無源の秋 〜竜の翼は風雲に舞う〜【毎週金曜12:00&日曜19:00更新】 作:くコ:彡の本棚
紫紺の装束が似合う男だ、と思った。
年明けを二週間後に控えた今日、
同道する一人は主である筈の
法螺を吹いているのでないことは、装束を見ればよく分かる。独特の意匠が施された紫紺の装束は、《
長く着古しているようだが、汚れやほつれは特に見当たらない。手入れを欠かしていないためだろう。
「この時期には暖かそうでよいな」
「それだけではないさ。仙術との相性が良い布地だから、術で涼しくも暖かくもできる。何より──」
「何より?」
にやりと笑った
「女性に声をかけた時の反応が違う」
「呆れたおっさん!名誉の装束まで出しにして、女を誑かしてるのね」
非難の声を上げたのは
当の
「生きていればだね、誰しも騙されたくなる時があるものだよ。私もそうだし、叶えてやりたいとも思う」
「それらしいこと言っちゃって」
「いずれ分かる……いや、分からなくてもいいな。それはそれで、満ち足りた人生ということだから」
取り留めのない話を聞きながら、
それに姉弟を伴うのは、必ずしも本意ではなかった。自分が働き、二人は帰る処に居てくれるだけでいい。
しかし、できることは全てやりたい、一人前になりたいと望む姉弟の懇請に抗いきれず、こんな処にまで連れてきてしまったのである。
子供の内は己が務めなど考えず、のびのびと過ごせばよい。そう思ってしまうのも、大人の傲慢と言われては返す言葉も無いが……。
それはそれとして、確かめたいことがあった。
「十数年前のことだったか、噂に聞いたことがある。《
「流石に情報通だ」
「つまらんな。言い当てられて驚く顔を見てやりたかったが」
「では、これはどうだろう。私が《
どこか講義じみた語り口だった。この男は過去を持ち出す時、いつも教書に書かれているように話すのだろうか。
「さあ。人妻との逢瀬が見つかって殺されかけ、這々の体で逃げ出したってのはどうだ」
「残念、私は睦む女性を置いて逃げる薄情者ではないよ」
逢瀬について否定することなく、伊達男は正答を語り出す。
かねてより
《
特に
《
それ自体は姉弟どころか、
「今更ながら、研究して対策を立てるように命じられたのですか?」
「その真逆だよ、
そして一つの仮説を導き出した時、
「最も主要な採掘源は《
「飛竜と
「あくまで仮説だった、その時点ではね。検証する価値が大いにあると湧き立ったものだよ」
しかし、公表すらしなかった仮説を誰かに探られたか、
研究のために、軍の蔵から
その背景が、
伝統ある仙術を、権威を振りかざして専横を恣にするための道具としか見ない連中からすれば、足元を掘り崩されるようなものだろう。
かくして、
「殿との面識はその頃からか」
「佳い生徒だったよ。私の仮説や歴史の話について、目を輝かせてくれたのを覚えている。御父上にもお世話になったものだが……」
過日の交流と恩義に報いるため、現在は務めに専心しているということか。
色恋と研究に現を抜かすばかりかと見えたこの男の、意外と義理堅い側面を見た気がした。
────────
集結地点で
「こちらが
傍らの男、
「これでは先が無いな」
一週間前。この男が《
それも命令ではなく、懇願と呼ぶに相応しい様子で、何が不足しているのかを知りたがっていたようだ。幾度も、頭を下げて。
「邪魔な岩が幾つかある。《
答えを得た
案内を頼まれたという
「せっかく助けてくれるんだから、甘えたらいいのに」
「人の善意を信じられない人間には、相応の経緯があるもんだ」
それは、主の命で恤救(困窮する者の支援)を行う
生半な同情も許されないような境遇に、この男は置かれ続けていたのだろう。
第一の地点に到着した。
さて、岩の撤去である。丸ごと削るとなると大がかりな作業が必要になるが、考慮すべきは地竜の存在だ。音や衝撃が地竜に良からぬ刺激を与え、地上に出て暴れられては一大事である。
剰え、地竜の群れが《
そのため、仕掛ける場所はしっかりと見極める。
「無理をするなよ」
意気込んで前に出てくる姉弟にかけた言葉は、果たして正しかったろうか。ここまで連れてきた時点で、詮無いことではないかとも思える。
女々しく考え込む
大岩をじっと見つめる
紙に変化が起き始めた。薄い一枚の紙だというのに、奥底から湧き上がるようにして、絵が浮かび上がってきたのだ。
それは、
「流石に、あの瞳を持つ子供達の術は一味違いますね」
感嘆する
仙術の高い素養を持つ者は、その瞳が鮮やかな色を纏うという。確かにこの姉弟には、天与の才とでも言うべき異能があった。
そして血縁故の結びつきと言うべきか、姉弟は各々の力を繋ぎ合わせることができた。それが今、ここで行われている。星凛《せいりん》が見た地下の構造を、
「素晴らしい!これならば、仕掛けを施すべき箇所はすぐに分かるよ。早速、取り掛かろう」
これあればこそ、自分達は此度の務めで大いに役立てる。姉弟はそう力説し、実際そうなっているのだが、
大いなる力を誰かのために役立てるのは、人として正しい在り方である。それは分かっているが、純真な子供らがそれに振り回されはしないか、何より心配なのだ。
そんな
「先日、兄からの返書が届きましたよ」
空読みは皇都でも誉れある役職の一つで、良家の子弟でもなくば見習いになることすら難しい。御多分に洩れず、
しかし、返書について告げた
「その様子だと、成果無しか」
「残念ながら。真面目で頭が固い兄ですので、返書が来たこと自体に驚いたくらいで」
若くして皇都での役職を得ている男だ。こちらが皇都の内情について知りたがっていることくらい、察しているだろう。
「朝廷への奉公というよりは、国そのものを憂う心が強い人です。万が一にも裏切るような真似は、決して肯んじないでしょうね」
「一本気な人柄は見上げたものだが、今の皇都はそれに正しく報いるだろうか」
「文にもそう書いて諭したのですけど、故にこそ働きで改めねばならぬと」
あまり、手を伸ばしすぎるのも考えものであろうか。こちらはあくまで跋扈する賊の討滅しただけで、公的には《
話している内に、準備は整っていた。
大岩を中心とした幾重もの円を描くように、透き通る石が一定間隔で並べられている。これまで無表情で黙り込んでいた
作業に当たる皆が大岩を望みつつ大幅に距離を取った。それを確認すると、
一瞬の熱波と共に噴き上がる砂塵。濛々と垂れ込める煙が、目に映る光景をぼやけさせる。
視界が晴れた時、先程まで鎮座していた大岩は足元から崩れるように砕け、一抱えもあるような破片が幾つも転がっていた。
既に実戦投入も済んでいる。《
《
「どうだね、我々も中々面白いことをしているだろう?ささ、次の地点を教えてくれ」
大岩の残骸を呆然と見つめる
それよりも、自分の研究が目に見える形で役に立っていることを、喜んでいた。
それから、風を遮る岩は次々と撤去されていった。姉弟が各々の術で絵図を作り、
全ての大元は
それでも夕刻には、自分から周囲に声をかける姿が見られた。打ち解けた、とまではいかないにしろ、確実に慣れ始めているようだ。
一日が終わった。撤去した岩は七つに及び、
年が明ける前に、《
「当たり前だと思っていた」
二人で夕餉のための野菜を洗っていると、
「何がだ?」
「他者からいないものとして扱われ、手を貸してくれる者など無く、一人で役立たずの左脚を引き摺って歩く。当然のことと、疑うのを忘れていた」
不幸の中に在り続けた人間は、やがて不幸を自覚することさえなくなる。これも、
「親しげに話しかけ、歩くのを助けようする者らに触れて、こいつらは変わり者だと思っていた。しかし、真におかしかったのは、きっと自分の方だな」
「……わしとしてはな」
何か返してやろうかと思ったが、良い表現が思い浮かばない。あまり飾り立てた言葉を使っても、この男には気分の良いものではあるまいし、何より己の性に合わぬ。
しかし、ただ一つだけ、明言できることがあった。
「わしは、ここに来て後悔をしておらん。今のところは、だが」
自分以上に姉弟のことを顧みて、そう思う。
「望むだけ、ここに居るがいい。後悔を覚えて離れることになるかもしれんが、それまでここはお前の居処なのだ」
それから、二人で黙々と野菜を洗い続けた。
冬の水は刺すように冷たいが、不思議とそれが苦しくはなかった。
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