無源の秋 〜竜の翼は風雲に舞う〜【毎週金曜12:00&日曜19:00更新】 作:くコ:彡の本棚
唐突に、水の気配が濃くなった。
前線から離れた《
《
確かに《
しかし、何かが違う。水の気配に混じっている匂いは、人間による策謀のそれではないのか。
だが、策の可能性を考えても、腑に落ちないところはあった。方や渡渉など考えず西岸に陣を張って守りを固める味方、方や一翔けして川を飛び越えてしまう敵である。
川が増水したところで、敵味方に何か影響が及ぶ筈もない。だから思い煩う必要など無いのだが、気になって仕方がない己を偽る気にはなれなかった。
「ここを引き払う支度を」
引き払う。すなわち、前線に送るため《
軍令違反の廉で糾弾されても文句は言えない。それでも、必ず必要になると
「全て、でよろしゅうございますか?」
「我らの分を除いてな。武具や弾は直接《
来るかも分からぬ時に備えて支度を進めつつ、次なる戦況の報告を待つ。
前線で勝つか負けるかは、思考の埒外にある。そんなことは前線の連中が考えていればよい。
《
その術を、如何にするか。統制の取れた敵が、隊伍を組んでの追撃をかけてくるとなれば、こちらは守りを固めてその鋭峰を鈍らせ、退がる機を見出す他あるまい。
あるいは、秩序も無い敵の群れが、勢い任せに押し寄せてくるとなれば。また別の戦術でもって当たるべきだろう。
北にいる
それ自体は予測していた……薄らと勘づいていたことではあった。問題は負け方である。
万が一敗北があるとすれば、それは騎竜隊に主導権を握られたうえで、野戦にて主力を撃砕される形でだと思っていた。
しかし現実には、味方は砦群を軸とした構えを維持し続けながら、砦や陣の全てを踏み潰されたという。徒士を縦横に駆けさせる備えは、どうなったというのか。
「水没か、戦域全てが」
物怖じすることを知らない
《
川を溢れさせるだけの水を上流で溜めておき、機を見計らって解き放つ必要がある。
戦の火蓋が切られる、遥か前からの準備だ。水をもって戦場を制し、徒士の利を殺してしまおうと明確な指針を立てた者が、敵にはいる。
そいつが何という名であるか、最早語る必要も無いことだった。
「戦備えだ。働き処だと皆に伝えよ」
これから数日をかけ、辛くも落ち延びてきた味方が次々と戻ってくる。敵が追い撃ってくるとなれば、退路の側背を守る《
戦の足音がはっきりと耳を打ってくる。湧き立った
血と鉄の匂いを嗅ぐ機会の到来を前にして、心身が賦活化するのを感じる。
まずは報せを持ってきたまま控えていた使者に、
「敗走してきた味方が通るのは、そちらの陣だ。飯の支度と、
もっとも、あの弟ならばそれぐらいの気は、言わずとも回してくれる筈だ。
指示を復唱して戻ろうとする使者を呼び止め、もう一つ付言する。
「俺の動きから目を離すな、とも伝えておけよ」
それから物見と迎撃準備に忙殺されて、三日を過ごした。
劈頭からおめおめと逃げ帰り、加勢も叶わず味方本隊が壊滅の憂き目に遭ったことが、相当腹に据えかねているらしかった。ここで敵を待ち受け、味方の退路を守るのに身を投じたいと申し出る者が、幾人も現れたのである。
いわば義勇部隊であるが、その指揮は
物見を東に差し向け、追撃の有無を確認させてもいる。やはり、嵩にかかって追撃をしてくる敵の姿があった。数で言えば、こちらよりやや多い一万騎というところか。
先陣を切る、無駄に豪奢な軍装の隊に、他の集団……恐らくは混成部隊であろう……が続いているという格好である。明日にでも戦端が開かれるであろう。
将の名前すらも知らないが、
「こちらに向かってくるのは、阿呆だ」
敵からは軍としての秩序も、戦を仕掛ける明確な想定も、まるで感じ取ることができなかった。焦ったように飛び出した先頭に、手柄目当ての有象無象が追従しただけの、雑多な寄せ集めだ。
思うに先頭の敵は、相応以上の格を有する氏族の軍勢なのだろう。此度の戦が、なあなあで終わるに違いないと高を括ってふんぞり返っていたら、自軍の思わぬ大勝利のために、かえって面目を失いそうになったものか。
己が立場に胡坐をかき続けた者は、得てしてそうした横着に走る。立場に相応しい務めを常から果たしていれば、する必要も無い無謀を、自ら選んでしまうのである。
「すると、守りを固めるよりもこちらから討って出て、敵を分断するが上策ですかな」
「うむ。先頭と後続の連携には、大きな隙がある。付け入れば容易く崩せような」
全軍でもって攻勢に出る、と決めた。
各隊をどこに配し、いずれの地点で仕掛けるかを考え、伝達してゆく。全軍が空からの死角に潜り込んで伏兵となり、機を見計らって一気に飛び出すのだ。
予測の通り、敵は翌日にこちらの警戒圏に入ってきた。盛んに喚声を上げ、一直線に《
《
案の定敵の先頭はそれを踏み潰さんと、ますます足を速めている。後続の味方は遅れ気味となり、全体として伸びきってしまっていた。
空っぽの陣を攻めようとして、そのような有様となっているのだ。
頭上を、何も知らぬ敵の先頭が翔け去ってゆく。それから半刻(一時間)程すると、ようやく後続が追いついてきた。
咆哮が谺した。地面そのものが湧き立ち、
一息に丘を駆け上がって、敵騎竜隊の先頭に出る。恐れと驚愕の気、敵がそれに囚われているのがよく分かった。
身を仰反らせ、慌てて翼をはためかせる動きは、乗り手共々混乱に叩き込まれた何よりの証だ。
「行けい、行けい、行けい!蜥蜴どもを撫で斬りにせい!!」
狂奔をぶつけて敵を素早く斬り崩す。この戦はそのように決めると考えていた。
一騎、こちらに向かってくるのを認めた。真正面から。腕に覚えがあるのか、指揮官の首を取って戦況を変えてしまおうとのつもりらしい。何やら喚き散らし、得物を振り回して近づいてくる。
一言も返すことなく、
ばっ、と赤い霧が垂れ込めて、熱く煮え立つような腥さが鼻をついた。
刀身に人の鮮血と、飛竜の鱗が纏わりついて、妖しい光沢を湛えている。
だからどうした。斬ろうと思えば、何でも斬れるではないか。人も、竜も、岩や鉄であろうともだ。
乱戦が始まっている。間合いを詰めれば、高度を取ることすら許さない白兵戦が繰り広げられ、鞍から引きずり下ろされた敵が、血泥の中で滅多斬りにされてゆく。
大太刀を背負い、
其処彼処の混戦の渦を縫うように突っ切り、旺盛な戦意を剥き出しにする兜首ばかりを狙った。それでも、三合と打ち合える者は無く、飛竜ごと両断された骸が積み上げられてゆく。
血の臭気の只中で暴れ回る
正面で
背後から迫る気配。空の陣に騙されたことを悟った敵の先頭が、戻ってきたのだ。見ずとも分かる慌てぶりが、実に滑稽である。このまま接近されれば、形の上では前後で挟撃を受けそうなものではあるが、
「前だけを見ろ」
あと一押し、否、半押しで前方の敵は崩せる。指揮官すらいない烏合の衆なのだ。追い散らした後で反転し、向かい合う余裕は十分にある。
そう考えていると、背後からの敵が俄かに止まった。
俺の動きから目を離すな。その言葉の意味を、
「上出来じゃ」
考えていたより早く、前方の敵は潰走した。味方の犠牲はほぼ無く、皆は疲労すら感じていない。余勢を駆って、背後の敵を締め上げにかかった。
北からの射撃もあり、より徹底して敵を揉み上げる。鎚で虫の群れを叩き潰すような、手応えの無さだ。このまま文字通り、敵を全滅せしめることも可能か。
そんな折、東から何かが来た。
「お……」
窮地の味方を救援に馳せ参じたのであろう、騎竜隊の姿が見える。整然と隊伍を組み、それでいて強烈な戦の気を放っている。これまで戦った敵と比べようも無い小勢ながら、遥かに厄介な構えと見えた。
そして、指揮官らしき男、剃り上げた頭に既視感がある。
「あの禿、確か」
乱戦の中、過去の記憶を辿る余裕すらあった。そうだ、《
あるいは、今敗亡の淵にある敵は、こいつの主筋であるかもしれぬ。
包囲を開けてやることに、迷いは無かった。雑魚を弄んで、難敵に背を晒すのは危険きわまる。
半数に減っていた敵を逃がしてやった。指揮官、あるいは氏族の長と思しき男は殿に立つ気概とて無く、童のような悲鳴を上げて我先に逃げ去ってゆく。そんな敗残兵を、敵の新手は収容していった。
「ご苦労なことよの、禿頭。盆暗の主によろしくな!」
旧友でも見つけたように、
完勝を逃したことに、悔いは無かった。心残りがあるとすれば、あの男のように戦い甲斐がありそうな敵と、対することができなかったことである。
────────
《
鎮東軍解体の風聞が現実のものとなれば、この城の戦略的な価値は薄れることであろうが、今目を向けるべきは過程でなく現実である。
城内の大広間に集った本陣の面々は、皆が苦虫を噛み潰すことを強いられていた。
「一万二千が戻らぬか」
沈痛な面持ちで鎮東将軍・
全軍の二割が失われたというのは、否定し難い事実ということだ。手負いも含めれば、健在な兵は半分いるかどうかであろう。
そして、あの男が死んだ。
その生死については情報が錯綜し、しばらく判然としなかったが、旗本だったという指揮官の一人が、確かに討たれたと証言した。あるものを見せながら。
それは、陣羽織だった。縫い付けられていた筈の髑髏は残らず外され、背には真っ赤な染み。
殺されても死なない筈の老将が討たれたことを、認めざるを得ない。
大敗。誰も口にしないその言葉を、皆が胸に刻み込んでいた。
「それで、如何なされます。つまり、各処からの遊撃軍を帰還させる手筈ですが」
「左様。この城で敵を迎え撃つとなれば、多すぎる兵はかえって都合が悪うござる」
もっともなことだ。心身共に健在な兵だけを揃えた少数精鋭で、城の守りを固めたいというのは当然である。かき集められた遊撃軍にしても、他の戦線でいつ入用になるか、分かったものではない。
「それについて、王都本陣より命があった」
「この機に遊撃軍の再編を行う。ついては人を送るので、それまでこの城に留め置くように、と」
顔を真っ赤にした一人が、卓を殴りつけて立ち上がった。
「王都の方々は何を考えておられるのか!?最前にて敵を向かい合うている我らに対し、ここまで無体な物言いをなさるか」
それに和する声が次々と上がり、いきり立つ皆を
そして、本来関わりない筈のことにも考えは至った。果たしてこれは、敵の狙いに含まれるか否か──。
伝令が息を切らして飛び込んできた。
「御注進、御注進!て、敵が」
「もそっと落ち着かんか。敵が如何した」
「敵が城の眼前に!」
万座は一瞬しんとして、次にどよめきが来た。先日に輪をかけて阿呆な連中が、押し出してきたか?あるいは……。
「数は」
「はっ、騎竜隊が一千に、徒士隊が二千」
「城を攻める数でもありますまいが」
すると、また別の伝令が現れた。鏃を外した矢を持っていて、紙が括りつけてある。敵からの矢文。
それを一読した
「
────────
「因果な役儀を引き受けたな、兄者」
二人で、城と敵の中間地点……首級を引き渡すと定められた処に向かっている。一人、多くとも五人で来てほしいと、敵が頼んできたのだ。
「嫌なら来んでよいと言うたであろう」
「兄者が騙し討ちでもされたらどうする。復讐に駆られた兵どもを、わしが抑えられると思うか?」
後事を押しつけられるのが嫌で、せめて同じ時に死んでしまおうというのだろうか。
「その時は見事、仇討ちの指揮を取ってみろよ」
騙し討ちの心配など、していなかった。それより関心があるのは、噂の
流石に、そこまで軽率な奴ではないだろう。それでも、家臣の一人ぐらい見てやろう。
「おい、あれぞ」
軽やかに着陸し、鞍を下りるまでの動作に、一分の隙も見出すことはできなかった。
「
「
なるほど、直に向き合えばよく分かる。多くとも五人で、と申し出てきた理由が。
襲われても、五人までなら一人で返り討ちにできる。その自信があったのだ。
首桶の中を確かめる。中には紛れもなく、
恙無く受け渡しは終わり、別れの段となった。
「《
間近で顔を合わせて、その確信を深めていた。あの禿同様、《
「覚えておったのか」
「斬り甲斐のある奴は覚えることにしている。いつか、互いに軍を率いて戦りたいな」
まっぴら御免だ、と
「私も同感だが、雇い主にはそちらと刃を交える気は無い。再び攻めてくるなら、話は別だが」
颯爽と飛竜に跨り、一礼して去ってゆく
特段の事由が無い限り、戦うつもりは無い。ただし、《
それを主張し得る存在であると、宣言するために。
鎮東将軍の名代としてここに来た
「ぶあははははははははっ」
堪えることができず、
動き出さんとしているのだ。《
この時
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