アーサー王(史実)がしたこと   作:妄想壁の崩壊

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蒼銀のフラグメンツでしたこと【終】

 

アーサーとソドムズビーストの振るうその鞘のついた剣と鋭い獣の腕が、火花を散らしぶつかり合う。

 

すでにアーサーの手にかの聖剣は存在しない。最初の一撃、あの神威を示した『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』はその剣に宿す神秘全てを放出した壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)による最大威力にして一度きりのものだ。

 

故にこの女を、退廃都市の獣を、黙示録の竜を殺す手段はアーサーにはただ一つしかない。

 

すなわち、逃げられることのない零距離での宝具解放である。

 

「勇者よ、一つ余から提案してやろう」

 

「……何?」

 

互いの煮え切らない単調な攻撃の応酬に飽きたのか、ソドムズビーストはにやりとその頬を歪ませていった。

 

「余のモノになれ、聖剣使い。貴様のその輝き、人類すべての希望を束ねたその在り方は獣たる余にとって実に好ましい。貴様が余の腹に収まると言うのであれば、そうよなぁ……人類全てをメインディッシュではなくデザートくらいには後回しにしても良いぞ?」

 

くつくつと愉快げに笑う金髪赤眼の女にアーサーは呆れたように言う。

 

「それでは取引になっていない。人類を見逃す……と言うのならば一考の余地があるが、私を喰らったあとに人類を喰らうのであれば意味がないだろう?」

 

「意味ならばあるぞ、人類の幕引きが多少後ろにズレる、と言った意味がな」

 

主役気取りの劇場の主が、ローマ帝国第五代皇帝ネロ・クラウディウスの似姿を取った獣が両手を広げてくるりと舞った。

ディウスの似姿を取った獣が両手を広げてくるりと舞った。

 

「もはや人類史が美しいと呼ばれる時代はとうの昔に過ぎ去った。華々しい戦も、過酷な旅の果ての出会いも、宝を追い求める冒険も、すべて『消費』されているだけではないか。見るに耐えぬ。余は人類が好きだぞ? だからこそ、その終わりは美しいものであるべきだと思うのだが」

 

「大いなる存在による裁きも、大悪による滅びも人類には必要ない。人類の死とはきっと、自らの愚かさによる呆気ない死だろう。でも、それで良い」

 

「それではその終わりを誰が看取ってやれると言うのだ? 人類は、誰にも覚えられることなくただ自死するだけだと? そんなの──」

 

“寂しいではないか。独りで死んでしまうのは”と、一瞬少女のような表情で獣は言った。アーサーはそれに目を疑う。

 

ネロ・クラウディウス。ローマ皇帝にしてキリスト教を激しく迫害し、黙示録に獣として記された少女。

 

彼女は民を愛し良く統治した。だが、その最期は愛した民の誰にも看取られることは無かった。

 

「だから、余が全て平らげてやるのだ。人類史をあまねくこの腹に収め、美味かろうとも、不味かろうとも、最後にはこの国の言葉に則り感謝と敬意を告げてやろう。ごちそうさまでした、とな?」

 

「君は──」

 

「……ん? 貴様、まさか()に同情しているのか……? く、ふははははは──ッ!!! 良い、ますます欲しくなったぞ聖剣使い! 貴様を手に入れ堕落させるのは、人類全てを飲み干すほどの愉悦だろうなぁ!?」

 

「ぐぅ……っ!」

 

女の形をした龍の尾がアーサーを襲う。それはアーサーでさえ見切るので精一杯なほどの速さだった。その圧倒的な運動量を持って、アーサーの肉体が吹き飛ばされる。

 

「鎧で受け止めようものならアーチャーよろしく、五体が砕け散るな」

 

「たとえ肉片となろうとも、余は貴様を受け止めてやるぞ? この穢れた聖杯のうちにな? くくく……」

 

彼女の手に握られた小聖杯からは絶え間なく人類悪、その汚濁たる泥が溢れ出ている。大聖杯によってかき集めたこの都市の欲望、人の感情が彼女に無限の魔力をもたらしているのだ。

 

そんなものの中に焚べられてしまえば、アーサーはそれこそ黒化してしまうだろう。

 

そんなことは御免だとアーサーは再び立ち上がり、ソドムズビーストとの戦闘を続行する。しかし、柔肌のように見えて竜の鱗の如き頑強さを誇るその体に傷をつけることすらできなかった。

 

「しかし存外他愛ないなぁ、聖剣使い。その鞘のうちに秘められた剣を抜かぬのか?」

 

「抜けば、君は逃げるだろう?」

 

「うむ、当然である。大技をまんまと受けるラスボスがいるものか。もっと頑張るが良い、そうでなければ余を追い詰めることなどできぬぞ?」

 

“もっとも、頑張ったところで貴様らの攻撃など余には効かぬが”と言って、彼女は嗤った。

 

ソドムズビーストの持つスキル『ネガ・メサイア』。それは伝説において黙示録の獣が偽りの救世主と成ったに由来するスキルであり、ビーストⅡティアマトが持つ『ネガ・ジェネシス』と類似した効果を持つ。

 

黙示録において、偽りの救世主は人々を騙し、その信仰を乱して自らの支配下にした。

 

故に、その効果はあらゆる信仰の力、救世主の力を否定し、正しき人類史に生まれたすべてを否定する力。対人類特攻とも呼べる力であるそれに、人の信仰が生み出した英霊たるサーヴァントのアーサーが勝てるはずもない。

 

「諦めて余の手を取るが良い。ふむ……ならばそうだな! すべてを飲み込んだあとに貴様と余で楽園を築こうではないか!」

 

「……は?」

 

「うむ、それが良い。滅びが嫌なら、またすべてをエデンの園から始めれば良いのだ。貴様と余、第二のアダムとイヴより始まりし二度目の人類史を見届けよう! そして……その最後に余が再びたわわに実った人類史(果実)を喰らい、また一から繰り返す!」

 

“余は天才か!? 繁栄と堕落のサイクル、これぞまさに人類のあるべき理想の姿ではないか!”と獣が笑う。少女のように華々しい笑顔で、薔薇の皇帝の似姿が笑う。

 

「笑えないな……やはり、貴公とは分かり合えないみたいだ」

 

「うむ、当然であろう? そも貴様の同意など求めてはおらぬ。余が決定したならば、貴様も世界もそれに従うのみ。それとも……貴様、()と分かり合えるとでも期待したか?」

 

()いやつめ。貴様を求める女はさぞ多かったろうな?”と獣が泥の渦を放ちながら言い、“生憎ながら、そうではなかったみたいでね。こう見えてもバツ(いち)なのさ!”とアーサーが暴風で以てそれに対抗した。

 

「なんと! その女は見る目がないな! そんな女がいる人類史はやはり余が摘み取ってやろう!」

 

竜が腕を振るうと、劇場が揺れた。そしてかつてローマの大火と呼ばれた炎の渦が、皇帝ネロが収めたその災害がアーサーに牙を剥く。

 

「ローストの時間だ、聖剣使い! せいぜい半焼けになれるように耐えよ、余はミディアムレアが好みである──!」

 

そしてアーサーの体が竜の炎に飲まれて消えた。そこには塵一つ残らない。

 

「……つまらぬ」

 

孤独な竜を置いて何も残らなかった劇場で、一人寂しげに獣が呟いた。

 

「良い、人類は一息に飲み込んでやろう。かみ砕くことでその痛み、悲嘆、絶叫を味わっても良いが……」

 

炎の中からこちらに手を伸ばそうとした蒼銀の騎士に想いを馳せながら、ソドムズビーストは彼が死んだ場所から背を向けた。

 

そして、彼女がメインディッシュの後のデザートに取り掛かろうとしたその時。

 

「皿に料理が残っているのに退出しようとは、無作法だぞ、お客様?」

 

「な、に──?」

 

次の瞬間、ソドムズビーストの胸をアーサーの鞘付きの剣が貫いた。

 

「空間転移……令呪の行使か!? くっ……」

 

「忘れたのか、私は一人でこの場に立っているわけじゃない。貴公と違ってね」

 

「この程度……っ!」

 

竜の女がその美しく豊満な胸に突き刺さった剣を引き抜こうとした。だが、びくともしない。彼女にはこの世すべてに対する抵抗性があるというのに。

 

「なんだ……貴様、何をした……?」

 

そして獣は気づき、目の前の男に恐れ慄く。そこにいるのはたかが英霊ではない。

 

「貴様は、誰だ──?」

 

 

 

 

神話の戦いとは相性の勝負である。故に、アーサーは念入りに用意した。

 

己の持つロザリオ、かつては盾の姿を取っていた宝具。原典においては聖母マリアの姿が刻まれた聖なる盾、異なる世界においては盾にして船。

 

時を超え、世界を超える。祈りを宿した清浄なる盾。真名『希望導く祈りの環十字(プリドゥエン)』。

 

その盾に、アーサーとモルガンはもう一つの属性を付与させた。

 

其は盾にあらず、真理である。しかしその図式は盾として機能する。

 

 (根源)』と、アーサーと、人類の“生きたい”と言う意志を束ねたその力。

 

 ()』は神である。

──PATER est DEUS.

 

(アーサー)は神である。

──FILIUS est DEUS.

 

聖霊(人類の意思)は神である。

──SPIRITUS SANCTUS est DEUS.

 

それすなわち、三位一体である。

──TRINITAS est DEUS.

 

『三位一体の盾』の顕現を以て。

 

今宵、地上に『 ()』の化身が降り立った。

 

救世主を否定する『ネガ・メサイア』とて、『 (ソレ)』を否定することは叶わない。

 

なぜなら黙示録の獣も、黙示録の竜も、偽の救世主も、退廃都市ソドムも等しく『 』の御業によって裁かれたのだから。

 

何度でも言おう。神話の戦いとは、相性の勝負である。

 

 

 

 

「私は貴公の死だ」

 

鞘の拘束が外れ、その『 ()』の真の力が解放される。

 

「それは──っ!? や、やめよ。それを使ってしまえば最後、余も貴様も世界から、いいや、アカシックレコードたる『 』の記録からも消えてしまうのだぞ! 跡形もなく!」

 

「全て承知の上さ」

 

「ありえぬ……ただ死ぬだけではなく、消えるなど……!」

 

獣が必死に足掻くが、それを許すアーサーではない。もとより、彼は獣を消すためだけにこの地上に呼び出されたのだから。

 

サーヴァント、アーサー・ペンドラゴン。クラス封印者(シーラー)。本来敵対している抑止力と彼が意気投合したときのみに現界を許される役。神秘に対する絶対的な特攻を持った第四魔法の使い手、アーサーの為だけに用意されたエクストラクラスである。

 

「いやだ……! 余は余は──!」

 

「案ずることはない、向こう側まで、私も君と行く」

 

絶対に逃さないと言わんばかりに、アーサーはもはや少女のように悲痛そうな顔を浮かべた竜の体を抱きしめた。

 

そして。

 

『残りの令呪を以て告げるわ。あなたの宝具を解放して……セイバー、ありがとう。すべてを忘れても、あなたが大好きよ』

 

アーサーは己のマスターの声を聞きながら、世界に別れを告げるその力の名前を呟いた。

 

崩剣(アンチマター)──『     (カリブルヌス)』」

 

剣の中の暗闇が広がっていく。それは男と女を飲み込み、劇場を飲み込み、東京の惨劇すら飲み込んでいく。

 

アーサーは最後に、事象そのものを対消滅させるその力から生まれた膨大なエネルギーを、獣の手にあった小聖杯へと焚べた。

 

願望機は『 (消滅)』する直前に些細な奇跡をこの地に残し。

 

そして、その瞬間。聖杯戦争が終わりを──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──聖杯戦争なんてものは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1999年、東京。二十世紀を代表するテロ、未曾有の地下鉄毒ガステロ事件から、実に八年が経過していた。

 

「うっし、終わったー! ジキル、昼メシ行こうぜ昼メシ!」

 

「巽は相変わらず元気だね……少し待ってね、僕も今終わるから」

 

來野巽、二十五歳。ある日を境に右目の視力を失った以外は至って平凡な会社勤めの青年である。趣味は野鳥観察(バードウォッチング)。昔は長々と静止した鳥の写真が撮れていたのだが……今ではそんなことなく、しかしやけに鋭い感で美しい写真を撮ると、界隈には評判の趣味人である。

 

そんな彼は高校生時代からの親友であり会社の同期でもあるジキルの背中を叩いた。

 

突如イギリスから巽のいる学校に転校してきた彼と巽は、なぜだか分からないが初めて会ったときから無二の友のように振る舞えた。

 

それ以来、同じ会社に就職するほど彼とはべったりなのである。無論友達としてという意味であるが。

 

だが、そんな男同士の友情に割って入る女がいた。

 

「だめです、巽先輩。今日は私とランチするって約束じゃないですか」

 

「げ、ジ、ジール」

 

巽の後輩、褐色の肌に紫色の髪をした中東生まれのジールちゃんである。

 

「ジキル先輩、そういうわけなので私と巽先輩の仲を切り裂かないでくれますか?」

 

「別にそういうつもりじゃ。というか、誘ってきたのは巽の方で……」

 

「うるさいです、この陰キャ系間男。もっとハキハキ喋ってくれませんか? そんなんだから筋トレ趣味のくせに女性社員から“なよなよしくてかわいい(笑)”とか言われるんですよ?」

 

ジールちゃんのそのカミソリのような舌によって巽とジキルの表情が凍った。

 

ジール・サッバーハ。その口の悪さから人呼んで毒の娘。かつて巽たちの働く会社にいたイヤミな御局様を出社一日目にしてカウンターでボッコボコにし退職させた、上司を除いて怒らせてはいけない人堂々のナンバーワンである。

 

なお、キレる相手はちゃんと選んでいるらしい。普段は普通の礼儀正しい娘である。

 

「そういうわけなので、行きましょう。巽先輩」

 

「わ、悪いジキル。また今度な?」

 

「あはは、お幸せにー」

 

なぜこの後輩に執着されているのか全く心当たりのない巽は、薄情にもこちらを見つめるだけで助けてくれない同期に力なく手を振った。

 

それが來野巽の、何の変哲もない、しかし確かに勝ち取った平凡な日常の一幕であった。

 

 

 

 

「カメラのレンズの調整に行こう」

 

慌ただしい平日が終わり休日、なんとかジールからプライベートの日を勝ち取った巽は思い立ったようにアパートを出た。

 

趣味の野鳥観察に使うカメラの調子が悪いため、行きつけの店に行って調子を見てもらうのである。

 

「ここらへんもずいぶん変わったよなぁ……」

 

巽はJR山手線を走る電車揺られながら、ここ八年で様変わりした街並みを車窓から見渡した。

 

「しっかし、相変わらず目立ってんな。太陽タワー」

 

太陽タワー。正式名称ラムセウム・テンティリスと呼ばれるその黄金のビルは、八年前の災害における復興のシンボルである。

 

近年急速に力をつけ、世界長者番付にも乗ろうかとしている謎の富豪、伊勢三ラーメスなる人物によって建てられたその建物は、バブルが崩壊し日本経済が麻痺しようとも“余には関係ない!”と言わんばかりに輝きを放ち続けている。

 

正直街並みには全く馴染んでないが、なんかもう、一種の芸術作品として人々からは受け入れられていた。

 

でも東京土産なのにスフィンクスのクッキーを推しているのは、正直どうかと思う。ここ日本だから、エジプトじゃないから。

 

ちなみに関係ない話であるが、八年前に突如としてエジプトの文明博物館から消えたラムセス二世のミイラの行方はまだ分かっていないらしい。関係ない話であるが。

 

「……と、ついたな」

 

それからしばらくして、巽は小さな眼鏡屋の前にいた。北欧から来た外国人夫婦の二人が営むこじんまりとしたその店に入ると、“ちりん”とドアベルが鳴る。

 

「シグルドさーん! 巽です! レンズの調子を見てもらいに来たんですけど!」

 

「また貴殿か……当方は眼鏡屋だと何度も言っているのに、懲りないな」

 

店の奥から呆れた表情で出てきたのはこの店の店主。妻と眼鏡をこよなく愛するイケ男。一般北欧人のシグルドさんである。

 

「いやぁ、シグルドさんのところが一番丁寧に仕事してくれるんで。あ、これお土産です。ブリュンヒルデさんと一緒に食べてください」

 

「それで当方がレンズの調整を承ると思っているのか? ……まぁ、良いだろう。貴殿はお得意様であるしな」

 

巽は視力を失った右目を誤魔化すためのサングラスをこの店で調達している。そんな関係もあってか、本来の仕事ではないカメラのレンズの調子も見てくれているのだ。

 

「そう言えば、ブリュンヒルデさんは今日はいないんですね」

 

「……」

 

巽は普段ならば店番をしているシグルドの妻、ブリュンヒルデがいないことに気が付きそのことを問うた。

 

「我が妻は今病院に行っている」

 

「病院!? ま、まさか病気? それとも怪我とかですか? いやあの人が怪我とか想像もつかないですけど」

 

巽の脳裏に自動車どころか鋼鉄より頑丈な自称一般北欧人女性の姿が思い浮かぶ。この前の夏にシグルド夫妻とジキル、ジール、巽のメンバーでバーベキューをしたときは素手で焼けた炭に触れていたのだから驚きである。本当に人間なのだろうか。

 

「うむ、まぁ、そうであるな」

 

「えっと、シグルドさん?」

 

様子がおかしいシグルドに巽が怪訝な表情を浮かべる。眼鏡を白く光らせた彼の表情は、むしろどこか嬉しそうだ。

 

「病院、と言えども産婦人科というやつだ」

 

「……ま、マジですかぁ!?」

 

それはつまり、結婚八年目にしてようやく彼ら夫婦に待望の子どもが出来たことを意味していた。

 

「うぉー! おめでとうございます! 二人に子どもができるなんてマジで俺嬉しいですよ!」

 

「我が事のように喜んでくれるとは、当方も感謝せねば」

 

シグルドは照れたように眼鏡をかけ直した。

 

「ところで、貴殿は結婚はしないのか?」

 

「えっ……お、俺ですか。いやぁ、今のところは……」

 

「貴殿は彼女のことは憎からず思っているのだろう?」

 

シグルドの言う彼女とはまさしくあの毒舌娘のことに他ならないだろう。巽はその娘を思い浮かべて苦笑いをする。

 

「ジールのことですか。俺なんかのこと好きって言ってくれるのは良いんですけど、なんか怖くて……」

 

「どれだけ重い愛だとしても、それを受け止めてやるのが男だと当方は思うがな」

 

シグルド、愛重き妻の愛を全て受け止める男の中の男。その体は結婚して以来傷が尽きることはないという。本人は別に気にしてないが、銭湯に行こうとすると『や』から始まる人と勘違いされて出禁にされることだけは流石に辛いそうだ。

 

最近は彼の妻の悪癖がいずれ生まれてくる子どもに向かないか気が気でないらしい。

 

「今度お祝いに飯奢らせてください、シグルドさん」

 

「そうか、いやむしろ貴殿を我が家に招待しよう。貴殿の友人と彼女もセットでな」

 

「か、勘弁してくださいよ……」

 

小さな眼鏡屋の中で二人の男の笑い声が響く。それはシグルドの妻ブリュンヒルデが、自身に宿る命が二人分あることを知り狂喜乱舞しながら帰ってくるその時まで続いた。

 

そして案の定、妻の愛を鎮めるために傷だらけになったシグルドの姿が翌日近所の人たちによって目撃されることになる。

 

八年前にこの街に来て、それより以前の記憶が曖昧な自称一般北欧人夫婦の二人。常人より多少力が強く頑丈なだけの二人は果たして、この地で幸せな家庭を築くことができるのか。

 

次回の東京逸般人の日常シリーズは?

 

シグルド、妻より先に入院する!

 

ブリュンヒルデ、出産前に悪癖を克服することを誓う!

 

來野巽の修羅場!? 毒の娘VS妹。

 

世界の危機は去ろうとも、日常の危機が消えることはない。さて、彼らの明日はどっちだ──?

 

 

 

 

「さようなら、エルザ先生」

 

「ええ、また明日ね。綾香さん」

 

沙条綾香は学校が終わったあと、自分のクラスの担任であるエルザ・西条に別れを告げて帰路へと着いた。

 

子ども好きの彼女は、どうやら教師としての道を選んだらしい。今は研修として綾香のいる高校に勤めていた。

 

「あ、杏路くんお疲れ様。……今日も送迎あるんだ」

 

校門から出るところで、綾香はばったりと自分の同級生、伊勢三杏路に出会った。昔と比べてずいぶん肉付きが良くなった彼は今では女子生徒の憧れの貴公子として人気を博している。

 

「綾香さん。うん、義兄さんが絶対送り迎えするって聞かなくてさ……」

 

彼はその儚げな顔を困ったように少し歪めると、そのまま真っ黒なトヨタセンチュリーに乗って学校を去っていった。行き先は東京のシンボル、太陽タワー。

 

今や彼は一大富豪伊勢三家の御曹司でもあった。その様子を綾香は“坊っちゃんてやっぱり大変なんだ”と小市民的な感想で見送る。

 

「あ、美沙夜先輩。今から帰りですか?」

 

その次に綾香が出会ったのは己の先輩にして魔術師の師匠、玲瓏館美沙夜である。

 

「あら、綾香じゃない。ええまぁ、そうだけれど」

 

「丁度良いし、一緒に帰りませんか?」

 

綾香のその誘いに特に断る理由もなかったため、美沙夜は彼女と共に途中の駅まで同伴することにした。

 

「──それでようやく半分まで解読できたのだけれど、そこからまた呪いの難易度が上がって……って聞いてるのかしら、綾香?」

 

「え? あ、はい。聞いてますよ、先輩」

 

「本当に聞いていたの? はぁ、あのねぇ、我が玲瓏館家の至宝である神代の魔術書についてのありがたーい講義をこの私がしてあげているのだから、あなたはもっと耳の穴かっぽじって良く聞きなさい。そんなんだからいつまでたっても三流魔術師なのよ?」

 

「あはは……」

 

玲瓏館家の至宝。それは八年前に突如として現れた魔術書である。その内容は多岐に渡り、西洋から東洋まで、神代から現代までの多種多様な魔術の秘儀の数々が記された非常に貴重な書物である。

 

由来分からぬソレを美沙夜とその父惟慧が解読しようと試みてはや八年。幾重にもかけられた呪詛を解きながらようやく半分まで読み進めたのだ。おかげで美沙夜は日本はおろかロンドンの時計塔まで見ても、同年代で最高の実力を持つ魔術師となるまでに成長した。

 

それはひとえに、あの魔術書のおかげだろう。あれは一頁解読するために毎回呪詛を解呪する必要がある呪いの品だ。だがその呪いは常に前の頁までの内容をきちんと修めていれば解けるほどの難易度となっているため、一種の登竜門のように機能している。まるで、最初から美沙夜を成長させることが目的であったかのように。

 

「少しはあなたの姉を見習いなさい」

 

“魔術? うーん、趣味?”レベルの綾香に呆れたように、美沙夜は妹とは正反対の姉──沙条愛歌のことを口にした。

 

彼女は非常に勤勉で優秀な魔術師であり、今ではロンドンの時計塔に留学し若くして冠位(グランド)の階位を授かるまでに至っているという。風の噂ではかの第二魔法の使い手に師事し、その才能と容姿が相まって求婚が絶えないのだとか。

 

「……綾香?」

 

「……やばい! お姉ちゃんのこと忘れてた!」

 

美沙夜から姉の話題の聞いた途端に黙りこくっていた綾香が突然何かを思い出したかのように声を上げると、彼女は駅に向かって走り出した。

 

「ちょっと綾香──!?」

 

「ごめんなさい美沙夜さん! 今日お姉ちゃんが帰ってくるんでした! 話はまた今度で──!」

 

そう言って駆けていく後輩の背中を見送り、一人残された美沙夜は呟く。

 

「自分から誘っておいてあの子は……」

 

明日会ったらしばき倒してやろうと、成熟したこの土地のクイーンたる美沙夜は心に誓った。

 

 

 

 

「ただいま、綾香。私がいない間、元気にしてたかしら?」

 

綾香が急いで家に帰ると、そこには既に大量の荷物を抱えた笑顔の姉が立っていた。その胸に、キラリと環十字のロザリオを輝かせて。

 

八年前から随分と美しく成長し、背も伸びその長い髪をポニーテールにして束ねている彼女こそが沙条綾香の姉、沙条愛歌である。

 

「お姉ちゃんも……あんまり変わらないね」

 

「どこ見て言ってるのかしら? ねーえー、あーやーかー?」

 

綾香の視線が自分の胸元を向いてることに気づいた愛歌が凄むと、“い、今鍵開けるから……!”と誤魔化すように綾香は扉を開けた。残念ながらそこはあまり成長しなかったらしい。

 

「綾香は平均以上にはなったのに、なんで私は……ッ!」

 

“うー! (むね)を平等に分けてくれない神様なんて死んじゃえば良いのに!”なんて、教会の人が聞いたら憤慨しそうなセリフで地団駄を踏む姉の姿を綾香は微妙な顔をして見守る。

 

「と、とにかくお帰りなさいお姉ちゃん。でも急だったね。てっきりまだロンドンの時計塔で研究を続けるつもりだと思ってたけど……」

 

「ああ、それね。まぁ私もそのつもりだったのだけれど……思ったよりも早く終わっちゃったの」

 

「えっと……?」

 

愛歌の言う“終わっちゃった”の意味が分からず、綾香は聞き返す。

 

「だから、研究が全部完了しちゃったの。もうすることなくなっちゃったし、宝石のおじ様からも免許皆伝って言われちゃったし、あと封印指定もされたから日本に帰ってきちゃった」

 

「ちょ、ちょっと待って! 情報が! 情報量が多いよお姉ちゃん!」

 

ここで一つ、沙条愛歌の八年間を振り返ってみよう。

 

まず八年前に突如として父親である沙条広樹が行方不明になり、また沙条愛歌も原因不明ながら『 (根源)』との繋がりを失った。

 

普通ならここで沙条家は魔術の家としても家族としても空中分解するはずだった。なにせ遺されたのは幼い少女の二人だけだったのだから。

 

だが、そうはならなかった。なぜならそこにいたのは力を失おうとも妙にやる気と希望に満ちた心を持ったスーパー愛歌ちゃんだったからである。

 

彼女は一年後、中学を卒業すると高校には進学せず魔術世界で働き始め、生活費を稼いだ。それから暫くせずに『 』と再接続することに成功。いつの間にやら見つけてきたロザリオを握りしめながら研究に没頭し、部分的ながら平行世界の観測、すなわち第二魔法の習得に成功した。

 

そして妹が高校生になる少し前に家のことを彼女に任せ、愛歌は単身ロンドンの時計塔に留学。そこで魔法使いキシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグの弟子として教育を受けながらロザリオにかけられた魔術、魔法を研究し、自分の心が求めている誰かをひたすらに探し求めた。

 

『名前も、姿も、存在したかどうかも分からない。でも確かに、私の心はある日を境に変化したわ。そうである以上それは、その人は、彼は確かに存在するはずなの』

 

そう言って彼女ひたすらその誰かを探し続けた。あまねく平行世界を見通し、異なる自分の可能性に打ちのめされたりもした。

 

だが、それでも彼女は見つけたのだ。

 

無属性魔術の極致、第四魔法へと至る方法を。

 

「というわけで、お姉ちゃんは魔法使いになり封印指定されてしまったわ。分かってくれたかしら」

 

「えぇ……」

 

言ってることとやってること全てが滅茶苦茶である。綾香はこの姉が悪人として世界に存在しないことを心から感謝した。やろうと思えば、きっとこの姉は何でもできてしまうのだろう。そう、それこそ世界征服とか。

 

「でも、また一緒に暮らせるのは嬉しいかも。もうロンドンには戻らないってことでしょ?」

 

「……そうね、戻ったら閉じ込められてしまうわ。封印指定とはそういうものだもの」

 

封印指定、それは魔術世界における一種の名誉でありながら絶望と同義である。

 

つまるところ“君の魔術は極めて貴重な人類の財産であるが、しかしそれを継ぐ者が誰もいない。だからサンプルとして君の身柄を幽閉させてもらうよ?”ということなのだから。

 

封印指定を執行された者たちがどうなっているのかは定かではない。外界から遮断された都市で暮らしているかもしれないし、肉体はホルマリン漬けにされて脳だけで生きているのかもしれない。

 

いずれにせよ、会いたい誰かのもとへ行こうとする愛歌からしたら邪魔以外の何でもなかった。だから、最後に宝石翁に挨拶してとっととロンドンを去ったのである。

 

「じゃあ今日の夕飯は奮発しなきゃね。お姉ちゃんのお帰り記念なんだし」

 

エプロンを着けて張り切りながら台所に立つ綾香を眩しいものを見るように愛歌は見つめた。

 

「──あーやかっ!」

 

「ちょ、ちょっとお姉ちゃん。今から料理するから離れて。危ないでしょ?」

 

背中にへばりつく愛歌に少しだけドギマギしながら、綾香は卵を二つ割ってベーコンと共に油をひいたフライパンで焼く。

 

「私ね、あなたのことが大好きよ。あなたのお姉ちゃんに生まれて良かったって思うし、あなたが私の妹で良かったって思う」

 

「も、もう。どうしたの急に? わ、私もお姉ちゃんのこと好き……だよ?」

 

今日の姉はやけにスキンシップが激しいなどと頭の隅で考えながら、綾香は目玉焼きを裏返した。

 

「……愛してるわ、綾香。だから」

 

「……あ、ごめんお姉ちゃん。両面焼きにして良いか聞いた方が良かったよね──?」

 

“どうか、幸せに生きて”という言葉が聞こえ、沙条綾香は後ろを振り帰った。

 

「あれ……?」

 

そこには何もなかった。ただ、開いた窓から風が差し込み、白いレースカーテンが揺れているだけ。

 

「変なの」

 

綾香は首を傾げながら、フライパンへと向き直る。

 

「なんで私」

 

そして一言呟いた。

 

「卵を二個も焼いてるんだろう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前に、世界を隔てる壁があった。

 

──彼女は失敗した。

 

そこはいかなる存在も通ることができず、向こう側を観測することさえ許さない。

 

──彼女は失敗した。

 

神秘を隔てる天の鞘。その向こうに、彼がいるかもしれないのに。

 

──彼女は失敗した。

 

向こう側に行くには、もう一人必要だったのだ。彼女の背中を壁の向こうまで押してくれる誰かが。

 

──彼女は失敗した。

 

だからもう、どうしようもない。こんな場所に来れるのは魔法使いか根源接続者だけだ。愛歌のためにわざわざ来てくれる知り合いにそんな人間はいない。

 

──彼女は失敗した。

 

ただ、それでも、願わずにはいられないのだ。

 

──彼女は失敗した。

 

自分を変えてくれた誰かに、会いたいと。

 

──彼女は失敗した。

 

「お願い、誰か、私をセイバーのもとに連れて行って……!」

 

名前は知らない。けれど、魂がその名を口にした。彼女が求める、愛しい人の呼び名を。

 

──彼女は失敗した。

 

少女は一人、宇宙の果てでロザリオを握りしめる。

 

──彼女は失敗した。……だから、助けてあげなければ。

 

そのとき、沙条愛歌の体が一歩、壁の向こうへと飛び出した。

 

「えっ……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──行ってらっしゃい、愛歌。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

懐かしい声が聞こえた気がして、愛歌はその声の主の正体を呟いた。

 

「お父さん……?」

 

「なんだ?」

 

驚いたことにその呟きに返事があった。そして彼女は自分が机に座り朝食を食べている最中だということに気づく。目の前には食卓を囲みながら新聞を読んでいる父の姿が目に入った。

 

見覚えのある、しかしもう何年も見ていなかったその光景に彼女はまた驚く。そしてテレビにはその日の天気予報が示されていた。

 

2004年、二月、東京。

 

きっと愛歌は、成功した。

 

「……っ。どうした、突然。何か嫌なことでもあったのか?」

 

「……ううん、なんでもないの。ただ、嬉しくって……っ!」

 

溢れる涙に袖を濡らしながら、彼女は笑顔で不器用な父親の心配を否定した。

 

「……ところで私、相談があるのだけれど」

 

「……そうか。しかし珍しいな、お前が私に相談などと」

 

「私、私ね……行きたい場所があるの。そこに、行っても良いかしら」

 

ここまで付いてきてくれたロザリオは、きっと最後まで彼女に道を示してくれるだろう。

 

だから沙条愛歌は胸に希望を持って叫ぶのだ。

 

「ふふふ、待っててね。セイバー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『蒼銀のフラグメンツでしたこと』

 

──Fin.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





後書きです。一応、あと二話くらい蛇足を考えてます。終わる終わる詐欺ってやつです。でも皆好きでしょ? 終わる終わる詐欺。

それと……『帰って』とか『ファブリーズ』とか『あかん!』とか感想で言ってた皆さーん! 見てますかー! こんなに綺麗になった愛歌ちゃんに酷いことを言ったものです! ちゃんと愛歌ちゃんにごめんなさい、してくださいね?

……ぶっちゃけ作者もここまで愛歌ちゃんがヒロインするなんて思っても見なかったよ……。ごめんね、愛歌様。ちゃんとこのあと君のこと幸せにするから許してください。

では行け、アルトゥールスくん。お前が全員幸せにするんだよぉ!

続かないけど一応。読者の皆様はApocryphaを

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