無源の秋 〜竜の翼は風雲に舞う〜【毎週金曜12:00&日曜19:00更新】   作:くコ:彡の本棚

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至空之陣 〜疑心〜

 

 二万騎。それだけの軍勢を率いて前線に赴いた経験が、四十を目前とする遠休(おきゅう)には無かった。

 

 宗家の旗本から参陣を表明した各氏族の手勢まで結集し、《至空山(しくうざん)》に向かう手筈だった。

 ただし、涼綺(りょうき)を始めとする有力氏族の腰が重く、出立は遅れに遅れたのである。

 

 今、目指す地点にようやく達しようとしている。二週間前には早くも戦闘が生起したようで、既に捷報が齎されていた。

 

「大殿直々の御出陣なるぞ、励めや者ども!」

 

 沓毅(くつのき)が得物を掲げ気炎を上げると、呼応した兵達の張り上げる鯨波が四方の山々に突き刺さった。心なしか、触発された全軍が足を速めたようにも感じる。

 

 集結が捗らぬ中、一隊を先遣として先行させ、足場を固めるという意見が出ていた。沓毅(くつのき)はその急先鋒だったと言ってよいだろう。

 結局、その主張は退けざるを得なかった。戦力の逐次投入に繋がると思われたし、それ以上に政治的な懸念も頭の片隅にあった。

 

 宗家直参の列臣といえ、各地の氏族とのしがらみで雁字搦めとなっている。それは商いであったり、姻戚であったりするのだ。

 事実上の一番乗りという大任を誰に与えるか、その判断が厄介な火種を燃え上がらせることとなれば……。

 

 そして現状として、宗家の着陣は大幅に遅滞した挙句、緒戦の勝利という名誉を取り逃したのだった。

 沓毅(くつのき)としては不本意きわまりない仕儀であろう。武門の恥だ、と慨嘆しているという噂も聞いていた。

 

 総大将たる自分が決断を欠いているのを、非難する心境もあるだろう。それは、無理からぬことだった。

 そして内心で如何に考えようと、それを自分の前ではおくびにも出さぬのが、沓毅(くつのき)という若者である。

 

 無念は将のみならず、兵達もまた同じく抱いているに違いない。それに思い至った時、傅かれている自分の身が、ひどく滑稽なものであるように感じられたものだった。

 

至空山(しくうざん)》に達し、各々が所定の動きを取り始めた。山頂には物見に任じられた一隊が着き、本陣以下の主力は山の中腹に陣を張る。

 

 開けた一帯だったので、着陸には大した労を要することもない。にも関わらず徒に時を費したのは、大身の氏族が降りる地点と順番、合図の出し方にまで注文をつけてきたためである。

 

 大戦に臨む際の伝統に則ってとは言うが、実用性の無さがために形骸化して久しい。

 そんなものを持ち出したのも、氏族の権威と戦に出た事実を、着到している三万の味方に見せつけたいがためだろう。

 

 遅参しておいて、やることがそれか。遠休(おきゅう)の頭にその言葉が浮かんだが、恐らくは自身の存念ではあるまい。

 緒戦にも出ず、陣容ばかりひけらかすこちらを、冷ややかに見つめる武者達の心中。それが痛い程に伝わってくるのだ。

 

 居た堪れない心持ちのまま着陸し、胡床(折り畳み椅子)に座して軍営の完成を待つ。

 そこに、呼んでもいない男が得意げな顔で現れた。

 

涼模(りょうも)殿か」

「並ならぬ武威に満ちた陣容、そうは思われませぬか。その采配を振るうはやはり、大殿を置いて他にありますまい」

 

 涼模(りょうも)の側に、見慣れぬ男がいることに気づく。遠休(おきゅう)より頭一つ分は背丈の低い、小男だった。

 新たに登用した小者(従者)であろうか。無言で、卑屈な笑みをこちらに浮かべてくる。

 

「そうか、形は整ったか」

「まさしく。輝かしき累代の伝統を体現する我らが上に立ち、並み居る武者どもを導く。これこそ、正当なる竜の民の戦と申せましょう」

 

 とても尋常な物言いと思えず、二の句が次げなかった。処もあろうに、《至空山(しくうざん)》でそれを言うか。

 

 破竹の進撃を続けるミズ族に対し、オロ族が乾坤一擲を狙い仕掛けた大戦。その際オロ族の本陣が置かれたのが、他ならぬ《至空山(しくうざん)》なのである。

 

 自分もそこにいた。いただけである。言われるがまま本陣に残って、撃砕される味方の軍勢を遠望した。物言わぬ骸となって帰陣した将に、幾度も会った。

 滅ぶのか。あの時は恐怖すらも湧くことなく、漠然とその気配が近づくのを感じていた。

 

 そして涼模(りょうも)はといえば、俄かに仕立ててきたのだろう手勢を寄越しただけで、己の営地に留まったまま、主力の温存に汲々としていた筈だ。

 

 この場に戦を論ずる資格の有る者がいるのかどうか、疑問を抱かずにはいられない。

 

「父上、よろしゅうございますか」

 

 遠乙(とおいつ)が駆け寄ってきた。滅多には無い機会、大規模な戦の気を身をもって知ってもらうためにと、同道させている。

 次期当主として、との意識は無い。決めるにはまだ早いと思ってはいた。

 

「陣中であるぞ、父と呼んではならぬ」

「ご無礼仕りました。して、大殿……無源(むげん)と名乗る者が、目通り願いたいと申し出ておりまして」

無源(むげん)とな」

 

 遠乙(とおいつ)が手で差し示した先に、三騎。一匹、青灰色の立派な飛竜がいた。

 

「檄を発した、あの」

「恐らくは。大殿、それから主だった氏族の皆々様ともお会いしたいと」

「わざわざ会う時を設けられることもないでしょう」

 

 嘲りを隠さず、涼模(りょうも)が口を挟んでくる。

 正統意識の強いこの男のこと、家格に劣る者が如何な武功を樹てようと、下賤の見苦しい足掻きとしか思わぬに違いない。

 

「会おう。皆にも触れを出すのだ」

 

 賢しら顔で言われるまでもなく、会わなくて済むならば会いたくないような気はした。

 しかしそれにも増して、ここまで来て逃げるのかという内なる声を無視し得なかったのである。

 

 ────────

 

 ここまで、若いのか。

 

 初の対面を果たした時、まず驚かずにはいられなかった。息子二人と、齢はそう変わらぬ筈だ。

 そんな若者が檄を発して《久々鱗(くくり)》中の武者を糾合し、大戦を始める筋書きを立てた。

 

 この若さでか。やはり、その驚きはどうしても消えそうにない。

 

無源(むげん)と申しまする。この度はお初に御意を得ること叶い、光栄の至りと存ずる」

 

 無源(むげん)の語りには功を誇る響きも、こちらの遅参を責める調子も無かった。

 凪いでいるのだ。少なくとも表層は。望みや狙いを容易には悟らせない、手強さが伝わってくる。

 

 宗主としての立場を、示さねばならなかった。この厄介な若者を相手に。相手を圧し、頭を垂らしむる威徳が己に欠けている以上、口をついて出るのは当たり障りの無い言葉ばかりだ。

 

「緒戦での多大なる働き、大儀。《久々鱗(くくり)》の明日を左右する戦に勝利を齎さんがため、より一層励まれよ」

「無論にござる。我らが戦は、偏に竜の民が息づく地の繁栄がため」

 

 返答に頷きながら、付き従っている二人の男を観察する。

 青灰色の飛竜を駆っていた少壮の男からは、戦塵に塗れた者しか纏いようもない、武人の気と呼ぶべきものが感じられた。

 

 もう一人、やや年嵩の男は野生味ある風貌をしてはいるが、不敵で落ち着いた物腰は智者のそれであろう。

 この男の飛竜には、人の背丈程はある大きな櫃が積まれている。

 

「聞き及んでおりますぞ、無源(むげん)殿とやら。緒戦では徒士(歩兵)を用いて敵を破られたとか」

 

 割り込んできたのは、やはり涼模(りょうも)だった。両目に浮かぶ嘲弄の色、それは列席する有力氏族の多くに共通するものである。

 

「騎兵が足りぬというなら、我らに声をかけてくださればよかったものを。乞われれば、五百騎程はすぐにでも貸し出せたのだから」

 

 緒戦の功労者に向けているとは思い難い、笑声が谺した。耳を覆いたくなる程、下卑た響きの波が押し寄せてきているというのに、無源(むげん)は平然として顔色一つ変えない。

 

 この時ばかりは流石に、控えるよう皆を嗜めた。情けなさに耐えかねて、あるいは節度が如何の話ではない。

 ここまで毅然としていられる相手に、下手なことを言うのはきわめて危険だという、胸騒ぎのようなものがあった。

 

 それは嫡男である遠武羅(おぶら)に対して覚える危うさと、似ているのかもしれない。

 参陣を望んだので退けたところ、ならばせめてミズ族に睨みを利かせてくると言い出し、北へと向かっていた。

 

 二人を会わせないという一点において、その手当は正しかったように思う。何が起こるか分かったものではない。

 

「ところで、実は大殿にお目にかけたきものがございまして」

 

 心なしか声を低めて無源(むげん)が言うと、飛竜に積まれていた櫃が目の前に運ばれてくる。

 よく目を凝らせば、それは微かに動いているようにも見えた。

 

「何だ、それは?」

「陣中土産、と称するには無粋にござるが」

 

 ゆっくりと横倒しにされた櫃から転がり出たもの。見紛いようもない。それは後ろ手に縛られ、枚(口に咥えさせる小さな板)を噛まされた男だった。

 皆のざわめきが場に満ちる中、その男は怒りと恐怖に引き攣った顔を忙しく左右に向けている。

 

「答えよ、無源(むげん)殿。これは如何なることか。此奴は何者ぞ」

「《金號(きんごう)》の間者にて」

 

 剣呑な予感。首元を冷気で撫で上げられた気がした。

 

「陣中に潜んでいたと申すか」

「分かっているだけで、四人。全員生け捕りにしたく思いましたが、斬り合いの中で三人死なせ申した。いずれも中々の手練れで」

「何故、枚などを噛ませている。自害させぬためか」

「それもございまするが、何よりこの者、ゆめ許せぬ流言蜚語をなしたものですから」

 

 ようやく合点がいった。今、この男が来ているのは自分に機嫌伺いをするためなどではなく、その流言蜚語とやらを聞かせるためなのだろう。

 

「聞かせてみよ」

「待たれよ、大殿ともあろうお方が、かような下郎の言を──」

涼綺(りょうき)が《金號(きんごう)》に通じておる、と」

 

 皆の視線が全てただ一点、ただ一人に注がれる。慌てたように言葉を差し挟んできた、涼模(りょうも)に。

 その表情を見て、軽い驚きを覚えた。この男も、額に汗を浮かべることがあるのか。

 

「虚言ぞ!」

「で、ありましょうとも。《久々鱗(くくり)》きっての名門、竜の民の誇りを長きにわたり守り伝えてきた涼綺(りょうき)の御当主ともあろうお方が、その誉れを売り渡すが如き真似をなさる筈もござらぬ」

 

 敵の卑劣な離間計である。そう明言しつつ、無源(むげん)は折り畳まれた書状を、恭しく差し出してくる。精巧に作られた偽書である、と付言して。

 紙の染みと思われたものは、どうやら血の痕であるらしく、一瞬触れることが躊躇われた。

 

 涼模(りょうも)に対する指示、もとい要請が書き連ねてあるものだ。

 

 間者の活動を助けるための居処を提供し、自由に動き回れるよう方々に口利きすること。その見返りに、来る《金號(きんごう)》との交易においては、涼綺(りょうき)氏に特権を与えること……。

 

 口に出して読み上げてはいない。だが、涼模(りょうも)には文面がありありと分かることだろう。

 

「破り去っておしまいなされ。同胞の名を騙ってここまで貶めるとは、到底看過し得ぬものでありまする」

 

 決して言われるがままではない。持っていることすらうんざりしたためだ。そう自分に言い聞かせつつ、破り捨てた。

 あっ、と後ろから上がった声が誰のものかは、最早詮索するまでもない。

 

「……まだ、肝心なことを申してはおらぬようだが」

「と、仰いますと?」

「情報と書状のみならず、何故この男をわざわざ伴って参った」

 

 最早、聞かぬふりをして無かったことにできる段は、とうに過ぎ去っていた。何かの破局を齎すかもしれない何かが、この先に待っている。

 

「されば、申し上げまする。此奴の身、本戦に先立って血祭の贄とすべきかと。如何か、涼綺(りょうき)の御当主」

 

 再び涼模(りょうも)を四方から突き刺す、視線の群れ。先程に比して、どこか油ぎっているように感じられる。

 

「累代の名誉を穢したる賊を手打ちにされてこそ、立つ瀬もございましょう。何卒、手ずからご成敗されたし」

 

 涼模(りょうも)の唇と両手が、瘧のように震えている。恐怖のためではあるまい。

 根無草と侮っていた若者にしてやられた怒りが、胸中で煮え滾っているのだ。

 

 形として、涼模(りょうも)は疑いを晴らす機会を与えられた、ということになる。それに、戦勝を祈願する血祭で剣を握ることは、古来より栄誉とされることだった。

 

 斬るのを躊躇えば、残るのは完全に消えない疑心である。

 

 そして、未だ潜んでいるであろう《金號(きんごう)》の間者は、そのような事情など斟酌しない。

 通じていた筈の人間が一転、同胞を文字通り斬り捨てた。その事実を目の当たりにすることだろう。

 

 立ち尽くす涼模(りょうも)に、あの小者が落ち着き払った様子で囁きかけている。斬るべし、と言上しているらしい。

 それで意を決したように涼模(りょうも)は佩剣を抜き、枚を噛まされた口で何事かを叫ぶ間者に近づいた。

 

 最早助からぬと悟った間者は両目をひん剥き、自由の利かぬ体で憤怒と嫌悪を発散する。苦々しくその様を見下ろす涼模(りょうも)が、刃を振り上げた。

 

「役立たずが」

 

 そう呟いたように聞こえたのは、単なる錯覚であるかもしれぬ。

 

 隣に控えている遠乙(とおいつ)の方を見た。あまりに多くのことが目の前で起こり、すっかり気を呑まれているらしい。

 

 きっと、自分も似たり寄ったりの表情を浮かべているのだろう。まるで真っ向から突風を浴びたかのような疲労が、全身に滲んでいる。

 

 間者の首が刎ね飛ばされた。

 

 足下に広がり始める、赤い水溜り。覗き込もうとして、やめた。

 

 また、ろくでもないものが見えると思われたのである。

 




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