無源の秋 〜竜の翼は風雲に舞う〜【毎週金曜12:00&日曜19:00更新】 作:くコ:彡の本棚
適当な棒を手に取って、
目の前には、額に汗を張り付けたまま棒を構える、少年の顔がある。既に実戦にも出、武士としての体も作られ始めているようだが、心の底には未だ甘えを残しているように見えた。
甘え。即ち、目を剥いて凄んでみれば、相手は委縮して動きを硬くするとの思い込みである。
目の前で構え、そして周囲に立って対峙を見守る若者達が戦場に立つことになったのも、偏に自分の所為とも言える。
新兵達を相手に立合い稽古の真似事を始めたのは、一月前のことだ。果し合いを所望すると申し出てきた一人が現れ、軽く叩き伏せてやった。
その光景に刺激を受けたか知らないが、我も我もと名乗り出てきて、
そのような事実、形式が先にあって、稽古という名目が後から付いてきたようなものだ。断ればしつこく付いて回られるような気がして、いつも受けている。
十を数えて一つ、それが五度続いた。回数を重ねる毎に、辛抱するだけの余裕が相手から失せていくのが分かる。
息苦しさから脱し、自ら動いて埒を開けたい。その心境は見え透いていた。勢いに乗って押し出し、敵を封殺する戦ならば力を発揮するだろうが、じっと睨み合って機を窺うような真似は、まだできまい。
十を数えて一つ、六度目。やはり、少年が気合を吐いて突っ込んできた。
棒を振り上げる力、速度は中々のものだが、自分でなくとも簡単に見切れるだろう。軌道があまりに愚直すぎるのだ。
軽く身を翻し、前に出つつ初撃を躱した。互いの立ち位置が入れ替わる。
少年はやや体勢を変え、下から斬り上げる形で打ち込んできた。棒の先端、その行手を遮るように
慌てて対応する少年が、無防備な胴体を晒す。右膝を叩き込んだ。
呻いた少年は、胃の中の物が逆流するのを堪える表情のまま、膝をつく。懲りずに立ち上がらんとした鼻面に、棒を突きつけると、今度は尻からへたり込んで棒を放した。
「次」
先程の光景を見ていなかったように、自信満々の顔で次の相手が現れる。心中で抱いているであろう緩い見通しも、若輩らしいものだった。
それから
「お前らを
打たれた処をさすりながら、兵がはけてゆく。場に残ったのは
「双太刀を抜かせるような奴は、中々現れんものだな」
旗本に選抜されただけあって、
十度やって八度は
「それで、何か?」
「御大将が心配でならんのだ」
そんなことだろうとは思った。若く猛々しい顔に、翳りが浮かんでいる。
「業腹ながら、お側に侍ってその御様子を具に見ておるのは、お前だ。湯治場の一件でも。……所見を、聞きたい」
所見など、期待されたところで示しようもない。週に一度の夜課をこなしているだけで、それも湯治場でのことがあって以来、断られてばかりなのだ。
湯治場に潜んでいた
その筋書きは、前半こそ意図して流布したものであったが、後半は沈んだ様子の
竹馬の友と思っていた男に裏切られ、剰え積年の怨みを抱いていた事実を突きつけられた衝撃に苛まれているであろうことが、分かる者などいる筈もない。
「殿が懊悩されているとして、その原因がわたくしにあるとお考えになられませんのか」
「真にそうであるなら、躊躇いなくお前を斬り捨ててやる」
鋭く言い放つ
「だが、見損なうなよ。俺は無学者だが、そうした真贋を見抜くだけの目は持っているつもりだ。いつも、光らせているからな」
無根拠な自信、の筈だ。それでも事の本質を見据えているように感じられて、
いずれにせよ、これといった妙案など出せる筈もない。せめて他のことで気を煩わせることのなきよう、務めに専心するという、当たり障りの無い結論を出して、別れた。
四半刻(三十分)。辿り着いた丘に、やはりその姿はあった。たった一人、
傍らに積み上げられているのは、何らかの帳簿と思しき紙の束だ。
あの事件が起きてから、およそ二月。暇さえあれば
鞍を下りて一定の距離まで近づくと、そこから先は足が止まってしまう。沓を取る
その壁が何で塗り固められているのか、実のところ判然としない。友との絆が断ち切られていた絶望、それを抱えたまま生き残った虚しさ。
それらしい言葉は幾つも思い浮かぶが、どれも的外れに思えてならなかった。
一つの本質が様々な顔を見せるのが、この男の特色ではある。学者の顔など、その中にあったろうか。
暫し時を忘れ、
自分はこの男を、どのような目で見ていたのか。それを、思い出そうとする。
面従腹背の男との友誼をいつまでも引き摺っていることを、情けなく見ていたか。それとも、悲惨な別れを経てなお、総大将で在り続けねばならない身の上を、憐れんでいたか。
しかし、実際にはどうであろう。
自分は未だ、この男の本質を見誤っているのかもしれない。
────────
その日の夜。
体を《
目を閉じて心気を統一し、ふっと浮いたような感覚を覚えたら、ゆっくりと開く。
すると、目の前に広がるは営舎の寝所ではなく、"一族"の主要な面々が集う《
もっとも、主要な面々とはいえ、大半はその気配を感じ取ることができるだけだ。
はっきりと姿が見えるのは、目の前に座す五十がらみの男と、側に侍る小さな老婆だけだ。
《
全ての起源たる《
(護聖三殿)
《
これこそが、"一族"の興りである。早期に皇室と融和した《
「来たか」
目の前の男が発した声には、沈み込むような重みがある。当代の"一族"の頭領たる重責が、貫禄と言うべきものを否応にも纏わせるのだろう。名を、
「余計な話は抜きにして、お前が一番聞きたがっているであろうことを伝える」
「はい」
「"覆水之者"よ。任を全うする機会を自ら無に帰せしめ、累代の使命に悖る振舞いに走ったこと、到底看過し得ぬものである」
湯治場での一件があった数日後にも、同じ形で《
緋縅を回収する絶好の機会を、自らふいにした。その事実が、遠からず"一族"の本営に伝わることはその時から分かっていた。
任務遂行の時期や手筈は、実際に従事する者に一任されるのが通例だが、万が一にも道を踏み外す者が現れぬよう、様々な手段での監督が行われている。
場が設けられたとはいえ、弁明などしようもなかった。何故あのような軽率な真似をしたのか、自分でも理由を見出せなかったのだから。
ありのままの心境を伝えた後、今日まで沙汰を待っていた。二月も間が空いたが、何やら抜き差しならぬ事情の存在は、察するに余りある。
「よって、お前には一時追放を申し渡す。帰参するにあたっての条件二つを満たさぬ限り、《
言葉の真意を測りかねた。追放されるに足る過失が、自分にあることは嫌でも分かる。
それを解かれる条件が二つ、というのは如何なることか。一つは、本来の使命である緋縅の回収に他なるまいが。
「もう一つは?」
「そのことであるが……」
「お前、あの連中に少しずつ馴染んできているようだね」
「……よもや、そのような」
予想だにしていなかった一言に、
「よいのだよ。歳を食えば仙気の色も見えるが、今のお前が浮かべるそれは、惚れ惚れする程に輝いておる」
「ですから──」
「どうだね。殺し合いから始まった縁といえ、ここまで沓を並べた義理もあろう。彼奴らの望みに手を貸してやるというのは」
彼らの望み。そう言われた
「
「奴を討たねばならぬ理由ができた。否、明らかになったと言うべきであろう」
説明を引き継いだ
「裏に
「私欲のためなら手段を選ばぬ者どもだが、安易には判断しかねる。お前が以前、
罪に対する罰を言い渡される場であった筈が、いつの間にか務めの話に変わっている。
「賊の襲撃については、今のところ鎮まっている。
「そうですか、"破仙之者"が」
「そちらは気にせず、一先ずは
解散を告げられ、目を閉じる。ずん、と沈むような感覚と共に目を開くと、そこは生身を置く寝所の中。
何故かは判然としないが、長い溜息を吐いた。
その一点に限れば、何ら躊躇いなく協力し合える。"一族"の者達も補佐に回るだろうし、一揆の領袖たる《
自分はむしろ、事が成った後のことを考え、気が重くなっているのではないか。
立合い稽古に熱中する兵達の顔を、思い浮かべた。主を案じて相談してきた
それが叶わぬまま、
────────
夜明けに足を運んでみると、やはり
壁のようなものを知覚しつつも、思い切って一歩踏み出してみたら、拍子抜けする程あっさりと側に来れてしまった。こちらの勝手な錯覚であったかのように。
「どうした」
問われて、
海が一望できた。昇り始めた太陽に照らされた水面は白銀の光を集め、磨かれた鏡の如く輝いていた。
悲惨な経緯を知らなければ、この景色を見たいがためにここを訪れているのだろうと、疑問すら持たずに思うような眺望である。
決して海が近い訳ではない。《
波が寄せては引いて曖昧になる海岸線に、
「お好きなのですか、海を見るのが」
「あいつが、好きだった」
「あいつがここで海を見ている時、俺はしょっちゅうその隣に来ていた。今のお前のように。何をしていたと思う?」
「海を眺めておられたの?」
「それだけではない、叫んでいたんだ。俺はもっと強くなる、皆に認められる武者になってやる。死んだ皆も見守っていてくれ、と」
懐かしさに綻んでいた
「今にして思えば、そうしたこともあいつの癇に障っていただろうな。物思いに耽る時間をぶち壊していたのだから」
「はあ、それは」
「あいつと喧嘩をした覚えが、俺には無い。腹に据えかねる振舞いを俺がしていただろうに、それを口に出さなかったから……いや、俺が気づこうともしないで」
目の前にいるのは、精強な軍閥を率いる総大将でも、はっとするような決断を下す若き大器でもない。詮無い繰り言を口にする、打ちのめされた一人の青年だった。
「馬鹿げたことさ。今更悔いて改めたところで、死んだあいつは戻ってこないのに」
多分、あの場で生き延びても、戻ってくることはまず無かっただろう。
口吸いでもしてやろうか、そんな考えが浮かんだ。本当の意味で女を知らないこの男の口を自分の唇で塞いで、情けない繰り言を止めてしまおうと。
自分でも認識していない欲望が、奥底に渦巻いているような発想に唖然とした時、それよりはマシな対案を思いついた。
「叫んでみては如何です、以前のように」
「えっ」
「万が一にも兵達に聞かれるのは嫌だ、そうお思いでしょう。そのような時にも、わたくしの術は用を為しまする」
覆水の術を応用すれば、音でさえも周囲に届くことなく、発した当人に跳ね返ってくる。術を発動する
「何らの気兼ねも無く、吐き出しなされ。幾分かは御心も軽くなりましょう」
悩める青年一人のために、自分はわざわざ何をしているのか。自嘲する思いはあるが、小さく笑って頷き、立ち上がる
大口を開けた。確かに発せられている筈の叫びが、空気を震わせることはない。何度も、何度も、
顔に、光る筋。止め処なく流れ出る涙は、胸中に溜まって
いつも応援してくださる読者の方々に、改めてお礼を申し上げます。
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