無源の秋 〜竜の翼は風雲に舞う〜【毎週金曜12:00&日曜19:00更新】   作:くコ:彡の本棚

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夢の地図 後篇

 

 無源(むげん)は、若かった。

 

 年齢相応の容貌をしているから、当然のことである。遼兵衛(りょうべえ)より十以上も年少なのだ。童から大人に脱皮したばかり、瑞々しい活力に溢れる時期。

 

 それでいて、戦ずれしている。血と危険の匂いを嗅ぎ慣れている顔と言えようか。

 今、唐突に刺客の群れに取り囲まれることとなれば、包囲の一画を突き抜けて脱出するぐらいの胆力はあるだろう。

 

「お初にお目にかかる。無源(むげん)と申す」

「や、わし如きにここまでご丁寧に……」

 

 相手に頭を下げることを知っている。それだけでも、話を聞いてやろうという気になる。

 

解軛門(かいやくもん)》に設けられた営舎で、二人は向かい合っていた。近くで徒士(かち)の調練が行われているようで、起伏に富んだ地面を駆け通す気配が伝わってくる。

 

 はきはきとした合図を耳にした時、過去に置き去りにしていた記憶が蘇ってきた。

 

「《金號(きんごう)》流の調練ですかな?」

「流石のご見識。度々二人で、他国の戦や調練をこっそり見物していたと双竜之丞(ふたつのじょう)は申していたが、真だったのですね」

「あれは、無理に付き合わせてしまったものです。今更ながらに悔いております」

 

 軍の運営を司る指揮官が《金號(きんごう)》よりの亡命軍人であるという。徒士を主力とする国で薫陶を受けたならば、鍛え上げる術も心得ているのだろう。

 

 それに、《金號(きんごう)》の軍制は、機構の面でよく整えられている。それだけに実戦で柔軟性を欠くことはあるが、実戦に耐える兵を短期間で作り上げるにあたって、あれ以上のものはあるまい。

 

「何処と、戦をされる?」

 

 眺めて楽しむ調度品ではない。軍は、戦うための手段なのだ。存在するからには何かと戦うことになるし、でなければ維持する意味さえなくなる。

 

「戦を、厭いはしません。必要な戦であればですが。いずれ軍を動かすべき時が来るのを、今は待とうと思っております」

 

 出征の意志はある、と見えた。《聖華(しょうか)》朝廷の息がかかっていると思しき賊を一掃したため、それに対する報復は当然警戒しているだろうが、ならばもっと内に篭って守りを固めようとする筈だ。

 

「《解軛門(かいやくもん)》に地竜の道を啓かれた理由は?」

「察しておられるとは思いますが、飛竜が翼を休める地を作りたかった。つまり──」

 

 新たな資源となりうる飛竜の恵みについて、無源(むげん)は熱っぽく語っている。《久々鱗(くくり)》の地が新たな商いや工業の礎となるのだと、時には身を乗り出し、時には手振りを交えて。

 

「私の、夢なのですよ。一つ目のね」

 

久々鱗(くくり)》の民を扇動、教化せんとしているのではないか。そう考えていた自分を振り返り、遼兵衛(りょうべえ)は恥入る気持ちになった。いかにも薄汚れた大人の、下衆の勘繰りという感じがするではないか。

 

 一方、そうしたことを何ら考えもせず、一切の邪気も無いまま、やってしまいそうな青年であるとも思える。

 危険きわまる純真さに感じられた。

 

「……立派なお考えだとは思います。で、それを竜の民の多くが共有することで、何が変わるとお思いですかな」

「戦をする意味を、考えるようになる。すべき戦というものが仮にあるとして、それを見極めるのは難しい。しかし、起こしてしまえば害ばかりある戦、いわゆる無名の帥の何たるかは、明白だと思います」

「外との交易という道を示すことは、それに目を向ける契機になると?」

「はい」

「お甘い」

 

 声が口から滑り出していた。己が発した反駁の激しさに、遼兵衛(りょうべえ)自身が驚く。しかし、止まらない。止めようという気にも、ならない。

 

無源(むげん)殿の軍が《久々鱗(くくり)》に入り、事を進めんとする。それを快く思わず、武力をもって排除に動く勢力は必ず現れるでしょう。そうなった場合、無源(むげん)殿は座して滅びを待ちますか」

「それは、できない」

「己が身を守るための戦は、そう、すべき戦と申してよいでしょう。それに勝って後は?つまり、同じ事態を繰り返さないための仕置ですが」

 

 気を張っていなければ、言葉を選ぶのを忘れてしまいそうだった。

 怒りを覚えているのか、自分は。希望を語る目の前の青年に。あるいは、目に見えない何かに。

 

「まず、追撃を考えるな」

「はい。一度追い撃つだけで脅威が去る訳もありませんから、警戒を続ける必要に迫られます。一帯を締めつけることになる」

「ますます不満は募る」

「それが爆発し、あるいは操る者も現れて、戦火は際限無く広がってゆくでしょう。……果たして、これはすべき戦と申せましょうか」

 

久々鱗(くくり)》の現状とは、そういうことなのだ。迎撃するオロ族は無論だが、侵攻するミズ族にしても、開戦に足ると信じられる大義があった筈である。

 その果てに待っていたのは、同胞を蹴落としてまで大きくなろうとする餓狼の共食いだった。

 

「分かった、などと軽はずみには言えないことですな、それは」

 

 剣を向けられてもおかしくない言種とすら自覚していたため、感心する無源(むげん)の口振りに意表を突かれる。

 

「分かろうとする姿勢を捨てないこと、本当に分かっているか常に自分を疑い続けること。それは、決して忘れません」

「内容如何を問わず、言い方というものがあります。礼を尽くしてお呼びくださった相手に対し、これは誤りでございました」

「正直、鼻にはつきます。故にこそ、耳を傾けるに値する話であったと」

 

 この際、存念を全て明かしておこうと遼兵衛(りょうべえ)は決めた。最初で最後の機会かもしれないのだ。

 

「率直に申し上げますと、あなた方は《久々鱗(くくり)》で大いに歓迎されることでしょう。声望を確立するのに、そう時を要しますまい。だが、それはかえって苦難を呼び込むこととなる」

「それは」

「先程は《解軛門(かいやくもん)》の、夢のお話をしていただきましたな。あなたの夢と竜の民の望み、それが重なる保証は何処にも無い」

 

 内紛に明け暮れる現状を打破する外圧として、無源(むげん)への期待は強まるだろう。しかし、無源(むげん)が抱く理想を首肯してもらえると楽観はできない。

 

 結局、民が求めているのは強い主だ。寄りかかっていればいい大樹なのだ。高尚な夢や理想がそれと食い違えば、不満の捌け口と看做されるだけである。

 勝手な期待を裏切られた時、人は己が逆恨みを正当なものと信じてやまない。

 

「夢は、いずれ醒めまするぞ」

 

 夢か。自分にも夢はあった。叶えるために力を惜しまぬと、逸っていた若い頃。青臭いなりに、《久々鱗(くくり)》の明日について真剣に考えていた。

 北東部諸勢力との融和、宗家直属戦力の拡充。献策は悉く退けられ、挙句に命を狙われて逐電する羽目になった。

 

 進言を容れるか否かは、主君の意が全てだ。それは分かっているから、怨みに思うことはない。

 自分という存在が、《久々鱗(くくり)》に必要とされていない。それを突きつけられた気がして、全てがどうでもよくなってしまっただけだ。

 

 分かっている。目の前の青年に講釈を垂れているのは、己の惨めさを開き直る行いに他ならないと。

 

「破れし夢は、ただ無価値なものだろうか」

 

 無造作に言われ、遼兵衛(りょうべえ)は仰け反っていた。無源(むげん)の双眸が放つ光に、気圧されたのだ。

 

「山の産物を交易に出すことを、俺は考えた。考えついた時、具体的な計画などありはしなかったのに、驚く程の勢いで話は進んだ。何故と思われる」

「既に膳立ては整っていたと?」

「《久々鱗(くくり)》が他国に交易で負けぬようにと、望んでいた者が多くいた。妨げられ、あるいは時を得られず、しかし頓挫しながらも、進めていた準備は死していなかったのだ」

 

 多分、無源(むげん)は自覚していないだろう。話し方が砕け始めていることを。粗削りな、そして真摯な本音を打ち明けている証。

 

「我が夢と、民の希望の食い違いについて話されていたな。仮に、《久々鱗(くくり)》の皆に我が考えが受け入れられず、話が立ち消えになったとしよう。だが、伝えたかった全てが消えてなくなると、俺は思わない。否定しつつも、しかしほんの一部でも見るべき処はあると、考えてくれる者がいるとしたら?」

 

 夢が、考えていたのと違う形で叶うかもしれない。あるいは、想像もつかなかったより良い方策が、誰かから生まれ出ることもあり得る。

 無源(むげん)はそれを、本気で信じているようだった。

 

「つまり、後の礎となることこそ本望だと?」

「そこまで、達観してはいない。信じてくれる皆に報いねばならぬからな。ただ、捨て鉢にはなるまいと、己を戒めるのみだ」

 

 それから、しばしの間二人は黙り込んだ。外で調練に励む声が遠く聞こえる。

 

 随分と多くの言葉を交わした。疲れは、当然滲んでいる。その疲れが、不思議と心地良くもあった。

 

「……わしの住処には、二人の子供がおります。血は繋がっとりませんが。それから、あの子らを託すに足る友も」

 

 正直に話しておきたいと思い、姉弟と覚承(かくしょう)のことを打ち明けた。遠からず露見するだろうから、先に話して後ろ暗いところは無いと、示しておこうという打算もある。

 

「色々と失ったもの、手に入らなんだものも多い三十余年でしたが、その者達はいてくれる。始めて、それを理解した気分にござるな」

「それは、何よりです」

 

 無源(むげん)の口振りは、丁寧なものに戻っていた。

 

「今日は、有意義な会談だった。蒙を啓かれた気分がいたします」

「お役に立てたというなら、良かった。恥を晒した甲斐があったというもので」

「その気になれば、いつでも話をしに来られるとよい。門はいつでも開けている」

 

 笑顔を交わして、別れた。ぎこちないものに見えているだろう。しかし、偽りの笑みではない。それは、伝わった筈だ。

 

 営舎を出ると、調練は騎竜隊のものに移っている。吹き荒れる風の軌跡を描くように激しく、しかし整然とした集団行動だった。

 指揮をする一騎が飛び出しても、動きには微塵の乱れも生じていない。双竜之丞(ふたつのじょう)。庵の近くまで送ってくれるという。

 

 ここの居心地は悪くないが、庵に早く戻りたい。皆に会いたいし、今一度地図に目を落としたかった。

 

 ────────

 

 一晩だけ待ってほしい。大丈夫だ。戻ってきた遼兵衛(りょうべえ)はそう言ったきり、奥の庵に篭り続けている。

 

 声が聞こえない。音として発せられるものはおろか、生ける者が発する魂の声すらも。

 死んではいない。人は死する時、儚くも激しい末期の声を魂から発するためだ。

 

 声を発することを忘れる程、沈思しているということだろう。

 

「はい、覚承(かくしょう)さんの分」

 

 星凛(せいりん)に握り飯を手渡された。それから小魚の干物と、菜の入った汁。握り飯は星凛(せいりん)の得意料理であるという。

 

「明日には、帰るんでしょ?」

「そのつもりだよ。私一人いなくとも変わりはないだろうが、お伝えしたいこともある」

 

 君達も連れて行くことになるかもしれない。それは、言わなかった。姉弟ともに覚悟しているだろうことは、嫌でも伝わってくる。

 二人は旅支度を整えていた。遼兵衛(りょうべえ)が熟考の末に如何なる答えを出そうと、今の暮らしは続かないと知っているようだった。

 

 遼兵衛(りょうべえ)に握り飯を届けていた星慈(せいじ)も戻り、三人で囲炉裏を囲む。

 

 姉弟は握り飯を頬張りながら、あれこれと話を続けている。金子(貨幣)はどうするか、採った薬草は、《珠幸(じゅこう)》で新しい服を購えないか。

 悲壮な気配を、言葉からは微塵も見出すことはできない。

 

「不安には、ならないのか」

 

 堪えかねて覚承(かくしょう)は言った。

 

「余計なことを問いかけていると分かってはいるが、遼兵衛(りょうべえ)の決断は君達のこれからを大きく変えることになるだろう。彼と離れることだって、あるかもしれない」

「大丈夫だよ」

 

 静かに、しかしはっきりと言い切ったのは、普段己を主張しない星慈(せいじ)の方である。

 

「この間帰ってきた時、遼兵衛(りょうべえ)はすごく良い顔をしてた。だから、絶対納得できる答えを出してくれる」

「そう!あのおっさん、知恵だけは回るもんね」

 

 虚勢でも気休めでもない信頼が、姉弟と遼兵衛(りょうべえ)の間に、確かにあった。

 

 血の繋がりこそないが、かくも互いを思いやる家族を、覚承(かくしょう)は他に知らない。

 

 自分達が遼兵衛(りょうべえ)の重石になってはいないかと、密かに覚承(かくしょう)に相談するような子供達だった。

 遼兵衛(りょうべえ)もまた、自分が世を拗ねる言い訳に子供達を使ってはいないか、という苦悩を漏らしたことがある。

 

 彼らが、大丈夫だと言明しているのだ。それを信じられないということがあろうか。

 

 奥の庵が静まり返ったまま夜は更け、皆横になった。

 

 そして、朝。足音が近づいてくるのをはっきりと感じ、覚承(かくしょう)は目を覚ました。

 微かに差し込む朝日に照らされる姿。遼兵衛(りょうべえ)。隈を張り付けた目元は、生の充足に満ちる者の気を湛えている。

 

「答えは出たのかい?」

「ああ。それで星凛(せいりん)、頼みがある」

 

 姉弟も既に起きていた。まるで眠気など感じていないかのように、はっきりとした視線を遼兵衛(りょうべえ)に向ける。

 

「髭を、剃っちゃくれねえか」

「うん……うん!任せて」

 

 軽やかな足取りで、星凛(せいりん)が剃刀を取りに走る。星慈(せいじ)もぱっと顔を輝かせていた。

 二人の信じる思いは報われたのだと、端から見ていても分かった。

 

「思い切ったなあ、遼兵衛(りょうべえ)。会談が余程大きかったと見える」

「かもしれん。ただ、説かれたのは斬新なことというより、ごく当たり前のことだったと思う」

「当たり前か」

「見えないふりをしていた、当たり前だよ」

 

 髭を剃ってもらい、顎に微かな赤を滲ませた遼兵衛(りょうべえ)は、既に旅支度を済ませた姉弟を前に居住まいをただした。

 

「ここを出ることになった。実に七年ぶりに、人様に士官して一働きと決めた訳だ。容れられるか分からんが、多分心配は無かろうよ」

 

 ただの楽観から出た言葉とは思えない。話し合いに応じた末に、何らかの確信を得たからこそ言い切っているのだ。

 

「わしに何ができるか、わしの考えがどれだけ先方の意に沿うか、まだはっきりとは分からん。しかし、しばらくは辛抱してみるつもりだ。たとえ駄目でも、きっと何かは残るだろう」

 

 そこで言葉を切り、遼兵衛(りょうべえ)はばつが悪そうに鼻の頭を掻く。

 

「お前さんらは…… 覚承(かくしょう)と共にわしの下を離れてもいい。わしがする苦労に付き合うことにもなろうからな。だが、共に来たいというなら、来てもいい」

「言い方が違うわ」

 

 すっくと立ち上がった星凛(せいりん)は腰に両手を当て、正面から遼兵衛(りょうべえ)を見据える。

 

「どうか共に来てください、でしょ」

 

 星慈(せいじ)も力強く頷いたのを見て、遼兵衛(りょうべえ)は観念したとばかりに苦笑した。

 

「分かった、負けた。わしと共に来てほしい。苦労をかけるだろうが、覚悟はしてくれよ」

 

 庵に別れを告げ、四人で外に出た。外は晴天、新たな旅立ちを祝福するような、気持ちの良い蒼穹が広がっている。

 

「また会おう。三人の道のりに、幸多からんことを」

「庵は好きに使ってくれや。また使うことになった時、整頓されてたら助かるんでな」

「そうさせてもらう。そちらも、暇があれば主と共に是非来てくれ。《竜神陵(りゅうじんりょう)》に」

「いいのか?」

「真摯に参詣する者を、竜神は拒みはしないさ」

 

 別れは一抹の寂しさと、湧き上がるような希望に満ちたものだった。

 覚承(かくしょう)は一人、山道を行く。ふと足を止めて見下ろすと、三人がこれからの道程について話し合っている処が見える。

 

 遼兵衛(りょうべえ)は、姉弟の前で地図を広げていた。

 

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