無源の秋 〜竜の翼は風雲に舞う〜【毎週金曜12:00&日曜19:00更新】 作:くコ:彡の本棚
足を泥塗れにして目指す地に辿り着いた
《
未だ陣触れが出ていない、出るか否かも分からない段にあって、
やはり、来た。《
その使者に対し、
調練で「たまさか」東に出ていたのだから、行軍効率の面からして無理からぬことだった。
街道を外れた道、雪解けの泥濘に足を取られながら《
「着いた時にはくたびれ果てて、戦になんぞならんのではないかのう」
万一そうなれば、即ち敗北ということだ。そんなことまで気に病んでは、戦などできぬ。
着到し、柵と楯を並べて当座の守りを固めると、兵を一日休ませた。
久々に大戦の匂いを嗅いだためか、考えるのが楽しくすらある。
翌日の朝には、早速行動に移る。
「一手を率い、北東にて備えていろ。戦況から敵味方の動静まで、気になることがあれば直ちに回せい。なるべく敵の目には付くなよ」
そう命じて兵を預け、
それに、もう一つ。今現在、
「望む処に来られたと思えば、別の煩わしさが待っておるとはな。ままならんものよ」
各地より《
都合が良くもあり、不本意でもあった。本陣と前線を繋ぐのは言わずもがなの大任であり、それを大過無く務め上げたらば、大いに面目が立つことだろう。
ただし、与えられた任は守りであり、攻めではない。前線の趨勢を見極め、機に臨んで討って出る自由な用兵は難しくなる。
街道で列をなす
「今のところ、戦況は我が方優勢と見てよいな」
着到してから、一週間あまり。営舎の卓上に地図を広げて戦況を論じるのは、二日に一度程度である。
肝心なのは全体の戦局を把握することであり、その都度細々と頭を捻ることに、大した意味は無いのだ。
着到する前に起きたという緒戦は、敵に取られていた。北に回り込まんとした敵の先陣を食い止めようとし、散々に撃ち破られたのである。
北から増援として駆けつけてきた遊撃軍が、半ば独断で戦端を開いたらしかった。
ただし、何らの収穫も無かった訳ではない。懸案だった、敵徒士(歩兵)の動向を掴むことができたのだ。
飛竜で目を引き付けておいて、地を這う徒士で奇襲をかけるような戦法は、封じたと言ってよい。
「
「戦歴が長いお人だからの。似たようなことは幾らでもあったろうよ」
北での緒戦を経て、戦は防衛線の内奥にもつれ込んでいた。野戦の大将直々に率いる精鋭は、陣中を縦横に駆け回り、火線の網を突き抜けてきた敵を叩き落としているという。
翻って敵は、緒戦の勢いが霧消したかのように、攻勢の機を掴み損ねている印象がある。
東と北。二つの攻め口から、敵はこちらを窺っていた。狙いを定めてきたのは、大型の
北を取り囲んで動きを封じつつ、南を攻め陥とす目論見であったようだが、
狭い範囲を不規則に動き回る動きを見せつけておいて、一気に直進し、北の囲みを撃砕したのだ。そのまま、急行してきた敵の精鋭と激戦を繰り広げ、撤退に追い込んでいる。
もっとも、神懸りの武勇ばかりがこの結果を齎した訳ではない。
「東の敵はどうも半端者ばかりよの」
包囲を受け持っていたのは東から寄せてきた敵であったが、端から見ても指揮が統一されておらず、脆弱な有様であったらしい。
そう聞くだけで、想像はつく。ある隊は攻勢をかける戦況に気が緩み、またある隊は過度の緊張で柔軟性を失う。指揮が統一されない軍は、そんなものである。
前線にいた
北の包囲が破られたことで、南を攻める筈だった敵も、思い切った動きを取れないでいるらしい。
「存念を申し上げてよろしゅうござるか」
共に地図を眺め、語らう相手に選んだ
昨年陥とされた東岸の砦に詰めていた生き残りで、
「よかろう、言ってみろ」
「何故、敵は二方向から攻める迂遠な戦を選んだのでしょう。せっかく押さえた北を足掛かりに、一息に攻め込むが良いと思われますのに」
「数と勢いに任せ、雪崩れ込むか」
それは、自分が敵将であればと想定した場合、こう動くと
大軍で弾丸の群れを吸い込みつつ、陣中に踏み込む。如何にも乱暴な戦術ではあるが、ひたすら前に進んで斬りまくるという簡潔な命は、それだけに誤謬の恐れが無い。
火力の壁を破って乱戦に持ち込めば、それから内側で互角以上の戦ができる。
「敵の先陣が北に回り込んだと聞いた時、それをこそ狙っていると思うたものですが。作戦なり、本陣の方針なりに変化が生じたのでありましょうかな」
それを聞き、唐突に考えついたことがある。
自分達が敵の先陣だと認識している一軍はその実、他とは一線を画する独立勢力ではないのか。
緒戦の鋭さと現状の鈍さ、不整合を説明する理屈として、うってつけであるように思う。
その推測を基とした思索の中で、事実を手繰り寄せようとした時、思い浮かぶ名があった。
おいそれと、口に出すつもりは無い。
「ところで話は変わるが、例の風聞をどう思う」
語るのも面倒になったためか、あるいは自分で噛み砕いて考え直したいため。此度は後者の典型であった。
新たな話の種とされた風聞というのは、北に陣取る敵が前線を放置し、後背の《
真偽定かならぬその情報が、近頃将兵の口の端に上っているらしい。
「有り得ますまい。これだけ噂が流れているとなると、敵が故意にそうしたと考えるべきにて」
「後背が脅かされていると前線に思わせ、揺さぶりをかける魂胆だと?」
「
よしんば敵がそうしたとしても、すぐさま転進して背中から突き崩してやればよい。
小さな勝ちを積み重ねてきた味方は戦場に留まり、敵に無念の撤退を強いるまで戦い続けるに相違ない。
果たして、そうした理の当然が分からぬ敵なのか。風聞の内容からして、流言は北の敵の主導によるものであろう。
もしも、である。こちらが前線を維持し続ける現在の戦況が、敵の思惑通りであったとしたら。
つまり、
俄かに、外から慌ただしい気配が伝わってくる。敵襲や味方同士の諍いではないようだ。
何事かと営舎の外に出た
驟雨である。兵達が頭を押さえて物陰に駆け込み、あるいは荷駄を布で覆い、濡れるのを防ぐ姿が散見された。
「前線にも及んでいるでありましょうな、この雨は」
降り注ぐ水の矢群が突き刺さる地面を見ながら、
東岸の砦が陥とされた、あの戦。風向きが西に変わったのを契機として、趨勢が決した側面もあると聞いた。それを思い出しているのか。
春の天気が変わりやすいことなど、当たり前だった。降水量は多いが、長い間ではあるまい。戦場に与える影響はごくごく限定的なものとなろう。
ただ、それだけのことだ。頭では割り切っているというのに、心がそれを肯じていなかった。
────────
煩わしい雨は止んだが、抜き差しならぬ戦況が変わる訳ではない。
剃り上げた頭を撫でて、
「お」
頭にべたりと付いた血を忘れていたために、節ばった手は真っ赤に染まっている。
全て返り血だ。大斧を振るって敵の勇士を討ち、赤い霧を潜って翔け抜けるのは痛快に他ならぬが、血の匂いをもってしても心外の念は消えぬ。
主家にかけられた疑惑、肚の底からそれを否定できないことが、まず苦しかった。思い当たることが幾らでもあるのだ。
当主として氏族を見守る務めすら疎かにして、
今、側に置いている小者(従者)もそうだ。確か
ともかく、これよりは《
しかし主は手勢を率い前線に立つことも、余剰の荷駄を味方に融通することもなく、北と東の二方向から攻めるというつまらぬ策を提案したに留まった。
緒戦で北を制したと聞いた時、北から一息に敵陣を穿てるものだと、膝を打つ思いであった。あの檄文の主……
だが、
正面から堂々と進み、天下に恥じぬ戦をどうとか言っていたらしいが、要するに北からの速攻に加わって、自前の戦力を失うのが嫌なのだろう。
早期の決着こそが損耗を減らすという単純な勘定が、何故できないのか。自分などより、余程頭が良い連中だと思っていたのに。
乾いた音が連なった。
味方の騎竜隊が遊弋する敵の一隊に捕捉され、一方的に撃ちかけられている。それも、見飽きた光景だった。
陣に踏み込んだ先に待っていたのは、徒士と火線が折り重なる執拗な守り。起伏の向こうから現れた敵の一隊が撃ちかけてくるのを追撃すれば、砦の眼前に誘い込まれて圧し潰される。あるいは機先を制され、ずらりと並んだ長槍の穂先にかけられる。
気がつけば、四方に敵が湧き出しているのだ。敵は徒士の利を巧みに活かし、起伏に身を隠してこちらの隙を突く。さらに自走する輜重車などに乗り込んで、思い武具を持ち運ぶ労も無く、素早い展開を可能としていた。
そして、劣勢となれば砦に逃げ込めばよい。忌々しい程、巧妙な備えであった。
頭を抑えられているがために、同じ土俵で戦うことを強いられている。大型の
北から雪崩れ込めば、一切合財を勢いのままに突き崩せたかもしれぬのに。それでもせめて、狙撃を封じるために砦を陥とす作戦もあったのだ。
「あの老い耄れめが……」
翔け続けて疲労が滲む飛竜を替え、窮地の味方を救う支度をしながら、
以前討ち取った竜の民の髑髏を、陣羽織に縫い付けるという常軌を逸した出で立ちの老将は、前線での野戦を統括する立場にあるらしい。
《
何より、老将自身の武勇も、率いる精鋭の破壊力も凄まじい。砦の狙撃を封じるために、こちらの軍勢が包囲の態勢にあると見るや、微塵の躊躇も無しに突っ込んだのである。
水平の雪崩が起きたかの如き光景だった。包囲の一角に楔が食い込んだと思いきや、その楔が弾けるように包囲の陣を食い破り、ずたずたに寸断してしまったのである。
ただならぬ脅威を覚えたのであろう、流石の宗家も旗本を繰り出してぶつけた。
考えてみれば、単純な戦かもしれぬ。あの老将を討たばすなわち勝ち、さもなくば負ける。その妙案が浮かばぬ、己が知恵の不足が無念でならない。
ともかく、今は目の前の味方を救ってやることだ。支度を終えた
鮮やかな翔け方だ。素直に、感嘆する。その鮮やかさは、恐れを知らぬ果敢さと、無駄を削ぎ落した鋭さに裏付けされたものに他ならない。そして、自分はこんな翔け方をする男を知っていた。
敵を追い散らし、味方を救って戻ろうとする一騎に、両手を振る。目の前で着陸したその男に声をかけ、
「息災らしいな」
「ああ。もう、一年か」
「そうらしい。相変わらず、相棒の翔けっぷりも見事なもんだ」
鱗を青く輝かせた飛竜が、誇らしげに鼻を鳴らす。鞍を下りた男も、微かに唇の両端を吊り上げた。二人で岩陰に座り込む。
あれから一年。今なお飛竜の
先程、少しばかり戦ったのを見ただけで、よく分かる。その翔け方、技の冴え、一年前より遥かに磨きがかかっている。あの時は自分と互角の武者さえ珍しいと思い上がっていたものだが、今ではこちらが打ち負かされるのを覚悟しなければならないかもしれぬ。
「風の噂は真であったらしいの。あの
「契約だ、あくまでは。まあ、どう見られても構いはせん」
何より、どこか明朗だった。戦場で会ってから《
それが、蓑衣のように纏わっていた暗さを脱ぎ捨て、生来の明るさを取り戻したと見える。
微かな羨ましさと共に己の境遇を思い出しそうになって、
「それにしても、ここまで身動き取れん戦場もそうはあるまい。あの爺に出し抜かれてばかりよ」
「その目を盗み、深入りした味方を救い出して回る。今やっているのは、それだろう?」
「お前もか。互いに面倒事を抱えとるな」
実のところ、
付き合わされる郎党には申し訳ないが、自分一人の感情を言えば、決して悪いものではない。前線で刃を振るい、味方を生かすために戦う。武士として誉れ高い務めではないか。
「では、埒を開けに行くか」
「何?」
ゆったりと立ち上がった
「あの敵将の首を取る」
何かくぐもった音がしたかと思いきや、それは自分が唾を飲み下した音だった。
「言うまでもないと思うが、奴は敵の奮戦を支える物心の柱だ。ぼきりと折ってやれば、たちまち敵は瓦解する」
「確かにそいつは道理だろう。しかし、本当にやるのか?勝算は」
「勝算の話を、まずしようか。砦の囲みを破った時、奴の如何なる動きでそれを成し遂げた」
一丸となって一角を突破し、そこからは一転兵を四方に散らして、食い破るように陣を引き裂いている。
つまり、中核である敵将の周囲から、兵が消えているのだ。
「遮る敵がいない時を狙えば、奴に刃が届く」
「容易く分断される敵ではあるまいが、より大掛かりな手も仕込んである。断じて逃がしはせん」
「そして、もう一つ。本当にやるのか、と問うたな」
「やるぞ。私は」
お前は、どうする?
問われるのを、待とうとは思わない。
肚の底から湧き上がる熱いものの正体も分からぬまま、
いつも応援してくださる読者の方々に、改めてお礼を申し上げます。
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