無源の秋 〜竜の翼は風雲に舞う〜【第二章鋭意執筆中】   作:くコ:彡の本棚

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禍福の風 後篇(了)

 

 合わせ鏡に挟まれた座棺から、禍々しい光が立ち昇っている。

 

 迂闊に寄れば灼かれかねない強烈な光は、しかし"黄泉還り"の真なる成功を、大いに期待させるものだった。術が編み出された頃から、僅か二百年で見違えるようである。

 

 座棺の蓋が、内からゆっくりと押し上げられた。

 

 現れ出たのは、研ぎ澄まされた武人の気を総身から発する、一人の男だ。圧刃の大剣を想起させる、堂々たる体躯は、積み上げられた修練が質量共に尋常でないことを、雄弁に誇示している。

 そして、その両目。小心者であれば、一睨みされただけで呼吸が止まるだろう眼光は、剣呑ながらも発狂した者のそれではない。

 

 成果を検めるため、幾つか問いを投げてみる。

 

「お初にお目にかかる」

 

 男が胡乱な目を向けてきた。目覚めたばかりで朦朧としているのではない、この状況下で怖気づいていないのだ。

 

「誰だ、貴様?」

拾ノ参(じゅうのさん)。同志達は私をそう呼ぶ」

 

 口に出してしまえば、ただの数字である。それでも自分にとっては、小さからぬ意味を持つ数字だった。

 

「君の名前も聞いて構わないかね」

 

 こちらを警戒しているというより、大した興味を抱いてすらいないのだろう。やがて、何らの感情も湛えてはいない表情で、男はこう言った。

 

「ミズ族六獣星(ろくじゅうせい)筆頭・絶陽丸(ぜつようまる)

 

 間違いなく、この男は自分が何者かをしっかりと把握している。《久々鱗(くくり)》北部に根を張るミズ族はかつて、六獣星(ろくじゅうせい)と冠せられた六人の将に、選りすぐりの精鋭を預けていたという。

 

 その中でも、絶陽丸(ぜつようまる)の力は別格だった。南のオロ族に対しミズ族が侵攻した折、率いる部隊は戦地から戦地へと翔け回り、手強い敵を尽く撃砕して回ったのである。

 その戦役において討ち取られたオロ族将兵の半数以上は、この男の部隊の前に散ったとさえ言われていた。

 

 もっとも、オロ族討滅に王手をかけたミズ族にそれを断念せしめたのは、他ならぬ絶陽丸(ぜつようまる)ではあったが。

 

「とてもそうは見えぬが、貴様は地獄の獄卒か何かか」

「ほう、君は自身を死霊だと思っているのか」

「術で雷に打たれ、崖にぶつかり、谷に叩き落された。それでもなお生きていられるような化け物であると、自分を看做したことはない」

 

 完璧そのものの、"黄泉還り"だった。人の形、生前の力、そして記憶と人格。全てを兼ね備えた例は、恐らくこの男が初めてだ。何しろ、死んだと自覚してすらいるのである。

 それを知りながら平静でいるのは、理性というより、この男の鍛え抜かれた胆力によるものではあろうが。

 

「ここが、地獄なのか?話に聞く以上につまらん処と見える」

「然にあらず。ここは極楽でも地獄でもないが、現世とも少しずれている。何処でもない、としか言いようが無いな」

 

 話を聞いている風でもなく周囲を見渡していた絶陽丸(ぜつようまる)は、武具に目を留めた。

 彼自身が実際に得物としていた方天戟、纏っていた具足。既に六年経ちながらも、血と戦場の匂いは染み込んで消えない。

 

 確かめるように方天戟を軽く持ち上げた時、絶陽丸(ぜつようまる)は一瞬顔を綻ばせたように見えた。が、すぐにそれを消して問い詰めてくる。

 

「俺に何をさせたい、貴様」

「死してなお命に縛られるのは、気に食わんと見える。斬るかね、私を」

「その値打ちがあるかも怪しいところだ」 

「《久々鱗(くくり)》に戻りたくはないか」

 

 絶陽丸(ぜつようまる)は鼻で笑ったが、己自身を冷笑しているかのようである。故郷に帰れない理由を作ったのは、他ならぬ自分ではないか、と。

 

「下らんな、今更戻って何とする?敵も、味方までも数多手にかけた俺の居処など、ある筈もない」

「処は無くとも、望む者はいる。まあ、まずは顔を合わせてみるがいい」

 

 具足を纏った絶陽丸(ぜつようまる)を伴い、外に出た。何処でもない天地。その境を断ち割りながら接近してくる、魁偉な飛影があった。

久々鱗(くくり)》ではありふれた存在である飛竜だが、その迫力は常軌を逸している。

 

 咆哮が、耳朶のみならず全身を震わしてくる。それは強烈としか言いようがない生命力の現れで、黒と赤の体も相まって、燃え盛る巌に命が宿ったようであった。

 

 着陸した飛竜に向かい、絶陽丸(ぜつようまる)が小走りに駆け出す。この男が初めて、情動らしきものを表に出した瞬間だった。

 近づいてきた飛竜の頭に、ゆっくりと右手を触れている。

 

浄界(じょうかい)

 

 名を呼ばれた飛竜が鼻を鳴らすと、絶陽丸(ぜつようまる)は左手も頭に触れ、人竜で見つめ合った。

 言葉は無い。騎竜武者は精神の紐帯により飛竜を御するだが、それにも増して深い繋がり……元々一つの存在であったかのような……で結ばれているものか。

 

 水を差す愚は犯すまいと、暫しその様を眺めた。半身たる飛竜を自由に翔けさせるためにも、《久々鱗(くくり)》に戻った方が良い。そうした差出口を叩くまでもなく、この男は心でそれを理解した筈だ。

 

「……この身はともかくとして、武具と、何より浄界(じょうかい)に再び見える機会を与えてくれたことは、感謝しておく」

 

 絶陽丸(ぜつようまる)の態度が、微かに軟化していた。血に飢えた魔獣のような男だと聞いていたが、根は純朴であるかもしれぬ。

 

「だが、《久々鱗(くくり)》に戻って貴様の意に沿う動きをすると、約束することはできんぞ」

「そんなもので縛るつもりはない。君が復活したことで、我が当面の目的はほぼ達せられているのでね」

 

 言うなれば、実験だった。この大陸の真なる主が再臨する日に備え、"黄泉還り"の術を確固たるものに昇華せしめるための。それを確かめられたことは、大きな前進であろう。

 

「さあ、戻るがいい。人を遣るから、その案内に従って《幽理(かくり)》という地に出るのだ。遠からず蛙遊(へびなし)という男が接触してくるので、それまで身を隠しておくがよかろう」

 

 翔け去る一騎の姿を見送ってから、現世に帰還する。《紅歌殿(こうかでん)》に直接戻ってもよかったが、皇都を一目見ておこうと思い、その近くに出た。

 

聖華(しょうか)》の皇都《天之須(あまのす)》。人口二百万を下らない大陸一の城塞都市。

 

 山に西と南を、海に面した崖に北を囲まれ、東から南にかけて二重の城壁に守られた堅牢な要害。地面を掘削することで城壁の間に海を引き込み、水堀を兼ねた大水路を啓いていた。

 

 いずれ、瓦礫と屍の山に変えねばならぬ、腐敗の都である。

 

 滅び去るべきだ。叡智の追求に存在そのものを擲った者達を裏切り、暴虐によって献身を踏み躙り、皇国などと僭称して真実を歪めた獣どもの裔。

 

 先祖ともども、地獄で裁かれるべきなのだ。

 

 堕落に身を委ね、安逸を貪る者は悔悟と共に知るだろう。己が目を背け続けてきた大罪が生んだ怨念は、千年の時を超えて息づいていたことを。

 

 そして、不条理に虐げられる者は歓喜と共に知るだろう。真にこの世を治めるべき主の降臨によって、全ての命が安んじられる御代が到来することを。

 

 待ちに待って、ようやく機が訪れんとしている。だが、さらに幾百年、幾千年待つことになろうと構いはしない。

 時の流れが、正しき未来を渇望する心を錆びつかせることはないのだ。

 

「穢れを知らぬ鏡神(かがみ)よ、安らぎをこそ映したまえ」

 

 これ以上に純粋な祈りなど、この世にありはしない筈だった。

 

 ────────

 

 打ち直された槍の穂先は、これまでにない不思議な光を放っている。にも関わらず、慣れ親しんだ懐かしさが双竜之丞(ふたつのじょう)の胸に去来した。

 

 興味があるのか、瑞王(ずいおう)が背後から首を伸ばして覗き込んでくる。

 

 恐るべき老将軍・砕骨坊(さいこつぼう)との打ち合いは長く続き、熾烈を極めた。最後は水中で勝負を決めたこともあり、穂先がぼろぼろに劣化していたのだ。

 

 やらせてほしい、と名乗りを上げた火鵺(かぬえ)は《臣廼湖(おみのこ)》の鍛冶場に槍を運び、打ち直しに取り掛かった。各地の鍛冶場の復興は進められているが、三方師(さんぽうし)に手配された鍛冶場が気に入っているらしい。

 

 仕上がったというので双竜之丞(ふたつのじょう)が取りに来ると、鍛冶場には筆麻呂(ふでまろ)風喜(ふうき)の姿もあった。

 

「上々だな。今まで見たこともない輝きだ」

「当たり前さ。あたしの愛をたくさん籠めて打ち直したからね」

 

 得意げな火鵺(かぬえ)は赤く艶めく唇を曲げ、片目を瞑った。長い睫毛が一層強調されて見える。

 

「……どうなのだ、先生。特別な打ち方でもしたということか」

「ふむ、彼女の申すことが全てだと思うよ?」

 

 恨めしさを前面に出して筆麻呂(ふでまろ)の顔を凝視すると、苦笑して肩を竦めてから本当の答えを言ってくれた。

 

解軛門(かいやくもん)》や各戦場で回収された飛竜の鱗が、早くも資材として使われているという。異なる種類の鉄を混ぜる合金の技術を基に、従来の鉄と融かし合わせる製法が採用されていた。

 

 強度、斬れ味、耐熱性、あらゆる面で従来のものに勝ると筆麻呂(ふでまろ)は熱弁してくれたが、それを聞くまでもなく、今までとは一味違うと双竜之丞(ふたつのじょう)にはすぐに分かった。

 刃を爪でなぞってみれば、単に鋭いだけではない。ほんの僅かに、爪が沈むような感じがある。ただ硬いだけではない、柔軟性を帯びた腰の強さが、この穂先にはあった。

 

「いずれは全部の武具をこれで拵えたいけど、その槍はあんただけの特別だから」

「それは?」

「鎚で打った時の音がさ、堪らないんだよね。瑞王(この子)の鱗を混ぜた鉄って」

 

 合点がいった。穂先から感じられる懐かしさは、瑞王(ずいおう)の鱗に起因するものだったということだ。鱗をくれた礼に、と火鵺(かぬえ)が労るように瑞王(ずいおう)の首筋を撫でると、目を細めつつの頬擦りを返され、笑声が弾けた。

 

 この女に貫禄のようなものを感じることがあるとすれば、まさしくこのような時である。

 幼少から飛竜と共に過ごした経験など無かろうに、相棒の自分に次ぐ信頼を瑞王(ずいおう)から勝ち取っているのは間違いない。

 

 剥がれたとはいえ、鱗は飛竜の一部、命の欠片だ。双竜之丞(ふたつのじょう)は決して鍛治の技に精通している訳ではないが、それを混ぜた鉄を打つには独自の呼吸が求められるだろう。

 

 瑞王(ずいおう)と心を通わせることで、それを肌で学んでいるとすれば。この女は早くも、得難い存在になりつつあるのかもしれぬ。

 

 それから火鵺(かぬえ)は、同じように雷火(らいか)の銃身に改良を加えたいとも語った。弟分の石騒(せきそう)から、案を色々と聞いているのだろう。

 

 発砲後に必要となる銃身の冷却時間を、短くしたいとのことだった。筆麻呂(ふでまろ)が試算するところによると、首尾よくいけば百数える間に十発撃てるようになるという。

 従来の雷火(らいか)は同じ時間で七発撃、この差は小さく見えて大きい。

 

「我が身を振り返っても思うが、何かにのめり込める生とは素晴らしいな。日々の景色が輝いて見える」

 

 試したいことがある、と去ってゆく火鵺(かぬえ)の背を見送りながら、筆麻呂(ふでまろ)が言った。意欲に燃える火鵺(かぬえ)が、元より暑い鍛冶場を、熱の坩堝に変えているように思える。

 

「大切にしたまえよ。当たり前の出会いなど、天下に一つとしてありはしないのだからね」

 

 それが軍全体の行く末を考えての忠言か、あるいはどこまでも双竜之丞(ふたつのじょう)個人に関する戒めか、いまいち判然としなかった。学者の言葉とは、戦しか能の無い武辺者からすると、どうにも解し難いところがある。

 

「……ところで、先程からどうした?何か憂いを抱えていると見えるが」

 

 双竜之丞(ふたつのじょう)はここに来てから、風喜(ふうき)が口を利いているのを見ていない。どこか上の空で、思い詰めている風ですらあった。

 

「いえ、どこまでも私事なものですから。無論、殿にはお伝えするつもりですが」

「であれば、いずれ皆にも知れる。彼に話しておいても、結果は同じではないのかな。何か力になってくれるかもしれない」

 

 筆麻呂(ふでまろ)は事情を知っているようだった。仙術を探求する同志として、話す抵抗が小さかったのだろう。

 肚を決めた様子で、風喜(ふうき)は文を差し出してくる。

 

「兄からです。近日中に……親族が《臣廼湖(おみのこ)》に亡命してくると」

「亡命?」

 

 文を広げて一読すれば、確かにそのようなことが記されている。余計な修辞を排した、決して長くはない文章。つい感情を乗せてしまったのか、字が乱れそうになるのを、どうにか抑えているようでもあった。

 

「容易には言葉にできぬ事情があり、このような仕儀と相成った。皆のことをくれぐれもお頼み申す──」

 

 言葉にできぬ、すなわち抜き差しならぬ事態が降りかかったという訳だ。その内実も、風喜(ふうき)無源(むげん)の下に身を寄せることとなった経緯を鑑みれば、おおよそ想像はつく。

 

「……皆を頼む、だと」

「お察しの通りです。兄だけは、来ません」

 

 風喜(ふうき)の兄の為人については、遼兵衛(りょうべえ)から聞き及んでいた。強い憂国の念を持った、自他に厳しい実直な男。

 親族は大事だが、共に亡命することを矜持が肯んじなかったのか。あるいは何か期するところがあり、残留して事を起こすつもりなのか。

 

「一本筋の通った、一族自慢の兄です。それだけに頑ななところもあるので、無理をすまいかと心配でならないのですよ」

 

聖華(しょうか)》東部における賊徒との戦い、《金號(きんごう)》との激突。戦が続く中で意識していなかったが、皇都の近辺でも陰謀が蠢いているということだろう。それによって日々を狂わされた人間が、早くも現れている。

 

 自分達もそれに巻き込まれるか、はたまた加速させることとなるのか。与り知らぬ、と切り捨てることはできそうもなかった。

 

 ────────

 

 空で舞い踊る飛竜の影が、群れをなしている。目で追いかければ、その行く手には《解軛門(かいやくもん)》が聳えていた。

 

 賊徒から勝ち取ったばかりの頃とは、大きく様変わりしている。風の通りを妨げる岩や建造物の大半が取り除かれ、常に清冽な空気が広がるようになっているのだ。

 その効果の大なるは、着陸して土を食む飛竜の様子を見ればよく分かる。安住の地に在ればこその和らいだ雰囲気が一帯を包み、安らぎの念を飛竜同士で分かち合っている。

 

 ここだけに留まることではない。《解軛門(かいやくもん)》を発った飛竜が《久々鱗(くくり)》内陸に至り、出会った飛竜と交感することで、翼を休められる処の存在を伝えるだろう。

 そのようにして飛竜の繋がりが広がっていけば、《解軛門(かいやくもん)》にはより多くの恵みが齎されることとなるのだ。

 

 瑞王(ずいおう)の鞍を外してやった。

 

「気が済むまで、好きに休んでいるといい。それでも羽目を外しすぎるなよ」

 

 弾むような調子で羽ばたき、瑞王(ずいおう)は自由に飛び回る。

 際立った外観の瑞王(ずいおう)は、他の飛竜からも一目置かれている。注目を浴びることに、充足を覚えているところがあった。

 

 青灰色の気ままな軌跡を眺めながら、ここ二週間に思いを馳せる。

 

 いずれ来る風喜(ふうき)の親族については、幾人かの知り合いに口利きをしておいた。《臣廼湖(おみのこ)》で義勇兵の調練を任されていた時に面識を得た者達で、三方師(さんぽうし)からの信頼も厚い。

 打ち明けられてしまった以上、少しぐらいは力にならなければ、面目が立たぬというものだろう。

 

 それ以外は、とにかく調練の繰り返しに尽きる。討たれた兵の補充こそ行ったが増員はせず、練度を高める方針で固まっていた。

 

 後先考えずに募兵を行って統制が取れなくなれば、結果的には軍の弱体化に繋がる。オロ宗家を始めとする、各氏族の警戒と反感を買う訳にはいかない事情もあった。

 

 各隊長から兵に至るまで、熱心に調練に打ち込んでいる。《金號(きんごう)》軍の粘り強い戦ぶりに直面し、気合を入れ直すべきだと肝に銘じたのだろう。

 意欲を持ってくれるのは結構なことだが、他に不安の芽が無い訳でもない。

 

「将軍、お疲れ様です。視察に来られたんですか」

 

 地上では飛竜から剥がれた鱗を集め、食んだ後の土を掘り返す者達が忙しく働いている。その中に、遼兵衛(りょうべえ)が養育する星慈(せいじ)の姿もあった。

 携えている帳簿に、何処でどれだけの鱗と土を採取したのか、逐一書き留めているのだろう。

 

「務めではない、瑞王(ずいおう)を放したかっただけだ。しかし、将軍というのは……」

遼兵衛(りょうべえ)が軍師なのだから、あなたは将軍でしょ?」

「そういうものかな」

 

 それから星慈(せいじ)は、《解軛門(かいやくもん)》が描かれた絵図を見せてくれた。各処の地形から地竜の移動経路まで記された詳細なもので、何処に飛竜が多く集まるか、如何に来て去っていくかが書き加えられている。

 

 これを基に円滑な誘導を行い、飛竜同士が諍いを起こさないようにしているのだそうだ。

 

肢落(しらく)殿が、様々に考えを巡らしてくださってます。お会いになりたいのなら、向こうにおられますよ」

 

 元々は《解軛門(かいやくもん)》に改善の余地有りと、整備を提言した男だった。それが高い評価を得たものか、《解軛門(かいやくもん)》当地の責任者となっているらしい。

 

 雇われに過ぎないのに、軍の統括に携わる羽目となった自分と、似たところがあるのかもしれぬ。

 

 教えられた小屋に向かった。飛竜の訪問を妨げぬよう、物々しい防御施設は大半が破却され、働く皆が詰める小屋も配置をよく考えられているとのことだった。

 

「軍中一の勇将がわざわざお出ましとはな。存外暇であられるのか」

「まさしく、その通りでね」

 

 片脚が動かない肢落(しらく)は、杖をつきながら出迎えに現れた。

 

「洒落た杖だ」

「あの学者先生がくれた。それなりに、気に入っている」

 

 多分、体勢の均衡を保つ術でも仕込んであるのだろう。以前より、やや楽そうな歩き方をしていると見えたのは、そういうことか。

 

 小屋に入り、二人で卓を挟んで酒ならぬ水を酌み交わす。肢落(しらく)が変わったのは歩き方だけではないと、話してみればすぐに分かった。

 

 余程に辛い経験をしたものか、ここに来たばかりの頃は、世を拗ねた態度でいるのを見てばかりだった。

 しかし今、己の務めと展望について語る肢落(しらく)は、満ち足りた思いを抱く者にしかできない表情を浮かべている。

 

 自分の力が求められている。誰かの助けとなっている。その自覚が何よりも人の心を救うのは、きっと国や時代を問わないのだろう。

 

「それにしても、戦帰りの飛竜も色々ということかね」

 

 ぼそりと呟くのを聞いて、双竜之丞(ふたつのじょう)は水を注ぐ手を止めた。

 

「何かあったと?」

「そうだな、話しておくべきだろう。激戦の渦中から生き延びた飛竜の心境というやつを、あんたも知っているな」

 

 飛竜は知能が高く、感受性の高い生き物だ。生と死が無慈悲に、唐突に分たれる戦場で翔け続けていれば、多くは憔悴する。人と同じように。

 

「違ったのか」

「手で算えられる数を、少し超していた程度だが。そいつらは叫ぶような念を発していてね……戦わせろ、もっと力を振るわせろ、と」

 

 双竜之丞(ふたつのじょう)は椀を取り落としそうになった。調練の中で感じていた不安の芽とは、まさしくそれではないか。

 

 より積極的な外征、そのための軍備拡充を唱える者が、軍に幾人か現れていた。

 戦功や褒美を求めてのことなら、まだ可愛げがある。しかしどうも、より強大な力で他を圧することに、使命感を覚えているようにすら思われた。

 

 同じ考えを抱く者がどれだけいるか分からない以上、無闇に粛清することも憚られた。共に調練を指揮する真鬼座衛門(まきざえもん)が一喝してくれたおかげで、今は鎮まっている状態だが、火種は完全に消えた訳ではない。

 

 乗り手と交感する飛竜に、その証がしっかりと残っているのだ。

 

「あんたの飛竜は、肝が据わっているな。暇があれば、ここに顔を出させてもらえると助かる。他の奴らも落ち着くだろうし」

「なるべく時を作るようにする」

 

 小屋を出てみると、瑞王(ずいおう)の高らかな咆哮が聞こえた。はしゃぐ様子が微笑ましくもあり、共に重荷を背負わせてしまうのが少し後ろめたくもあった。

 

 否、卑屈にはなるまい。瑞王(ずいおう)は強く、賢く、気高い飛竜である。引け目ばかり感じていては、その相棒たる立場に恥ずかしいではないか。

 

 思えば、自分はどれだけ多くの人間の運命に干渉してきたことだろう。無源(むげん)火鵺(かぬえ)遼兵衛(りょうべえ)。麾下の将兵らもそうであろうか。

 雇われだから、などという言い訳で投げ出すことはできないのだ。

 

 死線に身を投じ、槍一本を振るい続ける気ままな身の上でありたいと、望んでいた時期があった。

 その槍一本は打ち直されたことで、今後一層強まる皆との結びつきを、象徴する存在に変じている。

 

 全ては、あの出会いがあったためだ。双竜之丞(ふたつのじょう)は西を見晴るかして、湖の記憶に思いを馳せる。

 

 風が、吹いた。追い風でありながら、行手にある試練を人に突きつけるような風。

 

 乾いた風の音の残響が、双竜之丞(ふたつのじょう)の耳に暫く残り続けた。

 

 

【第一章 動き出す歯車 了】




 いつも応援してくださる読者の方々のおがげで、無事に第一章を完結させることができましたこと、心よりお礼を申し上げます。

 感想、高評価、お気に入り登録などをしていただけますと、第二章の執筆にあたって、大変励みになります。面白いと感じていただけましたら、何卒よろしくお願いいたします。
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