無源の秋 〜竜の翼は風雲に舞う〜【毎週金曜12:00&日曜19:00更新】 作:くコ:彡の本棚
足音がやかましい。
今、刻まれる足音から滲み出ているのは焦燥であり、狼狽だった。
「兄者。開けるぞ、兄者」
上擦った声で問うてきた声に、
肘枕の姿勢で振り向きもしないが、肩で息をしているのは分かる。
「兄者!」
「知っておる」
だから偶の休日に騒がんでくれ。言外にそう頼んだのを恐らくは知りつつ、
「大戦になるぞ」
口を引き結び、眉を顰めた真剣そのものの
「ぶへっ」
笑った。
「何が可笑しいんじゃ!?」
「ばはははっ……に、似合いもせんしかつめ顔なんぞやめておけ。泣いとる餓鬼を笑わせるにはちょうどよかろうが」
「真面目に話しとるんだぞ、こっちはっ」
むきになる
弟が飛び込んできた真の理由は分かっている。分かりきった報せを齎すためではなく、それに対する自身の見解を聞きたいのだ。
「山蜥蜴どもが動いたの」
奴らが来る。空を征く《
煌々と輝く灯火に導かれるようにして、飛竜を駆る武者どもが次々と《
《
「《
「ならばまだ心配はいらん。追い詰められれば、気取った物言いなどできんだろうからな。数は?」
「一万と五、六千。今のところは」
その数が変動しうると、
「宗家が動けばどうなる」
「さらに三万は増える、と思う。宗家の本隊と、取り巻きの氏族を含めて」
「お前は動くと踏んでおる訳だな」
オロ族という《
「あれが四万超えときたか。ふん、聞くだに武者震いするような話よ」
「兄者は相変わらずだ。わしは恐ろしゅうて震えが止まらんが」
「お前のはただの貧乏揺すりだろう」
そして、兵の数より余程興味を寄せていることかある。誰が、此度の戦の仕掛人であるのか。
先だって、檄文が発せられているのだという。人の名を覚えるのは不得手な方であるが、そこに記された名はすぐに覚えてしまった。
ひょっとすると、東岸の砦を陥とした軍勢の主というのも、その
公然と、あるいは密かにその事実が《
そうだとすれば、確かに宗家は必ず動く。己が権勢を脅かしかねない存在を掣肘するためにも、外なる敵に力でもって応じる構えを示さねばならないからだ。
しかし、それは後追いとしかなり得ない。
序列として、当然のような顔で総大将の座に就くのであろうが、真に戦の場を設けたのは誰であるのか、参戦した皆は肌でそれを感じるに違いあるまい。
「敵の動静も気になるが、わしは味方の備えがちと心配じゃ」
「西に送り込む兵の数を言うとるのだな?」
《
昨年の戦で数千を討たれたものの、程なく補填され、鎮東軍も定数を回復している。
攻め来る敵があれば、元々詰めていた軍が持ち堪え、遊撃軍が次々と加勢に参じる。それが、迎撃の常道であった。
しかし、今なればこそ抜き差しならぬ事情がある。
「敵も嫌な時期に攻めてくるものよ」
雪解けの時期。《
溶け残った雪、剥き出しの土、逞しく芽吹く草が入り乱れ、大地に斑模様を描いているのだ。
これが難物である。溶けた雪の染み込んだ土はぬかるみと化し、軍勢の移動を妨げる。
軍勢を移動するのに最も不都合な時期に、戦が始まろうとしている。天の時を得られぬがため、地の利までも失った状態で。
さらに、ここで言う軍勢とは兵のみを指すにはあらず。
三年。《
「戦の時機としては最悪じゃ」
不幸な偶然などというものを、
幸運であれば、降って湧くことも時にはあるだろう。しかし戦における不幸の大半は、味方の不手際か、敵の奸智を源とするものなのだ。
此度はまさに後者ではないか。《
「面白うなってきたわ」
己の顔が笑みの形に歪んでいることに、
────────
戦時における遊軍の任務の一つとして、付近を進軍する味方に補給を行い、営舎を提供するというものがある。
中々の手間だった。部隊ごとの場所の割当てもそうだが、荷駄や兵糧の出納を余さず書き記すのが煩わしい。怠ると、横流しの嫌疑をかけられかねない。
そもそもとして、
逆に
将兵はまるで歓待されたかの如く感謝し、あるいは感心するのが常だった。そのようにして得た知己が、弟には大勢いる。
「
遊撃隊を率いて鎮東軍に加勢する、大将の名であった。
前線の将で最も年嵩だった男が、年甲斐も無く一番手柄を上げていた。討ち取った兜首は十五を算え、他の部隊に前を行かせるということが無かった。
あの時も、確か別の方面軍から増援として送られてきた筈である。
「野戦部隊の指揮を取られるそうじゃ。数を揃えられんで、実績あるお人を選んだのだろう」
年長者であるため、指揮下に入る先任の将達の面目が潰れる訳ではない。何より、あの男は騎竜隊との戦い方を心得ている。高所からの死角に潜む術、飛ぶ敵の呼吸を乱す技……。
そうしたことを考えるなら、確かに悪くない人選ではあった。
「とにかくも向こうは先達。戦勝祈願の挨拶ぐらい行くとしようかの」
営舎を出て兄弟で歩いていると、幾つかの人影が前方から迫ってくる。
供廻りを連れた指揮官だ。魁偉なその姿には、
「あの御仁、待ちきれずに来たらしいの」
それはよいのだが、この音は何だろう。
からからから、からからから。歩を進める度に、乾いた音が反響してこちらに届く。どこか不吉な、しかし慣れ親しんだ色を帯びた音。
指揮官が、
「おう!久しいのデカブツ。どうやら弟共々、息災のようだわい」
「うえっ」
目をひん剥いて呻いたのは
「変わった趣向の陣羽織であられますな」
頭、頭、頭……人の頭だ。髪も、皮膚も、肉も、それから中身も無い髑髏。おまけに、箔濃が施されて金色に輝いている。
前に七つ、背に八つだった。
「四年前、我が討ち取った《
この男は昔から、こうした性質であったらしい。いわゆる傾奇者というやつだ。
軍中では勇ましいと賞する声もあれば、度を越していると非難する者も少なくはなかった。
「何故かようなものを仕立ててきたと思う。ん?」
「し、親類の方々にお返しされるおつもりですかな」
顎が外れるのではと思われる程口を大開きにし、
髑髏が喚き立てるような音を立てている。
「買い被られたもの。我はそこまで殊勝な輩と思われておったとは」
それからは型通りの挨拶を経て営舎に移り、戦の話になった。
「六万にございまするか、ひとまず」
「それだけおれば上々であろう。数ばかり揃えても、食わせる飯が足りるかも分からん」
鎮東軍が四万と増援が二万。総計にして六万で迎え撃つこととなる。
万全を期すならば八万は必要であろうが、叶わぬ望みをいつまでも言い募ったとて何の意味も無いのだ。
「戦術は?」
「定石通り内奥に引き込む。東岸を取り戻したと敵は舞い上がっておるやもしれんが、防衛線の一つを抜いたに過ぎんのだ」
《
そこまで敵を誘き寄せ、徒士を思うまま駆けさせるのだ。追い回してくる敵を煙に巻くように引き回し、焦らせる。
耐えかねて突出した敵に槍衾を突き出し、
四年前の侵攻戦、その緒戦でもこうした機動戦術を用いて、人竜の屍を山と積み上げたのだった。
さらに今は、各処の丘に築かれた六つの砦もある。敵の攻勢を砦に駆け込むことで躱したり、砦を攻める敵の不意を突くことも可能な訳だ。
西岸に踏み込んだが最後、そこには進むも退くもままならぬ、火と鉄の蜘蛛の巣地獄が待っている。
確かに完璧な備えだった。敵が、空からのみ来るという前提が崩れさえしなければ。
「目を通しておるぞ、お主の上げた報告はな。蜥蜴乗りどもが徒士を抱えておるとは、味な真似をするではないか」
既に陥とされた東岸を含め、《
檄文の主が真に過日の敵将であるなら、空から仕掛けると見せて、徒士だけで攻め寄せてくるということをしかねない。不安の種といえば、それである。
「なあに、策は講じておる。編成にかくの如く手を加えんと思うてな」
軽兵を百人ごとに組ませて動き回らせ、戦場全てを覆う物見の網を張り巡らせる。というものだった。
「そして、空を征く敵と対するは我が役目だ。七千の精鋭でもって、奴らの前に立ち塞がる」
「御自身の部隊だけで向かわれると?
「こちらに何千挺の
砦から、各徒士隊から撃ちかけられる弾を躱しながらでは、前後にしか動けぬ隘路を進むに等しい。狭い出口を立ち塞ぐ形で備えれば、互角以上の戦いができるに違いない。
それは、正解と呼ぶに足るものには違いあるまい。しかし、敵もまたその正解を知っていたとしたら?
知っていたとて、どうなる。とも思う。この備えを破るには、
しかし、多数の軽兵が残っている。物見にいつまでも時を要する訳は無く、本隊と連携して包囲の態勢を敷くに違いない。
砦からの射撃を躱しながら、速度も勢いも死んでいる騎竜隊が、凌ぎ切れる訳も無かった。
考えに考えても、穴は無かった。しかし、引っかかる。自分は何を忘れている。何を見落としている。
髑髏の奏でる乾いた音ばかりが、耳に残る。
────────
それから、数日後。行軍調練の支度を命じた。
「何処に向かうんじゃ」
ごく当たり前のことを確かめてきた
兵が行き交い、荷駄が右から左へ運ばれる中、営舎に籠って一人考え込む。
自分が思案する時の顔は、機嫌が悪い時のそれだと誤解されているらしい。それを解くのも面倒なので、可能な限り見せないようにしている。
他ならぬ
より正確に言うなら、何も話しようがなかったのである。遊撃隊といえど、裁量を超えて動き回ることなどできようもなく、下された命令を墨守するのが当たり前だった。
もっとも、時にそれを逸脱するから自分は度々査問に呼びつけられるのだが。
此度の戦に際し、増援の補給を支援せよとの命は果たした。次は、どうなるか。つまり、陣触れが自分の隊に来るのか。
来ぬというなら、それは仕方ない。戦力を温存し、次なる機会に備えるだけのことだ。
来るなら、まさしく望むところ。戦場に血の豪雨を降らし、《
ただ、気になることがある。道だ。どの道を進軍して戦場に赴くかという一点に、悩み続けている自分がいた。
この時期、ぬかるみに足を取られる恐れのない道は、二つある。いずれも《
一つは《
しかしながら、どうにも気が乗らなかった。《
そもそも、着到時に早くも戦端が開かれていて、まともに敵情を探る暇も無いまま、前線に向かうことを強いられるかもしれぬではないか。
……ここまで考え、
「俺は、味方が負けると考えているのか」
それを認めた時、もう一つの道がはっきりとした意味を持ってくる。
《
ここを通りつつ戦況を見極めるという方策が、明確な輪郭と共に浮かび上がってきた。
自分の予測通り味方が破れるとしたら、《
しかし、南へ曲がれば。敵の勢いを受け流しつつ、《
その退路を守り通すことができれば、これは負け戦における大きな武功となろう。
無論、危うい賭けだ。味方が戦理通りに勝利すれば、自分とその部隊は戦を厭うた挙句、戦場に乗り遅れた間抜けとして評判が下がるだろう。
それに、狙い通り殿軍の功を立てたとして、望むように評価されるかは別の話だ。抜け駆けに準ずるものと糾弾される恐れもある。
出る杭を嬉々として打ちそうな輩は、幾らでも思いつく。
「だから何だ?」
そんなものは、逡巡の種にすらなり得ない。
「支度はできたが、兄者」
まだ方針を聞かされていないこともあり、戸惑い気味に声をかけてきた。
弟にも、道々説明してやらねばならぬ。だが、今はこれだけを伝えておけばいい。
「なってやろうぞ。杭にな」
「はあ……?」
当惑する弟に、尖った歯を剥き出しにした笑みを投げかけると、
足取りは軽い。一度決めたら迷わない、という在り方が骨の髄まで刻まれているのだ。
目指す先に、俺の戦場がある。俺の運命がある。
いざ、《
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