無源の秋 〜竜の翼は風雲に舞う〜【毎週金曜12:00&日曜19:00更新】   作:くコ:彡の本棚

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流動の春 後篇

 

 ────────

 

 春嵐は《魏糧(ぎろう)》の川面を薙ぎ、號賊(ごうぞく)の牙城を拂わんとす。

 

 竜の民たらんとする者、当に参ずるべし。

 

 ────────

 

 ……檄文の記された紙を広げ、満足げに無源(むげん)は見つめる。

 

 今、徒士を引き連れ《魏糧川(ぎろうがわ)》東岸の丘に在った。昨年の戦で布陣した、あの一帯である。

 戦準備の真っ只中だった。陣営を設けるための整地、補給路の整備、物見の配置など諸々の準備に、皆が忙しなく動き回っている。

 

 昨年に砦を陥としたのが緒戦とすれば、次は本戦だ。攻勢をかけ、《金號(きんごう)》の軍勢を一気に《是門城(ぜもんじょう)》まで押し返す。

 

 機は熟しているのだ。騎竜隊、徒士隊共に徹底した調練を重ね、兵糧や武具の蓄えもある。

 

 米も鉄も、当面の敵である《金號(きんごう)》から仕入れているものが少なくなかった。

 特に南部の商人が、《鳴蒙川(めいもうがわ)》の上流を越える形で《聖華(しょうか)》に品を送り、《臣廼湖(おみのこ)》を源とする交易の線に流しているのだ。

 

金號(きんごう)》の生まれである 修伍(しゅうご)によれば、それは公認された商いどころか、国が主導して推し進められているという。

 事実上の自治領たる《臣廼湖(おみのこ)》を介して間接交易を行いつつ、《聖華(しょうか)》の内情を探らんとしているのだと。

 

 さらに遼兵衛(りょうべえ)が推察したところでは、海上交易で大きな利を上げている北部の商人達を、牽制する意図が見受けられるようだ。

 南部の商人達を伸長させ、北への対抗勢力に仕立てあげるということである。

 

 政略的な意図で流通させている品が、自国の東を襲撃した謎の軍勢の手に渡っていることなど、まだ知る由も無いだろう。

 敵を利用して軍備を拡充するのと並行し、年を跨いだ布石を打っていた。そちらは、味方への働きかけである。

 

魏糧川(ぎろうがわ)》での捷報は、予想だにしない程早く《久々鱗(くくり)》全土に広まった。

 どれだけ小さくとも、外敵に対する明確な勝利。内輪揉めの様相を呈する《久々鱗(くくり)》に在って、取るべき手段を見出し得ず燻っていた者達にとっての、微かな光明。

 

 感化されて駆けつけた者は、組み入れた。そうでない者に対する工作が、遼兵衛(りょうべえ)手動で行われたのである。

久々鱗(くくり)》中に散らばる者と連絡を取り合ってあの男が敷いた情報網は、逆に何かを触れ回る際も有用だった。

 

 立場、率いる氏族、種々のしがらみ。縛られて身動きを取ることままならぬ者達に対し、噂という形を取ってこう呼びかけ続けた。

 

 立ち上がるべき時が来る。見逃すな。備えつつ、機が熟するのを待て。

 

 そして、春が目前に迫る今。時が来たことを告げる檄文を、高らかに発したのである。

 

「またもご覧になっておられたのですね、その檄文」

 

 普請を指揮していた善右衛門(ぜんえもん)が近づいてきた。足首までが泥に塗れている。

 

 後方で荷駄や兵糧を管理し、各部隊に送る差配をする立場の責任者は、往々にして前線の将兵と溝が生じてしまうものらしい。しかし、善右衛門(ぜんえもん)は篤実な人柄と、言葉を尽くして分かり合おうとする態度が好感をもって受け止められている。

 

 今のように、現場で皆の声に耳を傾けながら任に当たる姿勢も然りだ。戦場で功名を立てる他にも道があることを理解する者も確実に増えてきており、善右衛門(ぜんえもん)は後進の指導にも当たることとなるだろう。

 

「何度読んでも飽きんのでな。短いからこそ、引き込まれるものがあると思わんか」

風喜(ふうき)殿も冥利に尽きるというものでしょう。夢の中で文言を考え続け、魘されていたという話まで聞いております」

 

 豊かな教養がある風喜(ふうき)に、檄文を委ねた。今にして思えば、中々に困難な注文をつけたものだと思う。簡潔にして力強さに溢れた、いかにも《久々鱗(くくり)》武者好みの文言。生粋の《聖華(しょうか)》人である風喜(ふうき)は、随分と頭を捻ってくれたようである。

 

 その末に書き上げられた檄文は、期待以上の出来であった。いつ、何処で、誰を相手に戦うのかが、余計な装飾を加えられることなく記されている。くどくど徒に理想を説かず、何をすべきかの明確な指針を提示しているのだ。

 

 それから、締めの一文。竜の民として生まれ、死にゆくという矜持。それを守り続けることは、《久々鱗(くくり)》の者にとって譲ることのできぬ一線である。

 混迷をきわめる情勢がそれを曖昧なものとしてしまっている今、竜の民たらんとの言葉が、理屈を超えた処で共感を呼ぶであろうことは、間違いなかった。

 

 機運の高まりはより大きな存在をも動かす。各処の有力氏族、そして名目上は彼らを統括している宗家。その見通しは一見賭けのようなものであるように見えるが、そこで躓くという恐れを、無源(むげん)は抱いてはいない。

 

「そちらの首尾は?」

「堰の普請は予定通りに進んでおります。水を溜めて解き放つ機構も、問題ありません」

「《臣廼川(おみのがわ)》の流れと付き合ってきた者達も、今の我が軍には加わっている。こういう時にはつくづくありがたいことだ」

 

 無源(むげん)は頷き、次なる命を善右衛門(ぜんえもん)に下した。残る工程は後の者に任せ、帰還せよと。重要な務めがこの男にはあるのだ。

 

「お前が張り切りすぎると、後に続く者が成長する機会を失うだろう?」

「それは道理ですが、しかし」

「少しは労わってやれ、身重の女房をな」

 

 年明けと共に、善右衛門(ぜんえもん)泉花(せんか)と夫婦の契りを交わした。

 

 新年の宴と共に挙げた祝言。厳かに祝辞を述べて一献を捧げる波守(なみのかみ)の表情が印象的だった。

 肩の荷の一部が下りたような、満ち足りた顔である。

 

 そして驚かされたのは、泉花(せんか)が既に懐妊しているという報せだった。

 祝言の前に聞かされていたのは波守(なみのかみ)ただ一人で、あっけらかんと泉花(せんか)が言い放った時、満座はしんとなったものである。

 

「結構、結構。昨今はやることもやらぬ若者が多い中、実に天晴れなことではないかね。ご一同?」

 

 筆麻呂(ふでまろ)がそう言うと、善右衛門(ぜんえもん)はくすぐられているような顔をするばかりだった。

 

「分かりました。道の検分をしつつ戻り、三方師(さんぽうし)殿の御屋敷にも、ご挨拶に立ち寄りましょう」

「あの方には人足から船まで都合していただいた。無源(むげん)が感謝することこの上なしと、よくよくお伝えしてくれ」

 

 一礼し、去ってゆく善右衛門(ぜんえもん)の背を見送る。

 兄弟同然に暮らし、気心の知れた間柄である者達が、父になる。母になる。それは不思議な心地であると同時に、ごく当たり前の営みであろうとも思う。

 

 ごく当たり前の幸福か。それを見出し得る喜びは、殊の外無源(むげん)の心に沁みた。

 

「殿、よろしゅうござるか」

 

 飛竜を下り、真鬼左衛門(まきざえもん)が目の前で直立する。右の次は左か、と下らぬ洒落が脳裏の片隅に浮かんだ。

 

 現在真鬼左衛門(まきざえもん)には二つ、務めを与えてある。一つは、戦支度を進めるこちらに対し、対岸に構える《金號(きんごう)》軍の動静を監視すること。一帯に地縁のあるこの男であれば、何かを見落とすということはあるまい。

 

「敵は、どうだ。小山に遮られているといえ、俺達が動き回っていることを勘づいていない訳はあるまい」

「無論です。さればこそ、敵は藪をつつくまいと首をすくめ、砦に篭っておるようですな。物見も、こちらの備えを探るのではなく、我が方の奇襲を見越して出しておるようで」

「薬が効きすぎたという訳だな」

 

 満足して無源《むげん》は頷いた。焦った敵が不用意に飛び出してくれば、激突前の血祭りに上げてやるところではあったが、流石にそのような軽挙を犯す敵ではないようである。

 籠って動かぬならば、大いに結構。川の上流に施した仕掛けが、敵に露見する恐れも薄くなろう。

 

「すると俺の下に来たのは、もう一つの務めに関することであるな」

「いかにも。すぐにでもお会いになられるとの仰せ」

「では俺の方からお伺い……するのは、まずいか?」

「他の氏族にあらぬ疑いをかけられかねませぬからな。間者の撒き方は、和道(かずみち)殿の方こそ心得ておられましょう程に」

 

 会っておくべき人がいる。ここに来る前、真鬼左衛門(まきざえもん)にそう勧められた。《久々鱗(くくり)》に覇を唱えるにせよ、それを望まぬにせよ、話を通しておいた方がよいと。

 

 その人物は和道(かずみち)といい、歴史ある大氏族たる爽和(そうわ)氏の現当主である。真鬼左衛門(まきざえもん)ら西部の氏族が《金號(きんごう)》の軍勢に立ち向かった際には、合力して死線に飛び込んだ侠の士であるという。

 武運拙く敗れた後も、生き残った者達が行き倒れ、不当な扱いを受けることが無きよう、何かと手を回しているとのことだった。

 

 殊に真鬼左衛門(まきざえもん)は、自分と麾下を暫く営地に滞留させてくれた恩義が、忘れ難いようだ。

 

「御歳は?」

「拙者より幾つか年嵩にて、今年で齢五十となられる筈」

 

 五十か。確か自分の父が斃れたのも、記憶が正しければ数え五十の時であったろう。

 何故、唐突にそのようなことを考えたのか。善右衛門(ぜんえもん)が父になるということで、意識がそちらに向いたのであろうか。

 

 軽く頭を振って、無源(むげん)は沈みかける自分の気をどうにか引き上げた。

 

 早くも相手が目の前に現れた以上、時化た顔を見せては非礼に他なるまい。

 

「お初にお目にかかる。無源(むげん)殿であられますな」

 

 素性もあやふやな軍閥の長に対し、和道(かずみち)の物腰は丁寧だった。

 

 こちらを拒み、跳ね返してくるような厳しさは無い。しかし、強引に押せば受け流されるような、底知れなさを感じさせる出で立ち。流れる水のようだ、と思った。

 

「これなる真鬼左衛門(まきざえもん)とは知己の間柄であらせられるとか。営地よりわざわざ、ご足労をおかけいたした」

「こちらとて、お会いしたいと思うたのじゃ。過日の戦、この者がご迷惑をおかけしたようで」

「は……」

 

 和道(かずみち)に付き従う者が、一人。それは若い女だった。

 美しい女である。父と対照的に張り詰めた雰囲気を顔に湛えているが、それだけに涼やかな目鼻立ちと、容易に触れ難い気高さがある。

 

 しかし啞然としたのは、女の軍装と、纏う雰囲気に強く見覚えがあったためだ。

 

和之介(わのすけ)、か?」

 

 その女は恥じ入るように顔を伏せ、深く頭を垂れた。艶やかな栗色の髪が目の前で踊る。

 

和道(かずみち)が娘、永和(とわ)にございます。その節は、名と身の上を偽って陣に押し入ったこと、平にご容赦くださりませ」

 

 面を上げ、こちらをじっと見つめてくる永和(とわ)の双眸には、強靭な意志の力があった。その眼光から逃げまいと、軽く踏ん張る。

 

「……成る程。あの時は兜を目深に被っておりました故、気づきませなんだ」

「それでよろしかったのにござる。この者を守って貴殿の戦に障りが出れば、お詫びのしようも無かった。一介の武者として死ぬとすれば、それまでのことにて」

 

 それは和道(かずみち)の言であるというより、娘の本心を代弁したものであるように思える。

 

真鬼左衛門(まきざえもん)殿。久闊を叙する間も無く迷惑をかけてすまぬが、暫し娘を預かってはもらえぬか」

 

 人払いをし、二人で話をしたいということか。それにしても、真鬼左衛門(まきざえもん)は血を分けた娘を託される程に信を得ているらしい。

 

「俺からも頼む。お永和(とわ)殿、御父君を暫しお借りいたすぞ」

 

 頭を下げる永和(とわ)に見送られ、和道(かずみち)と共に物陰に行く。

 気づいたことがあった。意志の力と称し得るものは永和(とわ)の両目のみならず、総身から発せられていたのである。

 

 ────────

 

「笑わぬ女子だとお思いになられたでしょう」

 

 二人だけとなり、和道(かずみち)は苦笑しつつそう言った。

 

「ええ。しかし、媚びを売る笑顔よりもずっとお美しいと思います」

「敢えて否定しますまい。親の贔屓目ではございますが、亡き母に似て美しゅうなった」

 

 明るい口調にはそぐわぬ、物憂げな表情である。

 

「その美しさも、気苦労によって磨かれた末のものでござるよ。芯の通った武士の多くがミズ族との戦に散った今、主たる氏族に巣食うは信の置けぬ輩ばかり。そうした者どもに隙を見せまいとの振舞いが、すっかり娘の習い性となってしまった」

「《金號(きんごう)》との戦に助勢されたためですか」

 

 竜の民として、故地を追われんとする同胞を助ける当然の行い。そうした爽和(そうわ)氏を慕う者は、真鬼左衛門(まきざえもん)以外にも多くいることだろう。

 自分たちが責務を果たしていないことを棚に上げ、人気取りだと難癖をつけるような連中が幅を利かせているということだ。

 

「まさしく。しかし、それのみにはあらず」

 

 そう言いつつ、和道(かずみち)が腰に提げた袋を一つ手渡してくる。見れば、中は米で満たされているではないか。

 

「我らが手で、作り申した。谷の川沿いに留まらず、山の上にも田を啓いて」

「見事なもの。他国の銘品と比べ、全く遜色ありませんな」

「この米にも、用途が様々ございまする」

 

 氏族の糧とする、商いの種とする、宗家に献上する。そして、恤救のために各地に蓄えられる。

 

「《竜神陵(りゅうじんりょう)》のお墨付きを得、困窮する者のために供される米です。たとえ宗家の御方であろうと、公的には易々と持ち出せるものではありませぬ」

 

 公的には。付言されたそれに何の意味も無いと考える程、無源(むげん)はお人好しではない。どうも不逞な米泥棒がいるらしかった。

 

 それから、和道(かずみち)の内心に今一歩踏み込んでみる。皆のために作る米を、何処かに肩入れして供することはないと言いたいのだろう。つまり、自分にもだ。

 今日初めて会って話す態度からして、こちらに敵意を抱いてはいない。しかし、軽はずみに心を許してしまうこともない。気心の知れた相手、目上の相手にすら立ち入ることを許さない領域を持っていて、自分でその境を守る気概を抱いている。

 

 尊敬に値する人物だと、心から思った。その気概は、娘にもしっかり受け継がれているのだ。

 

 こうした骨のある相手を心服させるには、力と、知恵と、何より筋金入りの魂を持つことが求められるだろう。自分にそれが能うるか。否、それだけの存在にならずして、どうして大志を遂げられようか。

 

「……ところで、あの檄を拝見いたしました」

 

 米を蓄えてある倉の壁に、貼り付けられていたらしい。

 

「宗家も含めた、オロ族の大半が動くかと」

「そう思われるか?」

「《魏糧川(ぎろうがわ)》での勝利を、宗家は竜の民全体の戦果であると喧伝しております。口さがない言い方をするなら、三年間自らが動かなかった事実を糊塗せんとするかのように」

 

 だからこそ、此度の戦を見て見ぬ振りはできない。無源(むげん)の名が出ている以上、宗家はあの時何ら勝利に寄与していないのだと、露見してしまうからだ。

 

 これで、膳立ては整った。

 

「春が来れば、参陣する皆の翼で空が覆われるでしょうな」

 

 全てはそこからだ。そう言わんばかりに、和道(かずみち)は重々しく呟く。

 

 春の気配を帯び始めた風に身を委ね、無源(むげん)は瞑目した。

 




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