無源の秋 〜竜の翼は風雲に舞う〜【毎週金曜12:00&日曜19:00更新】   作:くコ:彡の本棚

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至空之陣 〜嚆矢〜

 

 今の私は、空を奔る矢だ。

 

 嚆矢、という。影千代(かげちよ)は飛竜を励ましてひたすらに翔けながら、己を一本の矢に擬していた。

 

 行手に、味方はいない。背後から押し寄せてくるのだ。奔騰する戦意に身を任せ、遮二無二と言う他ない勢いのまま、一万に及ぶ騎竜武者が空を断ち割っている。

 

 自分が先頭を征くことになったのは、偶然と、危機感と、純然たる功名心が絡み合った結果だった。

 

 自分が当主を務める義影(ぎえい)氏は代々、北の諸氏族を取り纏め、ミズ族との境を守り続ける役目を帯びてきた。崇高な使命だ。それを誇りに思えど、恨めしく思ったことなどありはしない。

 それでも、竜の民の生き様を守る大戦に参陣できないであろうことを、口惜しくは思っていた。

 

 ところが、その状況が俄かに変わったのである。オロ族宗家の嫡男たる、遠武羅(おぶら)の手勢が北にやってきたのだ。

 父である宗主に似ず、戦場を翔け抜け武勲を打ち樹てることに至上の価値を見出す、生粋の武人。元々駐留していた北東の情勢が小康状態にあるため、宗主の命でミズ族との最前線に移ってきたという訳である。

 

 まさしく、渡に船だった。義影(ぎえい)氏を始めとする北部の者達が、《至空山(しくうざん)》に馳せ参じることを許されたということだ。小勢ながらも、実戦で揉まれた精鋭揃いだった。

 

 諸々の引継ぎを終え、影千代(かげちよ)は郎党を引き連れ着陣した。その直後に、あの音が響いたのである。

 気がついた時、早くも鞍に跨っていた。

 

 半ば抜け駆けのような形となってしまった以上、果たすべき責任というものがある。数多の銃口を覗かせる敵の砦を見ながら、そう思う。

 

 先だっての挑発以来、敵は発砲しておらず、一見すると消極的にさえ見えた。

 本気で撃ち落とす、その構えを取っている証だ。ひたすら手繰り寄せ、確実に仕留められる瞬間に引金を引くつもりだろう。息を呑み、殺意に眉を吊り上げる敵の顔が、見えてくるようだ。

 

 こちらを挑発して引き込み、撃ちのめして機先を制する。敵の狙いは読めた。

 

 偽らざる本心を言うなら、罠を承知でこのまま正面から斬り込みたい。鋼の壁が如き防衛線を突き砕いて、敵の中核を一息に貫いてやりたい。

 その猛りを抑え、騎首を右へと転じる。破滅的な火力の網に、捉えられることのないように。果たすべき責任とは、そういうことだった。

 

 本来、勝利の機に聡いのが竜の民たる気質だった。だから、気づいてもらえる筈だ。

 正面を避けて北から迂回し、敵を防衛線を側面から突く活路があること。今なら、それが可能だということを。

 

 若輩が、口で指図したところで駄目だ。人と飛竜、飛竜同士。心の紐帯に働きかけるには、率先して行動で示すのが一番だった。

 

 僅かに足を落とし、後続から孤立しないようにする。振り返った先に湧き出す影の群れが、自分の群れであるとすぐ分かった。翔け方の癖は、よく心得ている。

 

 それとは別に、右方から近づいてくる一騎がいた。

 飛勢を見れば、経験豊かな戦将であることが伝わってくる。放つ気というものが違うのだ。

 

 騎首を並べ、速度を合わせてくる。一連の動きはきわめて鋭く、滑らかである。

 

「どなたか!」

無源(むげん)軍が一将、真鬼左衛門(まきざえもん)と申す。その旗印、貴殿は義影(ぎえい)氏の御当主・影千代(かげちよ)殿とお見受けするが」

 

 その返答には驚かされた。近く会いたいと思っていた人物の名が、二つも出てくるとは。

 一人は、故地を逐われた雪辱を三年越しに果たした熟練の武将。そしてもう一人は、誇りにかけて立てと檄を発した謎の軍閥の主。

 

「北こそ攻め口と思い、翔けておられるのですな。然り。端緒として北で一戦交えるべく、皆を導くつもりで来たのです」

「やはり、守りの隙を捨て置く敵ではありませんでしたか」

 

 それも堂々と陣を組んで、ではあるまい。

 

 精強な徒士(歩兵)を擁する《金號(きんごう)》軍は、型に嵌った窮屈な陣など敷かぬ。百単位の部隊を戦場に散らし、移動と攻防を織り交ぜた戦を展開するのだ。

 

 急降下で陸の敵を狙う騎竜武者にとっては、天敵そのものだった。何処を狙うか……一瞬の逡巡の先に、逆流する豪雨の如く飛来する弾丸の群れが待っている。

 

 かつて苦杯を舐めた真鬼左衛門(まきざえもん)が、それを知らぬ訳がない。あるのだ、手が。勝つための道が。

 

真鬼左衛門(まきざえもん)殿、後続の味方をお頼み申す」

 

 信じるか信じないか、との段はとうに過ぎて頭に浮かぶことすらない。命を懸けるか否か、それあるのみだった。

 

「心得た。して、貴殿は?」

「横腹を撃たれながらでは、北へ向かうも覚束ぬものと存ずる。このまま、前に」

「群れなす銃口に身を曝し、敵の注意を逸らすおつもりか」

 

 危うい。それでも、やらせてくれ。そんな無粋で迂遠なやり取りは、騎竜武者に無用のものである。

 

 二人で、頷きを交わした。それが全てだ。影千代(かげちよ)はその場に留まって郎党の合流を待ちつつ、北へ戻ってゆく真鬼左衛門(まきざえもん)の背を見届ける。

 

 円と球を組み合わせた動きで飛ぶ、竜の民独自の符牒。我に続け。背後から押し寄せる闘志の行先が、微妙に向きを変えてゆく。

 

「思い切った御決断をなさいましたなあ」

 

 童固(どうこ)が追いついてきた。皺に覆われた顔を面頬(顔の下半分を覆う防具)の下で歪め、ゆったりと笑っている。

 戦意に燃える郎党の、引き締まった顔との対比が面白い。

 

「すまん、早々に苦労をかける」

「何を仰せです、殿。敵の備えに正面から向かって無駄弾を撃たせるなど、滅多に無い痛快事ではありますまいか」

「我らの武勇は、北の守りがためのみにあらず。それを敵味方に知らしめる絶好の機にござる」

 

 北に縛りつけられていた鬱屈が、どうしても皆にはある。自分もだ。

 それを晴らし、長年積んできた鍛錬の成果を見せる時を前にして、溢れる昂りを総身から放っていた。

 

「然らば、若。そろそろ」

「まだ、若なのか」

 

 話しながらも、敵が撃ちかけてくることには注意を払い続けている。こちらが向かってくることを悟り、その時にこそ撃ち落とさんと目論んでいるのだろう。

 

 乗ってやろうではないか。一騎たりとも、落とされるつもりはない。

 

義影(ぎえい)衆、一番槍」

 

 腹の底から声を張り上げ、翔け出した。

 

(戦況図 その一)

 

【挿絵表示】

 

 

 ────────

 

魏糧川(ぎろうがわ)》の流れが、空に浮かび上がったかのようだ。

 

 真鬼左衛門(まきざえもん)に導かれた大勢の味方。一万騎というのは、決して誇張ではないだろう。連なる飛竜の嘶きと羽ばたきが空を圧し、触れれば弾かれる量感すら伴う大音声が、戦場を覆っていた。

 

「逸るなよ」

 

 双竜之丞(ふたつのじょう)は呟いていた。それは瑞王(ずいおう)に対してのものか、押し寄せる味方にか、あるいは自分自身を戒めたのか。よく分からぬ。

 

 現在は騎竜隊を率いて砦の北方に待機し、川向うの様子を窺っていた。

 敵の砦群、そのさらに北に広がる一帯は、控えめな起伏のある原野である。よく目を凝らして見れば、上体を屈め、物陰に潜み、こちらに備えているのが分かる。

 

 西岸への渡渉を果たし、方々に展開しているこちらの徒士隊を、警戒しての動きだった。

 

 昨年の戦で趨勢を決めたのが徒士隊の強襲であることを、よく理解している証左だ。小部隊を散らしておくという敵の備えは、徒士を迎撃するうえでも都合の良い態勢なのである。

 こちらが徒士で攻めかかった時に物陰から躍り出て、四方から取り囲むことを狙っているのだ。

 

 だが、徒士隊を指揮する修伍(しゅうご)は、その厄介な備えを歓迎しているようにすら見えた。かつて《金號(きんごう)》の武人であっただけに、敵の備えが抱える唯一の弱みを知っている。

 守りに秀でてはいるが、攻める段となれば地の利を捨てることとなり、威を失うのだ。

 

 だから修伍(しゅうご)は、執拗に挑発を繰り返して敵の突出を誘う。……という動きを、殊更見せつけている。敵は罠に嵌るまいと、意固地になったように守りを崩さない。

 息の詰まる重々しい膠着が、戦場の北を支配していた。

 

 あるいは膠着に倦んだ敵が、二の砦から打って出るなら容易いものであったが、やはりそこまで軽率な相手ではない。

 

 双竜之丞(ふたつのじょう)は視線を転じ、東岸を眺めやった。味方の現状は。

 

 真鬼左衛門(まきざえもん)が連れてきた味方は、こちらの本陣である砦に着陸して翼を休めている。《至空山(しくうざん)》の味方を前線に送り出すにあたっても、この砦は都合が良かった。

 そして、唯一正面に向かう一隊。二と三の砦を繋ぐ線、断つような動きにも見える。

 

 かつてミズ族に属していた身、義影(ぎえい)氏の旗印が分からぬ筈もない。双竜之丞(ふたつのじょう)が若かりし頃の当主は仁者として、ミズ族においても敬慕の対象となっていた。

 現当主の器量は如何ばかりか。それを測るつもりで双竜之丞(ふたつのじょう)は見ていたのだが、すぐに侮りも甚だしいと己を恥じる気分に襲われた。

 

 容易く雷火(らいか)の好餌にならぬよう、小刻みに位置をずらしながら進む翔け方。兵達もまた僅かな遅滞も見せず付き従い、欠片の躊躇や逡巡も見受けられない。

 さらに三つ、五つの各隊に分かれて舞い踊るかと思えば、いつの間にか元の一つに戻っている。蝶の群れもかくやと思わせる鮮やかさ。これでは敵の撃ち手は、引金に指をかけたまま動けまい。

 

 瑞王(ずいおう)が感嘆したように唸る。それは双竜之丞(ふたつのじょう)の内心の現れでもあった。

 

「ああ、全くだ。天下にはまだまだ武者が多い」

 

 直後、三の砦から閃光の群れが迸って、火力の腕が義影(ぎえい)衆を掴み潰さんとする。その機を狙っていたのだろう、間合いに踏み入った刹那の発砲。

 その直前に全騎が間合いから脱したが、本命は次だ。前進から離脱に移る間隙を突くようにして、大型の雷火(らいか)による狙撃が待っている。戦歴豊かな騎竜武者が、幾人も落とされた戦法だ。

 

 吹き鳴らされる笛の音。空を切り裂く弾丸。一直線、当主であろう立派な武者を貫こうとしていた。直前。

 

 風。楯。当主を弾丸から守るようにして現れた、風の楯。

 規模こそまるで違うが、双竜之丞(ふたつのじょう)は同じものを《鳴蒙川(めいもうがわ)》で見ている。

 

「矢玉避けか」

 

 よもや、仙術を能くする騎竜武者がいようとは。新鮮な驚きを感じている間も、義影(ぎえい)衆は寄せては退くことを繰り返し、火線の大半を自分たちに引きつけていた。

 その様を見ながら、肌で感じる。熟し始めた戦機を。

 

 西岸で、鬨が上がった。

 

 戦意を滾らせた味方の徒士が、一斉に寄せ始めたのだ。敵が散在して待ち構える原野ではなく、二の砦に向かって。

 俯瞰してみれば、穂先が陽に照らされて白銀に輝き、光の怒涛が砦を飲み込まんとしているかに見えた。

 

 二の砦から伝わる喧騒は、狼狽に満ちている。徒士隊が原野を攻める姿勢を見せていたこと、義影(ぎえい)衆の動き、二つの陽動が判断を鈍らせていただろう。

 砦からの応射を受ける前に、徒士隊は砦の前面まで寄せることに成功する。

 

 そして、双竜之丞(ふたつのじょう)は待つ。本当の標的が痺れを切らし、姿を現すのを。然して、それはやってきた。

 

 敵の徒士が各々与っていた処を放って、こちらの徒士の後背に飛び出してきたのだ。

 

 彼らにとって、二の砦は単に味方の詰める処ではない。堅牢な砦群から突出した位置で戦う彼らにとっては、味方と繋がる大事な結節点である。

 如何に原野で厄介な備えを固めようと、心はそこに置いたままだった。付け込まぬ手は無い。

 

(戦況図 その二)

 

【挿絵表示】

 

 

 退路を失ってはならじと攻め寄せてくる敵は、分散の利を完全に忘れ去ってしまっている。勢いのまま、砦の前に陣取るこちらの徒士を、強引に押し除けんとしているのだ。

 

 その時、空が轟いた。それは、事が成ったことを示す合図。

 

 二の砦を攻められたことに狼狽え、図らずも蝟集した敵の徒士隊に突っ込んだのは、戦の機を求めて翔けに翔けてきた、味方の騎竜軍団だった。

 

 忽ち、原野は剣戟と流血の坩堝と化す。喚声、怒号、悲鳴。それらを塗り潰す、白刃の響き。

 

 騎竜武者が敵の群れ目がけ、滝の勢いで急降下し得物を振るえば、そこには穴が穿たれるようだ。

 しかし敵の抵抗も止むことはなく、突っ込んだ騎竜武者にも二度とは翔けられない者が出てくる。

 

 春の原野にぶち撒けられる鮮烈な赤と、積み上げられる骸の山。血に足を滑らせ、屍に躓こうと、誰もが武器を握る手を緩めない。

 それを見遣りながら、双竜之丞(ふたつのじょう)は麾下に突撃を下命した。

 

 軽く腿を締める。瑞王(ずいおう)は自らが上げた咆哮すらも置き去りにして、瞬きも終わらぬ間に川を翔け越えた。

 

(戦況図 その三)

 

【挿絵表示】

 

 

 密集する敵の一団が前に現れたので、縦列のまま突き進む。勢いそのものが、武器だった。

 遮られはしなかった。呼吸を乱さぬように得物の槍を振るえば、左右に居並ぶ敵が血の泥濘に倒れ伏してゆく。刃と刃がぶつかった後に上がる悲鳴、味方のものは混じっていない。

 

 そのまま、突き抜けた。最後尾の味方に後方を確認させると、敵の集団は真っ二つとなり、割れた片方ずつを味方に包囲されているようだ。

 

 流血の巷である戦場に身を投じても、平静でいられる自分に気がついている。渦巻く轟音に、放たれる雷火(らいか)のそれが混じったことに気づいた。

 

 石騒(せきそう)指揮下の雷火(らいか)隊は、辛抱強く機を待っていたらしい。逆転を狙う敵の撃ち手が集結するのを目敏く見つけ、先手を打って斉射を浴びせたのだ。

 

 敵の備えを一つずつ、入念に崩していった。後は、最も頑強な抵抗を試みる中枢を討ち取ってしまえば、終わる。向かってくる敵の相手を麾下に任せ、辺りを見回した。

 

 すぐに、それは見つかった。一隊を率いる将と思しき軍装の男。痩躯ながら、四方に放つ殺気は鬼のようでもある。

 

 敵将の左手から、幾つもの光が飛んでいた。投斧。勝勢に乗る騎竜武者を幾人も鞍から落とす威力と精度は、瞠目に値する。

 接近してくる相手がいれば、右手の槍で過たず突き通していた。

 

 双竜之丞(ふたつのじょう)はその男に鏢(投擲用小刀)を投げつけた。弾き落とした敵将が、こちらを睨め付けてくる。

 お相手願う、との挑戦を受けた証だ。

 

 鏢と投斧が彼我の距離を行き交い、相手の急所を狙い合う。

 投斧は精度と同様、速度も侮れないもので、双竜之丞(ふたつのじょう)は不規則な動きを織り交ぜてそれに対抗した。

 

 そうなると、こちらから放つ鏢の軌道はやや単純なものとなるので、敵将には弾かれてしまう。

 相手に助勢があれば退散せざるを得ないところであったが、率いていた兵は乱戦の只中にあるようで、間合いを取った一騎討ちは続いた。

 

 気がつくと、残る鏢は一つ。敵は次なる投斧を振りかぶる。

 

 瑞王(ずいおう)。心の中で呼ばわった。強風を背に受けたような急加速の中、振りかぶった敵の顔が強張るのが見える。

 予期せぬ時に距離を詰められ、投げるか、それとも槍か、一瞬の迷いがそこにはあった。

 

 投げつけた最後の鏢は敵将の左手を正確に捉え、敵将は得物を取り落とす。すぐさま槍を構え直し、怒気を発した。

 

 憤怒の相で、固着した。双竜之丞(ふたつのじょう)が突き出した槍が、敵将の喉を貫いたのである。

 穂先はうなじから突き出し、真っ赤に染まっていた。

 

 双竜之丞(ふたつのじょう)は鞍から下り、瑞王(ずいおう)の首筋を撫でてやると、息絶えた敵将に近づいた。深々と一礼し、槍を引き抜いて首を取る。

 

 戦場を見渡すと、生ける敵はもういなかった。敵陣から増援が来着し、そこに残らず逃げ込んだようである。

 その増援も北には出てこようとせず、敗残の味方を収容して戻っていった。

 

 勝った。緒戦を取った。その事実をようやく噛み締める。

 

 えい、おうの掛け声が、何処からか聞こえてくる。戦と、血の匂いと、何より勝利に昂った、燃え盛るような大音声。

 

 最後の最後に戦場を支配したのは、夕空に轟く味方の勝鬨だった。

 




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