魔術において、星は生きているとされる。それが科学として人々に認知されたのは一人の科学者が大陸移動説を提唱し、それがプレートテクトニクス理論として確立してからである。
そんな生きる星の表層において、4つの
その首都東京の第一人者にして東京魔術世界の
そんな玲瓏館家の一人娘、玲瓏館
今、東京では聖杯戦争という魔術儀式が行われている。戦争と名前がついているとおり、それは魔術師同士の殺し合いだ。七人のサーヴァント、それを従える七人のマスターによる殺し合い。
美沙夜の父、玲瓏館
そんな彼女が今、己の屋敷の中でこれから盗みでも働くように廊下を進み、やがて一つの扉の前に立った。そう、彼女はまさしく今から盗みを働くのである。
現代に蘇った神代の魔女、その技術を盗み見──。
「何をしているのです」
「きゃっ……!」
見ようとして、彼女は子猫が親猫からつままれるように持ち上げられた。冷たい氷のような、凪いだ湖のような碧い瞳が美沙夜を見下ろしている。
それはこの部屋の主、美沙夜の父惟慧が呼び出した階位第六位のサーヴァント、美沙夜が盗み見ようとしたキャスターその人だった。もっとも、本人はその六位という順位に納得していないが。
“サーヴァント本人ではなくクラスで階級をつける、ですか。阿呆ですか? どんなクラスであれ英雄とはピンからキリまで千差万別でしょう……”とは、彼女の言葉だった。
「それで、何をしていたのか聞いているのですが」
「あ、そ、その……!」
美沙夜は言い訳しようとモゴモゴと口を動かし。
「お前、まさか興味本位で魔女の部屋を盗み見たのか? なんと愚かな」
「あ、あう……申し訳ありません……」
その真実を見通す瞳に心の内を特定されて、高貴たる玲瓏館家の令嬢にあるまじき行動をしたことを羞恥に震えながらも肯定するしか無かった。
「我が従僕の承知の上でのことですか?」
“我が従僕”とは、彼女のマスター。すなわち美沙夜の父惟慧のことである。
「いえ、お父様には何も言っていません! 私一人で行いました、ですからどうか罰を与えるなら私だけに──!」
「でしょうね。アレはお前が私に近づくことなど許さないでしょう」
キャスターはそう言うとつまみ上げていた美沙夜を片腕で抱え直すと、“パチン”と指を鳴らした。瞬間、部屋の様相が変わる。
「わぁ……!」
美沙夜はその変化に目を輝かせた。部屋の中央にあった鏡が輝き、部屋の中にさまざまな道具が現れる。ひとりでに動く調理器具、ぐつぐつと揺れる大鍋、見たこともないような動物、魔獣の素材で満ちた棚、それはまさに典型的な魔女の工房であった。
「湖の乙女は、その本来の意味で湖の中に本拠を構えます。水面は世界を隔てる境界線であり、鏡と同質のもの。ゆえに今のは鏡と湖を照応し、本来湖の中にある私の工房をこうして引き出して……聞いているのですか、美沙夜?」
「え、あ、はい! 聞いていますキャスター!」
「この私が人に講義するなど滅多なことではありません。私の言葉に傾聴し、よくよく心に刻み込みなさい。良いですね? では続けます。今のは現実の書き換え、すなわち固有結界のそれに近く、部屋の扉を閉じたことで外界との繋がりを断ち、水と虚数の属性を以て……」
キャスターはなんと美沙夜に教えを授けてくれているらしい。先ほどは邪険にするような口ぶりだったのに、不思議なものである。
美沙夜その様子に、俗っぽい当世風の言葉が思い浮かんだ。つまり、ツンデ……。
「今、何か失礼なことを考えていますね?」
「なんでもありません!」
忘れることなかれ、キャスターの妖精眼から逃れられるものではない。ましてや抵抗力の弱い幼い少女であればなおさらのことだ。
「はぁ、分かっているのですか美沙夜。お前は今私に異空間へと拉致された。つまり、ここで殺されてもおかしくないのですよ?」
「えっ?」
キャスターの言葉で和気あいあいとしていた空気が張り詰め、美沙夜は脅しともとれる言葉に凍りついた。
「サーヴァントは令呪によってマスターに縛り付けられている。だが、令呪は何も絶対ではない。私がお前を人質にし、お前の父との上下関係を覆そうとする、その可能性は考えなかったのですか? お前は幼いながらも魔術師なのでしょう?」
その氷のような瞳に睨みつけられ、美沙夜は怯える。
その様子を見てキャスターは“もっとも、覆すような上下関係などはじめからありませんが”と言って笑った。最初から彼女にとっては自分が上で、呼び出した召喚者が下だ。マスターと言えどただの魔力タンクに過ぎない。その気になれば、彼女は令呪を行使される前に玲瓏館惟慧を傀儡に変えてしまうのだろう。
キャスターの柔らかな笑みを見て、美沙夜の体の強張りも少し和らぐ。
「はぁ、お前には父親の足を引っ張っているという自覚があまりないようですね」
「私が、お父様の? 私はただこの家で大人しくしているつもりです。決してお父様の邪魔などいたしません!」
「今まさしく、人質になりかけておいてどの口が言うのですか」
「わ、私を人質にしようとも無駄なことです、キャスター。お父様はそのようなことで動揺したりなどしま──あいたっ!」
急にキャスターが美沙夜のその可愛らしいおでこに強烈なデコピンを食らわせた。美沙夜は赤くなったおでこを涙目で抑える。
「私は召喚されてお前のことを認識したとき、我が従僕にこう言いました。“遠くへと逃がすか、さもなくば殺しておけ。でなければ貴様はこの戦争には勝てぬ”と」
「どうして?」
「
キャスターはそう言うと手を宙でくるりと振るった。すると、彼女の手に一匹のネズミが収まる。
「従僕の使い魔です。娘が傷つけられるようなことがないか、私を監視しているのでしょう。舐められたものですね」
ネズミの命がキャスターに吸い取られ、枯れ果てる。すると“コンコンコン”と、ドアをノックする音が聞こえた。そしてその向こう側から声が聞こえてくる。
『キャスター、娘が邪魔をしたな。今後はこのようなことがないように──』
「失せなさい我が従僕、レディの会話に男が混じるなどまかりなりません! 当世風に言うなら女子会というやつです! ……ほら見なさい、工房の様子が分からなくなった途端にアレは来たでしょう。そこまで娘が大切ならば最初から部屋にでも閉じ込めておけば良いのに、とんだ阿呆ですね」
“くくく……”と、キャスターは魔女らしく笑い、美沙夜は気恥ずかしいような、少し誇らしいような温かな心地で満たされた。
「お父様が、私を」
「はい。ですから、もう二度とここに来るものではありません。我が従僕がお前を思うあまりに倒れてしまえば、勝てる戦も勝てませんから」
キャスターはそう言うと、もうそれ以上言うことはないとばかりに美沙夜を地面に降ろした。
「行け、そしてその扉の向こうで貴様を案じているだろう従僕を安心させてやれ。アレはお前に大成などではなく、ただ健やかであることを願っているのだ」
“分かったなら早く行きなさい、美沙夜”とキャスターは言うと、彼女に背を向けて卓の上の魔術式と向き合った。何か、この戦争に役に立つ道具でも作ろうとしているのだろう。
「あ、あの、ここにいてはいけませんか、キャスター?」
「はい? お前は人の話を聞いていなかったのですか?」
キャスターが呆れたふうに言う。だが美沙夜は至って真剣だった。
「ここは外界との繋がりが断たれているとあなたは言いました。なら、こと聖杯戦争において一番安全なのはここなのではないですか?」
「外敵に対してはそうでしょう。少なくとも私の泉は、玲瓏館の屋敷よりもずっと強固だ。従僕は相当自信があるようだったが……あの程度の防御設備、英雄からすればないも同然だな」
特に三騎士とライダー。対魔力を持ったサーヴァントからすれば現代の魔術師による攻撃なんて虫に刺されるようなものだ。いや、虫以下か。何せその肌に刺さることはおろか、傷一つつけることが叶わないのだから。
キャスターが最弱だとか第六位だとか言われる理由もそこにあろう。魔術を使った直接戦闘において、キャスターのクラスは他六騎のうち四騎にメタを張られていることになる。控えめに言って逆風、大げさに言えばクソゲーである。
だが、魔女の真髄はそこではない。謀略を張り巡らせ、数多の道具を生み出し、それによる搦手で勝利を掴む。アサシンと並んで一番
そうであるからして、美沙夜の言うことはもっともであった。元来キャスターの持つ陣地作成のスキルは国を追われ、居場所を転々としたことからそれほど高くはない。が、それを補って余りある湖の乙女としての特性と道具作成のスキルでここは強固な要塞と化している。
しかし、美沙夜には一つ失念していることがあった。
「この泉の工房の主は私です、そのことを分かっているのですか? 何度も言うようにその気になれば──」
「その気になれば私を殺すことも人質にすることもできる、でしょう? でも、キャスターはきっとそれをしないと思うのです」
「……なぜ、そう思うのです」
「だって、今のあなたは私にそうしていません。そしてこれからも私にそうするつもりはないと、あなたと話してみてそう思いました。あと、私はもっとあなたと話してみた──あいたっ!」
二度目のデコピンを食らい、美沙夜は“うぅ、酷い”と呻いて蹲った。
「お前は本当に魔術師の娘ですか。はぁ、従僕に許可を取りなさい。それができれば、私の側にいることを許します」
かくして、玲瓏館美沙夜は偉大なる……偉大? どちらかといえば反英雄で悪辣たる魔女の近くに控え、その神技を学ぶことになった。
……なぜか、最初にすることは料理であったが。
しかし彼女は敬愛する父のために無心でホイップクリームを絞る。甘味は脳を動かす燃料、これすなわち、料理とは魔術を行使するための技なのである。
◇
「少し、面倒なことになりましたね」
「娘のことは申し訳ない、キャスター。やはりお前の言う通り、妻のところへ行かせるべきだったと……」
「誰も美沙夜の話などしていませんが。聖杯戦争の話です、
「……そうか」
“すっ……”と、玲瓏館惟慧は目をそらした。紅茶の入った二人分のカップと美沙夜の作ったケーキが置かれたテーブルを挟むキャスターと惟慧の間に、微妙な空気が走る。
「貴様はあの娘を気にしすぎだ。そんな調子ではあと数年したとき、ウザいだの嫌いだのと言われるやも知れんぞ」
「──ッ! ごほっ……ごほっ……」
惟慧の脳裏に“お父様、キモいです。近寄らないでください”などと言う成長した娘の姿がよぎり、彼は思わず紅茶を吹き出した。
「はぁ……」
今日はやけにため息をつく日だなと、キャスターは思う。そして魔術で飛び散った紅茶を乾かし、“これでは本当に勝てる戦も勝てません”と彼女は天を仰いだ。勝利には非情さが必要なのだ。だというのにこのマスターの惨状はなんだ。酷い、酷すぎる。
「……すまない、キャスター」
「いえ、それよりも本題に移りましょう。アサシンのマスターが脱落しました」
「なに!?」
“ガタン!”と音を立てて立ち上がる惟慧。しかしキャスターから冷たい視線が刺さったままなことに気づくと、彼は“無作法をした”と言ってまた席に着いた。
「つまり、マスター
「理解が早くて助かります、我が従僕。アサシンはマスターを殺した後逃亡、現在は路地裏で男を誘惑しその魂を喰らうことで生き延びているようです」
「魂喰いか」
忌々しいと言わんばかりに惟慧は顔を歪めて呟いた。英霊とは現代に蘇った霊の一種であり、現界するためには魔力が必要だ。通常それはマスターから供給されるが、生きている人間を殺しその生命力を奪うことでマスターを失ったあとも生きながらえることができる。アサシンのやっていることはそういうことだった。
この地の管理人である玲瓏館家当主としては、そのような神秘の秘匿を脅かす行為は許容範囲を超えている。
もっとも、キャスターからすればこんなことは想像の範囲内どころか絶対起こると確信してたものでしかないが。本気で神秘を秘匿したいなら首都で聖杯戦争なんかするなという話である。
山奥か、せめて
「可能ならばすぐにでも討伐したいところだが」
「アレの凶行をとめるだけならば、他にも手段がありますよ」
「なんだ?」
「再契約です。アサシンも新しいマスターを得れば魂喰いなどという非効率な手段は取らないでしょう」
「却下だキャスター。英霊二騎と契約できるなどと、私は思い上がってはいない」
複数の英霊と契約する……というのは理想に思えるかもしれない。だが英霊はすこぶる燃費が悪いのだ。もしそうすると実際には契約したサーヴァントのどちらも実力を出せずじまいに終わる。1+1で0.9になっては本末転倒だろう。
何より、ただでさえ扱いが難しいのが英霊なのだ。彼らはそれぞれの意思があり、性格があり、願いがある。それがバッティングして同士討ちになったら目も当てられないだろう。
「そうとも言えません。手段はあります」
「なんだ、まさか美沙夜に契約を押し付けるなどとは言うまいな? マスターを殺したアサシンが新しいマスターに何をするかなど分かりきっているだろう」
「そんなことをすればアサシンに美沙夜を人質に取られて貴様は終わりだな。ではなく、私があのアサシンと契約すれば良いでしょう?」
「キャスターが? しかし、それでは結局私の負担が増えるだけではないのかね?」
「まさか、必要な分の魔力はお前ではなく他所から回収すれば良いのです。ちょうど一等優れた霊地を見つけました。そこから魔力を頂戴しましょう」
“一等優れた霊地……?”と、惟慧は疑問に思う。この土地のほとんどは玲瓏館家の管理下にあり、彼の持つ土地の霊脈の魔力はすでにキャスターの現界に利用している。東京都の西側にある奥多摩山地あたりの土地ならともかく、首都圏におけるその他の霊地となると彼には一切心当たりがなかった。
それも当然だろう。
「ちなみに、その霊地とはどこのことだ?」
「東京都千代田区にある、この国の王族の住処です」
「──ぶッ!?!?」
東京魔術世界の管理人である彼とて一般人、国の土地である皇居は管理していないのだから。
「おい、汚いぞ」
キャスターが眉をひそめて、惟慧が吹き出した紅茶を魔術で消し去る。
「す、すまない……ではなく! お前はなんてことをしているのだ!?」
「“なんてこと”とは? 別に害は及ぼしていません。どうせ使っていない魔力なのですし、多少貰っても構わないでしょう」
彼女は自身の泉の工房をこの東京に存在する池や湖に接続する最中、たまたま皇居の内池とつながってしまったのである。そして驚いた。そこが現代にしてはかなり古い神秘で満ちていることに。
そりゃそうだろう。なにせそこは江戸城だった頃からの神秘を保っている聖域で、生物学的な新種が見つかるほどの異空間なのだ。加えて住まう御方はこの国の主神の直系の子孫である。神秘が残っていないほうがおかしい。
「しかし私も正直驚きました。まさか王族……いえ、皇族ですか? そんな存在の住処にあんなザルな魔術防御しか施されていないとは」
残念ながら、かつてマッカーサー元帥を呪殺しようとするほどのオカルト部隊がいた大日本帝国時代ならいざ知らず、現代の日本国には国家の首輪がついた神秘の使い手は少ない。ゆえに、皇族だろうと魔術的には無防備なのだ。
だってそうだろう。皇族を守るような呪術、道術、仙術、陰陽術、まぁ何でも良いが神秘の使い手がいたと仮定しよう。
そんな存在がいるなら陛下のお膝元での聖杯戦争など
だが、現実には西洋魔術師たちによって聖杯戦争は開始された。つまりはそういうことだ。簡単な背理法である。そもそも首都東京の管理者が玲瓏館という西洋魔術師なのだから、この国特有の神秘の使い手の衰退は察するに余りある。
「では、そういうわけですのでアサシンを捕獲しに行きます。お前は待機しているように」
「できるのか?」
「愚問です。アレは絶技ではなく毒で相手を殺してきた者だ。その戦闘技術は凄腕と形容する程度のもの。
モルガンは首に掛けたケルト十字のロザリオを見せつけるように掲げた。
「──そして私に毒は効きません。なにせ
それは長年
キャスター。真名『モルガン・ル・フェイ』。かのアーサー王の姉にして最悪の敵であり、彼の国を滅ぼした魔女である。アーサー王の鞘が東京に持ち込まれたことを察知した惟慧がカウンターとして呼び出した反英雄。
本来ならば悪辣たる本性を持って現界したところなのだが、今回の彼女においてはなぜかその部分が鳴りを潜めている。それはひとえに、愛しい弟と共に美しい旅路を終えた可能性を彼女が持って現界したからであろう。
もっとも、戦争とあるからには愛しい弟を殺すことに躊躇はないが。いやむしろ。
「くく、私以外の者に負けるなど許さんぞ。アーサー?」
自分から積極的に殺しに行くことは間違いない。
玲瓏館惟慧と沙条広樹の違いはおそらく、妻が生きているか死んでいるかだけ。広樹は妻が死んでしまったときに、魔術師に戻ってしまった。
◇
感想評価もらえるとモチベになります。