【2004】
◇
誰かが言った、エーデルフェルト家の次代は安泰だと。
フィンランドに居を構える貴族、エーデルフェルト家は宝石魔術の大家である。ルネサンス期から始まり、かの宝石の翁を大師父と仰ぐその家には、とある特徴があった。
代々引き継がれる特性であり、彼女らが『天秤』の二つ名で知られる由来。本来一子相伝たる後継者が常に二人存在するという、異色の家系。それがエーデルフェルトの特徴であった。
誰かが言った、エーデルフェルトの双子の姉──ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは、数百年続くエーデルフェルト家の歴史の中でも最も才能ある人物だと。
陽光が入り混じったような金髪を靡かせる、可憐かつ凛とした佇まい。その美しさはまさに太陽の女神のようだと、周囲は彼女を持て囃した。
そして彼女ほどの実力がある魔術師は、同世代を見渡しても数える程度しかお目にかかれないほど、ルヴィアゼリッタは神秘に愛された少女である。彼女は凡百の魔術師がいくつもの工程を要する術を、たったの
また、誰かが言った。妹君が出来損ないの分、姉君が優れた魔術師で助かったと。
エーデルフェルトが持つ天秤の二つ名の通り、彼らは常に二人の後継者を設ける。双子とは魔術的には鏡映しの同一人物として扱われ、多くの場合容姿、性格、才能が似通うものだ。だが今代の天秤に至っては、それは姉の方へと大きく傾いているようだった。
また、誰かが言った。唯一惜しむらくは、まだ彼女が誰とも婚約していないことだと。あれほどの容姿、血筋、才能であれば、どこであっても引く手数多なのに、
魔術の家系は、一般社会とは異なり古い貴族の慣習が未だ息づいている。だから生まれたときから許嫁がいるなんてことは比較的ありふれたことで、十代後半にもなって婚約者がいないルヴィアの方が、むしろ魔術社会では珍しかった。
そしてまた、誰かが言った。
もしやルヴィア様は生涯独り身を貫くおつもりなのか。それは困る。あの血を後世に残して貰ってこそ、エーデルフェルトに繁栄が訪れるのだ。
だが、もし仮に彼女が孤独を望むのだとすれば、周りが跡継ぎを産めなどと強制することはできない。魔術の社会は良くも悪くも実力主義、次期当主となるルヴィアにそのようなことを意見できる者は存在しない。
だからその場合は、妹君の方へ適当な男を見繕って、次代を産んでもらうしかないのだ。
妹君は姉君のルヴィアほど優れた魔術師の才能に恵まれなかったが、それでも双子の妹。母体としては申し分ない素材であり、名門エーデルフェルトの婿になれるとなれば優れた才能を持った魔術師の男を引っ張ってくることも可能だろう。生まれてくる次代が母方でなく父方の才能を引き継いでくれるのであれば、それはそれで構うまい。
しかしながら、その案には一つ問題があった。妹君には、どうにもすでに婚約者がいるらしい。その相手は幼いときから互いを好き合っている、幼馴染らしい。
そしてまた、誰かが言った。
「──認めてなるものですか」
そんな己の知らぬ場所で好き勝手に言っている輩の言葉を吐き捨てるように、ルヴィアは独り呟いた。
ふざけるな、なんだそれは。そのような愚かな行為を認めるというのであれば、もはや天秤だろうとなんだろうと知ったことではない。
「エーデルフェルトの次代は、この
今まで散々姉と比較され、罵られ、落胆され、挙句の果てに家での居場所を失くし、追いやられ、今ではひっそりとエーデルフェルト家の邸宅の隅の部屋で慎ましやかに暮らしていた妹は、けれどその苦労の果てにようやく、愛する者との未来を掴んだのだ。
『ありがとうございます、お姉様』
いつか見た記憶。妹は居場所を奪ったはずのルヴィアに向けて、笑顔を浮かべてそう言ったのだ。恨んでも良かったはずだ、憎んでも良かったはずだ。
『それから申し訳ありません。家のことを押し付けてしまって』
けれど妹がルヴィアに向けたのはそんな負の感情ではなく。
『
それは、無条件の信頼だった。
大人しい娘だった。とても荒事を得意とするような性質ではなく、各地の争いに介入してはその成果を奪い去るという家業を持つエーデルフェルトの当主には、とても相応しいとは言えない彼女。
けれど彼女は、どれだけ努力しようと、成果を見せようとも、“エーデルフェルトの当主として当然だ”と常に言われ続けてきたルヴィアを唯一。
『姉様は本当に、凄い人です』
褒めてくれたのだ。なんの裏もなく、純粋に。お世辞でもなく、本心で。
だからルヴィアはなんとしても、それだけは守らねばならぬと心に誓った。
「
実績が必要だった。周りすべてを黙らせるくらいに、確かな実績が。妹に次代を産ませるなどあり得ない、ルヴィアの子でなければならない、そう思わせるために。
かつて六十年前に第三次聖杯戦争に参加した、当時のエーデルフェルトの当主二人。彼女たちは姉妹でありながら、互いを憎しみ合い、挙句の果てに自滅という形で日本から逃げ帰ってきたのだという。
姉妹の特性。天秤の家系。それは否が応でも、姉妹での競争を強制する。形が違えば、自分と妹もまたそのような形で争っていたのかもしれないとルヴィアは思った。
当主を二人設けるとは言え、最終的にそのすべてを継承できるのは一人だけだ。魔術は一子相伝が原則で、家の財産は結局のところどちらかの子孫にしか受け継がれないのだから。毎度の如く分割相続などしていれば、家はとっくの昔に崩壊している。
カール大帝を輩出したことで知られる、かつて西ヨーロッパを支配したフランク王国が何故消滅したか。ヨーロッパにおいてそれを知らぬものはいるまい。
フランク族は長子だろうと第二子だろうと平等に領土を分割する相続法を取っていたために、その王国は三つに分断されて消滅したのだ。後のフランス、ドイツ、イタリアのひな形となった三つの王国は、もう二度と一つの国家として統合されることはなかった。
二人の当主を設けるなんてことは、あまりにも馬鹿げた行為だとその歴史が既に証明している。
この数百年はそれで上手くいっていたかもしれないが、歴史を紐解けばエーデルフェルトが何度その因習のために一族断絶の危機に陥ったか、考えるまでもなく察せられるだろう。
「そのような罪深い伝統は、
そして止めねばならないと分かっている伝統を誰も止めないと言うのならば、己がやるしかない。
かくて次代のエーデルフェルトの当主はその決意を新たに、因縁の地冬木へと向かったのだ。
◇
『成田空港発、大分空港行きの便は、突如発生した台風により欠航となりました。払い戻しをご希望のお客様は──』
「なんですの! タイフーンは夏が本番のはずでは!? 今は二月よ! 二月ですのよ!?」
成田空港国際線から国内線へと乗り換えようとしていたルヴィアは、異常気象のアナウンスが流れる空港ロビーにて嘆いた。
そして聖杯戦争が始まっておよそ三日遅れという、大遅刻をかましたのである。
◇
「おのれ
重苦しい旅行用の鞄を抱えながら、ルヴィアは悔しげに唇を噛んだ。
年季を感じさせる革製の鞄だ。ルヴィアの祖母の形見であるそれは、かつて祖母が聖杯戦争の折に使っていたものらしい。はっきり言えば聖杯戦争に負けた祖母の鞄なんて縁起が悪いので別のものにしたかったのだが、手持ちの品ではそれが一番優れていたので、仕方なく持ってきたのである。
エーデルフェルト家が発足したルネサンス期に作られたとされるその鞄は幻獣の革でできており、あらゆる魔術を弾く効果がある。数百年経っても現役であることから耐久性は抜群で、その上虚数魔術によって内側の時間は極限まで減速し、空間は拡張されているというまさに家宝と呼べる代物だ。
ルヴィアはそんな、自分の魔術礼装から着替えの服、そして大量の宝石が詰まっているにも関わらず重さが全く変わらない鞄を不思議そうに撫でた。中身の質量は一体どこに行ってしまったのか気になるところであるが、それを理解してしまうとその神秘が解けて唐突に鞄が重くなる可能性があるため、思考を中断する。
理解とは神秘にとっての天敵。触らぬ神秘に祟りなし、だ。
「と、そんなことを考えている場合ではありませんわ。まずはホテルにチェックインを……いえ、その前に教会にご挨拶に伺うべきですわね」
直行便に固執せず、一度福岡に行ってから地上ルートで冬木に来た方が良かったかもしれないと、今更ながらに彼女は後悔した。
「まぁ良いでしょう、遅刻しようとも
“そうでしょう?”とルヴィアが虚空に語りかけると。
『■■■──ッ!!!』
それに応えるように、彼女の頭の中でけたたましい咆哮が轟いた。
バーサーカー、その真名をヘラクレス。かのギリシャの大英雄という、とんでもなく大当たりな英雄の触媒をエーデルフェルトは手に入れたのだ。
その経緯は数年前に遡る。
ヘラクレスを祀る神殿の柱。その正体はヘラクレスが生前に使った斧剣という、特級聖遺物。そんな貴重品がある日、魔術社会のとあるオークションに出品され、大きな話題となったのだ。
神殿の柱に使えるくらいに大きな斧剣とは、さすが十二の試練を乗り越えた不死身の英雄。スケールが段違いだ。
古い神秘を宿した武具は英霊召喚の触媒以外にも様々な使い方がある。というより英霊召喚として使う方がむしろ珍しい例だが、ともかくそんな貴重な神話礼装の出現に際し、誰もがそれを手に入れようと躍起になった。
そしてそのオークションは最終的に世界各地で英雄の聖遺物を蒐集していたドイツの金持ち、アインツベルンの手に落札された──のだが、当然オークションに参加した他の魔術師たちが黙っているはずもなく、暴力沙汰でオークション会場は火の海になった。
そして地上で最も優美なハイエナことエーデルフェルトが、横からその景品を掻っ攫って行ったのである。それはエーデルフェルトの歴史に、また新たな漁夫の利伝説が刻まれた瞬間だった。
なお当時のアインツベルンから『次に会ったときが、お前たちエーデルフェルトの死だ(意訳)』と
まぁ、アインツベルンはそもそもどの家ともあまり交流がないので、絶縁状など出しても意味がないのだが、そんな意味のないことをわざわざやるくらいにはブチ切れていたらしい。
「う、うるさっ……静かになさい、バーサーカー! 念話で吠えるなと、何度も申し付けたはずです!」
『■■……』
頭の中に響く咆哮に頭痛を覚えたルヴィアは、ピシリとペットを躾するかのようにバーサーカーを叱った。主に叱られ、しゅんと唸る大英雄。
「まったく、これでは何のために令呪一画を使ったのか分かりませんわ……」
ルヴィアは頭を抱えて嘆息すると、己の右手の甲にある一画欠けた令呪を見た。天秤の形をした赤い聖痕のうち、片方の皿が欠けている。あまりにも聞かん坊なバーサーカーと円滑に意思疎通するために、彼女はそれを消費したのだ。
狂戦士以外のクラスで呼び出した方が良かったかもしれない、という疑念がルヴィアの胸に浮かぶ。
霊脈に馴染ませるため、現地での召喚を望んだことが仇となった。わざわざフィンランドから石柱を海上ルートで事前に冬木に輸送し、その後ルヴィアが飛行機にて現着、そしてヘラクレスを三騎士で召喚……と行きたかったのだが、生憎の悪天候でルヴィアの到着が遅れてしまい、唯一空いていた枠のバーサーカーでの召喚となってしまったのである。
とはいえ筋肉こそパワー、レスリングは淑女の嗜み、肉弾戦もまた魔術戦と豪語するルヴィアとしては、バーサーカーに対して戦力としての不満はない。技量は下がったが、その分筋力は強化されているのだ。並大抵のサーヴァントなら、バーサーカーに殴られただけで絶命するだろう。
故に不満があるとすれば。それは燃費が頗る悪い、その一点にある。例えるなら通常サーヴァントが日本車程度の燃費なのに対し、彼はアメリカ車を超えてディーゼル機関車並みの
彼が現界し戦闘しただけで、ルヴィアが丹精込めて貯めてきた虎の子の魔力石がポンと跳んで行く。ルヴィアはその消費を惜しむほどケチではないつもりだが、こうもバカスカ魔力を持っていかれては、彼を使うのも慎重になるというものだ。
敵を殺す前に己が魔力を絞られすぎて餓死する、など笑い話にもならない。ルヴィアはかつての第三次のときのように、エーデルフェルトに汚名を刻むなど絶対にごめんだった。
「ともかく、まずは監督役のいる教会に向かいましょう。この三日間でどのような進展があったのか、それを確かめなければなりませんもの」
そう言ってルヴィアは新都、丘の上にある教会を目指した。これからとある少年と、運命的な出会いを経験することを知らずに。
◇
「残るマスターはたったの二人ですって!?」
丘の上の教会にある来賓用の客間に、乙女の悲鳴が響いた。
「正確にはあなたを入れて三人です、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト」
驚きのあまり席から立ち上がったルヴィアの様子を聖杯戦争の監督役、コトミネ・カレンは静かに見つめている。
「それにしても、てっきり今回の聖杯戦争では七人目が不参加だと思っていました。それがまさか、今さら参加しようと現れるなんて」
紅茶を口に含みながら、カレンは大遅刻をかましたお馬鹿さんを愉快げな視線で見つめる。その視線を受けてルヴィアは“うぐっ……”と言葉を詰まらせると、大人しく席に座る。
「おほん、失礼。いきなり席を立つなど淑女の礼儀を欠いておりましたわ。ごめんあそばせ」
そう言って恥ずかしさを誤魔化すように紅茶のカップに口をつけた。
その反応がカレンには、どこか幼馴染の少女と似ているように感じた。
(そう言えば、確か凛は“エーデルフェルトは遠戚”と言っていたわね)
カレンもまた紅茶を堪能しながら、マジマジと目の前のフィンランド版遠坂凛を見つめた。
もしかしたら彼女も自分にとって美味しいターゲットの一人になってくれるのかも、などと思いながら、カレンは茶請けのマカロンを口にしてペロリと舌なめずりをする。
その美しいうなじから背中に氷をぶち込んでやれば、さぞ愉快な悲鳴を上げてくれるに違いない。あるいはヒールの内側にニュルニュルしたナニカを入れておくのも良いだろう。外出しようとした淑女が玄関で転げ回る姿を想像して、カレンはゴクリと生唾を飲んだ。
その貴族然とした外殻を無理やり暴いてやりたい。剥き出しになった少女としてのルヴィアを見て、ゲラゲラと指を指して笑ってやりたい。そんな欲望がカレンの内側にふつふつと湧いてくる。
ああ、もしやルヴィアと出会ったことは『彼女を虐めて良いよ』という天啓なのではなかろうか。今日まで真面目に頑張ってきたご褒美として、神様がチャンスをくれたのではないだろうか。きっとそうに違いない。最近は凛を虐めるのもマンネリ化してきて、そろそろ味変が必要かなと思っていたところだし、丁度良い。
「ふふ、ふふふ……」
「もし、シスター。先ほどから上の空ですが、
「はい。いいえ、聞いていません。何の話でしょうか」
未来予想図に花を咲かせていたカレンはルヴィアの声で現実に引き戻されると、あっけらかんとそう言った。
「………………」
それに対し絶句するルヴィア。あまり長話をしたわけでもないのに、目の前のシスターがさぞアクのある人物に違いないと彼女は気づき始めた。
そしてその直感は実に大正解だと言えよう。
「おほん。ではもう一度お聞きしますが、いくらなんでもたった三日で約半数のマスターが脱落するなんて早すぎるのではなくて? 何かイレギュラーな事態でも起きているのかしら」
言葉にできない悪寒を感じつつも、ルヴィアは現状の更なる情報を求める。
聖杯戦争が始まってまだたった三日だ。前哨戦があったとしても、いくらなんでも脱落者が多すぎる。
「何もおかしなことはありません。早いうちに聖杯戦争が幕を閉じる、そういうこともあるでしょう。第一次や第二次ではそうであったと聞いておりますし、そもそも聖杯戦争がおおよそ二週間で終わるのは、それが聖杯戦争の限界だからです。二週間を超えると、聖杯の神秘は冬木に降臨することなく消える。故に早く終わる分には何の問題もない、そうではなくて?」
「それは、そうかもしれませんが……」
あまりに展開が早い、その事実に警戒を強めるルヴィア。願わくばより詳しい話を聞きたいところだが。
「私は聖堂教会より定められた聖杯戦争の監督役です。あなたへの過剰な情報の開示は中立違反にあたります」
と言って、目の前のシスターは取り付く島もなかった。
「とはいえ、教会のシスターとして善意からの助言は致します」
「助言?」
「はい。脱落した他マスターは皆同じマスターによって殺害されています。対峙すれば、恐らくはあなたも殺されることでしょう。生き残りたければ、なるべく早く教会の門を叩くよう心しておくように」
それを聞いて“そのようなことは覚悟の上ですわ”と、ルヴィアは言った。
もとより彼女は命を賭けるつもりでこの戦場に来ている。かつて第三次聖杯戦争に参加したエーデルフェルトの魔術師の二人のうち、ルヴィアの祖母の妹──ルヴィアから見て大叔母にあたる人物は亡くなっているのだ。当然、自分がそうなることをルヴィアは覚悟していた。
無論覚悟しているだけで、敗れるつもりなどさらさらない。ルヴィアがこの教会に訪れるのは、これが最初で最後になるだろう。
「しかし、同じマスターにですか。たった三日で四人ものマスター、四騎ものサーヴァントを下してみせるとは、きっとかなりの強敵ですわね」
シスターカレンが伝えてくれたそれは、ルヴィアにとって有益な情報に違いなかった。同じマスターに殺されている、ということは現状その人物がおおよその優勝候補なのは間違いないだろう。そしてその人物のサーヴァントは十中八九セイバーだ。なにせ過去の聖杯戦争でことごとく最後まで生き残ったのは、最優と呼ばれる剣士のサーヴァントであったのだから。
カレンが空になったカップに紅茶を注ぎ、“あなたは?”とルヴィアにも問う。気づいたときには、ルヴィアのカップも空になっていたので、彼女は“是非”と言って頷いた。
出されたお茶菓子がそれはもう好みの味だったので、思わずお茶が進んでしまったようだ。
「このマカロン、とても美味しいですわね。どこのものでしょう?」
日本は何でもかんでも
「気に入ったのですか? ですが残念ながらそれは手作りのものです。簡単に手に入るものではないので、諦めなさい」
残念ながらそれはとある料理男子が作ったものであるため、この教会でもなければそうそうお目にかかれる代物ではないのだった。
それを聞いて“そうですか”と、少しばかり残念そうに眉尻を下げるルヴィア。そんな彼女を見たカレンは自分の皿の上にあったマカロンを口に含み、“ああ、とっても美味しい”などとこれ見よがしに感想を口にした。
ルヴィアは羨ましげに最後のマカロンがシスターの口に収まるのを見届け、カレンはそんな彼女の表情を見てニヤニヤと意地悪く口元を歪めた。
ひもじい思いをする者の前で、豊かさを誇示するかの如き表情。やってることが風刺画にあるような成金のそれである。
「……ところであなた。このあとはどうするつもりなのかしら」
茶菓子の味と、ルヴィアの表情を堪能したカレンは満足そうに口元をハンカチで拭う。
「
「あら、無駄なことをするのですね。今さら工房なんて、潰されておしまいでしょうに」
「む……」
自分の工房はそうやすやすと突破されるような柔なものではないと言い返そうとして、ルヴィアは思い留まった。
魔術師の工房は城だ。それは時間をかけて建てるからこそ堅牢で、攻め落とされにくくなる。大遅刻をしたルヴィアが今さら一夜城を築いたところで、カレンの言うとおり潰されて終わる確率が高いのが事実だった。
「そうですわね。もとより
「観光ね、良いと思います」
「観光ではありませんわ!」
“日本なんて文化後進国に、
なお日本文化は文化として勘定に入れていない。魔術の歴史が浅い極東の田舎者が作るものなど、文化ではないのだ。
先祖の因縁からか、彼女は日本というものにかなり分厚い色眼鏡を持っている。そりゃあ祖母の代から『日本は野蛮な国』、『日本人は信用するな』などと言われてきたのだから、ルヴィアがナチュラル日本嫌いに育ってしまうのも無理はないのだ。
「その評価は聞き捨てなりませんね、ルヴィアゼリッタ。偏見も極まれば侮辱と言うものです。少なくとも冬木には、それなりに目を見張るものがあると私が保証しましょう」
そんなルヴィアの罵詈雑言を聞いてむっと顔を顰めるカレン。彼女は彼女なりに地元愛が強いので、冬木のことを貶されると気分が悪い。
なにせ彼女が悪魔祓い《エクソシスト》や
「あら、では例えばそれは何だと仰るのかしら」
冬木にも価値がある、というのであればそれを示せとルヴィアは言った。
「そうですね、この冬木の人間は他とは違って特別です」
「特別?」
「虐めると反応が面白いのです」
あまりにも主観かつ独特な物差しでの評価に、ルヴィアは思わず紅茶にむせて咳込んだ。
「薄々気づいておりましたがあなた、碌な性根ではありませんわね! それでも聖堂教会のシスター、それも聖杯戦争の監督役ですか!」
「あら、心外ね。私はこれでも人一倍信仰心があるし、仕事だってきちんとこなしています。そんな風に言われる筋合いはありません」
そう言うと彼女は自信満々に胸を張った。前回の聖杯戦争を引っかき回そうとして、裁定者のサーヴァントから処罰を受けた父や祖父よりは遥かに真っ当に監督役をしていると、カレンは自負しているのだから。
「ところで話を戻しますが、冬木を見て回るなら──」
カレンが紅茶のカップをソーサーに置き、口を開く。
その、次の瞬間。
ドンガラガッシャン! と、教会の中に物音が響いた。それから何か言い争うような声が聞こえる。
「……もしかしてあなたの他に、教会に誰かいらっしゃるのですか?」
「──ええ、実は個人的に猿を飼っておりまして」
額に青筋を浮かべながら、カレンは“おほほ”と口に手を当てお上品に笑った。
「さ、猿? それはまた随分と特殊な……」
「はい、これがもう言うことは聞かないし散々暴れるし、猿同士で何度も喧嘩してしまうのです。そういうときは
席から立ち上がりビシンッと、
「物理的に躾けているのですが」
天使の微笑みにしか見えないのに、まるで悪魔に睨まれてるような気分になったルヴィア。彼女は急変したカレンの様子に背筋を震わせ、その背中を見送った。
「……ああ、そうでした。先ほどの言葉の続きですが、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト」
言い残したことがあるとばかりに、一度部屋を出たカレンが扉の向こうからひょっと顔を出す。
「な、何でしょう?」
「あなた、この街の案内は必要ですか? 必要ならば人を寄越しますが」
「……それは、ええ、案内をしてくれるというのであれば、
“ですが誰が? まさかあなたが案内してくれるとでも?”と、疑問の視線がカレンを射抜く。
それに対しカレンは愉悦の笑みを浮かべて、こう答えるのだった。
◇
『──うちのアルバイトを紹介してあげましょう!』
カレンはそう言うと何も知らない士郎を呼び出し、彼にルヴィアを押し付けた。
■■士郎。この冬木の教会の料理長にして雑用のバイトをしている、ごくごく普通の一般人。
そして彼はカレンが裏で『魔術師殺し』と密かに呼んでいる男でもある。その異名は、彼と出会ったカレンの周りの魔術師たちがみんな彼を好きになってしまうという、ハートキラーな性質から来ていた。
そんな男と、こんなテンプレみたいな日本人嫌いの外国産金髪縦ロールお嬢様魔術師が出会ったらどうなるのか。カレンはもうワクワクが止まらなかった。
「壮大な化学反応を期待していますよ、士郎。ふふ、ふふふふ──!」
暗い笑みを浮かべながら、地下室で魔女のように笑うカレン。
「相変わらず良い趣味してるよな、おま──ふげっ!」
そんな彼女に向けて天井に吊るされた慎二くんが余計な口を挟んで、聖骸布に頬を打たれた。手加減されていたのかそのビンタは痛くはなかったが、扱いの酷さに心が傷ついたため慎二は泣いた。
そしてその横では二人の女性が、“むー! むー!”と猿轡越しに叫びながら涙目で吊るされている。
外部から聖杯戦争の関係者が来るから静かにしておけと言ったのに、最後に残った士郎のマカロンを誰が食べるかなんて下らない争いで音を立てた罰だ。これから想い人がどこぞの馬の骨とも知れぬ女とデートする光景を見て、存分に脳を破壊されると良い。
「では、上映開始です」
そうしてカレンは馬鹿者たちが取り合っていた最後のマカロンを口にしながら、彼女の
特別な眼がなければ感知できない、カレンでさえも声を聞くことしかできない存在たち。悪戯好きな彼らは、いつだってカレンの力になってくれる。
そして彼らの力を引き出して出歯亀することなど、かつて優れた魔女から魔術を学んだカレンには容易かった。
そして覗き見される士郎とルヴィアにとっては残念ながら、プライバシーなんて概念は魔術社会には存在しないのである。
「あの、私はどうしたら良いのでしょうか」
ウッキウキな様子でテレビのリモコンを握るカレンの横で、マカロン争奪戦に参加しなかったバゼットが遠慮がちに耳打ちした。彼女は腹を満たせれば何でも良いと思っているので、食事にはあまり頓着しないタイプである。
そんな彼女に向けて、カレンは目線で告げる。今からお愉しみなので、決して邪魔するんじゃないぞと。
そして本棚から一冊の本を取り出して、それを無造作に投げつけた。
「あなたは隅っこで求人誌でも読んでなさい、バゼット」
あんまりな扱いにバゼットは泣いた。
そして悪の城で笑うのは、城主たるカレンただ一人だけになったのである。
更新するなら
-
まとめて
-
一話ずつ