無源の秋 〜竜の翼は風雲に舞う〜【毎週金曜12:00&日曜19:00更新】   作:くコ:彡の本棚

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至空之陣 〜血風〜

 

 その姿を見ただけで、内なる声が「触れるな」と警告を発してくる敵。

 

 そんなものが滅多にいる筈もないが、双竜之丞(ふたつのじょう)が挑むのは、確かにそういう類の敵だった。

 少し間合いを詰めんとするだけで、見えざる壁に弾かれるような殺気が充満している。

 

 敵将…… 砕骨坊(さいこつぼう)という老いた猛者に、二つの鈍い輝きが纏わっていた。血の軌跡を描いては消す白刃と、陣羽織にあしらわれた薄墨の髑髏が、陽を照り返している。

 

 かつて討ち取った、竜の民の髑髏であるという。

 

「奴め、縫い付ける髑髏をさらに増やしてやろうなんて考えとるだろうな」

「同胞の骸だ、奪われっ放しにしてはおけん」

「殺ろうぜ、俺達で」

 

 巌徹(がんてつ)と二人、陣頭に立って戦に臨む。一年前を追想しかけたが、そんなものは後でいい。

 たった一つの首。それを狙って翔けることを考えるだけで、槍を持つ指先にまで熱が横溢してきた。

 

 率いるは、元より麾下としていた手勢を核とする、七千騎。敵の最精鋭とほぼ同規模の戦力である。

 その多くが、砕骨坊(さいこつぼう)と交戦した末に指揮官を落とされ、瓦解した部隊の生き残りだった。

 

 雪辱に燃える彼らの士気は、天を衝くばかりに高い。さらに、敵の暴れ様を目の当たりにしながら生き延びているため、敵の鋭峰をどうにか受け流す呼吸を、肌で知っている。

 

 当座の騎竜隊ながら、まず満足できる陣容だった。高まる人竜の戦意は空気を帯電させ、弾ける音さえ聞こえそうな程だ。

 

 追い立て、あるいは誘い込んでくる敵を撃退しつつ、標的に肉薄する機を窺う。

 砦からの射撃は、大型の雷火(らいか)による狙撃を除き、然程の脅威ではなくなった。味方の徒士(歩兵)隊が砦の前面まで押し出し、牽制を続けているためである。

 

 緒戦の結果を受けた敵の、徒士に対する警戒は殊の外厳しい。空と陸の二元攻撃こそ封じられつつも、精鋭とぶつかる際に砦からの射撃を食らわぬための膳立てを、修伍(しゅうご)は整えてくれているのだ。

 

「仕掛け」が成った後に彼らを恙無く撤収させるためにも、唯一の機を逃す訳にはいかぬ。

 

 さらに万全を期すために、もう一つの後詰を手配してもいたが、如何せん指揮の外にある人物を恃むものではあった。期待しつつも、過信は戒める。

 

 注意を促すように瑞王(ずいおう)が首を振った。左手……東の前線を抜けてきたであろう数千騎からの味方が、砕骨坊(さいこつぼう)の手勢に突っ込んでゆく。

 

 小戦闘を重ね、手負いも出たためであろう。隊を五つに分け、指揮の再編を行っていた。相当の無防備、二度とは見えぬ隙と見えても、無理からぬことではあったが。

 

「いかんな」

 

 双竜之丞(ふたつのじょう)の零した一言の響きは、舌打ちにも似ていた。

 再編自体が誘いであったかは分からぬ。ともかく、敵には油断や狼狽の気配が無く、いつでも刃を交えられる構えでいるようだった。

 

 五つの矢と化した敵は、接近してくる騎竜隊に向かって猛然と駆け出し、突き刺さった。

 

 騎竜隊の動きが、留まって円を描くようなものに変わる。飲み込んだ敵を、囲んで潰す際の飛び方。

 折り重なる影と羽ばたきに覆われ、敵の姿はまるで見えなくなった。

 

 取り込まれた敵が鏖殺された。そう期待し、あるいは惜しんだ者がいたかもしれない。

 壮絶な様相を呈して、予想は裏切られる。

 

 爆ぜたのだ。数十騎が一斉に吹き飛ばされ、噴き上がるように囲みが破られる様は、そうとしか言いようがない。

 

 踏み入った味方の内奥で敵は集結を果たし、一点でその破壊力をぶち撒けたのだ。

 連なる悲鳴は、ほぼ全てが味方によるものだろう。飛竜のそれまで混ざっているのだから。

 

「分散からの、集中だった」

 

 敵の猛攻は始まったばかりである。早くも百を超える味方が落とされるのを見た巌徹(がんてつ)が、努めて平静な声で言う。

 

「集中からの分散が、次に来る」

 

 ごく当たり前の、戦の呼吸だった。癖と言い換えてもよい。

 

 始める時が来た。「仕掛け」の効果が現れるまで、遅ければ一刻半(三時間)。もう少し開戦を延ばしたかったが、頃合いであろう。

 

 槍の穂先で天を差し、声を張り上げた。瑞王(ずいおう)の咆哮がそれに続く。

 

 すぐさまそれは皆に波及して、稲妻すら掻き消すような喚声が、戦場の空を断ち割った。

 

 大陸広しといえど、これ程に多様な音と声の坩堝は他に類を見ないだろう。人竜の声。得物を突き上げる度に擦れる具足。翼のはためきと共に鳴る鱗。

 

 無秩序にして、渾然。《久々鱗(くくり)》武者の鬨とは、こういうものなのだ。

 

 不敵きわまる果し状を、叩きつけた。直後、一斉に射掛けられる殺気は、敵がそれを受け取った何よりの証だった。

 

 翔け出す。

 

 剥き出しの闘志を湛えながら、しかし速度は抑える。速さと勢いで押し切る戦法が通用する、甘い相手ではない。

 硬いもの同士が真正面からぶつかれば、敢え無く砕け散る。それは、負けだった。半刻、四半刻でも引き付ける根気と柔軟性が、今は必要だ。

 

 翔けつつ隊を二つに割って、将たる二人がそれぞれの先頭を往く。

 

 双竜之丞(ふたつのじょう)が受け持つ五千騎は、各騎の間隔を空けつつ広く展開する。

 敵の直撃を食らって撃ち砕かれることのないよう、状況により各部を切り離せるような隙間を、敢えて設けていた。

 

 それに対し、巌徹(がんてつ)の二千騎は密集して、錐を思わせる鋭い構えのまま進む。攻めの役割を持たせてはいるが、無理には攻勢に出ない。

 捕捉されそうになれば、一気に食い破って離脱する。そのために与えられた突破力である。

 

 こちらの接近に対し、敵は不動のまま迎え撃つ態勢にも見える。それが、こちらに飛びかかってくる前の偽装、あるいは溜めであることは、これまで敵が見せた果敢さに鑑みれば、嫌でも分かる。

 

 これ見よがしに敵が並べる槍の穂先。白刃とは言えない。真っ赤に染まった穂先が蝟集して、血の沼が広がる様にも似ていた。

 数多の味方が沈んだ、赤い沼。

 

 沼が、濁流に変じた。静をかなぐり捨てて動に転じた敵。兵の顔には、優勢と血の匂いに昂る色が浮かんでいた。

 先頭に、兵の狂奔とは一線を画する泰然とした、それでいて凄絶な笑みを浮かべた老人がいる。

 

 敵が放つ殺気の行方。巌徹(がんてつ)。向かってくる敵に対し、躊躇なく飛勢を強めた。

 迂闊に加勢はできぬ。乱戦となれば徒士に利があるし、一度捉えられたら離脱も難しい。

 

 交錯。その一瞬は激烈をきわめた。刃と刃がぶつかり合い、具足ごと肉が斬り裂かれる気配がばっと充満し、消えた。

 

 両者の位置が入れ替わった時、十数人の敵が骸と化して転がっていた。しかし、直撃を躱しきれなかった十騎近くも落とされ、地上でとどめを刺されている。

 

 歯軋りしかけた時、轍を刻む車輪の音が、群れをなして耳に入ってきた。総大将交戦の折には機動的に連携できるよう、訓令が行き届いていると見える。

 煌車(こうしゃ)に積まれているのは、こちらに銃口を向ける敵部隊。土を巻き上げて車列が迫る様は、獣の群れにも、動く壁のようにも見えた。

 

 双竜之丞(ふたつのじょう)は手勢の一部を、千切り飛ばすように急行させた。各個に切り離せる部隊は、このような使い方もできる。

 

 全隊が向き直るのを待ち構えていたであろう敵は、呼吸を外されて動揺していた。隙は逃さない。

 一斉に投槍を放って車輪を粉砕し、横転したところに攻めかかる味方の姿。右に左に得物を振るい、突き崩し、戦域から敵を叩き出す。

 

 それは、伝わる気配と味方の伝令で知ったことだ。視線と意識の大半は、巌徹(がんてつ)隊と敵の戦いに向けられている。

 

 巌徹(がんてつ)の飛び様は、豪放な人品と裏腹に繊細なものだ。仕掛けては、退く。全隊に徹底させているのは、潮の満ち引きを思わせる動き。

 引潮の際、付け入るために逆撃を試みる敵を、巌徹(がんてつ)は自ら殿に立って跳ね返している。海に屹立する巌の如く。

 

 単純かつ規則的な攻めと守りを前にして、敵は初めて勢いを落とし始めた。

 焦らしている。性急に勝ちを急がず、敵の備えの緩みを誘う。集中からの分散。こちらが望む機を、手繰り寄せるために。

 

 咽せ返る武の気配。膠着しかけた空気を突き破って、それは現れた。

 

 遠くから見てもよく分かる。先程見た、老いてなお凄絶な笑み。巌徹(がんてつ)は至近に迫るその眼光を、真っ向から受け止めている。

 先程は気づかなかった、陣羽織の髑髏。不気味そのものの乾いた響きが、戦の喧騒の中でやけにはっきりと聞こえた。

 

 翔けつけねば。そう思ったのと、瑞王(ずいおう)が翔け出したのは、どちらが先であったか。

 

 血煙を潜り抜けた先の光景。老将が振るう矛に薙ぎ倒された四騎の味方が、木の葉のように宙を舞っていた。苦痛の嘶きを上げた飛竜が、己の翼によらず空を飛ぶ。

 

 老将の振りかぶった矛。巌徹(がんてつ)が眼前に翳した大斧。双竜之丞(ふたつのじょう)が差し入れた槍。

 三者が交わるただ一点にて、各々の力をぶつけ合った。鮮烈に飛び散る火花が、一瞬だけ瞼を灼いた。

 

砕骨坊(さいこつぼう)殿とお見受けする」

 

 二人がかりで矛を受け止めている。鉛の小手を着けているような重さに、両腕を小刻みに震わせながら、双竜之丞(ふたつのじょう)は問うた。

 すると老将は、ぐわと両目を見開き、口の両端を吊り上げる。これ程に雄弁な返答は滅多に無かろう。

 

 気配と腿の締め付けで瑞王(ずいおう)に指示を出す。すぐさま瑞王(ずいおう)は巨躯を捻りながら、長大な尾を横薙ぎにしならせた。

 巨木に等しい量感の一撃。当たれば人間の肋骨など粉微塵にしてしまうだろう。

 

 老将…… 砕骨坊(さいこつぼう)は組み合った態勢のまま、矛の柄で尾の先を受ける。

 止められはしないが、尾が届くほんの僅かな遅滞を利して素早く飛び退り、すぐさま呼吸を整えていた。

 

「……礼は後でするぜ。生きて帰ってからな」

 

 溜息混じりに巌徹(がんてつ)は言う。剛力自慢の己も形無しだと、呆れるような響き。

 全く同感である。膂力といい身のこなしといい、常軌を逸したまま老いた印象さえ、砕骨坊(さいこつぼう)にはあった。

 

「腕の痺れなんぞ、七つ数えれば消えるものと思っておったが」

「それはこちらとて同じだ。助勢しておいて、情けない」

「気にするな。あと一刻(二時間)、爺と遊んでやるだけよ」

 

 二人で得物を構え直して正面を睨めつけると、砕骨坊(さいこつぼう)は音高く矛をしごいて薄く笑った。

 

「二人がかりとなれば、我に当たるも能うと思うてか?よきかな、若輩の浅慮は嫌いではない」

「いかれた陣羽織の老い耄れに、訳知り顔をされるのは気に入らんな」

 

 双方軽口の遣り取りをしつつ、得物を握る手に少しづつ殺気を漲らせる。

 

「聞いておいてやる。若造ども、名前は?」

「教えるのはお前を討ち取った後だ」

「よかろう、薄墨にしてから聞き出してくれるわ!」

 

 生ける火の玉となった砕骨坊(さいこつぼう)が、真正面から向かってきた。その勢い、鋭さ。不用意に避けることを断念するには十分だ。

 突き出される矛を、槍の柄で滑らせる。それは硬く重い風の塊が迫るのに似て、受け流すのに瑞王(ずいおう)の羽ばたきによる、姿勢の維持さえも必要とした。

 

 間髪入れず、次が来る。代わりに前に出た巌徹(がんてつ)が受け、どうにか押し返す。息もつかせぬその次は、再び双竜之丞(ふたつのじょう)が迎え撃った。

 入れ替わり立ち代わり、一撃ずつ砕骨坊(さいこつぼう)の鋭鋒を受け止める。どちらが言い出したのでもない。一人で立て続けに受ければ到底保たないと、二人ともが肌で理解している。

 

 指揮官同士が干戈を交えているのだ。当然、敵味方の将兵も正面切ってのぶつかり合いにもつれ込んでいた。攻めるに攻めきれなかった《金號(きんごう)》軍の勢いは、鬱憤を晴らさんとばかりに凄まじい。

 対する騎竜隊も慎重を期しつつ、飛兵の利を活かそうとするが、徒士に群がられて引き摺り落とされる姿が其処彼処で見られた。

 

 こちらで番号を振った砦の内、大型の雷火(らいか)を備えた六の砦が、こちらを射界に捉えている筈だ。下手に距離を取りすぎると、一方的に狙撃を食らって甚大な被害が生ずるやもしれぬ。だから騎竜隊の動きもやや柔軟性を欠くし、砕骨坊(さいこつぼう)もそれを理解しているから余裕綽綽なのだろう。

 

 しかし今の戦場は、こちらの「仕掛け」にこの恐るべき老将を取り込むにも絶好の地勢であった。それでも、

 

(詰めの一手を打つ戦力を失っては本末を違える。一度退くか)

 

 その考えが双竜之丞(ふたつのじょう)の頭で重さを増し始めたその時、飛竜の咆哮が遠方で谺した。六の砦。その眼前で、撃ち手を弄ぶように舞う幾つもの影は、紛れもなく騎竜武者のそれだった。

 

「来てくれたか、後詰が」

 

 万全を期すために用意した後詰というのが、これだ。こちらが敵の大将と交戦を始めたら、大型の雷火(らいか)に狙われぬよう牽制願いたいと。

 依頼した相手の名は、影千代(かげちよ)。緒戦でも三の砦を相手に、挑発を見事完遂した若き当主である。

 

 各々が敵の戦力を捌く中、真鬼左衛門(まきざえもん)が自ら交渉に出向いた。その心意気に、影千代(かげちよ)も応えてくれたということだ。さらに砦の前で飛ぶ騎影の数を鑑みるに、義影(ぎえい)衆のみならず、同心した他部隊からの加勢もあるらしい。

 

 射界を塞ぎ、惑わせる動きを味方が続ける中、急迫した影千代(かげちよ)は縄を投げつけて砦の櫓に絡ませた。直後、縄は突然発火して灼熱の蛇が如くなり、黒煙と熱風で櫓を焼き焦がす。

 恐らくは仙術による攻城の技であろう。消火に追われる敵に、無論のこと狙撃ができる余裕など無い。

 

 好機。そんなことは教えてやるまでもない。高度を取り、頭上を取ることが許されたのだ。

 

 上下という第三の軸を持つ騎竜隊は、その優位を活かして逆襲に転じた。得物を振り下ろして頭を叩き割る。飛竜の巨躯でもって踏み潰す。強かに報いをくれてやると、さらに飛び上がって隊伍を再編した。

 数は千騎あまり減じていたが、士気は開戦当初を上回る程に高い。味方が稼いでくれる時を無駄にせず、敵に痛撃を与えてやるのだ。

 

 胸のすくような、波状攻撃が始まった。寄せて退く縦列は巨大な鞭となって敵陣を打ち据え、時には楔に形を変えて突き抜ける。

 一処に留まらない。砕骨坊(さいこつぼう)の位置は常に検め、決して手を出さない。それを徹底させたために、各部隊には一片の隙すらも無かった。

 

 守勢に追い込まれても、敵は相変わらず固い。それでも、自ら守っているのではなく、こちらの攻撃に煽られ、守らされているのだ。焦燥は少しづつ、少しづつ敵の心を蝕み、目に見える空隙を作る。

 こうなれば敵は、強引にでも埒を開けるしかなかった。

 

「来おったぞ!」

 

 巌徹(がんてつ)が会心の叫びを上げた。

 

 集中からの分散、待ちに待ったその時が訪れたのである。以前は内側から食い破るためであったが、此度は纏わりつく拘束を撥ね退けるためのものだった。

 こちらも隊を散らしてそれに応じる。分散した敵を、集結させはしない。二度とだ。

 

 見える。薄墨の鈍い輝き。砕骨坊(さいこつぼう)の旗本が、一つの丘に陣取って素早く守りを固める。それを目指して接近してくる煌車(こうしゃ)の列も、遠くに見えていた。

 丘に新手を集結させ、既にいる兵達と呼応して一気に逆撃をかけるつもりだろう。

 

 この期に及んで、見上げた闘志だった。丘自体も、六の砦から援護を受けられる位置にあり、未だ大将としての冷静さを失ってはいない。

 

 だが。

 

「御老体」

 

 早くも「仕掛け」がここまで及び始めたことを察知し、双竜之丞(ふたつのじょう)砕骨坊(さいこつぼう)に呼ばわった。

 

「お前は今、死地の只中ぞ」

 

 その時戦場を包んでいたのは、鳴動そのものだった。瞼を開けた怪物の唸りにも似た音が、敵味方の耳朶を打つ。

 

 東から迫るもの。それは光の群れが意思を持ち、波打ちながら戦場を一飲みにしてしまわんと、猛り狂っているように見えた。

 

 瞬く間に、地面は取って代わられた。陽光を反射して輝く、水面に。

 

 




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