アーサー王(史実)がしたこと   作:妄想壁の崩壊

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愛歌とのイチャラブが見たいって感想がちらほら見られたので書きました。原作1と2とボイスドラマしか読んでないので知識には穴があります。不定期更新です。


蒼銀のフラグメンツ
蒼銀のフラグメンツでしたこと【1】


 

燃え盛る街の残骸の中で、二人の男女が会話している。

 

「アレを討伐するには、私の第一宝具を解放せざるを得ない」

 

「けど、それをやってしまえばあなたは死ぬ。それだけじゃない。世界の記憶からもきっと消えてしまうと、そう言ったのはあなたよセイバー! どうしてあなたが世界を救うために、自分を犠牲にしなければならないの? 他人なんて、いくらでもいる。世界だって替えがきく。でも、あなたの代わりなんて私には……」

 

「違う、私は世界のために消えるわけじゃない。これはきっと君のためだ。言っただろう。私は君に()になって欲しいんだ。だから、そのための手段として私はついでに世界を救う」

 

“最後に、まだ教えてなかったことを君に教えておこう”と言って、騎士()()の手を取った。

 

「出会いがあれば、別れもある。それが人というものだ」

 

「……そう。人は、こんなにも苦しい心を持って生きていかなければならないのね。私には難しいわ」

 

「そんなことはない。君はきっと人になれる。私がそれを保証しよう」

 

かくして、姫は涙を拭き取り笑顔で騎士を見送る。

 

「ありがとう、アーサー。私、私きっとあなたに会いに行くから! だから、その時まで──!」

 

「ああ、いつかまた会おう」

 

“愛歌”と、騎士は女の名前を呟いたあと剣を取り、獣へと立ち向かう。

 

そして、己の宝具を解放した。

 

 

 

 

これは『 (根源)』の姫が、人に堕ちるまでの物語。

 

 

 

 

聖杯戦争。過去の英霊をサーヴァントとして呼び出し、万能の願望器たる聖杯を求めて相争う魔術儀式。それが今宵、この東京の地で巻き起ころうとしている。

 

そしてその戦争に参加する魔術師のうちの一人、沙条愛歌──マスター階梯第一位、熾天使の位を受けた彼女はまるで恋人と逢瀬(デート)にでも向かうような心持ちでその戦争に挑もうとしていた。

 

彼女は識っている。自分の呼び出すサーヴァントは誰なのかを。

 

彼女は識っている。生まれながらにして満たされているはずの存在である彼女が、今宵初めて恋をして、誰かを求めることになることを。

 

だから、期待を籠めて唱えるのだ。“抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ……!”と。

 

瞬間、魔法陣の上に嵐が生まれた。愛歌はめくれ上がらないようスカートを抑え、側で見守っていた愛歌の父──沙条広樹は顔にかかる風を手で防ぐ。やがて嵐の中から眩い光が放たれ、愛歌の耳に、聞けば蕩けるような甘い声が届いた。

 

「問おう。君が、私を呼び出したマスターか?」

 

風のカーテンが上がり、魔力の名残が爆ぜてパチパチと喝采を上げる。そこにいたのは蒼銀の鎧をまとった美麗な騎士であった。その容姿は鎧と対になるような金髪翠眼で、高貴さの証である黄金と翡翠を持って生まれたかのよう。

 

夢見る女の子がその男を見てしまえば、誰もが恋に落ちるだろうと断言できるほどの完璧な王子様だった。

 

ああ、凄い。識っていたよりもずっとずっとカッコいい! 凛として、美しく、その佇まいは優雅そのもの! と、愛歌は自分のものとなった使い魔を絶賛する。

 

サーヴァント階位第一位。『■■■■(セイバー)』のサーヴァント。抑止力より遣わされた、現代に蘇りし英雄、ブリテンの赤き竜の化身。

 

その名をアーサー・ペンドラゴンと言う。

 

「失礼、レディ。君の名前を聞かせてほしいのだが」

 

「あ、ご、ごめんなさい!」

 

話しかけられた喜びで、愛歌は言葉を詰まらせてしまう。

 

うぅ、恥ずかしい。私、こんな上がり症だったかしら。セイバーに変に思われたらどうしよう。

 

などと考えながら、彼女はイジらしく片手で髪をくるくると巻きながら答える。

 

「私は愛歌、沙条愛歌よ。それから、そこにいるのが私の父」

 

「沙条広樹だ、セイバー。よろしく頼む」

 

「よろしく。知っていると思うが、アーサー・ペンドラゴンだ。聖杯戦争中はクラス名、君たちの呼ぶ(・・・・・・)クラス名で呼んで欲しい。しかし、マスターは愛歌の方なのか……」

 

アーサーはそう呟くと、愛歌の姿を上から下に睨め回す。その視線を受けて愛歌は思わず顔を赤くし俯いた。女として品定めでもされているのかと、少し期待して。

 

「恥ずかしながら、娘の方が魔術師として優れているのでな。私は今回、彼女のサポートにあたる」

 

“もっとも、私のサポートが必要かどうかも分からないが”と言って、沙条広樹は苦笑いした。

 

広樹は娘である愛歌の異常な才能に畏怖し、そして期待している。だから、自分ではなく彼女にマスター権が宿ったときも、大してそれに驚かなかったのだ。

 

「そうか。しかし自分から身を引き、後進へと託すのはそうそうできることではない。何も恥ずかしがることなどないと私は思うよ。広樹」

 

「……あ、ああ。そう言ってもらえると、なんだ、私も嬉しい。セイバー」

 

ド直球なアーサーからの褒め言葉に少し照れながら広樹は答える。仕方ない。大人の男はそんなふうに人から褒められることなどなかなかないのだ。

 

なお、頭をかいて恥ずかしがる父親の後ろ姿をまるでゴミを見るような目で愛歌は見つめていた。“私のセイバーにデレデレしてるんじゃないわよ、無能のお父さん?”と、心のうちで思いながら。

 

「ね、ねぇセイバー。お父さんのことは良いから私と──」

 

「その前に少し広樹と話したいことがあるんだが、良いだろうか」

 

“ギリッ……!”と、歯ぎしりを鳴らしながらも、愛歌は笑顔を保った。その脳裏には実の父親を秘密裏に始末する秘策が次々と湧いてくる。そのうち一つを今にでも彼女は実行しそうになるが。

 

「構わないが、一体なにかな」

 

「愛歌のことについて、父親であるあなたに相談したい」

 

その言葉を聞いてやめた。

 

「ええ、良いわ。お父さん、私についてセイバーとたっくさん話してきてちょうだい。だってだって、私のお父さんはセイバーのお義父さん(おとうさん)も同然だもの!」

 

「うん、愛歌は何を言っているんだい?」

 

「すまない、セイバー。この子は時折変なことを言うもので……いや、とにかく書斎で良いか?」

 

「そうだね、他に耳のないところで話がしたい」

 

愛歌は確信した。これからセイバーはきっと父にこう言うのだ。“愛歌に一目ぼれしました。娘さんを僕にください”と。

 

「ああ、やっぱり私たちは運命の糸で繋がっていたのね、セイバー……!」

 

愛歌の頭の中に、これからの将来が次々と浮かんでくる。

 

「そうね、まず子どもは何人が良いかしら。男女一人ずつだから、最低でも二人? いいえ、もしかしたら二人ずつの四人かも。それとも六人? もう、セイバーったら欲張りさんなんだから……!」

 

書斎の扉の前で将来設計を立てながら、彼女は踊るようにくるくると回った。彼女の脳内には薔薇色の、一切が満たされた景色が広がっていく。最初から満たされていた彼女の器の、ほんの僅かに残っていた人としての部分を侵しながら。

 

しかしそんな妄想にふけっていたせいで、彼女は書斎から漏れてくる二人の会話の内容に気が付かなかった。

 

 

 

 

『広樹──愛歌は──繋がっていて────』

 

『──だと!? なぜだ──なぜそ──分か────?』

 

『私も同──彼女はいずれ──あふれ────器が──その前に──』

 

『聖──争──どうな──?』

 

『彼女──ため──あきらめ──くれ』

 

『──条件──私を──魔──本懐──!』

 

『そ──貴公は──良────父ではな────を目指す──魔術師──のだな』

 

扉から漏れる音はなくなり、かわりに青白い光がその奥で灯った。およそ現代にはあるはずのない、神秘の源流を垂れ流しながら。

 

 

 

 

愛歌の妄想の世界が広がり続け、大往生をした頭の中の彼女が何十人ものひ孫に囲まれてまさに息を引き取ろうとしたその時。“ガチャリ”と書斎の扉が開き、中からアーサーの姿が現れる。その表情には影があり、どこか後ろ髪を引かれるようにも見て取れた。

 

「ふふ、セイバー。お父さんとのお話は終わったの?」

 

「ああ、君のお父君……いや、あの魔術師(メイガス)とは話し終えた」

 

妙に違和感のある言い回しだったが、愛歌はそのような些事は気にせず、その話し合いの結果だけを気にした。

 

「それで、お父さんはなんて?」

 

「“ある条件と引き換えに許す”と、彼はそう言ってくれたよ。愛歌」

 

「ああ、やったわ! これで私は、大手を振ってセイバーと一緒にいられる!」

 

一応、愛歌にとって広樹は父親だったのだ。年頃の乙女にとって、自分の運命の相手は親に認めてもらいたいものである。しかしこれで、彼女の願いはほとんど叶ったと言えよう。もはや聖杯戦争は勝ったも同然だった。

 

だが、まだやるべきことが残っている。

 

「ねぇ、セイバー。それじゃあ今度は私の番よ。あなたが聖杯に掲げる願いを私に教えて?」

 

愛歌はそう言って、彼の全てを受け取るが如く両の手を広げて見せた。彼女は全知全能の化身。おおよそこの世において、叶えられない願いなどない。彼がその願いを口にすれば、たとえ後になって変えたいと思ったとしても、必ず叶えてしまうことだろう。手段を問わず。

 

「私の願い、か。そうだね愛歌。私は君に、普通の少女になって欲しいんだ」

 

「──ぇ?」

 

“グサリ”と、鞘をつけたままの剣が愛歌の胸を貫いた。痛みはない。それはむしろ温かな感触とともに愛歌の胸のうちに澄み渡る。

 

「『遥か彼方の幻想世界(アヴァロン)』」

 

アーサーがそう一言呟くと、その鞘は剣を封じたまま、愛歌の内側で作動した。

 

それはアーサー王の持つ宝具。第四魔法そのものにして現実と虚構、神秘と無の境界たる第四の壁。『 (根源)』を納める天の鞘にして、そこに至る路。

 

そして今は、アーサーのもう一つの宝具を封印する拘束具でもある。

 

胸を突き刺されたまま、『 』との繋がりを直感して沙条愛歌の心は歓喜で満たされる。

 

ああ、まさか、そんな! セイバーは私と同類(・・)! 同じ場所に繋がっていたのね! まさしく私たちは運命の『 ()』で繋がっていた!

 

「そうだ、私は君の同類であり、そして君の向かうことのないIFでもある」

 

「──?」

 

心臓と肺を貫かれ声を出せない愛歌であったが、言われずともその心の内を察したアーサーは優しく微笑みながら言う。

 

「君は小さすぎるんだ、愛歌。私と違って、君の器としての容量は本当に小さい」

 

根源接続者とは、ある意味で生きた願望器、生きた聖杯である。

 

平行世界、異なる聖杯戦争において用意される生きた小聖杯の少女は、その身に英霊の魂を宿す度に人としての機能を失っていき、やがては聖杯の器として成立した暁には、ただ使われるだけの人形に成り果てる。

 

根源接続者も同じだ。彼らは全知全能を行使しようとしたときに自我が漂白され、人として破綻する。故に、究極的には彼らは他者の願いしか叶えようがないし、叶えようとしない。己の願いなどない。彼らは最初から満たされているのだから。

 

そして、唯一彼らが他者の願いを叶えようとする事例を挙げるならばそれは恋、すなわち愛の魔法故にであろう。

 

異なる世界の『    (沙条愛歌)』は、愛しい人アーサーに故国の救済を願われた。そしてそれを叶えようとして、ただブリテンの人理定礎を破壊しようと効率的に動く機械になった。そこには恐らく恋を知ったばかりの、つまり人間になれた頃の愛歌の自由意志はない。だってそうだろう、愛歌が正気ならば、その世界のアーサーに叛逆された時点で願いの成就を止めるはずなのだ。初期に設定された目標に向かって、キャンセルすることもできずただ真っ直ぐに進み続ける破綻者。これを機械と言わずして何と言おう。

 

異なる世界の彼女はアーサーの願いを叶えようとした時点で、もはや人間ではなくなってしまったのだろう。その時点で彼女は余白なく完全に満たされてしまった。彼女の自我は満たされたことで内側で閉じ、外側の器はかつての彼女を再現したただの機械となる。世界が完結した存在。個で世界を形成する存在。すなわち、単独顕現を持つ(ビースト)。あるいはその幼体である。

 

だが、今ならまだギリギリ間に合う。ここが彼女が人として生きるか、獣として生まれ変わるかの転換点(ターニングポイント)なのだ。

 

ならば、彼女が人のままでいられるにはどうしたら良いのだろうか。

 

根源接続者『   (両儀式)』は、愛しい人黒桐幹也に何も願われなかった。故に、彼女はその後も人であった。

 

根源接続者『    (アーサー)』はそもそも上の二人とは訳が違い、器自体が大きいが故に満たされることなく人としての自我を守っていられた。……もっとも、とある可能性においては彼もまた自我を漂白される運命を持っていたのだが。

 

だから、この世界でアーサーはこうしたのだ。『    (沙条愛歌)』には何も望まず、そして器そのものが小さかろうと生きていけるよう、器の中身の方を取り除こうと。

 

神秘を隔てる第四魔法が、愛歌と『 』との繋がりを断つ。

 

「ぇ……待って、アーサー。お願い、それだけはやめてちょうだい。それをやられたら私、普通の人(無価値)になってしまうわ。やめて、本当にお願い!」

 

鞘の効果によって傷が癒され、言葉を話せるようになった愛歌は叫ぶ。懇願する。

 

彼女は少女ではない。少女の形をした全能である。いわば彼女にとっては『 』の方が本体なのだ。だから、生まれながらに繋がっていたそこから切離される行為は人間に例えるならば、四肢を切落とされるようなものである。

 

愛歌はその先を想像して震えた。未来が分からない、見ることができない自分。何でもできたはずなのに、それができなくなる自分。そんな自分になんて。

 

「いやよ! 私、私そんなのになりたくな──!」

 

「すまない、愛歌」

 

アーサーは本当に申し訳なさそうに眉尻を下げ、しかし断固として告げた。“けれど、私は止めない”と。

 

「な、なんで。私、あなたを愛してるの。だからそんな酷いことはしないで。それ以外なら何でもしてあげる、ほんとよ?」

 

「君は私と同じ存在なんだ。だから、私はこれしか願わない。私のような獣に、君には成って欲しくないんだ」

 

自分には止めてくれる最愛の姉がいた、だが、愛歌にはそれがいない。だからアーサーは、彼女が何と言おうとそれを強行する。

 

「いや、いやいやいや嫌ぁ──!」

 

相手に嫌われようとも、自分のために行動し続けることを恋と呼び、相手のために行動し続けることを愛と呼ぶ。アーサーのそれは果たしてどちらであろう。

 

「ぁぁぁあああ──ッッッ!!!」

 

どちらでも良い。結果は変わらない。

 

今宵、『 』の姫は人に墜ちた。全能から人間(無価値)となった沙条愛歌は、その喪失感から発狂した。

 

 

 

 

「セイバーさん」

 

黒髪に、姉である沙条愛歌と同じ青い目をした幼い少女、沙条綾香は不安げに顔を見上げて言った。

 

「お姉ちゃん、大丈夫かな」

 

彼女が不安がるのも無理はない。完璧で汚れない天才、物語のお姫様であり、願いを叶える魔法使いでもあった姉があんなに乱れる様子を彼女は生まれてからこれまで一度も見たことがなかったのだから。

 

“いやぁ……見えない……分からない……怖い……怖いよぉ……ぁ……ぁあ……!”

 

今も彼女の寝室からそんな嘆くような悲鳴が聞こえてくるので、綾香はますます不安に襲われた。姉が怯えているのを見ると共感してしまい、まるで自分まで見えない何かに怯えてしまいそうだ。

 

「大丈夫だ、綾香。心配いらないとも」

 

「!」

 

だが、ここには騎士がいた。何者にも負けぬ騎士、彼女たちを守る騎士が。……もっとも、沙条愛歌をあんな風にした元凶もこの騎士なのだが。

 

とにかくそんな頼れる騎士が綾香をなだめ、ホットココアを作り、姉の心を落ち着かせてくれると約束してくれたので、綾香は安心して自分の寝室へと向かうことができる。

 

怖くはない、私は魔術師の家の娘。お父さんが今は遠くに行ってるんだとしても、姉が少し調子が悪いのだとしても、家のことは私が守ってみせるんだもん。と、彼女は幼いながらに決意し、しかし温かな布団に包まれてすぐに意識を落とした。

 

「さてと、綾香はちゃんと寝てくれたな。問題はあのお姫様だが……」

 

レディに対しては失礼かもしれないが、昇天した彼女の父親に代わる責任としてこっそりと寝室を覗き、綾香の就寝を見届けたアーサーは未だ落ち着く様子のない愛歌を思い浮かべ苦笑する。

 

彼女を『 』から切り離したのは愛歌自身のためである一方、もう一つ理由がある。それはすなわち世界のため。本来抑止力と敵対する立場の彼が、特例として現界した理由。この世界を救済し剪定を回避する、つまりいずれ現れる人類悪に対処することが目的なのだ。

 

初手で愛歌が獣に成る可能性を絶ったのはそのためだ。彼女が世界の危機になる可能性が一番高かった。そしてアーサーはそれを認めない。

 

「彼女に悪役など似合わない。あの子は、ただ少女として生きるべきだ」

 

かつて姉が背負わされたような世界の悪役たる運命をアーサーは拒絶する。自分の同類たる彼女には、幸せになってほしいと。

 

だが、当の本人たる愛歌からしてみればそんな背景なんて知らない。初恋の人にいきなり胸を物理的に貫かれ、そして喪失を味わっただけであった。

 

「まだ起きているかい、愛歌」

 

ノックをしても返事がなかったので、アーサーはゆっくりと扉を空けて彼女の部屋に入った。ベッドの上で布団に包まり怯えている愛歌の姿が見える。彼女は急に広がった未知の世界に適応できず、ああして擬似的に視覚触覚で知覚できる世界を狭めているのだ。

 

「あれから随分時間が経った。そろそろお腹がすいただろうと思って食事を持ってきたんだが……」

 

トレイを持ったままアーサーは苦笑する。ガリア、地中海、中東、中華と旅の中で身についた調理技術がこんなところで役に立つとはまさか異能を持つ彼をしても思ってもみなかったことだ。

 

「ここに置いておくから、その気になったら食べてくれ。それじゃあおやすみ、愛歌。また明日」

 

そう言って去ろうとすると、“行かないで”とか細い声が彼の耳に届いた。彼は仕方なく愛歌のベッドに腰掛ける。

 

「なんで、私に、こんなこと、したの……?」

 

温かそうな毛布のミノムシから聞こえてきたのはそんな疑問だった。アーサーは特に取り繕うこともなく、本音で話す。

 

「僕が君にそうしてあげたいと思ったからそうした、ごめん。余計な御世話だったね」

 

「ぁ……違う、違うの! 責めてるんじゃないのよ私。ただ気になっただけで、わ、私こんなことであなたを嫌いになったりしないわセイバー。だから、だからあなたも……」

 

“私を嫌いになったりしないで……”と言って、愛歌は泣いた。今の愛歌には何もなかった。生まれてきたときから満たされていた彼女は、そうであるがゆえに生きている間に獲得したものなんてほとんどない。すべて、そうすべてが『 』から授かったものだ。だから、今この場でアーサーに見捨てられしまったならば、彼女は本当に何もなくなってしまう。

 

根源接続者が抱え、怯える宿命、『虚無』になってしまうのだ。

 

「一つ君は勘違いしていると言っておこう。私は、君が根源接続者じゃなくなったからと言って、君を無価値だと認識したりしない」

 

そう言ってアーサーはミノムシ越しに愛歌の背中を優しく撫でた。

 

「君には可能性という価値がある、愛歌。だから安心してくれ、僕は君を見捨てたりしない。広樹との約束通り、君たち姉妹がこの聖杯戦争を生き延びれるよう、責任を取るとも」

 

根源接続者じゃなくなったのに、無価値ではない。それは以前の愛歌にはない価値観である。価値があるものはすべて自分のなかにあり、その外にあるものは等しく無価値。故に例外であるアーサーへの恋には執着した。それが彼女だ。

 

ただ、アーサーに肯定されて少し落ち着いたのか、彼女はミノムシの中からひょっこりと顔を出した。

 

「ご、ごはん……ごはん、食べさせてくれないかしら? お腹が、すいたわ」

 

それは幼い子どもがよくやるような甘える行為、そうして相手の行動を確かめ、信頼できるかどうかを測るのだ。

 

そんな彼女の姿を見たアーサーは頬が緩みながらも“良いよ、熱いだろうから気をつけてね”と言って、夜食に作ったチャーハンを匙にすくい“ふー”と息を吐いて冷ましたあと、愛歌に“あーん”と言って差し出した。

 

そこは洋食じゃないのか、と言ってはいけない。チャーハンは米と何かを混ぜればとりあえずできる、手早く簡単にできる万能飯なのだから。

 

「……あむ……美味しい……美味しいわ……セイバー……っ!」

 

食事をして、お腹が膨れた彼女は少し落ち着いたようだ。安堵からか涙を流している。すべてを失った彼女がまず一つは満たされたと、その様子を見てアーサーは安心した。

 

それから彼女が落ち着くまで、アーサーは側で彼女の背に触れ続けた。

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

愛歌を寝かしつけたアーサーは、先ほど淹れたばかりの紅茶を口にし、一呼吸ついた。

 

アーサーには霊体化の能力がない。その理由は単純、彼が他の英霊と異なり生者だからである。彼の本体はまさにこの戦争に参加する魔術師たちが求める『 (根源)』をその身の内側に宿し、この世全ての神秘を閉じ込めている。 もっとも、このような神秘の存在する平行世界がある以上、その神秘の封じ込めも完璧でなかったようだが。

 

だが、それも良しとアーサーは考える。異なる世界にまで自分の望みを押し付けようなどするのは傲慢と言えよう。何より、神秘の逃げ道を完全に閉じてしまったらアーサーは破裂してしまう。それこそ風船のように。

 

だから、アーサーは神秘のある世界も許容する。抑止力が神秘のない世界を見逃しているという、この現状が続く限り。

 

窓から月明かりが照らす中、沙条邸のリビングにてアーサーは腰掛けに身を預けて瞑想する。今は聖杯戦争の最中、ベッドに横になって眠るわけにもいかないし、かといって不安定なマスターを放置して夜の戦場に出向くわけにもいかない。だから、こうして静かに物思いにふけっているのである。

 

その不安定なマスター、沙条愛歌に彼は想いを馳せる。いや、()マスターの呼称が正しいだろうか。胸を貫いたとき、そこにある令呪とレイラインも遮断してしまったので、今のアーサーは愛歌のサーヴァントではなくはぐれサーヴァントである。

 

それでも彼が現界できているのはこの鞘のおかげだ。『遥か彼方の幻想世界(アヴァロン)』、■■■■として呼ばれたアーサーの持つ宝具。それは『 』を覆う天蓋にして、『 』へと至る路。元の聖鞘が理想郷につながっているのなら、こちらは万物の大源へと繋がっているものだ。元の性質はほとんど同等に引き継いだまま、水面としての反射能力を失い、かわりに無限の魔力供給とアーサーの持つもう一つの宝具の拘束具としての役割を担っている。

 

その無限の魔力供給によって、擬似的に彼は単独顕現のスキルを有しているのだ。擬似的にと言うからには、彼はビーストのクラスではない。適性はあるが、今は違う。

 

「さて、できるだけ早く愛歌と再契約したいが……今パスが切れていると知られたら面倒なことになりそうだな。うん、機を見て話そう」

 

今話せば“いやだ、セイバー、私を見捨てないで!”とまたパニックを起こしてしまうことだろう。あまり彼女に心労をかけるべきではない。

 

沙条愛歌、元『 』の姫。アーサーが呼ばれたのは根源接続者として彼女との縁が機能した、という点も大きいだろう。ただの世界の危機ならわざわざアーサーは動かない。彼は抑止力の走狗ではなくあくまで協力者だ。便利に使われる気はない。

 

そんな愛歌であるが、アーサーは彼女に全知全能でもなく、大悪でもなく、黒幕(フィクサー)でもなく、単なる一人の少女になって欲しいと思い今回の事件を起こした。

 

彼の脳裏に異父姉の姿がよぎる。かつての大敵であった彼女は、世界を変える旅の中でその性質を変えることが、否、その性質を生来のものに戻すことができた。

 

アーサーは愛歌にもそうなることを望んだのだ。それはアーサーのエゴであり、だからこそこの聖杯戦争が終わりこの肉体が消えるまで、彼女に世話を焼くことを決めた。人の人生に干渉したならば、その責任を果たさなければなるまい。

 

「あの、その、セイバー。今良いかしら」

 

不意に、不安に揺れる鈴のような声が響いた。声のした方向に顔を向ければ、寝間着姿の愛歌がいる。

 

「おや、愛歌。まだ起きていたんだね、やっぱり眠れなかったのかい?」

 

「……うん」

 

今の彼女は生まれたときから繋がっていた寄る辺を失った、いわば生まれたての赤子のようなものだ。不安がるのも無理はない。アーサーは直感によらずとも、彼女の求めているものがすぐに理解できた。

 

「あのねセイバー。私たち、どうやら契約が切れてるみたいなの」

 

アーサーはその言葉に驚く。彼女はどうやら自力でアーサーとパスが繋がっていないことに気がついたらしい。

 

さもありなん、彼女はベッドに籠りながらただひたすらアーサーのことだけを考えていたのだ。だから彼との繋がりがないことにすぐに気づき、震える足でリビングへとよちよち歩いてきた。

 

「や、やっぱり私あなたがいないとダメなの。辛くて、苦しくて、寂しくて死んじゃいそう。だから再契約して、片時も離れないで欲しい……だめ、かしら?」

 

愛歌が心に抱いているそれは、一種の刷り込みだろうとアーサーは考える。そしてまるで雛鳥みたいだと苦笑いした。

 

「君はまだ本調子じゃないんだ。明日、いや明後日にでも再契約しよう」

 

「や、やだ! お願い、今すぐ再契約して。魔力の補給がないサーヴァントは数時間で消えてしまうのよ。あなたが居なくなるなんて、私には耐えられないの。私がダメなら綾香を使って。それでも足りないなら、そう、生贄くらいいくらでも──」

 

力は失われた。だが、彼女のその超越者としての価値観はそのまま残っている。全知全能であるがゆえの弊害。既に満たされているが故に、生きることを含めて何物にも価値が見いだせなくなる、一種の精神障害のようなものだ。

 

これを治すにはそう、やはり時間しかない。人間として愛歌は、生まれたばかりなのだから。

 

アーサーは愛歌がこれ以上のことを口走らないよう、彼女を自分の胸に抱き寄せた。まるで幼い子供をあやすように。

 

「心配しなくても、私には擬似的な単独顕現のスキルがある。魔力供給がなくとも消えたりしないし、それに君を置いていったりもしない」

 

「──────」

 

「この聖杯戦争が終わるまでは、君と共にいるとも。だから安心して……あの、愛歌、聞いているかい?」

 

「は、ひぇ、聞いてましゅ……よ?」

 

いきなり抱き寄せられた乙女心と初恋の相手の前で言葉を噛んだ羞恥心という二重の要因で、愛歌の顔は真っ赤に染まった。アーサーの側にいると、愛歌も自分の不安を恋心で上書きすることができるようだ。少し落ち着いてきたおかげだろうか。

 

「うん、顔が真っ赤だね。きっと疲れているんだろう。早く寝なさい」

 

「う、うぅ……」

 

アーサーは自分と同じ根源接続者だった愛歌を温かい目で見つめた。それが余計に愛歌の心を騒がせる。

 

微妙にすれ違う二人。そう、アーサーは初めての同類である彼女を、ほとんど生まれたての、具体的に言えば一歳から三歳くらいの小さい子供を見る目で見ているのである。

 

分かるなぁ、僕も選定の剣を抜いて感情を持ち始めてからは、自分の感情を持て余していたものだ。愛歌にも、頑張って器から人間に生まれ変わってほしい。

 

彼の心の内側はこんな感じだった。根源接続者の先輩として、彼女を導こうと世話を焼く気満々である。だから、急にこんなことを言い始めてしまうのだ。

 

「よし、ならば(お兄さん)が枕元で寝物語でも聞かせてあげよう。なんなら添い寝だってしても良い」

 

「はぇ!?!?!?!?」

 

愛歌のハートは飽和アーサー量を超えて、オーバーヒート状態に陥ってしまう。

 

「あ、う、い、いきなりセイバーと同衾だなんて。私臭くないよね、シャワー浴びたしきっと大丈夫……う、香水使っとけば良かったかな? そ、それに下着とか……あわわわ!!!」

 

ベッドの上に横になる二人。

 

アーサーはニッコニコで愛歌の頭に手を当て、その絹のように白く柔らかな髪を撫でた。愛歌の独り言は全部丸聞こえである。

 

「し、しぬぅ」

 

「君に死なれたら、私は困ってしまうな」

 

なにせ広樹とは魔術契約を結んだのだ。アーサーは愛歌を助け、生かさなければならない。そういう意味で困ってしまうのである。それだけである。

 

「……ぅゅ!!!!」

 

だが、愛歌からすればこうも浮ついたセリフばかり言われてしまうので、ついに愛歌の頭は処理限界を超えてしまい言語能力を喪失。彼女はただ俯くことしかできない人形になってしまった。

 

そんなされるがままの人形になってしまった愛歌に、アーサーは追い打ちをかける。そう、彼には知識があった。幼い子は心音を聞くと落ち着いて寝落ちしやすくなる、という知識が。

 

だからアーサーは、愛歌の頭を自分の胸に抱き寄せた。

 

愛歌の頭の中に“ドクン……ドクン……”と優しい心音が響き、それと同時に“バクン! バクン!”と彼女の煩い鼓動がそれを掻き消す。

 

これ以上の行為を食らったら死んでしまう、と愛歌は茹だる頭でギリギリ思考する中。そこに、アーサーが約束されたとどめの一撃を放った。

 

「愛歌」

 

耳元での囁きボイスである。

 

“あ、私ほんとに死ぬ──”、と愛歌が思ったまさにその時だった。

 

「君は今、生まれたときからあった『 』との繋がりを失って不安に苛まれていることだろう。それは全てを失ったと錯覚するほどに」

 

ギリギリのところで、彼女はほんの少しの理性を保った。

 

そしてスーッと、アーサーの澄んだ声が愛歌の心に染み渡る。背中を“トントン”とあやされながら、愛歌は無防備の心をアーサーに預けるように、その言葉に耳を傾けた。

 

「でも、違うんだ。これは喪失じゃない。新しいものを得るきっかけに過ぎないんだよ。私たち根源接続者は最初から満ち足りているが故に、何かを得る喜びを知らない」

 

何かを得る、喜び……?

 

それはきっと、一度だけ愛歌も味わったことがある。アーサーとの出会いは、初恋はまさしくその『得る喜び』だったのだろう。

 

「これからの日々は、きっとその喜びに満ちている。今夜私が教えるのも、そんな喜びのうちの一つだ」

 

ま、まさかまさかの初日でロストヴァージンですかぁ!?

 

かくして、愛歌の中で期待値が極限まで高まり。

 

「……」

 

「……」

 

“あ、違うっぽい”と、すぐに急降下した。アーサーは相変わらず愛歌の背中を一定のリズムで叩いているだけだ。ソノ気になっているようには感じられない。

 

それからしばらく、アーサーの抱擁の中であやされ続けた愛歌の中では徐々に興奮よりも落ち着きが勝り、ついには睡魔を感じ始めた。

 

“とくん……とくん……”と、アーサーの心音と自分の心音が重なるのを愛歌は感じる。

 

そして、寝落ちする寸前に気づいた。

 

セイバーと出会う未来を見たっきり、彼女は未来を見ようとするのをやめた。だが、それでも不意に直感のごとく未来の情報が『 』から差し込まれることがあった。それは愛歌の生存本能が無意識的に自分の危機を知りたがっているが故の現象であり、そうであるからして、その差し込まれる知識は心の滅入る良くない未来の情報なのである。しかも、その情報が差し込まれるのは決まって夜寝る前だったので。

 

あれ……私……こんなに穏やかな夜を過ごしたの……いつぶりだった……かしら。

 

『今夜私が教えるのも、そんな喜びのうちの一つだ』

 

もうほ……んど……思い……出せないわ……。

 

「……おやすみ、愛歌」

 

アーサーの言ったことは、すぐに現実となったのである。

 

そして、その健やかな寝顔を見てアーサーは思った。やはり子どもは寝るのが一番だよ、と。散々ドギマギした愛歌には残念であるが、アーサーから見た彼女は所詮子どもであった。だって彼女はまだ十四歳だ。アーサーの中、古い時代の人間としての成人判定たる十五歳にも至っていない。

 

故に、アーサーが愛歌の恋心を優しく見守ることはあっても、それに応えることはない。少なくともこの世界では。

 

せいぜい頑張ると良い、元根源のお姫様。その恋路はだいぶ険しく、過酷なのだから。

 

なにせ──。

 

 

 

 

「──ん?」

 

「どうしたのですか、キャスター?」

 

「いえ、なんでもありません」

 

“ただちょっと、大事な弟に変な虫が付いたような気がしただけですので”と、彼女は言った。

 

聖杯戦争は始まったばかり、未だ相対せぬ未知のサーヴァントたるキャスターはそう言って微笑んだ。

 

この土地の管理者(セカンドオーナー)、玲瓏館家の邸宅の台所で。

 

「それより手が止まっていますよ、美沙夜。気をつけて、美味しいホイップクリームを作るコツは、温度が上がる前に手早く泡立てることなのですから。我が従僕──お前の父に、美味しいケーキを馳走してやりたいのでしょう? ならば踏ん張りなさい」

 

「はい!」

 

“しゃかしゃかしゃかしゃか……”と、少女が必死にボウルをかき混ぜる。それを魔女は優しく見守った。その首にかけられた、ケルト十字のロザリオがキラリと光る。

 

──そう、具体的には彼の姉が、その道にそり立つ断崖絶壁の如き障害なのであるから。

 




・沙条広樹
自分の娘が魔術師として求めてきた『 』と初めから繋がっていたと知り、自分の目の節穴さに絶望した。そして彼女が死ぬか、あるいは世界の敵になる可能性が高いと聞き悩む。アーサーは彼に愛歌を救う許可を求めたが、彼はそれに条件を出した。“どうか私を根源に至らせてくれ”と。故に、彼は早々に退場した。ある意味で、彼は真っ先にこの聖杯戦争に勝利したと言える。

・作者の中の沙条愛歌像

外部からの操作を受け付けない暴走した機械。それ故に最初に入力された目標に突き進み、誰に何を言われようとその心に響くことはなく、また他人に興味を持つこともない。たぶん彼女はアーサーを殺しても、アーサーの願いを叶えようとするだろう。だって彼女はもうアーサーに願われた時点(・・・・・・)ですでに満たされていて、これ以上何も要らないのだから。アーサーからの好意も、あるいはその願いの成就さえも。

いわば彼女は料理を注文した時点で満足し店を出ていった客だ。その後ゴミが出てこようと、上手い料理が登場しようと知ったこっちゃない。すでに彼女は“ああ満たされた”と、店の外に出ていってしまったのだから。あとはその場に残された彼女の影法師が、かつての彼女を模して“おいしい”だの“おいしくない”だのと自動的に応対しているだけなのである。

本当の彼女は、もうそこにはいない。あるいは、初めから彼女という人間はどこにも──。



誰か、浅い知識の私に蒼銀のフラグメンツの小聖杯がどうなってるのか教えてくれ。玲瓏館が持ってて、愛歌がそれを奪ったのか……?
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