無源の秋 〜竜の翼は風雲に舞う〜【毎週金曜12:00&日曜19:00更新】   作:くコ:彡の本棚

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第一章 動き出す歯車
天地駆ける者達


 

 無源(むげん)は岩肌に座りながら、地竜が土を掻き回す気配を感じていた。

 

 傍らの飛竜はそれを気にも留めず、尖った口許を土に食い込ませている。

 

 地竜の群れが季節に応じて地中を移動する。《久々鱗(くくり)》の民はそれを追って移営し、地竜を狩って肉と皮を糧とする。そして、彼らの半身と呼ぶべき飛竜に、地中の滋養という甘露を与えるのだ。

 

久々鱗(くくり)》では、当たり前の光景だった。数百年にわたる山と人と竜の営み。だから、その意味を深く考えようとする者は殆どいない。幼き日の無源(むげん)もそうだった。

 

 僅かなりとも学を得た今、少しは理屈というものが分かる。地竜は移動することで土を攪拌し、地中における空気の濃さを均す。同時に、目には見えない小さな虫の働きを促して、草木を、それを食む獣を育むのだ。

 

 そして、飛竜が土から得ているのはただの滋養ではなく、地中を巡る仙気そのものだという。仙気。風、雷、炎、水……森羅万象を司る万物の根源。

 それは流転することで遍く大陸に恩恵を齎しているとされる。地竜が移動によってかき混ぜた仙気を吸い上げた飛竜は、空を翔けながら仙気を天地に還す。

 

 全ては繋がっている。支え合っている。無源(むげん)にとっては新鮮な驚きでありながら、ごく当たり前のことを再確認したという思いもあった。

 

 呼びかけられた無源(むげん)は腰を上げた。飛竜の羽ばたく音が谺し、風雲急を告げるものとして耳に注がれてくる。

 

 無源(むげん)は飛竜の鞍に跨り、心気を統一して精神の糸を結びつけた。戦だ。軽く蹴散らしてやろう。心で語りかけると、飛竜は小さく唸った。

 齢二十。魂の底から侃々と湧き出す力が、解き放たれるのを待っている。

 

 山を飛び出した四十の騎影が、空を征く。久々鱗の最南端、《聖華(しょうか)》との国境にあたる山々は居住には適さず、事実上の遊休地と化している。

 無源(むげん)に付き従う百騎あまりはそこに点在していた。大小いずれの氏族にも、身の置き所が無い者ばかりだ。

 

 彼らが求めるのは、名誉でも、冨貴でも、あるいは矜持ですらなかった。運命を変えるだけの力、きっかけを求めて集っているのだ。無源(むげん)は、そんな彼らの導とならねばならない。

 

聖華(しょうか)》東部で大規模な賊の移動を察知した、という報せが飛び込んできた。

 

臣廼川(おみのがわ)》の水運を、賊は脅かしている。食糧、布、鉱物、その他あらゆる物産を動かして経済を回し、人々を潤してきた交易の路。

 水陸の流通網を蚕食するように、賊が幅を利かせ始めたのは、十年程前のことらしい。

 

 そうした賊どもとの戦いに身を投じ、五年が経っていた。何処の国の思惑にもよらぬ、自分自身の展望によってだ。

 

聖華(しょうか)》の朝廷に鎮定を依頼されたことなどない。それどころか、賊の跳梁を唆している気配さえある。《臣廼川(おみのがわ)》流域の守備を統括する将が不自然な時期に皇都へ召還され、後任すら未だ赴任していないという。

 そのために、各拠点の守備隊はまともな連携を取ることも叶わず、各々受け持つ地域を守ることしかできていない。

 

 情勢の認識も、教えを受けて初めて持つことができた。無源(むげん)一人では見えない、察せられない事情に通じている仲間もいてくれる。それは、得難いことだといつも思っていた。

 

 地上を見下ろして様子を窺う。一点に蝟集して大きな塊になりつつある、人の群れ。風に吹かれる砂にも似ていた。無数の光点が明滅しているのは、武器の白刃が陽光を照り返しているためだ。

 

 囮である。見え透いていた。騎竜隊と一度でも戦ったことがあれば、空から動静を丸裸にされる恐ろしさなど、嫌でも分かる。まして、衝突は五年も続いているのだ。

 

 空から見た際にも死角は生じる。岩が突き出し傘の如くなっている地形に隠れたり、高さのある草に身を伏せたりといった具合に。人壁に主力を潜ませておくというのもあった。

 

「陸の者どもに合図を。輪を絞るぞ」

 

 伝令役にそう伝えて後方に下げると、三十騎を二騎ずつ散開させた。影が一気に膨れ上がり、空を覆わんばかりに見えることだろう。

 それに紛れるようにして、無源(むげん)は残る十騎を引き連れて迂回を始める。

 

 風が、熱を帯び始める顔を撫でる。逸ってはいない。大事の前準備から逸り続けていては、とても気力が保ちはしないのだ。

 

 ────────

 

 雷雲が垂れ込める様に似ている、と風喜(ふうき)は思う。天下に名の知れた《久々鱗(くくり)》の騎竜隊、目の当たりにするのは初めてだ。

 

 散るような動きを取るのは、矢玉を浴びて一網打尽になるのを防ぐためだろう。三百年前まで、騎竜隊の一斉騎射といえば恐怖の象徴であったが、今は徒士の扱う射程の長い弓が普及し、弾丸を撃ち出す雷火(らいか)という兵器もある。

 

 騎上で使うために射程が頭打ちになる《久々鱗(くくり)》の弓では、一方的に撃たれっ放しとなるのも無理はない。騎竜武者に散々苦しめられた歴史を持つ《聖華(しょうか)》で宮仕えをする人間は、自然とそうした知識に触れるものだった。

 

 となれば、敵は騎竜隊の弱みを知悉し、対策を立てる思慮を持っているということだ。容易ならざる相手と言うべきだろう。

 

 敵。己を虐げる、憎むべき者をそう呼ぶのであれば、目の前にいるのは果たして敵であろうか。自分を連れ去り、野蛮な手段での制裁まで仄めかして協力を強いているのは、迎撃の陣を構える賊どもの方だ。

 

「奴らが寄せてくる。おい、術士殿には矢玉避けをかけてもらおうか」

 

 賊の指揮官が居丈高に命じてくる。背後でわざとらしく剣を鞘走らせる気配を感じ、風喜(ふうき)はうんざりしながら術式を組み上げた。

 

 空間中の仙気に干渉し、あらゆる事象を起こす能力を修めた者を仙術士と呼ぶ。《聖華(しょうか)》では千年の長きにわたり術の体系を発展させ、大国としての権威を築いてきた。

 

 風喜(ふうき)に情熱を向ける先があるとすれば、術を国民(くにたみ)のために磨き上げ、より良い国づくりに寄与することだった。

 それが、賊の虜となった挙句、顎で使われているのだ。悲嘆が心を覆い尽くす。

 

 陣の頭上一帯が風の壁に覆われた。頭上からの射撃や落下物をほぼ完全に遮断する風の防塁は、籠城や城攻めで威を発揮する。

 敵の騎竜隊は飛び道具を封じられた。陣を破るには的になることを覚悟で突っ込み、術の根源……つまり自分を討つ他は無い。

 

 二騎一組となった敵騎が、空気を圧して一斉に迫り来る。気づけば、二歩退いていた。遠くに見えていた小さな姿が、瞬きすると視界の半ばを占めている。聞きしに勝る飛勢だった。

 

 弓手を担う賊が矢を番え、まさに射放さんとした直前、敵は騎首をめぐらして離脱した。撃たれる機を肌で知っていなければできない動きだ。

 一騎の損失も無く退がった敵は、角度を変えて再び接近してきた。矢を向けられると、迅速に退く。倦むことなくそれを繰り返す。狙いが右往左往する矢は、一度も放たれていない。

 

 暫くすると全騎が集結し、一点の突破を図る兆しを見せた。陣全体が色めき立ったが、結局は撃たれる直前で離脱する、先程までの動きを繰り返しただけだ。

 胸のすくような思いでいる自分に、風喜(ふうき)は気づいた。敵は攻めあぐねているのではない、まともに打ち合うこともせず、敵の鼻面を引き摺り回している。痛快ですらあった。

 

「敵にでかい顔をさせるのもここまでだ。全力で飛び回って、既に半刻(一時間)。奴らは小休止を欲しておる」

 

 飛竜の体力もそうだが、精神を繋げている騎手の負担がより大きい。飛べなくなって平地に不時着でもすれば、囲まれて滅多斬りに遭うだけだ。

 適当な高さと広さを有する丘や小山で、翼を休めてやる時が必要になる。賊はそこを襲うつもりでいるようだった。

 

 想定された通りの丘に敵が向かうのを、賊達はしたり顔を浮かべて見ている。着陸した最も無防備な瞬間、伏せている別働隊で一斉に攻め寄せようというのだ。

 だが、風喜(ふうき)はどこか腑に落ちない。敵は、わざと賊が考えている通りの動きを、してやっているようにも見える。

 

 喚声と悲鳴と、刃を打ち交わす響きが丘を揺るがしたのは、その直後だった。まだ、一騎も丘に達していない。

 

 賊は一瞬静まり返り、そしてどよめいている。目を凝らした先、丘の麓で行われているのは、戦闘と呼ぶにはあまりに一方的なものだった。

 剣で首を飛ばされ、槍で胸を貫かれ、這いずるように逃げ散っていくのは、その悉くが賊である。

 

 賊ではない徒士が騎竜隊の動きに呼応して、丘を狙う賊に奇襲をかけている。そうとしか思えない。別働隊は存在が露見した伏兵の脆さを示し、陸と空からの攻勢で血祭りに上げられていた。

 

 余勢を駆って敵の徒士が攻め寄せてくると、慌しい空気が後方に広がった。一人の賊が武器も放り出し、背を向けて走り出す。それは二人になり、十人になり、百人を超えた。

 

「駄目だ!やっぱり奴らには勝てん」

 

 一度ならず、敗北を喫していた相手らしい。少しでも負け癖を改めようとして、全くの逆効果になったということなのか。

 

 指揮官に襟元を掴まれ、引き摺られるままに走り出す。思わず術を解いていたが、逃げ出し始めた彼らは気づいていないようだ。

 腹の底に響いてくるような地鳴り。敵の徒士による猛追は、すぐ背後に迫っている。

 

 晴れた空に横殴りの豪雨。先に逃げ出した賊が、立て続けに倒れてゆく。喉に、胸に、深々と矢が突き立っていた。

 十騎。賊が敗走する機に備えて伏せていたらしい敵が、空から射掛けてくる。敵の書いた筋書き通りに踊らされたことを自覚した指揮官の顔は、紙のように白い。

 

 追撃の気配は、いつの間にか八方から感じられるようになっていた。敵が包囲の構えに入ったか、それとも新手がいるのか。一度囲めば断じて逃がさぬという、酷薄なまでの意志が滲んでいる。

 風喜(ふうき)を放り出した指揮官は、剣で一点を指し示した。

 

「包囲の穴だ。一丸となってあそこを食い破らぬ限り、明日は無いと思え」

 

 指揮官自身を先頭とした突撃。生存がかかるだけあり、皆が必死の極みにある。行手の敵は死兵の突撃を受けることはせず、左右に退いた。道を開けてやるかのように。

 

 抜けた。そう見えた時、一陣の風が眼前を横切った。

 血煙が空を染める。首と両腕を一時に斬り飛ばされた指揮官の骸は、どうと倒れ込んだ。

 

 地面にへたり込んでいた。両脚は萎えたように動かない。蜘蛛の子を散らすように逃げてゆく賊も、それを掃討する敵の姿も、まるで現実感のない虚像と見える。

 

「おい、立てるか?」

 

 ぎこちなく首を動かすと、飛竜に跨る若者の姿があった。数え十八となる風喜(ふうき)より、少しばかり年長だろうか。

 携えた長巻の切先から、鮮血が滴っていた。あの時指揮官を討った男だ、そう確信する。

 

 青年の背後。ごく当たり前の風で、集結した徒士が隊列を組み始めている。《聖華(しょうか)》最精鋭の国軍を思わせる程に、整然として無駄の削がれた動き。何者なのか。

 

「賊にしては身綺麗な奴だな」

 

 差し伸べられた手を取る。さして大きくもない手から伝わる力に、底知れない何かを感じた。

 

 ────────

 

 早朝。《臣廼川(おみのがわ)》の滸で、川面を眺めるのが波守(なみのかみ)の日課である。

 

 賊が跋扈するようになってから、随分と嫌なものが流れ着くのも見てきた。賊に殺された民の遺体、焼き討ちされた船の残骸。川そのものが血で真っ赤に染まることもあった。

 

 こんな有様を変えてやる。共に川面を見ていた無源(むげん)が力強く言い切ったのを、昨日のことのように思い出せる。

 

「おはようございます、御主人様。今朝は少し冷えますね」

 

 桟橋の点検をしていたらしい善右衛門(ぜんえもん)が、右手に何かを持ちながら声をかけてくる。出会った頃は小間使いをどうにかこなす程度だったが、今では商館の仕事を一部任せている。

 

 この若者も、川で拾った。賊に両親の命を奪われ、川に飛び込んで必死に泳ぎ着いた先に、自分がいたのである。寒さと恐怖に震える少年を見て、波守(なみのかみ)は己が無力を呪いさえした。

 

「洒落た貝殻だな。泉花(せんか)に贈るのか」

 

 指摘してもらいたくて、わざとらしく持っていたのだろう。善右衛門(ぜんえもん)ははにかみながら鼻の頭を掻いた。

 

泉花(せんか)様は近頃、貝殻集めに凝っておられると小耳に挟みまして」

「それは勝手だが、徒労にしか思えんなあ」

 

 姪の泉花(せんか)は三年前から商館で暮らしている。歳の変わらない善右衛門(ぜんえもん)は知り合った頃から熱烈に好いており、幾度も直接的に好意を伝えては、すげなくあしらわれていた。

 

 それでもこの男は懲りない。泉花(せんか)の方も、不毛としか言えないやり取りを、日々の楽しみとしているかに見える。

 

「報われないことも覚悟でお慕い申しているのです。……ところで、お客人がご挨拶をしたいと申されていますが」

「そうか。客間にお通しせよ」

 

 数日前、無源(むげん)が賊徒を破った際に知り合ったという青年で、話を聞くために商館に留め置いていた。

 所用で商館を暫く空け、戻ったのが昨日の深夜だったため、対面はこれが初となる。

 

風喜(ふうき)と申します」

 

 その青年、風喜(ふうき)は確かに賊と縁遠い気品を湛えていた。

 

「ご厚情を賜り、感謝のしようもございません。あの方は無源(むげん)なるお名前だそうですが、改めて御礼を申し上げたく」

「大仰な。奴もそなたを助けるために戦った訳ではあるまい」

「そうではないのです。心ならずとはいえ、賊に与していた私の命をお救いくださったのですから」

 

 商いで糧を得ているだけあり、波守(なみのかみ)は己の勘にそれなりの自信があった。この青年から、聞くに値する情報を得られるかもしれぬ。

 

「どうも賊に(かどわ)かされたようだが、できるなら詳しい経緯を聞きたい」

「はい。私は皇都にて空読みの見習いをしておりまして、潮風の向きを検めるためと、海沿いの村へ向かったのです。十日あまり前に」

 

 空読みとは、風向きや日照などから気候の予測を立てる任を帯びた、術士の総称である。戦場で使っていたという風の術も、修行の過程で会得したのだろう。

 

「そこで賊の襲撃に遭い、上役に促されるまま小屋に逃げ込みました。ところが、まるで私が来ると分かっていたように賊が潜んでいたのです。為す術も無く船に押し込まれた私は、海を渡ってここまで……」

 

 それを聞いて覚えたものは驚愕でなく、深まる確信であった。

 

聖華(しょうか)》の朝廷で権勢を恣にし、国の命数を貪りながら専横を極める者達がいる。

 自己の栄華を確固たるものとせんがための奸計、その一環として、賊徒の黒幕として東部の商人達を弾圧しているというのは、公然の秘密のようなものだ。

 

 それにしても、事もあろうに国の柱石たる術士を、賊に売り渡すとは。その者達にとっては本来、仙術の探究と伝承こそが累代の使命であるというのに。

 

「難儀であったの。上陸地点は分かるか?」

「周囲が見える時には、殆ど目覆いをされていました。ただ、西に向かって川を渡ったと思います」

「西に、川をな」

 

 波守(なみのかみ)は頭の中で《聖華(しょうか)》東部の地図を広げた。西に川を渡ったとすれば、《臣廼川(おみのがわ)》の下流で間違いあるまい。

 河口の東側に、接舷可能な場所がどれだけあるか。その前提にそぐわない候補を消していけば、答えは自ずと見えてくる。

 

「辛い経験をしたろうに、協力感謝する。ところで無源(むげん)だが、今は調練の指揮を取っていてな」

「調練ですか」

 

 波守(なみのかみ)風喜(ふうき)を促し、二人揃って館を出た。賊の大きな動きを一つ、無源が叩き潰してくれたおかげで、穏やかな日和である。

 

「進軍と布陣の調練を各地で行っているのだ。道々で賊を掃討しながら。今日の午には戻る予定故、昼餉でも共にするか」

無源(むげん)殿は、《久々鱗(くくり)》の氏族であられるのですか?それとも、商館に属する部曲(私兵団)の主とか」

「確かに《久々鱗(くくり)》から来た男ではある」

 

 外からどう見えるか、どのように体面を繕うか、実相は如何なるものか。それらは全て異なる問題である。

 無源(むげん)とは何者か。自分としては、確固たる答えが心中にある。しかし、今言う必要はあるまい。理解してもらう必要もない。風喜(ふうき)無源(むげん)に会い、自分なりの答えを持てば良いのだ。

 

「まあ、暫し待て」

 

 やがて、昼時になった。商館の郊外にある丘に、無源(むげん)率いる兵が現れる。善右衛門(ぜんえもん)泉花(せんか)も迎えに出ていた。

 

 風を押し退けて翔ける騎竜隊の直下を、五百は下らない徒士が得物を携え走り続ける。それも、軽兵を物見(斥候)に走らせ、槍を構えて四方を警戒することを繰り返しながらだ。

 

 さらに、規則的な音と光の明滅。空と陸で相互に連絡を取り合い、進軍の位置と距離を詳細に計っている。

 徒士の一団が高台に達した。すぐさま頂上の四方に展開し、楯を構え、柵を張りめぐらす。後続は麓で散開し、迎撃の構えを取った。騎竜隊はそこに着陸し、次なる出撃に備えている。

 

 ここまでが、調練である。号令が上がり、皆が休息を取り始めた。所々で立ち昇る炊煙。

 

「ただ今戻りました。おお、そいつも一緒でしたか」

 

 汗を拭いながら現れた無源(むげん)は、然程疲れているようには見えない。小手を翳していた風喜(ふうき)は、声をかけられ驚いている。無源(むげん)が騎竜隊を率いていると思い、頭上を探していたようだ。

 

無源(むげん)殿、先日のことは何とお礼を申せばよろしいのか。……あの時は、飛竜に乗っておられたと記憶しているのですが」

「俺にとってはおかしなことでもない。高く飛ぶための翼だけでなく、遠くまで歩ける足も俺は欲しているのだ」

 

 齢十五となり、賊と対することを決めた時。無源(むげん)はやや大きな具足を纏って、やはりそう言ったものだった。

 あれから、五年。無源の体は具足が合うまで育ち、気宇は計り知れない程に大きさを増した。

 

「精が出るな」

「今回は軽く、瀬踏みのようなものです。《珠幸(じゅこう)》からの土産もありましたので」

 

 輜重車で運ばれる多くの積荷、その内訳は善右衛門(ぜんえもん)が確認を取っていた。建材に使う丸太と、散薬の原料として重宝する茸。それから、香料や木の防腐剤となる山草。

 

 五人で焚火を囲み、昼餉をよそう。雑穀の混じった粥と、焼いた肉。兵達と同じものを食えば、彼らと寄り添えるなどと思い上がってはいない。

 賊に抗する目処も立っていなかった頃、館に籠って塞ぎ込みながら飯を食らっていた。それと比べ、今はどれだけ恵まれていることだろう。

 

「《珠幸(じゅこう)》とは《久々鱗(くくり)》の領域にある海沿いの街でね、定住を選んだ人々が商いを営んでいるのさ。船による《金號(きんごう)》との交易もあるのだよ」

「そうなのですか」

「何を訳知り顔で宣っているのかしら。無源(むげん)殿の受け売りでその気になっちゃって」

 

 得意になって風喜(ふうき)に語る善右衛門(ぜんえもん)に、泉花(せんか)が冷水をぶっかける。少しむくれるのを見て、面白がっているのだ。

 

「ただ一度とはいえ、商談を纏めるために足を運んだこともあるのです。そうだ、情勢が落ち着けば共に行かれませんか?静かな海の眺望を楽しめる、良い場所を知っています」

「あら、ありがとう。是非とも一人で行かせてもらいますね」

 

 善右衛門(ぜんえもん)ががっくりと肩を落とすのを見て、皆が苦笑する。泉花(せんか)の胸元には、装身具に加工された貝殻があった。

 

筆麻呂(ふでまろ)先生は一緒じゃないんですか?」

「儂だけ先に帰ってきた。一両日中には奴も戻る筈だが」

 

 言葉を交わしながら横目で見ると、風喜(ふうき)は粥を啜りながら不思議そうに肉を見つめている。

 

「これは何の肉でしょう。猪、とも違うようだし」

「地竜だよ。食うのは初めてだろう」

 

 風喜(ふうき)がぎょっとして目を剥いていた。土を掘削する巨大な両腕と、巌のような鱗に覆われた体表。知識としてその姿を知っているだろうが、その肉が皿に盛られているなど、想像の埒外にあるのも無理はない。

 

 一切れの肉を、僅かな勇気を振り絞る仕草で口に押し込み、確かめるように咀嚼している。無源(むげん)が面白がって見つめていた。

 

「口に合うかね?」

「はい……癖もなく、淡白で、存外食べやすいですね。……噛む程に、深い味わいが沁み出してくるような……」

 

 忙しく噛みながら話すので、言葉は度々途切れる。

 

「味は大変、良いものですが……何とも張り詰めた肉ですね。顎が……疲れてきました」

 

 ようやく肉を飲み込んだ風喜(ふうき)に、善右衛門(ぜんえもん)が水を差し出している。噛みに噛まねば飲み下せない食事など、《聖華(しょうか)》の良家ではまず出ないだろう。

 

「食ってもらって分かったとも思うが、味そのものは悪くないのだ。余計な脂も無い。皇都に出回っても恥ずかしくないと思ってる」

「皇都に?」

「ああ。皇都のお抱え料理人であれば、もっと食いやすくする調理を編み出せる筈だ」

 

 さり気なく、しかし明確な示唆に富んだ無源(むげん)の言葉である。

 

 無源(むげん)という男が鎹となり、波守(なみのかみ)は《久々鱗(くくり)》の民と商いで繋がることができた。先程受け取った輜重は、ほんの一部に過ぎない。豊かな山の恵みは、立派な商いの糧たり得るものだった。

 無源(むげん)はもっと広く、大きく、それを育てたいと考えているのだ。

 

 賊徒と戦い続けてきたのは、それらの流通路を守り、啓くためのものである。突き詰めると、それはどこまでも彼自身のためであり、最初から隠そうとはしていない。

 

 その潔さに、波守は賭けようと決めていた。

 

「ところで風喜(ふうき)、お前は空読みにしては弓箭(軍事)の知識もありそうだな」

「兄が皇都の守備隊に属する武官でして、聞き齧りです」

「お前から見て、俺の軍はそんなに不思議か?」

「ええ、とても」

 

 騎竜隊が占める軍勢。騎首を揃えて突撃し、風をも断ち割る怒涛となって敵陣を蹂躙する。風喜(ふうき)は《久々鱗(くくり)》の戦をそうしたものだと思っているだろうし、実相と大して変わりはない。

 

 騎竜と徒士を一体とし、一つの組織として編成されている軍など、大陸で他に類を見ない筈だ。

 

「この軍で無源(むげん)殿は、何をなされようというのです?」

「目下の狙いは、賊を根から叩き潰して《解軛門(かいやくもん)》を手に入れることだ。大目標の重要な拠点になる」

 

解軛門(かいやくもん)》。それは大陸東端にある古代遺跡で、今では周囲の山岳地帯もその名で呼ばれていた。賊はその遺跡を占拠し、牙城として守りを固めている。

 

「では、大目標とは」

「国を樹てる」

 

 風喜(ふうき)が箸を取り落としそうになった。さり気ない口調と、真剣そのものの顔を目の当たりにして、固まったのだ。

 

「《久々鱗(くくり)》もそうだが、今は大陸中が倦んでいる。澱んでいる。それをどうにかできる国を、俺は作り上げてみせる。《解軛門(かいやくもん)》の攻略は、その第一歩だ」

 

 無源(むげん)の双眸に宿る光。それは小さく、静かでありながら、焚火が見えなくなる程に眩しかった。

 

 

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