アーサー王(史実)がしたこと   作:妄想壁の崩壊

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冬木でしたこと【13】

 

 

「分からないだろう。人類全てが明日に死ぬ可能性を持つように、君にも明日を生きている可能性があるはずだ」

 

セイバーは指摘した、世の中に絶対はないと。けれどイリヤスフィールはその希望的観測を鼻で笑った。

 

「……はっ、ないわよそんなの。それとも何。もしかして、あなたは私を救えるとか思ってるわけ?」

 

「……そうだな。その通りだ。今の私は、君を救いたいと考えている」

 

肯定するセイバー。そんな彼の決意をイリヤスフィールは“傲慢、そして愚かね”と言って切って捨てた。

 

「そんなの無理(・・)よ! 私の体のことくらい知っているのでしょう? 夢で見たのでしょう? ならば分かるわよね、たとえあなたが持つ伝説の鞘だろうと私は救えないわ!」

 

伝説の鞘──『全て遠き理想郷(アヴァロン)』。それは治癒の権能を持つ。だが。

 

「治癒は、あくまで治癒よ。魂の設計図(・・・・・)に沿って、体をあるべき状態に戻すだけ。だから、魂がバラバラな私にそれを使ったところで、私はバラバラの生きた肉片へと治癒されるだけよ」

 

魂とは永久不変のものである。だが一方で、それは現実世界においては単独で存在することができないのだ。魂の寿命とは、それが肉体とともに現実世界に現界していられる時間の上限を表す。

 

これを覆す唯一の方法が第三魔法であり、それ以外の延命は全て肉体の延命であって魂の寿命──世界への存在限界までを伸ばすことはできないのだ。

 

仮に無理やり肉体の寿命を引き延ばしたとしても、魂の寿命がそのままならば、その存在限界に近づいた者の魂はだんだんと世界から否定され腐り始める。

 

先日イリヤスフィールが殺した間桐臓硯も、その類であった。

 

そういった『魂がもはや変質してしまった者』の類は、たとえ伝説の鞘であっても治癒することができない。なぜなら魂とは存在の設計図そのものであり、治癒とはそれに沿って正しい在り方に戻す行為なのだから。

 

一度吸血鬼になった者を治癒しても人間には戻らないように、一度人間に墜ちた神を治癒しても神には戻らないように、一度死んでしまった者に治癒してもどうにもならないように。

 

伝説の鞘でも、巻き戻せない不可逆の変化というものは存在する。

 

──そしてイリヤスフィールには秘された事実であるが。実際『全て遠き理想郷(アヴァロン)』は間桐桜の心臓にいた間桐臓硯を治療ではなく浄化(・・)し、昇天させてしまったのだ。

 

「私を治せるのは、砕けた魂を治せるのは、きっと聖杯だけ、第三魔法だけ。だけど私には聖杯を使う権利がない」

 

それからイリヤスフィールは感情を失った冷たい声でそう言った。

 

彼女はたとえこの聖杯戦争で勝利したところで、聖杯を自由に使うことはできない。そうできないように、アインツベルンによってバラバラにされた、今は冬木のどこかにあるだろう本体の方に制約をかけられているのだ。

 

彼女にできるのは自分自身が唯一己を救うことができる聖杯そのもの、つまり空席となっている第三の魔法使いとなり、しかし己を救わずに死ぬことだけ。

 

「だから無理なのよ。セイバー。あなたに私は救えない」

 

「……」

 

セイバーは沈黙した。自分がイリヤスフィールの代わりに聖杯を使って救ってみせると言いたいところだが、それも難しい。

 

聖杯を完成させるためには、第三魔法を完成させるためには、膨大な燃料──英霊の魂が必要不可欠である。

 

当然セイバーはその事実を承知していた。異なる並行世界において、彼は姉と共に大聖杯の術式を解析したのだ。それがどのようなものか、彼の頭の中には叩き込まれていた。

 

英霊五騎分の魂で、聖杯はそれなりの願望器として機能する。英霊六騎分の魂で、聖杯はこの世界の内側の願いなら大抵のことを叶えられるようになる。

 

だが魔法とはこの世の理外にあるもの指すのだ。故に魂の固定化、第三魔法の実現には英霊七騎分の魂が必要になる。

 

つまりセイバーも含めた英霊全員が死んで初めて、ようやくイリヤスフィールを救える可能性が出てくるのである。

 

セイバーが聖杯に願うような状況、すなわち英霊七騎のうち六騎の魂が焚べられた状態では、彼女の魂を完璧に元に戻すには物足りないのだ。

 

(それにキャスター(・・・・・)とは鞘を持った私でさえ相打ちが限界だ。残念だが、私が聖杯を使って彼女を救うという未来はあり得ない)

 

セイバーは内心で己の無力を自嘲する。そしてそれは、イリヤスフィールの言葉が半ば事実であることを示していた。

 

「何より私はもう、生きるのに疲れた。もう終わりたい、もう死にたい。だから、別に救ってもらわなくても結構なの。本当に今さらな、余計なお世話でしかない」

 

それから乾いた笑みを浮かべる彼女の瞳には、深い深い絶望の色があった。彼女はやはりもう、生きることに何の希望も意味も見出だせないのだ。

 

『明日地球が滅びる』のと同じくらい馬鹿げた仮定だが、仮に何らかの奇跡が起こって彼女が生き残ったとしよう。

 

生き残って、どうするのだ。

 

したいことはない。やりたいことはない。夢も希望もない。少女としての自分はもう、とっくの昔に死んでしまったのだ。それなのに、今さら生き残ってどうするのだ。

 

──生き残ったところで、生きることの苦痛は生きることの幸福を勝るものだというのに。

 

確かに、今日の一日は、セイバーと過ごす日は楽しかった。それをイリヤスフィールは認めよう。

 

けれどたった一日の喜びが、あの冬の城で過ごした三年間を覆すことにはならない。

 

「だからもう、私を救うなんて言わないで。吐き気がするわ、そういうの」

 

全て遠き理想郷(アヴァロン)』はあらゆる傷を癒す。聖杯は、あらゆる願いを叶える。けれど心を癒すことだけは、心を救うことだけはできないのだ。それをできるのは、同じ心を持った人にしかできないことだから。

 

「それでも」

 

だから、セイバーがするべきなのは、考えるべきなのは、いかにして彼女の心に希望の火を灯すのか。ただその一点だけある。

 

「それでも僕は、君を救いたい。救ってみせる」

 

魂が欠けている? 大いに結構、そんなものはどうとでもしてみせる。なにせ、セイバーは知っているのだ。丁度前の聖杯戦争で、そのやり方を。

 

「だから、どうか僕を信じて欲しい。希望を捨てないで欲しい。生きることを諦めないで欲しい。それがサーヴァントとして、僕が君に求める唯一のことだ」

 

そんな大言壮語を言ってのけるセイバーをイリヤスフィールはジト目で睨みつけながら、不機嫌そうに口を尖らせて言った。

 

「……なんなのよ、あなたは。なんだってそんなに、自信満々なのよ」

 

不可能だと言ってやった。ご丁寧に分かりやすく説明までしてやったというのに、目の前の男は諦めないという。その呆れるほど根拠のない自信の源が一体何なのか、彼女はそれが気になった。

 

「当然だろう。だって僕は──魔法使い(・・・・)だからね」

 

けれど帰ってきたのは、そんな冗談みたいな言葉で。

 

「ぷっ、あっははは──!」

 

そんな言葉を聞いた彼女は目をぱちくりと瞬かせたあとに、あまりの馬鹿馬鹿しさに『イリヤスフィール』として生まれて初めて、腹を抱えて笑ったのだった。

 

「あーあ、なにそれ。セイバーって魔法使いだったの? 面白い冗談ね、なら何番目なのか言ってみなさいよ」

 

魔法使い。現代において五つあるとされる魔法、その神秘の頂の使い手。不可能を可能とする、お伽噺の存在。

 

第一魔法『    (詳細不明)』。“はじめの一つは全てを変えた”と言われる魔法であり、始まりの魔女ユミナが成立させたとされる御業。

 

『無の否定』の権能を持ち、それは虚構を現実とする力があるとされる。

 

第二魔法『万華鏡(カレイドスコープ)』。“つぎの二つは多くを認めた”と言われる魔法であり、宝石の翁ゼルレッチが成立させた御業。

 

『平行世界の運営』の権能を持ち、それは横に並んだ因と果を観測し、選択する力があるとされる。

 

第三魔法『天の杯(ヘブンズフィール)』。“受けて三つは未来を示した”と言われる魔法であり、かつて存在したアインツベルンの魔術師たちの師が成立させた御業。

 

『魂の物質化』の権能を持ち、それは不老不死、及び抽象的概念を具体的なモノとして物質界に降ろす力があるとされる。

 

第四魔法『    (定義不明)』。“繋ぐ四つは姿を隠した”と言われる魔法であり、誰が成立させたかも分からない御業。

 

魔法使いたちにより存在を認知されているのみにとどまり、どんな力を持っているのかすら、誰にも分からない。

 

第五魔法『青』。“終わりの五つ目は、とっくに意義(せき)を失っていた”と言われる魔法であり、最も新しき魔法使いの家系蒼崎が成立させた御業。

 

第二と対を成す権能を持ち、それは縦に並んだ因と果を並べ替え、伸縮する力があるとされる。

 

これら存在する魔法の中で、使い手がはっきりと分かっているのは第二の魔法使い『キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ』と第五の魔法使い『蒼崎青子』の二人だけだ。

 

第一と第三は空席──正確には第一は生きてもいないし死んでもいないとされる──であるため、仮にセイバーが魔法使いだと言うのならば、その答えは必然的にこうなるのだろう。

 

「私は四番目さ、マスター」

 

第四魔法『遥か彼方の幻想世界(アヴァロン)』。根源接続者アーサー・ペンドラゴンが成立させた御業。

 

第一と対を成す権能──『無の肯定』、『 (根源)』から流れるこの世全ての神秘を遮る壁であり、そしてその向こう側へと繋がる穿たれた(あな)であり。

 

「だからきっと、その運命は否定してみせるとも」

 

この世すべてが刻まれた『  (アカシックレコード)』の情報(シナリオ)を唯一消し去ることができる、最低最悪な『逸脱』の力である。

 

 

 

 

「ちょっと、降ろしてってばセイバー!」

 

「はは、マスターは高いところが苦手だったかい?」

 

「そ、そんなんじゃないわよ、だけど……!」

 

イリヤスフィールが“うぅ……”と、セイバーの頭の上で可愛らしく呻き声を上げた。イリヤスフィールは俗に言う肩車で運ばれながら、アインツベルンの別荘へと帰路につく。

 

虐待のせいで十分な発育を得られなかったせいか、九歳の少女にしては少し小さい身長のイリヤスフィールも、セイバーの肩に乗ってしまえば小さな巨人だ。その高い視界からは丘の下の深山町が一望できる。

 

「……」

 

イリヤスフィールは、セイバーが一歩足を進めるたびに揺れる暖かな黄金色の髪に触れた。茜色の夕日に染められて、今は黄金というよりもトパーズのような橙赤色に見える。

 

別に、ゆらゆらと揺れるアホ毛が気になったわけではない。そんな動くものすべてが気になる猫みたいな理由では、断じてない。

 

「今日は楽しかったかい?」

 

「……うん、まぁ、それなりにね」

 

そんなお日様の香りがする麦畑に顔を埋めながら、イリヤスフィールはぶっきらぼうにそう答えた。

 

「セイバーって、なんだかお父さんみたいね」

 

「お父さん……私が? そうか、そんなこと初めて言われたな」

 

なんとなく今日を振り返ってそんな感想を零してみたが、自分で言っていてしっくりくると思った。セイバーはサーヴァントと言うよりも、どちらかと言えば父親のようなスタンスなのだ。

 

「今まで言われたことなかったの? セイバーにだって子どもはいるでしょうに」

 

「残念ながら私は嫡子には恵まれなかったからね。まぁ、一人だけ息子と呼べる存在はいたけれど」

 

「……アーサー王伝説に出てくる叛逆者、モードレッドのこと? でもモードレッドって最終的にあなたと敵対したやつじゃ……」

 

「そうだよ。あぁ、誤解しないで欲しいんだが、私と彼は別に仲違いしたわけじゃないんだ。……運命が私たちの対決を求めただけで、モードレッドとはそこまで悪い関係ではなかったんだよ。少なくとも私はそう思っている」

 

セイバーはかつて敵対したことを微塵も感じさせず、それこそ本当に我が子について話すような気軽さでモードレッドのことについて言及した。そんな彼の様子を見たイリヤスフィールの中に、ふつふつと疑問が湧き上がってくる。

 

「ふーん、どんな人だったの。モードレッドって」

 

伝説の騎士王と、その伝説に終わりを告げた叛逆の騎士。物語に語られる彼らの関係性を知りたいのならば、まず目の前にいるご本人様に聞くのが一番だろう。

 

「一端の騎士を気取っていたが、中身はただのどこにでもいる少年だったな。彼は姉上が私を元に造ったホムンクルスでね、人よりも成長が早かった。だから心の方までは、大人になり切れていなかったんだろう」

 

それはどこか、イリヤスフィールに似た悲劇であった。片や無理やり大人にされた子どもと、片や無理やり道具にされた子ども。イリヤスフィールはそんな自分と似てるかもしれない、1500年も昔の人物に思いを馳せながら、セイバーの言葉に耳を傾ける。

 

「彼とはいろいろやったものだ。野営とか、釣りとか狩りとか」

 

「今日の私みたいに?」

 

一日を振り返りながら、イリヤスフィールは幻想する。セイバーが無理やり、自分と同じ顔の息子を引きずり回している姿を。

 

なんだか、とてもシュールだった。

 

「……そうだね、今日君としたのと同じように、彼とはただ共に何気ない日常を過ごした」

 

「そっか。……でも、最後には全部壊れちゃったよね」

 

ぎゅっ、とセイバーの頭を少女の腕が抱き締めた。

 

アーサー王伝説、その物語はカムランの丘にて騎士王アーサーとその息子にして叛逆者モードレッドが争い、互いに致命傷を負うことで幕を閉じるのだ。

 

モードレッドはロンゴミニアドに腹を貫かれ、アーサー王は側頭部に傷を受ける。そして死の淵を彷徨った王は、あるいは本当に死んでしまった王は実の姉にして楽園の妖精たるモルガンの手によりアヴァロン島へと渡り、その傷を癒すこととなる。

 

いつか再び蘇り、ブリテンを、この世界を救うために。

 

「セイバーとモードレッドはどうして争うことになってしまったの?」

 

「私の姉上、魔女モルガンがローマへの遠征で留守を任せていたモードレッドに狂気を吹き込んだんだ。それに加えて、数々の戦争による戦費の負担で諸侯にも不満が溜まっていた。敵は消えず、大地の恵みは痩せ細る一方で……あれはそんな、色々な要因が噴き出して起きた内乱だったんだよ」

 

回避不可能、定められた終わり。生前にその運命の全てを知っていたセイバーは、珍しくどこか諦観の滲んだ乾いた笑みを浮かべた。

 

「ふーん、じゃあ、あなたの国を滅ぼした黒幕っていうのは魔女モルガンだったんだ。けど、あなたの死を看取ってその死体をアヴァロンに運ぶのもモルガンなんでしょ? それってどういう理屈なの?」

 

なんだか変な感じだと、イリヤスフィールは思う。だってアーサー王が憎くて国を滅ぼしたのに、最後にはそのアーサー王の傷を癒すべく理想郷へ彼を招くのだ。やってることがチグハグだった。

 

「さて、私は姉上本人ではないから何とも言えないが。本人曰く、私が島に骨を埋めることすら不快だとか何とか言っていたな。うん、懐かしい」

 

「懐かしいって……敵の話なのに、何を懐かしがっているのよ」

 

魔女モルガン。アーサー王伝説に登場する悪い魔女で、ひと言で言ってしまえばアーサー王という主人公に対し、その邪魔する悪役(ヒール)。イリヤスフィールが死んで欲しいと思う魔術師像をそっくりそのまま形にしたかのような存在だ。

 

意味不明な理屈で動き、自己中で、周囲に不幸を振りまく害悪。

 

「……国を滅ぼすなんてそんな酷い奴、さっさと殺せば良かったのに。なんでセイバーはモルガンを殺さなかったの?」

 

悪、即、斬。悪役は先に処すべきだったと、イリヤスフィールは身も蓋もない事を言う。対しセイバーは苦笑いを浮かべてた。

 

「姉上は悪でもあったが、妖精として私に聖剣を授けてくれた存在でもあったからね。そんな存在を殺すとなると外聞が悪いし、だからせめて捕まえて監視下には置こうとしたんだけど……滅茶苦茶逃げ足が速いんだよなぁ、姉上は」

 

「逃げ足が速いって、具体的には?」

 

「私が追いつけないくらいには」

 

「うそ、ほんとに?」

 

その答えを聞いてイリヤスフィールは目を丸くした。セイバーは風の魔術の使い手として最上位とも言える腕であり、純粋な身体能力に加えて魔術を使った時の最高速度は優に音速の数倍は超える。そんなセイバーから逃げ切るなんて、イリヤスフィールには到底信じることができなかった。

 

もっとも、セイバーがきちんと風の魔術を使えるようになったのは、件の姉と共に中央アジアの高原地帯を旅した時からなのだが。

 

それ以前はマーリンから受けるべき魔術教育をネグレクトされていたので、純粋な脚力で頑張っていた、というのは内緒の話。

 

「まるで、見つけて殺そうとしても逃げる台所の虫みたいね」

 

“うげぇ”と、黒き刺客を脳裏に思い浮かべながら肩の上の少女が呻いた。

 

「それ、本人に言うと死ぬほど嫌がるだろうから、やめてあげてくれ」

 

“あはは……”と苦笑いしながら、セイバーは上目遣いで頭の上にいる少女の顔を伺った。アルビノカラーの少女は納得いかないような表情でセイバーを見つめている。

 

「セイバーってもしかして、モルガンのこと好きなの? 敵なのに妙に庇い立てするし、伝説だとあなたが惚れ込んでモードレッドが生まれたってことになってるし」

 

怪しい、あまりにも怪しい。そんな想いの籠もった視線がじとーっとセイバーのつむじを射抜く。

 

「いやいや、あれは純粋に寝込みを襲われただけで、私から手を出したなんて事実はないよ。流石に種違いとはいえ実の姉に懸想するほど、私は倒錯した趣味は持っていない……はず、うん」

 

妙に歯切れの悪いセイバーに、さらに疑うようなイリヤスフィールの視線が突き刺さる。

 

ぶっちゃけ、彼の中での姉の立ち位置はかなり揺れていた。ここではない壁の向こう側の世界と異なり、彼にとってモルガンはあくまで親愛を向ける姉であって情愛を向ける異性ではなかった。なかったはずなのだ。たとえ生前と東京、合計二度も襲われて種を奪われていようとも、その事実は変わらなかった。

 

が、さすがにあのルーマニアでの記憶を見てしまった今ではもう。

 

「マズいなぁ。マーリンのことをとやかく言えなくなりそうだぞ、これは」

 

そう言ってセイバーは苦笑いし、ドツボにハマった思考を無理やり中断する。この件はあまり考えないようにした方が賢明である。

 

「……意味分かんない。たくさん酷いことをしてきた敵のことを、なんでセイバーはそんなに親しげに話せるの?」

 

それからそんな当たり前の疑問がセイバーの耳を打った。善と悪、そんなごくごく単純に世界を理解しようとする二元論。その理論に則れば、セイバーの様子はいささか腑に落ちない。

 

「……伝説には語られていないことだけれど、私はすべてが終わったあとに彼女と和解したんだ。だから彼女の在り方には理解を示すし、彼女のしたことを恨んだりはしないよ」

 

けれどセイバーは、魔女の抱える罪の全てはともかくとして、少なくとも己にしたことの罪は許すと言ってのけたのだ。

 

「分かんない、分かんないよ。和解ってなに? 悪人は悪人でしょ。どんな理由があっても、たくさんの命を弄んで、ましてや自分の子どもに狂気を吹き込むようなやつはクズよ。そんな女をどうして許せるのよ、セイバーは」

 

「イリヤスフィール」

 

セイバーが足を止め、諭すように彼女の名前を呼んだ。

 

「生粋の悪、生まれながらの悪というのは、驚くほどこの世には少ないんだ。大抵の悪は皆、そうなるまでの背景があり、過程がある。だから、悪を悪と決めつけて突き放さないであげてほしい。それはきっと、とても悲しくて、とても寂しい在り方だから」

 

性善説、性悪説、これもまた世界を理解するための単純な二元論である。人は生まれながらに善であり、悪に染まらないような社会を目指すのが肝要と捉えるか、あるいは真逆に人は生まれながらに悪であり、善とならざる得ないような秩序ある社会を目指すのが肝要と捉えるか。

 

だが、結局のところそれらは一面的な捉え方だ。真実は中庸。悪でも善でもなく、ただ人というのは生まれながらに無色であるというのが、だいたいの場合が正解である。

 

生まれながらの善、生まれながらの悪というのは、長い人類史を見ても数えるほどしか存在しないのだ。

 

……あくまで絶対数が少ないだけで、純粋善や純粋悪と呼ばれる存在はもちろん実在していることにはしているが。

 

「……それは、魔術師であっても?」

 

「どんな存在に対しても、だ。理解しろとは言わないし、敵の全てを許せとは言わない。ただ、最初から突き放してしまうことは、どうかやめてほしい。そこにはもしかしたら、多くの可能性があるかもしれないだろう」

 

善と悪が共存できる社会、善と悪が手を取り合える未来。

 

そういう意味では、現代はまさに善悪両立を地で行っている。本質が善だろうと悪だろうと、社会に生きるものは皆行動(・・)のみによって処罰されるのだから。

 

善人だろうと悪事を成せば例外なく処断されるし、悪人だろうと悪事を成さなければ何不自由なく暮らすことが許される。思想良心の自由とは何と素晴らしき発明だろうか、ビバ、現代社会。

 

セイバーは心の内側で、現代の法学と倫理学の発展を称えた。

 

「……考えておくわ」

 

そして今日一日熱心に言葉をかけたことが功を奏したのか、イリヤスフィールはしおらしくしながらもセイバーの言葉に素直に頷いてくれる。

 

それからそう時間が経たないうちに、二人はアインツベルンの別荘がある森へと入った。ここからは結界が張られていて、外部の一般人には認知されないようになっている。それに加えてイリヤスフィールにとっては素晴らしいことに、その結界は野生動物や昆虫でさえも森に寄せ付けなくしてくれていた。

 

なお森の生態系に著しい悪影響がある気がしないでもないが、少なくとも今はイリヤスフィールの精神衛生の方が大事なので棚に上げておくことにしている。ちゃんと聖杯戦争が終わったら元に戻す予定だ。

 

そんな結界を張るほど、イリヤスフィールは虫も動物も嫌いだ。というか好きなもの自体があまりない。わずか九歳にしてこんなにも厭世主義を極めつつあるのだから、もしこのまま長生きなんてすれば世界の破壊者にでもなってしまえるかも。

 

「へくちっ」

 

そんな物騒な肩書を持った少女が、そうとは思えないほど可愛らしいくしゃみをした。

 

日が暮れたせいで、急速に気温が下がっている。特に頭の上を青々とした枝葉が覆う郊外の森は、昼間であっても寒いくらいなのだ。二月の森はとても冷える。

 

「風が吹いてきたね」

 

主人(マスター)の不調を察して、セイバーが風の防御壁を張った。森の中を吹き抜け、イリヤスフィールから体温を奪っていた風がその壁にぶつかって霧散する。

 

「……ありがと」

 

そんなぎこちない礼を述べると、イリヤスフィールは暖を取るようにセイバーの頭にしがみついた。陽光の色をしたセイバーは、陽光のような温かさを帯びている。

 

「寒いのは苦手なのかい?」

 

「……苦手ではないわ。私はずっとずっと冬の城で過ごしてきた。だからどんなに寒くても、それには慣れてしまってる」

 

“けれど”と言って続けて、イリヤスフィールは戦うときには消えている、弱い自分を彼に曝け出した。

 

「寒いのは嫌い(・・)。私が失敗するとね、身ぐるみ剥がされて雪山に放り投げられるの。知ってるセイバー? 凍死って、一周回って暑い(・・)のよ。四肢の先が紫色になって死んでいくのに、体はガタガタ震えて仕方ないのに、命の灯火は消えかえているのに、もう暑くて、熱くて、仕方がないの」

 

そうして死んでしまった記憶を引き継いだイリヤスフィールは、また一人で城から出て自分の死体を回収する。雪の中に取り残され、凍え死んでしまった冷たい自分を。

 

「でもね、なんでか知らないけど、たまに同期が失敗することがあってね。ソレが生きて(・・・)ることがあるの。抱き上げた体は指が痛くなるくらいに冷たいのに、何故かソレの内側にはまだ命の熱が残っていることがあるの」

 

そのちぐはぐさが、イリヤスフィールは嫌いだった。死にたいと思ってるはずなのに、体は勝手に生を望んでしまう。暑いと思っているはずなのに、凍死寸前の自分はまだ熱を帯びた新しい自分の温もりを求めて手を伸ばす。

 

「もしソレがまだ生きてたら、私はソレを殺すわ。生かしてても仕方ないし、生きてるだけでつらい記憶は続いちゃうし」

 

“あは、あはは、おかしな話よねぇ……?”と、イリヤスフィールが引きつけを起こしたように笑った。それからポタポタと、セイバーの頭に熱を帯びた水滴が落ちる。

 

「……何? どうしたの、セイバー?」

 

そんな彼女をセイバーは持ち上げ、肩から下ろし、体の前で抱き抱えるようにして持ち替える。

 

「この方が温かいだろう?」

 

「……うん、そうね。こっちの方があっかい」

 

それから少女はセイバーの胸に押し付けるように顔を埋めた。彼の胸の内側に宿った竜の心臓が、寒さに震える冬の少女の体へ熱を送り出すように鼓動する。

 

「温かいのは、好き。だから私は春が好きなの」

 

「春?」

 

「うん、春。私はそれを昔、一度だけ見たことがあるんだ」

 

そう言うとイリヤスフィールは、自分の胸に掲げた大切な宝物へと触れた。

 

二年前あの日、イリヤスフィールが己の生の無意味さを知り、衛宮切嗣を越えて、そして自我を捨て去ろうとした日の翌日。

 

目が覚めた時にはどうか死んでいますようにと、そう思いながらベッドに入った彼女が次に見たのが──()だった。

 

それは決して冬の城に訪れることのないはずの景色。

 

「綺麗だったなぁ。青空なんて初めて見た。暖かい風に触れたのは初めてで、あの山に生命(いのち)が息吹くのを見たのも初めてで」

 

その景色はイリヤスフィールを救った訳ではない。イリヤスフィールを変えた訳ではない。それでも、その景色はただ美しく、それだけで価値があるものだった。

 

そんな春を見たからこそ、イリヤスフィールは今日まで人間であり続けることができたのだ。たとえ無意味で無価値な命であっても、あの春を見た感動は、自我がなければ得られないものだったから。

 

「それでね、このロザリオは、そのときに見つけた宝物なの」

 

少女はそう言ってケルト十字の十字架を、切なる信仰を持った聖女のように固く握り締めた。

 

ドイツの山中にあるアインツベルンの城。そこに自然な形で春が訪れることはない。絶対にない。

 

だからこそあの春はきっと、誰かが人為的にイリヤスフィールに見せてくれた景色なのだ。

 

「あの春の中心に誰かが置いていったもの。あの春を私に見せてくれた誰かが置いていったもの。私が生涯一度だけ、『人間でいて良かった』と思わせてくれた大事なものなの」

 

この世全ては無意味なもの。無価値なもの。そんなふうに思う彼女だけれど、それでも唯一そこに価値を見出すとすれば。

 

イリヤスフィールにとってそれは、あの日見た春の景色の感動だと、胸を張って言えるのだ。

 

 

 

 

「ほんとに全部買いやがったのね、あのお馬鹿」

 

パジャマに着替えて仁王立ちするイリヤスフィール。湯冷めしないうちにお風呂場から寝室に戻ってきた彼女は、ほかほかと体から湯気を立ち昇らせながら、ベッドの上に並べられた多種多様なぬいぐるみたちを睨んだ。

 

「……せーっ、の!」

 

そして勢い良く助走をつけ、セイバーいち押しのぬいぐるみ、クソデカレッドドラゴンドールに向けてダイブする。

 

それからまるで彼女を抱擁するかのように受け止める、柔らかな綿(コットン)が詰まった竜の腹。イリヤスフィールはそこにグリグリと顔を押し付けながら。

 

「むっふー」

 

満更でもなさそうにニヤケた顔で、ベッドの上で布団をかぶるのであった。

 

 






Q.アヴァロンは不老不死なのに魂を治せないの?

A.私はアヴァロンを魂の冷凍庫だと思ってます。劣化は防げるので持っていれば不老不死ですが、すでに腐ったものを冷凍庫に入れても新鮮な状態には戻らないようなイメージ……と解釈しています。

イリヤスフィールの本体はアインツベルンが刻んだ契約によって行動の自由を失っていますが、これは魔術契約(呪い)なのでアヴァロンで治癒できます(魔術契約を破ったときの代償の無効化)。なので治癒→自分のために聖杯を使用という流れも思いつきましたが、この場合アヴァロンを使用した時点でバラバラになった魂通りに治癒され結果肉片になり死亡→聖杯使用前に死んでしまう。と考えてます。つまりイリヤスフィールを救うにはもうひと工夫必要なわけですね。

ちなみにアヴァロンを持ったアーサー王は公式からして六次元まで干渉をシャットアウトできるというガチ無敵であり、真名解放して引きこもった場合勝てる存在はいません(千日手という意味で)。どのくらい無敵かというと五つの魔法を弾けるくらい無敵です。脅威度で言ったら慢心なし英雄王に匹敵するんじゃないかな。

そしてここのイリヤは言うまでもなくアンリ適正EX。まぁ、大聖杯にもうアンリいないから関係ないんだけど。

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