『おい!腹が減った!』
(これは、夢か)
以前妖刀を掴んだ際に見たような、鍛冶師のいた住居と同じような壁が見える。
『いつまで寝ているんだこいつは!』
(この景色……、初代の故郷か)
『まったく、相変わらずの仕方ない下僕だ』
(しかし、やけに視線が低い)
視界のなかに黒い前足が映り込み、布団を被っている女の鼻にそれが触れる。
「んぅ……」
女は不快そうに眉を顰めると、ゆっくり瞼を開く。
「おはよう、アキ……」
微睡に包まれながらも猫又と同じの名を呼ぶと、手を伸ばし頭を撫でてくる。
『これに免じてゆるしてやろう』
視界が黒く染まり、闇が開ける。
布団から身を起こす、最初に見た時よりも細くなった女が映った。
「ゴホッゴホッ……!ごめんね……、ご飯はちょっと待っててね……」
『おい!弱い奴は寝てろ!飯なら自分で取ってこれる!』
猫又が女の膝に跳び乗ると、女は困ったような表情をする。
どかせば良いものをそれが出来ないのは身体が弱っているからか、それとも愛ゆえか。
(これは、猫又の記憶か……)
再び世界が闇に染まり、過ぎ去る。
そして視界に映ったのは、血と暴に染まった集落であった。
外に出ていたのか猫又は息を荒くしながら、ある方向へと向かっている。
(野盗が襲撃に来たのか?)
周囲からは怒号と悲鳴、何かが壊される音が絶えず響いていた。
突如猫又が壁に向かい走り出すと、ぶつかる寸前で壁に爪を立て一気に駆け上がる。
「やめ、てっ――!」
「大人しくしとれっ!」
越えた先に映ったのは、痩せた女を組み敷く男の姿であった。
視界が一気に男へ近付くと、喉へ噛み付いたのか出血をさせた。
「あああアアア!!」
男の肌と血で満ちた世界が突如反転し、激しい揺れと共に視界が庭を映す。
恐らく身体を掴んで投げられたのだ。
「ゴホッ……!アキっ……!」
「この畜生め!オラの首を噛んだな!」
小さな口では男の首を切り裂くには至らなかったのか、手の隙間から血が流れる程度で済んでいる。
『人間が!』
猫又が再び走り出し、男の足へ食らいつき爪を立てる。
「この!何しやがる!」
男が足を激しく動かし、吹き飛ばされる。
「アキっ――!いやああ!」
そして男は鎌を拾うと、目の前で振り上げた。
「やめてっ!!」
その凶刃は猫又に覆い被さった女の首を貫き、命を奪いさった。
「あ、おっ……!お前が出てくるのが悪いんだからな!」
男がそのような言葉を吐き捨てながら、庭へ飛び出していった。
『おい――!起きろ!起きろ――!』
女の下に血溜まりが出来上がっていく。
『お、のれ……、おのれ、オノレ!』
視界が赤く昏く染まり、歪み捻れていく。
視界に移る黒の足が肥大化し、爪が鋭く伸び、青い火が灯る。
巨大な獣の腕が亡骸となった女に触れると、青い炎が燃え広がっていく。
その炎は亡骸を一瞬にして灰に変え、家に燃え移ることなく煙となって消えた。
再びの闇が訪れる。
そして闇が明けると、目の前には胸に幾つもの切傷がついた男が壁に追い詰められていた。
「ひ、ひいいいいいい!おたすけええ!」
『下種な人間めが……!』
逃げようとした男の首は呆気なく分離させられ、血潮を撒き散らして倒れ込むのだった。
『派手にやってるじゃない』
『――ああ?』
声が聞こえ振り返れば、そこには白く小さな獣の姿があった。
『でもね、あまり他所様の縄張りで目立つ動きしたらいけないわ』
猫又と同じような獣の姿、違いがあるとすれば猫又の尾は二本であり、この者は三本ということだ。
『なんだお前、我に文句でもあるのか』
『ふふふ、いえいえお偉い飼い猫様には、豪華な屋根の下がお似合いかと思って』
『消えろ、ここは今から我の縄張りだ』
突如、視界の周囲に太い竹がいくつも突き刺さる。
『――ここは私の縄張りだから早く出て行けと言ってるのに、小娘には分からないかしら?』
青い炎が竹を焼き尽くす。
『我は警告したぞ』
『まったく成り立ては、世間知らずばかりでいけないわね』
亡骸の転がる林のなかで、二つの妖がぶつかった。
――
戦闘は長く続かない。
『成りたてにしては頑張ったわね』
『くっ……!』
黒い手足を太い竹に貫かれ、猫又の身体が地面に固定される。
『ごめんなさいが出来たらお家に帰してあげる』
『帰る場所など――、とうに無いわ!』
出血するのも構わず、黒い手足を引き抜こうと暴れ出す。
『可哀想に、だったら私の所で面倒をみてあげましょうか?』
白い妖は大した興味もなさそうに、自らの毛並みを整えながら告げる。
『誰が貴様の下などに――』
『負けた妖に自由なんかあるわけないでしょ?今日一日そのままで生き延びたら迎えてあげる』
白の妖は青と緑の瞳で一瞥すると、その場から煙のように消え去った。
『クソっ!』
再び世界が闇に満ちていく、しかし闇が開けることが無い。
不意に白い光が現れ、一箇所に集まっていく。
そしてそれは、先ほど見た白い妖の姿となった。
『あんまり覗きばかりしてたら、馬に頭を蹴られるわよ?』
(これは、記憶では無いのか……?)
『あら、喋るのが取り柄の人間様が口も聞けなくなってしまったのかしら』
「お前は、なんだ」
『人間達は私の事を『猫魈』と呼ぶわ、そして、貴方が抱いてる子の主よ』
『猫魈』、猫という獣が長い時を生き、妖へと変化した姿。
猫又のような妖を取りまとめる総大将とあった、つまりはこの妖も相当な実力者ということだ。
「猫又が探していた大将というわけか、なぜ妖刀を盗ませようとした」
『貴方に会うためよ、私達は帰りたいの』
猫又の行動がおかしくなったのも、やけに隙を晒すようになったのもこの妖の指示ということのようだ。
「そのような事をしても無駄だ、私は帰る方法など知らない」
『本当かしら?私は嘘が嫌いよ?』
猫魈から途轍もない妖気が放たれ、闇の世界が歪み始める。
(この威圧感、血霧童子に匹敵する程のものだ)
「残念だが、私は嘘が得意な方ではない」
深く呼吸をして、精神を研ぎ澄ましていく。
『そう』
瞬間、放たれていた妖気が消え、世界の歪みが元に戻る。
『ふふふ、そんなに怖い顔をしないで?』
猫魈の雰囲気が柔らかい物に変わり、思わず入っていた腕の力が抜ける。
『私と戦えるのがそんなに嬉しかったのかしら』
「嬉しい――?」
猫魈の指摘で、頬が上がっていたことに気付く。
構えを解くと、世界に一筋の光が差した。
以前と同じならば、朝が訪れたという事だろう。
『時間切れね……、最後に一つだけ』
世界を光が満たしていく。
『あの子がそばにいる間は、守ってあげてね』
「彼女が求めるならばそうしよう」
『ふふっ、次は直接会いましょうね』