無源の秋 〜竜の翼は風雲に舞う〜【毎週金曜12:00&日曜19:00更新】   作:くコ:彡の本棚

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流動の春 前篇

 

 時折、過去の夢を見る。ミズ族の侵攻が日を追うごとに激しさを増してゆく時期だ。

 

 敵刃が迫り、汗だくになって飛び起きるという類のものではない。終ぞ、前線に立つこともなく戦が終わったのだから。皆が胡床(折り畳み椅子)に座し、卓上の地図を睨んで歯軋りしている。

 

 息急き切って駆け込んでくる伝令が携えるのは、怒涛となって戦場を席巻する敵の情報ばかり。何処の陣が破られた。次はどちらに向かう。兵数はなおもって増えつつあり……。

 

 注進が入る度、居並ぶ皆は憤怒を両目に湛えているが、その実恐怖を表に出さぬよう繕っているのだった。

 

 矢継ぎ早に仕掛けてくる敵に対し、味方の動きは呆けたように鈍かった。当たり前だ。断を下すべき宗家が、当主たる自分が、確たる方針を定められないでいたのである。

 

 敵が攻勢に出れば、応じて出撃するか守りを固めるかで、軍議が紛糾する。出て戦うとなっても、何処にどれだけの兵を、どの氏族の指揮下に置くか、やはり議論は纏まらない。

 

 戦況に大きな変化があれば、一応出た結論も途端に無用のものとなる。そして、軍議は振り出しに戻るのだ。

 

 その有様は泥の中でもがくのに似た虚しいもので、にじり寄る滅亡の二文字を意識するのに、十分すぎるものだった。

 

 瞼を持ち上げる。

 

 いつも唐突に終わる過去への旅から戻った遠休(おきゅう)は、寝所で一人上体を起こした。

 宮営の大天幕。分厚い布地で外気と隔てられている筈だが、妙な肌寒さを覚える。

 

 いや、当主にのみ許された豪奢な天幕に、うすら寒いものを感じているのか。少なくとも、自分に似合っていると思ったことはない。

 

 当主らしい振舞いがまるでできなかったあの戦に、自分は後悔しているのか。夢を見る度にそう自問するが、出る答えはいつも否である。

 

 本来ならば発揮し得た筈の才や器を、活かす機会に恵まれなかった者が抱くのが、後悔なのだ。

 自分が当主の地位に在るのは、どこまでも血筋のためである。己に才や器など感じたことはない。故に、後悔など覚えようもなかった。

 

 大天幕を一歩出ると、傅役を連れた次男の遠乙(とおいつ)が挨拶に来ていた。

 

 側室との間に生まれた息子で、年明け早々に齢十七となった。顔の作りはあまり似ていないのだが、愛想を浮かべた時の雰囲気には、血の繋がりが確かに感じられる。

 

「朝から遠翔けでもしていたか」

「はい。体が冷えると言って、皆は止めるのですがね」

「この時期の風は強い。山肌に叩きつけられぬようにな」

 

 飛竜を駆る腕は、中々悪くない。果敢さに欠けるところはあるが、将たるを生まれつき定められた身なのだ。自身は泰然と構え、麾下に手柄を取らせてやることを考えればよい。

 

 戦場で通用する将器を備えているかは、試していなかった。初陣は二年前に済ませているが、半ば戦見物のようなものである。

 それに、正直どうでもいい。遠乙(とおいつ)の和を尊び、我先にと前に出ない温厚な性向をこそ買っているのだ。凡夫を安心させる大らかさとも言えよう。

 

 単身、北西に在って暴れ続けている長男とは、正反対の人品だった。

 

 小者(従者)の手伝いで身繕いをし、朝餉を取る。そして、直臣が一堂に会する評定。これが、当主としていつもの一日である。

 評定は大抵、営地の状態やミズ族の動向に関する定時報告で終わるが、今日は些か面倒な訴えが持ち込まれた。

 

 地竜の誘導を巡って勃発した、小氏族同士の小競り合いである。当地において季節外れの移動であった。移動を行った側と、それによって営地が荒れた側とで諍いが生じたのだ。

 幸いにして死者こそ出なかったが、両者の間には未だに剣呑な気が漂っているという。

 

 真に厄介なのは、その背景にある事情だった。そもそもの発端である地竜の移動からして、大身の氏族に使嗾されたものであるらしい。

 その報復に際しても、また別の氏族が武具を融通し、衝突を煽っている疑惑がある。

 

 有力氏族が勢力の拡大を目論み、中小の氏族を爪牙として使う。今の《久々鱗(くくり)》では其処彼処で見られる光景だった。

 

「背後で蠢く者どもを質し、場合によっては力で行状を改める。宗家の威を示すにこれ以上のものはありますまい。何卒自分めに御下知を」

 

 沓毅(くつのき)が評定の口火を切った。未だ二十五と若く、ひたむきなまでの忠節を、己が背骨としているような男である。

 命に背くなどという考えなど、欠片も抱いたことはないだろう。だから思い切って斬り込ませるも、粘り強く備えさせるも、命ずるがままだ。

 

 そんな若き将の威勢の良い提言は、決して満座の支持を得られた訳ではない。

 

「容易く言うでない。確たる証も無いままに軍を動かせば、当事者以外の氏族からも反発を買おうぞ」

「彼奴らには横の繋がりがあるからの」

 

 宗家が傘下の氏族をどれだけ強固に統御しているかは、時代によって微妙に変わる。遠休(おきゅう)の曽祖父の代には相当厳格な統治が行われたらしく、氏族の長を呼びつけて処断することも再三であったという。

 

 当代においては、各氏族に相応以上の裁量を与え、各処を治めさせている形となっていた。

 それは元々、ミズ族侵攻の大打撃から立ち直る途上、当座の体制であった筈だが。

 

「しかしなおのこと、こうした諍いを許すようでは鼎の軽重を問われるというものであろう」

「あの戦の後、やはり軍で呑み下しておくべきであったな。余力ありながら迎撃を厭うた氏族を」

「繰言はよさんか!殿の御前である」

 

 そこから先は、今朝見た夢の再現であった。長いばかりで堂々巡りの評定。満座にも疲れが滲み始めている。長く話し続けているためではなく、徒労感に苛まれているために。

 

 経験豊かな宿将がここにいてくれれば、皆が納得する答えとはいかずとも、明確な指針ぐらいは示してくれたかもしれぬ。

 多くがミズ族との大戦で散り、数少ない生き残りも、五年間で各々地力を蓄えた有力氏族を掣肘するため、各地に張り付けなければいけない現状なのだ。

 

 幅を利かせ始めた氏族達の、横の繋がり。それは宗家にも及んでいる。今この評定の場においても、それを代弁するような立場の者も少なくなかった。

 

 繋がりは、黙認していた。得られる利益も少なくなかったためだ。戦で多く消耗した武具や兵糧を急速に補填するのに、確かに役に立ってはいた。

 そのために、そういった必需品を仕入れる仕組みの一端を、彼らに握られてしまったというのは事実ではある。

 

「だからあの時申したのだ。最早、父上は彼奴らの傀儡ぞ」

 

 弁えよ、訳知り顔で何を言うか。現実のものではない痛罵に、反発している自分にはっとする。

 

 五年前、正気とは思えぬ上奏をした男がいた。余力を持ちながら迎撃すら厭うた氏族を討ち平らげ、宗家の力を確固たるものとすべし、と。

 あるいは、かくも雁字搦めになる情勢を見越していたとでもいうのか。

 

 その男が……嫡男の遠武羅(おぶら)がここにいれば、評定の流れを変えたであろうか。あるいは、根底から打ち壊してしまうかもしれぬ。

 

 麾下の者どもはその横紙破りな振舞いに、信を置いているのかもしれぬが、当主であり父である自分からすれば、危ういことこの上なかった。

 

 それから四半刻(三十分)程、ほぼ同じ話を繰り返した末に、一応の結論は出た。営地が荒れて生じた損害は、宗家の見舞にて補償すること。

 裏で動いていると思しき氏族に対しては、公に叱責するのでなく、涼綺(りょうき)氏を通じて自重を求めること。

 

 涼綺(りょうき)氏に対する満座の反応は、まさに真っ二つだった。その伸長を宗家への干渉と看做し、快く思わぬ者。逆に、これまで以上に誼を通じておくべきと主張する者。

 

「実は涼綺(りょうき)の御当主でございますが──」

 

 沓毅(くつのき)が渋い顔で言う。この男も、涼綺(りょうき)氏に対する反発を隠してはいない。

 当主の涼模(りょうも)を宮営に招くことがあるが、その時は決まって、巡邏の名目で同席を拒む。

 

 その涼模(りょうも)一行が、付近に来ているというのだ。新年の儀も過ぎ、挨拶に来るような時期ではなかったが。

 

「遠翔けの最中、偶然にここまで来たとの仰せではございましたが」

「よいではありませんか。これぞ、渡に船と申すもの。どの道諮らねばならぬ相手なのですから、些事はお気になさいませぬよう」

 

 勧めてきたのは、涼綺(りょうき)氏との関係をさらに深めてゆくべきと主張する家臣だった。沓毅(くつのき)は何か言いたげな表情であったが、遠休(おきゅう)は会うことを決める。

 

 気が乗らないことは早く終わらせたい。そうした思いが、胸中にあった。

 

 ────────

 

 宮営近くの丘で、会合することとなった。

 

 大天幕に出入りすることに眉を顰める者は、思いの外多かろうとのことで、それらしい理由をつけて避けさせたのである。

 

 現れた涼模(りょうも)は拝伏し、上げた顔はにこやかな笑みを浮かべていた。

 前と全く同じ笑みだ、と思う。この男が他者に浮かべる笑みは、型でも取ってあるかのように寸分違わぬものだった。

 

 六人の供廻りを連れていたが、その一人に目が留まった。頭を剃り上げた、精悍な印象の偉丈夫である。

 

 涼模(りょうも)が側に置く家臣は主に似て、良く言えば冷静、悪く言えば小狡い印象の者が多いが、その男は無骨な武の気配を漂わせていた。

 以前見た覚えこそあるが、ここ二、三年会った覚えは無い。

 

「諸事情あって当家を離れておりましたが、昨年帰参いたした者です。遅まきながら、御目通りの儀ということで」

巌徹(がんてつ)にござる!」

 

 低いがよく通る声で、その男は名乗った。涼模(りょうも)や他の同輩から向けられる視線は、敬意とは正反対のものに満ちている。

 それを誰よりも感じているだろうに、巌徹(がんてつ)に卑屈な色は全く無かった。

 

 屈託とは無縁の、闊達とした武人然とした佇まいは、嫌いなものではない。沓毅(くつのき)辺りは、意気投合するかもしれぬ。

 だからこそ疎んじられ、孤立しているであろうことは、想像に難くないのだが。

 

 本題については、驚く程円滑に話が進んだ。

 「嫌疑」がかけられている各氏族の長とは昵懇であるらしく、頼めばすぐにでも、釈明のため宮営に参上させるとまで涼模(りょうも)は言った。

 

 それ程深い交友があるというなら、もっと前からこちらで関係を把握していてもおかしくなかったのだが、初耳である。

 かねてより隠していたか。それとも、これあるを見越して新たに繋がりを作ったのか。

 

「いやはや、真に手際がよろしいの。頼もしい限り」

 

 僅かに皮肉を織り交ぜたつもりだったが、涼模(りょうも)は涼しい顔で、恭しく頭を下げる。

 

「宗家の藩屏たる涼綺(りょうき)の当主として、これしきは当然にござる」

 

 唐突に、昨年のことを思い出した。機嫌伺いのため宮営に現れた、若き氏族の長たる影千代(かげちよ)。自分と、居並ぶ近臣の前で、こう言ったのだ。

 

金號(きんごう)》と気脈を通じている者が《久々鱗(くくり)》に多くいる、と。

 

 それを受けて、家中を一斉に検めるようなことはしなかった。疑うという行為そのものが、主君と家臣、家臣同士に微妙なものを生じさせてしまうのを忌避したためである。

 

 猜疑が猜疑を呼び、不信の罅が亀裂と化す。家中が割れ、そこに他の氏族に付け入られることとなれば。

 どうせ山の奥深くまでの進撃などできようもない《金號(きんごう)》より、そちらの方が余程現実的な恐ろしさを有していた。

 

涼模(りょうも)殿。よろしければ、二人でちと話さないか」

 

 もしや涼綺(りょうき)も《金號(きんごう)》と気脈を通じているかもしれぬ。ふと、そう思ったのだ。

 

 確証などは無い。ただ此度の一件でも分かる通り、氏族としての歴史が長い涼綺(りょうき)はあらゆる相手に顔が利く。

金號(きんごう)》が本気で調略を仕掛けるつもりなら、真っ先に手を伸ばすと考えるのは自然だろう。

 

 二人で、北を見晴るかす高台に登った。

 

 巌徹(がんてつ)を見張りにつけたのは、こちらの要望による。武辺者なればこそ、聞いてはならぬ話に耳を塞ぐこともできる筈である。

 重用している風ではない涼模(りょうも)も、それは認めているようだ。

 

「貴殿は覚えておいでかな。昨年、宮営に参上した若者が申したことを」

「《魏糧川(ぎろうがわ)》の《金號(きんごう)》軍を助けるように、ミズ族が動いたとか何とか」

「うむ。《金號(きんごう)》の調略が、オロ族にも及んでいるのではないかという」

 

 二人並んで、北を見ている。遠休(おきゅう)は横目で、ちらと涼模(りょうも)の顔を窺ったが、ふてぶてしいまでに平然としていた。他人事だと言わんばかりに。

 

「それで、これはミズ族についての話ではあるが」

 

 どこまでも仮定の話であることを、ゆめ忘れるな。言うまでもないことだが、言っておかねば落ち着かぬ。

 

「調略に応じた者が本当にいるとして、その者らを動かしたのは果たして何であろうの」

「竜の民たる誇りを売り渡す、浅ましき輩にござる。大方、ちらつかされた財物に食らいついたのでしょうな」

「左様なことができる程、《金號(きんごう)》とは豊かな国か」

「我が営地に立ち寄った旅人によりますと──」

 

 涼模(りょうも)の舌は目まぐるしく回転を始めた。《金號(きんごう)》は莫大な財をなす鉱工業のみならず、大規模な田畠の開拓においても成果を上げ、今やその勢いは《聖華(しょうか)》すら上回ると。

 

 俄かに息苦しさを覚えた。気づかぬ内に、越えるべきでない線を越えてしまったような気もする。

 それを必死に抑え込み、さらに踏み込んでみた。

 

「まずあるまいが、宗家が《金號(きんごう)》と繋がれば、麾下から民に至るまでますます潤うかもしれぬな」

 

 笑え。笑ってくれ。心中で必死に願った。

 まず無いどころか、決してあってはならぬことだ。宗家の当主が、一応の敵国に媚びを売らんとするなど。

 

 取るに足りぬ戯言なのだ。一片の真実とてそこには無い。それを聞いた者が、決して有り得ぬことと笑い飛ばしてくれれば、言葉は何ら意味をなさず消え散ってゆくだろう。

 

 恐る恐る、横に向き直った。

 

 そこにあった涼模(りょうも)の笑顔は、決して望んでいたものではなかった。

 

 型で作られたようではなく、奥底から湧き出してくるかの如き笑み。耳まで裂けるのではと思わせる程に吊り上げた口の端に、穢らわしいものが浮かんでいるように思えてならない。

 

 正視に耐えぬ悍ましさを前にして、慌てて正面に目線を戻した。

 

「ええ、ええ。大殿のお気持ちはよく存じ上げておりますぞ。遍く竜の民を守り、導く聖任。さぞやご心労に苛まれておいででしょう」

 

 自分が深入りしすぎたために、涼模(りょうも)の内奥に眠る物怪を呼び覚ましてしまったのかもしれぬ。

 その物怪は笑みを浮かべたまま、こちらの耳に毒液を注ぎ込んでくるのだ。

 

「喜ばれることをやることのみが、政にあらず。一時の悪名を被ろうと、《久々鱗(くくり)》がため真に為すべきを見出すべきでありましょうなあ」

 

 自分に何をせよと言うのだ……。

 どうしても言葉に出して問うことができぬまま、会合は終わった。

 

 疑惑が確信に変わったからといって、果たして何ができようものか。《金號(きんごう)》と通じていたとの名目で、涼綺(りょうき)討伐の軍を興す。

 その帰結は、勝敗の線がはっきりと引かれる決戦ではない。麻の如く乱れている氏族同士の縁故や利害関係が、泥沼の混戦を引き起こすことだろう。力で、あるいは徳による統率で治められるとは、到底思えなかった。

 

 その日の夜。大天幕の寝所で、一人考え込む。行き詰まった思考は、やがてずるずると楽観に引き摺られてゆく。

 

 利というものを考えた際、《久々鱗(くくり)》の征服によって《金號(きんごう)》は得をするだろうか。

 やはり、否だ。莫大な矢銭(軍費)と将兵を投入して山々を押さえ、統治していくのは相当に困難かつ、割に合わないと断言できる。

 

 きっと、涼模(りょうも)もその辺りを分かったうえで、繋がりを持っているのだろう。奴にも竜の民たる誇りはある筈。何と言っても、宗家に次ぐ歴史を有する名族ではないか。

 断じて売り渡してはならぬ肝心なものが何たるか、きっと承知しているに違いない。

 

 自分を宥めるように結論づけてから、目を閉じた。明日というものを考えながらだ。

 

 今日より良いものになると、期待を寄せている訳ではない。ただ、より悪いものにさえなってくれなければ、他に何も望むつもりはなかった。

 

 実際、それから五日程は、望んだ通りいつもの日常を送ることが叶ったのである。

 

 無源(むげん)とやらいう者が発した檄文が、《久々鱗(くくり)》中に広まるまでは。

 




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