天に渦巻く嵐の中、アーサーは地母神の成れの果てと対峙していた。彼の顔を大粒の雨が打つ。
空間を縫うように放たれた
湖の精霊の加護と呼ばれるそれは所有者に水面を歩く力を与える。もっとも、荒れ狂う大海原に立っていられるほどのものではないが。
だが、ほんの一瞬波を蹴ることができたのであれば、アーサーにはそれで十分だった。
鞘を肉体の内側に沈め、聖剣を抜く。これまで旅の間に使ってきた魔剣はいつの間にか彼の腰から消えていた。モルガンがモードレッドを召喚した際、そちらに転移したのだろう。
一つ──共に戦うものは勇者でなくてはならない。
ほのかに光の灯った聖剣で、アーサーは迫りくる蛇の頭を両断した。
「爬虫類風情が、僕の前に立つな」
二つ──心の善い者に振るってはならない。
聖剣の光がいくらか増した。アーサーは落下する勢いのまま海から湧き出てきた、おそらくは
三つ──この戦いは誉れ高き戦いである。
再び水面を跳躍し、アーサーは敵の体に張り付いた。
四つ──これは生きるための戦いである。
蛇の形をした頭髪が雷を纏い、アーサーの四方を取り囲んでいる。
五つ──これは己より強大な者との戦いである。
「──」
アーサーは深く呼吸をして、剣を両手に構えた。“ドクン”と、竜の心臓が鼓動し、一息のうちに彼の体が魔力で満ち溢れる。
六つ──これは一対一の戦いである。
「『
拘束の半分が解放され、聖剣から光が迸り、アーサーの前に道を作った。
七つ──これは人道に背かぬ戦いである。
彼はすかさず女神の首にめがけて刃を振るう、しかしそれはほんの僅かに切り傷をつけるに留まった。
「……やはり、聖剣で傷つけることは難しいか」
八つ──これは真実のための戦いである。
アーサーは一度女神の体を離れ距離を取った。魔術で軌道を調整し地上へと舞い降りる。
視界の隅では漁村の住民とおぼしき人物らがこちらの戦いを見物していた。巻き込んでしまっていることにアーサーは申し訳なく思わないでもないが、それよりも“見ていないでさっさと逃げろ”と呆れる。
仕方ない。誰だって目の前で神話の如き戦いが起きていれば、見てみたくなるものなのだ。アーサーはなるべく彼らを巻き込まないよう、蛇の怪物を山の方に誘導しようと心に決めた。
九つ──これは精霊との戦いではない。
さて、聖剣で地母神の肉体を傷つけられなかったことにアーサーは“やはり”と言ったが、それには理由がある。
聖剣『
十──これは邪悪との戦いである。
怪物の体が陸に上がり、徐々に近づいてくる。
「はは、なるほど。それも許されるのか! 面白い!」
その後の行動を見てアーサーは思わず笑ってしまった。地母神、否、蛇の怪物がその尾を振り上げていたからである。
尾の先には光り輝く巨大な剣があった。ヤマタノオロチの尾より生まれた剣、アーサーの持つ聖剣と同じ神造兵器。
名を草薙の剣という。この国の三種の神器の一つであった。
十一──これは私欲なき戦いである。
怪物の尾から、星の息吹を束ねた一撃が放たれる。『
「『
十二──これは世界を救う戦いである。
『
原点において持ち主は不老不死となり、決して傷つくことがないと言われた治癒能力を有するそれは、いくつかの要素に分解することができた。
絶対防御──それは鞘としての要素。武器を収める道具であり、その力は敵の攻撃の一切を受け付けない。
不老不死──アヴァロン島、理想郷としての要素。それが持つ癒しの力によって、受けた傷は瞬く間に癒されていく。
空間接続──星の内海と地上を繋ぐ路としての要素。アーサーの遺体を運んだ小船としての能力。
そして最後にもう一つ、未だ使われていない能力がある。
異なる世界、異なる未来において、『
第四の能力、反射──それはアヴァロン島が妖精の泉、星の内海に浮かぶことから来る泉の性質だ。波立つことのない湖は、その湖面に世界を映す。つまり、鏡としての要素である。
で、あるならば、草薙の剣が鏡たる『
草薙の剣は太陽神アマテラスの弟スサノオからアマテラスに
もうお分かりであろう。神話の故事で確定した上下関係が覆ることは決してない。
蛇の尾から放たれた光は、そっくりそのまま跳ね返されて自らの剣を折った。
十三──これは理想を示す戦いである。
神話の戦いとは結局のところ、相性の勝負である。ギミック戦であるとも言ってよい。
だからアーサーは、目の前の女神に生じた隙に完全解放された聖剣の光をただ放つのではなく、一計を講じることにした。
『
「失礼、お邪魔させてもらうよ」
そして──口腔のなかに収まった。
『──?』
自我を持たない星の抑止力の端末も、流石にこの行動には疑問を抱いたようである。
“なぜ自ら命を差し出すようなことをしたのか、なぜ攻撃のチャンスをみすみす逃したのか”
そしてその答えはすぐにやってきた。
日本神話の故事を振り返ると、カグツチを生んで焼死し、黄泉の国へとやってきたイザナミは黄泉の国の食事を食べることで完全に黄泉の国の存在になり、現世へと帰ることができなくなってしまったとある。
一つ、食事による存在の確立。
また、自分の醜い顔を見たイザナギを追いかける際、葡萄、筍、そして桃によって足止めを食らった。いずれも邪気を払う神聖な力を持った食べ物、魔術的に言えば生命の象徴である。
二つ、冥府の存在としての生命の否定。
さて、では怪物が先ほど食べてしまったものはなんだろうか? それはアヴァロンを纏ったアーサー王である。
アヴァロンとは生命の実、林檎の島、理想郷だ。生命の実どころかそれが育った土壌そのものを食らってしまった冥府の女神に──たった今、強烈な自己矛盾が発生した。
『──ッ!?』
それは霊基そのものを崩壊させてしまうくらいに。
ああ、惜しいかな。もしアーサー王の瞳に直死の魔眼が宿っていたなら、彼は怪物の腹の中でさぞ美しい線と点が織りなす死の紋様が見られただろうに。
「『
まぁ、もっとも。
「──
そんな魔眼がなくても、こんなにボロボロになった冥府の女神の体を内側から壊すことなど彼には容易いが。
「星よ、イザナミなんて神をつけ足したのが悪かったな。それは地母神でありながら生命とは相容れぬ冥府の女神となった存在。蛇の怪物だけなら、まだもう少しやれただろうに」
もっとも、やってきたのが純粋なヤマタノオロチだったならモルガンが来てくれるまで持久戦をして、その後
神話の生物は強力である。だが忘れることなかれ、彼らはすでに過ぎた時代、終わった物語の登場人物。故にその終わり、その弱点はどうしようもなく確定してしまっているのだ。
◇
「あの、それは?」
全ての戦闘が終わり、嵐も晴れた。抑止力の守護者たちは敗退し、モルガンが呼んだ英霊も座に帰った。
山の麓にて合流するモルガンとアーサーであったが、アーサーはその腕に何やら肉片のようなものを抱えている。それは脈動し、蠢いていた。
「あぁ、これかい。先ほどの怪物の、まだ生きている部分だよ」
「あれだけの攻撃を食らってもまだ生きているのですか」
「文字通り、腐っても冥府の女神の霊基を宿した怪物だからね。たぶん不死だと思うし……うん、黄泉平坂の故事に倣ってこの山の洞窟にでも封印することにしようか」
かくして、星の抑止力の派遣した怪物はこの山の洞窟に封印されることになる。それが転じて後に建つことになる寺の名前が蛇、いや龍を封じた山としての名を冠し龍洞寺になり、やがて柳洞寺へと名前を変えていく……のかもしれない。
怪物を封印したあと、二人は山の頂上を目指した。そこに降臨した聖杯の輝きを目指して。
「これが……聖杯……」
「ほら、姉上。持ってみると良い」
アーサーは“ぽいっ”と、まるでその辺に転がっている石でも扱うような軽々しさで聖杯を投げた。
モルガンはそれが地面にぶつかって傷つかないように慌てて受け取る。
「ア、アーサー! お前は聖遺物をなんだと思っているのだ! ……しかし、これほどの礼装は見たことがない。聖剣の宿す神秘以上のソレだ、さすが神の子の血を受けたという聖杯」
「──」
モルガンがマジマジと、“これを魔術で再現できないだろうか……”などと興味深く観察しているように、アーサーはモルガンの様子を観察していた。
アーサーは思う。彼女は旅の中で変わった。
聖杯とは奇跡だ。相応しくない者の手には渡らない。それこそ、かのランスロットでさえギネヴィアとの不倫が原因で聖杯に相応しくないと拒否されたのだから。
モルガンが仮に邪悪な願いを抱いていた場合、彼女は物理的に聖杯で願いを叶えることができない。
彼女と協力して聖杯を探索するなどとは言ったが、はじめからアーサーは安全策を用意していたのである。自分の国を滅ぼした魔女なんて信用するわけがなかろう。信用するやつがいるとしたら、それは愚者だ。
もっとも、その安全策が発動することはなかったが。現に目の前で、彼女は新しい玩具をみてはしゃぐ子供のように聖杯を睨め回している。邪悪な願いを持っていたならばアーサーに取り返されないようにすぐさま聖杯を発動させていたことだろう。
しかし、いやはや、彼女とこんなに親しくなるなど、アーサーは予想だにしていなかった。
もしかしたらこちらが本来の彼女の気質なのかもしれない。ブリテンにいた頃は、抑止力に魔女としての役割を被せられていたのだろう。全部抑止力が悪い。アーサーはそう思うことにした。
「モルガン」
「……ん、どうしたのです?」
「残念だけど、そう時間はない。抑止力の妨害がまたいつ来るかも分からないんだ。早めに事は済ませておきたい」
それはつまり、モルガンとアーサーの別れを意味していた。彼自身名残惜しいと思うが、仕方がない。もともとそのために世界の果てまでやってきたのだから。
「そうですか、では。お前の願いを聞かせてみなさい。抑止力のない世界と言いますが、それは具体的にどう成し遂げると言うのですか」
聖杯を抱き、何やら見定めるようにモルガンはアーサーを見てくる。
「いや、姉上が先に聖杯を使ってくれ。僕が使うのはあとで良い」
「だとしても、まずはお前の考えを教えてもらいます」
「なぜ?」
「……場合によっては、私がお前を止めるからだ」
「は、はぁ? 意味が分からない。僕の願いは、いやまぁ、理屈を知れば姉上も嫌がるような内容かもしれない。ではこうしよう、世界線を変えれば良い。僕が願いを叶える世界線と、姉上が願いを叶える世界線を別にすれば、僕らの願いがバッティングすることはなくなる。そうだろう?」
「そうではなく、その」
モルガンは言葉を詰まらせ、言い淀み、頬をかいた。そして決心したように息を吐くと。
「お前は願いを叶える過程で、『 』に接続し死んでしまうのでしょう? 私は……お前の命が、くだらない世界のために消えるというのが、なんというか、我慢ならないのです」
「──は?」
「もっと正直に言えば……私はお前に、死んでほしくないのですよ。アーサー」
“……いつの間に僕はここまで彼女の好感度を稼いでいたのだろうか?”と、アーサーは思った。
「もしかして抑止力に僕を止めるように言われてるのかい?」
「失敬な。自分でも、おかしなことを言っているとは思っています。でも、でも、お前は私を道具でも魔女でもなくただの姉として扱いました、他の者たちと違って。その関係が私にはとても得難かったのです。私には、妖精眼があったから」
モルガンはそう言うと悲しげに自分の目に触れた。彼女を個人として尊重してくれた人間は誰一人としていなかった、母親でさえも。モルガンもそのことは当然見えていたはずなのに、母だけはと自分の心を守るために嘘をつき続け、嘘を固めるために母を辱めたウーサー、ひいてはその子アーサーを憎んだ。
だが、彼女を対等に尊重してくれる存在とはまさしくその敵であるアーサーだったのだからお笑い種である。
「だから私は、弟であるお前を失うに相応しい理由を、自分の心を納得させるだけの理由を知りたいのです。どうかそれを答えてくれませんか?」
そう言われてしまえば、アーサーが拒否する理由もなくなってしまう。
「……分かった。教えよう。だがその前に、姉上がもともと抱いていた願いを教えてくれないか?」
「そうですね、私は──」
◇
はじめはきっと、
美しいものを知ってからは、
今は多分、
◇
聖杯が奇跡を生む。
「
アーサーはそれを掲げ。
「聖鞘、開帳──其は理想郷へと至る路、妖精の泉、星の内海に浮かぶ島」
王の体、その内側に収まっていた鞘が光を放ち。
「我願う──この世全ての神秘を、我が手に」
彼は一言唱えた。
「『
そして世界から。
『
消滅。
し。
た。
◇
そして時は巡り、はるか未来、2004年の冬木の地に、一人の少女が訪れる。
・第四魔法『
アーサー・ペンドラゴン(史実)が使用した。神秘の一切を否定し、秘匿するもの。世界を根源から切離す行為が成立したことで、それは魔法と相成った。
この魔法が成立した時点でいかなる魔術、魔法、幻想も世界に存在できなくなる。
根源から切り離され、神秘を失った世界は初めからそうであったように現実が改変された。だが、それで何かが変わるというわけではない。
親株から採られた挿し木が大地に根ざし成長するように、雛鳥が巣を後にし大空へ飛び立つように、神秘を失おうとも人が、世界が歩みを止めることはないのだから。
奇跡による救済は要らない。超常の存在による滅びも要らない。定められた運命のない、未来の分からない世界。
アーサーが望んだのは、そんな平凡でつまらない世界だったのだ。
◇
謎多き第四魔法を捏造させてもらいました。次回にエピローグと設定・考察・解説です。