無源の秋 〜竜の翼は風雲に舞う〜【毎週金曜12:00&日曜19:00更新】   作:くコ:彡の本棚

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序 大帝崩御

 

【挿絵表示】

(大陸地図)

 

 

 天翔(あまか)ける飛竜より見下ろす地上は、生きていた。

 

 草木が萌えている。川が走っている。流れに乗り、あるいは遡る船影は、人と自然の営みが齎す恵みを運ぶ。

 

 人や獣は忙しく、あるいはのんびりと、各々の時間を生きている。高度を取れば豆粒と見紛うばかりに小さいのに、生あるものとしての輝きを、眼前のものであるように放つのだ。

 

 それを味わえただけでも、竜を駆る術を学んで良かったと、善邑(ぜんゆう)は思った。

 

 平地から山へと移り変わる境を越えた。天と地を繋ぐ峻険な山が連なる、《久々鱗(くくり)》の地である。竜と共にある人々の淵源、仰ぎ見る心の寄る辺。

 

 地竜を追うようにして、集落総出で移動を行うのが伝統的な竜の民の生き方だが、今は季節を外れていた。それを妨げる恐れもなく、眺望を楽しむことができる。

 

 久々鱗なる(あざ)は、まさしく言い得て妙である。雄々しい山々を貫く谷、縦横に流れる川が描き出す景色は、鱗に覆われた巨竜の体表を連想させるに足りた。

 

 祖父が青年だった頃、この地は竜の民同士が干戈を交える戦場でもあったらしい。谷川が血で真っ赤に染まり、山肌が人と竜の骸で覆われる。そんな時代もあったのだ。

 

 自分が生まれる前、大陸の各地でそうした争いが続いていた。その悉くを平らげ、巨大な帝国を打ち樹てた、一人の男がいる。

 

 祖父は今の自分と変わらぬ歳の頃から、後に覇道を成す男の背を支え続けたことを、今でも誇りにしているのだった。きっと、今際の際でもそうだろう。

 

 三日の道程。一晩ごとに集落の一角を借りて野営した。

 代価のつもりで金や布生地、砂糖などを持参していたのだが、それを見て旅商人だと勘違いする者もいた。それぞれの集落に、程度の差はあれ、購うだけの金の蓄えがある。

 

 素朴な物々交換を行っていたのは、せいぜい祖父のまた祖父の時代までだ。そう教わったのを今更ながら思い出した。

 

(着いたよ、降りよう)

 

 善邑は背を借りている飛竜に語りかけた。言葉は使わない。竜と乗り手は特殊な精神の紐帯で結ばれており、互いの思いが手に取るように分かる。

 

 竜を駆るとなった時、最初にして最大の壁がそれだった。慣れない人間をして、強烈な異物感を抱かせる行為なのだ。逆にそれさえ乗り越えてしまえば、後は然程困難なものではなかったと思う。

 

 目的地の丘に着いた。丈の短い草に覆われ、麓には小川が流れている。《久々鱗(くくり)》の最も穏やかな側面を象徴する場所にも思えた。

 

 とある人物と会うために、ここまで来た。会って、伝えるべきことがある。

 

 しかし、それを約している訳でもないし、そもそも何処に居を構えているのかすら不明な人だった。もし会えるとすれば、ここだろう。祖父にそう聞いただけだ。

 

 必ず会え。厳命された訳ではなかった。この訪いが誰かの願いを背負ってのものか、どこまでも自分の心から発したものか、それすら分かってはいないのだ。

 

 怯える気配を感じて、飛竜の方を見た。もう一頭の飛竜。小川の滸で翼を休め、喉を潤している。青灰色の鱗が陽光に照らされ、川面の輝きを写すように輝いていた。

 

 気高い。そんな言葉が浮かんだ。何者にも貶め難い気高さが総身より発せられ、その飛竜に威厳という衣を纏わせている。数えきれない修羅場を潜り抜けた末のものだろう。

 竜の鱗は頻繁に生え変わるので、残る筈もないが、刻まれた数多の古傷を見た気がした。

 

 ここまで背を貸してくれた飛竜は、まだ若い。威厳に当てられて萎縮してしまったものか。老いた飛竜はこちらにあまり関心を示さないが、拒絶の気も無い。やがて、それを察して緊張が解れたのか、並んで水を飲み始める。

 

「客か、瑞王(ずいおう)

 

 声を聞いて、弾かれるように立ち上がっていた。会いたいと望んでいた人。声を聞いて直感し、姿を見ると確信に変わった。

 

 祖父の七歳年長だというから、七十を幾つか超えている筈だ。老人である。しかし、さりげなく放たれる覇気は、衰えの影を微塵も漂わせていない。

 

双竜之丞(ふたつのじょう)様でいらっしゃいますね」

 

 相棒の飛竜、瑞王と共に戦場を駆け、幾多の激戦を武功と共に生き抜いてきた無双の勇者。世に語られる英雄が、目の前にいる。

 槍と鏢の名手だというが、確かに槍のように通った芯と、鏢を思わせるしなやかさを兼ね備える佇まいだった。

 

「そう畏るな。問答無用で斬ることはしない。用があるなら最後まで聞いてやる」

 

 双竜之丞(ふたつのじょう)は薄く笑って、覇気を引っ込めた。

 

 促されるまま、地面に並んで腰を下ろした。互いの駆る飛竜達がそうしているように。

 双竜之丞(ふたつのじょう)が邪気の無い目で、こちらの顔をまじまじと見つめてくる。

 

「すまん。知り人に似た顔立ちをしている気がして」

「私の名は善邑(ぜんゆう)。そして、祖父は善右衛門(ぜんえもん)と申します」

「やはりな。奴の孫か」

 

 それぞれ、前線と後方の中核を担う戦友だったと、祖父は常々語っていた。法螺ではなかったようだ。祖父の近況を聞いて破顔する双竜之丞(ふたつのじょう)に、善邑(ぜんゆう)は早くも親しみを覚えている。

 

「奥方は、ご健勝ですか?」

「刃物の打ち直しで、小銭稼ぎをしている。生き甲斐なぞとうに失くした、私よりもずっと生き生きしているよ」

 

 それから二、三度は善邑(ぜんゆう)が問いかけ、双竜之丞(ふたつのじょう)が答えるというやり取りが続いた。それが一段落すると、問う側と答える側が入れ替わる。

 

「それで……わざわざこんな処まで、何を伝えに飛んで参ったのかな」

 

 寂寥の滲む声だった。分かりきったことを、わざわざ聞いている。そうした声色である。

 善邑(ぜんゆう)は無意識の裡に威儀をただして、息を吸い込んだ。

 

「大帝陛下が崩御なさいました」

 

 時が静止する。

 

 双竜之丞(ふたつのじょう)は唇を引き結び、彫像のように静止して動かない。目の光だけが、ここには無い何かを射貫いている。

 

 ただ、横を向いた。西。そちらを見はるかせば、大陸北部を東西に貫く、《魏糧川(ぎろうがわ)》の雄大な流れがある。

金號(きんごう)》という国が、川の向こう側に存在していた。それとの抗争を通して、若き日の双竜之丞(ふたつのじょう)、そして登極前の大帝が歴史の表舞台に躍り出る。自分が生まれる前のことだ。

 

「……あやつめ。──」

 

 何事かを呟いていたが、よく聞こえない。敢えて声を低めていると分かった。

 触れてはならないものが、人の心の底にある。自分にも。誰にでも。そこに踏み込む愚を犯すつもりはない。

 

 対岸から双竜之丞(ふたつのじょう)が目を逸らし、こちらに向き直るまで、どれだけの時間が経ったものか。

 

善邑(ぜんゆう)といったな。急ぎの旅か?」

「いえ、暇は十分に」

 

 今日会えなければ、一週間はここに通い詰めるつもりだった。大きな仕事を終わらせてきたために、体は暫く空いている。

 

「飯を食いながら、つまらない話でも聞かせてやろう。私が若造だった時分のこと。そして、あやつのことを」

「それは、こちらからお願いしたいぐらいです」

 

 移動の兆しを察してか、老竜が一羽ばたきで丘に上がってくる。瑞王(ずいおう)双竜之丞(ふたつのじょう)とはまさしく一心同体だった。

 人でも、竜でも、こうした繋がりを持てる相手がいることは、幸運に他ならないだろう。

 

「まあ、私については善右衛門(ぜんえもん)に聞かされていることだろうが」

「そうですね、嫌になる程」

「奴は話がくどいからな」

 

 時を遡る小さな旅が始まる。そんな予感がした。

 

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