『神父』
大聖杯を抱え、ルーマニアの遥か上空を揺蕩う空中要塞の一室にて天草四郎時貞は声を聞いた。
「どうかしましたか、アーチャー」
声の主は利害の一致により、マスター権を簒奪したシロウへと恭順を示した彼女。赤のアーチャーである。彼女は現在この空中要塞から地上に降りてトゥリファスの町の監視、つまり斥候の役割を担っていた。
そんな彼女から、マスターであるシロウに念話が届いたのだ。きっと再編されたユグドミレニアの陣営が動き出したのだろう。
さて、彼らはいかにしてこの空中要塞に辿り着くのだろうか。順当に考えれば飛行機あたりだろう。しかしここは空中要塞の名の通り、赤のアサシンが魔術防御を張っていて簡単に接近することを許さない。近づけば彼女の放つ熱線によってたちまち墜落するか、あるいは百発百中の腕を持つ赤のアーチャーによって飛ぶ鳥を落とすように射抜かれてしまうのだ。
『敵が揃いも揃ってトゥリファスの町を出た。サーヴァントとそのマスター、その全員がな』
「なんだって?」
思わず耳を疑ってしまうような報告に狼狽えてしまうシロウ。
「目的と行先は分かりますか?」
『目的はまぁ、状況から察するに黒のアサシンとの接触が目的であろうな。城攻めをするからには戦力の調達をするのが道理であろう』
「黒のアサシンですか……」
その名を聞いて、彼は少し考え込む。黒のアサシンはシロウのサーヴァント、赤のアサシン、セミラミス同様複数のクラス特性を持つだろう存在だ。これまでの接触で把握している戦闘力も宝具もおよそ一級と呼べる代物で、放置できる相手ではない。
全員足並みを揃えて、ということは数の差で一気に制圧してしまおうと考えているのだろうか。
とはいえ、今更アサシンが敵の手駒になったところでこの要塞が突破されるとは微塵も思えないが。
『行き先はおよそ南の方角だが正確な地名は……私にはよく分からん。当世の移動手段……電車、だったか。それに乗って行ってしまったからな』
現代の知識が与えられたと言えど、神話を生きた赤のアーチャーに鉄道の路線図なんて分かるはずもない。現代の人間だってこんがらがるというのに、どう理解しろと言うのか。
「追えますか?」
『追えることには追えるが……神父よ、目立たないか?』
「あぁ、確かに目立ちますね……」
赤のアーチャーの足ならば電車に追いつくことも可能である。だが、彼女に気配遮断のスキルはない。今は真っ昼間なのだ。もし車窓から並走する彼女の姿を見られたとしたら。
くらり、と目眩がするような感覚を覚えるシロウ。赤のセイバーが散々破壊工作をしてくれたせいで、彼は若干の寝不足である。今の彼は監督役としての領分を超えて暴走状態にあるので、厳密にはもう神秘の秘匿はしなくても構わないのであるが。
霊体化? それこそ冗談。足で大地を蹴らなければ速度なんて出るはずないだろう。電車に置いていかれて終わりである。
「それに気になるのはやはり全員という点です。対アサシンにしては過剰過ぎる。……釣り野伏、という可能性もあるでしょうね」
『“釣り野伏”?』
「私の故郷、九州のとある武将が得意とした戦法ですよ。逃げる囮に釣られた敵を伏兵が討つ……という単純な作戦です」
天草四郎時貞は戦国時代が終わって間もない時代の人物である。そしてあの時代の九州人ならば、皆が知っているのだ。九州南部で権勢を誇った島津家が得意とした戦法について。
『私を釣るための罠と言うことか。ふむ、ならば手薄となった奴らの拠点の方を攻めるか?』
「ですが私の啓示には“追うべき”と出ているのですよ。ううむ……」
『……早くしてくれ。汝の決断を待っている暇はあまりなさそうだぞ』
シロウは悩む。啓示に従い追うべきか。しかし、彼の脳裏を掠める生前の記憶がその決断を躊躇させた。島原の乱において“チェストォォォッッッ!!!”と奇声を上げて幕府軍に突撃をかまして散っていった島津の浪人たちの記憶が。
なんだあれ、ちょっと頭おかしい。自分たちキリスト教徒ならば信仰のため死を覚悟して戦うのも分かる。だがあの浪人たちはまるで死地に赴くのに狂喜しているかのような様相だった。郎党根切りにされた天草四郎時貞をしても軽くトラウマの光景である。
そしてもしもルーラー、ジャンヌ・ダルクが島津の浪人のように待ち伏せからのチェストを敢行するようなタイプだったとしたら……赤のアーチャーを無為に失うことになるだろう。自陣のキャスター『シェイクスピア』は物書きの英霊であるためさっぱり戦闘には役立ちそうにないことを考えると、彼女を失うことは避けたかった。
「……追うのはやめましょう。拠点への襲撃も必要ありません。彼らが放置したということは、もはや大して守るべきものもないのでしょう」
『良いのか?』
「それよりも南に向かったならばブカレストの可能性が高い。そしてあそこには空港がありますから……もう少し時間がかかると見ていましたが、存外早く航空機の手配が済んだという可能性もある。襲撃に備える意味で、あなたに帰還して貰います」
どこか心の隅で違和感を覚えつつも、シロウはそう決断した。
もっとも、彼らが向かった先はブカレストではなくその北、かつてワラキア公国時代の首都とされたクルテア・デ・アルジェシュという小さな町であり、シロウの警戒は全く無意味なものに過ぎなかったのだが。
◇
かつてワラキア公国首都であったアルジェシュの町。そこから北上した渓谷に一つの山城がある。
山間部を流れる川沿いに立ったその難攻不落の山城はかつてヴラドⅢ世が建てたと呼ばれるポエナリ城だ。
そんな観光地である古城にルーラー率いる反天草一行はやって来たのだった。
「ルーラー、本当にここにアサシンの居場所を探す手がかりがあるのですか?」
山道を登るアーチャーに背負われながら、フィオレが疑わしげに言う。ここに来たのはルーラーがそう提案したからだ。
「はい。私の啓示では確かにこの辺りに入り口があると」
ルーラー自身も確証があるわけではなのか、そう歯切れ悪く答えた。
「……言ってはなんですけど、あなたを火刑に追いやったその啓示とやらを私はあまり信用できないのですが」
そしてジト目のフィオレが放った言葉のナイフがぐさりとルーラーの心に突き刺さった。
「な、なんて酷い言い草。あれは私の選択の結果であって、決して主が私にそうさせた訳ではないのです……」
残念ながらこの場にいる人間はサーヴァントを除けば魔術師だけだ。魔術師は教会とは敵対する存在、ジャンヌの語る信仰を理解してくれる存在は誰もいなかった。
「だりぃな。こんな山の中に何があるってんだよ……何もなかったらぶっ殺すぞお前」
「ねー、ボク疲れたー。というかわざわざ全員で来る必要なかったよね? あ、目的地に着くまで霊体化してても良いかな?」
そしてぶつくさ文句を垂れ流し好き勝手言う赤のセイバーと黒のライダーの問題児二人。
「あの、ここに来る前に私説明しましたよね? 皆さん聞いていなかったのですか?」
「全員で山の中を探してアサシンの居城を見つけ、それから交渉、ないし数の差で力ずくでアサシンを味方に付けるって話だろ?」
「ん? あぁ、そうだったな」
ミレニア城塞をほとんど無防備にしてでも全員がこの場に来たのは、強敵であろう暫定アルトリウスをなるべく犠牲の少ない手段で手札に加えるためであった。つまるところ示威交渉、砲艦外交のようなものだった。
そして獅子劫がしっかりと会議で決定したその内容を思い出してくれる一方で、セイバーはそんなことは知らんとばかりに適当に答える。
「赤のセイバー、あなたのマスターはちゃんと理解してくれているのにどうしてあなたは……」
「マスターが覚えてるなら良いだろうがよ。いちいち細けえこと考えんのは文官とか軍師の仕事だ」
まぁ、赤のセイバーは良いだろう。もともとそのようなガサツな性格は分かりきっていたことだ。問題は黒のライダーの方。この人、真面目に聞いていたはずなのに三秒後には忘れてしまっているのだ。鳥か。鶏なのか。
「大丈夫だ、ルーラー。ライダーのなくした理性の分は俺が努力しよう」
「じ、ジークくん。うぅ、このパーティではあなただけが癒しみたいです」
落ち込むルーラーの背中に、ホムンクルスの純真無垢な優しさが染み渡った。
「あぁ、それと厨房係の仲間から食料を預かっている。辛くなったら言ってくれ」
「ふふ、ありがとうございます。お腹が空いたらいただきますね」
青は藍より出でて藍より青し。人に生み出され、人以上に優しさを持つジークに心打たれるルーラー。“あれ? ジークくんの中で私ってそんな大食いのイメージなのですか? た、確かに憑依サーヴァントなので燃費は悪いんですけど……”となんだか釈然としない気持ちになりながらも、彼女はパーティメンバーに号令をかけた。
そして散開し、それぞれのやり方で山中を探索し始める。
「美しい山並みですね、マスター」
「そうですね、アーチャー。あなたが生前暮らしていたピリオ山とはまた違った光景かと思います」
足が悪く山の斜面を調べるのには不適と判断し、一人頂上の山城へと登ったフィオレとアーチャー。これほど開けた視界ならば、アーチャーの千里眼を使って山々を見下ろすことも可能だろう。
ぐるりと周囲の景観を見渡し、自然の奏でる音に耳を傾けるアーチャー。そんな彼の横でフィオレは己の魔術礼装を背中に装着し、自分の力で大地に立って風を感じていた。人避けの結界を張っているため、神秘の秘匿の問題はない。
見下ろせば断崖絶壁と、眼下に流れる川。落下すればひとたまりもないだろうなとフィオレは身震いし、一歩塔の内側へと下がった。
「ところで、ここは黒のランサーの生前の居城と聞きました。ルーラーがこの地の調査を挙げたことと何か関係があるのでしょうか」
「さぁ、私には彼女の考えていることが分かりそうにありません。このポエナリ城は単なる古城の一つですから」
「そうですか……何か、鍵となる情報の一つでもあれば良いのですが」
「鍵、ですか。この城に神秘と関わりのありそうな逸話はあまりないですね。ヴラドⅢ世が裏切り者の貴族に鞭を打ってこの城を築かせた、とか」
「裏切り者?」
「当時のルーマニアはハンガリーとオスマン帝国の板挟みに遭っていたので、内側でもどちらに付くかで貴族ごとに立場が違ったのです。ヴラドⅢ世は独立したワラキア公国を目指した英雄ですから、他国に媚を売る貴族は売国奴に見えたことでしょうね。“どいつもこいつも役に立たぬ、ならば土方として使いつぶしてやろう”と、あの黒のランサーが考えても不思議ではありません」
黒のランサーの真似をしてか渋い声でセリフを演じるフィオレ。その芝居がかった仕草にアーチャーが微笑むと、やっぱり恥ずかしかったのか、赤面しながらも彼女は咳払いをして“それともう一つの逸話があって”と説明し始めた。
この城にはとある伝説がある。それはヴラドⅢ世の最初の妻が、オスマン帝国軍に捕らえられるくらいならとこの城の塔から川へ身を投げたという逸話だ。
「ふむ、その話から何か分かりそうなことは?」
「まったく。ヴラドⅢ世の最初の妻の記録はほとんど残っていません。その逸話もこの飛び込みくらいしかなくて」
……まぁ、言ってしまえばここはそんな逸話があるだけの本当にただの観光地であるのだが。
「城には何もありませんでしたから、となると怪しいのは川くらいでしょう。そのワラキア公妃が身を投げた川はあの川で合っていますか」
眼下を流れるアルジェシュ川を指すアーチャー。それに対しフィオレは静かに首を振る。
「もう500年以上も前の伝説ですよ? 何よりここの上流にはダムがありますから、川の流れも昔と変わってしまっているはずです。公妃が実際に身を投げた川かどうかなんて分かりようもありません」
ルーマニアは国土を突っ切るようにカルパチア山脈が聳え立っている。そのためか、ダムと湖が多かった。
「……ダム、湖。そういえば、エレインの家は湖のほとりにありましたね」
「何か気づいたのですか、マスター」
「昔、彼女が言っていたことがあるのです。ドラクルの家は古い水守の家系であり、湖からトゥリファスに生活水を供給していたと」
そのとき、フィオレの脳裏にあの日の夜の光景が思い浮かんだ。無惨に破壊され燃えてしまったエレインの家の前で、膝を折ったあの日の夜の光景を。
「アーチャー、あの晩のことを覚えていますか? 聖杯戦争の初夜、赤のセイバーがトゥリファスにやってきた夜のことです」
「ええ、よく覚えています」
あの晩、赤のセイバーとそのマスターがエレインの家のあるトゥリファス郊外に向かったことを察知したフィオレとカウレスの二人はすぐさまエレインの身の安全を確保するために動いた。
「先行したあなたは、湖のほとりで赤のセイバーと戦った。そのときにエレインの姿がなかったから、私たちは彼女が殺されたと勘違いしました。でも生きていた」
「……思い出してみれば、確かに変ですね。湖の周辺は開かれていて、およそ隠れ忍べそうな場所はない。そして周囲に人の気配はありませんでしたから、足で逃げた可能性も薄い」
「走って逃げるだけならば、赤のセイバーは追いかけたはずです。ですがアーチャーが到着したとき、彼女はそこにいた。つまりエレインは逃げたのではなく、あの場にいたか──」
「──赤のセイバーが見失うような手段で、突然消えたか」
思い出せ、あそこには何があった。覚えているのは燃える家、戦闘の跡、そして広い湖……。
「湖……エレインは、湖のほとりで消えました。そして川に消えたワラキア公妃の謎。……エレインの家はドラクル、対してヴラドⅢ世の異名はドラキュラ」
「それは……もしやマスターの幼馴染である彼女が、黒のランサーの末裔であると?」
「単なるこじつけに過ぎません。ですがドラクルの姓を持つ人間を、私は彼女以外に見たことがない。非常に珍しい姓ですから」
ドラクル、それはルーマニアにおいて悪魔の意味を持つ言葉だ。わざわざその呼び名を名乗ろうとする人間はいるまい。先祖代々その名を受け継いでいる、という事情でもない限りは。
探すべき場所はきっと水場だ。しかし、実際にワラキア公妃が身を投げた川はとっくに分からなくなっている。さてどうしたものかと頭を悩ませるフィオレに、森の賢者が助言をした。
「塔から身を投げて飛び込める小川なら、それは城の直ぐ側にあったということ。そして山城とは籠城するためにある城です、マスター」
「……そうです! 籠城するならば水源は不可欠、この城の何処かに井戸か何かがあれば、そこから枯れた川の跡が見つかるかも! ああ、あなたは天才ねアーチャー! 今すぐ皆に伝えないと!」
そして。一行は探し出す。枯葉と土、そして古い古い術式により秘匿された井戸だった縦穴を。そして縦穴の先にあったものを。
竜、あるいは蛇は神話の世界において水害を表す。長くうねる様な川の流れに古代の人々は大地の化身を見出したのだ。そして暴れる怪物としての竜は多くの場合、氾濫した川、文明を洗い流す自然の脅威の象徴である。
多くの神話において人が鉄器を握り竜を、蛇の怪物を討ち果たすのは
故に、古代ルーマニア建国神話におけるダキアの竜殺しは、その後ユスティニアヌス帝とアルトリウス総督により行われた治水事業のことを指すのではないかという考察がなされている。
だが、およそ帝国領域に張り巡らされたであろうその素晴らしき水道網は現代では影も形も見られない。
そんなものは初めからなかったのか、あるいは民族の大移動とともに破壊されたのか、それとも。
現代の人々が未だ発見できていないだけで、まだその土地の奥深くに眠っているのか。
真実は──。
「双頭の竜の刻まれた門、おそらくここが、主の示した入口でしょう。皆さん、覚悟はよろしいでしょうか」
それは竜の体内、現実と星の内海の狭間にある大回廊へと続く入り口であった。
◇
「……ふむ、鼠が入り込みましたか」
アカデメイア地下大図書館の中で、エレインとカウレスに魔術の教導を施していたアサシンが手に持った分厚い魔術書から顔を上げた。
「どうかしたんですか、アサシンさん」
「鼠? 侵入者ってやつか。ここってそんな簡単に入れるのか?」
「昔は神秘を知らぬ者も使えるように『門』があったのですよ。今はもうすべて朽ち果て門としての機能を失うか、鍵がかかっているのですが……ふむ、歴代当主のうちの誰かが鍵をかけ忘れたのでしょうね。縁起でもない」
「「縁起……?」」
忌々しいとばかりに嘆息するアサシンに首をかしげる二人。二人には縁起が悪い、と称する意味がいまいち理解できなかったたのだ。
「……知らないのですか? ドラコニオスの仕えたビザンツがどうやって滅びたのか」
「「……あ」」
帝都コンスタンティノープルは
「敵の対処は私がします、お前たちは待機するように」
そして歴史は繰り返すと言わんばかりに、今度は大回廊に敵が入り込んだのだ。奇妙な符号の一致、不吉な予感を感じながらもアサシンは杖を握りルーマニア地下区間へと転移する。
『おや、1500年続いたうちの家系もいよいよ終わりなのかな』
「そういうことを口に出すのはやめなさい、アーサー。口は災いのもとですよ」
『ああ、そうだったね。流石、ガリアで呪いの反射を実演してみせた魔女は言うことが違う』
「ま、また随分昔の話を……! そのことは忘れなさいと何度も言っているでしょう、まったく……!」
◇
「どうしたセイバー、調子が乗らないか?」
「いやなんか、すっげぇ嫌な予感がしてくるんだが。妙に懐かしい感じもする上に悪寒が……」
1500年越しの、母娘の再会は近い。