無源の秋 〜竜の翼は風雲に舞う〜【毎週金曜12:00&日曜19:00更新】 作:くコ:彡の本棚
《
その山をして集結地点とする、そのような触れを誰かが出した訳ではない。理の当然として、そうなるのだ。
万単位の騎竜隊が在陣するのに十分な山容を有し、適度な標高があるため眺望が非常に良い。西を睨んで布陣するとなれば、《
(戦場概略図)
今、集結した軍勢の数は三万を超えている。
そうなるに違いない、と檄を発した時から疑っていなかった
空を彩る光の連なり。次々と駆けつけてくる飛竜の鱗が陽を照り返し、一所懸命の地と定まった山を覆い尽くす。
輝きの山か。気がつくと、
「震えているのか」
無論、怯懦のためではない。自分の檄によって、これだけの大軍勢が一処に集まった。その事実を目の当たりにして、武者震いを抑えられる者がいるだろうか。
「可笑しなものだよな。五万は下らない敵と対する前に、三万の味方を見て息を呑んでいるのだから」
そうだ。気圧されている場合ではない。遠からず、万を超える軍勢を呼び寄せるどころか、自らの手足として動かせる程の気宇を持たねばならないのだ。
いよいよ、その道程の始まりに立ったのである。ここで全てを擲つなどと気負うことのないよう、己を戒めて事を進めねば。
「お前は、落ち着いているな。
「こいつは見栄を張りたがるところがある。他の飛竜に自分の翔ける様を見せつけてやろうと思っているから、不安など覚えようもないのさ」
まるで開き直るように鼻を鳴らす
あるいは、相棒と共に死地へ斬り込む時を目の前にして、心身を滾らせているのか。得物の槍は穂先が丁寧に磨き上げられ、主の覇気を宿したように輝いている。
やはり、この男は生粋の武辺者なのだ。
「そうか、今日はお前の持ち回りだった」
「一日をかけての挨拶回りとは、お前もよくやる。氏族はともかく、部曲(私兵集団)や陣借りの処にまで顔を出す意味はあるのか?」
「ある。名のみならず顔を覚えてもらうことは、後々俺達に益を齎してくれる筈だ」
《
自分と対面した相手が、如何なる立場からどのような反応を見せるのか。氏族同士の距離感は。見極める貴重な場である。
知恵の回るあの男のこと、《
現在、自軍は《
特に砦には大量の旗を立て、戦力の多くを展開し、本陣としている事実を敵味方に示すことに余念が無い。
そこと《
挨拶に向かう際は、
「発つ前に、構わないか。お前に客人が来ているのだが」
「客?訪ねる前から来てもらえるとは」
「少し違う。お前に同行したいと申し出て──」
微塵の恐れも見せずこちらを射貫いてくる眼差し。芯から湧き出てくる力を総身から発する佇まい。
「聞き及びましたところ、
はきはきとした口調には、気後れというものが無い。丁々発止と言葉をぶつけ合うのに、慣れているような印象を覚える。
「御父君の許しを得ておられるか?」
「はい。両の目で陣中を……今の《
以前の会談の後、
当主の座を娘に襲わせるということを、
「分かった。
「と、仰いますと」
「
「過日の一件とは違い、此度は
口を噤むと微かに俯き、
「……
照れることがあるのか。この、笑みすらも滅多に浮かべないらしき女性が。
その事実は愉快でもあり、そして親しみを覚える程に微笑ましいものだった。
────────
方々を訪ねる度に思い知らされるのが、余所者たる自分の微妙な立場である。
澱み切った空気に覆われた《
ただし、それを為したのは累代の名族ではない。戦場で名を馳せる猛者でもない。何処からか現れた、徒士さえも率いる謎の軍勢なのだ。
言うまでもなく、きわめて面妖な存在である。
こちらを測るような目で見てくるのは当たり前で、それとなく警戒の素振りを見せてくる者も少なくない。
そうした反応に直に触れることができたことを、
諸手を挙げて歓迎されるなどと、虫の良い妄想に囚われるまでもなく、現実を知ることができてよかった。
幸いにも、すげなく門前払いを食らわせてくるような相手はいなかった。行いはきちんと見られているのだから、今後もそれによって信頼を勝ち取っていくしかあるまい。
「同行していただいて、本当に助かった。皆から大いに慕われているのだな」
「まだまだ、父の名に寄りかかっているようなものです。いずれは私の名、私自身の功に対し、敬意を払われるような人間になりたい」
そう言いつつ、
既に昼を過ぎ、一度飛竜を入れ替えている。方々には
そして、彼らには他にも大事な役割がある。
「いいか」
外から見れば他の二人とやや距離を取り、警固しているような動きで付いて回るように見えているだろう。
しかし、本当の務めは警固ではない。捜索であり、捕捉だった。
「目星が付いたのか」
「ああ。所定通り、私は一度離れて機を窺う。
川を挟んで敵軍と対すると同時に、《
「分かった。後はよしなに」
「うむ。若い男女二人きり、仲睦まじくな」
軽妙な口調からして戯言に違いなかったが、そうとは思えない程の辛辣な響きとなって、
「どうした、何故そのような言い方をする?」
「さあ。心当たりも無い男女の仲について揶揄される気まずさを、身をもって知る良い機会ではないのか」
おまけに、
「あ、あれはすまなかった。ただ、そういうつもりではなかったのだ」
「無論、私としてもそのつもりではない。然らば」
愛想のようにも聞こえる
「あの、大事ありませんか?言い争われていたのかと……」
「ん?ああ、いや、大したことは。ほんの些事にござる」
武士の鯨波ではない。商人が客を歓待する際の挨拶である。
「《
飛竜にも幾つかの種と各々の得手不得手があり、膂力と体力に秀でる種は、このように大量の荷を運ぶのにうってつけだった。
野営する側が厚手の布地を手渡し、金子(貨幣)を受け取っている。地竜の内皮を加工して作る、伝統の布地。
それが《
自分が蒙を啓いてやったなどと、愚しく思い上がるつもりはない。いずれ誰もが知ること、その時を少し早めただけだ。
「これは父の受け売りですが」
「《
商隊の下に数騎が舞い降りて、懐から銭袋を取り出している。酒と干した魚を購っているようだ。
「皆が、故郷に溢れる宝の存在に気づき始めている。商いに新たな生き方を見出し、他国と交わろうとする人や氏族もいます。それらが繋がって大きな輪となれば、《
それが良きか悪しきか、如何に変わっていくかを考えるのは、
それは、殊の外
信じ続ける夢が現実のものとして芽吹き始めていることを、直に確かめることができたのだ。
「ありがとう」
自分が新たな商いの道を啓いた発起人であるということは、みだりに公にすべき事実ではなかった。今のところは。
それでも、口からついて出た感謝の言葉を、取り消そうという気は微塵も起きなかった。
感謝を伝えるべき多くの人が《
突然礼を述べられ
それがまた、あらゆる想いを受け入れる深みを持っているように思われるのは、あるいは贔屓目かもしれなかった。
────────
動きがあったのは三日の後、挨拶回りを終えて野営地に戻った翌日の、早朝だった。
昨年に陥とした東岸の砦を一とし、北から二に始まり七まで数字を振っていた西岸の敵砦群。防衛線で最も川に近い三の砦から盛んに気勢が上がり、兵が渡河の構えを見せている。
鞍に跨り、飛竜を離陸させた。西岸からの
対岸の敵陣。俄かに立ち昇った戦の気が空を沸き立たせ、陽炎の如く揺らめいていると見えた。しかし一方で、こちらに見せつけているような大仰さを感じる。
「どう思う?」
「急流を越えて攻め込む暴挙を、犯す敵とも思えません。宗家の軍が到着する前に我が方を挑発し、誘い込んで出鼻を挫こうとの意図ではありませんか」
敵陣を遠望する
「ただ、緒戦を制するというには些か大掛かりです。もう一つ、別の一手を隠しているように思われますが」
「俺も、同感だ。そして別の一手についても、俺は当たりをつけている」
その時、音高く吹き鳴らされる笛のような音と共に、彼我の距離を一息に飛び越すものがあった。立ち昇る熱気の一部が、千切れ飛んだとすら思われる軌跡。
三と六の砦に備わる大型の
三の砦から放たれた一発は、紛れもなく果し状そのものだった。
喧騒が塊となって押し寄せてくる。味方の陣からだ。刀槍の響きと具足の擦れる音、そして乗り手の昂りを受け止めた、飛竜達の咆哮。《
竜の民の気質として、当たり前のことだった。数多の同胞を地に沈めてきた武器による不敵な挑発を受け、黙っていては沽券に関わる。
氏族や部曲にとっては、将の威信さえも左右することだ。
「このままでは挑発に乗せられた挙句、火線に取り込まれて痛手を被ってしまうのでは?思いとどまるよう、私から」
「いや。ここは皆の戦意に任せる」
周囲を見渡せば、各々得物を携えた騎竜武者が地を発ち、突撃の機を窺っている。
「竜の民の本質が何たるか、貴女は俺以上に知り抜いている筈だ。それに、緒戦を託す」
蛮勇を恣にし、徒花となるを是とするのは、竜の民の流儀ではない。勝機を狙い澄まし、飛竜で一翔けして急所を突くのが、伝統ある騎竜戦法の妙であり、生き方そのものだった。
ただし、素朴で直情的な性向も同じく抱えていて、時として冷静な判断を押し除けることがある。敵もそれを承知の上で、このような挑発を仕掛けてきたのだ。
必要なのは、冷水を浴びせて意気を削ぐことではない。勝つための道筋を示すこと、それに尽きる。
陥とした敵の砦に本陣を移し、存在を誇示したのも、勝ち筋に気づいてもらうためだった。
「敵の守りには、大きな風穴が開いている」
敵の守り。炎の壁と称しうる火力を誇る東の大手は無論のこと、小山のために翔ける道が限られ、《
それに比して、北側には脆さがあった。地形としてはやや起伏に乏しく、《
厄介な大型の
守る上での弱点を埋めていた東岸が
「当然、北の弱みをそのままにする敵ではあるまい。敵により積極的な意志があれば、それを逆用してこちらの戦力を減らすことを考えるだろうな」
「北に部隊を展開し、野戦の備えでこちらを迎撃せんと、敵は構想しているのですね」
「まさしく。その狙いを叩き潰すことから、戦を始めよう」
既に北では、西岸に渡った徒士隊が展開し、敵と向き合っている。陣を組んで堂々と、ではない。互いに百単位の小集団に分かれ、探り合うかのような対峙である。
陸の軍を統括する
ただ、あの男に任せれば大きな間違いは無い。それは信じられる。先の戦でこちらの徒士の存在を知り、警戒しているであろう敵の注意を引き付ける役目を、必ずや果たしてくれる筈だ。
「貴女ならば、戦の肝は何処にあると考える」
「……あの砦」
防衛線の北端、二の砦を
「砦の周辺に詰める敵と、北に展開する敵。あの砦を攻めることは、両者を結ぶ線を断ち切ることを意味するのでは」
まさしく道理だった。その道理を、他ならぬ敵が知悉していることだろう。つまり、望むまいと敵の意識は二の砦に注がれ続けるのである。
心を攻める余地が、そこにはあるのだ。
一陣の風。
思案に耽る二人を現実に引き戻す、鋭く、力感に満ちた風。騎竜武者。際立って立派な人竜一体の姿が、残影を置き去りに西へと翔け抜けていった。
それに遅れじと、次々翔け出してゆく騎竜武者達によって、空は一時黒く塗りつぶされた。
鯨波と、嘶きと、それから時の到来を喜ぶ高らかな笑声。ない混ぜになった大音声の渦は刹那で消え去り、生ける颶風と化した空の猛者どもは、早くも西の彼方である。
始まった。
戦の気にあてられ、首筋がひりつく。それは、決して不快ではなかった。
いつも応援してくださる読者の方々に、改めてお礼を申し上げます。
感想、高評価、お気に入り登録などをしていただけますと、大変励みになります。面白いと感じていただけましたら、何卒よろしくお願いいたします。