アーサー王(史実)がしたこと   作:妄想壁の崩壊

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Apocryphaでしたこと【10】

 

 

黒のキャスター、裏切り者であるアヴィケブロンの襲撃を何とか撃退することができた一同。人とサーヴァント、そしてホムンクルスと多様な存在が入り混じった彼らは半壊し一部が瓦礫となったユグドミレニアの邸宅の地下室にて顔を合わせていた。

 

黒のアーチャー、ケイローンとそのマスター、フィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニア。

 

黒のライダー、アストルフォとそのマスターでありジークフリートの心臓を継承したサーヴァントでもあるホムンクルス、ジーク。

 

ルーラーの呼びかけに従い一時的に肩を並べて巨人と戦った赤のセイバー、モードレッドとそのマスター、獅子劫界離。

 

それからルーラーと元黒のセイバーのマスター、ゴルド・ムジーク・ユグドミレニアの計八名である。

 

「問題は、大聖杯を奪った彼らとどうやって戦うかということです」

 

フィオレは卓に並ぶ面々を見て深刻そうに告げた。彼らがこの地下室で話し合っていたのは、いかにして敵の陣営と渡り合うかについてだ。

 

赤の陣営はある意味で崩壊した。赤のマスターたちはたった一人の男の奸計に陥落しそのマスター権を譲り渡したのだ。

 

故に今ではもともと赤のアサシンのマスターであった男、シロウ・コトミネ──否、第三次聖杯戦争の生き残りのサーヴァントである天草四郎時貞の手に落ちてしまっている。

 

彼は全人類の救済という誇大妄想な理想を掲げ、赤対黒という対立構造に楔を打った。

 

“バカバカしい”と、“そんなことは不可能だ”とゴルドが一蹴するように鼻を鳴らして不機嫌に言う。だが“うるせえよ。それを叶えちまうのが大聖杯だろうが”と赤のセイバーの言う通り、異なる世界において悪意に汚染(・・)された大聖杯と違い、無色透明なままの魔力を持つこの世界の大聖杯ならば、きっと天草四郎の考える手段でもってその理想を叶えてしまうのだ。

 

「たとえその手段が、およそ尋常なものでなかったとしてもです」

 

アーチャーがその聡明さを表すような、知に富んだ落ち着いた声で補足するように付け足した。

 

この世界の大聖杯は悪意でもって願いを捻じ曲げて叶えるなんてことはしない。だが、初めから悪意の籠もった願いを入力されればその限りではないのだ。

 

「あの腹黒神父なら、その臓腑(はらわた)に最悪と言えるだろう手段の一つや二つ、抱え込んでるだろうな」

 

「同意するぜ、マスター。あの赤のアサシンのマスターになった男だ。きっと碌な考えじゃねぇ」

 

獅子劫に同意する赤のセイバー。彼女の中で己の母親、妖妃モルガンと同じ気配を感じさせる赤のアサシンの評価は非常に低かった。ある意味で絶大なる信頼を置いていると言っても良い。絶対に良からぬ陰謀を企てているのだろうという信頼を。

 

「私というルーラーが召喚されたのも、おそらくその為でしょう。彼の願いはきっと不可逆に世界を変えてしまうもの。だからこそ、世界は私を派遣した」

 

ルーラーもまた同意を示す。そのような経緯があって、この場にいる全員の意思が打倒天草四郎に統一されたのだ。

 

そして彼らの会議はフィオレが宣言した通り、具体的にどうやって戦うかという話に移ったのであるが。

 

マスターに毒を盛られ、強制的に契約を鞍替えさせられたサーヴァントたちは皆新たな主となった彼に良い思いを抱いているわけがない。願わくばその隙を突きたいところだが、それは難しいだろう。令呪がある以上、サーヴァントはマスターに逆らえないのだから。

 

敵方の戦力はランサー、アーチャー、ライダー、アサシン、未だ見ぬキャスター、そしてマスターでありサーヴァントでもある天草四郎のおよそ六人。対しここに集った戦力はサーヴァントだけなら四人、ジークを数えて五人である。

 

その上敵は大聖杯を抱え込み空中要塞に立て籠もってるときた。戦争において攻め手よりも守り手が有利なのは常識中の常識である。数の不利は何としてでも覆したいところであった。

 

「やはり、私の弟を連れ去った行方不明のエレインとアサシン……彼女らの力は必要不可欠だと思います」

 

故に、フィオレは当然の結論としてアサシンの存在を挙げた。

 

現在天草四郎の陣営にも、ユグドミレニアの陣営にも所属していないアサシンはまさに天秤を動かす駒と言える。

 

「確かに、かのアルトリウス将軍が味方になってくれれば御の字だな。なにせうちのセイバーと殺り合うどころか上回る実力の持ち主だ、その戦力は十分に期待できる」

 

「ああ? オレがあの暗殺者より弱いって言うのかよマスター! だいたいあの戦いはてめぇが足引っ張ってなけりゃ倒せてたっつーの」

 

獅子劫がフィオレの案に賛意を示すが、言葉が悪かったのか虎の尾を踏んでしまったようだ。ゲシゲシとセイバーが獅子劫の足を踏みつける。“はいはい、俺が悪うございましたよ、王様”と彼は宥めるが、内心鎧を纏ってなくて心底良かったと冷や汗をかいた。鉄の塊で踏まれていれば、いかな熟練の傭兵の足でもミンチになっていたことだろう。奇しくも彼がセイバーに現代の服を買い与えていた事でそれは回避されたのである。

 

「アルトリウス将軍……ああ、アサシンは聖アルトリウスだったのですね」

 

「聖アルトリウスだぁ?」

 

アルトリウスの名に反応したルーラーが、納得したように聖人としての彼の称号を呟いた。それに対し眉を吊り上げ鼻で笑うセイバー。

 

「はっ、暗殺者が聖人なんてチャンチャラ可笑しいだろうが」

 

「そんなことはありません。彼はこのルーマニアの治世においてあまねく人々に主の教えを広めました。東欧において彼は紛うことなき聖人の一人なのですよ?」

 

ダキアを再征服し、ルーマニアと名を改めた彼は東欧世界に文明(ローマ)とキリスト教を広めた。それもまた彼が東のカール大帝と呼ばれる所以であろう。

 

その名はとりわけ彼が直接影響を及ぼした東欧、そしてビザンツ帝国の後継者にして第三のローマを自称していたロシアにおいては守護聖人として広く知られているのだ。ましてここは彼が建国したとも言える国ルーマニア、知名度補正もひとしおである。

 

「ほー……でもオレたちが読んだ本には過度な同化政策によるローマ化、キリスト教化で原始スラヴ文化が破壊されたとか書いてたけどな。そこんところはどう思うんだよ、聖女様?」

 

「それでも、彼が東欧に広く秩序を齎したことは事実です。文化の破壊については、まぁ……英霊とは功罪合わせ持つ者ですからね。ハイ」

 

すっ、と目を逸らすルーラー。フランスの聖女ジャンヌ・ダルクと呼ばれる彼女も元はただの農民である。学はない。信仰厚き彼女といえど神学は修めていないので、そういう宗教問答染みた問いには返しようがないのだ。

 

「その、アルトリウスとは一体誰なんだ?」

 

そのとき、ホムンクルス故に知識の浅いジークが問うた。

 

「あぁ、ジークくんは知らないのですね。この国の建国神話に語られる実在した東ローマの将軍なのです」

 

「ボクも知ってるよ? 東の凄い人なんだけど、もともとはただの一英雄って感じだったんだよね。でもシャルル・マーニュ陛下が教皇陛下に戴冠を受けたときに、東の教会の人たちが対抗して後付けでインペラトル(大将軍)って呼び始めたんだ」

 

ルーラーがジークに説明すると、ライダーがその時代を生きた人物ならではの貴重な補足を付け加えた。

 

「シャルル・マーニュ陛下は皇帝でしょ? でもアルトリウスって人は将軍だった。それだと格が落ちて対抗馬にならないから大将軍になったんだよ。教会の人ってこういう権威にめちゃくちゃ気を使うから、端から見る分には面白いよねー。巻き込まれるのはゴメンだけど」

 

インペラトルはエンペラー、すなわち皇帝の語源となった言葉だ。つまり当時のギリシア正教総本山はローマカトリックに強力な守護者である皇帝が出現したのに対抗するべく、ローマ皇帝と同格の称号を死後彼に与えたのである。

 

ボケーっとしてそうでこういう事をさらっと記憶し説明できるあたり、ライダーはちゃんと騎士なのだとルーラーとジークは認識を改めた。……理性が蒸発してさえいなければきっと立派な騎士と最初から認識できていたのだろうか。

 

「あの、待ってください。まるでアサシンがかのアルトリウス・ドラコニオスという前提に話していますが、その根拠はなんですか?」

 

話についていけず、これまで黙っていた フィオレが口を開き、疑問を呈す。

 

「そりゃお前、フードを見れば分かるだろう。あれだけデカデカと双頭の竜が描かれてんだから。ルーマニアじゃ双頭の竜は有名なんだろ?」

 

“何を当たり前のことを”と言わんばかりに獅子劫が言う。だが、フィオレこそ“何を言っているのか”と返したい気持ちでいっぱいだった。

 

「あのですね、双頭の竜はルーマニアにおいてありふれた家紋ですよ。大ルーマニア崩壊後、貴族たちはこぞってかつての英雄の家系の後継を名乗りましたから。家紋だけで特定することはできません」

 

「む」

 

「たしかに、本物のドラコニオスならば知名度補正からこのルーマニアにおいて最強を誇るでしょう。ですが彼を召喚することは事実上不可能なんです」

 

確信を持ってそう断言するフィオレ。

 

「不可能とはどう言う意味なんだ」

 

ジークが周囲の総意を代弁する。それに対しフィオレは語った。

 

「……もともとダーニックおじ様はアルトリウスを召喚するつもりでした」

 

「なに!? 聞いていないぞ、そのようなことは!」

 

全くの初耳だと言わんばかりにゴルドが吠えた。

 

「言うわけがないでしょう。ダーニックおじ様がアルトリウスを呼び出そうとしたのはゴルドおじ様に対抗する意味もあったのですから」

 

「私に対抗? あのダーニックがか?」

 

「はい。知名度補正を除けば黒の陣営で最も強いサーヴァントはゴルドおじ様が召喚したジークフリートです。彼は竜殺しであると同時に竜の属性を持つサーヴァント、一方アルトリウスもまたダキアの竜殺しにして双頭の竜の化身。互いに弱点を突けるならば知名度補正によりアルトリウスの方が勝る。神秘の格とルーマニアでの知名度補正を考えるならばヴラドⅢ世よりも彼の方が格上ですし。ですが……」

 

それは結局叶わなかった。理由は単純、ドラコニオスに連なる英霊を呼び出す触媒がこの世に存在しないから。

 

「大ルーマニアが崩壊したとき、国主であったその代のルーマニア王は自身の城に火を放ち一族の全てを無に帰したそうです。故に彼らの残した遺物はただの一つもありません。まるで、はじめから彼らの一族は歴史に存在しなかったとでも言うように」

 

ドラコニオスの家訓は“過ぎたる力は身を滅ぼす”である。当代の王はそれに従い身を隠したのだろう。あるいは、抑止力のバックアップを受け東欧に流れ込んだノルマン人とスラヴ人の大連合には敵わぬと考えたのかもしれない。

 

その後、ドラコニオスの生き残りはもはや衰退期となっていたビザンツに逃れたとされているが定かではない。

 

「……触媒がなくても、縁召喚ならできるんじゃないの?」

 

ライダーの言う通り、触媒がなくても英霊は召喚できる。その場合、召喚主と性格や性質の似通ったサーヴァントが呼び出されるらしい。

 

「あるいは、土地が触媒となったのかも」

 

「それはありませんルーラー。それならばおじ様が召喚できない道理はない。……ところで、あなたは立ち去るアサシンの姿を見たと聞きました。『真名看破』でアサシンの正体は見たのですか?」

 

「いえ、残念ながらアサシンは何らかの手段で真名を隠す能力を持っていたようで」

 

「でしたらやはり、アサシンはアルトリウスではないと思います。なによりアルトリウスは男性(・・)です。一方アサシンは女性(・・)。それだけでアサシンがアルトリウスではないと証明できます」

 

フィオレはそう言って、アサシン=アルトリウス説を一蹴した。実際には目の前にモードレッドというなぜか性別が違う英霊という実例がいるのだが、彼女はまだそれを知らない。

 

「──何言ってんだ。アサシンは男だろ? お前頭おかしいのか?」

 

「──いえ、見えたのは一瞬だけですけれど、アサシンは男性のはずです」

 

赤のセイバーが珍しく侮蔑するつもりゼロの心底不思議そうな声で首を傾げ、ルーラーもそれに続く。

 

「は、はい? 私が戦闘したアサシンは確かに女性でしたが……ですよね、アーチャー」

 

「ええ、まるでキャスターのように魔術師然としたアサシンでした」

 

困惑したようにアーチャーに確認するフィオレ。そして彼もまた困惑したように己のマスターと顔を合わせる。

 

「お前は目が節穴なのか? 弓兵のクセに? あれはどう見たって騎士モドキだろうが。だろ、マスター。あいつ二刀流の騎士モドキだったよな!」

 

「セイバーの言う通り、アサシンは不可視の二刀流を使っていたぞ」

 

「?????」

 

どうにも話が噛み合わず、頭に疑問符を浮かべるフィオレ。

 

「皆ライダーのように理性が蒸発してしまったのだろうか」

 

「ねぇ、マスター。それボケなの? それとも天然なの? ボクのこれを流行り病みたいに言うのやめてくれないかな? あとボクでも流石に男と女を間違えたりしないよ? あそこ三人は間違えるくらいお馬鹿みたいだけど」

 

「んだとこの田舎騎士が! そんなわけあるか! 間違ってんのはオレじゃなくてフィオレ(コイツ)だろ!」

 

「流石に男と女を間違えるなどありえません! アサシンは確かに男でした! 神に誓っても構いませんよ!?」

 

セイバーとルーラーが心外だと言わんばかりに苦言を呈した。男女の区別がつかないほど理性が蒸発しているとは思われたくないらしい。

 

──なお二人は揃ってライダーを女だと勘違いしているので、実は二人ともライダーの評価に反論できないのであるが。

 

「……何らかの宝具か、スキルにより姿を変えていると考えるのが妥当でしょうね。騎士然とした男性の姿と、魔術師然とした女性の姿を切り替える能力と言ったところでしょうか」

 

暫定であるが、フィオレはそう結論づけた。

 

「アサシンは暗殺者のクラスではないのか?」

 

ジークが困惑したように呟く。彼の疑問も正当なものである。騎士と魔術師の男女が一体となった黒? のアサシンに、空飛ぶ城を操る赤のアサシン。暗殺者とは一体なんだろうか。

 

「……赤のアサシンも似たようなもんだったからな。ま、そういうこともあるだろ。頭が固いと世の中苦労するぞ、少年」

 

「なるほど、勉強になる」

 

「おい、このセイバーモドキに余計な知恵を与えんなよマスター」

 

ホムンクルスであるジークに対し内なる父性が擽られたのか、獅子劫が柄にもなくアドバイスをする。モードレッドは嫌がるように彼らを突き放した。

 

「おう、どうした。俺が誰かに構うのが嫌か?」

 

「は? 気色悪いこと言うなよアホか。こいつが賢しくなったら苦労すんのはオレだろうがよ。このセイバーモドキはオレが殺すんだからな」

 

「そんなことはボクが許さないから! 分かったらボクのマスターに近づくなこのチンピラ騎士!」

 

「うるせぇぞピンク頭! 金魚の糞め!」

 

「あーもう、喧嘩しないでいただけますか? 獅子劫界離、彼女が誰かは知りませんが、ちゃんと手綱は握っておいてください」

 

「俺は馬主かっての。へいへい……」

 

フィオレに小言を言われた彼は言われたとおりにセイバーを宥めにかかった。……もっとも、それであの叛逆の騎士が落ち着くなどとは彼には思えないのだが。

 

そしてその懸念は案の定当たった。

 

ライダーとセイバーの間に割って入る獅子劫。マスターに窘められ、一度は落ち着きを見せるセイバー。だが、彼女は獅子劫の背中の後ろで“べーっ”と舌を出して挑発するライダーを見てしまった。

 

「こんのクソガキ! 表出ろ! ぶっ殺してやる!」

 

「ガキはどっちさ! バーカバーカ!」

 

そして会議に使っていた卓の周りを駆け回る二人。

 

「すまん、こりゃ無理だ」

 

「小学生ですか!?」

 

前途多難、こんな調子で天草四郎時貞に対抗できるのだろうか。フィオレは天を仰いだ。そして“まったく付き合ってられん”と席を立つゴルドの後ろにライダーが隠れる。

 

「邪魔だデブ!」

 

「なっ、き、貴様……赤のセイバー! デブとは何かデブとは! ふくよかさは富と余裕の象徴なのだぞ! ええい私の周りをちょこまかと動き回るな!」

 

「アーチャー、笑ってないで止めてあげてください。はぁ……ひとまず会談はこれで終了としましょう。良い加減私も眠いですし……あぁ、その前に一族への連絡と、空中要塞を追うための飛行機の手配をしなければ」

 

やることが山積みである。ここに彼女の弟のカウレスがいたならばきっと手伝ってくれたのだろうが、今は一人。たった一人で混乱する一族をまとめ上げ、この戦況を打開しなければならなかった。

 

「……ところでルーラー、先ほどから静かですが何かありましたか?」

 

車椅子を漕いで会議室を去ろうする前に、何やら顎に手を当てうんうんと唸り悩んでいるルーラーが気になり、一声かけた。

 

「いえ、主の啓示が降りたのです。降りたのですが……」

 

主の啓示、それは聖女として世界に記録されたルーラー、ジャンヌ・ダルクを導くスキルである。

 

「啓示ですか? 具体的には?」

 

「アサシンの居場所と思わしき場所です。それが、なんとなくですが私には分かるのです。しかし……」

 

“本当ですか!?”とフィオレが驚愕を顕にする。なんとなくでもアサシンの居場所が分かるなら、探す手間が一気に省けよう。彼女としては今すぐにでも捜索に向かいたいところだが、どうにもルーラーの歯切れが悪い。何か懸念でもあるのだろうか。

 

「それで、アサシンはどこにいるのですか?」

 

「私にも疑問でして、聞いてください。先ほどまではギリシャにいました。アテネ郊外のあたりです」

 

「……ん?」

 

聞き間違えか、耳を疑ったフィオレ。ギリシャと言えばルーマニアの南のブルガリアのさらに南だ。二つ国境を跨いだ先に何故アサシンがいるのか。ああ、きっと疲れていた自分を和ませるための聖女ジョークに違いないと彼女は思い込む。

 

だが至って真剣にルーラーは続けて言った。

 

「すると今度はイスタンブールに移動しまして」

 

「んん??」

 

なぜ今度はトルコの首都に移動したのだろうか。ギリシャから見れば一つ隣であるが、それでもルーマニアから見れば遠すぎる。なんなのだろう。まさか聖杯大戦の最中に観光でもしてるのだろうか。

 

「そして今はハンガリーにいるようです」

 

そして南にいると思ったら今度は飛んで西に移動したようだ。

 

「全部国外ではないですか! しかも、なぜ飛び飛びなのですか!? る、ルーラー、失礼かもしれませんがあなたのスキル、壊れているのではなくて?」

 

「主の啓示に壊れるなんてことはありませんが!?」

 

まさかアサシンが外付けの転移能力を有しているなど、二人が知る理由(ヨシ)もなかった。

 

 

 

 

「「ふぅ〜」」

 

蒸れた空気、立ち昇る湯気の中に二人の男女の気持ち良さそうな声が響いた。

 

ここは大回廊の西の端、地図上で言えばハンガリーの地下にある温泉施設、すなわちテルマエである。

 

ハンガリーは非常に温泉の多い国家で知られており、温泉文化が盛んであった。その起源は古代ローマまで遡る。

 

ローマ帝国の領域の端に位置し、また対ゲルマンの最前線でもあったハンガリーの前身、属州パンノニアはその地から湧き出る大地の恵みで国境を守る兵士を癒し続けたのである。つまり、温泉の恵みがこの遠き地に赴いたローマ兵たちの拠り所になり、前線として領域を維持することに繋がったのだ。

 

……あるいは、ローマが温泉が好き過ぎてこの地を編入した可能性もまぁ、なくはないのだろう。ビバ! テルマエ万歳!

 

ところで話は変わるが、ハンガリーの温泉文化では遠い極東の国と異なり水着を着た男女の混浴が普通である。郷に入っては郷に従え。そのルールに則り、エレインとカウレスの二人は互いに水着を着て混浴を楽しんでいるのだった。

 

『カウレスくんも疲れてるでしょうし……あ、そうだ! 温泉とかどうですか! 大回廊にはすっごいテルマエがあるんですよ!』

 

もとはといえば、エレインのその突拍子もない提案が始まりだった。温泉、それは身も心も清めることのできる施設。古代ローマより愛される至高の文化。そんな謳い文句に折れたカウレスは頷いた。

 

「でも混浴なんて聞いてねぇ……ッ!」

 

当たり前だがカウレスは一人で入る気満々だった。だがそれに待ったをかけたのがエレインである。

 

『カウレスくんは怪我人なんですよ。誰かが介抱しないと。それに吸血鬼は流水に弱いんです。温泉で溺れたらどうするんですか!』

 

いくら吸血鬼が流水に弱いって言っても、さすがに風呂で死ぬような奴は居ないんじゃないかな。カウレスはそうエレインに言った。

 

『じゃあ、試しに入ってみてください』

 

(あっづ)ぅ!?』

 

『ほらぁ! やっぱり私が介抱します! はい、決定!』

 

かくして最初の入湯で失敗してしまったカウレスに拒否権はないとばかりに、混浴確定されてしまった。

 

「……? どうしたんですか、カウレスくん」

 

「な、なんでもないですよ。エレインさん」

 

「変なの」

 

湯煙の先で首を傾げるエレイン。普段つけている大きな丸メガネがないため、その可憐な容姿が顕になっている。加えて露出の少ない入浴用の水着とは言え、ボディラインはくっきりと見えるわけで。

 

「カウレスくん?」

 

鈴の鳴るような声が脳を蕩けさせ、彼の理性は湯に溶け出すように崩れていく。そして剥き出しになったそのうなじ、鎖骨、首筋にカウレスの目は釘付けになっていた。

 

「おーい」

 

彼の脳裏にこびりついて離れない記憶。それは今朝渡された、注射器に入った採れたての鮮血の味である。

 

「聞こえてますかー?」

 

乙女の生き血、それも魔力に富んだ極上の血の味は瞬く間に彼の脳裏に焼き付いた。芳醇な香りと、深いコクのある味、そしてトロリと口の中で踊り、喉を滑る濃くなめらかな舌触り。

 

「聞こえてないのかな」

 

今、彼女の肩に手を当て、その首に直接歯を立てることができればそれはどれだけ幸福なことだろうか。

 

そんな淫らな妄想がカウレスの意識を塗り潰してしまいそうになって──。

 

「えーい!」

 

(あっづ)ぅ!?」

 

しかしその邪念は、エレインが彼に水飛沫をかけたことで全て流されてしまった。地下の源泉を直接引いているせいかただでさえ熱いのに、吸血鬼になったせいでその水飛沫を余計に熱く感じてしまうカウレス。彼はまるで油が跳ねて頬を炙られたかのように大きく仰け反ってしまう。

 

「えへへ、私を無視するカウレスくんが悪いんですよ?」

 

“俺の幼馴染は本当に危機感が無さ過ぎる”と、心の中で彼は思った。早く何とかしないと彼女を吸血鬼にしてしまうかもしれない。というか、したい。滅茶苦茶血を啜ってやりたい。吸血による苦悶と快楽に喘ぐ目の前の幼馴染を見てみたい。そんなドス黒く濁った欲求を自覚する。

 

「あのな、エレイン。俺も一応男で、それから吸血鬼なわけです」

 

「うん? 知ってますよ?」

 

あっけらかんと言う彼女に彼はため息をつく。

 

「……いや、だったらもっと警戒とかしろよ。その、思わないのか? 俺に食われるとかさ。……二重の意味で」

 

すると一瞬何を言われたのか分からないと言わんばかりに、エレインはポカーンと口を空けて呆然とした。

 

「……“食われる”?」

 

「うん」

 

「……私が?」

 

「そう」

 

「……か、カウレスくんに?」

 

「そういうこと」

 

ようやく状況を理解したのか、彼女はわなわなと震えだすと体を隠すよう両手を組み、カウレスに背中を向けた。そして水を滴らせる長い髪を指でくるくるといじり始め、羞恥と熱で真っ赤に茹だった顔を俯かせて一言、ぼそりと唇を震わせる。

 

「……か、カウレスくんのえっち」

 

……もしかして誘っているのだろうか。体を隠そうにもまったく何も隠せていないし、ぱっくりと開いた水着の背中を見せるのなんて逆に色気全開である。

 

「も、もうこっち見たらダメですっ。背中向けてください」

 

だから言い方ってもんがあるだろう。その言い方だと世の大多数の男は言われたことと逆のことをするだろうに。そう思ったが、大人しくカウレスは背中を向けた。今は亡きバーサーカーに誓い、彼は紳士であり続けようとするのだ。

 

だというのに、だというのに!

 

あろうことか彼女はぴったりと背中をくっつけてきたのである。

 

カウレスはより大地の神秘を体に馴染ませるという名目でトップスは着ていない。履いているのは下の水着だけだ。故に、その柔肌の感覚が直に伝わってきてしまう。

 

「逆に誘ってんのかマジで!」

 

もう限界である。カウレスは一線を越える前に、僅かな理性でもって感情を爆発させた。

 

「!?」

 

「もう温泉の熱とシチュエーションから来る熱。それと食欲とも性欲とも分からない昂りで脳みそ焼き切れそうなんだよッ! というわけで俺上がるから!」

 

「ご、ごめんなさい」

 

「一緒に上がってくんな間を置いてください良いですか!?」

 

「は、はひ」

 

この情操意識皆無、エロスの暴走列車みたいな幼馴染に劣情を誤魔化した怒りの言葉をぶつけたカウレスは一足先に上がった。彼の頭の中はもう生物的衝動と背徳感でぐちゃぐちゃである。おお、ロザリオよ。彼の煩悩を鎮め給え。

 

一方、歯に衣着せぬ本音をストレートにぶつけられ、一人浴場に残されたエレインはぶくぶくと湯に顔の半分を沈めながら反省する。

 

「迷惑、だったかな」

 

きっと熱湯に浸けているせいだろう。彼女の顔から一向に熱が引く気配はなかった。

 

「でも、一緒に温泉入りたかったんだもん……」

 

その思わせぶりな態度が彼の心を掻き乱す原因になっていることに、彼女はまだ気づかない。

 

それも仕方あるまい。五年前、十二歳の時に彼女は祖父を除いて家族を失ったのだ。丁度思春期の始まりに無理やり心を大人にしてしまった彼女が情操教育を取り逃してしまうのも、無理はないだろう。

 

つまるところ、カウレスの受難はまだまだ続くのである。

 

 

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