無源の秋 〜竜の翼は風雲に舞う〜【毎週金曜12:00&日曜19:00更新】   作:くコ:彡の本棚

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 次回から再び、無源達のお話(つまり本筋)に戻ります。


群雄の息吹 〜聖華〜

 

 数万を超える蹄が大地を揺るがす様は、何にも喩えようのない迫力に満ちていた。

 

聖華(しょうか)》原産の四足獣である白麒(はくき)は、古来より武威と栄光の象徴として尊ばれてきた生き物である。

 頭に備わった雄々しい角、白銀に輝く体表の鱗、仙気の高まりによって波打つ鬣。人麒一体を極めた白麒(はくき)軍団といえば、押しも押されぬ戦の花形なのだ。

 

 数千もの白麒(はくき)が原野を駆ける。鱗が、鬣が、そして騎上に在る武者の得物と具足が陽を照り返すことで生まれる、光の波が寄せては引くような輝き。

 

 それを目の当たりにするどころか、自らが誉も高き白麒(はくき)軍団の一員であるとは。聞吾(ぶんご)は、己が夢の中にいるのかとすら錯覚した。

 

 その名を、銀浪党(ぎんろうとう)という。《聖華(しょうか)》南西部、西と南の旧街道が交わる《八百波(やおなみ)》平野を根拠地とし、何者にもまつろわぬ独立勢力たるを貫いていた。朝廷と距離を置き、しかし叛いてはいない。

 

 

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 羅聖近衛(らしょうこのえ)とかいう奸臣どもが、叛乱の征討という名目で度々軍勢を差し向けてきたが、銀浪党(ぎんろうとう)は負け知らずだった。これからもそうだ。兵数こそ九千あまりと大規模ではないが、その全てが白麒(はくき)武者である。《八百波(やおなみ)》は名麒の産地として知られているのだ。

 機動力、突破力、破砕力。全てがずば抜けていた。原野でまともにぶつかり合って、半刻(一時間)と耐えられる軍勢が何処にあろうか。聞吾(ぶんご)にとって、それは太陽が昇っては沈むのと同じ、当たり前のことなのである。

 

 此度もまた、朝廷の威を借る奸臣どもの手下が、屍の山を築きに南下してきた。徒士(歩兵)主体の三万あまり。

 

巳助(みすけ)、また海を見とるんか」

 

八百波(やおなみ)》の北方、《鳴津女ヶ原(なつめがはら)》を見下ろす丘の頂。同郷の親友に声をかけた。

 小さい頃から思慮深く、物静かな男だった。将来は村一番の知恵者になると、皆に期待を寄せられていたものだ。

 

「好きだな、潮の満ち引きを見るのが」

「ああ……」

 

 返事をする時も、南の海に視線を向けたままである。《聖華(しょうか)》南部には高い山が無いため、高所に在れば何処からでも海が一望できる。

 

 いつの頃からか、巳助(みすけ)は自分と目をあまり合わせてくれなくなった。ような気がする。

 仕方のないことなのだろう。軍に入って五年、何もかも昔のままという訳にはいかない。それでも、二人はいつまでも共に沓を並べる戦友なのだ。聞吾(ぶんご)はそれを信じ、疑いもしていなかった。

 

「三万の軍だ。俺達が見張らずとも動きは自ずと知れるだろうが」

「そもそも奴ら、何故そこまで俺達に拘る。白麒(はくき)の産地が欲しいのか?」

「というより、場所そのものだ。《八百波(やおなみ)》を貫いている二つのもの。お前も知っているだろ」

 

 巳助(みすけ)が教えてくれたところによると、二つの旧街道が交わる《八百波(やおなみ)》の地が、羅聖近衛(らしょうこのえ)には邪魔で仕方がないらしい。

 彼らは交易を締め付けて法と道義に悖る蓄財を行っているのだが、したたかな商人は馬鹿正直に表街道を通ることはせず、旧街道を交易の道としているのだ。

 

 黙らせるには、要地たる《八百波(やおなみ)》を奪わねばならない。それも国軍の力を借りず、自らの力で切り取ることで。

 

「近頃、今まで中々出回らなかった山の物産だとか、《金號(きんごう)》の品だとかが流れるようになって、頭を押さえつけられていた商人も、力を取り戻しつつある。敵も焦っているのだろうよ」

「なるほどなあ」

 

 騎上で得物を振って暴れる自分と違い、巳助(みすけ)はいつも大きな情勢というものに目を向け、自分なりに飲み下している。

 仲間として頼もしくもあり、親友として誇らしくもあった。

 

「やはりお前は銀浪党(ぎんろうとう)一の頭脳だ。御大将の片腕、軍師になるのもそう遠い話じゃない」

「直属にもなれない奴に、何を言う」

 

 軍中で最も精強なのは、言わずもがな総大将の旗本(直率部隊)である。聞吾(ぶんご)はそれに名を連ねているが、巳助(みすけ)は選考から外れていた。

 

 それを指して、巳助(みすけ)が劣っていると思ったことなど一度も無い。人には在るべき処というものがある。その者にしか担えない役割が。

 一歩引いた処から全体を俯瞰し、見るべきものを見る。そういうことに期待を寄せられているからこそ、敢えて旗本に置かれていないのではないか。

 

 あらん限りの拙い表現で、聞吾(ぶんご)は親友を励ます。手応えはまるで無いままそれを続けていると、視界の端に映り込む人と鉄の群れ。

 

 敵が、《鳴津女ヶ原(なつめがはら)》に入った。肌が粟立つ。胸に湧き上がる熱いものが全身に伝わって、指の先が微かに揺れる。武者震いに身を委ねるのが、心地良かった。

 

 丘の陰に陣を張る味方に、合図を送る。旗本五百騎と千五百騎の大隊五つ。大隊一つを本拠の守りに残し、ほぼ全軍での出撃だった。二日前の夜に進発し、今二度目の朝を迎えている。

 

 

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 重々しく響く、太鼓の音。五度。集結の合図を聞いた二人は丘を駆け下り、それぞれの隊に戻った。

 

 現れたのは、銀浪党(ぎんろうとう)の常勝たるを体現する男。

 

 緋縅の具足に身を包んだ雄偉な影に、集まった皆が尊崇の目を向けている。朝日などよりずっと眩しい光源が、眼前に現れたかのように。

 

銀浪(ぎんろう)の猛者どもよ。戦機は来た」

 

 赤い総面(顔全体を覆う防具)の隙間から流れる低い声は遠雷の如くで、聞く者の腹の底に響いてくる。敵に敗北の恐怖を、味方に勝利の自信を与える声だ。

 

 麒道斎(きどうさい)。この偉丈夫を総大将として仰ぐ銀浪党(ぎんろうとう)は、未だ敗北を知らずにいた。

 

 一際立派な愛麒に跨り、十文字槍を振るって麒道斎(きどうさい)の進む処、生きて立ちはだかる敵などいない。築かれた骸の山に紛れて逃げる敵は、圧倒的な強さへの恐怖に歯を打ち鳴らし、あるいは憧憬さえ覚えてしまうのだ。

 

 五人の大隊長が麒道斎(きどうさい)の前で膝を折り、頭を垂れていた。各々の手には、精巧な意匠の施された祭具がある。

 それは、大戦を前にして欠かすべからざる儀式だった。麒道斎(きどうさい)が眼下の五人に左手を翳すと、緋縅の具足から淡い光が溢れ、祭具に乗り移るように灯る。

 

「我が天より賜りし加護が、その方らをも包み込んでおる。勇士を守る楯にして、生死を共にする同胞の紐帯である。恐れるな。我らは常に共に在るのだ」

 

 言を聞いた大隊長は感激の色を浮かべ、目に涙を湛える者さえいた。

 

 麒道斎(きどうさい)の具足は、聖なる加護を受けているのだ。仙術という不思議な力を発動し、数千からの軍に浸透させる、天与の神力。

 各大隊長の携える祭具を経由することで、加護は全軍に及ぶ。

 

 その様を見て、将兵は安心する。誇りも新たにする。自らが無敵の軍に在るとの意識は、不動のものとなる。

 それがある限り、銀浪党(ぎんろうとう)は矢玉を恐れない。沼にも荊にも遮られはしない。思うままに戦場を駆け巡り、行手の敵を蹄で踏み潰すのだ。

 

 全軍の戦意が見えざる稲妻となって走った。何しろ此度は、往疋(おうそ)の軍が敵中に在る。

 

 長らく羅聖近衛(らしょうこのえ)と同盟関係にある陣借り隊長で、銀浪党(ぎんろうとう)も何度となく煮え湯を飲まされた仇敵である。戦う度に勝ちを収めながら、勝ちきれなかった原因と言ってもよい。

 

 決して前に出ることはなく、奇兵を繰り出してくる。陣営への夜襲、荷駄への放火、閉所での襲撃など、その手管は多岐にわたった。

 何より、逃げ足の速さが厄介なのだ。森に、山中に、一帯の集落や軍勢に紛れ込むので、追いきることができない。

 

 その往疋(おうそ)が、表に現れて陣を張っている。

 

「彼奴にもいよいよ、年貢の納め時が訪れんとしておる。我らが鋭峰をもって敵陣を貫き、怨敵に切先を突きつけてくれようぞ」

 

 往疋(おうそ)の蠢動さえ排除してしまえば、《八百波(やおなみ)》における銀浪党(ぎんろうとう)の力は確固たるものとなる。皆がそれを認識している。

 故に《八百波(やおなみ)》まで敵を引き込み、原野で四方から蹂躙する定石でなく、敵に先んじて出撃し、先の先を取ることとなったのだ。

 

 誘いかもしれない。怜悧な巳助(みすけ)ならばそう警戒するだろう。もっともではあるが、何するものぞという思いもある。

 如何なる奸計を巡らしていようと、首だけに変えてしまえばそれで終わりではないか。

 

 麒道斎(きどうさい)がゆっくりと右手を天に掲げ、全ての将兵が同じ動作で応じる。既に決まった勝利を祝するもののように、聞吾(ぶんご)には見えた。

 

 ────────

 

 敵は大きく三つに分かれ、横陣を敷いたままの南下を続ける。最も手前、左翼は軽兵を主体とした機動力重視の一万。中軍の本隊は三段に構えた一万五千で、長弓隊や術士を擁していた。左右には、計五千の白麒(はくき)隊。

 

 そして右翼の五千あまり。堅固に見えないだけに、どう動くか分からぬその隊は、まさしく往疋(おうそ)の軍に他ならなかった。

 

 北に目を転じれば、四個の大隊が麓を回り陣を組み替えている。中央の三千は錐のような隊形が二つ、左右の一千五百ずつは翼のように広がって、前進の機を窺うのだ。

 じりじりと歩みを続ける敵を丘の上から見ながら、心中で拍を刻む。《鳴津女ヶ原(なつめがはら)》の半ばに敵が達したとき、初撃を仕掛けると定められている。眼前の風景に見えざる点を打ち、静かに待つ。

 

 

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 敵と点が重なった瞬間、鯨波と嘶きが静寂の原野を揺るがした。

 

 蹄音。明確に一つの方角を向き、戦場を切り裂く。躍り出た六千騎が、敵左翼の左後方から突っ込んでいた。

 白麒(はくき)の鱗と、皆が纏う黒の具足。白と黒の怒涛が、喚声と共に敵に迫る。

 

 敵左翼は狼狽しながら、反転して迎撃の構えを取る。本隊からは長弓隊も増派され、矢の豪雨でもって六千騎の足を止めんとしていた。

 

 丘の上からはっきりと見る。巨大な風の楯が味方を守り、矢の悉くを地に落としているのを。矢玉避け。総大将に分け与えられた加護に与り、六千騎は足を落とさず突撃を続ける。

 両翼の三千が左右に膨らみつつ迂回し、長弓隊に雪崩れ込んだ。縦横に騎兵が駆ける中で白刃が煌めく都度、骸と化した敵が打ち上げられ、血飛沫を風が運び去る。

 

 中央の三千は直進すると見せかけ、騎首を突如として左に翻した。南に回り込んで敵の側面に付くまでの動きは滑らかで、土煙すら立たない。

 そのまま、寄せては退がることを繰り返して、抗い難い圧力を敵にかけ続けている。敵は早くも来た道を逆戻りし始め、転がる骸はその足跡にも見えた。

 

 

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 道が、はっきりと啓かれた。左翼によって遮られていた、敵本隊へと至る道。左側面が、がら空きである。

 

 そして、敵も目の当たりにしている筈だ。東の丘、朝日を背負って稜線を覆う騎影の群れを。

 その中央、緋色の巨影がゆっくりと十文字槍の穂先で天を差し、振り下ろすのを。

 

 旗本と一個大隊、二千の騎兵は一斉に突撃を開始した。

 

 駆け下りる、ではとても足りない。麒蹄で空を揺るがし、大地そのものを抉り取ってしまわんとする鳴動。

 

 海嘯。博識な巳助(みすけ)に教えてもらった。満潮時に川を逆流する、怪物じみた大水の塊。

 今の自分達は、まさしくそれではないのか。万の軍勢さえも、ひと呑みにしてしまう激流だ。

 

 人のものとは思えない絶叫を、聞吾(ぶんご)は聞いた。自分の声だった。

 背を預ける白麒(はくき)の疾駆もまた凄まじく、軍用として調教されたのを、忘れたような暴走ぶりである。

 

 振り落とされるか。それでもいい。身一つで戦場に飛び込んで、立ちはだかる敵を撫で斬りにしてやる。

 

 視界が起き上がった。平地に達したことを悟り、ますます腿に力を籠める。敵と、味方。戦場。周囲の景色がただの線と化して後方に流れ去ってゆく。

 

 眼前に騎兵の群れ、こちらの倍は下らない。敵本隊左右の白麒(はくき)隊が一体となり、遮ろうとしていた。

 そんなもので。こちらより多くとも、顔には恐怖と動揺が張り付いているではないか。足を落とすことなく、食い込んでゆく。

 

 陽光を照り返す赤い輝き。それを見た瞬間、敵の前衛が爆ぜていた。

 

 目を疑うような、しかし当然の光景。麒道斎(きどうさい)が得物を右に左にと無造作に振るだけで、敵は甲冑ごと真っ二つになる。

 敵一騎が繰り出してきた槍を掴むと、敵ごと棍棒のように振り回して、周囲を薙ぎ倒す姿さえあった。

 

 跨る白麒(はくき)の迫力も尋常ではない。蹄にかけられた敵は鞠のように吹き飛ばされ、地に着く前に絶命する。

 

 緋縅の具足は敵の血を吸って、ますます艶かしい赤を湛えているように見えた。

 

 生死に関わらず敵が宙を舞う中で、聞吾(ぶんご)は槍を振るう。

 身を低くしながら疾駆して敵の刃を躱しつつ、敵の死角から一気に得物を突き上げる。騎上の槍捌きとして最初に叩き込まれるこれを、必殺の域にまで磨き上げてきた。

 

 進み続ける中、立ち塞がった敵を七騎は打ち落としている。背後から近づいてくる敵には、三本携えた投擲用の短槍を一つ放ち、喉を貫いてやった。

 

 暫くすると、敵の白麒(はくき)隊は消えた。残っているのは、真っ赤に染まった地面に横たわる敵の骸と、乗り手を失って立ち尽くす白麒(はくき)の群れ。

 意識しないまま、敵兵だけを狙って討っていた。それだけ余裕があったということである。

 

 疲れなど感じるまでもない。一様に得物の先を赤く染めた味方は、皆が緒戦の勝利に昂り、さらなる前進を望んでいる。

 麒道斎(きどうさい)は開戦より変わらず先頭を征くことで、その願いに応えた。

 

 勢いのまま突っ込んだ敵本隊は、話にもならない。

 一丸となって内奥に突っ込み、弾けるように駆け回ってやると、文字通り敵は四分五裂となった。

 

 

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 算を乱して逃げ散る者に用は無い。抵抗を試みる敵が一処に集まろうとすれば、急行して叩き潰すのを繰り返す。

 飛ばされた首が空に踊り、鮮血が間欠泉となって次々と噴き上がる。

 

 術士隊が雷を束となし、麒道斎(きどうさい)に叩きつけるのを見た。腕を振るうだけで、それを掻き消してしまう様も。

 

 これも、天の加護か。それとも、圧倒的な武威の前には、仙術すら無力なのか。

 

 かつての友軍だった骸の山に背を向けて逃げ出す、敵本隊の敗残兵達。味方は十騎足らずが減っているだけだ。

 そして、最後にして最重要の標的が、残っている。

 

 往疋(おうそ)率いる右翼。友軍が蹂躙されて瓦解した様を見ているだろうに、狼狽える素振りも無い。

 不気味な静けさが、敵味方の間に漂う。それを破るように、麒道斎(きどうさい)は前進の命を下した。

 

 敵左翼を完全に敗走させたらしい味方の六千騎を待つこともできたが、往疋(おうそ)が変心して逃げ出すような事態は避けたい。そういうことだろう。

 すまん、巳助(みすけ)。一番手柄は頂く。心中で親友に詫びる。

 

「突撃」

 

 重厚な声と共に、麒道斎(きどうさい)を先頭とした、人麒一体の長大な壁が現れる。双方の距離を一瞬で駆け抜け、仇敵を決して逃さない壁。

 敵は、退がらない。先程までとは勢いも精度も違う矢が、ひっきりなしに飛来する。それでも、加護には僅かな揺らぎさえ生じなかった。

 

 駆ける。駆け続ける。近づいているのは、勝利そのものだ。待っていろ。

 

 不思議なものが、現れた。

 

 一人、否、一騎。目の前に出てくる。徒士による奇襲戦法を得意とする往疋(おうそ)の軍に、白麒(はくき)武者がいたのか。

 総面を身につけていて、顔は見えない。細身だった。

 

 無意識に、短槍を手に取っていた。麒道斎(きどうさい)以下、弓を構えている味方もいる。小癪にも単騎で現れた新手を、先に血祭りにあげる。往疋(おうそ)に、己の末路を教えてやる。

 

 千を超す矢と短槍が風を裂き、白麒(はくき)武者目掛けて飛び去った。

 敵。避けない。静かに佇みながら、右手を顔の横に、左手をこちらに翳している。

 

 蒼光。二つの青い輝きが、敵の総面に灯った。

 

 止まった。

 

 何が?自分が、味方が、そして放たれた飛び道具の全てが。

 

 見えない壁にでも、遮られたのかと思った。しかし、それなら後続の味方が次々とぶつかってくる筈だ。

 そんなものではない。自分と白麒(はくき)がそうであるように、皆が見えざる糸で雁字搦めにされたように動かない。

 

 麒道斎(きどうさい)でさえ、そうだった。

 

 声を、出せない。喉は狂っていないようだが、この世を形作る法則そのものが歪んだとしか思えない今、声を上げる余力すら無い。

 

 矢と短槍の群れ。その全てが、くるりと反転する。刃をこちらに向けている。馬鹿な。飛び道具が造反したとでもいうのか。

 

 再び、敵の総面に青い煌めき。

 

 放った全てが、こちらに向かってきた。

 

 ────────

 

 聞吾(ぶんご)は夢の中にいた。悍ましい、悪夢に。

 

 現実であるものか。そう、叫びたい。目の前に広がる、骸に覆われた地面。血の泥濘でもがきながら生にしがみつかんとし、それが叶わず果ててゆく味方。

 

 これが、無敵を誇る銀浪党(ぎんろうとう)の精鋭、その成れの果てだというのか。

 

 将兵の、白麒(はくき)の骸に突き立っている幾つもの矢と短槍。敵に向けて放ったものが、悉くこちらに跳ね返ってきたのである。

 その瞬間、体が戒めを解かれていることに気がついた。騎首を巡らして襲い来るものを避けるが、白麒(はくき)は守ってやれなかった。

 

「許せ、許してくれ。許してくれ……」

 

 赤く染まった白い体を抱きしめつつ詫びながら、蹄音を聞き取る。重厚なそれは聞き違えようもない。

 微かな希望を抱いて音のした方角を見、それを捨てざるを得ないことを悟った。十数本の矢と四本の短槍を身に生やした麒道斎(きどうさい)が、物陰に去って行く。

 

 味方のものとは到底思えない喚声が響く中、聞吾(ぶんご)はその後を追った。

 

 追うのは難しくなかった。血が、点々と続いていたためである。

 物陰に生えた大きな木に麒道斎(きどうさい)はもたれかかり、兜と総面を脱いでいた。十文字槍を御守りのように抱え持っている。

 

 そういえば、麒道斎(きどうさい)が総面を着けていない時を、見た覚えが無い。平時でさえそうだったし、それに対し違和感すら覚えていなかったのだ。

 

 麒道斎(きどうさい)の……その男の素顔を見て、ぎょっとした。化け物じみた醜悪な顔をしている、というのではない。

 逆だ。あまりに普通すぎる。薄い口髭を生やしただけの、どちらかといえば貧相な中年の男。村や街にいれば、誰の注意を引くこともないだろう。

 

「戦況は……如何……?」

 

 肺腑がやられたのか、笛のような音が声に混じっている。その声も、どちらかといえば甲高い。

 威厳と貫禄に満ちた重低音、聞き慣れた麒道斎(きどうさい)の声とは、かけ離れていた。

 

 疑問を心の片隅に追いやり、高台に登って戦場を窺う。味方の六千騎。北と西の敵に挟撃を受けていた。

 西は往疋(おうそ)の軍に違いないが、北は何なのか。考えられるのは、敵の伏兵であろう。

 

 

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 常であれば容易く返り討ちにできるであろうが、無敵の総大将が消息不明の今、健在な味方も激しい動揺に包まれているに違いない。

 

 報告のために戻ってその光景を見た時、聞吾(ぶんご)は膝から崩れ落ちていた。

 

 骸。決して見る筈のなかった、一人の男の骸。

 

 苦痛に耐えかねたのか、緋縅の具足を脱ぎ散らしていた。男の全身。まるで枝のように細い。

 これでは勇者たり得るどころか、槍をまともに持つことすら覚束ないのではないか。

 

 唐突に突きつけられた惨状と、味方が敗北の深みに落ちようとしている現状。それが、自分から正気を奪っているのだと分かった。

 

 でなければ、何故俺は緋色の兜を、総面を手に取っている。腕を、脚を、胴を守る防具に、手を伸ばしている。

 

 大きさが合う筈はないのに。具足を身につけたところで、無双の勇者にはなれないのに。

 加護か。如何ともし難い状況の中で、俺は天に縋ろうとしているのか。

 

 不意に、四方から殺気を感じた。

 敵。往疋(おうそ)の手の者か。麒道斎(きどうさい)の生死を検める中で、ここを見つけ出したのだろう。そして、首を土産に主君の下へ戻るつもりか。

 

 きっと、こいつらは勘違いをしている。狙っていた相手は、既に亡いということを知らないからだ。

 今、緋縅の具足を纏って立ち上がったのは、死者から軍装をくすねただけの、紛い物だった。

 

 十文字槍。握り締めた。唐突に立ち昇る、鉄のような血腥い臭気。

 周囲に目を転じると、幾つも横たわる骸。それを作ったのが自分だということに、暫くして気づく。

 

 遺された白麒(はくき)の背に、跨った。高い知性を持つ生き物であるから、本来の主でないことなどとうに分かっているだろう。

 それでも、不満の欠片すら見せることはない。自らの生存もかかっていると、知っているのだ。

 

 戦場へ舞い戻ると、一帯がしんとなった。万を超える視線が自分一人に向けられるのを感じる。

 

 味方は。三百は討たれている。三千程いる北の伏兵より、往疋(おうそ)軍の正確無比の射撃が厄介と思われた。何処から仕入れたものか、雷火(らいか)も幾つかある。

 

「我は、ここに戻った」

 

 半ば無意識に動かしていた口から流れる低い声は、二度と聞くことのできない筈のものだった。

 

「我が同胞よ、仇敵どもよ。我はここに在る。使命を帯びたる我が身を、天が生かしたもうたのだ。我はここに在る。故に、我らは敗北を知らぬ」

 

 これまで生きてきて思い浮かべたことすらない語彙が、次々と脳裏に浮かんでくる。

 不意に、視界が淡い光に覆われてゆく。具足を包む天の加護、それが宙に漂っているという仙術の源と反応し、光を放っているのか。

 

 敵は狼狽え、味方は息を吹き返した。谺する鯨波の中で五千騎あまりが騎首を揃え、手近な北の伏兵から揉み潰しにかかる。

 突撃を受けた敵が四散していく中、往疋(おうそ)の軍はいつの間にか戦場から消えていた。戦の潮目が変わったことに、きわめて敏感な敵だとは知っている。

 

 背後から迫る鋭い風に背を刺され、咄嗟に騎首を回した。

 その気配と相対する。単騎。総面に覆われた顔同士を、突き合わせる。やはり、青い光が灯っていた。

 

 呼応したように麒腹を蹴り、馳せ違う。刃と刃。擦過音と共に光芒が現れては、消える。

 

 相手は両手に一本ずつ、小太刀を携えていた。十文字槍で受けた時、二度の衝撃があったと思い出す。軽い痺れは未だ手に残っていた。

 

 世界に二人しかいないような気分のまま、得物を打ち交わす。

 双太刀は両手の得物で動きを組み合わせ、攻防一体の剣技で敵を翻弄するものだ。というこれまでの思い込みを、どうやら捨てねばならないらしい。

 

 相手は、防御などまるで考えていない。二振りの小太刀から立ち昇る殺気が、使い手に休むことを許さないかのようだ。とにかく攻める。攻めに攻める。

 左右に斬る、前に突く。その悉くに、必殺の勢いがある。切先が下がったように見えても、それは次なる攻めに備えた溜めに過ぎない。

 

 太刀筋を読むまでもない。どこまでも直線的で、分かりきっているのだ。迷いが無い。故に、隙も生じない。

 それは、全く未知の戦慄だった。得物を掲げて急所を庇う度に走る衝撃が、体の芯を揺るがしてくる。痩身の敵の何処から、ここまでの力が。

 

 気張れ。自分を叱咤する。持ち堪えるのでは足りない。勝つつもりで臨まねば、死ぬ。その身に纏う緋縅が泣くぞ。

 

 肚を決めた時、十文字槍を前に突き出していた。

 

 唸る風を裂き、二つの刃が絡みついてくる。穂先が斬り落とされる、その前に得物を手放した。

 自分で丸腰になったということが、相手の予測を外す。刹那の隙。それで十分だった。

 

 腿を締め上げ、白麒(はくき)を加速させる。左腕。拳に力を籠め、腕を巌に変える。

 勢いのまま、前腕を相手の首元に叩きつけた。

 

 弾ける、鈍い音。首が、彼方に飛んだ。

 

 そうではない。飛んだのは兜だけだ。鞍から落とされた相手は地面に仰臥しながら、まだ息をしている。

 ぶつかる瞬間、咄嗟に身を退いたのか。落ち方も悪くなく、頭への致命的な傷を防いでいる。

 

 争闘の気配が《鳴津女ヶ原(なつめがはら)》から消えている。味方は無益な追い撃ちをやめ、残った将兵を集結させているようだ。

 大きく息を吸って、吐いた。一騎討ちの最中、呼吸を忘れていたような気もする。

 

 鞍を下り、敵に近づいた。総面に包まれた顔。後ろで纏めた、赤い髪。

 まだ意識があるようで、こちらを認めて頭をゆっくりと動かしていた。

 

 総面に手をかけ、むしり取った。

 

 あっ、という声を上げていた。思わず仰反る。

 

「女……か!」

 

 女だから、驚いたのではない。その容貌が、並外れたものであったためである。

 美しかった。この世のものと思えぬ程にだ。

 

 初雪のように白い肌、目鼻立ちのくっきりした顔つき、艶やかな唇。無学な聞吾(ぶんご)は、その美しさを言葉で示すにあたり、あまりに無力だった。

 

 伝承に残る天女とは、このような女を指して言うのではないのか。

 

 聞吾(ぶんご)は暫し、自らが置かれた数奇な境遇すらも忘れて、その女を見つめた。

 

 穢れを知らぬ蒼穹を思わせる、青い瞳だった。




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