『裁定者のサーヴァント?』
冬木教会の一室にて、古めかしい蓄音機のような機械から声が響いた。声の主はもちろん、蓄音機そのものではない。それは科学の産物でありながら、神秘の細工が施された魔術礼装であり、いわば現代で言うところの電話のような機能を有している。
彼らが現代文明の利器たる電話を使わないのは、外部からの傍受を防ぐためでもあり、それを使用する人間が電子機器の類にあまり精通していないからでもあった。
「はい。アサシンが見聞きした情報によると、ルーラー自身が秘匿を犯したという理由をもとにキャスターを処罰した……と、発言したそうです」
『ふむ……』
アサシンのマスター。この冬木教会の主たる言峰璃正の息子、言峰綺礼。彼は自身の父とその協力者、御三家の一つ遠坂家の当主たる時臣の会話に耳を澄ませていた。
彼の側には、見えずとも何体ものアサシンが控えている。
この聖杯戦争の初戦において、彼と遠坂時臣は群体であるアサシンの特徴を活かし、仲間割れと脱落を演じてみせた。故に言峰綺礼がこの中立地帯たる冬木教会にいるのは、建前上はアサシンを失った元マスターだからなのだ。
つまるところ、今回の第四次聖杯戦争は監督役と御三家の遠坂が仕組んだ出来レースなのである。他の参加者が聞けば憤慨するだろうその事実を知るものは、今はこの場にいる言峰親子と遠坂時臣の三人に限られていた。
『神秘の秘匿に反したキャスターを処罰してくれたことは、こちらにとっても都合が良い。あれはいずれ排除せねばならぬ害悪でありましたから』
「聖杯戦争において、ルール違反をした参加者を罰するのは本来聖堂教会の役割。それを代替してくれたことについては、感謝しておくべきですかな?」
老獪な神父が心にも思っていないだろう冗談を言って笑った。裁定者とは、聖杯戦争のルールを参加者に遵守させるためのクラスである。つまるところ、中立違反を犯している彼らにとってルーラーの存在は障害以外の何ものでもなかった。
『それで、真名は』
通信装置の向こう側の彼が、この話題の核心に触れた。
アサシンはあの冬木大橋の裏で、アインツベルンのマスターとそのサーヴァント、およびルーラーの会話を盗み聞いていたのだ。100に分裂する能力を持つアサシンにとって、冬木全域に耳を澄ませるなどどうということはない。ましてや冬木大橋というあれほど目立つロケーションであれば、見張らないはずもなかった。
冬木を二分する二つの町、深山町と新都の両区間を移動するにはあの橋を渡って未遠川を渡るしかないのだ。いわばあそこは、この冬木における
「息子とアサシンがやってくれましたぞ。それも、掴んだ情報はルーラーの真名だけではありません」
『ではセイバーの真名も? 素晴らしい、間諜としておよそ最高の戦果だ。綺礼、私は君に感謝しなければならない』
“恐縮です、我が師よ”と、無表情なままに綺礼は時臣の賞賛をただ受け止めた。
何のことはない、それが己の役割だったから果たしたまで。それを他者に礼賛されたところで、彼の心は一ミリも動じなかった。その内に喜びはなく、ただただ空虚なだけ。
言峰綺礼は壊れている。人が幸福と思う幸福を、抱くことができない。何のために生きているのか、それすらも分からない。信仰の道を生きている故に自害をしないだけで、今の彼は言うなれば『生きている』のではなく『死んでいないだけ』という状態であった。
(聖杯戦争。己の願望を掲げた
変わらない。何も変わらない。己の心は空虚なまま、結局以前と変わらぬ日々を過ごしている。
「セイバーのサーヴァントの真名はブリテンの騎士王、アーサー・ペンドラゴン」
『……なるほど。アーサー王であれば、セイバーというサーヴァントの中でも最強と呼べる戦力に違いない。アインツベルンも、それなりの用意をしてきたと言うことでしょう』
だからもし今、彼の目の前に聖杯があれば、彼はこう願っただろう。
「そしてルーラーの真名は、その騎士王の宿敵たる魔女」
この自分の内側に、一体どんな願望が巣食っているのか。
「
それを教えてくれと。
「「──ッ!?」」
不意に、何かが割れる音がした。教会内を照らしていた灯りの悉くが消滅する。電灯の光も、燭台の灯火も。
「何事だ……綺礼!」
「アサシン」
「──はっ。外に配置していた者がやられました。何者かがこの教会に襲撃をしかけているようです」
髑髏の面をつけたアサシンがその場に実体化し、その場に傅いて状況を報告した。
襲撃。この中立地帯たる教会に襲撃。それもこの見計らったようなタイミングでの襲撃となれば、その相手は一人しかいない。
『神──璃正神──なにが──おき──?』
ザザッと、通信装置から放たれる時臣の声にノイズが走る。やがてそれは、何者かによって無理やり中断された。
「魔女の名を、みだりに口に出してはなりません」
カツン、カツンと足音を立て、美しき魔女が教会の地下室へと姿を現す。
彼女は手を口に当てくすくすと笑うと、唖然とする二人に対しニッコリと微笑んでみせた。
「呼んでしまえば、悪い魔女にバレてしまいますから」
男ならば、見ただけで腰砕けになってしまいそうなほどの淫蕩な笑みで。
名を守護する
故に、己の名を唱える愚か者がどこにいるのか、それを調べるために自身の名へ守護の
「──ッ、アサシン!」
「
「……っ、
ルーラーと綺礼の赤き光が、拮抗するかのように暗い部屋を照らした。
「重ねて命ずる。動くな」
「なっ、二画同時使用だと!?」
ルーラーが持つ令呪に対抗するには、同じく令呪を使用するしかない。彼女が持つ二画に対し、正規のマスターである言峰綺礼が持つ令呪は三画。まともに対抗したならば、彼女の命令を無視してアサシンを動かすことも可能である。
(しかし良いのか。三画しかない令呪のうち二画を使ってしまって)
綺礼の中に迷いが生まれた。サーヴァントのマスターは確かに絶対命令権たる令呪を三画持つが、それを使えるのは事実上二画までだ。なぜなら三画目を使用してしまえば、その時点でサーヴァントとの契約が切られてしまうから。
下手をすればその瞬間、綺礼はアサシンによって殺されることだろう。
言峰綺礼はこの聖杯戦争に勝利するつもりがなく、遠坂時臣を勝利させるのが目的なのだ。他のマスターたちと同じく聖杯を求めて召喚する英霊にとって、聖杯を求めないマスターほど邪魔な存在はいるまい。
故に、契約が切れることは綺礼の死を意味していた。
「賢い選択です、アサシンのマスター。もしお前がさらに令呪を使用していれば、私は他の全陣営に対し令呪を対価にアサシン討伐を命令せざるを得なかったでしょう」
「……っ!」
そして、ルーラーの言葉がさらに綺礼の決断を鈍らせた。
ルーラーが各サーヴァントに使える令呪は二画だけだ。だが、サーヴァントをコントロールする方法は令呪以外にもあるのだ。
つまるところ、令呪を道具として使用するのではなく通貨として利用するのだ。全体で見れば、彼女は実に
「動くなよ、教会の信徒。貴様らが動けば、私はこの中立違反を他の陣営に暴露する。彼らは喜んで、ルール違反をしたお前たちを殺そうと励んでくれることでしょう」
言峰綺礼は動けない。そして同時に、言峰璃正もまた動けなかった。
綺礼の手には、投擲しかけた黒鍵が握られている。秘跡を受けたその礼装ならば、サーヴァントに傷をつけることも可能だろう。だが動けば、その時点で彼らの運命は破滅を迎えることが確定していた。
「……そう睨むな。私は何もお前たちを殺そうと言うわけではありません。教会がいなければ、聖杯戦争は円滑には進まない。それは私の望むところではないのですから」
くつくつと魔女が笑いながら、その場に飾られていた調度品を吟味するかのように手に取った。
「……教会には結界が張られていたはずだ。たとえいかなるサーヴァントであろうと、簡単に突破できる代物ではないだろう。それを貴様は、一体どうやって」
沈黙を破ったのは、言峰璃正のそんな疑問の言葉だった。
「ああ、秘跡、奇跡とか言うものか。確かにこの教会には、聖書の教えとやらに背く存在を弾く力場が存在しているようだな。もっとも」
彼女は己の首元にあるケルト十字を誇らしげに掲げた。
「貴様ら程度の信仰など、私の持つ
『
神秘が、より強い神秘に打ち消されるように、只人の信仰によって編まれた秘跡など、『
「さて、私の要求は二つだ。アサシンのマスターはこの教会より退去せよ。そしてそこな神父、貴様は抱えているだろう令呪をすべて引き渡せ」
「何を」
預託令呪、過去の聖杯戦争で使われることがなかった余り物。それが言峰璃正の腕にはびっしりと刻まれていた。
「お前は監督役として相応しくない行為をした。であれば当然、その証である預託令呪を没収するのはルーラーの役割だろう?」
「……分かった。綺礼──アサシンのマスターの退去であれば承諾しよう。だが、預託令呪を引き渡すことはできない」
「そうか、では結構。渡さないのであれば
そして、本当に呆気なく。
「が──っっっ!?!?!?」
言峰璃正の体から、その片腕が消失した。
「秘跡による守護がかかっているな。……令呪の移植は難しいか、まぁ良いでしょう。この聖杯戦争が終わるまで、貴様の腕を預からせてもらう。安心なさい。すべてが終われば、元通りに戻してあげましょう」
奪われた腕は、魔女の手元にあった。
通常であれば、このようなやり方はレジストされる。人は誰しも人体の内側に心象風景──固有結界の原型を有しており、それに干渉するには一工夫が必要なのだから。
だが、彼女は妖精。その伝承にある
魔女はケラケラと嘲るように、腕から血を流して蹲り、うめき声を上げる愚かな老神父の姿を見下ろした。
「……ん? 何か聞こえるな。外部からの通信は遮断したはずだが」
そんな璃正のうめき声と、ルーラーの嘲笑だけが響く部屋の中で、場違いにもノイズ音が響いた。
『──
それは璃正が先ほど使用していた、遠坂時臣へと繋がる通信装置から響く、およそこの世全ての中で最も傲慢なる者からの言葉だった。
「……貴様、サーヴァントか。思い上がったも何も、私は
『くっ……ふはははは! たわけたことを、クラスだろうとなんだろうと、この世で裁定者を名乗って良いのは王たる
「……」
それは暴論だった。それは暴君の言い分だった。ルーラーからすればこの声の主は、突然割り込んできてよく分からない理由で難癖をつけてくるクレーマーであった。
『ん? ああ、そうか。あまりに道理であったが故に、返す言葉がないのか。良いぞ、羽蟲。その耳障りな翅音で
ガシャン、と音を立てて通信装置が破壊された。癇に障ったルーラーが、それを破壊したのだ。
「何が王だ、馬鹿馬鹿しい。言葉一つに難癖付ける王など器が知れるな。狂人の戯言になど付き合ってられるか」
会話の相手──アーチャーの真名を知らないとはいえ、このルーラー、恐れ知らずにも程がある。
彼女は彼の言葉を遮ったばかりか、本人が聞けば、いや、この世全てを見通す力を持った彼ならばそもそも聞こえているのかもしれないが、ともかく聞けば激昂確定な罵倒を零したのだ。
直接顔を合わせれば、まず間違いなく殺そうとしてくることだろう。
もっとも、ルーラーには逃走宝具があるため、そうなれば出会い頭に逃げるだけであるが。
三十六計、逃げるにしかず。
「では、話は以上です。アサシンのマスターは早急に退去し、神父は今後とも監督役として聖杯戦争の調整に励むように」
することは終わった。もう用事はない。
そしてルーラーは踵を返し、地下室から立ち去ろうとして。
「貴様は何がそんなに
一言、悍ましい程に暗い笑みを浮かべていたアサシンのマスターに向けて告げて消えた。
「──『
◇
思わず顔に手を当てる。
笑っていた。無表情が常である私が、こんなにも頬をつり上げていた。
『貴様は何がそんなに
ルーラーの言葉を思い出す。
彼女の真名が正しいとすれば、その正体は妖精妃モルガンだ。そして妖精とは、人の内側を見通す
『貴様は何がそんなに
「私は、愉しんでいたのか──?」
先程の状況は、決して愉快なものではなかった。しかし己は、それを愉悦と感じていたらしい。
『貴様は何がそんなに
「私は、何を愉しんでいた」
生まれたときから抱えていた疑問。自分の存在は一体何なのかという答え。その答えを得るために。
言峰綺礼は傷を負った父親を放置し、教会を立ち去ったのである。
実の父の血の匂いで充満し、彼の苦痛に満ちたうめき声が響く地下室を後にしたとき。
(ああ、勿体ない。どうせ腕を奪うならもっと)
彼の心にあったのは幾ばくかの惜別と。
(──もっと苦しめてくれれば良かったものを)
そんなおよそ教会の信徒とは思えない、暗い愉悦の感情であった。
ひとまずは、遠坂邸に向かおう。自分はアサシンのマスターとして、遠坂時臣の協力者であるのだから。
だが、その役割が終わった後は。
◇
「ほう、あの羽蟲め」
黄金の王の赤き瞳が、己がマスターの屋敷へとやってきた彼を迎え入れるように細められ。
「なかなかどうして、愉快なものを寄越すではないか」
この功績でもって、王の言葉を遮った無礼を赦してやろうと。
彼は頬に、歪んだ笑みを浮かべるのであった。
遠坂時臣、うっかり真名を聞き出してしまうミス。本編でキャスターのことを聞き出そうとして一成に殺された衛宮くんみたいで可愛い。
一方、神父が愉悦を求めてハッスルし始めたみたいです。