玲瓏館邸の一室にて、魔女が使い魔たるカラスを通じ遠見を行なっていた。
「まったく、あいつは何を遊んでいるのだ」
「主、なにか気にかかることでも?」
「いいえ、なんでもありません。アサシン」
キャスターの膝のうえで猫のように愛撫されていたアサシンが顔を上げる。それをキャスターは“お前が気にすることではない”という風に、誤魔化すように彼女の顎をくりくりと撫で回した。するとやはり猫のようにゴロゴロと喉を鳴らし、アサシンは再び魔女の膝に頭を置く。
「ああ、そうです。お前に関係のありそうなことがありました。アレのことです」
「アレ……? 巽、のことでしょうか」
「ええ、あの愚か者は、あろうことか今宵お前の哨戒に付いていきたいなどと私に言ってきましたよ。さて、逃げ出すつもりか、それとも、お前の虜になったのやも」
「それは……」
「とはいえ、連れて行ったところで肉壁にすらならないでしょう。魔眼は多少便利かもしれませんが。どちらにせよ決めるのはお前です、アサシン」
キャスターは愉快げにその口を緩ませ、己の膝で甘えていたアサシンにそう言った。
彼女の願い、それは毒の娘である彼女に触れても死なぬ者。そしてそれはキャスターという存在によって叶えられた。しかし、その願いの意味する本当のところは──。
「お前は、あの男を連れて行きたいのですか?」
◇
「愛歌は学校に行かなくても良いのかい?」
「え?」
朝の沙条邸にて、不意にアーサーがそのようなことを聞いた。
「そういえばそうですね。先ほど綾香は学校……? というところに向かったのに、マスターは家に残っていて良いのでしょうか」
ランサーもアーサーの言葉に同意を示す。そんな二人の様子に、愛歌は呆れたように言う。
「二人とも、今は聖杯戦争の最中なのよ? 昼間とは言えマスターともあろう人間がノコノコと出歩くなんてありえないわ。それに私の中学校は綾香の小学校よりも遠いの」
「ランサーを霊体化して付ければ良いだろう? 距離の問題なら私が送迎しても良い、聖杯戦争のために君の日常が壊されるのは良くないよ、愛歌。良いかな、ランサー?」
「構いません。私もその学校とやらに興味があります」
「え? え?」
かくして否定する間もなく、愛歌が今から途中登校することが確定した。
「さぁ、乗ってくれ」
「どこから持ってきたのよそのバイクは!?」
ライダースーツを着てにこやかに笑うアーサー、その姿は様になっているが、突っ込みたいのはそこではない。目の前にあるこのゴリッゴリに魔改造された二輪自動車が問題なのだ。
「聖堂教会から頂戴した。“現代の移動手段を用意してくれなければ首都高を徒歩で疾走するハメになる”と言えば、快く用意してくれたとも」
「えぇ……いつの間にそんな。と言うか、神秘の秘匿ってそういう意味ではないと思うわ、セイバー」
「まぁ、目的が叶えば何でも構わないさ。さ、後ろに乗ると良い。私には『騎乗B』のスキルがある。乗り心地は保証するよ」
「め、免許は?」
「別に要らないだろう。なに、交通課に補導されても魔術教会と聖堂教会が何とかしてくれるさ。何せ神秘の秘匿は彼らの仕事だからね。あははは──」
愛歌はこの地にいるだろう協会と教会の人たちを想像して謝った。うちのセイバーが仕事を増やしてごめんなさいね、と。
それから愛歌はアーサーの後ろにぴったりくっついて、学校までの短いドライブデートを楽しんだ。
「行ってらっしゃい、愛歌。帰りもまたここに迎えに来るよ」
「ええ、ありがとう。セイバー」
アーサーに一時の別れを告げて学校の正門をくぐる愛歌。“昼の学校って、なんだか背徳感があるわよね”なんて思いながら、彼女は職員室に向かい遅刻の旨を告げて授業に途中参加した。
かつてはつまらなかった、しかし今では貴重な知識を蓄える時間を過ごし、その昼休み。
愛歌の周囲は同クラスの女子で溢れかえっていた。
「沙条さん久しぶり、病気治ったんだね」
「ええ、おかげさまで。ほんとはだいじを取ってもう少し休むつもりだったのだけれど──」
「そ・ん・な・こ・と・よ・り! 沙条さんと一緒に来てたあの
「み、見てたの!?」
「当たり前じゃん! つまんない午前の授業の中で突然エンジン音が近づいてきたと思えば、白馬の王子さまもかくやの彼と一緒に沙条さんが正門から入ってきたんだよ? 目茶苦茶目立ってたし、みんな見てた。でも、カッコよかったねぇ。ねぇねぇ、あの人誰? 沙条さんの彼氏?」
「ち、ちが! あの人は私の王子様……じゃなくて、そう、叔父様なの!」
かつては深窓の令嬢としてクラスメイトと壁を作っていた彼女も、今回ばかりは机を合わせて会話に花を咲かせるしかなかった。アーサーのことを根掘り葉掘り聞かれながら、くだらない世間話をして給食のパンを頬張る。
「バイバイ、沙条さん! また明日!」
「……えぇ、
そして放課後になり、たった一日しか話していないはずのクラスメイトたちに愛歌は手を振って別れを告げる。
「愛歌」
「セ、セイバー! あ、そうね、迎えも来てくれるのだったわよね」
今のやり取りをアーサーに見られていたせいか、妙に恥ずかしい気持ちになりながら愛歌は彼から顔を逸らした。
「今日は楽しかったかい?」
そして学校からの帰り道、愛歌にしがみつかれながら運転するアーサーがそんな質問をした。
「そうね……」
時速60kmの風に当てられ、愛歌の髪が揺れる。
「それなりに、楽しかったわ」
そう言った彼女の顔には、優しげな笑みが浮かんでいた。
愛歌の心は、また一つ満たされた。
◇
『私の故郷はこのような形をしているのですね』
授業中、地理の教科書を見ながら、パスを通じてランサーが感慨深そうに呟く。
『北欧ね。日本とはあまり関係のない、もとい関係の薄い国だけれど……ああ、ノルウェーは日本でサーモンの生食を広めた人の国だったかしら?』
『なるほど、フィヨルドを活用した魚類の養殖が盛ん、とこの本には書いてあります。フィヨルドは分かりますが、魚の養殖とは……?』
『えっと、生け簀を用意してその中で魚を育てる、みたいな感じかしら?』
『はぁ、魔術を用いずに魚の家畜化が可能なのですか。現代はそこまで……』
どうやら、一番学校を楽しんでいたのはランサーらしい。
◇
聖杯戦争、四日目の夜。昨夜とは打ってかわり、人一人いない街の中で二騎の英霊がしのぎを削っていた。
一騎は弓の英霊。生前とは異なり魔力によって生み出される無限の矢を使い、敵に五月雨のごとく攻撃を放ち続ける。
一騎は剣の英霊。放たれた矢の雨を剣風と魔術で弾き飛ばし、距離による優位を許さないとばかりにすかさず敵へと距離を詰める。
「──はぁっ!」
「──ちぃっ!」
剣の英霊、アーサーによる鞘がついたままの剣の一振りが弓の英霊、アーチャーの弓で防がれた。
「ったく、まるで弾道が予知できるかのように全部弾いてくれやがるな、あんたは。さすが第一位のサーヴァント、最優のセイバーと言ったところか?」
「貴公の方こそ、弓兵でありながら私の接近をいなし、常に己に優位な距離を保っているな。その身のこなしは驚嘆に値する。第三位のサーヴァント、アーチャー。いや、アーラシュ・カマンガーと呼んだほうがよろしいか?」
「──んなっ!?」
サーヴァントアーチャー。真名『アーラシュ』、過去で言うペルシア、現代で言うイランの大英雄にして弓兵の代名詞たる男とはまさしく彼のことだ。
「お、驚いたな。セイバー、お前『真名看破』のスキルでも持ってんのか?」
「いいや? だが見ただけで分かるのは同じだな。貴公の顔はペルシアで何度も見た。主に銅像と肖像画で」
「おお、まさかまさかの同郷だったか……」
「私はペルシア出身ではない。ただ旅の途中で立ち寄っただけだ」
生前彼がペルシアを横断しようとした時のエピソードである。ある村に近くに魔獣が出たというので、アーサーはそれを退治した。すると言われた褒め言葉が“まるでアーラシュのようだ”だった。
盗賊を倒しても、道を塞ぐ大岩を砕いても、干ばつにあえぐ村に雨の恵みを与えても、出てくる最初の言葉は“おお、アーラシュの如き”である。アーラシュの名はまるでギリシアにおける英雄の代名詞、ヘラクレスのような扱いであった。
『どいつもこいつもアーラシュアーラシュと、ふん。素直に礼を言える者はこの国には居ないのか?』
それでモルガンがちょっと拗ねたので、二人はアーラシュという英雄について調べることにした。そして、知った。後世にまで伝えられる彼の偉業を。
「だから私は知っている、後世のペルシアの人間がいかに君の成したことに心打たれ、それを伝えてきたのかを」
ペルシアという地域には古来より強大な帝国があったが、その理由は常に西と東に外患があったからだ。強くなければ、彼らは自立を保てなかった。
そんなペルシアがはるかな昔、東の敵、中央アジアの異民族トゥラン人と戦争をしていた頃の話だ。
何十年も続いた戦争はもはや止め時を見失っていて、両国もなぜ戦いを続けているのか分からないくらい疲弊していた。誰もが戦争の終わりを望み、平和を望んでいた。
そんなときに立ち上がったのがアーラシュである。彼は敵国の将を射るためでなく、真に平和のために弓を取った。
二国の軍が睨み合う戦場を一望できる山の上に立った彼は、その五体を弾けされるほどの一撃によって両軍の間の大地を割り、国境を作り、平和を生み出した。
彼が生み出したその誰も傷つけぬ偉業を見たからこそ、両国は剣を置き、手を取って和平を結んだのだ。そして彼の成したことを尊び後世へと伝えた。アーサーの耳にもその逸話が入る、ずっとずっと先の未来まで。
「怪物を倒し英雄になったものは数多くあれども、貴公のように平和を生み出し英雄になったものはなかなかいまい。故に、貴公とこうして戦い、言葉を交えることができた幸運に私は感謝しよう」
「お、おう。しかし、俺のしたことが後世の人間にそんなふうに言われてたとは……なんというか、なぁ?」
「恥じ入ることはない。いや、そう言うには上から目線に過ぎるか。少なくとも私は適切な評価だと思うぞ、貴公……っ!」
「そりゃ、どうも……っ!」
会話は終わりだとばかりにアーサーが剣を振るい、アーチャーがそれに応える。
「……ったく。見た目通りの好青年ってか? やりにくくて仕方ないぜ、はは」
『もしかして照れてる、アーチャー?』
砕かれた地面から煙が昇り、小休止とばかりに距離を取ったアーチャーの脳裏に声が響く。それは彼のマスターの声。
「ちょっとだけな」
『でも手加減しちゃだめよ?』
「まさか、むしろあんな高潔な騎士の代名詞みたいなやつと戦えて嬉しいさ。こっちも、全力ってもんをぶつけてみたくなる」
『なら、英霊の先輩として答えてあげなきゃね』
階梯第五位、力天使の称号を持ったこの聖杯戦争に願いを抱えて参加するマスターの一人、エルザ・西条はそう言って己のサーヴァントを鼓舞する。
そして。
「そういうこった──っ!」
アーチャーはそれに応えるのであった。
◇
「なぁ、アサシン。お前っていつもこんなことしてるのか?」
「こんなこと、とは?」
とある高層ビルの屋上にて、瞑想かなにかをするように静かに目を閉じ、動かずにいたアサシンに向けて巽はそう聞いた。地上から離れたその場所に冷たい風が吹き、巽は上半身を抱きかかえるようにしてぶるりと震える。
「いや、その。敵のサーヴァントを探すって聞いたのに、屋上で目をつむって瞑想してるからさ」
「これは瞑想ではなく、気配を探しているのです。私たちサーヴァントは魔力や他のサーヴァントの気配を察知できる上に、常人よりも感覚が鋭い。こうして高台に来て街を見下ろすのが効率的だと考えたのですが」
「あ、そうだったのか。てっきり俺は高いところが好きなだけかと……」
アサシンが髑髏の面の奥から“何を言っているのですか”と呆れた目で見つめると、巽は“ごめん、変なこと言って”と短く謝った。
「それよりも、気になるのはあなたの方です。なぜあなたは私についてくるなどと我が主に申し出たのですか? 戦場に出れば、魔眼持ちとはいえただの人間であるあなたなど容易く死んでしまうというのに」
彼がここにいるのはそのアサシンがまさに許可を出したからなのであるが、そのことは巽に告げずに彼女は質問した。
「俺にできることが、まだあるんじゃないかと思ってさ。バーサーカーは取られちまったし、体も首から下は死んじまってる。だけど、俺にはまだこの魔眼があるだろ? これがあれば、その、君の助けになれるんじゃないかと思ってさ」
「助け……? 何故? 私はあなたの助けを必要としていません」
「君が必要としてなくても、俺が助けたいって思ったんだ。君は俺を助けてくれたから」
「……だからあれは、あなたに助けられたことへのお返しのようなものであって」
「なら、俺もそのお返しってことで」
「もう、キリがないですね。とにかく死なれては困るので、大人しくしていてください」
「おう……なんだかんだ言って優しいんだな、アサシン」
「私が……? まさか。巽が死んだら、主がわざわざあなたに施してくれた蘇生の術が無駄になる。私はそれが嫌なだけですので、勘違いしないでください」
アサシンの忠告を聞いて巽は肩をすくめた。丸一日玲瓏館の屋敷で過ごした彼は、意外とそこにいるメンバーが悪い人間ではないのではないかと感じ始めている。
キャスターは屋敷を歩き回っていた巽に冷え切った目で見下して言った。“安静にしていろと言ったのが分からなかったのか? 愚か者め”と。
キャスターの隣に控えていた玲瓏館の一人娘は言った。“その、首は痛むでしょうか? いえ、あなたの体は本当に酷い状態でしたので気になって。一般人を巻き込むのが聖杯戦争、そう理解しているつもりだったのですが。……いえ、何でもありません。この戦争が終わるまでは当家で休んでいてください”と。
ばったり出会った玲瓏館家の当主は巽に向かって言った。“まさか君のような一般人がマスターとして選ばれるなどとはな……いや、罪のない人間が犠牲になるのも覚悟の上だ。謝罪はするまい、だが恨んでくれて良い、私は大願のために、この東京の安全を無視してでも聖堂教会の誘いに乗ったのだから”と。
彼らは東京に生きる人々の命を軽視した悪に違いない。だが、巽の想像していた邪悪とは違った。だから巽は、彼らに協力することに決めたのだ。その心は最初と変わらない。なるべく早く、犠牲が広がる前にこの聖杯戦争を終結させるのだ。
魔術師は根源……? とか言うのを目指すのが目的って言ってたよな。それとそこに至った魔術師は基本的には死ぬって。つまり、聖杯戦争を引き起こした黒幕の一人の玲瓏館だけど、彼らが勝っても根源に至って自滅するだけで東京に被害をもたらすような邪悪な願いが叶えられるわけじゃない。だったらさっさと彼らを勝利させて、この戦争をしまいにしてもらおう……と、巽は考える。
「というかアサシン。七騎の英霊が戦う戦争なのにもう三騎がチーム組んじゃってるんだから、玲瓏館の勝ちは確定したも同然なんじゃないか?」
胸のうちに湧いたそんな疑問を巽はアサシンにぶつけてみた。
「英霊にも格がありますから、三騎を同時に相手取ってしまえる大英雄が敵方にいる可能もあります。それに、残り四騎がバラバラな保証もありません。まだまだ勝敗は分からないかと」
「なるほどな」
分かっているのか分かっていないのか、そんな気の抜けた返事をする巽に対しアサシンは“はぁ”と浅くため息をついた。なんでこの男の同行を自分は許可してしまったのだろう、と彼女は思う。
その時。
「──ッ! 巽、あの路地で二騎のサーヴァントが戦闘しています。その得物を見るに、おそらくはセイバーとアーチャー」
「マジか! ……ほんとだ、よく見えたなアサシン。あの金髪碧眼の西洋の騎士っぽい剣士と浅黒い肌をした中東の人っぽい弓使いだな」
双眼鏡を構えた巽がアサシンに同意する。
「……待った、なんかいきなりもう一騎出てきたぞ!?」
「あれは、ランサーでしょうか。アーチャーに襲いかかって、つまり、セイバーと同盟を組んでいる……?」
二人の視線の先で、蒼銀の騎士と白銀の戦乙女がアーチャーを追い詰めていく。
「……どうする、アサシン。介入するのか?」
「主からは自由にしろと、そう言われています。介入しても良いですが、そうなるとどちらに……」
セイバーとランサーとともにアーチャーを討ち取るのか、アーチャーに加勢し彼を守るのか。
「アーチャーを助けた方が良いと思う。その方が恩を売れるんじゃないか?」
「同意します。セイバーとランサーは私の加勢が無くともアーチャーを倒してしまえるでしょう。彼らに恩を得るのは難しい。では──!」
「行くか──!」
アサシンが霊体化し、ビルの屋上から飛び降りる。
「……いや、俺のことは放置かよ!?」
それを巽は見送ったあと、大人しく階段を使って一階まで下り彼女を追いかけた。
「ああクソ、俺にも高所から格好良く着地できるような魔術が使えたらなぁ!」