アーサー王(史実)がしたこと   作:妄想壁の崩壊

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冬木でしたこと【20】

 

 

色とりどりの宝石が夜空を切り裂き、飛来する。軌跡を描くそれは流れ星のように美しく、けれど残酷にも、たった一人の少女の命を穿つために放たれた兵器である。

 

銀髪の少女──イリヤスフィールは、自身の髪を鞭のようにしならせると、それを蚕の繭のように全身に纏わせた。

 

蚕。絹糸を紡ぐその虫は、人間に家畜化された昆虫だ。蛹になっても羽化を許されることなく、ただひたすらに糸を搾取され続ける。

 

イリヤスフィールはその虫が、まるでアインツベルンに改造されつつも、最終的に何モノになることもない自分のようだと自嘲しながら、迫り来る魔弾を弾いて無力化した。

 

宝石魔術。遠坂凛と同系統の術だ。純粋な威力だけで言えば、以前戦った凛のソレに匹敵する。だがそれはつまり、ルヴィアにはイリヤスフィールの髪を突破する決定打がないことを意味していた。

 

(わたくし)の宝石を、こうも容易く弾いて見せますか……!」

 

ゴールネットがボールを受け止めるかのように、軽く弛んで衝撃を吸収する銀髪。それを見て、ルヴィアは苦々しげに口元を歪めた。呆れた防御力とでも言いたいのだろう。

 

もっとも、これは決して絶対防御などと呼べる代物ではない。繭をまとったイリヤはその間動けなくなるし、英霊の宝具──特に刃物の類──は防げない。何より先日バゼットが繰り出したような内部破壊攻撃には無力なのだ。

 

あくまでもそれが『貫通』の属性を持った弾丸であり、かつ『面』の属性を持った爆発の攻撃である宝石魔術だからこそ防げるというだけの話。もしこれが『切断』の属性に特化した風魔術であれば、もう少し苦労していただろう。

 

真に絶対無敵の防御というものは、セイバーが持つ伝説の鞘『全て遠き理想郷(アヴァロン)』のようなもののことを言うのだ。あれは地上と星の内海を分かつ境界そのものであり、何者であれ破ることなどできないのだから。

 

「それにしても」

 

魔弾を弾き、銀糸の斬撃で牽制しながら、イリヤは目の前の女のセンスのなさに呆れていた。

 

戦場に選ばれたのは、デパートの屋外にある立体駐車場の五階。

 

人避けの結界を敷き、さらには匿名で『爆発物が見つかった』などと嘘の風聞を流して誘導したため、この戦いによる人命の被害はないだろう。しかし、それでも駐車されている車両の方には甚大な被害が出る。なんだってこんな場所を指定したのか。

 

さては、アインツベルンに匹敵する富を誇るエーデルフェルトのことだ。壊れたものは金で補償すれば良いとでも思っているのかもしれない。

 

だから魔術師は嫌いなんだと、イリヤは内心で目の前の女を蔑んだ。奴らは一度物を壊しても、また直せば良いと傲慢に開き直る。まったく、神秘使いどもは揃いも揃って思い上がりも甚だしい。お前らは神なんかじゃない。壊したものは決して元には戻らないし、進んだ時間は過去には戻らないのだ。

 

だというのに、意味もなく『  (過去)』を目指して神秘に縋って。なんて下らない連中だろうか。

 

「ところであなた、サーヴァントを連れずに宜しかったのかしら?」

 

銀糸と流星が乱舞する死線の最中、不意にルヴィアがそんな言葉を投げかけてきた。

 

「……はあ? 今さら何。もしかしてサーヴァント戦をするつもりだったの? てっきり私は、サーヴァント抜きで白黒つけるつもりなのかと思ったのだけれど」

 

馬鹿なのはこいつか、と。イリヤスフィールは侮蔑の色を強く顔に浮かべる。

 

サーヴァントとは、人の身には御し得ない英霊たちだ。いくら人避けの魔術で隠匿を図っているとはいえ、サーヴァント同士の戦闘など、一般人に超常現象の存在を暴露するようなものだろう。

 

「無論、そのつもりでしてよ。ですからこれはただの確認、善意の質問ですの。負けてしまったときにサーヴァントがいなければ、逃げることもできないでしょう?」

 

バーサーカーを呼び出せば、イリヤなど簡単に潰してしまえるだろうに、ルヴィアはそれをしなかった。それは敵がサーヴァントを出さないなら自分も出さないという貴族としての矜持であり、アインツベルンのマスターを己の力のみで組み伏せてみせるという魔術師としての自負だった。

 

「そう。ならなおさら要らないじゃない。だって、負けるのは──」

 

その言葉を舐められていると受け取ったイリヤは、十の指に糸を這わせ、苛烈な斬撃の網を繰り出す。

 

「あなたなんだし?」

 

一般市民の財産を気にかけているよりも、あの敵をさっさと殺して戦いを終わらせた方が、トータルで見れば有益だ。そう結論づけた彼女は遠慮を捨て、容赦なく目の前の空間すべてを切り刻む。

 

車両のルーフがひしゃげて潰れ、防犯サイレンがけたたましく鳴り響く。ガソリンが引火し、次々と爆発炎上していく。

 

「その言葉、そっくりそのままお返ししますわ──!」

 

立ち昇る黒煙と炎の中から、いつの間にかノースリーブに改造された青いドレスの女が飛び込んできた。彼女の両手、十の指に挟まれた八つの宝石が解き放たれる。

 

トパーズ、エメラルド、ルビー、サファイア。

 

四大元素を象徴するその最高級の宝石たちが、ただの矢弾として使い捨てられていく。その様を表社会の宝石商たちが見れば、顔を真っ青にして絶叫していただろう。あるいは、同じ宝石魔術の使い手でありながら家計がカツカツな遠坂凛が見ていれば、ショックで卒倒していたに違いない。

 

「無駄だと分からないのかしら──!」

 

効きやしないというのに、何度も放たれる宝石にいい加減辟易してくるイリヤ。

 

だがそんな一般人の銀行口座を軽く吹っ飛ばしてしまえる額の弾幕も、ルヴィアゼリッタには単なる煙幕に過ぎなかったらしい。

 

「いただきましたわっ!」

 

ルヴィアの拳が、鈍い音を立ててイリヤの腹部にのめり込んだ。

 

「うぐ……っ!」

 

小さく、悲鳴が上がる。

 

中身の臓器が取り除かれ、その代わりに魔術回路が詰まっているせいで同年代の少女の平均体重よりずっと軽い彼女の身体は、簡単に吹き飛ばされて立体駐車場のコンクリート柱に叩きつけられた。

 

(このっ……なんでどいつもこいつも、魔術師のくせに近接戦闘なんか……!)

 

先日の反省を活かし、衣服の下にインナーとして髪をまとわりつかせていたおかげで致命傷は避けられた。だが、無傷ではない。横隔膜が激しく痙攣を起こし、呼吸が満足にできない。息を整えるまで数十秒。その間、イリヤの身体は酸素を取り込めないし、魔術の呪文を詠唱することもできない。

 

「終幕ですわ、アインツベルン。二千年続く家系だろうと、あなたは所詮は被造物。このエーデルフェルトには敵わぬとその血に刻み込みなさい」

 

突き立てられた人差し指。その銃口が、倒れ伏すイリヤに向けられる。

 

指先に籠もるは北欧の呪いガンド──それも、一撃で命を刈り取る『フィンの一撃』と呼ばれる上級呪詛だ。当たれば心臓が停止する。

 

(こうなったら、自爆してこいつもろとも……っ!)

 

イリヤはうつぶせに倒れ込んだまま、腹の下で手印を結んだ。

 

神秘を引き出す手段は、何も言葉による詠唱だけではない。一連の動作でもって世界に語りかける儀式、方陣、そして手の細かな動作で神秘を象る手印など様々ある。表の社会に手話という語らぬ言語があるように、神秘にも語らぬ神秘があるのだ。

 

理導(シュトラセ)開通(ゲーエン)──)

 

それから、一気に魔力を解放する『発散(ブレッヘン)』へと繋げようとして──しかし不意に、イリヤの脳裏に彼のことが思い浮かんだ。

 

(……っ、収束(バオエン)!)

 

サプライズがあると言ってくれた。だから、たとえ蘇生されるのだとしても、彼のサプライズを見る前に死ぬのだけは嫌だった。

 

合わせた両手から莫大な魔力が迸り、それは銀糸という名の電線を伝って、周囲の瓦礫の山へと注がれていく。

 

「……ッ、何ですの!?」

 

ブォン、と鉄の心臓(エンジン)が唸り声を上げた。

 

イリヤの糸が神経になり、破壊された車の鋼板が細胞になる。そうして出来上がった歪な鉄の人形が、ルヴィアの背後で、ギアでできた丸鋸モドキを振りかぶった。

 

「悪趣味ですわね!」

 

ルヴィアは、現代技術と神秘の間の子として誕生した自動人形(オートマタ)を見て吐き捨てた。

 

両手に装備された回転するギアは、火花を散らしながらコンクリートの柱を穿ち、飛び散った破片がルヴィアの白い頬をかすめて傷つける。

 

基本的に科学技術と神秘は相容れない。あのようなロボット染みた礼装は、作り出したとしてもものの数分で神秘が霧散し、使い物にならなくなるのだが──。

 

「全然悪趣味なんかじゃないわ。むしろ格好良いでしょ。まったく……趣味が悪いのはあなたよ、魔術師」

 

イリヤが体勢を立て直すには、その数分だけで十分だった。

 

宝石の魔弾によって鋼の人形が斃されるその背後で、冬の少女が再び立ち上がる。

 

(シュピーゲル)収束(バオエン)指令(セット)──あいつを殺しなさい」

 

それから鋼の人形の仇討ちとばかりに、今度は無数の糸人形たちが二人の間に躍り出た。

 

 

 

 

一人の男が、まるで上昇気流でも巻き起こすかのような速度で立体駐車場の階段を駆け上がっていた。

 

二階、三階と周囲を見渡して探し人がいないことを察すると、すぐさま上の階へと移動を開始する。四階を調べようとしたその瞬間、頭上から激しい爆発音が轟いた。

 

「──上か」

 

爆音による耳鳴りが収まると、上階からは女たちの声が聞こえてくる。彼の主イリヤスフィールと、それとは別の、芯の通った貴人らしき人物の声だ。

 

「掛かりましたわね。ハイエナは盗みだけではなく、狩りもするということをその身をもって知りなさい!」

 

「……っ、足を吹っ飛ばしたくらいで良い気になっちゃって。罠を張っていたのが自分だけだと思ってたのかしら? その愚かさのツケを支払ってもらうわ、エーデルフェルト。バラバラになって死んじゃえ──ッ!」

 

現代風の衣装に身を包んだ男──イリヤのサーヴァントであるセイバーは、四階の塀から外へ身を投げた。彼が普通の人間ならば大地の染みとなるところだが。

 

「風よ!」

 

生憎だが、そうはならない。彼もまた、上階で戦う少女たちと同じく神秘を統べる者。

 

呼びかけに応じた旋風がセイバーの身体を持ち上げ、彼は空を蹴って五階の戦場へと乱入した。

 

第一に目にしたのは、膝から下を失い、地べたに座り込んだ己のマスターが、その銀糸で敵のマスターを切り刻もうとしている光景。

 

第二に目にしたのは、青いドレスを纏った金髪の少女が、体中から血を流しながらも、指先からイリヤスフィールに向けて必殺の呪いを放とうとしている瞬間。

 

「さて。叱るのは後にしてあげよう、マスター。ここは一旦退こうか」

 

「セイバー!?」

 

彼はすかさず動けなくなったマスターを横抱きにすると、今度は逃れるために空中へと身を投げ出した。

 

「待ちなさい、アインツベルン!」

 

急に抱きかかえられたせいでイリヤの狙いが逸れ、その結果、斬撃はルヴィアの首ではなくその美しき縦ロールの髪を一房持っていくだけに終わった。どうにもアンバランスなシルエットになったルヴィアゼリッタが、下へと逃れる二人に向けて吠える。

 

「レディ、続きは夜にしよう! 生憎だが、少年一人が私を追いかけてこちらに来てしまっていてね。神秘の秘匿を暴かれるのは、そちらも望むところではないだろう!」

 

セイバーはそう捨て台詞を吐くと、背後に迫るガンドの追撃を風の盾で弾きながら姿を消した。風の属性が持つ光の屈折の効果による、不可視化の魔術である。

 

「なんで……あと少しで殺せたところだったのに……」

 

胸の中で、少女が苦しそうに不満を漏らした。失った足の傷が激しく痛むのだろう。いっそ死んでしまえば、蘇生で全てがリセットされたのかもしれない。しかし、セイバーとしては彼女にこれ以上の死を経験して欲しくはなかった。ゆえに、こうしてエゴを押し通して彼女を連れ去っている。

 

「あのままなら君も死んでいただろう? それに彼女にも言った通り、一般市民がすぐ側に来ていたんだ。彼らを巻き込むのは、君の望むところではないはずだ」

 

「嘘、ちゃんと人避けの結界は張ったはずよ。一般市民が入ってくるなんてことは……」

 

「何事も例外やアクシデントは付き物だよ。しかしまったく、昼間からこうも暴れるなんて君らしくない」

 

街灯を足場にしながら、セイバーは人気のない路地へと舞い降りた。イリヤは荒く呼吸をしながら、黙ってセイバーの胸に頭を預けていた。

 

「さっさと倒して、あなたのところに戻るつもりだったの。……デートの邪魔、されたくなかったから」

 

足の切断面を糸で懸命に止血しながら、少女はそんな健気なことを呟く。

 

「そうか。けれど、次は私も戦わせてくれ。みすみす主だけを戦わせてしまっては騎士の名折れだ。念話で呼ぶか、あるいは令呪を使ってくれても構わないのだから」

 

「……うん、そうする」

 

イリヤスフィールは小さく頷き、それから限界を迎えたように意識を失った。セイバーの腕の中で微かな吐息を漏らすその姿は、つい先程まで殺し合いをしていた冷酷な魔術師には到底見えない。

 

彼は眠り姫を起こさないように優しく抱き直すと、郊外にあるアインツベルンの城を目指して歩き出す。道中に公衆電話があったはずだ。それを使ってセラとリーゼリットに車で迎えに来てもらおう、などと考えながら、セイバーは少女の銀髪をそっと撫でる。

 

「……私もそろそろ、身の振り方を考えないとな」

 

それは本当は武器なんかじゃなく、少女の美しさを彩るためのものであるべきで。そうであるからこそ同じように少女もまた、道具ではなく、ただの人として生きるべきに違いない。

 

 

 

 

夢を見た。とある少年の夢だ。

 

生まれたときからこの世のすべてを見通していた彼は、色のない、無味無臭な人生を送っていた。

 

それが変わったのは、黄金の剣を引き抜いてからだ。王になった彼は、それまでの大人しい性格が嘘のように、数々の輝かしい伝説を打ち立てた。

 

けれど、彼に待っていたのはすべてが無駄になるというあまりにも残酷な現実で、かくてアーサー王伝説は偽りの歴史──単なる夢物語として歴史の闇に消え、人々の記憶に語られるだけの概念となってしまった。

 

抑止力。人類が歩むべき道筋を定め、そこから逸脱したモノを排除する生存本能にして、世界の維持機構。彼らは騎士王が世界を変えて、歴史にその名を刻むことを望まなかったのだ。

 

だから、彼は結局やりたいことは中途半端なまま、やりたくない面倒事ばかりを押し付けられることとなった。優先度の低い村を徴発して口減らしをするとか、裏切り者の粛清とか、自分が率いた国の最期を看取るとか。並の人間なら目を逸らしたくなるような、けれど誰かがやらなければならない汚れ仕事ばかりを。

 

本当は冒険とか、旅とか、そういったことがしたかったはずだったのに。

 

だからこそ。

 

『──第二次聖杯探索の始まりだ』

 

その伝説が終わった後に紡いだ、誰に知られることのない旅は、彼にとって何よりも輝かしい宝物となったのだろう。

 

かつての怨敵との、呉越同舟の旅。胸に宿した願いを秘して聖杯を求めたその旅路はおよそ三年ほどの、彼が歩んだ生涯と比べれば随分と短い旅路に過ぎない。

 

けれどその三年の間に、彼は多くのものを見た。美しいもの、醜いもの。中世に入り破壊されていく古代の微睡みと、それでもなお明日を生きようとする人々の力強い姿。ブリテン島よりもずっと貧しい国、ブリテン島よりもずっと豊かな国。見渡す限りの死が続く砂原、中天にあってなお凍える寒さの高原。世界の中心にして東洋のローマたる中華世界、太陽の国にして東洋のブリテン島たる日本。

 

楽しかった。ただただ、それは楽しかった。だからその旅はきっと、死に行く彼への世界からの最大の福音だったのだ。

 

そうして彼は旅の果てに、己の内側にこの世のすべてを収め、人ではなく機構となってその生涯の幕を閉じた。かつて自分が経験したような決まりきった定めのある世界ではない、書き記された筋書き(シナリオ)のない世界が実現することを信じて。

 

「これ、あなたのものだったんだね。セイバー」

 

夢の中で、イリヤスフィールは首にかけたロザリオを握り締めた。由来の分からなかったそれは、かの騎士王が生涯祈りを捧げた聖遺物であったらしい。

 

「だからセイバーは、セイバーなんだ」

 

その事実に得心のいく納得を覚える。事前に聞いた情報では、曰く騎士王は少女であったという。だが実際、イリヤが目にしたのは想像通りの端正な男性騎士であった。どこかで情報の食い違いがあったのかとも思ったが、何のことはない。騎士王は騎士王でも、彼はこの世界ではなく別の世界の存在だったのだ。

 

上位意思による剪定ではなく、新たな可能性を目指して系統樹から離れ、逸脱した世界線の。

 

「けど、そうなるとどうしてこれは私の手元にあるのかしら」

 

ロザリオを掲げ、少女は不思議そうに首を傾げた。

 

希望導く祈りの環十字(プリドゥエン)』──守護、治癒に加えて、想いを繋ぐという性質を持った宝具。いつからかそれは、それを必要とする者のところへ時空を超えて馳せ参じるという、不思議な運命力を持つようになった。

 

そして夢の記録によれば、それは彼と共に旅をした人──魔女モルガンへと手渡されたはずだった。

 

だというのに、これが今、彼女の手元にある理由は一体──?

 

「……っ」

 

その核心に触れようとした瞬間、頭が割れるような激痛がイリヤを襲った。それはこの夢を見るうちに何度も経験した痛みだ。初めはサーヴァントの記憶が流れ込んでくることによる副作用かとも思ったが、どうやらそうではない。

 

何故ならその頭痛は、決まって魔女の顔を見ようとするときだけに起こるのだから。

 

「私は……」

 

少女の前に、一人の女が立っている。この旅路の果てに、伝説と同じく弟の最期を看取った彼女。

 

少女と同じ銀色の髪。けれど、赤い瞳の自分とは対照的な、羨ましいくらいに美しい青い瞳。

 

その瞳が、どこか少女には──。

 

「彼女を知ってる……?」

 

あまりにも懐かしく思えて、仕方がなかった。

 

 

 

 

「……」

 

「……」

 

傷ついた少女を背負って、少年は冬木大橋を歩いていた。

 

未遠川を遡るように吹き付ける二月の風が、容赦なく彼の体温を奪っていく。フィンランド出身のルヴィアにとってはともかく、生まれも育ちも冬木一筋の士郎は言うなれば温室育ちだ。他の土地と比較して温暖とされる冬木の冬であっても、他の土地の寒さを知らぬ彼にはこの風の冷たさが身に染みる。

 

冷える身体とは対照的に、背中からはピッタリと密着する乙女の熱が伝わってきた。

 

前後の記憶がなぜか曖昧で、自分がどうして彼女を背負って歩いているのかも分からないままに、彼はただひたすら目的地を目指して足を動かしている。

 

「あなたに、命を救われてしまいましたわね。……一応、感謝して差し上げます」

 

「……ええと、何の話でしょうか?」

 

全く心当たりのない礼に、戸惑いながら敬語で質問する士郎。対してルヴィアは“お気になさらず、ただの独り言ですわ”と言って、また黙り込んでしまった。

 

イリヤスフィールとルヴィアゼリッタの戦いは、相討ちとなって終わった。いいや、より正しく表現するならその戦いは相討ちとなる直前に、二人の男によって中断されたのだ。

 

イリヤを連れ去ったセイバーと、今まさにルヴィアを背負っているこのお馬鹿さんによって。

 

「ルヴィア!」

 

まだ一時間も経っていない、少し前の話。人避けの結界が張ってあるはずの場所に、彼は今にも倒れそうなルヴィアのもとへやってきて、その身体が床に落ちる直前に抱きとめてくれた。

 

「シェロ!? あなた、どうしてここに? ここには人避けの結界が──」

 

それから、士郎の胸に大事そうに抱えられた己の鞄を見て、ルヴィアは口を噤んだ。幻想種の革でできたその鞄は、あらゆる魔術を弾く効果がある。広く作用する結界は大雑把に対象を認識するものだから、鞄を持っていた士郎には人避けの暗示が正常に機能しなかったのだろう。

 

「せっかくアイスを買ったのに、お嬢様の姿が見えないからだろ。それで探していたら、爆発物がどうとか言う物騒なアナウンスが聞こえて、急に走り出した男の人が見えたんだよ。で、嫌な予感がしてついて行ってみたら、案の定ここにお嬢様がいたんだけど……立てるか?」

 

身体のそこかしこに切傷と火傷が目立つ少女は、疲労と安堵で腰の力が抜け、地面に尻もちをついている。しかしそれも一瞬のことだ。エーデルフェルトの次期当主として、これ以上弱いところを見られてはたまらないと、すぐさま自分の足で立ち上がろうとした、その瞬間。

 

「まったく、こんなところで何やってるんだよ。さっきの男の人は消えてるし、周りはボロボロだし、どうなってるんだか……とにかく今は安全な所に行くぞ、お嬢様」

 

断りもなく、彼はルヴィアの身体を横抱きに──いわゆるお姫様抱っこの姿勢で抱え上げた。

 

「お、お待ちなさい! 誰が(わたくし)の身体に触れて良いと……!」

 

「はいはい、お叱りは後でいくらでも受けるから、今は黙って救急車のところに行く」

 

まるで予防接種を嫌がる子どもを諭すかのような態度の士郎に、ルヴィアは先ほどまでの死闘が嘘のように、弱々しい拳で彼の胸を叩いて抗議する。

 

それを無視して、彼は階段を急ぎ下っていく。一刻も早く、地上に集まっている警察や救急のプロたちに、傷ついた彼女を預けなければならない。素人目には命に関わる傷には見えないが、ドレスの下に深刻な負傷が隠されている可能性もあるのだから。

 

そうして階段を下りきった士郎が、目に入った赤色灯の元へと足を進めようとした、その時。

 

「いけないっ、シェロ。今は──【この場を離れなさい】」

 

そっと耳元で囁かれた絶対的な命令に、士郎は己でもどうしてか分からぬままに従ってしまった。

 

脳がぐちゃぐちゃにかき乱されるような感覚。頭で考えるよりも先に身体が動いてしまうような感覚。そんな不自然な違和感を抱くことすら阻害されたまま、士郎は踵を返し、公僕たちの集団から逃げるようにその場を後にした。

 

「はぁ……あなたが、簡単な暗示にも抵抗(レジスト)できない凡人で助かりましたわ」

 

「………………」

 

ぼーっとしたままの士郎が曖昧に頷いている。まるで赤ベコみたいなその姿に妙な愛らしさを感じないでもない。

 

「そ、それよりいつまで私を抱えているつもりですか。早く降ろしなさい」

 

はっ、と自分が置かれている状況に気づき、早く降ろせと空中で足をバタつかせるルヴィア。そんな駄々をこねる子どものような仕草に、半分正気を失っている士郎は少しむっとなって、叱るような口調で告げる。

 

「何言ってんのさ。傷ついた女の子を、一人で歩かせるわけにはいかないだろ」

 

光を失った虚ろな目のままに、そんな気恥ずかしい台詞を大真面目に言ってのける男。暗示にかけられた今の彼は、精神的に完全に無防備な状態であり──だからこそ、心の底から抱いた本音でしか言葉を発せない状態だった。

 

「んなっ……!」

 

思わず言葉を詰まらせ、頬を林檎のように赤らめて唇を噛むルヴィア。文句の一つでも言いたくなったが、純粋な心配に対し不条理に怒るなど失礼にも程がある。

 

「では……せめて背負ってくださる? その、このような抱き方は……く、屈辱ですので」

 

だがそれでも、お姫様抱きは恥ずかしすぎる。ルヴィアにとって何よりそれは、いつか見つける未来のお婿さんにしてもらう予定の特別な抱き方なのだ。士郎には早急に別の運搬法を実践してもらう必要があった。

 

「我儘なお嬢様だなぁ」

 

「わ、我儘とはなんですか、我儘とは……!」

 

かくして二人は、背負う者と背負われる者として、無言でどこかを目指し彷徨うこととなったのだ。

 

そして冬木大橋を渡った先にある中央公園で、ようやく少年の足は止まった。背中の操縦者がここで降ろしなさいと告げたためだ。

 

「それで……俺は、どうしてお嬢様を公園なんかに運んでるんでしょうか」

 

「……シェロ、鞄を私に返しなさい」

 

どう説明したものかと無言で考え込んだルヴィアだったが、上手い言い訳が思いつかなかったのか、士郎の疑問への回答を放棄した。

 

戦いは見られていない。暗示についても、士郎が自覚することはないだろう。けれど神秘は隠匿すべしという魔術世界の鉄則に関わってしまった以上、何らかの処置は必要だった。すなわち、殺すか、記憶を消すか。

 

「なぜ冬木に来たのかと、昼間にあなたは聞きましたわね」

 

「たしかに聞いたけど、それが……?」

 

「私には、双子の妹がおりますの」

 

鞄の中から薬液の入ったフラスコを取り出し、それを一息に飲み干した後、ルヴィアは少し前の質問に答え始めた。士郎は今になって帰ってきた返答に若干の戸惑いを覚えるも、少しは心を開いてくれたのかと嬉しく思い、少女の身の上話に静かに耳を傾ける。

 

「私の生家、エーデルフェルト家には、後継者を必ず二人輩出するという宿命があります。そして私と妹もまた、その運命に従いこの世に生まれ出でた」

 

清潔な布とアルコールで傷口を清め、塗り薬を指先に取って手際よく塗り、包帯をくるくると巻いていく。

 

「エーデルフェルトにはとある家業があり、私と妹はそれを継ぐべく育てられた。しかし私は、エーデルフェルトの歴史で見ても最もその家業の才能に恵まれており、その分、妹には才能がありませんでしたわ。まるで、それら全てを私が吸い上げ、奪ってしまったかのように」

 

士郎は続くルヴィアの言葉を聞きながら、まるで魔法のように次々と奇妙なアイテムを吐き出す鞄を不思議そうな面持ちで眺めている。

 

「当然、妹は冷遇され、私ばかりが後継者として持て囃された。……それだけならば、別に良かったのです。妹が家業を継がずとも私が継げば良い。それに何より、彼女には別の道があった。愛した婚約者と添い遂げるという、別の幸福が。けれど、エーデルフェルト家はそんな妹と婚約者の仲を強制的に裂こうとしました」

 

「それは、どうして?」

 

「私に、未だ婚約者がいないためです。次代の血を遺すのは当主としての最大の責務。私が今の今までその責務から逃げてきたから、家の者たちはその代わりを妹に押し付けようとしたのです」

 

同じエーデルフェルトと言えど、それは一枚岩ではない。魔術の貴族家は多くの場合、分家や取り巻きといった複数の家系で一つの家を形成するのだ。特にエーデルフェルトは代々双子なので、直系から外された傍系の血筋の者が一つの勢力を形成している。

 

「だから私は、この冬木へ来ました。その理不尽な運命を、私の手で否定するために」

 

「ええと、よく分からないんだけど、つまり妹を助けるために冬木に来たってことなのか? ……なんと言うか、妹思いの優しい人なんだな、お嬢様は」

 

自分なりの言葉で少女の言う事を噛み砕いた士郎は、ルヴィアのことを『優しい人』だと称した。

 

「……助ける、などと。そんな高尚なものではありませんわ。私はただ、彼女の笑顔が眩しかったから。その眩しい笑顔のままでいて欲しいと、そう我儘に願ってしまっただけ」

 

変な話だ。ルヴィアは己が優しいなどと思ったことはない。本当に優しい人間ならば、エーデルフェルト家として世界各地の紛争に介入し横から戦利品をかっさらうなんてことはしないだろう。ましてや妹思いなどとは、見当違いも甚だしい。

 

「すべて自分のためです。妹思いなどという評価は、(わたくし)には相応しくありませんわ」

 

「否定することないだろ。お嬢様は優しい人だ」

 

「違いますわ」

 

「頑固だな。じゃあ、俺は勝手にそう思ってるってことで」

 

ルヴィアが優しいのか優しくないのかという、つまらない水掛け論に発展しようとして、士郎がそう締め括った。

 

「はぁ、あなたは本当に、純粋と言いましょうか、人を信じすぎると言いますか。危なっかしい人ですのね」

 

頑固はどちらなのかと聞きたくなるルヴィアだった。

 

「お嬢様こそ、案内人とは言え知らない男にホイホイ付いていくのはどうかと思うぞ。俺が危ないやつだったらどうするんだ」

 

「呆れた。(わたくし)は並の男に組み伏せられるような柔な乙女ではありませんでしてよ」

 

それに一目見たときから、ルヴィアは彼が危険な人間ではないと見抜いていたのだ。彼女の直感は外れたことがないし、彼と触れ合ってみると、実際それは事実だった。

 

「……お嬢様ではなく、ルヴィアで構いませんわ」

 

鞄の中から、怪しく光る大きな宝石を取り出しながら、ルヴィアは根負けしたようにそんなことを言う。

 

「……へ?」

 

「呼び方の話です。下の名前で呼んで頂いて構いません。……(わたくし)を名前で呼んで良い日本人は、あなたが初めてでしてよ? シェロ、光栄に思いなさい」

 

なぜか上から目線で自慢げに胸を張るお嬢様に対し、士郎は戸惑いつつも“はい、ルヴィアさん”と答えた。内心では、せっかくお嬢様呼びに慣れたところなのに、なんて思いながらも、それを顔に出すことはしなかった。

 

「さん、は不要です。ですからもし『次』がありましたら、そのときはルヴィアと呼んでくださいな」

 

「……次?」

 

士郎はその言葉に妙な引っかかりを覚えた。次とはどういう意味だろうか。また今日のように、自分が街を案内することがあるのだろうか。それとも──。

 

「シェロ、今日は案内をして頂きありがとうございました。たった一日でしたけれど、私にとって、あなたはとても好ましい人でしたわ」

 

少女は寂しげに、けれど美しく微笑むと、手に持った宝石──忘却のルーンが刻まれたそれを容赦なく、何が起きているのか分からず呆気に取られる少年へと向けた。

 

 

 

 

「酷い髪型ですこと。女としてなるべく切りたくはありませんが、こうも不格好では仕方がありませんわね」

 

高級ホテルに戻ったルヴィアは鏡に向き合い、半端に切り落とされた自身の髪の、無事だったもう片方を一房、自らの手で切り落とした。

 

女の魔術師にとって、髪は貴重な財産だ。魔力を貯蔵するという意味でも、強力な魔術の触媒にするという意味でも。

 

切り落としてしまった、美しいウェーブを描いていたそれを手に取ると、ルヴィアはどうしようもない寂寥感に襲われた。

 

それは生まれてこの方伸ばし続けた髪を失ってしまったことへの悲しみか。あるいはほんの一時だけ心を通わせ、自らの手で記憶を奪った、あの少年への喪失感から来るものなのか。

 

「驚き。まさか私に、こんな人間らしい感情がまだ残っていただなんて」

 

その手の感情は全て、妹に置いてきてしまったと思っていたのに。魔術師として生きると決めた時に捨て去ったと思っていたのに、どうにもまだ、その温かい残滓が胸の奥に残ってしまっていたらしい。

 

「……少し、眠ります。目が覚めたら、郊外にあるアインツベルンの城とやらに向かいますわよ」

 

お気に入りの、擬人化された犬のぬいぐるみを愛おしそうに抱きしめ、少女は高級な枕に顔を埋めた。それから、霊体化している最高の手駒へと冷徹な指令を下す。追撃は、敵の傷が癒えぬ内に。

 

「今度はあなたの番です。リベンジマッチと行きますわよ、バーサーカー」

 

その命を受け、狂戦士は主の涙声をかき消すかのように、彼女にしか聞こえぬ咆哮を上げた。

 

そしてやはり煩いと即座に叱られ、しゅんと静まり返るのだった。

 

 






ルヴィアさんの好みのタイプは素朴で飾らない男性らしいです。

こういう自覚なき初恋を覆い隠して責務を全うする〜みたいな展開、好き。

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