出した息は、どこか長く、そして軽かった。
「二人とも、真面目に答えてくれてありがとね。じゃ、また明日」
「また明日!」
「また明日、でございます」
短い別れの挨拶を交わす。三人はそれ以上言葉を重ねることなく、それぞれの方向へと自然と足を向けた。ユウキとコッコロは空き教室へ、ホシノは委員会室へ。
そして廊下には、再び静寂だけが戻る。