君を殺す魔法 作:名無しの魔族
焼け焦げた臭いが、土の奥からじわりと立ち上る。
折れた鍬や布切れが、瓦礫の隙間から顔を覗かせて、かつての営みを名残惜しそうに象っていた。
私は瓦礫の前に膝を折り、静かに手を合わせた。この行為がどれほど意味を有しているのか、私にはわからない。それでも、彼らの旅路が幸あるものであってほしいと、祈らずにはいられなかった。
長い黙祷を終え、私は崩れた石垣のそばに腰を下ろし、紙を広げた。瓦礫に埋もれてしまった彼らが、歴史に埋もれてしまわぬように。
だから、私は筆を執る。
しかし、集中すると周りが見えなくなるのは私の悪い癖だ。
「あら、こんな所に人間が来るなんて珍しいわね」
その声は、この場に不釣り合いなほど甘美な声だった。死の気配を濃く漂わせる女が、音もなく私の背後に立っていた。
──女、というのは間違いかもしれない。彼女はあくまでそれを模した姿をしているだけで、人間の分類に当てはめるのは些か正確性に欠ける。
彼女は魔族だ。
「……この村を襲ったのは君かな」
私は筆を止めて、彼女へ向き直った。
若い娘のナリをしているが、実際は私の人生を何周分も歩んでいるであろう。彼女には、妙な妖艶さがあった。
それと、恐ろしいほどの死臭。
「あら、だったらどうなのかしら?敵討ちでもする?」
くすくすと、彼女は可笑しそうに笑う。
「……生憎と、戦闘は専門外でね」
「あら、そうなのね。その割には、あなたは随分と冷静に思えるのだけれど」
「存外、死を受け入れると人は冷静になるものさ」
応酬の最中、ふとした違和感が胸の奥に突っ掛かった。
「もしかしたら、私が殺した人達もそうだったのかしら?すぐに殺しちゃったから、わからないわ」
この惨状を生み出したのは紛れもなくこの魔族だ。しかし、彼女は一向に私を襲ってこない。私を警戒して、だとしても何かしらの探りを入れるはずだ。
私の瞳に映る彼女は、可笑しなことに、会話を楽しんでいるように見えた。
「……君は、殺した人間に無関心ではないのか」
「あら?」
「少なくとも、人間という種に対して興味を持っている。そうでなければ、そんな考えは浮かばない」
魔族は確かに人間と同等の知性を持つ。だがその食質ゆえに彼らは人間に対して知的欲求、即ち「この人を知りたい」という感情を持つことはない。
それだけで彼女が如何に異質であり、人類にとっての脅威たり得るか──その事実に、私は堪らなく戦慄した。
「ふふ……そうね。あなたの言う通り、無関心じゃないわ。だって、実験対象がどんな反応を示すのか、興味があるでしょう?」
その言葉には一片の感情も含まれていなかった。
──なるほど、と納得した。
本来であれば、魔族の言葉など聞くに値しない。彼らにとっての言葉とは、人類を欺く術に他ならないからだ。
しかし、私はその認識を些か窮屈だと考える。それは、思考の放棄と同義だと。
少なくとも彼女は、言葉を使った会話を望んでいる。
「……ならば一つ、提案をしよう」
「提案?」
もし、彼女が私と同じだと仮定したならば。
「君は、人間に興味を持っている。私もまた、君という存在を知りたくなった」
同じく、知りたいという欲求に駆られ生きているのならば。
「互いの知的欲求を満たす、ただそれだけの関係。私はそれを望んでいる」
この言葉に、私は命を懸ける。
「……そう。とても、魅力的な提案ね」
彼女は一瞬だけ目を細めたが、すぐに愉しげな微笑へと戻った。
「でも、交渉というのは互いの利が釣り合ってこそよ。この提案は、あなたに対しての利が大きいとは思わない?」
最もだ。お互いの知的欲求を満たすなどと言ってはいるが、私の方には私の命の分だけ利が偏っている。だが彼女の言葉は暗に、釣り合いさえすれば交渉に応じるということ。少なくとも、一考の余地は生まれるだろう。私はこの傾きを均さなければならない。
「確かに、私は現状、君への対抗手段を持ち合わせてはいない。容易に殺されるだろう。……だからこそ、今殺す必要があるのか問うただけだ」
少し間を置いて、私は続ける。
「君が満足できなければ、その時は好きにするといい──もっとも、私は君を殺しうる“とっておきの魔法”を持っているつもりだがね」
研究者として、或いは魔族として。彼女の興味を引けるであろう切札を切る。
その言葉の真偽を探るように、彼女の視線が私の瞳の奥へと潜り込む。
「……そんな魔法があるのなら、私を魔族だと認識した瞬間にでも殺すはず。会話を交える必要はない。そうでしょ? あなたは合理的な判断を下せる人間だもの」
冷たい視線が私を射抜く。
“殺すべき”ではなく“殺すはず”だと。断言されるあたり、僅かな会話で随分と高く見積もられたようだ。
だがおかげで、私の言葉に価値が生まれる。
「ならば君は私が、無意味にそんな言葉を吐くと思うのかね」
一拍。
彼女は思案し、答えを導く。
「……魔法の発動条件が特殊、或いは時間を要するってところかしら」
「その通り」
言葉の真偽など、どうでもいい。私にとって重要なのは彼女の興味を引き、私の言葉、ひいては存在に価値を見出させること。それだけだ。
「ずいぶんと面倒な魔法を考えつくのね。……いいわ、乗った。あなたを生かしてあげる」
思いの外、彼女は簡単に首を振った。
助かった、などと安易には喜べない。即答だからこそ、今度は私が彼女の真意を探る必要がある。
「……いいのかな。私の魔法で、君は死ぬかもしれないよ」
私の問いに、彼女は僅かに首を傾げ、考える素振りを見せた。その人間的な仕草には違和感がない。殺害を宣言されようと、余裕を崩さない。会話の主導を握ろうと、私の生殺与奪の権は彼女が握っていると、改めて思い知らされる。
「そうね、それがどんな魔法か。興味はあるけれど、それだけじゃないわ」
視線が絡む。退路を断たれたような感覚に、喉が微かに鳴った。
「こんなに楽しくお話できたのはあなたが初めてよ。だから、これからもたくさんお話しましょう?」
微笑は崩していない。だと言うのに、その言葉に温度は感じられない。
私は今日死んでおくべきだったと、いつか後悔するのだろうか。
「……約束しよう」
──後悔など、するはずがない。
何故なら私達は、魔族や人間という枠に収まりきらないほどの好奇心が、心に棲みついているのだから。
「それじゃあまた明日、ここで待ってるわ」
「ああ、楽しみにしているよ」
彼女の姿が、木々の隙間を抜けて溶けるように消えていく。
仰いだ空は、今が戦時中だということすら忘れてしまえるほど青く澄み切っていた。
張り詰めていた緊張が解け、私は震える手で筆を取る。
私の選択が人類にとっての厄災であろうと。白紙の束が黒く染まるまで、書き続けるのだ。
灰の中で出会った、あの魔族のことを。