アーサー王(史実)がしたこと   作:妄想壁の崩壊

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冬木でしたこと【8】

 

 

【2004】

 

 

 

 

嵐の中を一人の少女と一人の青年が住宅街を歩いている。冬のような冷たい銀髪を風に靡かせる可憐な少女と、太陽のような温かな金髪をした、現代には似つかわしくない騎士甲冑を着た青年だ。

 

周囲に人の気配はない。このあたりには避難警報が出ており、それに加えて道を歩く彼女の暗示によって住民たちは新都にある冬木市民会館に避難しているのだ。故に今、この場所に人がいるとすれば。

 

それは人ならざる術で暗示を跳ね除けることができた、魔術師だけである。

 

「次の標的は間桐(マキリ)よ、セイバー。アインツベルンや遠坂と同じく、聖杯戦争を組み上げた御三家の一つ」

 

「確か……令呪に詳しい家系と、君は言っていたね」

 

「そうね、マキリの得意とする術式は吸収──支配の術。本来人に御し得ないサーヴァントを縛り付ける令呪を作り上げたマキリ・ゾォルケン──間桐臓硯こそ、一番の強敵でしょうね。なにせ聖杯戦争を作り出したご本人、先代で知識が断絶してしまった遠坂とは、その脅威度は比べものにならないわ」

 

つい先日己が殺しただろう少女を思い浮かべて、イリヤスフィールが嗤った。少なくとも五回、自意識が混濁する程度には蘇生が必要なものと覚悟していたが、蓋を開けてみれば蘇生したのはたったの一回だけ。

 

死ぬほどどころか、実際に死んで死んで、何度も死んで、そうして鍛え上げられたのがイリヤスフィールなのだ。彼女としては同じ御三家の後継者たる遠坂凛の実力を自分と同等程度と見積もっていたのだが、なんとも拍子抜けであった。

 

「……間桐臓硯は高齢なのだろう? 遠坂と同じく、間桐の次代がマスターである可能性はないのかい?」

 

「もちろんあるわ。あるけれど、間桐の家は零落していて魔術師としての血はほとんど残っていない。遠坂から間桐に養子に出された養女もいるらしいけど……遠坂家から追い出されたってことは、少なくとも凛より弱いってことよ。警戒には値しないわね」

 

イリヤスフィールはつまらなさそうに“ふん”と鼻を鳴らすと、足を止めた。

 

「唯一警戒すべき事実として」

 

それからセイバーの顔を見て、忠告するような口調で告げる。

 

「間桐臓硯は私の先代──アイリスフィールの遺体から肉片を盗み出した疑いがある。それだけが少し気がかりよ。かつてアインツベルンが第三次で小細工を弄したように、臓硯も何か企んでいるのかもしれない」

 

そう言うとイリヤスフィールは目の前に聳え立つ洋館、間桐邸を睨みつけた。

 

「その先代、アイリスフィールとは?」

 

「……文字通り、私の先行機。第四次に参加したアインツベルンのマスターよ。過去アインツベルンが製造したホムンクルスの中で最もオリジナル(ユスティーツァ)に近かった完成品であり、あなたと異なるアーサー王を召喚して最後まで生き残った、前回の聖杯戦争における実質的な勝者。けれど過去のツケが回って、彼女はあと一歩のところでアンリ・マユに飲まれた」

 

“つまるところ、運が悪かった失敗作よ。……彼女が成功していれば、私は作られずに済んだのにね”と、イリヤスフィールは恨めしげに呟いた。

 

「第四次での敗北のあと、アインツベルンはアイリスフィールの遺体回収に奔走したわ」

 

当然だ。

 

アインツベルン、それは西暦前夜に消えたとされる第三の魔法使い、その徒弟たちが師が亡くなった直後たる西暦一年に作り上げた魔術工房の名前。彼らはその御業を再現しようとし、今は亡き師の模造品(ホムンクルス)を作り続けた。

 

そうして千年かけて出来上がったのが、ユスティーツァという偶然の代物だった。

 

千年、千年である。社会が変わり、神秘も薄れ、それほどの長い時間をかけてようやくできた完成品は、この偶然の例外たるユスティーツァを除いて再現不可能であったのだ。そして彼女は第三魔法の使用を可能としたが、しかしそれは何十年とかけてやっと一人の魂を固定化するという、アインツベルンの魔術師が掲げた理想──人類の救済からは程遠いものでしかなかった。

 

その事実は、かつて存在したアインツベルンの魔術師たちに絶望をもたらしたのだ。

 

ある者は諦めきれず、その寿命をまた無意味な研究に費やした。ある者は“馬鹿馬鹿しい”と言って、城を去った。ある者は全てを諦め、自ら命を絶った。

 

そしてその城に残されたのは、かつての理想を忘れ、『第三魔法を再現せよ』という刻まれた命令にただ従うだけの被造物たち、というオチだ。

 

そうだ、アインツベルンはとっくに終わっている。とっくの昔に死んでいる。この千年のアインツベルンは、もはや『不可能』と魔術師が判断した徒労にひたすら時間と技術と資金を費やすだけの装置に過ぎなかった。

 

そうして第二のアインツベルンがまた千年かけて作ったのが、理想に届かぬと判断されたユスティーツァのさらに劣化品──アイリスフィール。

 

ただし劣化品であっても、当時のアインツベルンが鋳造できる最高のホムンクルスには違いない。

 

そしてそのアイリスフィールには可能性(つかいみち)があった。かつての完成品たるユスティーツァをすり潰してできた大聖杯、それが織りなす聖杯戦争を経由し、『天の杯(ヘブンズフィール)』の器──魔法使いになるという可能性が。

 

もっとも、それは可能性に過ぎなかったわけだが。

 

とはいえ、その悲願にあと一歩のところまで手が届いたのは事実である。その立役者である彼女の遺体を、どうして放っておくことができようか?

 

「そして必死になって捜索し、それは意外なほどあっさりと見つかった。親切な誰かさんの手で、ご丁寧にうちの別荘の城の中庭に埋葬されてたんだって」

 

そうしてアインツベルンは、次回の聖杯戦争に再利用するためにアイリスフィールの遺体を回収した。けれど、その時に気づいたのだ。棺に収められていた遺体が、いくらか虫に食われていた(・・・・・・・・)ことに。

 

そして結界が張られたアインツベルンの城に入り込む蟲など、一人しかいない。

 

マキリ・ゾォルケン。あるいは間桐臓硯。キエフの蟲使いにして、ロシアより来た異邦人。五百年生きる狡猾にして醜悪な吸血種である。

 

そうであるが故に。

 

「それじゃあ、セイバー。醜悪な虫の巣を念入りに踏み潰すかのように、吹き飛ばしてあげなさい」

 

イリヤスフィールは己のサーヴァントに命令した。

 

聖剣の光によって、目の前の邸宅を吹き飛ばせと。

 

そして空を覆う嵐の曇天を切り裂くかのように、光の柱が、深山町の住宅街の真ん中に出現した。

 

 

 

 

『シンジ』

 

どこか影を帯びたような暗い声調で、間桐慎二の名前が呼ばれた。

 

それは彼のサーヴァントであるライダーからの声であった。彼女は慎二の妹である桜に似て、根が陰気臭い。だからこそ、慎二としては彼女が嫌いだった。

 

「なんだよ、寝かせろよ。お前に血を抜かれたから疲れてるんだよ、僕は」

 

慎二はライダーのマスターである。しかし、彼は真っ当な魔術師ではない。零落した間桐に生まれた彼は、魔術師としてあるべき魔術回路(さいのう)を持ち合わせていなかったのだ。

 

だから、彼がライダーに魔力を供給するには他の人間を襲わせその血を啜らせるか、あるいは自分の血を啜らせる他なかった。

 

「腹が減ったんなら、まだ輸血パックの残りが下の冷蔵庫の中に入ってる。それで我慢しろ」

 

『いえ、そうではなく』

 

「じゃあ一体何なんだ。言っとくけど、僕はお前みたいな怪物と仲良くするなんてまっぴらごめんだからな。まったく、なんだって(あいつ)はメドゥーサなんて喚び出したんだ」

 

そう言って自室のベッドの上で、慎二は悪態をついた。どうせならメドゥーサではなく、それを討伐したペルセウスの方を喚び出して欲しかったと。

 

召喚主が桜ではなく慎二であったら、その可能性もあったかもしれない。ライダー曰く、ペルセウスは成功した慎二のような存在らしいので。

 

(なんだよ成功した僕って。それじゃあまるで、僕が成功していないやつみたいじゃないか)

 

実際、間桐慎二は成功した存在とは言い難い。容姿は優れている、家柄も優れている、大した努力をせずとも、およそ優等生染みた能力を発揮できる。

 

けれど何より重要な、間桐の家を継ぐべき魔術回路だけはやはり、持ち合わせていなかったのだ。

 

『シンジ』

 

「だぁ、もううるさい! おちおち寝てもいられないじゃないか! なんとかミュートにできないのかよ、念話(これ)!」

 

何度も何度も頭の中で自分を呼ぶ声がする。それに腹を立てた彼はベッドから飛び上がった。

 

『ですから、寝ている場合ではないと言っているのですシンジ』

 

「はぁ?」

 

『正門にサーヴァントの気配を感じます』

 

「──────」

 

そして次の瞬間、本来魔力を感知できない慎二であっても膨大な熱量が光を伴って襲いかかった。

 

「それ先に言ってくんない!? なんで鈍臭いところまでアイツに似るんだよ! 英霊なんだからもっと簡潔に報告しろよな!」

 

「口を閉じてください、シンジ。舌を噛みますよ……!」

 

実体化した目に眼帯をつけた背の高い女──ライダーの脇に抱えられながら、慎二はなんとかその光から逃れることに成功する。あのままベッドに寝そべっていては、完全に消し炭になっていただろう。

 

奇しくもライダーが話しかけてくれたおかげで、シンジは助かったのだ。だが礼を言うつもりはない。そんなの、最初の一言目から言っとけという話である。

 

それから蒸発していく間桐邸を見ながら慎二は、焼きワカメになっていたかもしれない自分を想像して青褪めた顔でぶるりと体を震わせた。

 

「な、なんだよアレ。あんなの町中で放って良い威力じゃないだろ。神秘の秘匿はどこ行ったんだ」

 

「ここは丘の上にある洋館です。屋敷の上部目掛けた攻撃であれば、周囲に被害はないと判断したのでしょう」

 

「あー、くそ。一等地なのが仇になった訳ね。はいはい、ご丁寧な解説をどうも」

 

乱暴に拘束を振りほどくように、慎二はライダーの脇から地面に降りて悪態をついた。女に抱き抱えられるなどごめんである。

 

「それにしても、上向きの攻撃で助かりました。地下室に直撃していたら、桜の命はありませんでしたから」

 

ライダーは半壊した間桐邸宅を見ながら己の真のマスター、今も悍ましい儀式が繰り広げられるだろうマキリの修練所──蟲蔵にいる間桐桜のことを思った。叶うならば、どうかそこから解放されてほしいとも。

 

「人の心配してる状況なわけ? ちゃんと現状を正しく認識してくれないと困るんだけど。戦うのはお前なのに、そんなお前が心ここにあらずじゃ僕はどうやって勝てば良いのさ」

 

だが、そんな彼女を叱咤するかのように偽りのマスターが声を上げた。慎二がライダーを好まないように、ライダーにとっても慎二は気に食わない相手である。が、それはそれとしてその指示には素直に従っている。彼の言うことには棘があるが、しかし同時に道理でもあるのだから。

 

「……そうでしたね、すいません」

 

「謝ってる暇があればさっさと行けよ、このグズ。……言っとくけど、お前の役割はサーヴァントの足止めだからな。お爺様とアサシンがマスターを殺すまで、ただ耐えるだけで良い。間違っても宝具なんて使うなよ。おいそれと魔力なんて補給できない身なんだから」

 

「承知しています、マスター(・・・・)

 

やはり彼のことが、ライダーは気に食わない。どこか見た目も性格もかつての自分を殺した英雄を思わせる男だからだ。だがそれでも、間桐慎二はライダーと同じ志を持った同志(・・)でもあった。それ故に、彼女はその髪質のように捻くれた性格を持った己の主に背を向け──アサシンへと剣を振りかざすセイバーへと突撃する。

 

願わくばこの戦いに勝利し、そして己の真の主に救いが訪れるようにと。

 

 

 

 

嵐の中、イリヤスフィールは人の形をした影と対峙していた。セイバーが間桐邸を蒸発させた矢先、マスターである自分の首を狙ってきた暗殺者(アサシン)のサーヴァントである。

 

「セイバーは……ライダーの相手をしているのね。確かに、御三家が二人のマスターを用意してはいけないなんて決まりはないけれど……せこいことするわ、マキリって」

 

自分のサーヴァントと分断されてなお、イリヤスフィールの表情は変わらない。この程度の危機は、あの冬の城で何度だって経験してきた。彼女を育てた教師は、こんなシチュエーションを何度もイリヤスフィールに強要してきたのだ。

 

今更この程度の危機で、イリヤスフィールが動揺するはずもなし。彼女は飄々とした態度で、目の前の敵を睨みつける。

 

髑髏の面に、宵闇を思わせるような暗い影を帯びた黒いマントに全身を隠した姿。そんなアサシンの背後には、そのマスターであろう異形の怪物にして蟲の集合体──間桐臓硯の姿があった。

 

「ふっ……アサシン、たかが小娘の首すら取れぬとは、見下げ果てたものよ。貴様それでも暗殺者の英霊か?」

 

呵々と、しわがれた声で老人が笑えば、それに呼応するように彼を構成する蟲たちがキチキチと合唱した。

 

「申し訳もありませぬ、魔術師殿。この失態は彼女の心臓でもって、帳消しとさせて頂きたく」

 

嵐の中にありながら、しかし風除けの加護によりその影響を受けず、ぬるりと這うような動きでアサシンが動く。

 

一呼吸のうちにイリヤスフィールとの間にあった距離が詰められ、その首と心臓めがけて短刀(ダーク)が飛ぶ。

 

しかし。

 

(マウアー)

 

それは容易く、彼女が築いた銀糸の壁によって阻まれた。

 

目の前に突如として出現した障害を前に、アサシンは跳躍を選択する。壁があるならば、飛び越えてしまえと言わんばかりにその向こう側へと飛び込んで。

 

(デーゲン)

 

「む──ッ!?」

 

何本もの銀の剣が、己に向かって解き放たれるのを見た。アサシンは直接戦闘を得意としない英霊であるが、それでも英霊。現代の魔術師になど負けるものかと、すかさず短刀を投擲し相殺する。

 

そして銀の剣と黒の短刀がぶつかり合って、嵐の中に火花が咲いた。

 

天使の詩(エンゲルリート)、それはイリヤスフィールの髪を触媒とした使い魔である。彼女は髪の毛一つから、あらゆる万象を生み出してみせるのだ。それは生命であり、武器であり、そして──己自身でもある。

 

(シュピーゲル)

 

イリヤスフィールが自分の頭から何本か髪の毛を抜き取り、ひと言呪文を唱えながらそれを投げた。一本の針金だったそれはやがて骨子を形成し人型を取る。

 

一番(アインス)から七番(ズィーベン)まではアサシンの足止めを。八番(アハト)九番(ノイン)は私と共に臓硯を殺すわよ」

 

作られた即席の糸人形(ホムンクルス)たちは静かに頷くと、彼女が命じた通りに行動を開始した。

 

「たかだか人形風情が、私に敵うとでも?」

 

「たかだか暗殺者の影法師(えいれい)風情が、真正面から私に敵うとでも思っているのかしら」

 

銀の人形たちはその体から糸を伸ばし、思い思いの武器を握る。長槍(スピア)斧槍(ハルバード)長弓(ロングボウ)大盾(シールド)大槌(メイス)大剣(クレイモア)、そして魔術杖(ステッキ)

 

どれもこれも、英霊の劣化品でしかない。既に死んだアーチャーならば、武器に限って言えばこれ以上の戦力を用意してみせただろう。

 

だが、少なくとも今この場においてそれは、アサシンを拘留するにたる十分な戦力であった。

 

暗殺者の手から逃れたイリヤスフィールは、そのまま真っ直ぐに半壊した間桐邸の屋上にいる臓硯のもとへと翔んだ。

 

「大分腐っている(・・・・・)わね、間桐臓硯。いや、マキリ・ゾォルケン。人の体を食いつぶし、蟲から蟲へと寄生する外法、そんな方法で五百年も生きたんですもの、そうなるのもある種当然でしょうね」

 

「ほう、一目見て儂の(からだ)の絡繰りに気づくか、小娘」

 

また、老人の笑い声が嵐のなかに響いた。

 

間桐臓硯、かつては高尚な理想を掲げ、その成就のために願いを生きた男であったが、今やその理想を忘れただ死にたくないがために他人の命を吸って生きる、悍ましい吸血鬼である。

 

「当然よ、私はアインツベルンが冠位の人形師(アオザキ)を目指して作り出した、第三魔法に至るための人形(どうぐ)だもの。人の魂くらいは、見れば分かるわ」

 

それから“気色悪い。見た目通りに汚い魂ね。とっくの昔に腐り落ちてるんだから、さっさと死ねば良いのに”と、イリヤスフィールは心底軽蔑するような目で臓硯を見下した。

 

あれは無駄だ。イリヤスフィールが唾棄する魔術師そのものだ。生きていたところで何も生み出さない、奪うだけの害悪だ。

 

そんな存在するだけで癇に障るやつを、どうして生かしておけようか。

 

「お前は世界に不要な存在よ、とっとと死んでしまいなさい」

 

糸を手繰り寄せ、(ツェーレ)──魔力の弾丸を放つ。それから八番(アハト)九番(ノイン)に指示を出し突撃させる。

 

だが。

 

「甘いぞ、アインツベルンの人形よ。儂の肉体が蟲だと気がついているならほれ──散る(・・)ことにも警戒せんとなぁ?」

 

間桐臓硯の体が塵となって消えた。

 

いや、正確には塵ほどの小さな蟲となって霧散したのだ。物理的に的が小さくなったため、イリヤスフィールの(ツェーレ)が空を穿ち、(シュピーゲル)の持つ獲物の一撃が空振りした。

 

「うっわぁ、なにそれ無理無理絶対に無理! ホントに気持ち悪いわ! 殺虫剤でも持ってくるべきだったかしら……っ!」

 

生まれついての虫嫌いであるイリヤスフィールはその有様にドン引きしながらも、指に這わせた銀糸を引いた。

 

ギチギチと音を鳴らしながら、顔面に向かって飛び掛ってくる拳ほどの蟲を切断し、ブンブンと羽音を鳴らして耳の後ろあたりに来た蟲をイリヤスフィールは“ひぃ……!”と生理的嫌悪感マシマシの悲鳴を上げながら捻り潰した。

 

「カカ、生娘のように哭くではないかアインツベルンよ。ますます欲しくなったぞ、貴様の(からだ)が」

 

「キモッ、ロリコンジジイとか死んでくれないかしら。ああもう、ほんとに嫌! 帰ったらシャンプーする。絶対する。いやもう、死んで蘇生したほうが早いかしら」

 

糸を編み、身を守るように結界を作る。自分の髪に蟲が纏わりついている様を見ると鳥肌が立つが、背に腹は代えられない。

 

「ほう、網を張ったか。だが貴様は既に蟲どもの腹の中にいるようなもの、さていつまで耐えられようかな?」

 

ドーム状に張られた結界に沿って、蟲が纏わりつく。四方八方、360度を蟲に囲まれ、臨場感たっぷりの昆虫シアターを見せられているような気分だった。控えめに言って地獄だ。何が悲しくて、自分が嫌いな節足動物のギチギチと蠢く腹を眺めなければならないのか。

 

「二百年も日本で暮らせば、蚊帳くらい知っているでしょう。良いわよね、夏の夜の安寧を守ってくれる生活の知恵って。ああそれとも」

 

理導(シュトラセ)──空気中の構成物質を解析。嵐の中にあって、燃料は十分にある。

 

開通(ゲーエン)──周囲の水を分子レベルで分解し。

 

収束(バオエン)──酸素分子と水分子に再構築する。

 

「蚊取り閃光(・・)の方が好みかしら?」

 

それからイリヤスフィールは“(ツェーレ)”とひと言呟き、その導火線に火をつけた。

 

 

 

 

「……爆発音か。マスターのものかな」

 

間桐邸の屋根で起きた爆発を横目に見ながら、セイバーはライダーと煮え切らない戦闘を続けていた。

 

「余裕ですね、セイバー」

 

「さて、それはこちらの台詞とも言うべきかな。貴公、先ほどから手加減をしているだろう。その鎖には、どうにも力が籠もっていないように感じるのだが?」

 

ライダーが杭を振るい、それに繋がれた鎖が鞭のようにしなった。波打つそれは予測困難な軌道を取ってセイバーの首の裏へと迫り、しかし、優れた直感を持つ彼は見えない位置にあるそれを難なく叩き落とす。

 

(一息に飛び込んでその首を落としても良いのだが、さて……罠という可能性もありうる。あるいは二騎で徒党を組んでいる敵だ。死ぬことで効果を発動する宝具により共倒れを狙っている、という可能性もあるか……?)

 

もっとも、それは手加減でも何でもなく単に彼女のマスターが魔力供給すらできないへっぽこであるが故の出力不足なのであるが、それを知らぬセイバーとしては警戒を強めるほかなかった。先日のアーチャーは固有結界なんて隠し玉を持っていたのだ。目の前の女がどんな宝具を持っているか、分かったものではない。

 

思考を巡らせながら、風を纏った不可視の剣を振るった。剣戟に乗って嵐が巻き起こり、間桐家の中庭の大地を引き剥がしていく。

 

聖剣の解放は先ほどの一度きりであり、まだ二度目は使用していない。先日のアーチャーとの戦いのように高層ビルの上か、新都の広い大通りの真ん中であれば周囲の被害も少なく済んだが、ここは住宅街のド真ん中だ。

 

ましてや敵はライダー。縦横無尽に大地を駆ける騎兵。周囲の被害を考えて控えめに聖剣を振るったところで、当たる可能性は低いと彼の直感が告げていた。やるならやはり、全力で薙ぎ払うくらいでないとダメだ。

 

(一般市民の生活に極力被害がいかないように、破壊活動は慎め。けれど一方、魔術師は絶対に殺せと言う。穏和なのか、非情なのか。何ともチグハグな印象を受けるが……)

 

セイバーは戦いの最中にありながら、己のマスターのことを思う。膨大な魔力を供給する魔術師でありながら、年齢はおよそ十に満たないだろう、未だ幼い少女。そしてその精神はとても歪で不安定。

 

(……マスターから流れ込んでくる記憶から判断する限り、それも仕方ないのだろう。ただやはり気になるのは)

 

彼女の首にかけられた環十字のロザリオ。セイバーがこの世全ての神秘を背負う前に姉に預け、そして数多の世界の可能性を見届けてきただろう聖遺物が、なぜ彼女の手にあるのか。

 

それが、セイバーには気がかりで仕方なかった。

 

「……あなたは、己のマスターを助けに行かないのですか」

 

不意に、ライダーから疑問の言葉が投げかけられた。

 

「マスターからは自分の命などよりも、敵を殺すことを優先しろと言われている」

 

「理解できません……ね!」

 

「心配せずとも、私のマスターは凡百の英霊より強い。むしろアサシンが倒される心配をしたらどうだ、ライダー──!」

 

杭を弾き、蹴りを入れる。避けられるかと思ったが、存外みぞおちに深く入った感覚があった。

 

(……手加減をしているのではなく、本調子ではないのか?)

 

などと疑問を抱きながらも、セイバーはライダーの言葉に大いに同意を示したい気分だった。いくら蘇生が可能だと言っても、それが死んで良い理由にはならないはずだ。彼女が生きる者である以上、死の恐怖と痛みは必ず付き纏うのだから。

 

だというのに、ああも平然としているのは。

 

もはや気にならないくらいに死を繰り返し、その感覚が褪せてしまったからなのだろうか。

 

(ああ、姉上)

 

セイバーはここにはいないだろう、己の姉を想う。

 

(あなたはこの世界で何を成した。何故あの十字架を彼女が持っている。そして私は、彼女に何をしてあげれば良い)

 

生前は決して抱かなかっただろう不安をセイバーは抱いた。

 

彼がサーヴァントとして聖杯戦争に参加するのは、これが三度目だ。英霊の座を介さないサーヴァントである彼は、その記憶の全てを当然覚えている。

 

一度目は、マスターに道を示し、同時に人類悪を討伐するのが役割だと明確に分かっていた。それに加えて、封印者(シーラー)のクラスであれば彼は根源接続者として、あらゆる情報にアクセスすることも可能だった。それ故に不安はなかった。

 

二度目は平行世界の可能性を被った現界という若干のイレギュラーであったが、それでも自分の子孫たるマスターを守り、世界を剪定の危機から救うという役割を明確に知っていた。あの時の霊基に根源との繋がりはなかったが、代わりに側に姉がいてくれたのだ。それ故に、やはり不安はなかった。

 

だが此度は違う。マスターを救えば良いのかと思ったが、事はそう簡単ではない。『全て遠き理想郷(アヴァロン)』は死の淵にあろうあらゆる傷を癒してみせるが……イリヤスフィールの状態はそう上手く解決できるものではないと、彼のスキルではない直感が告げていた。それに、いくら聖剣の鞘が絶対無敵かつ癒しの権能を持っていると言っても、それは心の問題までは解決してくれないのである。

 

そしてセイバーのクラスでは、全てを知覚できる『 』との繋がりも絶たれていた。

 

(彼女を救うためには、一体何が、どんな要素が必要なのか。この聖杯戦争が終わり、彼女が完全に聖杯になってしまう前に私は──僕は、見極めなければ)

 

剣を振りかぶり、瓦礫に埋もれるライダーの首目掛けてそれを振り下ろそうとした──次の瞬間。

 

「ッ、マスター?」

 

けたたましい音と、振り注いでいた雨を一時的に吹き飛ばすほどの衝撃波が辺りを襲う。先ほどとは比べ物にならないだろう威力の爆発が、イリヤスフィールと間桐臓硯が戦っていただろう屋根の上で発生したのだ。

 

(今のはまさか、自爆か? にしてもまた、マスターが死んだかっ。……そのような手段など取らずとも、私に任せてくれれば──)

 

言ったところで、聞いてはくれないだろう想いを抱えたまま、セイバーは爆発に気を取られて下がった剣を再び振り上げた。

 

「ライダー! お爺様とアサシンがやられた! もう足止めしても仕方がない、僕の命を吸ってでも──今ここでセイバーを殺せ!」

 

そして物陰に隠れていた、間桐慎二の声が響くと同時に。

 

眼帯に秘されていた彼女の美しき紫眼──石化の魔眼(キュベレイ)の視線が、真っ直ぐにセイバーの瞳を射抜いた。

 

 

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