無源の秋 〜竜の翼は風雲に舞う〜【毎週金曜12:00&日曜19:00更新】 作:くコ:彡の本棚
その姿を見ただけで、内なる声が「触れるな」と警告を発してくる敵。
そんなものが滅多にいる筈もないが、
少し間合いを詰めんとするだけで、見えざる壁に弾かれるような殺気が充満している。
敵将……
かつて討ち取った、竜の民の髑髏であるという。
「奴め、縫い付ける髑髏をさらに増やしてやろうなんて考えとるだろうな」
「同胞の骸だ、奪われっ放しにしてはおけん」
「殺ろうぜ、俺達で」
たった一つの首。それを狙って翔けることを考えるだけで、槍を持つ指先にまで熱が横溢してきた。
率いるは、元より麾下としていた手勢を核とする、七千騎。敵の最精鋭とほぼ同規模の戦力である。
その多くが、
雪辱に燃える彼らの士気は、天を衝くばかりに高い。さらに、敵の暴れ様を目の当たりにしながら生き延びているため、敵の鋭峰をどうにか受け流す呼吸を、肌で知っている。
当座の騎竜隊ながら、まず満足できる陣容だった。高まる人竜の戦意は空気を帯電させ、弾ける音さえ聞こえそうな程だ。
追い立て、あるいは誘い込んでくる敵を撃退しつつ、標的に肉薄する機を窺う。
砦からの射撃は、大型の
緒戦の結果を受けた敵の、徒士に対する警戒は殊の外厳しい。空と陸の二元攻撃こそ封じられつつも、精鋭とぶつかる際に砦からの射撃を食らわぬための膳立てを、
「仕掛け」が成った後に彼らを恙無く撤収させるためにも、唯一の機を逃す訳にはいかぬ。
さらに万全を期すために、もう一つの後詰を手配してもいたが、如何せん指揮の外にある人物を恃むものではあった。期待しつつも、過信は戒める。
注意を促すように
小戦闘を重ね、手負いも出たためであろう。隊を五つに分け、指揮の再編を行っていた。相当の無防備、二度とは見えぬ隙と見えても、無理からぬことではあったが。
「いかんな」
再編自体が誘いであったかは分からぬ。ともかく、敵には油断や狼狽の気配が無く、いつでも刃を交えられる構えでいるようだった。
五つの矢と化した敵は、接近してくる騎竜隊に向かって猛然と駆け出し、突き刺さった。
騎竜隊の動きが、留まって円を描くようなものに変わる。飲み込んだ敵を、囲んで潰す際の飛び方。
折り重なる影と羽ばたきに覆われ、敵の姿はまるで見えなくなった。
取り込まれた敵が鏖殺された。そう期待し、あるいは惜しんだ者がいたかもしれない。
壮絶な様相を呈して、予想は裏切られる。
爆ぜたのだ。数十騎が一斉に吹き飛ばされ、噴き上がるように囲みが破られる様は、そうとしか言いようがない。
踏み入った味方の内奥で敵は集結を果たし、一点でその破壊力をぶち撒けたのだ。
連なる悲鳴は、ほぼ全てが味方によるものだろう。飛竜のそれまで混ざっているのだから。
「分散からの、集中だった」
敵の猛攻は始まったばかりである。早くも百を超える味方が落とされるのを見た
「集中からの分散が、次に来る」
ごく当たり前の、戦の呼吸だった。癖と言い換えてもよい。
始める時が来た。「仕掛け」の効果が現れるまで、遅ければ一刻半(三時間)。もう少し開戦を延ばしたかったが、頃合いであろう。
槍の穂先で天を差し、声を張り上げた。
すぐさまそれは皆に波及して、稲妻すら掻き消すような喚声が、戦場の空を断ち割った。
大陸広しといえど、これ程に多様な音と声の坩堝は他に類を見ないだろう。人竜の声。得物を突き上げる度に擦れる具足。翼のはためきと共に鳴る鱗。
無秩序にして、渾然。《
不敵きわまる果し状を、叩きつけた。直後、一斉に射掛けられる殺気は、敵がそれを受け取った何よりの証だった。
翔け出す。
剥き出しの闘志を湛えながら、しかし速度は抑える。速さと勢いで押し切る戦法が通用する、甘い相手ではない。
硬いもの同士が真正面からぶつかれば、敢え無く砕け散る。それは、負けだった。半刻、四半刻でも引き付ける根気と柔軟性が、今は必要だ。
翔けつつ隊を二つに割って、将たる二人がそれぞれの先頭を往く。
敵の直撃を食らって撃ち砕かれることのないよう、状況により各部を切り離せるような隙間を、敢えて設けていた。
それに対し、
捕捉されそうになれば、一気に食い破って離脱する。そのために与えられた突破力である。
こちらの接近に対し、敵は不動のまま迎え撃つ態勢にも見える。それが、こちらに飛びかかってくる前の偽装、あるいは溜めであることは、これまで敵が見せた果敢さに鑑みれば、嫌でも分かる。
これ見よがしに敵が並べる槍の穂先。白刃とは言えない。真っ赤に染まった穂先が蝟集して、血の沼が広がる様にも似ていた。
数多の味方が沈んだ、赤い沼。
沼が、濁流に変じた。静をかなぐり捨てて動に転じた敵。兵の顔には、優勢と血の匂いに昂る色が浮かんでいた。
先頭に、兵の狂奔とは一線を画する泰然とした、それでいて凄絶な笑みを浮かべた老人がいる。
敵が放つ殺気の行方。
迂闊に加勢はできぬ。乱戦となれば徒士に利があるし、一度捉えられたら離脱も難しい。
交錯。その一瞬は激烈をきわめた。刃と刃がぶつかり合い、具足ごと肉が斬り裂かれる気配がばっと充満し、消えた。
両者の位置が入れ替わった時、十数人の敵が骸と化して転がっていた。しかし、直撃を躱しきれなかった十騎近くも落とされ、地上でとどめを刺されている。
歯軋りしかけた時、轍を刻む車輪の音が、群れをなして耳に入ってきた。総大将交戦の折には機動的に連携できるよう、訓令が行き届いていると見える。
全隊が向き直るのを待ち構えていたであろう敵は、呼吸を外されて動揺していた。隙は逃さない。
一斉に投槍を放って車輪を粉砕し、横転したところに攻めかかる味方の姿。右に左に得物を振るい、突き崩し、戦域から敵を叩き出す。
それは、伝わる気配と味方の伝令で知ったことだ。視線と意識の大半は、
引潮の際、付け入るために逆撃を試みる敵を、
単純かつ規則的な攻めと守りを前にして、敵は初めて勢いを落とし始めた。
焦らしている。性急に勝ちを急がず、敵の備えの緩みを誘う。集中からの分散。こちらが望む機を、手繰り寄せるために。
咽せ返る武の気配。膠着しかけた空気を突き破って、それは現れた。
遠くから見てもよく分かる。先程見た、老いてなお凄絶な笑み。
先程は気づかなかった、陣羽織の髑髏。不気味そのものの乾いた響きが、戦の喧騒の中でやけにはっきりと聞こえた。
翔けつけねば。そう思ったのと、
血煙を潜り抜けた先の光景。老将が振るう矛に薙ぎ倒された四騎の味方が、木の葉のように宙を舞っていた。苦痛の嘶きを上げた飛竜が、己の翼によらず空を飛ぶ。
老将の振りかぶった矛。
三者が交わるただ一点にて、各々の力をぶつけ合った。鮮烈に飛び散る火花が、一瞬だけ瞼を灼いた。
「
二人がかりで矛を受け止めている。鉛の小手を着けているような重さに、両腕を小刻みに震わせながら、
すると老将は、ぐわと両目を見開き、口の両端を吊り上げる。これ程に雄弁な返答は滅多に無かろう。
気配と腿の締め付けで
巨木に等しい量感の一撃。当たれば人間の肋骨など粉微塵にしてしまうだろう。
老将……
止められはしないが、尾が届くほんの僅かな遅滞を利して素早く飛び退り、すぐさま呼吸を整えていた。
「……礼は後でするぜ。生きて帰ってからな」
溜息混じりに
全く同感である。膂力といい身のこなしといい、常軌を逸したまま老いた印象さえ、
「腕の痺れなんぞ、七つ数えれば消えるものと思っておったが」
「それはこちらとて同じだ。助勢しておいて、情けない」
「気にするな。あと一刻(二時間)、爺と遊んでやるだけよ」
二人で得物を構え直して正面を睨めつけると、
「二人がかりとなれば、我に当たるも能うと思うてか?よきかな、若輩の浅慮は嫌いではない」
「いかれた陣羽織の老い耄れに、訳知り顔をされるのは気に入らんな」
双方軽口の遣り取りをしつつ、得物を握る手に少しづつ殺気を漲らせる。
「聞いておいてやる。若造ども、名前は?」
「教えるのはお前を討ち取った後だ」
「よかろう、薄墨にしてから聞き出してくれるわ!」
生ける火の玉となった
突き出される矛を、槍の柄で滑らせる。それは硬く重い風の塊が迫るのに似て、受け流すのに
間髪入れず、次が来る。代わりに前に出た
入れ替わり立ち代わり、一撃ずつ
指揮官同士が干戈を交えているのだ。当然、敵味方の将兵も正面切ってのぶつかり合いにもつれ込んでいた。攻めるに攻めきれなかった《
対する騎竜隊も慎重を期しつつ、飛兵の利を活かそうとするが、徒士に群がられて引き摺り落とされる姿が其処彼処で見られた。
こちらで番号を振った砦の内、大型の
しかし今の戦場は、こちらの「仕掛け」にこの恐るべき老将を取り込むにも絶好の地勢であった。それでも、
(詰めの一手を打つ戦力を失っては本末を違える。一度退くか)
その考えが
「来てくれたか、後詰が」
万全を期すために用意した後詰というのが、これだ。こちらが敵の大将と交戦を始めたら、大型の
依頼した相手の名は、
各々が敵の戦力を捌く中、
射界を塞ぎ、惑わせる動きを味方が続ける中、急迫した
恐らくは仙術による攻城の技であろう。消火に追われる敵に、無論のこと狙撃ができる余裕など無い。
好機。そんなことは教えてやるまでもない。高度を取り、頭上を取ることが許されたのだ。
上下という第三の軸を持つ騎竜隊は、その優位を活かして逆襲に転じた。得物を振り下ろして頭を叩き割る。飛竜の巨躯でもって踏み潰す。強かに報いをくれてやると、さらに飛び上がって隊伍を再編した。
数は千騎あまり減じていたが、士気は開戦当初を上回る程に高い。味方が稼いでくれる時を無駄にせず、敵に痛撃を与えてやるのだ。
胸のすくような、波状攻撃が始まった。寄せて退く縦列は巨大な鞭となって敵陣を打ち据え、時には楔に形を変えて突き抜ける。
一処に留まらない。
守勢に追い込まれても、敵は相変わらず固い。それでも、自ら守っているのではなく、こちらの攻撃に煽られ、守らされているのだ。焦燥は少しづつ、少しづつ敵の心を蝕み、目に見える空隙を作る。
こうなれば敵は、強引にでも埒を開けるしかなかった。
「来おったぞ!」
集中からの分散、待ちに待ったその時が訪れたのである。以前は内側から食い破るためであったが、此度は纏わりつく拘束を撥ね退けるためのものだった。
こちらも隊を散らしてそれに応じる。分散した敵を、集結させはしない。二度とだ。
見える。薄墨の鈍い輝き。
丘に新手を集結させ、既にいる兵達と呼応して一気に逆撃をかけるつもりだろう。
この期に及んで、見上げた闘志だった。丘自体も、六の砦から援護を受けられる位置にあり、未だ大将としての冷静さを失ってはいない。
だが。
「御老体」
早くも「仕掛け」がここまで及び始めたことを察知し、
「お前は今、死地の只中ぞ」
その時戦場を包んでいたのは、鳴動そのものだった。瞼を開けた怪物の唸りにも似た音が、敵味方の耳朶を打つ。
東から迫るもの。それは光の群れが意思を持ち、波打ちながら戦場を一飲みにしてしまわんと、猛り狂っているように見えた。
瞬く間に、地面は取って代わられた。陽光を反射して輝く、水面に。
いつも応援してくださる読者の方々に、改めてお礼を申し上げます。
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