無源の秋 〜竜の翼は風雲に舞う〜【毎週金曜12:00&日曜19:00更新】 作:くコ:彡の本棚
あの男を篭絡できぬまま、年が明けてしまった。
一族の使命。大陸各地に散逸した仙遺物を回収し、封印するという大義があるのだ。そのために、戦場に立つ。術を高める。身を投げ出して伽をすることも厭わない。
疑問を覚えたことは無いし、生まれながらの務めに誇りも持っていた。だからこそ、あの大物を確保する大任は必ず成功させたかったというのに。
混戦の靄を突っ切り、外れている筈の具足を押さえに向かう直前、新たに纏う者が現れた。容易には信じがたいことであったが、事実である。
仙遺物の力を解き放つ資質を有する者が、現れることがある。それは血筋や修練の結果ではなく、魂そのものに宿る天稟。類稀な可能性が、あの未熟な青年の裡に眠っているのだった。
あの男に自らの秘密を明かしたのには、狙いがある。
直に聞くまで、こちらの真の目的が奈辺にあるか、向こうは悟っていなかった。だから、快楽による責めに、歯を食いしばってひたすら耐えていたのだ。
しかし、今は。具足を自ら手放させる、その意図が明らかとなった以上、警戒はただ一つの方向を持つことになる。
こちらの思う壺だった。ただでさえ、若き身に思わぬ重圧を背負わされている。思い通りにはなるまいと、頑なさは増してゆくだろう。
弾性を失った感情は、張りつめた糸と同じだ。きっかけさえあれば、あっさりと断ち切られてしまう。その布石を置いた。後は、好機が訪れるのを辛抱強く待つのみである。
……このような事情があるため、あの男が自分を連れて出歩くのは好都合だった。心が大きく揺らぎ、具足との結びつきが脆弱なものとなった瞬間を、この目で確かめる機会に恵まれるかもしれぬ。
《
かねてより出されていた触れでは、北方で調練を行うものとされていた。しかし現実として、総大将の
これが真の調練だった。指示を仰ぐべき指揮官が当初の予定と異なる地点に在る時、当地の判断で陣を維持できるか。伝令の態勢を素早く確立できるか。その力量を測り、課題を洗い出すための。
それに加え、近頃とかく不穏な動きを見せる東方の土豪達の備えを、直に検める意味合いもあった。目で見るのみならず、各々が自らの見解を述べ、皆で吟味する。
僅かな供廻りと共に東を見晴るかす、赤い影。この男なりに色々と思案して、此度の調練を考え出したのだろう。
痛々しいまでに未熟な男ではあるが、溺れてはいなかった。降って湧いた力にも、自分の体にもだ。
心中で、奇妙な色を帯びた何かが、首をもたげているのを感じていた。
「おい、何を見ている」
敵意と警戒に染まった声を発したのは、大人になりきれていない齢十五、六の青年である。軍の再編によって引き上げられた見習いの内、唯一旗本(総大将の直卒部隊)に配属されているという。
それなりに、腕は立つのだろう。
敵対していながら、陣中で歩き回ることを許されている自分を訝しむのは、当然だった。それでも、直接的に反感をぶつけてくる幼い真似をするのは、この青年くらいのものである。
熟練の将兵のように、総大将の断を信頼する心構えが、まだできていないということだろう。
「おかしな素振りを少しでも見せようものなら、有無を言わさず叩っ斬る。いつでも目が光っているのを忘れるなよ」
言うだけ言うと去ってゆく青年の背を、
落ちかかる。何かが。それに気づいた時、近くの森から音の塊が届いた。冬の鳥獣が一斉に逃げ出す気配。一本の木が、倒れていた。
それ以外に、四つの人影があった。生きているのは一つだけだが。自分と同年代と思しき男で、背に斬り傷を負いながら木陰に座り込み、こちらを睨み付けている。
術の気配だ。首から提げている祭具には、術式を組んだ際の仙気の残滓が揺蕩っている。自他の血に汚れた装束も、皇都付武官の役儀を担う術士が着用するものだった。
「その緋縅……
手傷を負いながら、襲ってくる者を術で返り討ちにしたのだろう。体力を使い果たし、荒い息遣いをしながらも、術士の声からは鋭さが失われていない。
叛徒呼ばわりにいきり立つ兵を制し、
「それなりの立場に在る者のようだが、何故ここに?何故、襲われておった」
「呆けているのか。此奴らはお前の飼い犬であろう」
「知らん」
あるいはこちらに身を置いている間に、皇都でまた良からぬ企みがあって、この術士は巻き込まれたのであろうか。
「一度だけ問う。手当をしてほしいか?」
自分も含め、驚きの視線に四方から貫かれてなお、
「どうだ」
「是非、お頼みしたい」
「気持ちのよい返事だな」
斬られた箇所を水筒の水で清め、
「けっ、叛徒に施しを受けて恥ずかしくないのかよ」
「為すべきを為すために生を求むることを、恥とは言わぬ」
青年の皮肉に対し、術士は一切の逡巡も無く言い切った。僅かな偽りすら入り込む余地の無い、決意のようなものが感じられる。あるいはこの男、他人を欺いたことすら無いのではなかろうか。
感心と興味を隠すことなく、
「お前の為すべきとは?」
「決まっている。皇都に蔓延る佞臣奸物を一掃し、遍く民にとって公正にして情理に満ちた政を実現させることだ」
先程まで痛みに汗を浮かべていた顔に、今は夢を語る熱っぽさを浮かべている。童のような夢物語を、恥ずかしげもなく口にするものだと思う。
この術士には能力も、熱意もあると言ってよい。だからこそ、今の皇都で陽の下を歩ける筈がない。仙術の大家を僭称する
「無論、熱意だけで国政を変えられぬ。大身となりて能うることを増やすためにも、私は生きねばならん」
「見上げたものではないか。我としても、助けた甲斐があったというものだ」
「異なことを。皇都の体制と軍の綱紀が改まれば、お前達は劣勢となるであろうに」
「どうかな。大言通りの公正な政とやらが真のものとなれば、存外我らも面白おかしく生きられるかもしれん」
二人の男が笑みを交わす。
供廻りも、どこか誇らしげな様子で見守っている。
馬鹿げている、と思う。敵なのだ。武士の情けだの、好敵手だのと酔いしれた言葉には虫唾が走る。戦場で干戈を交わし、命を奪い合う血腥い光景を飾り立て、目を逸らさんとする女々しさそのものではないか。
もしかすると、自分もこのような感傷がために、今なお命永らえているというのだろうか。そう考えると、無性に腹が立って仕方がない。
それにしても、
あの時から今日までの間に、何か開き直るきっかけでもあったか。そうは思い難い。大度ある英雄、その印象を見せつける芝居かとも思ったが、それらしい生臭さは無かった。
微熱に似た感覚がこめかみにある。錯綜した思考の中で、袋小路に迷い込んでしまったようだ。
敵襲。
警戒に当たっていた兵の叫び。不吉な風が木々を震わした。
────────
数にして、三百ないし四百といったところか。各土豪が繰り出した手勢の混成部隊であるらしく、五か六勢力に類別できるであろう。
苦虫を噛み潰したような顔で、術士が目の前の原野を睨んだ。敵は明確にこちらに狙いをつけ、じわじわと間合いを詰めてきている。
「不覚だな。私を狙った刺客の大元であろう」
「土豪どもに恨みでも買っていたか」
「近頃、この一帯の諸勢力が《
「そうか……」
術士の話は、半ば正鵠を得ているだろう。東の土豪達が《
だが、土豪の手勢が真に狙っていたのは術士ではあるまい。使者一人を抹殺するためにここまで派手に動いては、かえって皇都の疑念を確かなものとしてしまうだろう。
しかし、敵勢の量と質がやや中途半端なものと思われる。百単位の敵が先陣だとするなら、千を超える本隊が後続として控えている筈だが、どうもそのようではない。
あるいは少数精鋭でもって確実に首を狙うというなら、選りすぐった少数の刺客を露見せぬように差し向けるのが自然だ。
そのいずれでもないという事実が、緻密な計画が敵に不足していることを如実に表している。
「調練の締めだ。駆け抜けるぞ」
「私も参ろう。帰途ぐらいは己が手で切り開かねばな」
術士も
「風の術については、些か腕に覚えがある。足手纏いにはならん」
「よかろう。それから、名を聞いておこうか」
「
頷くと
北から東にかけ、翼を広げるようにして敵は展開している。長槍を構えた徒士(歩兵)が並び、壁を形作っていた。一見厚みに欠けるように見えるが、その奥には機動戦力としての軽兵がひしめいているだろう。
一歩進むごとに刃を突き出される、泥濘のような備えだ。
数の劣勢は否定しようがないが、こちらには強みもある。
では、麒首をいずれに向けるべきか。
「北の一角を食い破りましょう。最短経路で味方と合流するのです」
血気盛んに青年が主張する。調練の成果と言うべきか、北に赴いていた一個大隊とは既に伝令の遣り取りを行っている。一番新しい報告では、半日もかからない距離にいた筈だ。
「若造、そいつはまずいぞ。我らは死地に飛び込むこととなる」
やや年嵩の兵が、逸る青年に待ったをかけた。向こう傷だらけのその男は戦歴があるだけに、一帯の地勢に通暁しているらしい。
「このまま北に進めば、水捌けの悪い低地に入る。溶けた雪が染み込み、ぬかるみと化しておろう。
「屈辱的ながら、西に離脱を図るというのは?」
もう一人がそう提案したが、すぐさま否定された。
「もっと厄介な連中が西に潜んでおることもあるだろうが。蛇を避けて鬼に出会したのでは、笑うに笑えん」
逃げる最中で遭遇したことを考えると、流石に西への転進は厳しい。
思案する中、数十の敵が刀槍を振り翳してこちらに突撃してきた。こちらが小勢と見て飛び出してきたのである。やはり、指揮は徹底していないようだ。
手に、丸薬程の大きさの光。仙術の種だ。術を発動するにあたり、あらかじめ仙気を練り上げ、保持しておく者は多い。それを指して種と呼ぶのである。
抉り込むように、種を地面に擲った。破裂した光は一瞬の内に膨大な量感を伴って広がり、獣の遠吠えにも似た大音声を響かせる。
竜巻が、前進する敵を呑み込みながら荒れ狂った。
先頭の敵兵十数人は逃げることもできず、人語を話す枯れ葉となって舞い上がった。風の怒号が響く中、途切れ途切れに連なる、悲鳴と断末魔。
地面に叩きつけられ、絶命した味方に息を呑んだ敵が、慌てて退いてゆく。
風の術を守りに使えば矢玉避けとなるが、攻める場合は風の刃で敵を斬り裂く、自らを高速で移動させるというのがよく見られる使い方である。
竜巻を喚び出して敵を砕くというのは知識としてあったが、戦場で目の当たりにしたのは初めてだった。いわゆる、剛の風使いか。
「
呼びかけた
「その竜巻で我らを飛ばせるか」
「何?」
「竜巻に乗ってぬかるみを飛び越える」
正気か、と思った者が何人いるか分からない。少なくとも、自分はそうだ。
しかし、
「まず、飛ばすことはできる。駆ける態勢を維持しながらだ。しかし、その後どうなるかは敵を見れば分かるだろうが」
指差した先には、骨を砕かれた敵の骸が点々と転がっている。飛び越えることができても、そのまま地面に叩きつけられては、人麒ともども無事ではいられまい。
「そこだ。詰めの一手を、我らは打てる」
「
衆目の前で名を呼ばれ、流石に鼻白んだ。自分の名を初めて知った兵も、この中にはいるだろう。
何を問われるか、頼まれるかは嫌でも分かった。
「あの時、我らの突撃を止めた術だ。地面に落ちるのをあれで防げるな?」
「はい」
差し迫った戦況と、こちらを射抜いてくる
覆水の術、という。
人、獣、矢玉、そして術。あらゆるものの勢いを止め、反転させてしまうことを真髄とする。極めれば、滝の流れすら逆しまにするも容易い、とさえ言われていた。
過日の戦では
高処から落ちるという時になって、勢いを相殺して無事に着地するというのも、使い方としては確かにある。
しかし、より肝心なことがある筈ではないか。
「各々方、本気で命をお預けなさるおつもりですか。よりにもよって、このわたくしに?」
今なお生き永らえている仇敵の術に、死命を賭けようというのか。
「自分は、殿のご決断に従いまする」
年嵩の兵があっさりと言う。青年も、負けじと声を張り上げて賛同する。皆が賛意を示すのに、十を数えるまでもなかった。
おまけに、今日会ったばかりの
「そういうことだ。頼むぞ」
つくづく、大馬鹿者ばかりだった。
────────
手始めに、敵の東側に攻めかかった。
言わずもがな、これは陽動である。東への突破を企図していると見せかけ、機動戦力を引きつけるための。
それを悟られる訳にはいかないので、攻勢に手は抜かなかった。
強い。
あの時も自分が戦場にいなければ、戦は
そして、
右、左。無造作に振るわれる得物に触れた敵が、砂でできたように崩れてゆく。
他の兵もそれに続き、立ち塞がる者を残らず叩きのめしている。手傷どころか、疲労さえも感じてはいないようだ。
意識すら向けることなく、術を発動する鍛錬は飽きる程積んでいる。やがて恐れをなした敵は、撃ち込んですらこなくなった。
敵の構えが明らかに変わった。東を厚くしつつ、しかし尻込みして向かってはこない。
待ち望んだ瞬間だった。
「駆けろ」
次の瞬間、吹き飛んでいた。景色が。
ほとんど直角に麒首を転じ、北に向かってひた駆けた。一人も欠けていない。
半ば、意識を捨てていた。
それは刹那のようにも、長い長い時間のようにも感じられた。行手の兵。恐怖を満面に張り付けて退散してゆく。
ぬかるみ。見えた。仙気が高まる気配。
風が、唸りを上げた。
「飛べっ」
音が聞こえなかった。否、置き去りにしていた。
今、自分達は確かに飛んでいる。それだけは痛い程に実感できた。
呆然と見上げる、敵の気配を感じる。彼らの目には、翼を生やした自分達の姿が見えているのだろうか。そう思うと、少し可笑しかった。
地面に、手繰り寄せられる。冷たい壁。叩きつけられる。
叩きつけられたら、痛い。そして、死ぬ。当たり前のことを、何故か真のものと思えない。
視界が青い輝きに満ちた。
駆けていた。
夢を、見ていたのか。そんな気がした。ずっと地面を駆けていて、何にも遮られることなく、ぬかるみを越えたのだと。
そうでないことは、狂おしいまでの歓声でようやく分かった。
「御味方、御味方にござる」
千を超す麒影が前方から驀進してくる。はためく、旌旗。満ち始めた安堵は、異様に勇ましさに包まれている。
「殿、ご無事を信じておりましたぞ!」
勢いのまま敵に攻めかかる味方の一個大隊は、水平の滝だった。
そして始まったのは、戦などではない。数、練度、勢い、全てにおいて上回る敵の強襲を受け、叫喚と共に敵が逃げ回る光景だった。
生還を祝する言葉は、誰も発さない。当たり前であるかのように、不敵な笑みを浮かべている。
静かに佇む
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