無源の秋 〜竜の翼は風雲に舞う〜【毎週金曜12:00&日曜19:00更新】   作:くコ:彡の本棚

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人はかく処を得たり 後篇

 

 紫紺の装束が似合う男だ、と思った。

 

 年明けを二週間後に控えた今日、遼兵衛(りょうべえ)は《解軛門(かいやくもん)》を訪れていた。

 

 同道する一人は主である筈の無源(むげん)に先生と呼ばれる、筆麻呂(ふでまろ)だった。仙術、人文、地質などあらゆる分野に精通している、大学者であるという。

 

 法螺を吹いているのでないことは、装束を見ればよく分かる。独特の意匠が施された紫紺の装束は、《聖華(しょうか)》の朝廷に公認された術士の証で、仙術を教導する資格を担保するものなのだ。

 長く着古しているようだが、汚れやほつれは特に見当たらない。手入れを欠かしていないためだろう。

 

「この時期には暖かそうでよいな」

「それだけではないさ。仙術との相性が良い布地だから、術で涼しくも暖かくもできる。何より──」

「何より?」

 

 にやりと笑った筆麻呂(ふでまろ)の顔は、齢四十とは思えぬ程に若々しい。

 

「女性に声をかけた時の反応が違う」

「呆れたおっさん!名誉の装束まで出しにして、女を誑かしてるのね」

 

 非難の声を上げたのは星凛(せいりん)である。幹部に対してあまりに率直すぎる物言いを、星慈(せいじ)が宥めていた。

 当の筆麻呂(ふでまろ)は気にした様子も無い。

 

「生きていればだね、誰しも騙されたくなる時があるものだよ。私もそうだし、叶えてやりたいとも思う」

「それらしいこと言っちゃって」

「いずれ分かる……いや、分からなくてもいいな。それはそれで、満ち足りた人生ということだから」

 

 取り留めのない話を聞きながら、遼兵衛(りょうべえ)はこれからの作業に思いを馳せる。

 それに姉弟を伴うのは、必ずしも本意ではなかった。自分が働き、二人は帰る処に居てくれるだけでいい。

 

 しかし、できることは全てやりたい、一人前になりたいと望む姉弟の懇請に抗いきれず、こんな処にまで連れてきてしまったのである。

 子供の内は己が務めなど考えず、のびのびと過ごせばよい。そう思ってしまうのも、大人の傲慢と言われては返す言葉も無いが……。

 

 それはそれとして、確かめたいことがあった。

 

「十数年前のことだったか、噂に聞いたことがある。《聖華(しょうか)》から来た変わり者の術士が、各氏族の営地を転々として、何事かを調べていると」

 

 筆麻呂(ふでまろ)ははにかんだ。思い起こす過去が良きか悪しきか知らぬが、陰鬱な色はまるで無い。

 

「流石に情報通だ」

「つまらんな。言い当てられて驚く顔を見てやりたかったが」

「では、これはどうだろう。私が《久々鱗(くくり)》を訪れたなら自ら望んでか、それとも追い出されてのものか」

 

 どこか講義じみた語り口だった。この男は過去を持ち出す時、いつも教書に書かれているように話すのだろうか。

 

「さあ。人妻との逢瀬が見つかって殺されかけ、這々の体で逃げ出したってのはどうだ」

「残念、私は睦む女性を置いて逃げる薄情者ではないよ」

 

 逢瀬について否定することなく、伊達男は正答を語り出す。

 かねてより筆麻呂(ふでまろ)は、皇都にて珍しい調査研究を主導していた。煌石(こうせき)についてである。

 

聖華(しょうか)》から離反する形で建国した《金號(きんごう)》は、国力と術士の不足に起因する不利を、煌石(こうせき)の実用化で覆してみせた。

 

 特に雷火(らいか)の大量投入は、戦場の常識を覆すものであり、《聖華(しょうか)》最強の白麒(はくき)軍団を真正面から撃ち破るに至る。

聖華(しょうか)》の朝廷は震撼した。限られた範囲ではあるが、仙術の占有という国の優位が根底から揺らいだのだ。

 

 それ自体は姉弟どころか、遼兵衛(りょうべえ)筆麻呂(ふでまろ)が生まれるずっと前のことである。

 

「今更ながら、研究して対策を立てるように命じられたのですか?」

「その真逆だよ、星慈(せいじ)君。鹵獲した煌石(こうせき)の一欠片すら触れさせてもらえなくてね。それに、対抗手段を探す云々以上に、煌石(こうせき)が何たるかを根から知りたかったのさ」

 

 筆麻呂(ふでまろ)煌石(こうせき)の性質を調べるに当たり、独自のやり方を取った。何処で採掘が行われているかを調べ、あらゆる年代の地図と照らし合わせたのである。

 

 そして一つの仮説を導き出した時、筆麻呂(ふでまろ)は思わず立ち上がったという。

 

「最も主要な採掘源は《金號(きんごう)》北西の《興煌山(こうこうざん)》。ここはかつて竜の民が大陸北部を支配していた時、主要氏族が本拠とした山なんだ。さらに他の採掘場のほとんどが、大規模な営地の跡地に存在していた」

「飛竜と煌石(こうせき)に関係があるって、その時気づいたの?」

「あくまで仮説だった、その時点ではね。検証する価値が大いにあると湧き立ったものだよ」

 

 しかし、公表すらしなかった仮説を誰かに探られたか、筆麻呂(ふでまろ)は皇都を追われることとなる。

 

 研究のために、軍の蔵から煌石(こうせき)を盗み出したと嫌疑をかけられたのだ。研究材料は戦場跡を歩き回って見つけたものだったが、まるで取り合ってもらえず、あわや投獄されかかったらしい。

 

 その背景が、遼兵衛(りょうべえ)には分かる。仮説の正しさが証明されれば、煌石(こうせき)の採掘どころか、自前での精製すら現実味を帯びてくるのだ。

 伝統ある仙術を、権威を振りかざして専横を恣にするための道具としか見ない連中からすれば、足元を掘り崩されるようなものだろう。

 

 かくして、筆麻呂(ふでまろ)は己の安全を担保するため、研究を次の段階に進めるため、《久々鱗(くくり)》の地を踏んだのだった。

 

「殿との面識はその頃からか」

「佳い生徒だったよ。私の仮説や歴史の話について、目を輝かせてくれたのを覚えている。御父上にもお世話になったものだが……」

 

 過日の交流と恩義に報いるため、現在は務めに専心しているということか。

 

 色恋と研究に現を抜かすばかりかと見えたこの男の、意外と義理堅い側面を見た気がした。

 

 ────────

 

 集結地点で風喜(ふうき)、それからもう一人と合流した。

 

「こちらが肢落(しらく)殿です」

 

 傍らの男、肢落(しらく)は無愛想に頭を下げた。血の通わぬ石と化した左脚を引き摺っている。

 

「これでは先が無いな」

 

 一週間前。この男が《解軛門(かいやくもん)》を見渡しながらそう呟いたのを、視察に来ていた無源(むげん)が聞いていた。

 

 無源(むげん)はその場で詳細を問い質す。その場に居合わせた者の話によれば、まさに齧り付かんばかりの勢いだったという。

 それも命令ではなく、懇願と呼ぶに相応しい様子で、何が不足しているのかを知りたがっていたようだ。幾度も、頭を下げて。

 

 肢落(しらく)は面倒が増えるのを厭う風で説明を渋っていたらしいが、無源(むげん)の熱意と勢いに気圧され、こう言ったのだった。

 

「邪魔な岩が幾つかある。《久々鱗(くくり)》から飛竜を呼び込むには風を利することが要だが、その通り道を塞いでしまっている」

 

 答えを得た無源(むげん)の決断と根回しは早かった。すぐさま《解軛門(かいやくもん)》の整地を行うことが決定し、今日に至る訳である。

 

 案内を頼まれたという肢落(しらく)は実質片脚のみで、遼兵衛(りょうべえ)達の前を行く。見かねた風喜(ふうき)が肩を支えようと申し出るが、返ってきたのは胡乱な視線のみだった。

 

「せっかく助けてくれるんだから、甘えたらいいのに」

「人の善意を信じられない人間には、相応の経緯があるもんだ」

 

 それは、主の命で恤救(困窮する者の支援)を行う覚承(かくしょう)から聞いたことだった。自分の力でどうしようもない不幸と、他者の悪意に打ちのめされ続けた者は、善意の裏に落とし穴があると決めつけるようになってしまうと。

 

 生半な同情も許されないような境遇に、この男は置かれ続けていたのだろう。

 

 第一の地点に到着した。肢落(しらく)が目を向けているのは、大人の背丈程もある大岩で、風を遮っていると言われれば、確かにその通りだと思えた。

 

 さて、岩の撤去である。丸ごと削るとなると大がかりな作業が必要になるが、考慮すべきは地竜の存在だ。音や衝撃が地竜に良からぬ刺激を与え、地上に出て暴れられては一大事である。

 剰え、地竜の群れが《解軛門(かいやくもん)》から遠ざかっていくようなことがあれば、本末転倒だった。

 

 そのため、仕掛ける場所はしっかりと見極める。

 

「無理をするなよ」

 

 意気込んで前に出てくる姉弟にかけた言葉は、果たして正しかったろうか。ここまで連れてきた時点で、詮無いことではないかとも思える。

 女々しく考え込む遼兵衛(りょうべえ)を放っておいて、星凛(せいりん)星慈(せいじ)に頷きかけた。

 

 大岩をじっと見つめる星凛(せいりん)。黄金の瞳に、満天の星が輝くようであった。

 星慈(せいじ)の方はというと、姉と手を繋ぎながら、もう片方の手で持った紙に視線を注いでいる。やはり、黄金の瞳が眩しい。

 

 紙に変化が起き始めた。薄い一枚の紙だというのに、奥底から湧き上がるようにして、絵が浮かび上がってきたのだ。

 それは、星凛(せいりん)が見ている大岩とその周辺だった。しかも、本来地面に隔てられている筈の地下までも、その紙には描かれているではないか。

 

「流石に、あの瞳を持つ子供達の術は一味違いますね」

 

 感嘆する風喜(ふうき)の横で、遼兵衛(りょうべえ)の胸中はやや複雑だった。

 

 仙術の高い素養を持つ者は、その瞳が鮮やかな色を纏うという。確かにこの姉弟には、天与の才とでも言うべき異能があった。

 

 星凛(せいりん)には、壁や櫃といったものに遮られた先の事物を透視する力。星慈(せいじ)には、自分が見た光景を紙や布に描き出す、念写の力。

 そして血縁故の結びつきと言うべきか、姉弟は各々の力を繋ぎ合わせることができた。それが今、ここで行われている。星凛《せいりん》が見た地下の構造を、星慈(せいじ)が紙に写し出しているのだ。

 

「素晴らしい!これならば、仕掛けを施すべき箇所はすぐに分かるよ。早速、取り掛かろう」

 

 これあればこそ、自分達は此度の務めで大いに役立てる。姉弟はそう力説し、実際そうなっているのだが、遼兵衛(りょうべえ)はやはり不安だった。

 

 大いなる力を誰かのために役立てるのは、人として正しい在り方である。それは分かっているが、純真な子供らがそれに振り回されはしないか、何より心配なのだ。

 

 そんな遼兵衛(りょうべえ)の様子を見て取ったか、風喜(ふうき)は別の話題を振ってくる。

 

「先日、兄からの返書が届きましたよ」

 

 空読みは皇都でも誉れある役職の一つで、良家の子弟でもなくば見習いになることすら難しい。御多分に洩れず、風喜(ふうき)の生家も皇都で働く吏僚や術士を代々輩出していた。

 

 風喜(ふうき)には兄が一人いるが、既に皇都付の武官として働いている。誼を通じることができれば後々有利になることもあろうかと、折衝を依頼していたのだ。

 しかし、返書について告げた風喜(ふうき)の声は、決して弾んでいなかった。

 

「その様子だと、成果無しか」

「残念ながら。真面目で頭が固い兄ですので、返書が来たこと自体に驚いたくらいで」

 

 若くして皇都での役職を得ている男だ。こちらが皇都の内情について知りたがっていることくらい、察しているだろう。

 

「朝廷への奉公というよりは、国そのものを憂う心が強い人です。万が一にも裏切るような真似は、決して肯んじないでしょうね」

「一本気な人柄は見上げたものだが、今の皇都はそれに正しく報いるだろうか」

「文にもそう書いて諭したのですけど、故にこそ働きで改めねばならぬと」

 

 あまり、手を伸ばしすぎるのも考えものであろうか。こちらはあくまで跋扈する賊の討滅しただけで、公的には《聖華(しょうか)》と事を構えてはいないのだ。無用の警戒を呼び起こす振舞いは、賢明ではあるまい。

 

 話している内に、準備は整っていた。

 大岩を中心とした幾重もの円を描くように、透き通る石が一定間隔で並べられている。これまで無表情で黙り込んでいた肢落(しらく)が、初めて驚きを見せたような気がした。

 

 作業に当たる皆が大岩を望みつつ大幅に距離を取った。それを確認すると、筆麻呂(ふでまろ)は掌を前に翳し、何事かを呟く。それは音として耳に入ってこないが、世界を司る理がそれに応えたようだった。

 

 一瞬の熱波と共に噴き上がる砂塵。濛々と垂れ込める煙が、目に映る光景をぼやけさせる。

 視界が晴れた時、先程まで鎮座していた大岩は足元から崩れるように砕け、一抱えもあるような破片が幾つも転がっていた。

 

 煌石(こうせき)による発破。それも《金號(きんごう)》から輸入したのではなく、飛竜が食んだ後の土を加工して精製したのだ。筆麻呂(ふでまろ)が故国を追われながら探求を続けた成果の一つである。

 

 既に実戦投入も済んでいる。《魏糧川(ぎろうがわ)》の砦を攻めた際にはこれを用いて搦手を焼き払い、敵に痛撃を与えていた。

 

解軛門(かいやくもん)》の整備が進めば、原料となる土もより大量に、安定して調達できるようになるだろう。戦や普請における局所的な運用に留まらず、大掛かりな機械(からくり)の稼働さえ現実のものとなるかもしれぬ。

 

「どうだね、我々も中々面白いことをしているだろう?ささ、次の地点を教えてくれ」

 

 大岩の残骸を呆然と見つめる肢落(しらく)の肩を叩き、筆麻呂(ふでまろ)が笑う。せっかくの紫紺装束が土埃に覆われ、くすみの膜に覆われているようだったが、気にした様子も無い。

 それよりも、自分の研究が目に見える形で役に立っていることを、喜んでいた。

 

 肢落(しらく)はその笑みを見て、先程に輪をかけて狼狽したようである。

 

 それから、風を遮る岩は次々と撤去されていった。姉弟が各々の術で絵図を作り、筆麻呂(ふでまろ)の指示で発破が実行される。風喜(ふうき)は風の流れを読み、撤去の結果を実証するのだ。

 

 全ての大元は肢落(しらく)であるからして、皆が彼にあれこれと尋ねる。肢落(しらく)の困惑ぶりを見るに、他者と会話を交わすこと自体、久しくしていないのかもしれぬ。

 それでも夕刻には、自分から周囲に声をかける姿が見られた。打ち解けた、とまではいかないにしろ、確実に慣れ始めているようだ。

 

 一日が終わった。撤去した岩は七つに及び、風喜(ふうき)などは「風の喜ぶ声が聞こえる」などと冗談めかして語っていた。

 年が明ける前に、《解軛門(かいやくもん)》の整備はかなり進む見込みである。

 

「当たり前だと思っていた」

 

 二人で夕餉のための野菜を洗っていると、肢落(しらく)がぽつりと口にした。

 

「何がだ?」

「他者からいないものとして扱われ、手を貸してくれる者など無く、一人で役立たずの左脚を引き摺って歩く。当然のことと、疑うのを忘れていた」

 

 不幸の中に在り続けた人間は、やがて不幸を自覚することさえなくなる。これも、覚承(かくしょう)の受け売りだ。それは心の痛みから逃れるための錯覚か、あるいは心そのものが麻痺してしまっているのか。

 

「親しげに話しかけ、歩くのを助けようする者らに触れて、こいつらは変わり者だと思っていた。しかし、真におかしかったのは、きっと自分の方だな」

「……わしとしてはな」

 

 何か返してやろうかと思ったが、良い表現が思い浮かばない。あまり飾り立てた言葉を使っても、この男には気分の良いものではあるまいし、何より己の性に合わぬ。

 しかし、ただ一つだけ、明言できることがあった。

 

「わしは、ここに来て後悔をしておらん。今のところは、だが」

 

 自分以上に姉弟のことを顧みて、そう思う。無源(むげん)に仕え始めて以来、あの二人が不満や悲しみを顔に滲ませたのを、見たことはなかった。

 

「望むだけ、ここに居るがいい。後悔を覚えて離れることになるかもしれんが、それまでここはお前の居処なのだ」

 

 それから、二人で黙々と野菜を洗い続けた。

 冬の水は刺すように冷たいが、不思議とそれが苦しくはなかった。

 




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